仄暗い水平線   作:工藤翼

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今回、ビスマルクがドイツ語を話す場面がありますが私はあまりドイツ語を理解していないので文法的におかしかったり、異訳な箇所がありますが温かい目で見てください。


第三話 溜息吐息

2062年 5月18日 日本 神奈川県 横須賀新鎮守府第二棟二階

 

和泉から手渡された紙を確認しながら、ビスマルクは前原の部屋を探す。

扉の横の壁に設置された名前が記入されたプレートを確認しながら廊下を進む、もしこのプレート一つ一つに提督の名前が書かれているならば気の遠くなる作業になるが、幸いなことに殆どのプレートに名前は記載されておらず空白のままである、最も政府や自衛隊にしてみれば不幸なことであろう。

この長い廊下に扉は十個ほどあるが名前が記載されているのは半分以下である、日本は提督の数が足りていないとドイツの方で耳にしていたがこれほどまでに少ないとは驚きを隠せない。

提督の確保方法などをビスマルクは知らないが、一つわかるのがこの大きな鎮守府が宝の持ち腐れであることに違いないことである。

やがて、廊下の終わりに近づく寸前にビスマルクは前原の執務室を見つける、扉の横には前原高也とパソコンで作られたのであろう無機質な文字がプレートに刻まれている。

ビスマルクは先程まで手に持っていた紙を折りたたんでポケットに入れる、そして扉をノックする前に周囲をきょろきょろと見回す。

しかし、いくら見回しても人っ子一人の気配も感じられないがそんなことはプレートの空白の数から大方の察しはつくのだが、いかんせんビスマルクは人手が少ないと言ってもイメージとして提督や艦娘が廊下などで会話をして賑わっているような鎮守府を思い描いていたため、未だにこの状況が飲み込められないのである。

ましてや、先程あったあの和泉と言う男に関してはもう思い出したくも無いほどである、ほら見たことか今一瞬にも関わらずあの男の顔を思い出しただけでも嫌悪感が食道を通って込み上げて来る。

 

だが、今重要なのは和泉ではなくこの執務室の奥で待つ前原高也との対面である、彼がどんな男であろうと自分が艦娘である以上その命令には従わなければならない、例え前原が人間派だろうと兵器派だろうと変わりない。

提督と艦娘の間にある主従関係は強固である、しかしそれは提督が指揮能力に優れているか、艦娘の精神力がいかに高いかなどが蓄積されることによって生まれる関係である。

故に、指揮能力の無い提督を艦娘が殴り倒したり、精神的に弱い艦娘によって作戦が失敗するなど、そう言った事例は過去にも少なからずとして起きていた。

また、いかに双方が優れているとは言え一方は鎮守府に一方は戦場である海上に居るのだ、結果的に両者の置かれる状況は変わり時に意見のぶつかりあいなどが起こる事も少なくない、提督の人手が少ないのもそう言った局面に対応できる人間が少ないことが理由の一つなのだ。

そのような現状から、自分の艦娘に指揮を一任する提督や、変わらずに無線を使用して指揮を行う提督、そして特殊な武装を使用して自ら現場に出て指揮を執る猛者の三種の提督達によって日本は深海棲艦の魔の手から防がれているのだ。

 

(さてと・・・・)

 

ビスマルクは意を決すると、滑らかながらも緊張感が混じった動きで腕を伸ばし扉をノックする。

その音に反応したのか、執務室の中からノック音に応答した男の声が聞こえたと同時に何かが崩れ落ちる音が微かに聞こえた。

 

「あ、あれお客さん・・・・ウワアアアアッ!?あ、朝潮、ちょっと出て!!」

 

その崩れる音はドサドサと紙のような物だ、その音に男が軽い悲鳴を上げる、この悲鳴を上げたのが前原なのだろう。

声質は若く青年のような声であるが、三十代後半の和泉ですらその声は若々しかったのだ、前原が四十代なんてことも有り得ない話ではないだろう。

まあ、四十代のおっさんが若々しい声など他人だけでなく本人も嫌であろう。

ビスマルクは前原がどんな人相なのかを想像していると、執務室からトタトタと扉に近づいてくる足音が聞こえる。

ガチャリと扉が開き、隙間から一人の少女がひょこりと顔と身体を覗かせ、ビスマルクのことをジッと見つめる。

ストレートの髪は黒く美しく、海のように青い瞳を持つ顔は幼いながらも全体的に凛々しさをビスマルクに感じさせる。

服装は白のワイシャツに黒の吊りズボンは手首を包む黒のアームカバーがあったとしても制服を纏った小学校高学年の人間の少女にしか見えない。

背丈は和泉の所に居たヴェールヌイより頭一つ小さいぐらいだろうか、身長だけ見るならば中学一年生ぐらいが妥当であろうか。

最も、この鎮守府に人間の少女が居るわけはないので彼女も艦娘なのであろう、先程前原と思われる男が朝潮と言っていたが彼女のことで間違いはないはずだ。

朝潮はビスマルクのことを上から下へその逆へと視線を動かすもやがてその凛々しく引き締まった顔を綻ばせると後ろを振り向き執務室に居る男に向けて声を掛ける。

 

「司令官!ビスマルクさんがお見えになりましたよ!!」

「えッ!?も、もうそんな時間!?えーとあーと、どうしようかな・・・・、そうだ、取り合えず中に入れちゃってよ」

「わかりました!さ、ビスマルクさんどうぞ!!ちょっと、汚い部屋ですけど、気にならないで下さい」

 

ピョンピョンと跳ねながら朝潮はビスマルクの腕を引っ張る、その姿は遊園地に来てはしゃぐ子供のようだ可愛いのだが、この位置は確か和泉の執務室である震動によって下手にあの男がここに来ることだけは避けたいのだが。

そんなことをビスマルクが考えているとは知らず、朝潮は彼女の腕を強引に引っ張りながら半ば引きずるようにして前原の執務室へと向かい入れる。

 

「え?な、何なのこの部屋は・・・・・」

 

部屋に入った瞬間、愕然と唖然とビスマルクはしてしまい、思わず片手に持っていた旅行鞄を落としてしまうがそれが下の階に迷惑をかける程の大きな音を出すことは無かった。

ビスマルクはこんな部屋だとはまるで信じられないと言いたげに目をパチクリとさせると同時にこんな部屋だとは思いたくないこれはたぶん悪い夢なのではと言いたげにさらに目をパチクリさせる。

しかし、汚いと言えばそれだけで事足りぬではなく言葉足りるであろうその部屋は事実であり、現実であるのだ。

床一面には白い紙が無数に無造作に落ちており紙自体も真っ白ではなく埃や靴の跡が付着し黒ずんでいる、それらのお陰によって旅行鞄は音を立てずに済んだのである。

和泉の執務室で見た青色の絨毯はその面影すら見ることが出来ない、一面雪世界と言えばまだ幻想的かもしれない、勿論その雪は黒ずんでいる。

部屋の隅どころか、いたるところに未開封もしくは中途半端に開けられた段ボール箱が埃を被りながらまるでインテリア気取りに置いてある。

執務室の中心にある二つのソファには人でなく段ボール箱や紙が我が無機質な物顔を見せて占拠をしている。

壁には時計が掛けられているが九時丁度を示した所で動きを止めている、電池を換えていないのだろうこれではビスマルクが来たときに慌てたのも頷ける。

執務机の上も凄惨たるものであり、山積みになった紙が五つほど置かれておりその内の一つがマグカップを巻き込み崩れ落ちている。

 

「いやぁー、ごめんね汚くて。もう少し待っててくれないかな、すぐ終わるからさ」

 

執務机からひょこりと男が頬を掻きながら、ばつの悪そうな顔に苦笑いを含めた表情を見せる。

室内であるためか和泉とは違って制帽を脱いでおり、少し寝癖が立った黒髪が目立つ。

その顔つきもまだ若く大学生と言っても通じるぐらいである、失礼ではあるが自衛官と言っても信じられない顔つきである。

「司令官、今はビスマルクさんの方に集中した方が良いのではないでしょうか?」

「うーん、・・・・・まあ、いいや。よし!」

 

朝潮からの提案に一瞬男は嫌そうな顔を見せたが、数秒の間うーんと唸った後思い立って執務机か立ち上がる。

その際に机の一部分に触れたらしくその震動によって積み重なっていた書類の山が二つドサドサと音を立てて崩れ落ちる。

だが、男はそんなことには目もくれず書類のカーペットを遠慮なく踏み歩き、ビスマルクの前に立つ。

身長は和泉より少し低いぐらいであろうか、それでも百七十少しある自分よりは大きい。

服装は和泉のように黒いコートなど羽織ってはおらず、半袖である第三種幹部常装夏服を着ている。

白い色は眩しいぐらいに輝いているが、右下の方についたコーヒーの黒いシミがかなり目立つと言うよりはここにしか目がいかない、たぶん落ちにくいだろうな。

 

「えーと、和泉一尉から話は聞いてはいると思うけど、僕が前原高也(まえはらたかや)。所属とかは和泉一尉と同じで階級は二佐で、えーと、後は・・・・・そうそう、その子が朝潮、それともう一人摩耶って子が居るんだけど、今は席を外しているから後で紹介するね。・・・・こんな感じでいいかな?」

「え?わ、私に聞くのでしょうか?」

 

途切れ途切れの自己紹介にやたらと目線はあっちにこっちに、それに頬を掻きながらと見ているだけで不安になる前原の姿。

仕舞いには朝潮に自己紹介が良かったかを聞く始末、何だろうかこの提督の元に所属するのがすごく心配になる、と言うよりこの男もしかして私がここに所属するのを嫌がっているのではないだろうか。

そんな前原の姿にビスマルクは和泉を前にする時と同じぐらいに疑心になり思わず目を鋭くさせて睨みつけてしまう。

それに気付いたのか前原は一瞬身体をビクッとさせる・・・・・と言うことを少し予想したのだが前原はビスマルクの睨みにも一切動じず、癖のように頬を掻きながら口を開いた。

 

「え、えっと、聞いているかな・・・・。もしかして、何か悪いことでも・・・、いやそんなことは書かなかったはずだけど・・・」

 

と制服のポケットからメモを取り出す前原、何枚書いたのであろうか取り出した瞬間に数枚のメモが書類に海の一部として同化してしまう。

あんな短い自己紹介の為に何枚書いたのであろうか、ビスマルクは彼の真面目っぷりに思わず笑ってしまう。

この前原と言う男は真面目な性格なのであろう、ただ初対面で海外から来た私の対応に困っているのであろうか。

それに前原は朝潮と摩耶と言っていたが二人の艦娘しかこれまで指揮していなかったのであろう、朝潮は見た目からして駆逐艦であろう摩耶の艦種は不明であるが駆逐艦と戦艦と言う組み合わせはあまり聞かないので、摩耶も戦艦以外なのは確かだ。

つまり、彼は海外の艦娘どころか戦艦を自分の部隊に向かいいれること自体が初めてと言うことになる。

 

「悪いこと何て言っていないわよ、改めて私は戦艦ビスマルク、ちゃんと覚えておいてよ」

「よ、良かった~、すごい目で睨んでくるからどうしたものかと思ったよ・・・。それにしても、日本語が達者だよね。いや~、行き成り来てドイツ語で喋られたらどうしようかと思ったよ、ね朝潮」

「本当ですよね!」

 

前原は笑みを浮かべながら頬を掻いて朝潮に言う、朝潮もぴょんぴょんと跳ねながら同意している、常に明るかったが彼女もある程度海外艦と言うのに不安を感じていたのであろう。

勿論、ビスマルクはドイツ語を喋れないわけではない、ただ日本に来る為に自分が作られる過程でドイツ語と日本語の両方を理解し喋れるように設定をされているのだ。

また、艦娘は言語に関してはいつでも新しい言語を覚えられるようになっている、作戦海域で他国の艦船などに遭遇した際に役立つからだ。

日本語を喋れるビスマルクに対して安心しきっている前原、そんな彼にビスマルクは少しばかり意地悪したくなってしまう。

 

「あら、だったらドイツ語喋ろうかしらFreut mich(よろしく)!それとも、お堅い日本らしく、Es freut mich,sie kenne zu lernen(よろしくお願いします)の方が良いかしら?」

「ふ・・ふろう・・・え?か、勘弁してよ!僕外国語はからっきしなんだから!!」

 

慌てる前原がとても面白くて可愛い、部屋の汚さやその他の点で思うことはあるがとりあえずこの反応で許すことにしよう。

 

「ふぅー、これから大変そうだな・・・。ま、とりあえず、何か飲み物でも出そうかな、ビスマルクは座って待っていてよ」

 

前原は溜息を吐くと、部屋の隅に置いてある小さな冷蔵庫の扉を開くと共にビスマルクにどこかに座るように言うがどこに座れというのだろうか。

ソファは見た限り段ボール箱に占拠されているし、周囲に椅子と思われる家具も見当たらない、ビスマルクも朝潮も先程からずっと立っているのだ。

 

「て、提督、一ついいかしら。どこに座ればいいの?」

「どこって、うーんと、そうだな・・・・」

 

ビスマルクに言われて前原は室内を見渡すが椅子などは一切置いていない、あるとするならば執務机とセットの提督用の椅子だけである。

前原はその椅子を持ち上げようとするがその際何かが視線に止まったのであろう、無邪気な声で「これがあった!」と言いながら部屋の隅においてあった段ビール箱をずるずると引きずってこちらに持ってくる。

簡素な椅子が入りそうなくらいの大きさの段ボール箱がこちらに押し進んでくると言う光景はまあ滑稽なものであるが、白い紙の海を裂くように進む姿は何だろうか嫌な予感を覚える。

たぶん、中に椅子が入っているのだろうビスマルクはそう予想する、その一方で前原は段ボール箱をビスマルクの後ろ、丁度座るに良い位置に調整する。

いや、もしかしたらこれはこういう家具なのかもしれないとビスマルクは思い込む、一方の前原は段ボール箱の表面についた埃を手で叩き落とす、どう聞いても音が柔らかい。

 

「はい、どうぞ、これに座って。朝潮もこれに座る?」

「い、いえ、遠慮しておきます」

 

朝潮が引き気味に遠慮する、笑顔でいようと頑張っているが引きつっていますよ朝潮さん。

一方の前原は彼女の答えに「そう、ならもう少し我慢しててね」と言うと、ビスマルクの方に向き直り段ボール箱に座るように言うと手を使って催促をする、どうやら私が座るのはこれに決定したのだ。

どう見ても段ボール箱である、あの薄汚れた表面に簡素なつくりのこの形、それとやけにつるつるしたテープ、まごうことなき段ボール箱である。

埃を前原が掃ったが表面はやっぱり黒ずんでいる、これに座るのはビスマルクも嫌だが代わりの椅子が出てくる気配は無い、ビスマルクは引きつった笑みを見せながら礼を述べるとその段ボール箱に腰を下すと同時に床に落ちていた旅行鞄を持ち上げ埃を被った近場の棚に載せる。

予想通りにビスマルクが座った瞬間段ビール箱は少しへこんだが、どうやら中に入っていたものが筒状の物らしく程よい安定感を得ることが出来る、いやはや座った瞬間に抜けなくって良かった。

 

「さてと、何があったけ・・・・、あ、ビールとか?」

「昼間からビール?さすがに遠慮しておくわ」

「え、そうなの?ドイツの人って湯水のようにビールを飲むって聞いたけど・・・」

 

前原はやや偏見的なことを言いながらも、ビスマルクが拒否したにもかかわらず片手にはビール缶を持っている、遠慮したはずなのだが。

確かに、ドイツ語で水とビールは同じ中性名詞でありそれはドイツ人がビールを水のように飲むからなんていかにも嘘丸出しのことが俗説としてあった気がするが、ドイツ人だってビール以外の飲み物もちゃんと飲むのだ、それにまだ昼間からアルコールを取るのは艦娘としても避けておきたい、任務が急に出されることも想定したほうがいいはずだ。

とビスマルクがそう考えているにも関わらず前原は依然として片手にビール缶を持っている、このままだと本当に渡されかねないと思いビスマルクはあの冷蔵庫に入っているであろう飲み物を考える。

 

「あ、そうだわ!麦茶ってあるかしら提督?」

「麦茶?はえ~、随分と日本的だね。作ってあるから、待っててね」

 

空港で飲んだあの独特な風味のお茶を思い出して言ってみたがどうやら入っていたらしい。

前原は冷蔵庫の中から黒々とした麦茶が入ったポットを取り出すと、冷蔵庫の隣のガラス棚からガラスのコップを取り出して注ぐ。

すると、朝潮がトタトタと小走りでカップを持つと、ビスマルクの方まで小走りで戻るとそれを手渡す。

ビスマルクは礼を言いそれを受け取る、コップの表面を通じて冷たい感覚が手から全身を伝う、日本は五月だがもう暑いドイツとは大違いである。

コップに口をつけ麦茶を飲む、空港で飲んだものより濃いがおいしさには殆ど違いはない。

 

「朝潮は飲まないの?」

「はい、私は先程頂きましたので」

「そう、ならいいのだけれど」

 

ビスマルクはそう言うとちらりと前原の方を見る、彼は麦茶の入ったポットを冷蔵庫にしまうと代わりに新たなポットを取り出した、麦茶よりも黒い液体が並々と入っている。

前原はそれを執務机の上に転がっているマグカップに注いでいく、その液体が何の飲み物なのか疑問に思ったビスマルクは朝潮に聞く。

 

「朝潮、提督が注いでいるあの黒い液体は何なの?」

「あれですか、コーヒーですよ。」

「コーヒー・・・あれブラックよね?提督はあのままで飲むの?」

「司令官は甘いのが嫌いですからね、ミルクも砂糖も入れないんですよ」

 

そんなことを話していると前原はそのブラックコーヒーをぐいぐいと飲んでいる、絶対苦いだろうに表情は一切苦さに歪んではいない。

ビスマルクも多少はコーヒーを飲むがミルクも砂糖も入れる、ブラックは苦すぎて飲めないのだ、逆に言えばブラックを飲める人を尊敬してしまうほどである。

 

「さてと、早速にでも任務関連の話をしたいんだけれど、摩耶が戻ってからした方が楽だから、摩耶が戻ってくるまで待っててね。その間に何か聞きたいことはあるかな?」

 

コーヒーの入ったマグカップを紙の山がまだ積んである執務机に置くと、前原は執務机の縁に軽く腰掛ける。

さすがに、ある程度学んだのかゆっくりと腰掛けたが、それでも紙の山が少しばかりぐらついたのには変わりない。

そんな前原の危なっかしい動作についついこちらも緊張しつつ、ビスマルクは何を聞くべきかと考える。

 

「そうね、じゃあ、三つほどいいかしら?」

「うん、どうぞ」

「ここの鎮守府にはどれくらいの提督がいるのかしら?」

 

ビスマルクは一番疑問に思っていたことを聞く。

こんなにも大きな施設に恵まれているにも関わらず、先程の廊下には名前入りのプレートは半分以下である。

 

「そうだね、えっと、僕を入れて・・・・十人かな」

 

宙を見ながら両手で提督の数を数えると前原は両手を目一杯に開いて口で十人、手でも十人と表す。

しかし、今は前原の動作でなくその数に注目するべきだろう、十人と言うのはあまりにも少なすぎる。

だが、実は十人と言うのは国内では一番多いほうなのであるから驚きである。

国内にある鎮守府はこの横須賀新鎮守府の他にも舞鶴、呉、大湊、佐世保にも存在しているが、そこの鎮守府は新横須賀鎮守府のように大きなグラウンドや鎮守府を持っておらず小規模であり、主力には艦娘は勿論だが未だ護衛艦を使用しているのである。

規模が小さないらば、提督の数も少なく三人しかおらず、横須賀の次に提督が多いには舞鶴と呉であるが、そこもたったの四名しか所属しておらず残りの大湊と佐世保に至っても三名なのである。

それでもまだ良い方だ、ニューブリテン島にあるラバウル基地とサイパン島前線基地において前者は二名、後者はたったの一名しか在籍していないのである。

ちなみにだが、大抵の提督は艦娘を二人から三人ほど指揮下に入れているが中には一人しか指揮下に入れないものや四名も指揮している者などもいる。

その辺りのばらつきに関しては提督自身の器量などが関わっており、一概に多くの艦娘を指揮している提督が偉いというわけでもない、ただ単にそれぞれの艦娘に対して配慮が上手なだけである。

国外についてだがラバウル基地は二人の提督に三名の艦娘が指揮下に入っていると聞いている、艦娘が居ない分は護衛艦で補っているらしいが、実は深海棲艦を使用していると噂もあるらしい。

サイパン島前線基地は一人の提督に対し艦娘も一人であり、護衛艦の配備もなく、陸自の特殊部隊が守備をしていると聞いている。

 

提督の数が少ないと言われているが、なら増やせばいいのではと思うが実は提督と言うのは募集されるわけではないのだ。

海上自衛隊に属している人間から優秀な者を上層部が選び出し、審議などを重ねた後に提督として任命されるのである。

そうは言ってもここ数年は新しい提督は任命されておらず、今の提督の殆どは十二年前に第一世代の艦娘が完成した当初に任命された者が殆どである。

すると、この前原は何歳なのであろうか、和泉は三十代後半なため十二年前に任命されたと思われるが、彼はどうなのであろうか。

 

「提督、失礼かもしれないけれど、年はいくつなのかしら?」

「僕は二十七だよ、今のところ国内外の提督の中で最年少かな。いやぁ、肩身が狭いよ」

 

前原は苦笑いを浮かべ頬を掻く、確かに肩身は狭いかもしれないが二十七で二佐であるのはやはりエリートと言っても過言ではないだろう、ちなみに二十代後半なら数年前の海自が行った大規模な人員移動によるものであろう。

最も、提督と呼ばれる人間は任命された瞬間に階級が尉官であろうが自動的に三佐へと昇格するのだ。

そうすなわち、提督には三佐以下は存在しないのだ、そうするとますますあの和泉と言う男の存在が不思議で奇妙なのである。

素直に二佐の階級を名乗ればいいものを、あの男は頑なに一尉と言い張っている、二佐相当一尉なんて類を見ない階級は世界を探してもこの男だけである、そのことをビスマルクは前原に聞くと彼は珍しく困ったような顔を見せる。

 

「うーん、和泉一尉は僕どころか殆どの提督は素性を知らないと思うよ。あの人、上層部から直に任務を受けたりしているからなんだよね、提督のデータベースの記録も殆どが黒塗りされているし」

「怪しい人なのね」

「まあ、怪しいって言えば怪しいかな。でも、すごい人だよ、駆逐艦だけで深海棲艦の大部隊を軽く片付けたり、ヴェールヌイちゃんを一人で任務に行かせて無事に帰還させているから僕も尊敬しているよ」

「そう、凄い人なのね」

 

前原から和泉がどれほどすごいかを聞いたが、如何せん和泉のあの嫌なオーラが消えない限りは素直にその言葉に共感はできそうにもない。

ビスマルクはそう思いながらコップに口をつけて残りの麦茶を飲み干そうとするが、その瞬間背後の扉が蹴破られるようにして開かれる。

その音に驚き身体をびくりとビスマルクは震わせてしまい、その振動で少し麦茶が零れてしまった。

 

「おーい、提督帰ったぞ・・・って客か?」

「摩耶さん、例のドイツの方ですよ」

「ドイツ・・・、あ!お前がビスマルクか!!」

 

執務室に知らない顔が居て一瞬怪訝そうな顔をした摩耶であったが、朝潮の言葉を聴いて合点が言ったのだろう嬉々とした声を上げる。

そして摩耶は手に持っていたファイルを近場の棚に置くと目を輝かせながらビスマルクの周囲をぐるぐると回る、自分の容姿などを見ているのだろうか「ほほーん」とか「ははーん」などと声を上げている。

 

「摩耶、ドイツから来たビスマルクだよ、挨拶しておきなよ」

「分かってるって提督。防空巡洋艦の摩耶様だ、よろしくな!!」

「び、ビスマルクよ。よ、よろしくね摩耶」

 

凄まじいくらいに元気がよい、彼女は握手を求めるように手を伸ばしながら威勢の良い挨拶をする。

ビスマルクはその威勢にやや押されながらも挨拶をすると、握手を求める摩耶の手に自分の手を伸ばす。

すると、摩耶はそれをがっちりと掴みぶんぶんと音を立てるぐらい上下に激しく動かして握手をする、その強さに腕が持ってかれそうである。

ビスマルクは彼女の握手に早く放して欲しいと願いつつ、彼女の姿をじっくりと見る。

ボブカットの頭髪は茶色交じりの黒色であり、薄い青緑の丸帽子がちょこんと乗っている。

頭にはカチューシャのような物を付けており、両サイドからは二本のアンテナが横に伸びている。

服装はビスマルクに負けず劣らず露出が多く、帽子と同じ色のノースリーブの制服に短めのスカートは上の部分は白だが裾部分は青緑にグラデーションしている。

スカートにはスリットが入りその隙間に赤い紐が編みこまれている、そこから見える太腿は眩いくらいに白く美しい。

しかし、何よりも目を引くのはやはり胸部であろう、制服の上からでも二つの双丘はくっきり目に焼きつくぐらい美しい丸を描いており、また数学の曲線を思わせる谷間のラインは男だったら手を突っ込みたくなるほどであろう。

 

美女ぞろいの艦娘に囲まれる提督はさぞ天国とか、常時バイキング状態などと世間からは思われているが、その実態は天国とは程遠い。

いくら可愛くても彼女達は艦娘である、日夜深海棲艦と戦い日本しいては世界を守る存在なのである。

無論、叶わぬ恋にうつつをぬかすのも、思い人を思って枕やシーツを濡らすのは一向に構わない、だがその先へは絶対に踏み込んではならないし艦娘に踏み込ませてもいけない、提督は常にそれを求められているのである、つまり下手な関係は戦闘に支障をきたすのであり結婚などはそれ以前の問題である。

ちなみにだが、艦娘には胸や生殖器官もある、しかるべき行為をすれば艦娘の身体もしかるべき反応を見せるが艦娘の生殖器官は行為としては機能をするが子供を孕むことはない、理由は大抵の人間ならある程度想像がつくであろう。

しかし、提督も艦娘も人間である欲求などは打ち消せるものではない、ではどうやってその欲求を解消しているかと提督も艦娘も各自で様々な解消方法を行っているのである。

まず、艦娘であるが元々そう言った欲求を抑えるように作られているため、それほどまでに欲求を覚えることは少なく、欲求を覚えても日々の訓練や任務で疲れきり風呂に入ればすっかり忘れてしまうのだ、夜も勿論ぐっすりと眠ってしまう。

では、提督はと言うと煙草やお酒などの嗜好品などに頼る者が多い、その為提督の九割近くは喫煙者や酒豪であるのだ。

最も、最近では恋愛系の漫画を読む艦娘や作られた直後から提督にぞっこんな艦娘も現れており、それに加えて数少ない提督の健康を考え煙草や酒を控えるように言われ、悲劇的なことに煙草や酒の値上がりもあって提督は一層苦労している。

 

「おっ、そうだ提督、これを渡しておくぜ」

「ん?ああ、ビスマルクの艤装ファイルね。ありがと」

 

摩耶はビスマルクの手を離すと、棚に置いたファイルを前原に手渡す。

艤装ファイルとはビスマルクの艤装の種類や能力などを明確に記載したファイルであり、提督は各艦娘のファイルを保管しそれを元に工廠などで整備や改造などの指示を出すのである。

艦娘は何も深海棲艦と素手でやりあうわけではない、勿論百兵戦を主軸においた鍛錬を指示する提督も居るが、基本は軍艦の砲台や高射装置などをコンパクトに改造した艤装を装備して戦闘を行うのである。

艦娘にとっても提督にとっても大事な物であるが、あろうことか前原は摩耶から受け取ったファイルを少し離れた棚の上に投げたのである。

投げられたファイルは最初こそ空気抵抗もなく棚に向かって綺麗に飛んで行ったが、やがてファイルが開き中に挟んである紙によって抵抗を受けてしまい、紙の海へと落下していった。

摩耶はそれを見てさすがに文句を言っていたが、前原は適当なあいづちを返すだけでまともに聞いているとは思えない。

見かねた朝潮が落ちたファイルを棚に乗せると、前原は「あ、ありがとう」と礼を言う、礼を言うだけまだましな方だろう。

ビスマルクは「うーん」と唸りながら考える、前原は今までもこのような感じだったのだろう摩耶が五月蝿く言おうと彼にとってはどこ吹く風なのであろう。

しかし、私が来た以上前原の鎮守府での役割もこれまでより一層変わっていくだろう、今までは護衛任務や露払いなどが多かったと思われるが、戦艦である自分が来た以上前原率いる艦娘達も鎮守府の主力になっていくことは間違いない、ならばこそ今までの前原のたるんだ空気も変えなければならない。

ビスマルクは意を決すると段ボール箱から立ち上がり、前原に向かって言う、千里の道も一歩からまずは目に見える部分からの改善だ。

 

「提督、掃除をしましょう」

 

━数時間後━

 

「これでよしっと・・・・」

 

先程まで床一面に散らばっていた紙が詰め込まれたビニール袋をギュッと締めると、ビスマルクは腕を上げて背を伸ばす。

そして数時間かけ軽いリフォームを行ったといってもいいくらいに見違えた執務室内をぐるりと見回す。

床一面を覆っていた紙を全て処理或いは棚に仕舞うとそこには新品と言っても良いくらいに綺麗な絨毯が顔を見せ、ソファや室内に我が物顔で鎮座していた段ボール箱も全て撤去されている。

段ボール箱の中身は殆どが家具であり、どうやら前原がネットショッピングで購入した物が開けられずに放置されていたのだ、しかしまさか自分が座っていた段ボール箱の中身が簡易椅子とは何たる皮肉であることか。

それよりも、驚きであったのは執務室が以外にも狭いことであろうか。

部屋の間取りは他の提督の執務室と共通であり、まず扉から入る部屋が執務室と言われる部屋であり家具の配置などは提督によって様々であるが、大抵は食事場所や作戦などの報告に使われる部屋である。

そして執務室に入って右側の扉にはトイレがあり、左側の扉には寝室とキッチンに風呂が設置してあり、提督のプライベートルームとして利用されている。

それなら艦娘の部屋の間取りはどうなのかと前原にビスマルクは聞いたが、前原はまったく知っておらず代わりに朝潮が丁寧に説明し、それによると執務室より二周り程大きいらしいが風呂は設備されておらず、キッチンと寝室が一纏めになっているとのこと。

風呂がないと言うのは不潔なのではと思ったが、鎮守府には艦娘専用の大浴場があるのでそちらを使うのだ。

 

「いやー、凄いなここまで綺麗になるとは」

 

のん気な声を上げた前原が扉を半分開きそこから顔を出して執務室を見渡しながら嬉しさや驚きの声を漏らしている。

ちなみにこの男、私と朝潮と摩耶が掃除をしている間は一切手も出さずに廊下で待っていたらしい。

 

「提督、少しは手伝って欲しい物ね」

 

ビスマルクはのん気な前原に向かってきつめの口調で言うが、前原の方は頬を掻きながら困った顔を見せるもその口調には一切の動揺は無かった。

 

「ん~、でもさ僕って掃除が苦手なんだよね。綺麗にしているつもりが逆に汚していたりなんてよくあったからさ」

 

そんな彼の言動にビスマルクは額を抑えため息を吐いた、掃除が苦手なのはこの際許してもいいが、それでもある程度の手伝いぐらいは出来ない物なのであろうか。

だが、この男はこれまでもこうであったのだろう、朝潮も摩耶も前原が廊下でサボっているのに一切声をかけていないのだ、彼が掃除に無関心なのに慣れてしまっているのだろう慣れとは怖い物だ。

 

「ほんとに、広くなったなー」

 

ビスマルクの思いなど露知らず、前原は至ってのん気に言いながら執務室へと入ってくる。

 

(この匂い・・・・もしかして・・・)

 

自分の前を前原が横切った瞬間、ビスマルクの鼻がある匂いを感じ取った、一度嗅いだら絶対に忘れないあの匂い、そう煙草の匂いだ。

確かに前原と会った時から多少なりに煙草の匂いは分かっていたが、今の匂いはそれよりも強くさっきまで煙草を吸っていたのは明らかである。

この男廊下でサボり尚且つ一服までしていたのであろう、そのことにビスマルクはイラッとして先程よりもさらにきつく前原に煙草を吸ったかの有無を分かっていながらも聞く。

 

「提督、もしかして煙草を吸っていたのかしら?」

「あ、ばれちゃった?いやー今日はまだ吸っていなかったからさ、いいタイミングだと思ってね」

 

何がいいタイミングなのだろうかとビスマルクは思ったが口には出さない、言ったところでこののん気な男は頬を掻いて、言い訳の一つや二つを拵えるだけであろう、苛立ちを通り越して呆れてしまう。

ビスマルクが呆れていることなど露知らず前原は鼻歌交じりに執務室の隅々を見回すと、満足そうな顔を見せ、書類がぎっしりと並べられている棚の横にあるサイドボードの上にタッパーを置いた。

透明なタッパーの中には三本の煙草と脱脂綿であろうか綿のような物が一緒に入っている。

確か、煙草はある程度湿らすと甘みを感じるだとかなんだとかと話を聞いたことがあるが、実物を見るのもそしてそれを実際にやっている人物を見るのもビスマルク場始めてであった、カビたりしないのであろうか。

しかし、前原が喫煙者だと分かるならば、この執務室と隣の寝室にはあっても良い物が無かったのだ、そう灰皿だ。

 

「提督、そう言えばこの部屋には灰皿はなかったけれど、煙草の吸殻はどうしているのかしら?」

「どうしてるって・・・・その辺に捨ててるけど?」

 

その質問がおかしいと言わんばかりの表情を見せながら前原は言う、おかしいのはあなたの方よとビスマルクは心の中で噛み潰すように言う。

この男の辞書にマナーと言う単語は無いのだろうか、煙草をポイ捨てるなど悪いこと意外に他ならない。

まあ、さすがに鎮守府内の廊下に平然と捨てることはしないだろう、となれば窓を開けて放り投げたのであろう、信じられないことである。

 

「そんなに心配する事もないよ、僕一人が一日一本煙草を野に捨てようが海に捨てようが環境破壊になるにはかなりの時間を有するでしょ。それに煙草だって紙なんだからすぐボロボロになって跡も残らないよ」

 

よく言えるものだ、この際環境破壊の話は置いておくにしてもマナーの問題が最優先である、ましてや日本を守る自衛隊の人間がポイ捨てなんて恥ずかしくはないのだろうか。

まあ、言ったところでこの男がそれを聞き入れることは無いだろう、朝潮や摩耶だって注意はしていたはずだろう、彼女達でも無理なことを新参者の私が成せることではない。

和泉と前原二人の男にあっただけなのにどっと疲れが沸きあがってくる、掃除の疲労なんかよりもずっと深刻だ。

疲れを感じたビスマルクはソファへと勢いよく座り込んで身体を預ける、ボスンとソファが凹むと同時にビスマルクの身体を優しく包んでいく。

ふと、部屋の隅の棚に目を配ると自分の旅行鞄が行儀良く置いてある、後で忘れずに自分の部屋に持っていかなければいけない。

しかしどうせなら掃除をするついでにこれに気付いていれば今こうやってこの鞄の存在を頭の片隅に置いておく必要もなかっただろう、ビスマルクはやれやれと言う感じで溜息を吐く。

そんなビスマルクの姿にさすがに気を利かせたのか前原は麦茶を入れたコップをソファの前に設置してある段ボール箱から出したテーブルの上にそっと置いた。

気を利かすのは嬉しいが、出来るならもう少し前に発揮して欲しかったとビスマルクは思いつつも、前原の行動には感謝を示した。

 

Danke(ありがとう)、提督」

 

コップを手に取りごくりと麦茶を飲む、柔らかいソファに包まれながら冷えた麦茶を飲む、実に最高である。

一気に飲み込んだため冷えた麦茶が喉を痛めたが、身体全身をクールダウンさせ尚且つリラックスも出来たなら妥当な対価である。

一方、前原は相変らずドス黒いコーヒーを飲みながら先程からある言葉を呟いている。

 

「だんけ?だんけ・・・だんけ・・うーん・・」

 

どうやら、うっかりドイツ語を言ってしまったらしい。

 

「えっと、提督、Dankeは日本語でありがとうって意味よ」

「あー!ありがとうね、なるほど!だんけか・・・だんけ、だんけ・・」

 

拙い発音で繰り返す前原、こういう所は素直で可愛げがるのにとビスマルクは思う。

前原は数回繰り返すと、ふと何かを思いついたような反応を見せた。

 

「あ、じゃあどういたしましてってドイツ語で何て言うのかな?」

 

きらきらした瞳で質問してくる前原、まるで先生にでもなった気分だ。

今日一日で、前原に思うことは一杯あったが一先ずはこの好奇心に免じて水に流してしまおう。

ビスマルクは彼の質問に答えようとしたその時だった、ビスマルクよりも早く扉のほうから聞こえた声によって遮られたのだ。

 

「Bitteですよ、前原二佐」

 

ビスマルクは扉の方に目を向けてはいなかった、しかしその声には聞き覚えがあった。

マスク越しのくぐもった声、しかしながら聞き取り辛くは無い、嫌に粘ついた感覚を覚え、まるで身体に纏わりついてくるようだ。

その声一つで、執務室の空気は凍りついたように感じるのに、ビスマルクの背中は嫌な悪寒を覚え冷や汗をかく。

心臓がバクバクと鼓動を早め、まるでその声の男に心臓を握られその手の思うままに動かされているようだ。

ビスマルクは全身を襲った感覚に身体を震わせつつも、顔に恐怖などは表さず扉の方にゆっくりと視点を移す。

そこには、もう暑いのに黒いコートにマスク、それと制帽を着込んだ男の姿があった。

悪意や恐怖が服着て闊歩していると言っても過言ではなく、例えそれが悪口でもこの男はむしろ喜んでその喩えに嬉々とするであろう、和泉の姿がそこにはあった。

しかし、何故和泉がこの場に居るのであろうか、ドイツ語の話にでも混ぜて欲しかったのか、いやそれは間違いなくNein(No)であろう。

 

「びってですか!凄いですね、和泉一尉はドイツ語が堪能なんですか?」

「そんなことはないですよ~。海外の言葉はお礼ぐらい覚えておくと便利なんですよ」

「へぇー、海外なんて行かないですからよく分からないですけど、すごいですね!」

 

(提督、その返しはどうかと思うわ・・・)

 

前原の返答に呆れるビスマルクだが相手が和泉なら別にどうでもいい、和泉が別段気を悪くしてもいないのだから。

しかし、何故和泉がここに来たのであろうか、思うところは同じであったらしく前原もその訳を聞く。

 

「所で、和泉一尉。今日はどんな用で?」

「おっと、そう言えばそうでしたね、危うく忘れるところでした・・。ちょっと、ビスマルクさんのことで技術隊と話がありましてね、それでビスマルクさんの艤装ファイルをお借りしようと思いまして、大丈夫でしょうか?」

「別に構いませんけれど、技術隊の方にコピーがあるんじゃないですか?」

「暗記大好きの技術隊がそんな気を利かせると思いますか?」

「それもそうですね、分かりましたちょっと待っていてください」

 

前原は大急ぎで棚からビスマルクの艤装ファイルを探している、探すのは構わないがもう少し丁寧に探せない物だろうか、折角しまったファイルを出しては放り投げている前原を見てビスマルクは額を押さえる。

 

鎮守府には二つの隊が存在している、艦娘を指揮する提督と呼ばれる者が所属するのが主力隊であり、艤装関連の仕事をこなすのが技術隊に所属している者たちであり、その人数は提督よりも多い。

技術力の高さは世界一と言われ、艦娘の艤装などの機密情報を扱うため彼らは異常なほど情報を明かそうとしないのだ、提督や政府にですら隠している情報もある。

情報漏出に敏感な彼らは全ての艦娘の艤装などを暗記しており原本は焼却されてしまう、私の艤装ファイルもいずれは燃やされるだろう。

 

「あった!これですよね、和泉一尉」

「おっと、随分と早いですね、ありがとうございます。しかし、すいませんねぇ折角綺麗でしたのにまた汚くさせてしまって」

 

前原からファイルを受け取りながら和泉は棚の周りを見ながら言う、前原にと言うよりはビスマルクに言っているように聞こえなくも無い。

ビスマルクは棚に視点を移す、綺麗に並べられていたファイルの殆どは床に散らばっている。

まあ、この程度の量なら数分で片付け終わるであろう。

 

「しかしですねぇ、ビスマルクさん。提督相手にDankeって言うのはどうなんでしょうかね?もう少し丁寧に言った方が良いのでは?」

Danke shoen(ありがとうございます)ってことかしら?」

「そうですよ。いくら、戦っているのはあなた方でも、艦娘ご機嫌取りは提督の仕事なんですよ。少しは敬意を持ったらどうですか、お嬢さん?」

 

和泉の言葉にビスマルクは思わず拳をギュッと固め震わせる、危うく殴りかかるところであった。

海に出れば、その拳は岩を砕き砲弾を弾き深海棲艦を潰す凶器となるが、それは海上での戦闘の際に艤装を装備することによって発揮されるのだ。

普段はそんなことは無いが、それでも人間よりも遥かに強力なのに変わりはない。

現に艦娘に殴られた提督は顎の骨が砕かれたレベルである、そんな艦娘相手に挑発をするなどこの男は何を考えているのだろうか。

 

「まあまあ、落ち着いてくださいよ和泉一尉。僕はあまり気にしないですから」

「そうですか?いやぁ、ビスマルクさんをお任せた身としても恥ずかしい限りでして。まさか、ここまで礼儀知らずとは・・・・」

 

和泉の言葉にビスマルクはこれほどにない嫌悪と何よりも悪意を感じる。

ここまでして、人を不快にさせるのは最早一つの特技と言ってしまってもいいだろう。

最早、この男に一矢を報いなければ気が済まないビスマルクはゆっくりとソファから立ち上がった。

その動作をビスマルクに背を向けている前原は勿論気付かない、一方の和泉は深めに被った制帽と前髪のせいで視線は窺えないが、動作には気付いたのだろう微かに首をこちらに向けた。

こちらの動きなど見え見えと言うことであろうか、だがビスマルクはその程度では揺らぐことはない。

 

「提督、ちょっと下がってて・・・」

「?」

 

ビスマルクの言葉に疑問を浮かべる前原だが、本能的に何かを察したのだろう素直にビスマルクの後ろへと下がる。

その瞬間だ、ビスマルクのしなやかに鍛え上げられた右足が風を切る音と共に和泉の胴に強烈な蹴りを放つ。

あまりの速さに前原はビスマルクが蹴りをしたことに気付かず、蹴りによって起きた風が自分の制服の裾を捲り上げたのとビスマルクが右足を高々と上げているのを見て、初めて彼女が蹴りをしたことを理解した。

ビスマルクは前方を注意深く見る、床に大の字で伸びている和泉、蹴りによって遠くにまで吹き飛ばされた和泉、様々な和泉の姿を想像したが、ビスマルクの目に映った和泉の姿は想定外であった。

和泉は扉の近くに居たのだ、右手で制帽を押さえ左手は床につきしゃがんでいる、その姿勢から見るに飛び退いて蹴りから逃れたのだろうか。

 

Sheisse(くそ)!」

 

ビスマルクは思わず悪態をついてしまう。

一方の和泉はしゃがんだ状態で前髪の隙間から鋭い眼光を光らせる、その眼光にビスマルクは蛇に睨まれた蛙のように足が竦んでしまう、いやこの男は蛇と言うよりはもっと嫌悪を覚えるムカデに近い。

和泉は右手を制帽から離し手のひらを見せる、そこには折りたたみ式ナイフがきらりと刃の部分を鈍く光らせまるでそれ自体が一つの生き物のようにビスマルクを威嚇する。

 

「え?それは・・・痛ッ!?」

 

突如としてビスマルクは右足に痛みを感じた、上げていた右足の太腿部分に目を向けると白く美しい肌に醜い程赤く細い傷跡が皮肉にも綺麗な曲線を描いて刻まれていた。

傷口は赤みを帯びてはいるが血が出る程でもない、和泉が手加減したのかどうかは分からないが、ビスマルクはとりあえずゆっくりと右足を下ろした。

和泉の方もナイフを慣れた手つきで折りたたむとコートの内側に仕舞う、そして床に置いたファイルを手に取って立ち上がり空いた手でコートをポンポンと叩き着地の際に付着した埃を落とす。

 

「まーったく、初日早々に提督に蹴りを見舞わせるとは・・・、とんだじゃじゃ馬ですね。前原二佐を尻に敷きそうですねぇ」

 

先程、挑発によってビスマルクの蹴りを味わったにも関わらず、和泉は懲りずに今度は前原も巻き込んでこちらを挑発する。

その言葉にビスマルクはもちろん怒りを覚える、ここで前原を巻き込むなどわざとやっているにしか思えないのだ。

後ろでは前原が止めようとしているが、今回ばかりは聞けそうにもない。

ビスマルクはギュッと拳を握り締め臨戦状態に入る、その姿を見た和泉は困ったように肩を竦めたが、どうせ外面だけを見繕っただけであろう。

 

「聞き分けの無い馬ですね・・・。まったく・・・」

 

わざとらしく呆れた口調で言うと、和泉は左手でコートの内ポケットから得物を一つ取り出し刃の部分を出す、それは先の折りたたみ式のナイフではなく折りたたみ式のアイスピックのような物であった。

それを流れるような動作でそれを左手から右手に移動させ、アイスピックの針の部分と柄の部分の間が九十度ぐらいになるように調整し、柄を軽く握りながらくるくるとアイスピック全体を器用に回す、まるでかかって来いと挑発しているようだ。

アイスピックの動きに慎重に注意を配りながらもビスマルクは僅かに身震いする、首筋を流れる冷や汗が服の隙間を潜り全身に不快な感触を与えていく。

双方とも出方を相手の待っているため動かずそのまま数分沈黙が続く、やがて痺れを切らした和泉が動きを見せる。

だが、二人の戦闘は一人の少女の声によって中断を余儀なくされる。

 

「和泉一尉、先程のお言葉は司令官とビスマルクさんへの悪意ある明確なお言葉と判断して宜しいでしょうか?」

「おやおや、これはこれは朝潮さんに摩耶さんではありませんか・・・。ゴミ出しは終わったんですか?」

 

朝潮の声に和泉はアイスピックを素早く仕舞い込むと身体ごと朝潮と摩耶に向ける、ビスマルクが未だ臨戦状態を解いていないにも関わらずこの男は最早彼女を脅威とは見なしていないのだろう。

そのことにビスマルクは怒りが込みあがる、艦娘であり戦艦級である自分がただの人間にここまで馬鹿にされるのは非常に悔しい、だが今はその怒りを必死で抑えるべきだ。

 

「ゴミ出しって、テメェ見てたのかよ。だったら、手伝ってくれてもいいじゃねぇか!」

「やーだなっ、もう~。私は今から技術隊に用があるんですよ、手伝ってる暇なんてありませんよ」

「でしたら、何故ここで油を売っているのですか?斉藤道三のまねですか?」

「ビスマルクさんの艤装ファイルをお借りしに来ただけですよ。油を売っていたつもりはないですよ。それに私は蝮ってガラじゃないでしょ?」

「ハッ、だったら梟とでも言って欲しいのか?どうなんだ?」

「いっやだなぁもう~、私が知性的ってことですか?お褒めの言葉嬉しいですよ摩耶さん」

 

朝潮と摩耶の言葉攻めにも和泉はまさに立て板に水と言った感じで対応している、この男腕も立って弁も立つようだ。

ビスマルクの視点からは朝潮の姿は壁に隠れてしまって確認できないが、摩耶の横顔とふくよかな胸が見えるので三人の距離は意外と近いようだ。

そうすると、和泉の視線からは摩耶の大きな胸が生み出す美しい数学的曲線を描く胸の谷間がブラックホールのように位置しているはずだが相変らず和泉の視線は窺えない。

 

「和泉一尉、その手に持っているのはビスマルクさんの艤装ファイルでは?お目当ての物を持っているなら、早急に用を済ませた方が良いのでは?」

「そうしたいのは山々ですけれど、ビスマルクさんが行き成り襲ってきたんですよ~」

「あ?どうせ、テメェが挑発でもしたんだろ。どこに行っても諍いといがみ合いを生みやがって・・・」

 

摩耶が今までの鬱憤を吐き捨てるように言うが、和泉はまるで悪ガキを相手にする大人のように肩を竦めて首を横に振る。

 

「そこまで言われると私でも傷つきますよ?ま、これ以上皆さんのご機嫌を損ねて殴られるのは御免ですからね。それでは、前原二佐お忙しいところお邪魔しました」

「あ、はい!和泉一尉こそ、これからがんばってくださいね。ファイルに関しては翌日以降に返してくれれば良いので」

 

前原の言葉を聞くと和泉はひらひらと手を振るとビスマルクの視界から姿を消したが、こつこつと静かにそして不気味な革靴の音が遠ざかっていくまでビスマルクは緊張の糸を切ろうとはしなかった。

それは朝潮と摩耶も同じであり和泉が彼女らの視界から消えると、苦虫を噛み潰した表情を見せ執務室へと入ってくる。

 

「ったく、あいつめ、ほんとに腹が立つな」

 

摩耶がぶつぶつと和泉に対する悪態を吐き出す、朝潮は黙っているがその幼く可愛らしい顔つきも今はあの男に対する不満を耐えるために必死だ。

ビスマルクもこれ以上執務室内の雰囲気を壊すわけにもいかないため、和泉に対する怒りにある程度の踏ん切りをつけると同時に彼女達や提督から太腿の傷を隠すようにソファにゆっくりと座り込む、傷のことが分かったら前原はともかく摩耶が殴りこみに行きかねない。

 

「提督、あなたも少しは言い返すとかしないの?」

 

ソファで一息つき、ビスマルクは先程から蚊帳の外であった前原にきつめの口調で言う、彼にもある程度のプライドはあるはずなのだ、もしやあの男に何か弱みを握られているのかもしれない。

しかし、むしろ蚊帳の外であった方が前原は良かったらしくビスマルクに言われて、まだその話を続けるのかと言いたそうな表情をちらりと見せる。

そして数分間考え込む前原、うーんと唸りながら首を捻ったり頬を掻いたりと忙しないがとりあえずは弱みを握られていることは無さそうである。

 

「いやー、ビスマルクの言う事も一理はあると思うけれど、和泉一尉に何か言うってのは僕には無理かな・・・」

 

数分間考えて出た答えがこれである、ビスマルクはまた前原の悪い言い逃れ癖かと思ったがどうも違うらしい、現に彼の顔つきが珍しく本気で困った顔つきなのである。

もしや、弱みを握られているのではとビスマルクが思ったのだが、横から朝潮が放った言葉によってそれが前原や朝潮達だけでなく横須賀鎮守府の全ての艦娘と殆どの提督があの男に逆らってはならないと言う沈黙の掟があることを知ることになった。

 

「あの人に何か意見する人は居ますけれど、逆らう人なんて殆どいません。例外とするならこの鎮守府の海将と海将補、それに不帰一佐ぐらいですよ」

「艦娘に至っては誰もあいつに逆らおうとなんてしねぇよ。あたしだって、脅しとかはするけど手はださねぇよ」

 

冷蔵庫から冷えた水が入ったペットボトルを朝潮はコップに注ぎ、摩耶はそのまま口をつけて各々渇いた喉を潤す。

一方のビスマルクはやや焦る、どうやらこの鎮守府で和泉に初めて手を出したのは自分らしい、艦娘からは英雄視されそうだが和泉は完全に目を付けられたであろう。

ビスマルクは焦りを抑え机に置いてあった氷が溶けきった麦茶を一飲みする、味が薄くなって水みたいだ、しかも冷たさで喉が痛く勢いよく飲んだせいで麦茶が気管に入ってしまう。

数回咳き込みその度に喉の痛みを覚えながらも、ビスマルクは和泉に逆らえない理由を聞いた。

 

「どういうことなの?あの男が特別なの?」

「特別・・・と言うより異質かな」

 

前原がコーヒーを飲みながら答える、視線はビスマルクの方ではなく執務机の後方に設置してある窓を見つめている、すでに太陽が沈みかけており海と空を朱色に染めている。

朝潮も摩耶もその手に水の入った容器を持ちながら黙っている、前原の言葉を待っているのだろう、ビスマルクも催促などせず前原が自然に口を開くまで待つ。

やがて、前原がくるりとこちらに身体ごと向ける、窓から入る太陽の光が彼の身体に陰影を与える。

 

「不帰一佐と並んで和泉一尉は現場主義なんだよ。艦娘の指示は基本的に僕ら提督が鎮守府から無線でするけれど、和泉一尉が絡む作戦は僕らが指示しても結局は現場に居る和泉一尉が決めるんだ。しかも、和泉一尉はただの現場主義じゃない、あの動きを見たでしょ?不帰一佐に及ばずとも和泉一尉は生身で深海棲艦と遣り合う実力を持っていてね。正直言って戦艦には及ばないと思うけれど、下手な艦隊より和泉一尉は強いんだ。それで、一部の提督を除いて僕らも艦娘達も逆らえないんだよね」

 

 

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