プルルルルルルルルルルルルルルル!
「はいはいは~い、特命係の石上ですよっと」
鉄也とて一応は組織に属する社会人だ。
このようにふざけた挨拶をするのは、特定の人物に限られる。
つまりこの電話は、その例外の一人という事であり。
『どうも壬生さん、私です』
「これは大尉殿、ご無沙汰してます」
一部の人種ならば分かるだろう。
電話の相手は大尉こと甘粕冬馬であった。
「ところで正彦さん、俺の名前は石上ですよ」
『失礼、噛みました』
「いいえ、わざとです」
『かみまみた』
「わざとじゃない!?」
『かぎろいの』
「燃ゆる春へとなりにしものを」
今さらに、雪降らめやも、かぎろいの――燃ゆる春へと、なりにしものを。
万葉集の歌の一つである。
『おや、そちらを選びましたか。私としては人麻呂さんの方を思い浮かべてましたが』
「咄嗟に出てきたのがこっちだったんですよ。それに、俺としては当然の選択ですよ
鉄也の言う摩利支天――玖錠紫織はこの歌を自己催眠の祝詞としている。
信者たる彼が思い浮かべるのにも頷ける。
対して冬馬が言っているのは、こちらも万葉集の短歌。
どちらも
『なるほど。それにしても石上さん、私の名前は冬馬ですよ』
「これは失敬、勘違いしていました」
『勘弁してくださいよ、それは甥っ子の名前なんですから』
「本当にすみませんでs…………甥っ子ォ!?」
暫し思考が麻痺し、言葉の意味を理解して絶叫する。
思わず立ち上がったせいでガタンと椅子が倒れたが、そんな事に頭を割く余裕はない。
「あ、ああああ、ああああああああ甘粕さんっ――甥っ子ってどういう事でせうっ!?」
『あ、そうそう。石上さん、この電話の用件なんですがね』
「そそそんなこと、どぉおおおおおおでもいーんですよぉ!! 甘粕さん、ねぇ甘粕さん、あなた一体何者ですかぁ!? ってか甥っ子が何者ですか! 諦めなければ夢は必ず叶うと信じているのかァッ!?」
もう何を言っているのか聞き取りにくいことこの上ないが、その意気込みと混乱の程は察して余りあるだろう。
そんな彼の状態に無視を決め込んでいるのか、電話口の冬馬はスラスラと用件を言い始める。
『実は奥多摩の方で龍が顕現しましてね。そばには氷川神社が建っていまして、それ関連だと目されています』
「ちょっとそれどころじゃあ……ない、とも言えないかぁ。龍だもんなぁ、そりゃ遊んでる場合じゃないよなぁ」
未練タラタラにも程があるものの、何とか意識を切り替えていく。
しかし逆に、天狗道に則した排他的な戦闘準備としては相応しい。
「それで、状況は?」
『ええ、実は近くにいた
龍との戦闘に駆り出される媛巫女というと、噂に聞く剣の媛巫女だろうか。
三貴神の内の暴風神から力を借り受ける、神刀を授かった『神懸かり』の使い手。
いつか神代三剣的な意味で会ってみたいと思っていた少女を思い浮かべ、急報が来たらしい冬馬の応答を待つ――途中で、体に力が
『申し訳ございません王よ、事情が変わりました』
石上鉄也を王に頂くその事態。
何が起こったのかは本人も自覚していた。
「ええ、こちらも
『仰せのままに――』
電話口の向こうで頭を下げる甘粕冬馬。
そして鉄也は、室内で寛いでいた己の式に待機を命じた。
「コロ、行ってくるから待っててくれよ」
「ワオォ~ン!」
居残りとなった子犬は、主を鼓舞するように遠吠えをひとつ。
今は
斯くして平穏な日常は終わりを告げ、神殺しの
おおらかで混沌とした宗教観が蔓延るため信仰が薄く、その神話体系が形を成すには下地が不十分。
しかし、彼の持つ伝承がその常道を覆した。
曰く、東の果てに宮殿を持つ神。
これは神話が栄華を誇った土地から見ての方位だったが、この国は極東と呼ばれる島国だ。
曰く、空からすべてを見渡す太陽。
お天道様が見ている、というこの国のことわざが示す通り、彼に距離も国家も関係がない。
曰く、大蛇を射殺した狩人。
彼はとある神と習合したことで、この性質を手に入れた。そしてこの国にはいま、
「君ら、ちょっといいかい?」
神の造形に狩人の端正を併せ持つ美丈夫が、龍と巫女の立ち合いに割って入った。
『グルゥウウ?』
「――まつろわぬ神ッ!?」
太陽の温かみを匂わせる金髪の男神を前に、神獣を相手取っていた媛巫女――清秋院恵那は、困惑以前に敗北を悟った。
(ダメだ、勝てない。逃げる事すら許してもらえそうにないかな……)
見るからに西洋風な神がどうして顕現したのか。
それを疑問に思わないでもなかったが、それよりもこの先の算段を立て始める。
彼女とて媛巫女、護国のために半生を費やしてきた呪術者だ。
草民を護るためならば死を厭いはしない。
そのあたりは、半端な術者たちよりも気構えが出来ており、また思い切った性格の恵那らしい判断である。
本物の神に会ったのが初めてという訳でもなし、身は竦むが動けないほどではない。
身の内に僅かばかり残留しているスサノオの神気も、まつろわぬ神の発する威圧から守ってくれている。
十全とは言えないまでも体が動く事を確認した恵那は、なんとか被害を抑えられる方向に舵を取ろうと画策する。
幸いにしてここは奥多摩、我が国の羅刹王が住まう地域からほど近い。
会話なりなんなりで時間を稼げれば救援が望めるという希望もあった。
「お初にお目にかかります、西洋の神よ。どうか矢を
「君は……この国の巫女のようだね。なかなか面白い特技を持っているみたいだし、無碍にしたら僕も危ういかもしれないな。いいよ、話してみなさい」
「それでは失礼仕ります。わたくしは古くよりこの国の守護を担って来た四家の一角、清秋院家の末にございます。護国の巫女として、御身がご来訪なさった訳をお聞かせ願いたいのです」
その態度に何の関心も抱かず神は答えた。
「それは簡単、あの
言うが早いか、無駄の無い動作で一矢を放った。
その
だけに留まらず、神の一撃は爆撃のように地表を抉った。
「お止め下さい神よっ! このままでは、近辺に住まう民が死に絶えてしまいます!」
「うるさいなぁ。多少特別なのは認めるけどね、それでも――」
空色の瞳を恵那に向け、微笑みのままで矢を番える。
「人間が僕に指図するなんて許さないよ」
矢羽根から指が離れたのを見て、清秋院恵那は死を悟った。
「石上神道流、丙の第三――」
人知を超えた速度で己の脇を駆け抜けた、羅刹の落し子を認めるまでは。
「――首飛ばしの
斬滅の刃風が狩人の矢を斬り払った。