欲しかった!
というか、フリソロ全巻欲しい! なのに、高知県には入手方法が無い!
おのれ、関東! これが地方分権、中央集中政治、圧政か……!
浮遊、落下、吹雪はそう知覚した。
そして、どうしたものかと、内心で頭を抱える。目の前には、突き抜ける様な青い空と僅かに白い雲がある。
落ちる。内臓が浮き上がる様な感覚がある。左右の鉄腕で、バランスを取ろうとしても、吹雪には為す術が無い。
眼下に新たに広がるのは、空と同じく青い海面。そして、そこには鎚剣を携えた朝潮が、片手で重量武器を振り抜いていた。
振り抜かれた長柄の矛鎚の激突を、装甲を閉鎖した鉄腕で受け、海面を二度三度と跳ね転がり、水飛沫を上げながら体勢を立て直す。
「ええ、ですから、ダメです」
だが、立て直した眼前には、既に朝潮が迫っていた。衝撃が体から抜けず、頼みの鉄腕も間に合わない。ならばと、吹雪は身を回し、鉄腕の肩部で打撃を受け、自ら跳んだ。
激突、衝撃、激震、回転、跳躍、海面を飛び石の様に跳ねながら、吹雪は朝潮の動きを観察する。
――無茶苦茶ですよーう……!――
吹雪が牽制として放った砲弾を、額で受ける。集中した戦闘用の知覚で見た砲弾は、朝潮の額にひしゃげ潰れていた。
五百蔵達、近接戦闘を得手とする者達から、相手の素手を額で受けるという防御法がある事は聞いている。
だが、朝潮は拳ではなく砲弾を、その額で受け、そして額には傷一つ無い。
傷一つ、血の滲みすら無く、朝潮は爆発的な加速を以て、吹雪に再度接近していく。
規格外の自重、それを支える押し込められた強靭な筋繊維、それによる爆圧加速。
「鉄腕ちゃん!」
視界から消える朝潮の加速、いまだ戦闘経験の浅い吹雪では捉えきれない。だがそれは、通常の場合だ。
視界外、見えぬ背後からの攻撃を、聴覚を以て判断し、右の鉄腕で鎚剣の出だしを弾く。
「まだ、まだぁ……!」
鎚剣を弾いたままに、右拳を射出し、朝潮の顔面を捉える。しかし、まったく意に介さぬ一撃が、吹雪を再び弾き飛ばした。
〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃
穏やかな波の埠頭に、一つの影があった。跳ね飛ぶ飛沫と、それを起こす二つの影を眺める視線は、穏やかで波は無い。
影は巨駆を折り曲げ、係船柱に腰掛ける。
分厚い緑色のコートの裾を潮風に靡かせ、ポケットから缶コーヒーを取り出し、プルトップに指を掛ける。
「五百蔵冬悟」
「荒谷か」
小気味良い音を聞いて、缶を傾けた時、背後から重く枯れた声が掛けられた。
斑鳩近衛師団の制服を着込んだ荒谷が、片手に缶コーヒーを提げて、五百蔵の隣の係船柱に腰掛けた。
「あれは」
「家の娘。あー、また飛んでら」
缶を傾ける五百蔵が見る先には、長く太い鉄腕で防ぎつつも、朝潮の力に抗い切れずに弾き飛ばされ、海面を飛ぶ吹雪と、それを追う朝潮の姿があった。
「なってないな。足が着いていない」
「そりゃ、まだ立ち始めたばかりだからな」
「そうか」
荒谷が缶を傾けた。五百蔵の缶よりも黒いパッケージのそれは、珈琲の香りを強く鼻に伝えてくる。
「……香りばかりで、味がぼやけているな」
「普段良いもん飲み食いしてる奴は、言う事が違うな」
「言うな。しかし、五百蔵冬悟」
「何だ、荒谷」
「あれは戦いに赴く準備か?」
荒谷が五百蔵を見る。言い逃れは赦さぬと、眼光が強く物語る。
五百蔵は、軽く缶に口を付けて、前に目を向ける。
「どちらかと言えば、どちらでもないだろうさ」
「何?」
「日常を戦いとするなら、誰だって戦っている。あの子のあれは、自分の足で立つ為の準備だ」
無言。ただ、珈琲を啜り、遠くに水飛沫の音と鋼の激突音を聴く。
「だがそれは、彼女達の背を押す事にならないのか」
「あの子らの未来はあの子らだけのものだ。言った筈だ。あの子達の未来は、あの子が選ぶとな」
「そうだな。そうだったのだな」
鼻につく匂いがした。見れば、荒谷の口には一本の煙草が挟まれ、紫煙を燻らせていた。
意外なものを見る目で、五百蔵が荒谷を見ていると、上着の内ポケットから、銀のシガレットケースとオイルライターを差し出してきた。
「堅物かと思ったが」
「この歳だ。嗜みくらいは持つ」
「それもそうか」
ケース内、バンドに留められた白を一つ手に取り、口に挟み火を点ける。苦味渋味の二つが舌に突き刺さる感覚と、何か重いものが血に乗って、全身に巡る酒とは違う酩酊感を得る。
「禁煙失敗、何度目かね」
「何だ? 辞めていたのか」
「まあ、家の娘が苦手でな」
「娘、か」
紫煙が風に巻かれて消えていく。カチン、とオイルライターの蓋を閉じる音が聞こえる。
荒谷が二本目に火を点けていた。狼のシルエットが刻印された、らしくないと言えばらしくないライターを懐に仕舞い、真新しい紫煙を吐いて、荒谷は五百蔵に顔を向ける。
「五百蔵冬悟」
「何だ」
「先ずは感謝する。我等は貴殿らのお陰で、決定的な過ちを犯さずに済んだ」
「気にするな。人生なんてものは、間違いだらけだ。正解が無いからな」
「だがそれでも、だ」
「そうかい」
「そして、忠告だ。恐らく、お前達の戦力に見直しが入るやもしれん。気を付けろ」
「……お前を下したという理由か?」
頷く。荒谷の鋭い目が五百蔵を捉える。
「仮にも、一国の最高戦力の一翼を下した事実、こればかりは三笠御嬢様でもどうしようもない」
「軍が家に口を出してくるか?」
「お前の北海鎮守府は、単純な軍施設というよりは、相談所の様な側面が強いと聞いている。そんな所に、チェルノ・アルファという強力な機動殻が必要なのか、とかな」
「勘弁しろ。あそこの謎生態系は、チェルノ・アルファでも無いと、やっていけん」
吸い殻を空き缶に押し込む。離れてから、一ヶ月もしていないのに、もう何年も帰っていない様な錯覚がある。
それは何故だろうか。まず間違い無く、あの濃すぎる日々のせいだろう。あの濃すぎて、だが豊潤な日々。懐かしく、帰りたくもあるが、今はそうは言っていられない。
「謎生態系?」
「信じられんだろうが、古代生物や特撮生物が跳梁跋扈している」
「………大丈夫か? ……常識と脳は」
「無事だ。無事に決まってる」
額を押さえながら、そう言うと、荒谷が一枚のメモ用紙を差し出してくる。
幾つかの数字とアルファベットの羅列が並ぶそれを、五百蔵は受け取る。
「連絡先だ。あの表示枠だったか?」
「ああ、あれ近衛でも導入するのか」
「三笠御嬢様が率先してな。あの方の先見性は、どうなっているのか」
くつくつと笑う。
立ち上がり、空き缶を五百蔵のを含めて、二つ手に取る。
「あと、もう一つ。三笠御嬢様と仲が良いあの、睦月という娘だ」
「……睦月君がどうした」
「彼女に関しては、守りを固めておけ。足の動かぬ艦娘、狙い目だ」
その言葉に、五百蔵の目が鋭さを増す。
良い目だ。荒谷はその視線を受けながら、制服である長衣を風にはためかせる。
「守れ、護れ五百蔵冬悟。彼女達が我等の希望だ」
「解っているさ」
潮風が頬を撫でた。見れば、吹雪が朝潮に負われて、こちらへ戻ってきている。
「我等はまだ暫くここに厄介になる」
「ああ、それはこっちもだ」
「そうか。……なら、迎えに行ってやれ。子の迎えには親だろう?」
そう言うと、荒谷は背を向けた。春の気配のする潮騒が、今頃になって聞こえてきた事に苦笑しながら、ふと振り返る。
「ああ、そうか。我等が否定しようとした未来か」
片腕に艤装を提げ、吹雪を背負った五百蔵を見て、そんな言葉を落とした。
〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃
まるで歯が立たなかった。
少しはマシになったと思っていたのに、結局は何も変わっていなかった。
どうしようもない後悔が身を焼く。もう止めてしまえと、頭の中で声がする。
だけど
「ゆっくりでいいさ」
自分を背負う声が、頭の中の声を掻き消す。
艤装ごと、自分をすっぽりと隠してしまえそうな、広く分厚い背中。ずっと見てきた背中、だけど
「提督、私、強くなります」
「そっか」
あの日、〝播磨〟での戦いで、この背中が消えてしまう。そんな錯覚と、何も出来ない自分の実感があった。
「ゆっくりでいいさ。急に強くなっても、それはそんな気がするだけだよ」
「でも……」
「大丈夫、吹雪君。君なら大丈夫さ」
だから、今は休みなさい。
疲れだろうか、安堵だろうか、吹雪はその言葉を聞くと、すぐに眠りに落ちていった。
「大丈夫、大丈夫。君ならきっと、その足で歩いていける」
意識が消える寸前に、そんな声を聞きながら。
あ、フリソロ……