断頭颶風の神殺し   作:春秋

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終章・破段

「まずッ――!」

 

 首飛ばしの颶風が避けられる。

 着撃すれば人間の胴くらい優に切り裂く得意の技だが、奴の防御を抜く程の威力を放つには消耗が激しい。防がれるならばまだしも、回避されては後がない。

 

(ダメだ、奴の方が速いッ)

 

 万事休すか。

 石上鉄也の力でやれることはやり切った。もう成す術がない。

 敗北の二字が脳裏をちらつく。それは死亡とほぼ同義であり、走馬灯なんてものを思い浮かべた。その時。

 

――■■■、■■■■■■。

 

――■■■■■■■■■。

 

 脳裏で誰か(ナニカ)が囁いた。

 

「――冥府魔道の息吹よ此処に、洗礼をもって吹き荒れよ」

 

 呪言によって微かに漏れ出た冥界の気が、斬首の颶風を後押しする。

 届いた――ッ!

 

 

 

 鉄也は本を閉じ独りごちる。

 その題名を、エウリピデス作集といった。

 

「これも剣鬼を目指した故の宿業、なのかねぇ……」

 

――即ち、愛する者こそを斬る定め。

 

 暫し瞑目し、頭を振る。

 これは考えなければならないが、同時に考えたところで仕方のない問題でもある。

 逢いに行こう/愛に逝こう。未だ達さぬ剣の御子は、揺れる心を静めに向かう。

 

「――ああ、今日は朔か」

 

 これじゃあ……月が綺麗とは、言えないな。

 

 

 

 ギリシア神話には狩猟の女神アルテミスへの生贄になった少女の話がある。

 ミケーネの王女として生を受けたその少女は、父王の失態を償う為の贄として捧げられた。彼女は女神アルテミスの化身という解釈を持ち、同一視される女神ヘカテーと一体になったとされる。

 少女の名はイーピゲネイア(・・・)――これは即ち、そういうことだ。

 

「そうなんだろう、ネイア?」

 

 眼前の少女は、まつろわぬヘカテーの表層人格(・・・・・・・・・・・・・・)は無言の肯定を示す。

 

「君が日中しか出歩けないのは、夜になれば月の女神であるヘカテーの本性が強まるから。俺に加護(ちから)を与えて親身にしていたのは――」

 

――俺に君を殺させるため。

 そうなんだろうと問いかけると、少女は申し訳なさそうに言葉を吐いた。

 

「言ったよねテツヤ、私は人間が大好きなの。国を護るために生贄になったからこそ、これだけはもう譲れないのよ」

 

 人が恋しい。人の営みが愛しい。

 けれど、冥府神たるヘカテー(じぶん)はそれを引き裂かずにはいられない。

 死神が愛するという事は、死と破滅をもって魂を永遠に抱くという事。

 

「だから私は人を……あなたを殺さずにはいられないのッ!」

 

 涙とともに苦しむ彼女の心意を、悟らない訳には行かなかった。

 

 ああ、だからこそ俺は愚行に出る。

 全霊を賭して好きな女の子を斬る(かみごろし)、という暴挙に挑むしかない。

 

「私は、私はテツヤ(あなた)を……わたし(・・・)、は――」

 

 目蓋の裏から現れたのは、夜空に浮かぶような銀月の瞳。

 しかし見開かれた瞳のほかに、闇色の空に月はない。

 

「そう、わたしは人間(おまえ)を愛しているよ」

 

 今宵は新月、朔の夜。月の女神たるヘカテーの神格が最も弱まる日。

 だからこそ鉄也は、今日ここで終わらせるのだと決めていた。

 

「時よ止まれ、お前は美しい――か」

 

 口から出たのは、歌劇の主演たる男の渇望。

 

 眼前の少女は出会った時から変わらない。

 変わらないのだ、俺を殺そうとしているこの時でさえ。

 

「死に濡れて冥界の腐毒に侵されながらも、君は美しいままだ」

 

 ああ、だからこそ――だからこそ恐ろしくて仕方がない。

 美しい思い出が血塗られて行くのが許せない。

 

「綺麗な君を、だからこそこれ以上汚したくない」

 

 現世の毒に汚染され、冥神としての本性を強めている彼女。

 ああやめてくれ、これ以上神らしくなった彼女など見たくない。

 

――これはむしろ、愛を謳う破壊の君にこそ相応しいのかもしれないが。

 

「俺がこの手で……殺してやる」

 

 死は重い。だからこそ我が破壊(あい)を厳粛に受け止めて欲しい。

 軽々しい気持ちなんかじゃない。俺は本当に君の事を――――ッ!

 

「俺は君を愛している」

 

 愛しているから破壊するのだ、愛でる為にまずは壊そう。

 死にたくない。死にたくない。殺すしかない。でも殺したくない。

 だけど、人を愛する君は殺戮を許せないだろう。人間を愛しく思うと、そう言った美しい祈りは汚させたくない。

 

「――君は、誰よりも美しいのだから」

 

 その姿を心に焼き付けよう。永劫、忘れる事などないように。

 例え何も見えず聞こえなくなっても。忘れたりしない。忘れてなどやるものか。だからまた逢おう愛しい君よ。

 

「さようなら……ネイア」

 

 それまで、少しお別れだ。

 

 

 

 

 

「ごめんねテツヤ。辛いこと、させちゃったね」

 

 艶やかな黒髪は憎々しいほど鮮やかな赤に染まって。

 それでも口元には笑みが浮かんだままだ。

 銀月に輝いていた瞳は、明るい空を宿す蒼穹の色に戻っている。

 

「本当に、なんてことさせるんだよ……」

「うん、本当にごめん。ごめんね」

 

 ごめん、ごめん、と誤り続ける。

 少年の頬を流れ落ちる涙を拭い、既に神ならぬ少女は更に告げた。

 

「でも、お願いよ。私は人の営みを荒らしたくない」

 

 いずれは愛し愛される者を引き離すのだから、それをいたずらに早めるような真似はしたくないと。

 そう語ったのは他でもない、冥府に住まう者たるこの少女。

 

 死後に神となった、かつて神でなかった少女は(こいねが)う。

 

――あなたが愛していると言ってくれたから。

 

――あなたに愛されているのだと想えたから。

 

――あなたを愛しているのだと、そう思うから。

 

 

 

――――だから、残酷なお願いをしてごめんなさい。

 

「いつかまた出逢えたら、今度もあなたが殺してね。次もまた死ぬときは、こうしてあなたの顔を見ていたいから……」

 

 本当に、本当に残酷なお願い。それでも彼は、石上鉄也は応えてくれると信じているから。だからこそ余計にタチが悪いと、己の事ながら自嘲する少女。

 そして応えた。少年は悲愴な覚悟で、少女の夢を叶えたいと渇望する。

 

「……なら俺は刃になるッ。これから神殺しになる俺は、どんな神をも殺して生きていく。生きて生きて生き続けて、最期のその時まで君の死を見取り続ける。――神殺しの刃として、君を殺すために生きていく」

 

 それはなんて剣呑な誓い。

 それはなんて凄絶な祈り。

 

 なんて、なんて悲しく――そして愛しい永遠の約束。

 

「愛しているよ、ネイア――」

「……うん、私も。愛しているわテツヤ」

 

 止め処なく溢れる涙が視界を遮るが、互いにその目は離さない。

 

 永久に朽ちえぬ不滅の絆。石上鉄也の胸に輝く、永遠に色褪(いろあ)せない不変の刹那。

 この情景こそ、断頭颶風の神殺しが抱く渇望の原風景なのだ。

 

 

 





神殺しに至るまでには幾度かデートしたり、危機に陥って加護を得たりしている設定。
個人的に月の女神と朔の関係からくる「月が綺麗ですね」の部分は気に入ってます。欲を言えばもう少しうまく書きたかったけど。

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