この小説を書くきっかけになったのはもう数ヶ月前になりますでしょうか、木曾改二を沈めてしまったことです。
なので、木曾が好きな方はあらかじめこの場で警告をしておきます、木曾が話しに上がったら注意してください。
ちなみに、作者は嫌いな艦娘は特におりません、この艦娘が嫌いだから沈めてやると言うような八つ当たり的感覚でこの小説を書いているわけではありません。
また、作中に登場する人物の台詞や思考が必ずしも作者と同じわけではありません。
初回からずけずけと言いたい放題ですが、そこには目を瞑っていただけると嬉しいです。
何ども繰り返して不快だと感じられるかもしれませんが、私に嫌いな艦娘はいません。
前置きが長くなってしまい申し訳ありません、それでは本編をじっくりとお楽しみください。
その異形の生物は突如として太平洋に出没した。
大海原をまるで陸地の如く動き回り、船舶を沈め航空機を落としそして人を襲う。
他国による生物兵器なのか、それとも増えすぎた人類への自然が生み出した兵器なのか、誰にも分からなかった。
やがて、その異形生命体改に対処すべく各国は大規模な軍艦の建造を始める、太平洋に面する日本も勿論その内の一つだったが、すぐさま一つの問題が露呈した。
鉄が足りないのだ、すでに多くの国が鉄を買占めもしくは鉄の生産地ごと買い占めてしまい、日本に流れてくる鉄を使って軍艦を作ることなど出来なかった。
そうしている間にも各国は太平洋に向けて次々と進軍しその異形生命体の殲滅を行ったが、良い結果など得られることは無かった。
その異形生命体は非常に俊敏であり、魚や人のような形を模し同時にその小さな体躯にも関わらず強力な兵器を搭載しているのだ。
耐久性が無い軍艦では何も出来ずに沈んでしまう、日本の技術者は頭を悩ませた。
だが、当時の日本には一つだけ眼を見張るような技術が完成していた。
少子化に伴い、水面下で行われていた禁忌の技術、そう人間のクローンを作り出す技術である。
これを使って異形生命体改め深海棲艦と日本の技術者が名づけた化け物に対抗する人間を作り出そうと自衛隊に所属する技術者達は考えた。
勿論、これを世間及び世界に出せば非難の雨嵐は間違いない、だが道はもう残されていないのだ。
すでに太平洋に集まりつつある各国の軍艦、その中には深海棲艦を殲滅する名目で海産資源の占領を目論む者が居ないとは限らない。
すぐさま技術者達は政府に向けて『強化人間計画』の計画書を送り、2047年に正式な許可を頂くとすぐさま開発に取り組んだ。
クローン技術がすでに発展したかいもあって、二年後の2049年には試作型の強化人間を完成させる。
その過程で、視覚的な効果を生むために性別は女性に固定させ強化人間と言う名称も『艦船艤装娘』縮めて『艦娘』と正式に変更され、その第一号である試作型には希望や困難への打倒から『三笠』と名づけられた。
その後、日本は三笠を元に様々な艦種の艦娘を急ピッチで作り出すと共に艦娘を指揮するために訓練を受けた者達の育成にも着手を始める。
そして2052年、大規模な艦娘を用いて小笠原諸島近海の占領と深海棲艦の殲滅を主とした『小笠原諸島海域占領作戦』を決行。
希望、偏見、嘲笑、唖然、驚愕、その他色々の思惑を含めた日本を含む全世界が人の目が彼女らの出撃に目を光らせた。
作戦終了後、日本には国内や海外からの非難が雨や霰ではない槍のように降り注いだ。
ただ、一つだけ確かに言えるのはその作戦は完璧に成功し、艦娘がいかに優れた兵器であるかを世界全体に刻み込んだのである。
やがて、時は流れて十年後、神奈川県に建設された艦娘とそれを指揮する提督と言われる存在だけの基地である横浜新鎮守府。
その鎮守府にドイツが完成させた艦娘が送られるとのことで、提督等が慌しくなっている五月晴れの空の下の話である。
2062年 5月18日 日本 神奈川県 横須賀新鎮守府第二棟地下一階
深海。
その部屋を何かで比喩するならばその言葉で事足りるであろう。
しかし、その部屋が暗いからと言って別段に無駄な電力の消費を抑えるという所謂、省エネとか灯火管制を実行しているわけではない。
その証拠に先程から部屋の中では鳴り止まぬことなく機械の作動音が聞こえてくる。
耳障りな機械の作動音が反響する室内をじっくりと観察すると、微かながらも機械のランプやディスプレイが点々と光っており、ここが研究室のような施設であると確認できる。
しかし、研究室と言う概念を頭に浮かべて改めてこの部屋を見渡すと、途端に機械の作動音がこの場の雰囲気演出としてはこれ以上にもない効果を出している。
そんな研究室の中心部にランプやディスプレイよりも強く、だが周囲の雰囲気を崩壊させないようにと設定されたのかと言っても過言ではない青白い光を放つ機械が鎮座していた。
それはホルマリン漬け容器をかなり巨大化させたものであり、中には青白く光る液体が一切の隙間なく容器中を満たしていた。
そしてその液体の中には寝ているのかそれとも死んでいるのかどちらにも取れるような格好をした一人の人間の女性が入っている。
その女の足の甲にはその身体が動かないようにするためか、容器の底から伸びた輪のような物でしっかりと固定されている。
さらに女の身体にはまるで獲物に喰らい付く蛭のように無数のチューブが接続され、そのチューブ内を赤色の液体がひっきりなしに流れている。
見ていて気味が悪い光景だが、容器の中に入っている女の神秘さと淫靡さのお陰によって少しばかりはその不気味さも薄まっている。
しかし、その女の身体をじっくりと観察すると普通の女、いや普通の人間とは明らかに違う所があることに気付く。
まず、一番に分かるのは身体の色であろうか白人よりも白いその身体、そしてその全身を薄い膜のような物が小ぶりな胸も美しいヒップを隙間なく覆い包んでいるが、それでもその女の身体がいかに素晴らしく扇情的であることは間違いない。
ショートカットであろうその髪も身体の色と同じく白く海中に揺れる海草のようにゆっくりと靡いており、まるで見るものを手招きしているようである。
巨大な容器に裸体に近い人間とは違う女、そして大量の機器といよいよ研究室らしくなってきている。
これで後は白い髭の眼鏡をかけた科学者の一人か二人でも現れるようなら、誰もが思い描く研究室の出来上がりである。
そしてまさにその人物はその容器の近くに居たのだ。
容器内の女の目の前に背を向けるように机の上に置かれた大量のディスプレイ、それを回転椅子に座り静かに見つめる一人の男。
しかし、思い描いていた科学者像とは違い、三十代前半と思われる男の短髪は若々しい茶色ではあったが白衣を身に纏う姿はまさに科学者と言ったところか。
ディスプレイを見つめるその眼はゴーグルをかけ、真一文字の口には煙を上げる煙草を咥えられその両方からも分かるように男の表情は窺えず、ゴーグルにはただ淡々とディスプレイの文字が映りこんでいる。
男は喋ることもなく、周囲はただひたすら機械の動作音によって永遠に支配されようとしていた。
だが、その支配を打ち破るが如く突如として研究室の扉が開かれ、研究室に光が差し機械や床に無機質な色が宿り、機械の作動音が外に漏れ音による支配が弱まる。
しかし、それも一瞬のことで開かれた扉が閉まると同時に研究室の内部も闇に閉ざされていく。
それと同時に行き場をなくした機械の作動音が室内に反響しまたしても支配を始めるが、もう一つ新しい音が混じりだした。
それは床を革靴でコツコツと鳴らしながら歩く音であり、その音はどんどん研究室の中心に近寄って来る。
やがて、室内の闇を纏うようにして一人の男が現れる。
背丈は百八十五ぐらいであろうか、スラリと伸びた足に軍人としてはやや華奢すぎる体躯も相まって背後から見れば女性に見えなくもない。
男は海上自衛隊の制服である幹部常装第二種夏服にまるで闇を纏ったかのような黒いコートを羽織っている。
被っている制帽の庇に模様はなく、そのことからこの男が三佐以下三尉以上の階級であることが分かる。
そんな制帽の下からは自衛官としては宜しくないぐらいに黒い髪が目元を隠すまで伸びており、男の目線がどこに向かっているかわからない。
「ったく、相変らず薄暗い部屋だな、もう少し電気を点けたらどうよ?」
口元に覆っていたマスクを顎の下まで下げ粗暴で品のなさそうな声で来訪者の男はディスプレイを見つめる男に言う。
それに対し、声をかけられた男は顔の向きも変えず、男の言葉を叩き落すが如く冷静な口調で言葉を返す。
「無駄話をするためにわざわざ来たのか?和泉一尉」
「うるせぇな、場の雰囲気を和ませる話術に決まってんだろ。尾井三佐さんよぉ」
一尉と三佐、階級の高低があるにも関わらず和泉こと
しかし、その態度に尾井こと
そんな尾井の反応に和泉はやれやれと言った感じで肩をすくめると女が入っている容器に近づくと右手の指を波立たせるように動かし、リズムを刻むようにガラスの表面を叩きながら口を開く。
「ったくよぉ、海上では馬鹿みてぇに暴れたくせに。ほんと、黙っていりゃぁ良いもんだよな深海棲艦ってやつはよぉ」
腹立たしそうに言いつつも嬉しそうな抑揚で和泉は女の顔を見ながらニヤリと笑う、容器の表面のガラスには和泉の嗜虐的な笑みが移り込んだ。
和泉はその笑みを浮かべたまま視線を深海棲艦と呼んだヲ級の身体を上から下へ移動させ、そして足の先でUターンしてまた顔の位置まで戻した。
「で、どうだ良い塩梅か?何せ、深海棲艦空母ヲ級のエリートだぜ、それ相応の結果は出たよな?」
容器に背を預けると腕を組みながら和泉は尾井に聞く。
「面白いぐらい何も出ていないな。いくら、エリートとは言え姫や鬼級には比べるまでもないようだ・・・・」
「あ?お、おい、ちょっと待ちやがれッ!!」
尾井が諦めたかのように言う、その反応に和泉は一層ドスの利いた声を上げる。
そして、ツカツカと怒りをこめるかのように歩き尾井の前に立つと制帽の下から伸びた黒髪の隙間から鋭い眼光を光らせ尾井を睨みつける。
しかし、今にも飛び掛りそうな和泉が前に立っているにもかかわらず尾井は顔を向けさえしない、ディスプレイにも用はなくなったようでひたすら天井を見上げている。
「て、テメェなぁ・・・・、テメェが言ったとおりにあのメスをやっとのこと捕まえて、結果が出ねぇだと?」
「だから、そう言っているだろう。何度も言わせるな、所詮姫や鬼級以外はゴミ以下にもすぎないと分かったのだ。まあ、今後の方針をある程度固定できたからな、僥倖だ」
「僥倖だぁ?こっちは響と俺だけで鹵獲したんだぞ、監視の目を掻い潜って夜間出撃までして、さらにあのメスの護衛をしていた深海棲艦を壊滅させて疲労困憊だっつうのに、テメェだけしか利益を得てねぇじゃねぇか!!」
「そうか、災難だったな」
ヲ級を捕まえるのにどれだけ大変だったか和泉は声を荒げ大仰な手振りで説明するが、一方の尾井にとってはまったく興味がないようだ。
そして極め付けに尾井はさっさと出て行けと言わんばかりに手で追い払うしぐさを見せた。
そんな対応をされれば和泉でなくても誰であって怒りはするものだ、和泉は一瞬両腕を動かして眼前の尾井を掴みあげようとするが、溜まった疲労により万全の状態ではなかった。
和泉はそんな自分の身体に嫌気になりながらも、代わりに足元でランプを光らせている機械に右足で蹴りを見舞わせる。
ガギンッと重々しい音が周囲に響かない程度に鳴り、ランプの点滅が停止しかけるがそれも一瞬のことであり機械はまるで何の変哲もなく乱れぬことのないランプのリズムを刻んでいる。
「機械を蹴るな」
尾井は機械を蹴った靴に傷の有無を確認している和泉を窘めるが、その抑揚の無い声には怒りを感じえず、人がこれをやったら注意しろと記載されている説明書のような窘め方であった。
そんな窘めを和泉は無視し靴に傷がついていないことを確認し終えると、大あくびを一つそして尾井に背を向け容器内の女を睨みつけながらさらに溜息を一つ。
「ハァ~、とりあえず俺は執務室に戻るぜ、これからゲルマン女の相手をしねぇといけねぇからよ。何か用があったらまた夕方・・・・六時ぐらいに連絡しろよ」
手をヒラヒラと振ると和泉はそう言って出口に向かって歩いてゆく。
一方の尾井は和泉の言葉にも反応せず、和泉の方に一切視線を向けず、ただひたすらと天井を見上げる。
和泉の革靴の音がどんどんと遠ざかってゆき、やがて扉の開閉音が聞こえると和泉の気配はすつかりと研究室内から消えてしまいそれに呼応するかのように機械の作動音が尾井の耳に流れ込んでくる。
そのまま作動音の支配が続くと思われた最中、突如としてディスプレイの画面が赤く染まり、黄色の文字が警告するように点滅を繰り返し始める。
だが、その警告に対しても尾井は何のリアクションも見せずゆっくりと天井を見上げていた首をディスプレイの前に戻し、画面の文字の列をつまらなそうに見つめる。
「何だ、死んだのか・・・・」
目の前で一つの生命が消えたと言うのに尾井は至って冷静であった。
尾井はディスプレイの置いてある机の上を指で変則的なリズムで叩き口に咥えていた煙草を灰皿に押し付け、そして初めてヲ級が入っている容器に視線を移した。
ヲ級の姿にこれと言って変化は無い、先ほどと同じように容器内で静かに浮いているだけだ。
ただ、一つ明確に分かるのはその寝ているとも死んでいるとも取れる表情が今をもって死者の表情と成り下がったことだろう。
尾井はやや不満げに鼻を鳴らし、床を足で蹴り回転椅子を右に回転させ自分の身体ごと視線を後ろに向ける。
そこは案の定真っ暗であったが、よくよく眼を凝らしてみると赤い光が六つほどこちらを見つめるように漂っている。
「新鮮な身体ですら良い物を得られないとはな、そうすると貴様らみたいなお古に至っては生かす価値もないな」
尾井がそう言った瞬間、漂っていた赤い光に動揺が走る。
そう赤い光の正体はゲージに入れられた三匹のヲ級での燃え上がるような瞳であったのだ。
三匹の姿は容器内のヲ級とほぼ同じである、違う部分を挙げるならば両手両足に黒く長めの手袋と靴下のようなものを履いているところであろう。
本来ならばヲ級は頭上に黒いクラゲのような異形の生命体を乗せているのだが、それはこの研究室に運ばれた時点で尾井や和泉によって切除されている。
海に居た時の彼女らは海上に突如として出現し、海上を無尽に移動し、船舶やら護衛艦などを沈め悪魔と揶揄されていたが今はまさに大違い。
今はもう、何も出来ず憐れで非力な女、否、検体になることしか残されていないネズミやモルモットと相違ない。
だが、今のこいつらには検体する価値もない。
尾井は白衣の内ポケットに入れていたマイルドセブンの銘が刻まれた箱から煙草を一本取り出し口に咥えると、慣れた手つきで右手に持っていたライターで煙草に火を点ける。
「処分するしかないが、どうしたものか。和泉に任せるのが一番か、だが数少ない研究室をまた血の海にされるのは気が引ける・・どうしたものか・・・・」
尾井は器用に煙草を口から落とさず、煙を吐き出してゆっくりと息を吸う行為を繰り返しながらヲ級達のケージに一歩ずつ近づく。
鼻と口で煙草の煙を楽しみつつも、頭の中では幾多の彼女達の処分方法が次から次へと煙の如く浮かんでは消える。
そんなことをしている内に尾井はとうとうケージの前に到着し、ゆっくりとしゃがみケージの中の憐れな検体との目線を合わせようとする。
その瞬間、突如としてケージ内の闇から伸びた白い手が柵の隙間を縫って尾井の顔に襲い掛かる。
その尋常な速さにおいてはやはり深海棲艦と言った所か、だが尾井はヲ級達が何らかの動きを見せることなど想定済みであった。
自分の顔に襲い掛かる腕を尾井は余裕を持ってかわすと、左の手でその白く華奢な腕の腕首を握り潰すように掴む。
そんなこと予想していなかったのかケージの中からヲ級の短い叫び声が上がる、尾井はその声にすら何も反応せず掴んでいるヲ級の腕首をまるで大根を収穫するような感覚で引っ張る。
すると、ケージの柵に何かが当たる音が周囲に響く、尾井が柵に目をやるとそこには赤い眼をより一層ぎらつかせ、歯をむき出し猛獣のようにこちらを睨みつけるヲ級の顔があった。
「ほう、いい顔だな」
その表情に尾井が僅かに口角を上げる、その口調にも僅かばかりの喜びが混じっているように思える。
だが、その表情もすぐさま機械のように無表情で温かみの無い顔に戻る。
そしてヲ級に見せびらかすかのように尾井は口元の煙草を空いている右手の人差し指と中指の間に挟んで口から離すと吸い込んだ煙を威勢よく宙に向かって吹く。
数秒間、尾井はその吐いた煙が宙に広がりやがて霧散していく一通りの流れを見つめ、次に煙草の先端を見て何かを思考するように「うーむ」と小さい唸り声を上げる。
「少し戯れてやるか」
「?」
尾井の言葉に彼を睨んでいたヲ級が首を傾げキョトンとした顔を見せる、そこだけを切り取ってみれば可愛いらしい童女の顔と差異は無い。
ヲ級の見せた無垢な反応に尾井は口角を少し上げて笑う、和泉の嗜虐的な笑みとは違いより上品で紳士的な微笑み方であった。
だが、次に尾井が見せたのは紳士的とは到底思えない行為であった。
「・・・ッ!?」
ヲ級が突如として眼を見開き可愛らしい口を最大限に開き驚愕した表情を見せると同時にまるで獣の唸り声や金切り声のような叫び声を上げる。
耳障りにも近いその叫び声は機械の作動音を打ち消し研究室内に響き渡る、その声にケージの奥に居た二匹のヲ級がびくりと身体を震わす。
ヲ級が叫び声を挙げた理由は簡単、彼女の白く華奢で美しい腕に尾井が煙草の先を押し付けたからである。
まるで蛇に噛まれたかのような痛みがヲ級の腕から全身を駆け巡る、その焼ける痛みから逃れようと腕が上へ下へ右へ左へと暴れる。
その華奢な腕から出たとは思えないくらい強い力だが、尾井は焦ることも無くヲ級の腕首を掴み続け、煙草の火をさらに押し付ける
ヲ級の五本指は痛みから逃れようと溺れている人間が何かを掴もうと無様にもがくように動いている。
先程までヲ級が見せた無垢な顔つきや猛獣のような顔つきも今は大量の涙と痛みで塞がらない口から垂れる涎、そして何よりもその悲痛そうな顔へと変わっている。
尾井はヲ級の悶える姿に興味は無いらしく、視線は未だ煙草の先端とヲ級の腕の間から昇る煙に向いている。
そして何の前触れも無く尾井は突然ヲ級の腕首を離す、先程から逃れようと必死に腕を引っ込めようとしていたヲ級は反動でケージに尻餅をつく。
ヲ級は腕が解放されるとすぐに煙草が押し付けられ美しい白い腕が赤黒く醜く変色してしまった部分に目を向け慎重にもう片方の手で撫でる。
未だ続く焼ける痛みに耐えながらもヲ級は再び赤い瞳を鋭く吊り上げ尾井を視線で貫き殺せるぐらいに睨みつける。
尾井はその表情を見て微笑むと、右手に持った煙草を人差し指と中指に再度挟み込みケージに向かって投げ入れる。
煙草は煙と灰を撒き散らしながら、白い軌跡を描くとケージの柵を見事通過してケージの床に音を立てずに着地する。
その瞬間、まるで爆弾から逃れるように三匹のヲ級は飛び上がるようにしてケージの角にそれぞれ身体を押し付けるようにして煙草からの距離をとる。
煙草に傷つけられなかった二匹も含め、三匹とも煙草の恐ろしさを鼻と、耳と、何より眼で脳に刻みこんだのであろう、まるでベルを鳴らして涎を垂らす犬と同じだ。
尾井はその反応をじっくりと見ると立ち上がって背伸びをする、そして首を回しながらケージから離れてゆく。
やがてディスプレイの前に戻ると回転椅子に座り再度内ポケットから煙草箱を取り出して煙草を一本口に咥え火をつける。
「やや不服だが和泉に全て任せるのが一番だな・・・・」
尾井は呟くと、灰皿の横に置いてある電話機に手を伸ばすが、和泉が六時ぐらいに連絡をしろと言ったのを思い出し、電話機とは反対側にある置時計に目をやる。
置時計の黒い短針と長針は十二時を示している、六時になるまでには嫌になるほど時間がある。
尾井は右手で煙草を口から離し溜息を煙と共に吐き出す、吐き出された煙はやがて宙に霧散していくがそれで自分の中に溜まる嫌気が消えることは無かった。
回転椅子の背もたれに尾井は最大限にもたれかかり、まだ残っている煙草を灰皿に投げ入れると静かに俯き睡眠を取る。
研究室は未だ機械の作動音に包まれていたが尾井にとっては子守唄同然なのか、数秒もたたないうちに寝息を立ててしまう。
同時刻 日本 神奈川県 横須賀新鎮守府 第二棟一階
「あーあー、だりぃな・・・」
鎮守府内の窓からは五月晴れの空が見えるが、そんな景色に一切目を向けず廊下を歩く和泉は聞いているだけで耳障りで下卑た声を上げる。
しかし、それを聞く人物は周囲にはいない、それもそのはず今日来ると言うドイツからの艦娘の対処により現在鎮守府内に居る人は少ないのだ。
それをいいことに和泉はドタドタと品の良くない足音を鳴らし、黒いコートのポケットに両手を突っ込み、背中を丸め、極め付けに舌打ちを繰り返す姿はまさに不良のそのものである。
「ん?」
上へと続く階段に突如として現れた人影に気付くと、和泉は歩みを止め前髪の隙間から鋭い瞳を覗かせる
背丈は百五十ぐらいで、ロングヘアーの白髪は深海棲艦のヲ級とは程遠いくらい美しく、絹のような柔らかさは触らなくても見るだけで感じ取れる。
瞳の色はスカイブルーで、夏の晴れた空のように、田舎の綺麗な川のように澄み切っており、瞳を通して向こう側が透けるのではと思えるくらいだ。
着ているセーラー服は髪の色と同じく白色で膨らみは少ないが、それが逆に西洋の人形のように愛くるしい雰囲気を生んでいるがその表情はとてもクールであり大人っぽさを感じる。
「なーんだ、待ってたのか」
呆れた口調で和泉は言うと止めていた歩みを始めつつも溜息を吐く、彼女には尾井の研究室に行く際には二階で待っていろと言ったはずなのだ。
和泉がこちらに向かい歩きながらも呆れていることに気付かず、少女は敬礼をする。
「響、二階で待ってろって言ったよな?」
「
彼女の言ったことに和泉は思わず黙り込んでしまう、確かに言うとおりである。
響、いや本当の名はヴェールヌイと言いこの鎮守府に所属する艦娘の一人である。
そんなヴェールヌイの言葉に和泉は言葉を詰まらせ、代わりに舌打ちを一つ見舞わせると彼女の横を通り抜けて階段へと向かう。
無視をされさらには舌打ちをされたにも関わらずヴェールヌイは一切怒らず、すでに階段を上っている和泉の後を追いかける。
足が長く歩幅の広い和泉は軽やかに階段を一つ飛ばしで上っていき、その後ろではヴェールヌイが小走りで階段を上る。
和泉に追いつこうと必死なのかヴェールヌイは今にも転びそうである、それを見かねた和泉は踊り場で彼女を待ってあげることにした。
やがて、ヴェールヌイが踊り場に到着すると数秒間彼女が息を整えているのを面白くもなさそうに見るとまた階段を先程よりもスピードを落として上り始める。
すると、ヴェールヌイはぴたりと和泉の横に着いて来る、たまに転びそうになりながらも離れたり遅れたりすることは無かった。
「それで尾井三佐は何て?」
「あ?ああ、ゴミ以下だとよ、ったくありえねっつうの!!こっちが必死こいて鹵獲したっつうのによッ!!」
怒鳴り散らすように和泉は溜まった鬱憤を吐き出す、だがそれだけで解消は出来なかったらしく数回舌打ちを繰り返す。
その反応を見るとヴェールヌイは自分の司令官が苛立っている理由がこのことだと気付くと、早々にこの話題を聞くことをやめる。
「そうか、災難だったね。それで、この後の事は分かっているよね」
「あ?分かってるに決まってんだろ、俺がそんなに忘れっぽい男に見えんのか?あ?」
眼を見開き殊更嫌な顔を見せ、まるで脅すかのように自分の艦娘にきつい言葉を浴びせる。
尾井との会話で溜まった鬱憤を八つ当たりで消そうとしているのだろうか、だが和泉はそれでもまだ舌打ちを続ける。
一方のヴェールヌイは和泉の言葉に対して嫌悪感どころか美しいクールな表情を崩すことなく、「そう、なら良かった」と言葉を返した。
そんな傍から見ればぎすぎすした会話、されど本人達からすればいつも通りの会話をやっている内に二人は階段を上り終え二階に到着する。
「んじゃあゲルマン女の相手をしに行くぞ」
和泉はニッと笑うと、ネクタイを締めなおしコートや制服についた汚れを掃い始める。
隣ではヴェールヌイが自分の服に汚れが着いていないか確認しつつも和泉の後ろへ回ると彼のコートに目立つ汚れが無いかじっくりと確認する。
和泉はその行動に肩をすくめつつも、彼女が見つけやすいようジッと立つ。
「大丈夫、汚れてない」
ヴェールヌイの言葉に和泉は礼を言う代わりに手を上げる。
そして顎の下まで下げていたマスクを口元まで上げる、そのお陰で和泉の顔は殆どと言っていいほど埋まってしまう。
「それでは、行くとしましょうか。あまり、お客さんを待たせるわけにはいきませんからね」
先程まで見せていたあの口調は何処へ、和泉の口調はマスク越しのため少し声がこもっているが、その声は良く澄みとても柔らかく同時に上品な物へと変わっている。
姿勢も自衛官らしく整っており、その風貌さえ除けば完璧と言っても過言ではなかった。
そんな和泉とヴェールヌイは自分達の執務室へと向かう、そこへ行くのに数分もかからないだろう。
和泉は歩きながらその胸の内に邪悪な計画を仕舞い込みながら、自分の口がマスク越しなことを良いことに秘めた真の人格を誰に見せるわけでもないのにニヤリと不気味に笑ったのだ。