「ルーナ。その魔剣を今すぐ折らせろ」
「駄目だってば、ダンテ」
路地裏での死闘から数時間後。ダンテが相手をしていた満身創痍の女性をDevil May Cryの事務所の一室に休ませ、残党の悪魔狩りをトリッシュに任せて今回の事件の当事者の1人であるルーナは何が起きたかをダンテに説明していた。
自分の父親である悪魔が自分を迎えにきたこと。彼の狙いは悪魔と人間の間に生まれた存在にあったこと。今までの様子をムラマサが彼に報告していたらしいこと。そして、その当のムラマサが自らの主を裏切り辛くも自分の父親を消滅に追いやったこと。
それらの話を聞き終えたダンテが開口一番言ったことが、先ほどのものだった。
「色々あったかもしれないけど、結果的に助けてくれたんだから」
「結果論だな。だが、もしこれ以上何か起こしたらすぐそいつは質屋の蔵入りだ」
「ムラマサは私のこと気に入ってくれたみたいだし、大丈夫だよ」
根拠のない発言ではあったが、今はそれで我慢するしかない。ダンテは呆れたように肩を竦めた。ムラマサを彼女の育ての父親のものだと勝手に判断した自分の落ち度のせいでもある。
まさか家を破壊している方の悪魔が彼女の父親だとはその時は思いもしなかった。彼の父親が誇り高き剣士であり、自分もその血を引き継ぐものとしての自覚を長年持ってきていた彼だからこそ、人と結ばれる行為が悪魔に芽生えた心からではなく打算から生じたものだと考えられなかったのだ。
「上で寝てるお姉さん、パパは私と同じように自分の作品だって言ってたんだよね。以前も姉がいるって言ってたし。もしかしなくてもお姉さんなのかな」
「姉妹、ね。なら感動の対面でもしてきたらどうだ?」
「うん、でもその前にご飯作ってくる」
姉妹、という慣れない単語を口の中で転がしながら彼女は台所へと消えていった。先ほどまでありあわせの食材で御粥らしきものを作ると言っていたので、顔合わせの際に持って行くつもりなのだろう。
彼女らの再会が己のそれよりも安らかなものであればよいが、とダンテは思う。1年ぶりに顔を合わせて、ついでに剣をぶつけ合うような感動の再会はごめんだ。
そんなことを考えていると、事務所の扉が開きトリッシュが現れた。自慢のブロンドはやや乱れ、衣服に砂が複数付着している様子からすると残党の始末も楽なものではなかったようだ。
「よくも面倒なことを押し付けてくれたわね、あなたも働いたら?」
「俺は週休6日制でね。さっきの戦いで既に1日使い果たしたんだよ」
「本当に腹が立つわね。それはともかく、残りはもういないはずよ。どうやらあのカプスとかいう悪魔、何らかの手段で一時的に人間界と魔界の境目を無理矢理広げたみたいだったわ」
「流石、科学者を名乗っていただけあるってところか」
「どうかしら?」
軽口を叩きあいながらトリッシュは帰宅早々ダンテが頼んだピザを断りもなく一切れ取り、食べ始めた。
ダンテは一言文句を言いたそうな顔をしたがトリッシュの無言の圧力に気おされて肩を竦めるにとどめた。つくづく、今日は女運が悪いらしい。
「ところでダンテ、ルーナのことなのだけれども」
「なんだ? 教育方針が、なんて母親みたいなことでも言うつもりか?」
「本当はそれも気になるところだけれども……」
悪魔である自分が言うのもなんだが、こんな男の家にいたら真っ当な教育を受けられないんじゃないかとトリッシュは危惧していた。けれども、当のルーナは早々にダンテの日常生活においての駄目具合を見抜いて意外とその点は自主的に解決を試みていた。
ダンテの事務所を度々訪れる来訪者たちの協力もあって、悪魔の血のこともあり学校に通うことを拒否していてもそれなりの教養を身につけることはできている。
だが、それに加えてトリッシュが気にかかることはもう1つあった。
「私も話を聞いただけだから何とも言えないのだけれども、どうも普通の子供らしくない子供ね」
「悪魔の血が混ざっているだけで十分普通じゃないと思うが?」
「そういう話をしているわけじゃないわ。考え方とか物の見方とか、そういうことよ」
「考え方ねえ……」
漸く年齢が2桁に届くような年の子供が何を考えるものか、などということは2人には分かるわけもなかった。ダンテは既に彼女の3倍近い年を生きているため昔の幼少期の自分の気持ちなど覚えているわけもなく、
トリッシュに至っては生まれたのはつい数年前であり、生まれた当初は悪魔の1人として生きていた。だが、彼女もダンテもルーナの振る舞いが常人のそれとずれていることには薄ら気がついてはいた。
ダンテはそれは両親を失ったためのトラウマのようなものと納得をしていたが、出会ったばかりのトリッシュには奇異なものとして写っていたのだ。
「少し気を付けた方がいいと思うわ。私はもう行くけど、あなたって女性の扱い方分かってなさそうなんですもの」
「失礼な奴だな。女性のエスコートの仕方は心得ているつもりだが?」
「そう思うなら彼女に直接聞いてごらんなさい。ピザの空き箱を片付けてから言えって怒られるわよ?」
トリッシュはダンテが頼んだピザの実に3分の1を平らげて、悪びれもせず言葉を残すと再び魔の眠る夜へと繰り出していった。
その後、自分の夕飯にすると残り3分の1のピザもルーナに徴収されていったのだった。
***
トリッシュがダンテと話している頃、ルーナは台所で鍋をお玉でかき混ぜながら自分の背中に提げている魔剣に話しかけていた。
「ムラマサ、名前があるなら、何で名前がないなんて言っていたの?」
『我は名前というものに執着がない。貴様の父は我の名を知っていたからその名で呼んでいただけのことだ』
「……じゃあ、今はダンタリオンって呼んだ方がいい?」
魔剣は暫しの沈黙を挟んで、再度口を開いた。否、口はないが声を発した。
『好きにするがいい。元より既に姿を失った身、名などただの記号に過ぎぬ。我は貴様の在りようの方が興味深いのだからな』
「変なムラマサ。いや、ダンタリオンさん、かな? 悪魔の姿を失ったって魔剣の姿があるんだから、きちんと名前で呼んだ方がいいと思うんだけど?」
例えばダンテの持つリベリオンのように。或いは彼の持つ銃であるエボニーとアイボリーのように。名がないものには名を授けるべきである、というのがルーナの基本的な考えらしく珍しく納得せずに食い下がっていた。
だが、ムラマサは鼻で笑うような音を漏らした後、
『我の姿も既に原型をとどめておらぬのに、何故今更名などに執着する必要がある?』
「……え? どういうこと?」
『魔剣としてあの男に協力する際、あの男は自分が使いやすいように我の姿に手を加えた。奴のおかげで手に入れた力もあるし、貴様らの言葉で言うなら『終わりよければ』というやつだろう』
魔剣といえばダンテの持つような大剣とムラマサしか見たことのない彼女は、小首を傾げて背中からムラマサを外してその鞘を払った。
台所の蛍光灯の明かりを反射して、刀身が鈍く輝く。東洋の刀の姿に似たその魔剣は、ルーナの動揺を無視して平然と告げた。
『我が言ったはずだ。策を弄して数多の者を生み出す技術を持つ、とな。奴はモノを生みだし、作り変える技術に長けておる。我はそこに悪魔の可能性を広げる者として、奴の価値を認めていた』
「それがムラマサとパパの出会い?」
ルーナの問いかけに魔剣は答えない。機械的に鍋の中のスープをかき回しながらルーナは彼の答えを待った。まるまる5分ほど経った頃、漸く魔剣は続きを語った。
『我は生まれながらにして他者の心を読めた。そして心を読むことで相手の体の主導権を奪うこともできた。だが悪魔の心は単調だ。我はすぐにその力と魔界に飽きてしまった。そんな我に悪魔を作りだし、
時にその外見も力も好奇心の赴くままに変貌させていたカプスは、我に新たな世界を見せてくれると、感じたのだ』
「パパとは友達だったの?」
『……友達? 人の概念のソレとは大きく異なっていたが、貴様らの言葉で言い表すなら腐れ縁、という言葉がふさわしいだろう』
ムラマサの声音は、自ら殺めた相手のことを憂うことも懐かしむこともないあっさりとしたものだった。ルーナはそれをさして気にすることもなく、淡々と続きを促した。
『だが、やがて奴の好奇心にも我は飽いた。所詮奴が生み出すのは悪魔。悪魔の心は所詮悪魔だ。我が今まで見てきたものと何ら変わらぬものに過ぎぬ』
「……パパのこと、裏切って、辛くないの?」
ふ、とムラマサはその質問をするルーナが、いつになく真剣な瞳をしていることに気が付いた。何故彼女がこの質問に拘るのか。当然今の魔剣に分かるわけがなく、彼はただ返事だけをした。
『素より互いに信頼をしていたわけではない。ならば、裏切るも何もないだろう』
「そういうものなのかな……。パパは裏切ったって怒っていたようだけど?」
『一方的に頼り、それに対して見返りが不十分であったことを貴様らの言葉では裏切りと言うのか?』
ルーナの声が、息が瞬時止まる。何が彼女の心の琴線に触れたのか分からないムラマサは、ただ彼女の心の自覚していない深い部分にざわつきのようなものが生じたことだけ読み取っていた。
やがて彼女はいつものように軽口を叩きながら、再び調理に専念し始めた。
スープらしき何かと評すべき料理が出来上がった頃、ルーナは漸く彼に再度話しかけた。
「ともかく、ムラマサ……じゃない、えっと、ダンタリオンさんが私の魔剣でいてくれるのは嬉しいかな」
『言いにくいなら、無理して呼び直す必要もない。貴様が内心言いづらいと思っていることも、手にとるように分かるのだからな』
「本当にムラマサは優しくない」
ルーナはコンロの火を止めながら、ふてくされたように言う。彼女なりの流儀を覆す形となったが、結局ルーナは魔剣のことを引き続きムラマサと呼ぶことにした。
「でも本当の姿があるなんて、何だか漫画みたいでかっこいいね。今は見せてくれないの?」
『さてな』
ルーナの興味津々の問いかけにつれない言葉を投げ返し、ムラマサは再び沈黙に徹してしまった。
心を読めるが心が分からない悪魔は、心を知るために1人の少女を選んだ。最も不自然な歪みを抱えた幼い娘は、そんなことも露知らず鼻歌交じりに姉の元へ向かって行った。
***
目を開けるとそこは、見慣れない一室の天井があった。自分はどうやら寝ているらしいと気が付き、そして全てを思い出した。
自分を作ったと言う男につけられた傷が、突然痛みを伴ってうずき始める。あの後は我武者羅に、目に見える悪魔らしきものを斬り伏せながら闇夜に紛れるように移動していたと彼女は記憶していた。
ミティスの森の遺跡の中で悪魔にその身を委ねた時よりは記憶が不鮮明なのは、どうやら体の傷が癒えないままに悪魔の力を行使した代償のようだ。
「生きているのか……」
そして何よりも、自分が生きているという事実。喜んでいいのか悲しんでいいのか、それすらも今は曖昧になっている。
あのまま死にたかったと思うと同時に、もしかしたらまたネロ達に会えるかもしれないという可能性に安堵している自分もいる。
ひとまず現状を把握するために、体を動かさないようにしてクラリスは首を部屋の扉の方へと向けた。
着替えが詰め込まれたタンスに、散らかった日用雑貨。恐らくは誰かが普段自室として使用している部屋なのだろう。服の大きさからして、幼い子供の部屋だろうか。
そんな部屋には不釣り合いな、無骨な剣――カリバーンが無造作に壁に立てかけてある。自分の着ていた血まみれのコートや衣服は畳まれてベッド脇の机に置かれていた。
その時、扉のノブが周り1人の少女が部屋に入ってきた。月光が照らし出した彼女は、クラリスの予想通り小柄な少女の姿をしていた。
髪は宵闇のように黒く、瞳は紫水晶のような色をしている。おさげにした髪がぴょこぴょこ動いて年相応の愛らしさを示していたが、クラリスは彼女を見て不自然さを感じた。
孤児院で幼い子供たちの相手を毎日のようにしていたことがあるから分かる些細な違和感を見た瞬間に覚えたのだ。
「(嫌われている……?)」
あからさまな嫌悪感を示しているわけでもないのに、彼女は目の前の少女に距離を置かれているように思った。
そんなクラリスの疑問などつゆ知らず、少女はいそいそと椅子を足で引っかけるようにしてベッドの側に引きずり、両手の上に載せたスープのようなものを入れた器と、どういうわけかピザを数ピース載せた皿を置き始めた。
「夕飯の残りでごめんね。とりあえず作ってみただけだから味は保証できないと思う」
そう言いつつ、彼女は床の上に座りこみ、ピザを食べ始めた。その姿はまるでリスのように見えて、クラリスは思わず笑いを零す。先ほどの違和感はただの勘違いだったのだろう。
「食べてもいいのか?」
「お腹すいてるでしょ。魔人化っていうやつ、すっごく悪魔の力使うって聞いたよ。私もムラマサの力使うとふらつくから、お姉さんもきっとそうじゃないかと思って」
そっと器と匙を手にとったクラリスは、手にとったばかりの匙を落としかけるところだった。
目の前の少女が言った言葉は彼女の知りたいことを全て内包しているように聞こえた。
「……魔人、化?」
「見た目まで悪魔にもなっちゃうこと。ダンテもたまにふるひゃひいけど」
途中でピザを飲み下し、少女は少し嬉しそうに語る。ダンテ、という男はあの路地裏で戦った彼のことだろうか。
「こう、がーっと魔力放出すると私たちみたいな悪魔と人間の血が混ざってると悪魔の姿になるんだって」
「私たちみたいな……?」
『ルーナ、少しは落ち着いて話をしたらどうだ』
突如第三者の声が加わり、クラリスは咄嗟に身構えようとしたが両手には器、体はぼろぼろの状態ではどうすることもできず、寧ろ体を動かした衝撃で生じた激痛に顔を歪めてしまった。
少女の方は驚くこともなく、自分が背中に負っていた長い棒のようなものを取り出す。彼女が鞘を払うことで、漸くそれが剣の一種であることにクラリスは気が付いた。
「ムラマサ、驚かせちゃダメじゃない」
『貴様が要領を得ないことばかり言うからだ。まずはそこの女に何が起きていたか話すのが先であろう』
「りょーかいしましたっと。えっと、お姉さんは悪魔みたいな姿で悪魔狩りしてたみたいなんだけど、悪魔を追っていた私とダンテの所に来ていきなりダンテに斬りかかったの」
事務所に戻るまでに彼から聞いた戦いの顛末を話すルーナという少女。とはいえ、話としては支離滅裂なことを口走る悪魔の正体が不完全な魔人化を起こして暴走していると気が付き、多少の怪我はさせてしまったがそれを止めたというだけの簡潔なものだった。
彼女の話すダンテという男の強さに今は感謝するしかないとクラリスは思う。そして自分を生かそうとしてくれたことにも。
「私はその間パパと戦ってたんだけど……」
「父親? どうしてそこにお前の父親がいたんだ?」
「だって、私のパパは悪魔だから」
唐突な告白にクラリスは眩暈を覚えて、気を取り直すために彼女が作ってくれたスープらしきものを飲んだ。
ありったけの野菜を煮込んで塩コショウだけで味付けしたような素っ気ないものだったが腹が空いていたので、味は気にならなかった。
「それに、きっとお姉さんのパパでもあると思うよ」
「確かに私は……悪魔の男に悪魔として作られたと言われたが……」
「パパが私たちのことを指して、自分が作ったって言ったから。話すと長くなるんだけど……」
彼女はピザを食べつつ自分たちの戦いを語る。それは彼女の言うように長く、ネロよりも年下の少女が悪魔と渡り合ったという驚きの連続に満ちた話であった。
ルーナと名乗る少女が実の父である悪魔に家も家族も壊されたことも。ダンテという悪魔退治の専門家のような男に助けられたことも。そしてつい先ほど、再会を果たした後に討ち取ったことも。
ルーナは何でもないことのように、世間話のようにクラリスに語って聞かせた。
見知らぬ相手に、例えそれが彼女の言うように腹違いの姉だったとしても聞かせるには重く苦しい話だろうというのに、少女が過去を思い出して辛そうな顔をするようなことは1度もなかった。
「……つまり、私とお前の父親は悪魔で」
「私のおかーさんは人間だったから、私は半分悪魔ってこと。お姉さんもそうなんじゃない?」
あの男から聞かされた時は、まるで自分が頭のてっぺんからつま先まで悪魔に染まったような絶望を覚えたが、今落ち着いて考えればルーナの説明は腑に落ちる点が多い。
悪魔は人に化けることもできるが、まったく無自覚のまま幼子の状態から今まで育つというのは些か無理がありすぎる。
「そうか……。それでも、私には悪魔の血が混ざっているんだな」
そうは言っても、フォルトゥナ島でキリエの両親を殺したあの悪魔たちと同種の血が流れているということは、クラリスにとっては嫌悪感を齎すには十分すぎる情報だった。
自分が殺してきた憎い相手と自分が同じものを共有している。例え半分が人間であったとしても、それに何の意味があるのだろうか。結局自分は悪魔に呑まれてしまったのだから。
腑に落ちる現実と納得したくなかった事実、全て理解してそれでも受け入れることができず、心の容量が耐え切れずに彼女の瞳から雫が零れ落ちた。
いつからこんなに自分は泣き虫になったのだろう。辛い現実を泣いて誤魔化しても、決して解決するわけでもないのに。
そう思った時、少女は言った。
「Devil never cry(悪魔は泣かない)」
顔をあげれば、真顔の少女がそこにはいた。先ほどまでのつかみどころのない雰囲気はどこへやら、年不相応の落ち着きが今の彼女からは滲み出ている。
「2年前、私は悪魔の力のせいで大暴れしちゃったの。私は悪魔の力が怖かった。そんな力を持ってる自分が信じられなかった。でも、ダンテがこう言ってくれた」
クラリスの目に光る涙を見つめて、彼女は笑った。慰めるように、大丈夫だよ、というように。
「涙は人間だけの特権だよ。これも、ダンテの受け売りだけどね」
先ほどまで纏っていた空気はどこへやら、ルーナはおどけたような身振りでその場でくるっと回ってみせた。
わざと道化を演じているのか、それとも子供特有の無垢さから生じたものか。彼女の振る舞いは悪魔の子であるという重責をものともしないぐらい、邪気がなかった。
「私は、守りたかった人を傷つけてしまった。守れなかった。それでも、私は人間なのか……?」
「どうだろうね。それを決めるのはお姉さん自身だよ」
クラリスの顔を覗き込むようにして、少女は微笑む。
「まだ自分のことが信じられるなら、自分の可能性を信じてみたらいいんじゃないかな」
自分よりもずっと幼い少女は、自分よりもずっと大人びた考えを持っていた。それが悪魔の力を持つという事実を突きつけられた少女が得た処世術なのだろうか。
ダンテという男の影響もあるのだろうが、彼女は自分のように揺らぐことなく生きていると感じられた。
「あなたは……自分を信じられているのか?」
迷うことなくルーナは言う。
「うん、ダンテがそう言ってくれるから」
ルーナはクラリスが飲み干したスープの器と全て平らげられたピザの皿を手に持って踵を返した。階下へと向かおうとする彼女はふ、と振り返りクラリスを見つめて言った。
「でも、お姉さん、おかしなこと言うんだね」
「何か変なことを言っただろうか?」
「だって、なんで守れるほどの力もないのに守りたい人を作っちゃったの?」
クラリスの息が止まった。
それだけを言って、ルーナは姿を消した。鼻歌交じりに、ダンテのいる階下へ向かって。残されたクラリスと、ムラマサは何も言えずに彼女を見送った。
クラリスは実際に瞬時呼吸を忘れて彼女の残した言葉の残滓にとらわれていた。彼女が嫌味で先ほどの質問をしていたわけではないことは、彼女の邪気のない問い方から分かっている。
だからこそ分からない。本心からの裏表のない問いかけが、先ほどまでの励ましと乖離しすぎていて理解が追い付かない。
「今のは何だったんだ……」
『半分人間の貴様でも分からぬか』
再度ムラマサの突然の発言に驚くも、2度目ともあれば、そしてルーナから説明を受けていたこともあってすぐに驚きから立ち直りベッドの足下に転がっている刀に目をやった。
触れた者の意識を乗っ取るという話もあったので触ろうとは思わなかったが、無駄のない洗練された造形は目を惹くものがある。
『我は心を操る悪魔だが、我自身は心を知らぬ。だからこそ自らの策で悦に浸るような軟弱者ではなくルーナを選んだのだが、なるほど、これは我ながら良い選択をしたものだな』
「あの子が、私の妹だというのか……」
『貴様も我の元の主に家族を奪われているが、ルーナは奪われるだけでなく拒絶された』
「……待て、何故私が小さい頃に悪魔に襲われたことをお前が知っている?」
『知れたこと。貴様の家族を皆殺しにし生み出した作品であるお前を絶望に染めて悪魔に仕立てようとしたのは、他ならぬルーナが屠った父親だからだ』
クラリスは思わず天を仰いだ。自分が小さい頃味わっていた家族という幸せを壊したのもまた、父親という家族の1人だったのだ。もし自分がそのまま捕まっていたら、その時は本当に悪魔となっていたのだろう。
たまたま"彼"が通りかかってくれたからこそ助かったが、改めて事件の裏側を知るとぞっとする話であった。
「それで、ルーナが拒絶されたというのは?」
『それも奴の策だったのだろう、奴は我の力を用いてルーナの母に「お前さえいなければ」とルーナに向けて言わせた……はずだ。我が直接操ったわけではないから、もしかしたら母親が自発的に言った言葉かもしれぬ。今となっては分からぬことだ』
まだ10にも満たない子供が実の母親に、まして今際の際に母に拒まれたのなら、その時彼女は何を思ったのだろうか。クラリスの想像を遥かに超えた暗闇をルーナはその時からずっと覗き続けていたのだろう。
孤児院で長年過ごしていたこともあって大抵の子供の扱いには慣れていたつもりだったが、クラリスは先ほど笑っていた少女のことを、単に大人びているだけとはとても考えられなかった。
きっと彼女は今でも、心の中で悲鳴をあげているのではないだろうか。
『それで、貴様はこれからどうするつもりだ? 貴様が元いた場所に戻るつもりか?』
「……いや、少し落ち着いて考えさせてもらいたい。戻るのか、残るのか」
『好きにするがいい。悪魔は破壊するしか能がないが、貴様は人間だからな』
ひとまずは自分が剣を交えたダンテという男に詫びの1つでも入れなければとクラリスは思い、だが疲労により押し寄せる眠気に耐えることができず、彼女はその身を寝台に横たえ眠りに落ちた。
***
明けて翌日、クラリスは概ね回復した体にコートを纏い階下へと降りていった。せめて、自分が戦ったあのダンテとかいう男に礼の1つでも、と思っていた。
果たして、彼はそこにいた。
早朝であったためかルーナのいる気配はしない。雑誌を広げてアイマスク代わりにうたた寝でもしているのかと思いきや、クラリスが近づくと男は雑誌をどけてこちらを見てきた。
「その、昨晩はすまなかった。我を忘れていたとしても、迷惑をかけた」
「お互い様だ。腹の傷で貸し借りなしとしようぜ」
悪魔の父親につけられた傷跡と別にあった腹の傷は、やはり目の前の男の手によるものだったのか、とクラリスは自分の記憶に相違がないことを確認する。
一晩休息をとったことで悪魔の血が混ざっている己の体は驚くべきほどの回復能力を見せていた。火傷のほとんどは完治しており、悪魔の男につけられた腹の刺し傷ももう塞がっている。
「迷惑ついでに1つ聞きたいのだが……」
「それは内容にもよるな。それで?」
「バージルという男を知らないか? あなたと同じ顔をした、日本刀使いだ」
クラリスは最初、目の前の男がただ銀髪であるという共通点を以て、嘗て悪魔に襲われた際に自分を助けてくれた男――バージルという男と決めつけていたのではないかと自身を勘ぐっていた。だが、今明るい場で彼の顔を見てクラリスは確信した。
確かに年齢相応の凄味のようなものが加わっているが、目の前の男はあの男――バージルそっくりだ。兄弟でもここまでは似るまいというほどの瓜二つの顔。自分が勘違いをするのも無理もないというものだ。
クラリスはフォルトゥナ島に渡ってからも、ヒーローのように自分を助けてくれた男のことを、バージルのことを忘れたことはなかった。
彼は彼女の中で英雄であり、手を届かせたい憧憬の存在だ。だからこそ、漸くその消息を知ることができるのではと期待をこめてダンテに尋ねたが、
「バージルは俺の兄貴だ」
答えるダンテの顔は、薄らと沈痛なものを滲ませていた。まるで古傷に触れられたかのように、何でもないように振舞いつつも何かがあったことをにおわせる声だ。
「あいつは……バージルは、もういない」
「……そうか、すまない。悪いことを聞いた。小さい頃悪魔に襲われた所を助けてもらって、その後世話になったものだから会えたらと思っていたのだが……」
「小さい頃ね。珍しいこともあったもんだ」
だが、自分たちの境遇を思えば悪魔に襲われて泣く幼子をバージルが放っておかなかったという話は、不思議とダンテの中でしっくりきていた。
きっと彼は自分がルーナにしたようなことはしていないだろう。だが、それが救いとなって今目の前にいる者の生きる道を確かに繋いでいる。
「ルーナから聞いたがクラリス、とか言ったか。御嬢さんはこれからどこへ行くつもりなんだ?」
「正直、まだ迷っている。もし自分の中の悪魔がまた急に目覚めないとも限らないからな」
「昨晩のも突然だったのか?」
「いや、あれは……私の父親が私のカリバーンを私に刺したから、だと思うが……」
彼女が背中に背負う大剣をダンテに見せながら、自分の身に起きたことを語り始めた。悪魔の力を制御できず自分の弟のような存在に殴り掛かったことも。悪魔の力を恐れるあまり、目の前で守るべき人を失ったことも。そんな自分を消してしまいたいと思ったことも。
ダンテは黙ってそれを聞いた。何も言わず、ただ全てを聞くことにした。
全てを語り、クラリスは首を僅かに横に振りながら自嘲するように言った。
「正直、私はルーナのように悪魔の力を制御できる自信がない。彼女は全く自分の力を恐れているようには見えなかったよ」
「それを言うなら、俺は制御なんていう小難しいことは考えたことがないね。だが、あんたを見ているとあいつが、俺の友人が言っていたことを思い出すな」
ダンテは足を机に投げ出すように座り直しながら、嘗ての自分もこんな風にここで座って話を聞いていたことを思い出す。その時目の前にいたのはクラリスでもトリッシュでもルーナでもなく、昔なじみの知り合いだった。
「『悪魔の血をひくものは、人間と全く同じ存在にはなれない。心をどれだけ近寄らせても、同じにはなれない』」
そ の時をなぞるようにダンテは彼の言葉を口にする。悪魔と人間の間にうまれた自分が力を持て余していて苛々していた頃、何故そんなに彼は飄々と何事もないように生活できるのかを問いかけた時のことだ。
彼はもっともらしい口調でこう返したのだ。
「『けれども、人の心を持った悪魔にしかできないことがある』。そいつはそう言ってそれが何だか俺に尋ねてきた」
「それに対して、あなたは何と?」
「答える前に言われたさ。『悪魔から人を守ることができる』とね」
丁度、今クラリスが立っている位置で彼はいつもの笑みを崩さずに言った。その時まで直感のように悪魔を憎み屠ってきた自分は、彼が語ることを聞くことで初めて理屈で悪魔を滅する理由の1つを知ったのだ。
「俺たちは確かに血だけを見れば人間ではない。だが、悪魔の血に悲観することもないんじゃないか? あんたは悪魔の姿をしていても決して人を傷つけることはなかったと聞いている」
クラリスはダンテの最後の言葉に、はっと驚きの表情を浮かべた。悪魔になっても自分は心の底まで悪魔になっていたわけではなかった。
無意識に人を傷つけていたのではないかという恐れは、目覚めた時から見ないふりをしていたが抱いていたものだ。
しかし、ダンテの言葉が彼女の中で安直に救いと結びついたわけでもなかった。
フォルトゥナ島では悪魔という存在は、どこをどう切り取っても悪にしかなりえなかった。案山子のような悪魔、トカゲのような悪魔、どれも島民の大事な者を根こそぎ奪っていこうとしている。
それに抗うための魔剣騎士団であり、クラリスも騎士団員として悪魔を敵として戦ってきていた。だからこそ、悪魔の血に対して強い忌避感を覚える。まるで呪いのように疎み、排除しようと考えてしまう。
だが、目の前の男やルーナはそれを守る力として昇華させている。得体の知れない力を持つことに絶望するのではなく、自分の一部として受け入れて活用している。クラリスにとってそれは、全くの新しい悪魔への考え方だった。
「そうだな……。暫くあなたやルーナを見て、考えさせてもらうとするよ。私と私の力の在り方を」
望まない形で目覚めた悪魔の力を、今すぐに受け入れることはできない。それでも目の前のこの男のように、昨晩話をした妹のように、自然に自分が悪魔の片親を持つことを受け入れるようになれたらば。
クラリスは胸に僅かな、しかし確かな希望が芽吹いたのを感じた。
まずは間が空いて申し訳ありませんでした。
11月初めに風邪をひき、その後仕事が猛烈に忙しくなりPCに向き合う時間すらまともにとれなかったため、長引いてしまいました。
今回は死闘の後の後日談です。
初めての姉妹の邂逅は武器こそ交わさなかったものの、クラリスにとっては心穏やかとはいえないものでした。
ルーナの価値観はかなり極端なものなので、クラリスにとっては到底理解できないものでした。
一方理屈で悪魔と人の混ざりものの自分を認めさせるために、ダンテはとある友の言葉を引用しています。
ダンテ自身が明確にこういう理由だから悪魔を倒す、と理屈をこねくり回しているわけではないと私は感じています。
一方クラリスはこの時点では寧ろ理屈で作り上げた理由を欲していたので、らしくないアドバイスという形をとりました。
次回からアニメの時間軸に話は移っていく予定です。
相変わらず遅筆ですが気長にお待ち頂ければ幸いです。