「石上鉄也、断頭と颶風の
いつかもやった名乗り上げの再現。
確たる意志と想いを胸に、より本質を突いた宣誓を告げる。
対する彼女は震えていた。遂に、遂に遂に、遂に遂に遂に遂に遂に――!!
この
これこそ己だと宣誓出来る。
感涙に打ち震えながら、もはや揺蕩わぬ蜃気楼は己が咒を発した。
「まつろわぬ
蜃という名の神はもういない。
此処にあるのは摩利支天、玖錠紫織という可能性だ。
「さあ、わたしたちの
殴り砕きたい。
――でもどうかお願い、壊れないで。
斬り殺したい。
――まだだ、この程度で倒れてくれるな。
このまま斬られたい。
「――いやだ、私はもっと高くに行ける」
このまま砕かれたい。
「――いやだ、俺はもっと遠くに行ける」
相反する渇望。正反対なのに両立する関係。
これもある種の自壊衝動。
自己矛盾に苛まれながらも、剣と蜃は交わり続ける。
冷たい刃が肌に沈み、皮を破いて肉を抉る。筋を掻き分け、骨を割断し、腕を落とす。だが、その程度では斬り殺し切れない。
「興奮するよ、胸が高鳴るッ――!」
ああ、でも。この胸の高鳴りは……
「――
この胸の高鳴りは、恋じゃない。
この愛おしさは、石上鉄也の愛じゃない。
「これは
だが俺の番いは、
「玖錠紫織ですらないお前は――例え玖錠紫織だとしても、俺の
だって石上鉄也という刃は、彼女の為に生まれたんだから――!
それは剣呑で凄絶な、悲しくも愛しい殺刃の絆。
神殺し以前に彼が出会った、とある一人の少女の話。
「愛しているよ、ネイア――」
「……うん、私も。愛しているわテツヤ」
そうして思考は回帰する。
時は昨年、初夏の頃、海を越えたイタリアの地にて……。
――――ローマ。
イタリアの首都としてヨーロッパでも有数のグローバル都市にして、景観の美しさから『永遠の都』と称される地でもある。
トレヴィの泉やサン・ピエトロ大聖堂など、有名な建造物を目的とした観光客は世界中から集まり、日本でも某映画から興味を抱く者が多くいるだろう。
しかし、それは表向きの話。
裏向きの、血と神秘に満ちた世界においては、少しばかり話も変わってくる。
イタリアという国、延いては欧州という地域において、自然災害は付き物だ。
何故か。話は簡単だ。カンピオーネという怪物が三人も定住しているためである。
魔王、堕天使、羅刹王、神殺し、エピメテウスの落とし子――カンピオーネ。
日本人としてはチャンピオンと呼んだ方が理解しやすいだろうか。
勝利者を意味するその名がイタリア語のカンピオーネという呼び名で定着していることから分かるように、欧州は神殺しの誕生が多い地域と判別される。
現存する魔王が六名だというのに、その半数がイギリス、イタリア、バルカン半島という近隣を拠点としているのだ。
その認識もやむなしというべきだろう。
無論、いくつも国を挟む程度には離れている位置関係だが、逆にその程度しか間がない距離と言える。
神々より簒奪せしめた権能を振るえば、彼らにとって小国の一つ二つは一夜と待たず更地に出来てしまうのだから。
そんな物騒な土地に住まう魔術師たちだ。
当然の如く日ごろから胆力は鍛えられ、魔術武技の腕も世界基準で高水準を誇る。
イタリアの地では七姉妹と呼ばれる名門魔術結社。
ミラノの《赤銅黒十字》《青銅黒十字》をはじめとして、トリノの《老貴婦人》、フィレンツェの《百合の都》、パルマの《楯》、最後にローマの《雌狼》と《蒼穹の鷲》。
その一つに、石上鉄也は身を寄せていた。
石畳の広場の中心にある噴水。
その淵に、彼女は座っていた。
鉄也と同じ黒い髪は長く伸ばされ、されど明らかに異なる美しさを兼ね備え。ぱちぱちと瞬く蒼の瞳は、空の色よりも鮮やかで。微笑みは向日葵よりも輝かしく。
人類の粋を極めたような、理想をそのまま実現させたような少女であった。
「はじめまして!」
「――はっ、はじめまして」
端的に表現して、それは一目惚れだったのだろう。
このように見た目麗しい少女に声を掛けられ、初心な少年がしどろもどろになるのを責められはしまい。
「珍しい人ね、外国人?」
「あ、うん。日本人、だけど……」
「遠いところから来たのね」
眼を大きく見開いた彼女は、座ってとでも言うように掌で隣を叩く。
いきなりのことで戸惑ったが、少し迷ってお言葉に甘えることにした。
「どうして日本からイタリアに?」
「えっと……観光、に……?」
まさか魔術師として短期留学に来たとは言えず、曖昧な表現になってしまう。
その様をどう思ったのか、少女はふふっと笑い飛ばす。
「そうだ! 私はネイアっていうの、あなたは?」
「――鉄也。テツヤ=イシガミ。鉄也でいいよ」
「テツヤね! 私もネイアでいいわ」
「よろしく、ネイア」
これが後に
昨日と今日のタイトルを見て勘のいい方はお気づきかもしれませんが、これからクリスマスに向けて不良在庫を一掃させて頂こうと思います。
未完で終わるのが残念だとおっしゃって下さる方もいて、こんな拙い文章に感謝の念が絶えません。