仄暗い水平線   作:工藤翼

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オリジナルの艦娘が登場します


第四話 月に煙雲

2062年 5月18日 日本 神奈川県 横須賀新鎮守府 工廠

 

周囲はすっかり闇に染まり、窓から漏れ出す僅かな光が横浜新鎮守府の姿をぼんやりと闇夜に現す中、そのすぐ近くにはそれとは逆に一切の光をも遮断した蒲鉾状の建物。隣の新鎮守府の外壁のような立派さは無い。時代錯誤なトタンによって包まれたその蒲鉾状の建物はそこに存在している。

だが、そんな見た目とは相反しこの建物は言わば、艦娘を支える技術隊の連中が勤務する工廠である。その外見だけでは大層な建物には見えないが、内部には最先端の機材が山ほど常備され、それぞれが専門とする分野ごとに部屋が置かれている。最も、技術隊の連中が勝手に自分専用の研究室や休憩場所果ては寝室などの部屋を増設。極めつけに無断で地下にも部屋を増設してしまったのだ。

その結果、寝る間も惜しんで開発に勤しむ彼らには天国か楽園になったが、そこを訪れる提督達は複雑不条理な迷路を常に彷徨うことになってしまう。

艦娘の艤装や兵器の開発、艦娘の建造、入渠では治癒不能な傷の修復などを担う技術隊の連中も夜中と言うこともあってか、工廠内にその姿は殆ど見られず寝てしまっている。その為、ひと気があるにもかかわらず複雑で汚い工廠内は廃墟にでもなってしまったかのようだ。

その中でたった一つ、扉の隙間から灯りが漏れている部屋があった。部屋名を示すプレートには兵器や艤装などの専門分野名ではなく、青原と書かれているだけである。

室内には二人の女がそれぞれ椅子に座っている。

その二人のうちの一人、自在椅子に座り行儀悪く機械の上に脚を置き、背もたれに最大限にまで身を任せ仰け反りながら青原朔代(あおはらさくよ)はかったるそうに息を吐く。

ぼさぼさの黒髪には雪が降ったのかと思えるほどフケが付着しており、眼の下には歌舞伎役者の隈取のような真っ黒なくまが出来ており、黒く美しいであろう瞳は充血気味だ。着ている白衣は袖の部分が皮脂で茶色くなってしまっている。黒のタイトスカートから伸びる脚のみが何の欠点も無く白く健康的であり周囲に彼女の魅力を見せ付けていた。だが、どこからどうみても不潔で不健康極まりない。

青原は仰け反り状態を維持しつつ、手探りで近くの机に置いたはずであろう煙草の箱を探す。やがて、箱を見つけるとまったく手元を見ず器用に片手で一本取り出し口に咥え火を点ける。不健康ながらも幼い見た目や低い身長によって十代後半と言っても違和感が無いが彼女はれっきとした大人である。

技術隊において史上最年少で二佐の地位まで上り詰めた彼女だが、勝手気ままに動き会議もすっぽかす程の自由で社会人としての概念がない彼女に上層部はいつも頭を抱えている。

そんな彼女は現在、部屋の奥で故障した機材の上におとなしく座っている女に頭を抱えつつも、血走ったくまの深い瞳で後方の女に睨みつけた。

腰まで伸ばした黒のロングストレート、紅く美しく光る瞳が宿る顔つきは妙に色っぽくて小悪魔のような印象を覚える。

長袖の前止めセーラー服は紺と白が基調であり、胸元に光る黄色スカーフが何とも印象的である。グレーのプリーツスカートと伸びる両脚、左脚は黒のニーソックス、右脚は同色で普通のソックスとアンバランスであるが、それが逆に彼女が駆逐艦であることとの良いギャップになっている。

陽炎型十二番艦駆逐艦の磯風は青原の瞳に臆することも無く、一切の表情も崩さず憎たらしいことにその子悪魔顔の瞳で睨んだのであった。

磯風は特定の提督を持たない艦娘、通称野良艦である。基本的に艦娘は提督の指揮下に入り、そこで任務などをこなすのだが、彼女のように野良艦は空いた穴を埋める役割として半ば飛び道具のように使われるのである。と言っても、日々の任務で疲れても誰も自分のことを褒めたりする人がいないのでは精神が持たない。そのこともあって、野良艦の数は数十年前に比べ随分と減ったのである。青原が知る限りでは、この磯風と工廠で専門の艤装試験艦娘になっている夕張、そして一航戦の赤城と加賀ぐらいであろう。

そして、さらに言うなら磯風は普通の野良艦とは少し事情が違うのである。

彼女は元々配属される提督が決められる直前で、技術隊の人間に恋をしてしまったのだ。無論、艦娘が提督や他の人間に恋心を抱くというのは無理な話ではないが彼女の場合はそれのお陰によってか配属前の訓練任務にも身が入らない程であった。

彼女が恋をした相手は確か羅生虎之助(らしょうとらのすけ)と言う男であったか。大層な名前だが、青原には平凡なイメージしか持っていなかった。お茶を汲むことに関しては一流だったはずだ。

ともかく、恋愛なんて言う瑣末な物によって配属先で問題を起こされては困ると判断した青原や技術隊の人間は羅生に磯風を説得するように言いつけたが、その度に彼は磯風との口論に負け困った顔つきを見せながら「駄目でした・・・」と申し訳の無さもない言葉を吐くのであった。

結局、それを見かねた上層部の一人の声により磯風を夕張と同じく艤装試験艦娘にすることによってこの不毛で生産性も何も無い争いは幕を閉じたのである。

 

「黙って、そこに居る気?」

「そのつもりだ。この磯風一人が居たところで日々の業務に差し支えはないはずだ」

 

幼く小悪魔めいた顔つきから信じられないほど大人びた声を出す磯風。その言葉に青原はそっぽを向くと組んでいた脚を組み直した。

青原は磯風を含め駆逐艦が嫌いだ。苦手ではない嫌いだ、嫌悪している。雑多な武器を抱え、考え思考もお子様レベル、取り合うだけで疲れるし反吐が出る。駆逐艦を相手している提督などには拍手の一つでも送ってやろうかと思うぐらいだ。

そんな事を考えただけでも腹の底から嫌悪感が湧き上がり、胃を通じ食道にまで達してくる。青原はその湧き出た嫌悪を噛み潰す、咥えていた煙草と一緒にだ。

青原は咥えていた煙草を離しそこら辺の機材の上で先端を押し潰して火を消し、ポイッと水と煙草カスの溜まったバケツに放り込む。

そして、飽きることも無く新しい煙草を咥えると火を点けた。多いときでは一箱吸いきる事もある彼女のお陰で周囲の機材には軒並み焦げ跡がついており、カーテンなどにもヤニがかなり付着してしまっている。

こんなゴミ屋敷に磯風は何の用があるのか。簡単である、彼女が見つめる物は青原の前に設置されている複数のディスプレイ、その内の一つである。

そこに映っているのは白の壁と床に囲まれた角砂糖の様な無機質な部屋、一人が寝泊りする事でさえ窮屈であろうその部屋に男が映っている

男は机に向かって一心に不乱に何かを書いている。ディスプレイ越しでは分からない、不気味な文字の羅列を記された紙が男の手により量産され部屋中に散らばっている。

ボサボサになった黒髪、不揃いな髭は顎や頬、首周りにまで広がっている。黒縁眼鏡の中に潜む瞳はぎらぎらと輝くがそれは人と言うよりは獣に近い。

よく見ると髪の一部は白くなっている、若白髪としては数が多い、それに彼はまだ三十代だ。

だが、一番目を引くのはその瞳だろうか。左目は至って普通で黒い、だが右目は青色だ。それも美しいというよりは恐ろしさを感じる。まるで冷たい海に放り出されたような、そんな感じだ。

羅生がこうなってからもう一年だろうか。未だこの男が病にかかったのか、それとも別の物なのかそれすら不明だ。

別に青原はこの男がどうなろうと知った事ではないが、何せ一年もこの男を地下の部屋に閉じ込めているのだ。勿体無い事この上ない、羅生をあの部屋から追い出せば、せめて物置部屋程度にはなるだろうに。

そして彼の監視を任されてしまったお陰で磯風はこうして暇であればこの部屋に居座る。勘弁して欲しい、これ以上ストレスが溜まると一日一箱では済まなくなる。

青原は視線をディスプレイから少し上に移す、時計を見るのだ。時刻は九字を過ぎたところ、十時に艦娘は消灯が義務付けられているのでそろそろ彼女も戻るべきだろう。

 

「磯風、そろそろ時間だ」

「・・・分かった。・・・青原二佐、前も言ったのだが、あの部屋の鍵を渡してはくれないか?」

 

気まずそうに言う磯風。分かっているのだろう、無理だということを。

うんざりする、その台詞を何度言われたことか。馬鹿なのか、物忘れが激しいのか、そんな訳は勿論ない。

だが、たかが一技術隊の人間が何を言ったところで上層部は取り付くわけが無い。

 

「何度も言わせるな、無理だ」

 

ついでに馬鹿だのアホだのと罵倒を加えた。だが、磯風はその言葉に怒りを見せない。磯風の耳に言葉が届こうが、その内に秘める心に届くことは無いだろう。

 

「・・・・そうか、分かった。夜分に失礼した」

 

立ち上がり、磯風はそう言ってお辞儀をすると退出する。

 

「ああ、帰れ帰れ」

 

退出する磯風に目を向けず、手で追い払う仕草を見せる青原。その行動には見慣れたし、見飽きたし何より見て得は無い。

やっと訪れた静寂な空間に青原は咥えていた煙草をバケツに向かいペッと吐き出す。

心機一転気分転換に新しい煙草を咥えると火を点けた。同じ煙草だが先程より美味しく感じる。青原は煙を一杯に吸い込み、吐き出す。

そして、機材の上に載せた足を使い器用にボタンを押す。一瞬のノイズが走ると、羅生を映したディスプレイとは別のディスプレイが映像を映し出した。

そこは工廠の地下にある一室を映した物だ。一切の灯りもない薄暗い室内、唯一中央にある二つの巨大な容器に満ちた液体が発光している。二つの容器内には発光する液体と、瞼を閉じた全裸の少女が一人ずつ入れられている。

それだけ切り取ってみれば何とも淫靡な光景に見える、少女の身体に噛み付く様に付けられた夥しい数のチューブを見なければの話である。

青原の表情に変化は無い、だがそのくまの深い瞳は容器にヒビを入れるぐらいに鋭く光る。

 

「まだ、完成とはいかないか。時間はある、だがやつを見つけた以上、急がなければ」

 

消え入る声で青原は言った。そして煙を吐き出す。

天井に上りながら消える煙に青原は視線を移し、ふと窓の方に眼を向ける。カーテンが閉まりきった窓だがその隙間から僅かに月が顔を見せている。

美しく輝く月だが、青原の吐いた煙により室内は白く霞む。折角の月も群雲のような煙霧により、台無しである。

だが、そんな事は青原には関係ない。青原は月に見とれる事も無く、視線をディスプレイに移すと煙を吐き出した。

 

同時刻 横須賀新鎮守府 地下 

 

深海の様な真っ暗な尾井の研究室。機械やランプの無機質で一定な音や点滅。まるで自分が機械になった感じだ、いや人工的に作られた艦娘と言う時点で半分機械の様でもあるか。

響もといヴェールヌイは椅子に座り自身の司令官である和泉を待っていた。その目の前ではパソコンに向かった尾井がぶつぶつと呟いている。

 

「遅い、遅いな。何をやっている和泉は」

 

誰に言うわけでもない、ただ呟いている。その言葉こそ怒っている様であるが、声色も顔つきも何もかも変化が無い。

「来るのが遅い、ここは普通の人間なら怒るであろう」みたいに怒っている、説明書の様だ。

だが、その言葉を聴き心内で意見すると言う一連の行為が、ヴェールヌイ自身を機械ではなく艦娘だと認識付けているのであった。

しかし、尾井の声は小さい、それに誰に向けたわけでもない。もしかしたら、自分は艦娘でなく機械なのか、尾井の言葉に思った意見はプログラミングされた物なのではないか。

そう思っただけで、ヴェールヌイの認識は壊れ、周囲の機械の動作音がランプの点滅がまるで自分の内から発せられる物ではないかと認識してしまう。

視界が歯車のように回転する。

めぐるめぐる

まわるまわる

ぐるぐるぐるぐる・・・・

自分は思いや感情すら無い、回るだけの歯車なのか。

だが、それを破壊するが如く或いはヴェールヌイと言うこの研究室に埋め込まれた歯車を抜き取るが如く、粗雑で心地良いドアを蹴破る音が耳を通じ心に届く。

 

「遅い、何をしていた和泉」

「あ゛!?こちらとら、夕飯の準備をしてんだッ!行き成り脈絡も無く呼び出しやがって、何逆切れしてんだッ!!」

「少しだと八時半に来いと言って、九時を過ぎた貴様が言い訳を言う権利があると思っているのか?」

 

和泉はわざとかつかつと革靴の音を響かせながら、ヴェールヌイと尾井に近づく。

その声色もだが、マスクを下げた顔からも相当苛々していることに違いない。

 

「あんなぁ、こっちは飯作ってんだ!その最中にてめぇの用事を頼まれたんじゃよ、冷めないようにしねぇといけねぇだろ!!」

「だったらインスタントでも食えばいいだろう。何から何まで自分で作るなど時間の無駄だ」

 

牙を剥き出す様に吠える和泉とそれを軽くあしらう尾井。会話の内容は食事と言うテーマだが、本人達は至って真面目だ。

しかし、ああ言えばこう言うを具現化したような人間である尾井に、立て板に水と言わんばかりに喋る和泉は基本的に折れることが多い。勿論うんざりしているのだろうが、大抵は尾井との子供の様な口論は時間の無駄であるわけなのだ。

今回も、和泉は自分から話しを切り上げる。そこで終わったとヴェールヌイは思ったが甘かった。和泉が突然椅子に座っていたヴェールヌイの方に振り向き顔を近づける。

 

「テメェもテメェだ響!いつも金魚の糞みてぇにちょこちょこ付属しているくせに、なんで今日に限って一人で勝手にここに居んだよ?連絡も出来ねぇのかテメェは?ああん?」

 

鼻の先端が付くぐらいにまで顔を近づける和泉。ヴェールヌイはもう和泉の説教を聞いている場合ではない。

形の良い口、三十後半には見えないほど綺麗な肌、美しい黒髪から覗く鋭くも危険な魅力を感じる瞳。ヴェールヌイの心臓が鼓動を早め、幾らか顔を上気させた。

だが、今はそれよりもまずは謝ることが先決だ。ヴェールヌイは名残惜しく思いながらも目を伏せ謝罪の言葉を口にする。和泉はその謝罪に対し特に言葉もかけず、顔を遠ざけてしまう。

和泉をあまり知らない人間なら許して貰ったのかどうかも分からないが、長い付き合いを持つヴェールヌイは和泉がとりあえずは許してくれたと言う事を確信する。ヴェールヌイは和泉の仕草やちょっとした表情の変化や声色の上下だけでも和泉の心情をある程度は把握できるのだ。

 

「んで、俺を呼んだ理由は?」

 

ヴェールヌイに背を向けかったるそうに和泉は尾井に言う。その瞬間、彼がやや屈んだ事にヴェールヌイは気付いた。即座に座っていた椅子から立ち上がると、和泉が座りやすい位置に手馴れた動作で移動させる。

ヴェールヌイが動かし終えたと同時に和泉がどさりと先程までヴェールヌイが座っていた椅子に深く座り込み長い脚を組んだ。

 

ヴェールヌイは和泉の右隣に立つ。ふと、和泉に目を向ける、黒いコートの袖口や裾が少し汚れているのを発見する。そう言えば、和泉から執務室の留守を任されたとき彼はビスマルクとか言う艦娘の艤装を確認しに工廠に向かったのであった。

考えてみれば和泉は食事を八時までには作り終える、つまり工廠での仕事が延びてしまったのだろう、だからこそ食事を作る時間も遅くなってしまったと言う訳だ。

工廠で長く束縛された上に、執務室に帰ってみればヴェールヌイは居らず、食事をやっとの思いで作っていれば呼び出される、これは普通の人間でも怒るはずだ。

 

「まあ、先に貴様の艦娘の相手でもしていろ」

 

先程から一切こちらを見ず尾井は言う、そして煙草を咥えると火をつけた。和泉は煙草の匂いが部屋に広がった瞬間、顔をしかめる。和泉は煙草の匂いが嫌いなのだ。

和泉は煙がゆっくりと自分に近づいてくるのが嫌なのかそっぽを向く。すると、丁度良く和泉がそっぽを向けた方向に一つの影が現れた。

 

「お忙しい中ご苦労様です、提督様」

「相変らず馬鹿真面目か、シャロ」

 

シャロと愛称を呼ばれた影がゆっくりと和泉とヴェールヌイの前に姿を現すと敬礼をした。

首元まで伸びた金色の頭髪は所々撥ねている、彼女の真面目な口調とは似合わないが不思議とだらしなさは感じない。むしろ撥ねた部分が無ければ彼女では無い様に思える。

そんなシャロの身を包むのは黒だ。制服にオーバーコート、鷲章とトーテンコップをあしらった制帽どれもこれもが闇を織ったのかの様に黒い。敬礼をして捲れたオーバーコートの裏地は真っ赤だ、極め付けに黒鉤十字が夥しいほど刺繍されている。

彼女が艦娘のシャロことシャルンホルスト級戦艦一番艦シャルンホルストである。

 

「クーニャも居んのか?」

「はい、奥におります」

 

シャロが頭髪と同じ色の瞳を自分の後方に向ける。ヴェールヌイはシャロが示した場所に眼を向ける。薄暗い部屋だが今来た和泉と違いヴェールヌイは既に目が慣れているので誰かが地面に座っているのが分かる。

腰まである白髪のロングストレート、その髪の隙間から覗く肌は雪の様に白く冷たそうで、同じく緑色に光る彼女の切れ長の双眸は宝石を埋め込んだ様である。

白の制服の様なライダースーツはぴっちりと彼女の身体に張り付き、控えめな胸部を浮かび上がらせシャロとは打って変わりとても艶やかさを感じる。

だが、前に付けてあるジッパーを臍よりも下に下げ両の乳房やくるりとまるで絵画の様な臍のせいでライダースーツの素晴らしさは殆ど打ち消されている。

クーニャとこちらも愛称で呼ばれている艦娘、ボロジノ級戦艦四番艦クニャージ・スヴォーロフは和泉とヴェールヌイの視線を感じたのか、無表情な顔で会釈すると傍に置いたサーベルを抱きかかえ白のファーコートに包まった。

 

「んで、何の用だ?」

 

シャロの方に視線を向け直し、脚を組み直すと和泉は気だるそうに聞く。一方のシャロの方は定規と比喩しても良いぐらいに姿勢良く直立している。

和泉に聞かれ、シャロははっきりと聞き取りやすい声で話し始める。

 

「現在、提督様が子飼いにしている春雨からの情報なのですが、どうも鼻が利く汚らしい子犬が嗅ぎ回っているとの事です」

 

礼儀正しく真面目な口調のわりには言葉が少々汚い。

 

「あ?それは本当か?」

 

途端に和泉の機嫌が悪くなり、眼前のシャロを斬り貫く様に瞳が尖り始める。普通の人間や艦娘ならこの状態の和泉を見たら冷汗が流れ、寒気を感じる事もあるが、さすがはさすがと言った所かシャロにはまったく動じても居ない。

和泉の横でヴェールヌイも怒りを覚えていた。あの春雨とか言う桜でんぶの様な頭髪をした艦娘が、和泉の周りを嗅ぎつけていた艦娘を早くも発見した事だ。

日ごろから和泉と一緒に居ようとするヴェールヌイに取って見れば屈辱的な事この上ない。だが、春雨の情報は正確であるいくら彼女を嫌いだからとは言えその情報の真偽を疑う事は無い。

和泉の方も同じらしく、しきりに何かを呟いているがあまりにも小さい声な為聞き取れそうにも無い。聞こえないが内容は概ね推測がつく、たぶん嗅ぎ回っている艦娘への暴言であろう。

 

「んで、シャロ、テメェはそれを聞いて何をした?」

「いえ、まずは提督様のご意見を窺おうとしまして・・・・」

「職務怠慢ではないのか?和泉、得意の躾はどうした?」

 

シャロの言葉を封じる様にして尾井が会話を挟んでくる。その言葉にヴェールヌイは思わずスカートに隠された太腿部分、そこに隠している拳銃を取り出そうと腕を動かす。

尾井がシャロを馬鹿にしたからではない、その後に和泉の事をあからさまに煽ったからである。

一方ヴェールヌイの一連の行動を見ていた和泉は彼女の腕を素早く手で制する。

 

「テメェの勝手なペースでシャロの話を区切るんじゃねぇよッ!俺の艦娘をテメェがしかる権利はねぇッ!!」

「ほう、私が作るのを手助けしたにも関わらず自分の物と宣言するか?」

「育てたのは俺だ、俺の娘同然だ。それに手を出すのか?」

 

中々と恥ずかしい事であるが和泉ははっきりと言い張る。一方、尾井は和泉と会話をしていたにも関わらず視線所か身体すら向けていない、最初からあまり会話をする気が無かったのだろう。

そんな尾井は煙草を咥えながら灰皿を片手に立ち上がると、和泉の横を通り過ぎて彼の後ろに立ち煙草を吹かしている。和泉は尾井の動きから一切眼を離さず、彼が後ろに立った所でやっと視線をシャロに戻す。

 

「んで、その子犬は何て言う艦娘だ?」

「ハッ、ええ確か望月だとか言う艦娘と春雨は言っておりました。勿論、提督様はご存知だと思います」

「望月ぃ?あー、あの眼鏡か。提督の名は確か・・・・白宗正(しらむねただし)だったか?」

「ええ・・・あの、パッとしない万年三佐のド腐れ脳みそ男でございます。確か鼻と耳が聞くと有名とのこと」

 

シャロの怒涛なる嫌悪感溢れる単語を無視しつつ、和泉は静かに考え始めている。粗暴で粗雑、口調も荒く汚いイメージが強い彼だが非常に狡猾で頭が切れる。

ヴェールヌイはそんな和泉の横顔をしかと見つめる。高くすらりとした鼻、真一文字に結ばれた口元は定規で引かれた線の様に綺麗だ。

 

「まあ、今後の動きに注意をするしかねぇな。望月が目を付けているのが俺なら、こっちは出来る限り目立つ行動を抑える。ここに来る頻度も下げるしかねぇ」

「となると、目を付けられていない自分とクーニャが行動をすると言う事ですか?」

「ああ。場合によっちゃ始末するしかねぇが、極力避けなければいけねぇ。あっちがどれほどこっちの事を掴んでいるのかそれをまずは見極める」

 

和泉の命令にシャロは了解ですと力強く言う、そして敬礼を見せた。

 

「話は終わったか?」

 

様子を窺っていた尾井が珍しく和泉に聞く、いつもなら他人の了承など無視して自分の話に入る男なのだが珍しい事もある物だ。

だが、この男はやはり何か得体の知れない気配を纏う。その気配をヴェールヌイは背後に感じる、今思うと先の言葉も自分のすぐ後ろで聞こえたのだ。それが分かると途端に背筋に寒気が走る。ゆっくりと、尾井の足音が一つ響く、ぞわりと背筋が猫の様に逆立つ気がした。心臓がばくりと動く。

また一つ、足音がゆっくりと響く、その瞬間であった咄嗟に和泉はヴェールヌイの腰を両手で掴みひょいっと持ち上げると自分の右太腿の上に彼女を乗せた。

 

「し、司令官!??」

 

ヴェールヌイは突然の和泉の行為に驚いてしまう。

だが、和泉はヴェールヌイの言葉に耳を傾けず、先まで彼女が立っていた場所そのすぐ後ろに立っている尾井に鋭い視線を投げる。

 

「テメェ、何しようとした?」

「私の行為を全て悪と認識するな。ただ、横を通り過ぎようとしただけなのにな」

 

尾井はそう言うと鼻で笑い、座る和泉の横を通り過ぎる。その時であるヴェールヌイは尾井が白衣のポケットに手を突っ込んでいるのに注目する。別段、不思議な事ではないがヴェールヌイは注意深く見る。眼光紙背に徹するならぬ眼光白衣に徹すると言った所か。

尾井は白衣のポケットに手を突っ込み何やら動かしている、すると白衣のポケット越しに手ではない別の何かが入っている事に気がつく。細い円柱形の物体だ、正確な名称までは分からないが尾井が何かをヴェールヌイにしようとしたのは間違いないのだろう。

無論、和泉もそれに気付いたらしくシャロを手招きで呼んでいる。シャロは頭にはてなマークを浮かべ首を傾げながらも和泉の横につく。クーニャは尾井からは遠いので大丈夫であろう。

 

「そうそう、和泉。お前はヴェールヌイがここに一人で来た理由を知らないだろう。教えてやる、ちょっと手伝いをしてもらったのだ」

「あ、それは・・・・ん?この匂い・・・・」

「し、司令官!?い、一体何を!!」

 

尾井は椅子に座らず何かの機材に腰掛けながら灰皿を近くに置き新しい煙草に火をつけながら自然な感じで言う。

理由を教えてやると言ったわりには抽象的な言い方である。だが、和泉は察した。尾井の心を詠んだわけではない、ヴェールヌイの髪から匂う微かで嗅ぎなれた匂いに反応したのだ。

 

「血生臭ぇな。この匂い、深海棲艦か」

「シャンプーは無駄だった様だな」

 

尾井は高らかに言う、すぐにでもこの男を始末してやりたいヴェールヌイはそんな衝動に駆られ、またもスカートの下に秘めた拳銃を取り出しかける。

ここまで明確に殺意を覚えたのも久しぶりだと思ったがそう言えば望月にも覚えていたのを忘れていた。

 

「少し落ち着け」

「ぬわッ!??」

 

和泉がヴェールヌイの頭を制帽の上からがしっと押さえ回転させる、そのせいでヴェールヌイは変な声を上げてしまう。

まるで犬とかをあやす様にまわし続ける、ぐわんぐわんとヴェールヌイの視界が回っていく。ただ、何故だろうか嫌な気分にはならない。

ヴェールヌイがただならぬ余韻に浸っている、一方和泉は依然として彼女の頭を押さえ回しながら空いている左手で自身の太腿を土台に頬杖をかきながら尾井に問う。

 

「てかよ、勝手に俺の艦娘を使うなって言ってんだろ?」

「貴様に任したらこの研究室が血みどろになるだろ」

 

ふぅっと尾井は口から煙を吐き出す。微かな風の流れで煙草の煙がゆっくりと和泉の方へ向かってくる。和泉は煙を手で追いやりながら、尾井に「俺の艦娘を使うなら俺の了承を得てからだ」と言う。

しかし和泉が言った所で、この尾井と言う男は平気で約束を破るだろう。この男の前には約束や規律などは存在しないも同然だ。現に和泉が了承を得ろと言ったのはもう何度目になるだろうか、常人なら嫌になっているはずだろう。和泉も勿論の事面倒になっているはずだ、了承を得ろと言ってしまうのは尾井に対しての口癖になってしまっているのだ。

 

「んで、テメェの用件は何だ?」

「ふむ、やっと本題だな。まあ、見れば分かる。例のアレが届いた」

 

咥えていた煙草を灰皿に押し付け尾井は初めて和泉に顔を合わせる。ゴーグルに隠された瞳はどんな色浮かべているのか、人形の様に閉じられた口はなんの感情を示しているのか、まったくもって定かではない。

だが、ヴェールヌイは尾井が微かに笑みを浮かべているように思えた。笑みと言っても微笑等と言う生易しい物ではない、それではどんな物かヴェールヌイは尾井の笑みを表現する言葉が思いつかなかった。恐怖、畏怖、狂気等の有象無象にして蛇蝎の様な単語ではない、それに近いかもしれないがそんな雑多な単語で尾井の笑みやそれを含めてこの男を表現するのは生易しくは無い。

一方、尾井の言葉にぴんと来たのか和泉はニヤリと笑う。尾井に比べれば和泉の笑みが何を示すのか分かり易い。

双方の笑みを見比べるヴェールヌイ。すると、和泉が立ち上がろうとしているのを微細な脚の動きでヴェールヌイは感じ取った為すぐさま彼の太腿から飛び降りる。

しかし、何時もなら突然と立ち上がるのだが今日は珍しく少しばかり待ってくれたのだ。それはそれで優しくてもっと好きになってしまうが、何故か寂しくも感じる。

 

「早く来い」

 

尾井が急かす。普段の和泉ならここで「うるせぇ」だの言うが今の彼は届いたアレの事で一杯らしい。足取りも軽やかで鼻歌も混じっている、ここまで和泉が楽しそうにしているのはいつ振りだろうかとヴェールヌイは彼の後ろをついて行きながら思い出してみる。大抵は自分の艦娘が着任すると大喜びであったはずだ、それ以外に彼が本気で喜んでいるシーンは出てこない。

やがて、先頭を歩く和泉が足を止める。ヴェールヌイは和泉の右隣に移動し、前方に姿を現した物体をじっくりと観察する。

真っ白で形はバスタブの様な物だ、人一人が入れるくらいの大きさである。その表面にはまるで蛸か烏賊を思わせる如く幾多のパイプが繋がれ、絡み合うように床を這っている。

そこまで高さはないので、この集団で一番背が低いヴェールヌイでも余裕をもって見られるぐらいだ。バスタブの縁を胸で押し付け食い入るように中を見る。

中は水色のお湯でなく水で満たされている。入浴剤の様な色なのでリラックスが出来そうだが、すでに中には先客が居た。

美しく頬ずりしたいぐらいに滑らかそうな肌を見せ付ける少女の裸体が仰向け状態で浮かんでいるのだ。しかし、死んでいるわけではない様で液体に浸かっている未発達な胸部が静かに上下している。

和泉はこの少女の薄く金色が混じった白色の髪を弄り、なれどその顔はやや歪めながら尾井に向かい不満を吐いた。

 

「あのよぉ、なぁに勝手に実験してんだ?」

「今日届くと知っていたにも関わらずカレーなど作っている貴様が悪い。自分の艦娘ならとっと取りに来るべきだろ」

 

だからと言って実験をするのはさすがに業腹であるが案の定尾井は悪いとは思っていないようだ。和泉の方も尾井の回答よりも、また彼が新しい煙草を咥え、火を点けた事の方が重要らしく、自身に煙が纏わりつく事よりも灰がバスタブ内に落ちないか見張っている。

ふと、ヴェールヌイは自分の隣にシャロが立っている事に気付く。シャロも興味津々と言った感じでバスタブ内の少女を見ている。やや身を乗り出して見ているので、胸のポケットに引っ掛けた黒縁眼鏡が落ちそうになっている。

クーニャの方はと言うとまったく興味が無いのだろう、依然として同じ位置で眠っている。

 

「ドイツの方で秘密裏に製造された艦娘、それも潜水艦とは驚きだ。どうやら、ドイツの技術力を少々侮っていたようだ。あんな瑣末な土地の癖によくやる」

「ハッ、艦娘を海上でなく海中で戦わせる発想がすげぇだけだろ?」

 

尾井と和泉は二人して不敵に笑う。今度の笑みは先程のとは違う、純粋に不敵な笑みだ。しかし、幾分尾井の方はやはり一癖も二癖もある笑みに変わりはない。

不敵に笑みを浮かべながら和泉は手を伸ばすとそこに眠る少女の美しく愛くるしい顎のラインを上から下へと人差し指で撫でる。

少女がゆっくり瞼を開け、瞳を見せる。バスタブ内の液体の色よりも濃くそれで居て澄んでいる様に思える青色の瞳だ。曇りも無い、純粋な瞳はこの場には似使わない。その瞳は真っ直ぐに和泉の黒い瞳を捉えた。

この場の誰よりも淀み汚れたその瞳、深い黒は海よりも多くの物を飲み込んでいく。少女の青き瞳もその瞳に吸い込まれそうな勢いであった。

しかし、和泉は珍しくキョトンとした表情を見せた、彼のこんな表情を見るのはヴェールヌイにとっても初めてである。少女の顔に変化は無い、それでも何かを感じ取ったのだろう和泉はまるで人が変わったように笑みを見せる温かな笑みだ。まるで娘を見る父親の如き瞳だ。

ヴェールヌイはその笑みに覚えがある、彼と初めて出会った時もこの笑みで迎えられた。その笑みを思い出しながら、ヴェールヌイは視線を少女が逸らし研究室の壁を見る。もしこの部屋に窓があれば月が見えただろう、しかし考えてみるとこの研究室は地下にあるどちらにせよ月は見えないというわけだ。

尾井がバスタブ内の少女に背を向けその縁に腰掛けると煙を吐いた。もわぁっと広がる煙が研究室内に広がる、月に群雲とは言うがこの煙はそれよりも性質が悪い。




提督情報

名前 前原 高也(まえはら たかや)
性別 男
誕生日 四月二十九日
出身地 山口
階級 二等海佐
好きなもの ブラックコーヒー
嫌いなもの 掃除 甘い物
趣味 ネットショッピング
好きな銘柄 わかば ゴールデンバット エコー
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