霧雨魔理沙は、森の洋館を訪れていた。
中に居並ぶ無数の人形たちを窓からも見て取れるその館は、こと制御という分野において幻想郷随一の実力を誇る魔法使いにして人形遣い──アリス・マーガトロイドの住む、"魔女の家"である。
「アリス、いるか?」
ドアノッカーを適当に叩く。応答はない。
「……留守か?」
それは少々考えにくい、と魔理沙は自答した。
アリスが"種族"魔法使いであることはそれなりに知られた事実だ。つまりは、生きることそのものを一定以上魔法に依存している。
彼女やパチュリー・ノーレッジなら、恐らくはなんとでもするだろう。聖白蓮なら、……あっちはそもそも、それほど依存してなさそうだが。
しかしながら、影響は確実に出る。完全に解析と対処が済んでいるのでもない限り、外出は避けるだろう、と。
そこまで考えたところで、くい、とスカートの裾を引かれた。
「お?」
人形。
愛らしいガラスの瞳に見上げられ、魔理沙は問うた。
「アリスはどうした?」
人形はうなずき、たった今出てきたらしい、ドアの下の方についた小さなドアをくぐる。
魔理沙はノブをひねると、アリスの家へと踏み込む。鍵は、開いていた。
人形が進む先はいつもの客間ではなく、二階。
「ついて来いってか」
階段を登る。その先にはドアが見えていた。人形はこれまた珍しいことに、そのドア横、小さな棚へと降りてそれきり動かなくなった。
アリスらしからぬ行動だ。いつもなら自ら開けるか人形に開けさせるかする。そして人形を回収し大切に棚へしまうのだ。
扉自体には見覚えがあった。そもそも、この扉は魔理沙がアリスの要請を受け開発したものだ。そんな珍しい話を忘れるはずもない。
パッと見は単なる木製の扉だが、その実魔法的な加工が五重六重に施されている。シンボルも各所に仕込まれており、試作品ですら"マスタースパーク"の全力照射4秒半に耐えた逸品である。
唐突に、奇妙な感覚を覚えた。懐かしくて嫌な感覚だ。振り払おうと、滑り止めを兼ね、ルーンを刻んだノブをつかむ。回す。
霧雨魔理沙は、アリス・マーガトロイドの部屋に踏み込んだ。
そのはずだった。
「……アリス?」
ベッドには、人形のような少女が眠っていた。
繊細な糸を束ねたような金色の髪。青を基調とした服。いつもの白いケープはしていないが、人形を操作する"魔法糸の指輪"はつけたままだ。
その顔には一切の生気がない。如何に捨食の法により食事も睡眠も無用とはいえ、そもそも呼吸をしている様子すら……
「ああ、来たのね、魔理沙」
幼い声が、響いた。振り向く魔理沙。
佇むは、青く幼い死の少女。
◆
「あーもー、またかよぅもう!」
少女は声を上げた。そのまま上半身を背もたれへ、両腕を外側へ投げ出す。だらーん。
その前には大型の有機ELディスプレイ。ケーブルで繋がれた先には今日日珍しい大型の筐体。そこらの情報端末ではいくら束ねても勝負にならないような代物だ。
それを操作するというのは、ちょっとした特権ですらある。ということはつまり、彼女はその"特権持ち"であるのだ。
しかしその外見は世辞にもそれに見合わないようなものであった。
いかにも少女然とした身長と体型。若干クセのある金髪はツインテールにまとめられているが、そもそも服装が真っ白い水兵服("セーラー服"でなく、まさにかつての海軍が使っていたようなものだ!)。
「教授、きょーじゅー!」
少女はそのまま声を上げる。
簡易な壁の向こうへとそれは届き、向こう側の人間が一人、動いた。
「……なんだねちゆり。いやまずその格好……」
赤髪の長身が開け放たれたドアから顔を出し、そして呆れた様な表情をした。赤いワンピースに白衣を羽織る彼女、そのあまりにも若い外見はこちらも"教授"らしく見えない。
岡崎夢美。
京都総合大学において特任教授を拝命する、つい六年前、せっかく出来上がりかけた統一物理理論を粉々にして"比較物理学"なる新分野を立ち上げた女性である。
「格好も何もあったもんじゃない……どっからどうみてもこりゃ観測系の故障か収集系の故障かさもなきゃ両方。明らかにデータが矛盾してるぜ……」
「いいかねちゆり、まずはそのデータが本当に矛盾しているか確認したまえといつも何度も言っているだろう。アインシュタインもそうやってエーテル宇宙の過ちを指摘したじゃないか」
だれた様子の少女と若い教授。その会話はほとんど友人同士のそれに近い。
以前そこを問うた学生に夢美は"付き合いが長いからな"と返していたが、それが言葉通りの意味だとは誰も思っていなかった。
「そうはいってもこれで4回目だ! これが正しいならほんとに私らアインシュタインやらなきゃいけないぜ!?」
「名誉なことじゃないか。少なくともこの世界の科学史には大きく名前を刻めるぞ?」
「労力と結果が割に合ってない!!」
「よし、そこまで言うなら君に武器を与えよう。ほれ」
そういって夢美は何かを投げてよこす。
それは、箱だ。黒く、表面は滑り止めを兼ねてざらりとしている。手に持って使うというよりは腰に固定するタイプのようで、ベルトが付いている。
ちなみに内部にはドライバや小型テスタ、シグナルチェッカといったものが箱に対し固定された状態で収められている。
つまるところそれは、携帯型の工具箱というやつだった。
「わっと……ってこれ工具ー! つまりそれってば」
「ほれほれ、さっさとチェックしてきなさい我が助手よ」
「うわーん! 教授の鬼ー! っていうか私准教授なのにー!!」
少女はばっ、と立ち上がるとそのまま大学の外れ、観測機器群
北白河ちゆり。岡崎夢美特命教授の要望によりまとめて引きこまれた天才少女。
准教授待遇を受けているが、その実岡崎教授の専属助手であり、その無茶ぶりによる一番の被害者である。
「……ふむ、こんど寿司にでも連れて行ってやるか」
夢美はそうつぶやくと、再び奥へと引っ込んだ。
「いや、すまんね」
ここは京都総合物理大学陸号館、通称物理棟の岡崎研究室。雑然としているがそれなりに整理されたそこは正しく、岡崎夢美の城だ。
それなり以上に広いそこを、夢美は間仕切りで三区画に切り分けて使っていた。
二つの扉の片側、その目の前に研究用コンピュータ(先程までちゆりがいじっていたそれだ)や複数人で比較検討を行うための机、資料棚といったものを配する第一区画。
そのとなりに夢美自身が主に使う、事実上の居住スペースである第二区画。
そしてその奥、第二の扉と直結する第三区画。一対一で、重要な話をするための応接スペース。
「宇佐美くん」
「はい」
「とりあえず、コーヒーでもどうだい?」
夢美は、そういって蓮子に笑いかけた。
◆
「ふむ、なるほどね」
夢美の手には、紙の束があった。
印字された無数の文字は、別に暗号化されていたり機械読み取り用の工夫がされていたりするわけではない。単に、ごく普通のレポートが、ごく普通に印刷されている。
かつては"前時代的""資源の無駄"と批判されたこともあったが、結局のところ、未だ紙よりも人間が読むのに適合する情報媒体というものは開発されていないのだ。
「オーケー、話を一度整理しよう。まず……怜霧くんだったか? 彼が失踪した」
「はい」
蓮子は頷く。
つまるところ、レポートとは神社探索(未遂)のものだ。
異常なほどの割引で長野まで移動できた理由がここにある。蓮子は、うまいこと夢美を利用した形だ。
「しばらくして週刊誌経由でそれを知った君たちがその神社へ入る。前回の相談がこれに関するものだったね」
「はい」
「そして結界に明らかな異常が現れるのと同期して彼が現れた」
「はい」
ふむ、と夢美が考え込んだ。脚を組み手を顎に当てる、ごく典型的な"考え中"スタイル。
「教授。今回の件ですが、レポートはこれで?」
「構わない。しかし驚いた。君たちの評判は聞いているが、ここまで面白いものを持ってきてくれるとはね」
夢美はくつくつと喉奥で笑う。蓮子は一瞬むっとして、同時にあまりにもあけっぴろげなその様子に毒気を抜かれる思いをした。
「ああ、気を悪くしないでくれよ? 物理学部十年来の天才と相対性精神学の魔女、そこに
「……怜霧のこと、知っているんですか」
自分たちのことをとりあえず棚に上げて(それなりに有名になってもしょうがないだけのことをしている、と蓮子自身思っているからだ)、蓮子はそう返す。
「
「名誉教授……」
蓮子は反射的に、記憶のデータベースを漁る。言われてみれば、確かにそんな名前を聞いたような覚えはあった。
「それだけではない。あの男は本来単なる神道系の研究者だったはずなのだがね、いつの間にやら結界探査計画や東京復興計画、
「思兼計画ですか!?」
思兼計画。
その名は"高天原の知恵袋"八意思兼神から来たとも、研究者たちのジョーク(次世代型コンピュータは太陽熱発電プラントを兼ねた釣鐘型の巨大なビル="重い鐘"になるとかなんとか)から来たとも、旧世紀のアニメから取られたとも言われているが、要するにノイマン型コンピュータ、量子コンピュータときたこれまでのコンピュータを、そのさらに次の世代へ進化させようという計画だ。
各所から著名な研究者たちが集められ、時間と資源と経費が投じられたものの、次世代型コンピュータには至らず幾らかの新技術を産み出すにとどまったとされる。
その計画には多くの疑問点が存在し、無数の噂が今もくすぶっている。
曰く月から持ち帰られた超超度に高密度な回路を構成すると思しき石の分析複製が目的だ、いや生体コンピュータを研究して挫折したに違いない、いやいやもっと魔術的方面からのアプローチを試みて祟りにでもあったのだ……
「いくら各方面から集めるにしても分野に頓着しなさすぎだと思ったものだ、よく覚えているよ。実際の所研究者たちの間を取り持つ一点で成果を出したと言われるが、ね」
「しかし……いえ、では、彼は一体?」
「その辺りはプライバシーというものもある。私も詳しく調べるほど興味が有るわけではない。だけどね」
夢美は真剣な表情を作って、言った。
「婿にするにはいい、そう思うよ?」
◆
──
神話の時代から神職であったという家、白霊家直系の末裔 ※1。
生前は京都総合大の名誉教授であった。
各地の旧家と繋がりを持ち、またその生まれや活動内容から「神道文化の生き字引」とも言われる。
教導のため度々宮内庁に呼び出され出向いていた ※2、天皇陛下がその死を惜しむ談話を発表された ※3など、伝記の内容にはどうあっても事欠かない類の人物である──
「すさまじいわね」
病院へと向かう道。携帯端末向けのデータ通信ネットワークにアクセスしながら、蓮子はそう呟く。
アクセス先は「日本偉人録」。日本の偉人達を記録する、がコンセプトのウェブサイトである。
「ここにまで載ってるとは。さぞパワフルな人だったんでしょうね」
「そうらしいわね」
メリーが画面を指して言う。
歩行の揺れで指が触れ、つつかれた格好の画面がべろんとだれる。
揺れは平気なくせにつつかれると倒れるというフィルム状ディスプレイ独特の弱点に苦笑しつつ、メリーは画面を引っ張って伸ばし直しながら言った。
「ほら、ここ。各地で失われた儀式祭事を史料から復活させ、神道文化の保全・回復に務めたことなどから、文化勲章を授与されている、ですって」
「文化勲章!」
蓮子は思わずうめいた。
文化勲章といえば、文化の日──すなわち11月3日、なんと皇居において、天皇陛下直々に授与(親授、というが大体通じないのでこう言われる)される、大綬章と同等の勲章で──要するに、すごい。
文化功労者選考分科会の意見から大臣が推薦し、賞勲局の審査を通した上で閣議により授与が決定されるこれは、ノーベル賞受賞者にはとりあえず与えておけ、と慣例にされているぐらいにはレベルの高い勲章だ。
おまけに受賞すれば文化功労者として登録され(そもそも通常は文化功労者の中から授与対象が選定されることになっているのだが)、350万円/年の終身年金が入る。
よって、割と俗っぽい部類である蓮子は、「毎年350万円かぁ」とその価値を勘定した。
「それだけあれば研究用のマシンだって楽チンで買えるのにー」
「蓮子、あなたね……」
げんなり、と顔に表すメリー。
その表情を見て、蓮子は笑った。
「まあでもよかったわ」
「何がよ」
「メリーが落ち着いたみたいで」
実際の所、ここしばらくメリーに落ち着く余裕はなかった。
というのも、怜霧は見つかった直後にばったりと倒れ搬送され、警察からの聴取もあり、白霊家関係で面倒なあれやこれやがあり、それらをメリーが"怜霧のために"と引き受けたからだ。
蓮子もサポートはしたがその多くはメリーが自ら片付けており、そのたびにストレスを溜め込んでいたのだ。
「……ごまかしてるでしょ」
「違うわよ」
蓮子はもうひとつ、笑った。