ぱしぱし、と音がした。
「? 誰かしら」
妙な予感がする。急げ急げと、急かしてくるのは巫女の勘。
感知の輪を開く。霊夢は、自らの周囲を、自らの霊力で以って走査した。人は、かからない。妖怪もだ。
ぱしぱし、と音がする。
閉めていた雨戸を開けば、そこにいたのは、
「……人形」
金髪碧眼の、西洋人形。
右腕をもがれ、左目が吹き飛び、盾はその役目を果たしたか、その表層をどろどろに溶かしていた。
「あなた、人形師の」
こくり、人形が頷く。
この幻想郷で、この神社にたった一体で来るほど、高等な人形を持つものは彼女一人しか居ない。故に、当然の推測だった。
いや、一体では、なかったか。
「それは、あなたの仲間?」
こくり、人形が頷く。
人形は、その背にもう一体の人形を背負っていた。
全身をひどく破壊された人形。両の腕と足は根本から奪われ、胴も頭も焦げたり傷ついたり、ひどい有様。
霊夢は、勘と推理が同じ結論に至ったのを感じた。
アリス・マーガトロイドは、何かに気づいた。しかし動けない。故に、切り札に──自律稼働可能な人形二体に、何かを託した。
二体は健気にもその命令を全力を以って遂行し、道中妖怪やその他もろもろの障害を突破し、ボロボロになってまで、今ここにいる。
人形が、小さなポーチを取り出した。
しゃがむ。受け取る。
瞬間、人形は倒れた。
その体から空になった小さな瓶が3本こぼれ落ち、澄んだ音を立てる。
「……人形は、大切にしないと呪われるわよ」
或いは、大切にしている彼女だからこそ、人形もここまで頑張ったのか。
二体を掬い上げ、棚へと置いて、博麗霊夢は、"楽園の巫女"としてポーチを開く。
◆
「あの山は、神隠しの名所だ。
古い神社がある。特にあそこへ参拝に行ったものは、神隠しに遭いやすくなるとも言われた」
──その神社は、本来神隠しを抑えるためのものだったのでは。
「無駄だったのだよ。巫女と一族が消え、そのままだ。
あの神社が打ち捨てられたのも、そこに原因があったはずだ。最早資料もないがな」
──では、なぜ今でも残っているのでしょうか。
「そんなものは知らない。誰かが手入れをしていたんじゃないか。
我々は、手を触れず、あれを忘れるに努めてきただけなのだ。
帰り給え。記事になどせずに捨て置け。
あんなものは広めてはならない。幻想は幻想のまま忘れられるべきだ」
――「週刊774」六月二日号より 特集「まさか本当に神隠し!? 古神社失踪事件の謎!!」
◆
『一種の過労ね』
赤青二色の、奇妙な医者はそう言った。
夢は、見なかった。
『環境の急激な変動に慣れない教員業務。一種の過労とはいったけれど、つまりは五月病といったところかしら。……ああ、五月病は本当にあるのよ? 4月からの新生活でたまった慢性的な疲労が引き起こす、一時的な体調の崩れのことを本来指すものなの。時期的にも夏への境だし、5月はそういうのが起こる時期なのよ。もう6月だけどね』
医者は、薬を出す、といった。
胡蝶夢丸。
睡眠薬の一種として分類されているが、その本来の効果は「いい夢を見られること」という奇妙なもの。
夢は、見なかった。
幻想郷へある程度以上滞在した人間にはよく処方するのだと笑う医者からそれを受け取り、小屋へと戻って、丸薬を飲めば、直ぐに眠気はやってきた。
そもそも、人里離れた"迷いの竹林"奥、永遠亭より訪れた医者、八意永琳の世話になるような事態に陥ったのは、数日前、あの巫女──東風谷早苗と会話をしたあの日以来続く、不眠から。
夢は、見なかっ
……違う。
誰だ。
あれは。
◆
「ごきげんよう」
「……八雲か。おどかすな」
「そう警戒しないでくださいな。私とて人里を守るものの一員なのですから」
「そう言うならまずはその胡散臭さを引っ込めてみせろ。 ……まあいい。それで、今日は?」
「白霊怜霧」
「……」
「彼の居場所は、どこかしら」
「なぜ、それを聞く」
「さて。一目惚れかしら? 彼を見つけた瞬間にね、捕まえておかなきゃ、って思ったの」
「お前がか? 冗談はよせ」
「あら、本当ですわ。半分は」
「……。彼なら、入口付近の旧詰所を使っている。だが起こしてやるなよ、過労だとかで療養中だ」
「あらあら」
「永遠亭のの診断だ、間違い無いだろう。胡蝶夢丸を出したそうだ」
「それはそれは……ふふっ」
会っておかねば、なりませんわね。
◆
『ふふ……怜霧』
……メリー先輩?
『ええ、怜霧』
なぜ、先輩がここに……
『愛は全てを打ち破るのよ、怜霧?』
……非科学的です。
『あら、貴方の言える台詞じゃないわね』
そう言いたくもなりますよ。こんなところにいれば。
『どんなところ?』
幻想です。あってはならない幻想。いえ、"会ってはならない"、ですか。
『会ってはならない?』
会えば最後、恐れるか、忘れるかすることになる。
『何を?』
全てを。
『ふふ、そうかも知れないわね。それはそれは、とても残酷なこと……』
ああ、そうだ。
だから貴方は、
お前は、
「……メリー先輩じゃないッ!!」
◆
怜霧は、跳ね起きた。否、寝ている状態から、無理矢理に
手応えは、無い。布の感触。布団、ではない。
傾ぐ。転がる。落ちる。この小屋は大きくはない。本来仮眠用の小さなスペースと、多目的の土間があるだけだ。
落ちた。
「ぐ」
どっ、と。
たたきつけられた体。噴き出した汗。それが滝のように流れ落ち、急激に冷却された体と頭がその暴走を止め、次いで異常な水分の消耗に悲鳴を上げたところで、白霊怜霧はばたり、と完全に土間へ突っ伏した。
右手にはリボン。赤い、否、
「先輩……」
これは、一年前に贈ったものと、同じだ。
「先輩ぃっ……」
握り締める。溶け落ちるかのように、リボンが消える。
泣いた。
声を殺すことすらできずに、泣いた。
いつしか空も、共に泣くかのように、泣き声を隠すかのように、大粒の雨を降らせていた。
「神奈子様」
「ん?」
「諏訪子様」
「なんだい、早苗」
東風谷早苗は、二柱を呼び止めた。
「怜さん──里の、外来人についてなのですが」
意思の強い瞳を向けて、彼女は言う。
「彼は、京都総合大に通っていると、そう言っていました」
「……なんだって?」
神奈子が、聞き返す。
「京都、総合大、です。……京都大学では、ないと」
「それは、つまり……」
「彼は"外"の人間で、しかし私たちの知る"外"の人間ではない。そういうことかい、早苗」
神奈子がつぶやき、諏訪子が断定する。
それはつまり、
「……彼は、どこから来たのでしょう」
存在するはずのない人間。
幻想郷とは、かつて日本において存在したある集落(現人里)と、その周辺一部を結界(博麗大結界)によって隔離したことで成立した、異界にして、世界の一部である。
極端な話、やっていることは、刑務所か何かのように、対象の周囲を乗り越えるのが難しい壁で囲むことと大差ない。ただ、その規模が大きなだけだ。
つまり、その内部と外部は、結界という壁で隔てられてこそあれど、
「恐ろしい矛盾だ」
かつて国をいくつも滅ぼした軍神が、戦慄した。
神奈子は、その体こそ女性体であるとしてほぼ間違いないが、早苗や諏訪子との家族としての立ち位置で言うならば、父親である。
それ故に彼女はその将来も気にして、高校生であった早苗の進学先を考えてもいた。
京都大学。それは、神奈子たちの居た"外"においても有名な大学である。
左京区吉田本町に存在するそれはかつての帝国大学令により設置された第二の大学──京都帝国大学の現在であり(ちなみに第一の帝国大学は現在の東京大学である)、その校風からしても、立ち位置からしても、なにより京都という所在地からしても、東風谷早苗という存在に相応しいのではないかと、考えていた場所であった。
その京都大学が施設を拡充し、制度を刷新し、しかし校風も何もそのままにいいところを残したままブラッシュ・アップして、「京都総合大学」となろうと計画していると──聞いたことは、あった。
「あってはならないことだよ、それは」
かつて祟りを統括した神が、真剣な顔になった。
諏訪子は、その外見こそまるで早苗の妹としても違和感のないような存在であるが、家族としての立ち位置で言うならば、母親である。
神奈子並に、あるいはそれ以上に早苗の行く末を心配した彼女は、かつての自分のやり方で──謂わば"粗探し"をするようなやり方で、彼女なりにその身を案じていた。
故に、その大学刷新の"計画"についても、詳しく調べた覚えがある。
政府が打ち出していたその国立大学更新計画。ほぼまるごと財源やら「無駄潰し」という名の政治家のパフォーマンスで粉砕されたその中で、唯一、京都大のそれだけがどういうわけか生き残っていた。
"古都"京都を、あのまま放置しておくというのは、もったいない。確かそういう話だった。だが、
「
そう。
この頃になら、宇宙旅行も、バイクを買うぐらいの感覚でなら行けるだろうと、そう言われる近未来。
その時代になって、あの大学はやっと成立するはずなのだ。
「早苗。神奈子。私達が"幻想入り"してから、何年経ったかわかるかい」
「え、ええと……」
「4年と8ヶ月。私達の幻想入りがここの暦で122季。外で言うなら2007年で、」
「……今は、2012年?」
早苗が、つぶやくように言う。
「でも彼は、京都大学は
「つまり」
神奈子が遮る。
「彼は少なくとも2024年より後の人間であるはずで、しかも2024年が"だいぶ前"になるような時代の人間である。そういうことだね、諏訪子」
諏訪子は、瞑目した。
神奈子は、黙りこくった。
早苗は、狼狽えた。
「で、では……怜さんは、誰なのですか?いったい彼は何で、今何故幻想郷にいるのですか!?」
「確かなのは」
諏訪子は言った。
「彼は矛盾である、それだけだよ」
「いや、違う」
神奈子は言った。
「……矛盾しているのは、私達かもしれない」
◆
そして、ここに月光をあびてのろのろと這っている蜘蛛、
この月光そのもの、
そして門のほとりで永遠の問題についてささやきかわしているわたしとおまえ、
──われわれはみな、すでにいつか存在したことがあるのではなかろうか?
──そしてまためぐり戻ってきて、あの向こうへ延びているもう一つの道、
あの長い恐ろしい道を走らなければならないのではなかろうか、
──われわれは永遠にわたってめぐり戻ってこなければならないのではなかろうか?
「フリードリヒ・ニーチェはこう語りました。永劫回帰。それはつまり、無限の時間の中で、有限の物質が世界を構築するのであれば、世界が世界である限りそれは連綿と回り続け、そしてランダムに新たな世界を作り続ける中で、それまで存在した世界を再現すると。故に人間は生きねばならぬ、よりよく生きねばならぬと」
「私たちもそう解釈していますわ。しかし彼は読み違えた。永劫の中で起こるランダムは、理論の賽のように綺麗な乱数にはならず、必ず誰かの思いによって偏った賽の目になる」
「では」
「ええ。賽の目は歪められた。ほかならぬ私たちの手によって。私たちの思いによって。私たちの力によって」
「誰もが気づかぬうちに、誰もが矛盾を抱え込んでいる」
「そのとおりよ。だから、彼はここにいる。きっと誰もが、自分で自分の矛盾に気づかないことでしょう。自分の矛盾こそが、当人の最も気づきやすいところにあるというのに」
「滑稽なことです」
「そう。滑稽なこと。でもその滑稽さこそが、幻想郷をまた一段進めてくれた」
わらう。
わらう。
わらう。
「ふふ」
女は、笑っていた。
「もうすぐ、ですわ」
陶然と、つぶやく。囁くように。
「怜霧」