待ってた人が居るといいよね。
一番初めに、この人に出会ったのは何時だっただろうか。
篁啓生は、己の前に立つ小さく細い背中を、掠れた意識の中見ながら思った。
彼女を初めて目にしたのは、あの春の日の朝。
桜が散り始めようとしていた時期に、大戦期の英雄の講演があった。
その講演会の日、彼は彼女に出会った。
病的と言っていい程に白い肌、それと対比する様に黒い髪、黒い制服。小柄ながらスッと通った真っ直ぐな背筋、凛とした佇まい。それらは全て、彼が持ち得ぬものだった。
その立ち姿に、彼は見惚れた。思わず、これからある講演会の事など忘れてしまう程に、彼は正門前に立つ彼女に見惚れたのだ。
それは、生来真面目な性格である彼には、初めての事であった。
硬直し、ただ見るだけしか出来ない彼に気付いた彼女の瞳を見ただけで、心臓の鼓動が張り裂ける程に加速し、静かだった血流が濁流の如く体内を駆け巡る。
『どうかした、でありますか?』
消え入りそうに儚い雰囲気のある声、なのに耳に残る不思議な響きが鼓膜を擽った。
『あ、いえ、その・・・』
『講演会は、もうすぐでありますよ』
これが初めての出会いだった。
「あ、きつ丸さん・・・」
「啓生殿、無事でありますか?」
目の前、黒と白に赤を散りばめた姿が振り向いた。
手には刀、刃こぼれしたそれを構えて、あきつ丸は一体の機動殻の前に立ち塞がっていた。
「まさか、艦娘とは言え、ここまで粘るとはな」
「ははは、そちらが大した事ないだけでは?」
「言うではないか」
言うなり、横薙ぎに抜かれた一撃を、軍刀一振りを犠牲に逸らす。
格納空間から新たな軍刀を、抜き打ち気味の居合で放ちながら、あきつ丸はある確信を元に戦場を組み立てていく。
「斑鳩近衛師団副長がこの程度、団長の程度が知れるでありますな……!」
「言うだけなら、容易い!」
この相手は、自分達を〝今〟は斬れない。
恐らくだが、自分達を斬り捨てる為の舞台が整ってないのだろう。
相手が選ぶ手段は、殺害ではなく無力化。良くて気絶か手足の骨折、悪ければ四肢欠損。人間の篁は死にかねないが、艦娘の自分なら中々死なない。
生物の動作は、四肢が揃っている状態を前提としている。
四肢のいずれかが欠ければ、どれ程に屈強な個体だろうが、そのパフォーマンスは一気に零に近くなる。
「ふっ……!」
一合毎に軍刀の刃が欠け、刀身に歪みが生じる。あきつ丸は自分の技と艦娘の膂力、その全てを総動員して長刀を捌き続ける。
あきつ丸と斑鳩師団副長との間には、折れ砕けた刀身が床に突き立ち散らばり、剣林を形作っている。
「まったく、厄介な話であります」
抜き放った同田貫が弾かれ、床に突き刺さる。ただそれだけで、柄が砕け、刀がその用を成さなくなる。
まったく、あきつ丸はもう一度呟き、灼熱の如き熱を孕んだ体を、艤装のサポートに任せて、強引に冷却していく。
「まったく……」
また一度呟き、残り少なくなり始めた刀剣を、格納空間から抜き放ち構える。
口では大きく出たが、彼我の実力差は圧倒的だ。篁を背に抜いた二刀を振るう。その全ては機動殻の装甲にも届かず、長刀に弾かれ断たれる。
それもその筈だ。相手は〝副長〟なのだ。
鎮守府に於ける艦隊の象徴が総長なら、艦隊の武力の象徴が副長だ。
そして今、己が相対しているのは、近衛師団副長。
「くっ……!」
笑みを含めた苦悶を吐き出す。あきつ丸の評価は決して低くない。鎮守府の役職持ちとして、恥ずかしくない実力を持っている。
だがそれでも、副長を含む特務級達には及ばない。
あきつ丸にしてみれば、特務級の役職者達は、全員が頭おかしいのだ。誰もが何処の鎮守府でも、一線級の実力者ばかり。
そう、特務級は全員一人残らず、何処かしら頭おかしいのだ。
特に副長級ともなれば、その頭の中は自身の強化に関する事に埋め尽くされている。
体の何処にどの様に負荷を駆ければ筋骨が破壊され、どの様に休めば効率的にその筋骨が再生強化されるか。
何を何時食べるか、どの様に食べるか、睡眠時間は、鍛練時間は、日常生活に於ける負荷は、己の時間全てで強くなる事しか考えていない。
それが副長級の生物だ。
そう、バトルジャンキーのウォーモンガー。あきつ丸にしてみれば、これ以上に哀れな生物は居ない。
「さあ、どうしたでありますか? 自分はまだ立っているでありますよ」
「口だけは達者か」
同田貫を二振り重ね盾とするが、受ける事の出来る威力を超えている。
実戦にて折れず欠けずを求めて、分厚く鍛え上げられた刀身、それを交差させた盾は、容易く砕かれた。
黒の装甲繊維で編まれた装甲服、その腹部に赤が横一文字に滲む。
皮と肉が僅かに斬られたが、内臓には達していない。
まだ動ける。あきつ丸は倒れたまま動けない篁を背に、新たな刀を抜く。
「……ふむ、侮ったか?」
「負け惜しみでありますな。ククク、耳に心地よいものであります」
口の両端を吊り上げ、三日月を作る。挑発だ。どれだけ実力に差があろうが、感情に揺れがあれば、そこに付け入る隙が出来る。
隙が出来れば、その瞬間逃げる。
そう、最悪でも篁だけでも逃がす。
あきつ丸は長刀を構える哀れな生物を見る。
嗚呼、本当に哀れだ。仕事しか無かった自分、しかし今は愛を知った自分。
ならば、今己の前に立つ者はなんだ?
愛知らぬ獣、嗚呼、なんと哀れな事だ。
これ程までに満ち足りる感情を知らぬとは、この世にこれ程に哀れな生物が存在しようか。
一刀を正眼に、足は前後に背筋を伸ばし、刀の柄は薬指と小指で軽く締める。
刀の切っ先を相手の喉に突き、霞み始めた視界を絞る。
血を、流し過ぎた。艤装のサポートが保たない。
だが、それでも
「啓生殿」
呟く名前を散らしたくないから、その想いを遂げてほしいから、叶わぬ想いを叶えてほしいから、あきつ丸は渾身の一刀を振るう。
思わず見とれる軌跡を描き、刀の重さを生かした唐竹割りは、滑る様な感覚を手に伝え、斑鳩師団副長の長刀を断ち斬った。
「見事……!」
声が聞こえる。風を斬る音もだ。
腕は上がらない。視界は霞む。しかし体は軽く、受けるがやっとであった長刀の軌跡が見える。
膝から抜ける様に倒れ込み、ただ刃先の赴くままに刀を振るう。
己と相手、両者の軌跡が見える。恐らく、特務級の連中の視界とは、こういった景色なのだろう。
つくづく、頭がおかしい。己がこうならねば至れぬ地に、連中は平然と至る。
ーーああ、これは避けれぬでありますな……ーー
数合の競り合いの果て、最後の一刀が折れた。いや、砕けたのか。判断出来ぬ頭は、はっきりと己を断ち斬ろうとする長刀を捉える。
「あきつ丸さん……!」
声は聞こえた。自分は恋を出来ただろうか。
迫る長刀に、頭を垂れると共に、あきつ丸は瞼を下ろした。
「おいおい、戦場で目を閉じるなよ。教導院に戻るか?」
「は……?」
不意に聞こえた声に、瞼を開けるとそこには、第三特務補佐の天龍が、独特の意匠の刀を手に、不敵な笑みを浮かべていた。
天龍ちゃんが強くて何が悪い。