「時よ止まれ、お前は美しい――か」
口から出たのは、歌劇の主演たる男の渇望。
「死に濡れて冥界の腐毒に侵されながらも、君は美しいままだ」
ああ、だからこそ――
「綺麗な君を、だからこそこれ以上汚したくない」
これはむしろ、愛を謳う破壊の君にこそ相応しいのかもしれないが。
「俺がこの手で……殺してやる」
死は重い。だからこそ我が
「俺は君を愛している」
愛しているから破壊するのだ、愛でる為にまずは壊そう。
「――君は、誰よりも美しいのだから」
その姿を心に焼き付けよう。
永劫、忘れる事などないように。
「さようなら……■■■」
その夜、七人目の王が嘆きの産声を上げた。
【十九世紀イタリアの魔術師、アルベルト・リガノの著作『魔王』より抜粋】
……この恐るべき偉業を成し遂げた彼らに、私は『カンピオーネ』の称号を与えたい。
読者諸賢のなかには、この呼称を大仰なものだと眉をひそめる方がいるかとしれない。
あるいは、私の記録を誇張したものとみなす方もいるかもしれない。
だが、重ねて強調させていただく。
カンピオーネは覇者である。
天上の神々を殺戮し、神を神たらしめる至高の力を奪い取るが故に。
カンピオーネは王者である。
神より簒奪した権能を振りかざし、地上の何人からも支配され得ないが故に。
カンピオーネは魔王である。
地上に生きる全ての人類が、彼らに抗うほどの力を所持できないが故に!
【二十一世紀初頭、新たにカンピオーネと確認された日本人についての報告書より抜粋】
ヘカテーはギリシア神話に登場する女神のことです。
冥府の支配者であるハデスやその妻ペルセポネーに次ぐ地位を持つ、月と魔術を司りし冥府神。古くより三相一体の女神として信仰されていた地母神の一柱であり、「魔女の保護者」「死者の王女」「霊の先導者」などと呼ばれ、魔術の本尊として現在も崇拝される著名な女神です。
人間にあらゆる分野での成功を与えるとの伝承も残されており、旅の守護神であるヘルメスと同じく道祖神としても信奉され、中には神へ祈る前にまずヘカテーに祈りを捧げるべしなどと絶賛する者もいるほど。
狩りと月の女神アルテミスの従姉妹であり、時に同一視される処女神たる女神。「月」のセレーネー、「女狩人」のアルテミス、「破壊者」のペルセポネーとして具現する、三相一体の女神であるとも言われています。
【グリニッジの賢人議会により作成された、石上鉄也についての調査書より抜粋】
石上鉄也が女神ヘカテーより簒奪した権能『
死の息吹たる冥界の風を武具に宿らせ、あらゆる生命を刈り取る処刑刀を生むとされる。その概要を本人より聞き出した魔術師の言では、嘘か真か不死性の権能を無力化する事も可能であると言う。
彼は祖国の結社を配下に治めたが、部下たちへの指示・命令はしていない。
権力闘争が起こるのを
彼がこれ以降も王者として君臨する事はないのか、今後の動向を見守っていきたい。
「……って事で、なんか神殺しやっちゃった」
あっけからんと言い放ち、照れたように頭を掻く少年。
ようやく幼さが抜けてきたという顔立ちで、年の頃は成人一歩手前といった所だろう。
ヨーロッパでの事件を自宅に返って報告したのだが、両親は開いた口が塞がらない様子。
それもそうだろう。
俺も自分がこんな事になるなんて想像もしていなかった。
硬直した両親を前にして、鉄也は現実逃避的に己の境遇を思い返す。
まず自身の生家たる石上家は術者の家系だ。
それなりに古い血筋らしく、元は彼の有名な
その名残なのか神職の端くれとして呪術を、布都御魂大神を祀る系譜として剣術を代々受け継いでいる。
術は母を、剣は父を師として、幼い頃から双方を学んできた鉄也。
いずれは
とは言え、彼自身はまだまだ若輩。
剣は同年代でも突き抜けているものの現役の使い手には及ばず、術は補助的な物が多く本職には程遠い。
悪霊調伏などの荒事を専門とした部署を目指しながら高校に通っていたのだが、そんな中で鉄也に大きな転機が訪れた。
それが今回のヨーロッパ行きである。
あくまで結社間の交換留学の一種という形だったが、魔術の本場たる欧州で学べると聞いて飛びついた。
精々が一月程度の短期間だったが、彼の留学は僅か一週間で終わりを告げる。
鉄也は地上に顕現していたまつろわぬ神、冥神ヘカテーを斃しカンピオーネとなってしまったのである。
バトルマニアで有名な欧州の魔王たちに目を付けられては敵わないと、書置きを残して即日で日本に舞い戻った訳だ。
帰国してから一目散に自宅へ向かい、両親に事情を説明。
そして現在へ至る、という事になる。
「あ、あんたがカンピオーネ? 羅刹の王?」
「うん、昨日からそう呼ばれる事になった」
震えながら聞き返す母に、申し訳なく思いながら肯定を返す。
「……このことは、もう誰かに言ったのか?」
「向こうの知り合いにはバレてたし、どうせ早いか遅いかだから委員会にも連絡しておいた。ただ、二人には直に言いたくてさ、遅くなってごめん」
「いや、まぁ、何だ……とにかく、良く帰ってきたな」
「――うん、ただいま父さん」
しどろもどろになりながらも、己の無事を祝ってくれる父に目頭が熱くなる。
不器用にも抱き締められ、ポロポロと涙が零れてきた。
「本当に、無事で良かったよ」
「うん、うん……」
「生きてて、良かったよぉ~」
「大丈夫だよ母さん、ちゃんと生きてるから」
気が緩んだのか泣きついてくる母親。
家族の温もりに触れ、鉄也も思わず胸中の弱音を零してしまう。
「そう、生きてるんだ。辛い、辛いことが、あったけど――俺は、生きるから。生きているから……」
もう現世にいない少女を想い、喉が枯れるまで嗚咽を漏らすのだった。