「え? 兄貴、今、何て言った?」
リビングにて、アイス片手にファッション誌を読んでいる少女は、向かいに座ってる兄が今言った事を聞き返してきた。
風間之江。風間堅次の実の妹。幼少の頃よりアイスが好物で、兄の事を普段は「兄貴」と呼んでいる難しい年頃の少女だ。
「いや、もう弁当作ってくれなくていいって」
兄妹の弁当は彼女が作っている。いや、之江が堅次の分も作って強引に持たせていると言った方が正しいだろう。
今までそれを何のかんのできちんと受け取っており、忘れる事はあっても拒んだ事は無かった。そして之江は、彼がこんな事を言い出した理由の心当たりがあった。語彙は少ないが情報通な友人から聞いた事。
「兄貴……やっぱり本当なの? あの日以来桜と付き合っているって……」
「付き合ってねえよ。ただ……」
あのお出掛けから二日後の昼休み、堅次が弁当を広げた時、突然桜が来訪してきた。
『せんぱーい。お昼一緒に食べましょう♪』
『何で俺のクラスまで来る? 電話しろよ!』
『サプライズですよ』
『何でもそれで許されると思うなよ』
『今度から事前に連絡しますから、だから一緒に食べようよ〜』
『抱きつくな擦りよるな! 分かったよ食えばいいんだろ食えば!』
大濠から椅子を借り、堅次と向かい合う位置に座る。そして、弁当箱を二つ出し、内一つを既に広げている堅次の弁当の隣に置いた。
『これは何だ?』
『お弁当。先輩の為に作ったんだよ』
『俺には既に弁当があるんだが』
『以前船堀先輩の作ったご飯と芦花先輩が焼いた干物と私達が作ったカレー食べたんだからこの位余裕だって』
確かにあの時食べた量とは比較するまでもなく少ない。量を理由に断っても説得力は無い。
それに彼女達の妙な押しの強さはよく知ってる。その為食べる事にした。おかず一品食べる度に「それ美味しい?」と訊ねてきたが、首を縦に振って流した。実際美味しかったし。
互いに全部食べると嬉しそうに空の弁当箱を片付けて教室から出て行った。
「その次の日以降もあいつわざわざ自分が作った弁当持って俺のクラスに来るんだよ。しかも今日に至っては船堀も同じ事してきた上明日から作ってくると言い出してな。いいって言ったんだが押し切られて。流石に三人分も毎日食うのはキツいから……之江?」
「お……お……お兄ちゃんのあほーっ! 女誑しー! うわあぁぁーん!」
泣きながらリビングから出て行った。
「女誑しって……いくら何でも失礼だろ……」
翌日の放課後、ゲーム製作部(仮)の部室。堅次が来ると、いつも通り部員+1が揃っており、ジャージ姿の女が居眠りしている。
大沢南。この部の顧問であり、二年D組の担任の教師だ。部活動中は大抵眠っている他、雷属性を自称していて、食らったら髪の毛が逆立つ程のスタンガンを事あるごとに振り回す危ない人。繰り返すがこんなんでも教師だ。
特に彼女に関心を向ける事もなく、堅次は部内で唯一の後輩に空の弁当箱を渡す。
「今日のお弁当どうでしたか?」
「いつも通り美味かった」
「ちょっと、それ漠然とし過ぎて分かりませんよ。何が美味しかったのか、そういった感想は無いんですか?」
「全体的に美味かったじゃ駄目か?」
「もう……明日おかずのリクエストは?」
「そんなの聞かなくてもお前が作りたいように作れよ」
「ちょっとー!」
焦った声色で小柄な少女が声を上げた。
柴崎芦花。このメンバーの中で一番小柄だが堅次と同学年で、この部の部長だ。普段は炎属性を自称し、人間火炎放射器と名乗っているが、怒ったら闇属性と名乗るようになり、主に自作の袋を相手の頭に被せてくる。最強の闇という通り名を持ち、学園の裏ボスと不良どころか一般生徒にも広く認識されている。
「何で風間さんが当たり前のようにお弁当箱を桜に手渡しているんですか?」
「いや、これこいつのだから返すの当たり前だろ? 今日はこいつ弁当渡してどっか行っちまったし。こいつのクラスまで行くのは少し恥ずかしいからここで返そうと思って」
「いやー、突然之江っちが押し掛けてきて、説得に時間掛かりそうだから先輩にお弁当渡したんです」
「あのさ……あの噂、本当なの?」
恐る恐る別の女子が訊ねる。
彼女の苗字は高尾。この学園の本当のゲーム製作部の部長……だが、最近はこっちの部室に入り浸るようになっており、本来の自分の部の方はおざなりになっている。
堅次は彼女の言った噂の心当たりがある。このタイミングで言い出す以上、昨日之江から聞いた事で間違い無い。
「風間が水上さんと結婚して、妻公認で船堀さんを愛人にしてるって」
「何処まで尾鰭がついてるんだよ!」
僅か一日で膨らみ過ぎだった。
「違うの?」
「違うに決まってんだろ! 大体民法で男は18、女は16にならないと結婚出来ないって決まっていて俺もこいつも達していないんだから変だと思えよ!」
「良かった。デマだったんだ……」
「そんな噂信じてるお前含めたこの学校の連中が信じられねーよ」
「安心するにはまだ早いです高尾さん。確かに結婚はまだ出来ませんが、婚約は可能です」
「話をややこしくするな!」
「安心しろ芦花、この二人はあの日以降プライベートで一緒に行動した事は一度も無い」
そう言うのは烏山千歳。ゲーム製作部(仮)の部員の一人であり、芦花の幼なじみで親友。第15代生徒会長だが、まともに活動する事は殆ど無く、大抵副会長の中に丸投げしている他、生徒会の権限を濫用しており、直接、間接問わず問題を多く引き起こしている。
「珍しいな。お前が俺を庇うような事言うなんて」
「こんな訳の分からん噂早めに消した方がいいだろ。学園の為にもならん」
「お前、ちゃんと学校の事とか、考えていたんだな……」
「お前のお蔭でこんな噂が流れたんだ。少しはしゃんとしろ。こんな噂を真に受けた一部の教師陣が騒いで、後少し副会長やコネコネ先生や西永先生達が説得に遅れたら職員会議に発展していたんだぞ」
「お前は動いてないのかよ!」
「鵜呑みにしていた私が何だけど、噂でそんな騒ぎに発展する先生達って……」
「お前がどうなろうが別にいいが、大事になればなる程私達にとばっちりが来る事をもう少し自覚しろ」
「俺や高尾がお前らのトンチキな行いのとばっちりを受ける事が多いんだけどぉ!」
あまりの勝手な言い草に少し見直した事を心底後悔した。
何でこいつリコールされないんだ? 本気でそう思った。
「兎も角! 桜はもう風間さんにお弁当を渡さないで下さい!」
「そうよ! そもそも貴女が毎日風間にお弁当作って一緒に食べるからこんな騒ぎになってるんじゃない!」
「どうしていけないの?」
まくし立てる芦花と高尾に、桜は冷ややかに反論した。
「確かに私の配慮が足りなくて騒ぎになりかけたのは事実だけどさ、何もしてない人達が私がやってる事に文句を言うのは筋違いも甚だしいよね?」
二人は勿論、堅次と千歳も押し黙った。今の桜には普段は無い凄みがあった。
突然扉が開き、そこから一人の女子がさも当然のように入ってきた。
「そうですよ、まだチャンスあるって分かったんだからこっちも攻めればいいだけですよ!」
「お前何普通に入ってきて当たり前のように会話に加わっているんだよ!」
堅次のツッコミが語っているように、この女子は部外者である。
稲田堤。高尾が部長の本当のゲーム製作部の部員で、一年だが仕切り屋で部長がやや頼りないのもあって、高尾を差し置いて彼女が部を引っ張る事もままある。
「それ、ウチの部長が普通に交ざってる時点で今更ですよね?」
「ま……まあそうだな……」
咳払いをする稲田。
「風間先輩、聞きたい事がありますが、絶対に答えて下さいね。拒否権は認めませんので」
「何様だお前」
「複数の女性が先輩に好意を寄せていて、先輩を巡って日々争っている。こんな事態が起こっていたら、彼女達にどう言います?」
「現実でそんな展開が起こる訳ねーだろ」
「じゃあ、漫画でそんな展開見た時何か思いましたか? 先輩アイラブ読んでるんだからこういう展開一度は目にした事あるでしょう?」
「何で苛立ってる!? 要はそういうジャンルの感想を言えってか? なら最初からそう言えよ」
一呼吸置いて、口を開く。
「好きな奴を蔑ろにするな」
「えっと……その心は?」
「まだ俺は恋愛とかよく分からねえけど、人を好きになった奴の肝心の相手はその好きになった奴、更に言っちまえばそいつの気持ちだろ? 好きな奴が被っていてそいつどうにかしようとして肝心の相手から避けられる事言ったりやったりしたら本末転倒なんじゃねーの?」
それを聞いて桜はショックを受けていた。
「先輩……私のやってた事、ホントは迷惑だった?」
「いや、メシ持ってくる程度ならそんなでもねえよ……」
「ホラ部長、聞きましたか?」
「う……うん……か、風間、あ、明日から……」
「?」
「あ、明日から私もお弁当作ってくるから、一緒にお昼食べるわよ!」
顔を真っ赤にしながら言う高尾を見て、自分の発言が迂闊だった事に気付いた堅次だった。
「では私も明日からお弁当作って風間さんと一緒にお昼を食べます」
追い討ちをかけるように芦花が発言する。
マズいと堅次は思った。こいつ等が何を考えているのか分からないが、このままではまた騒ぎが起こってしまう。
「お前等、弁当作れるのか?」
「それは一体どういう意味ですか!」
「いや、高尾はレパートリーそんな多くないし、お前に至ってはまともに作れなかった筈だが……」
「それについては解決策があります! つつじちゃんに教えて貰いますから大丈夫です!」
(違う意味でロクな弁当が期待出来ねえ!)
つつじは府上学園とは別の学校に通う芦花の実妹の名前だ。芦花の弁当は彼女が作っており、彼も以前彼女の弁当を食べた事があるので味自体は心配していない。
問題は彼女が重度のシスコンである事だ。彼が食べた弁当には「お姉ちゃん大好き」というメッセージが海苔で書かれており、それだけでなく、芦花が気に入っているという事で堅次の事を一方的に敵視している。
「大丈夫です。私が責任持ってちゃんと言い聞かせます」
その発言に堅次は物凄く懐疑的な目を向けた。が、すぐに外して高尾に体を向ける。
「で? お前も誰かに教えて貰うのか?」
「う、うん……お母さんに教えて貰うつもり」
と、こんなやり取りがあった翌日の昼休み。堅次の机を囲んで三人の女子が椅子に座っていた。
一人は桜、一人は船堀。もう一人は――
「何でタマ先輩がいるんすか?」
「タマちゃんね」
「質問に答えろ!」
前生徒会長、境多摩。
「偶には姉弟で一緒にご飯食べようと思って。お弁当も二人分作ってきたんだよ〜?」
「せめて事前に連絡してくれ……」
多摩は堅次の文句もどこ吹く風という感じで、弁当を置き、蓋を開く。
中身を見て、堅次は唖然とした。
「あの……境先輩、これは……」
「コロッケがメインのお弁当ねぇ。ジャガイモコロッケにぃ、牛肉コロッケにぃ、カニクリームコロッケ。それでコロッケパン」
「メインじゃなくてコロッケオンリーかよ!」
バランスの度外視もいいレベルの内容だ。しかも付け合わせが一切無い。食べ切ったら高確率で胃もたれになる。
「味は保証するわ」
「問題なのは味じゃねえよ!」
「風間さーん。約束通りお弁当作ってきましたよー」
芦花と高尾が入ってきた。二人共かなり大きな手提げ袋を持っている。嫌な予感がした。
「どうしてタマ先輩まで?」
「流行に乗らないとと思って」
「メシ食いに来たんならさっさと来い! 無駄なやり取りで時間を潰す気か!」
今までの経験から放置するとどうなるか見当のついている堅次はそうならないよう牽制する。二人も堅次の同級生から椅子を借りる。手狭になってきた為他にも机を二つ借りた。
「先輩達は何を作ってきたんですか?」
「これです」
二人同時に手提げ袋の中身を机の上に置く。それを見て堅次の表情が引きつった。 高尾のは体育祭でよく見掛ける、黒塗りの五段の重箱。少なくとも平日の学校には場違いな物だ。
芦花のは何と保温機能付きの炊飯ジャー。弁当箱ですらない。家電だ。どんな場合でも一学生が個人的に持ち込むような物ではない。
「何でこんなもん持ち込んでるんだ? 高尾から言ってみろ」
「お母さんが『こういうのは初めが肝心』だって……一応私もお姉ちゃんも止めたんだけど……」
『ダメよ。お話聞く限り競争率高いんだから、下手に合わせていると取られちゃうわ』
『へ? と……取られ……』
『お母さんも全面的に協力してあげるから、頑張ろ』
「お母さんがかなり張り切っちゃってて、押し切られて……」
「お前も大変だな……」
堅次以外は彼女を白い目で見ていた。
「それで? お前は?」
「よくぞ聞いてくれました。中身はサツマイモご飯です」
「中身は聞いてねーよ! 炊飯ジャーその物について聞きたいんだよ!」
「この炊飯ジャーはバッテリーが内蔵されていて満タンなら最高120時間保ちます」
「何で炊飯ジャーなんてもん持ってきたかって聞いてるんだよ!」
「これには深い訳がありまして――」
『は? 風間に弁当作りたいから料理教えて?』
『はい……つつじちゃん料理お上手ですので、お手軽で美味しいおかずを何品か……つつじちゃん?』
『畜生風間めぇ! お姉ちゃんにお弁当作って貰えるなんてぇ! 私なんか生まれてからおにぎり一つ作ってもらった事無いのにズルいぃ!』
「同じ家に住んでいて作るのがお前なら作ってやる必要性ねぇだろ!」
『わざと間違った分量教えて不味く……いやダメだ、食べ物に罪はないし、何よりお姉ちゃんの心に深い傷を付けちゃう……』
『つつじちゃん?』
『待てよ。そう言えばあいつ、橋本名選手の冒険離島で……』
『つつじちゃーん?』
『お姉ちゃん、確か風間の奴、以前お米欲しがってたよね?』
『はい、私達のミスでお米を炊くのを忘れてしまって』
『じゃあさ、炊き込みご飯にしようよ。それなら簡単だし、ご飯の量も入れただけ増えるから喜ぶよ』
『成程、それは盲点でした。ナイスアイデアです』
『ちょうど買ってたサツマイモあるしさ。後、あいつかなり食べるみたいだし弁当箱に詰めるんじゃなくてジャーごと持っていったらどうかな?』
『凄く大胆な発想です。流石はつつじちゃん』
「という訳でして」
「お前今日帰ったら姉としてあいつの事叱ってこい」
「芦花、それつつじちゃんの風間への嫌がらせだから」
「つつじちゃんは本当に全然姉離れが出来てないなぁ」
「流石にそれは……」
「完全に妹失格だね。お兄ちゃんを嫉妬で困らせるなんて」
「お前もあいつも俺の妹じゃねぇ!」
「ちょっと待って下さい風間さん……」
「?」
顔を青くし、震えていた。
「つつじちゃんは風間さんへの嫌がらせの為にこのお弁当を考えたんですか?」
「これはもう弁当というカテゴリーから逸脱してるわ!」
「あのさぁ堅次君、怒るのはごもっともだけどさぁ。いいの? 時間」
多摩に指摘され時計を見ると、既に半分近く経過していた。無論このグループは誰も何も口にしていない。
気を付けていた筈なのにいつの間にかいつものやり取りで時間を浪費してしまった事に自己嫌悪を覚えた。
「よし、さっさと食うぞ。もう時間がねぇ」
「え? これ、全部食べるんですか?」
「量的にも時間的にも難しいというより無理だろうから食えるだけな。メシくらいならって言ったのは俺だし、今日はこれで勘弁してくれね?」
少し申し訳無さそうに言う堅次。彼女達の返事は――
「いいですよー♪」
「分かりました」
「それでいいよぉ」
「ありがとうね」
「こちらこそ、申し訳ありませんでした」
それぞれ箸を取って時間一杯和気藹々と食事を楽しんだ。
その光景を遠巻きに見ていた同級生達は――
「畜生! 何かの当て付けかよ! 俺達は何を風間君にしたんだよ!」
「何なんだ! 本当なら微笑ましく黙って見てないといけないのは頭では分かっているのに何で心では黒い感情が湧き出てくるんだ!」
一部はこんな感じだった。
午後の授業、六人共満腹過ぎてロクに内容が頭に入らなかった。
「之江、お前何で昨日の昼休みあいつ呼び出したんだ?」
「覚えてない」
ただそれだけ返して顔を背けた。帰ってきてからずっとこんな感じで、アイスを買ってあげても変わらない。
あの時之江が桜を呼び出した理由――付き合ってないんなら兄貴の弁当作るなと文句を言う為だった。が、のらりくらりとされた上、今日は堅次が五人の女と一緒に食事した事を耳にして拗ねているという事を、この兄は知る由も無かった。
放課後。
「まさか芦花さんが僕に手作りの炊き込みご飯をご馳走してくれるなんて……」
泣きながらご飯を口に運ぶ八。
これが誰の為に作った物なのかも、残り物である事も承知の上で、ただ好きな人の贈り物を味わって食べていた。