世界が揺れている。
二日酔いでもしたかのように、目に映る景色の振動が止むことはなかった。ぐらぐらと、地震でも起きているかのように足下の地面が唸り声をあげる。
遂に足元すらもおぼつかなくなったと思った時に、自分がいる建物ごと崩壊しかけていることに気が付く。
その建物は一見壮麗な白亜の宮殿を思わせるものだった。
神を祀り、祈りを捧げるような神聖な場所は今はあちこち焼け焦げ、傷だらけになっている。
そして今、長い歴史の終わりを告げるように崩壊を迎えようとしていた。
「ダンテ!!」
一瞬誰を呼んでいるのか悩み、それが自分の名であったことに気が付く。そして何もかもを理解した。
立っているこの場所はマレット島の最奥、魔界の王である魔帝ムンドゥスがいた場所だ。魔剣スパーダの力と自身の力を以て魔帝の復活を阻止した直後、まるでムンドゥスと共に島も滅びようとしているのか、島全域が崩れ始めたのだ。
この戦いがあったのは今から数年前。ベッドで現在の自分は高いびきをかいてるはずであり、つまるところこの風景は過去の情景を見ているだけ、即ち夢ということだ。
「(なら、俺を呼んだのは――)」
夢を見ている当の本人は、過去の瞬間を追体験することしかできない。自分の意思などお構いなしに体は勝手に声に反応した。
振り向いた先にいたのは黒髪の男だ。
体の各所から血がにじみだしており、ムンドゥスとの激戦に彼が少なからず助力してくれたことを物語っている。
そんなことにも、その時は気づけなかった。
「早くここから出ましょう。留まり続けるのはきけ……」
注意を促しに駆け寄ってきた青年が、目の前から消える。
否、彼の立つ床が崩れ落ちたのだ。
目の前から消えようとする、彼が伸ばした手を自分は、『今度は』しっかりとつかむことができた。
自分は何と言ったのだろう。
『すぐ助けてやる』? それとも『肝心な所で間抜けな奴だな』?
ただ、自分のかけた言葉は彼の耳に聞こえたはずなのに、彼の心には届かなかったのは確かだった。
彼は笑っていた。自分の失敗を誤魔化す為でも、助けられたことに安堵したわけでもなく、寧ろ全てを諦めたような微笑だった。
彼が、何と言ったのかも覚えていない。
けれども、その顔を見て、自分が酷く慌てたことは覚えていた。
青年は、掴んだ自分の手を自ら振りほどいて、瓦礫の沈む海の底へと落ちていった。
「――――っ!!!」
彼の名を叫んだ。
喉も裂けよと、声さえ届けば助かるのではないかと縋るように叫んだ。
今度こそ掴んだはずの手が、拒絶されるように振りほどかれた。それを理解したのと、自分の足下が崩れるのはほぼ同時だった。
***
「お泊り会?」
「そう! クラリスに昨日たまたま孤児院で会って、二つ返事で了解してくれたの」
パティのうきうきした声とは裏腹に、ルーナは訝しげに問いかけて眉を顰めた。
例のローエル家遺産相続事件が終わってから、パティは度々DevilMayCryの事務所に訪れていた。
汚い事務所の掃除をするルーナを手伝うため、と言ってはいたが何だかんだ言いながらパティもダンテと、そしてルーナを気に入っているのだろうというのがクラリスの談だ。
ダンテを気に入っているという点はルーナも賛同したが、自分が気に入られるという感覚は未だにはっきりとは分からない。
そんなルーナの気持ちを知ってか知らずか、パティはしばしばやってきてはルーナの掃除を手伝ったり一緒に料理をしたり、たまにパティが持ち込んだ服の着せ替え人形にされたりしていた。
「何はともあれ、よかったね。楽しんできて」
「何言ってるの? ルーナも行くのよ」
「はぁ?」
ルーナは掃除に使っていた雑巾を、危うく引き裂くところだった。
何とか理性を取り戻し、バケツの中に雑巾を叩き込んでパティを威嚇するように睨みつける。
「だってあたし、クラリスの家の場所知らないし」
「私も知らないよ。行ったこともない」
「嘘! 何でお姉さんの家知らないの?」
「何回も言ってるけど、私はあまりクラリスがお姉さんって気がしないの」
ルーナとパティのやり取りは、時に喧嘩をしているように見えることもあるが、寧ろ頻繁にこういったやり取りはあった。
パティも心得たもので、ルーナが本気で怒っているわけではないことを知っていて、彼女をからかうようこともある。
だが、パティがそのつもりでなくてもルーナの常識があまりに逸脱しているので、話が噛みあわないということも多々あった。今のやり取りもまさにその1つだ。
「1年前に会って、その時初めて腹違いのお姉さんって分かったんだよ? しかもダンテに斬りかかってた後だったし」
「ルーナも大概だけど、クラリスは一体何をしてそうなったのよ……」
「説明するのが面倒くさい」
説明を放棄してルーナは雑巾の代わりにはたきを持った。ダンテの机の上の埃を叩き落としながら返した。パティも三角巾を閉め直し、ダンテの机の引き出しを開けて中のものを片づけ始める。
ルーナはダンテに遠慮をしているのか、彼の私物には極力触らないように掃除をしていた。そのため、どうしても机の表面はともかく、引き出しの中のような収納場所の掃除はおろそかになる。
パティはルーナと異なり、ダンテに対して怖がるようなことは決してしなかったが、ついでに遠慮もしなかったので引き出しに仕舞いこまれた物品を片っ端から机の上に置き始めた。
「ダンテって本来は飾っておくものとかも仕舞っちゃうのね」
「え? 何かあった?」
パティは引き出しの中から写真立てを出し、その隣に彼が普段使うものとは違う銃を並べた。
銃は華美な装飾が全体に彫りこまれており、細身の銃身といいその装飾といいどう見てもダンテの趣味のものとは思えない。
そしてその隣にある写真立ての中には、DevilMayCryの事務所が写っていた。数年前に撮影したのだろうか、今よりも看板代わりのネオンも玄関の扉も新しいものに見えた。
「ねえ、ダンテの隣にいる人、誰か知ってる?」
「……知らない。でも、ダンテの知り合いって結構沢山いるからその1人じゃない?」
「知り合い……っていうか、あたしには友達に見えるかな。ダンテ、友達少なそうだけど」
本人が聞いたら眉を顰めそうな発言を平然とするパティ。
だが、肝心の本人はストロベリーサンデーを食べに外出中だった。家に置いておくとパティが来襲する度に食べられてしまう為、遂に外に出て食べるようにしたらしい。
ルーナは改めて写真の中の2人の男を見た。
2人とも長身だが、その姿は対照的だ。ダンテは今と変わらず真っ赤なコートを着ており、写真を撮られることが嫌なのか、不機嫌そうな顔をしている。
一方隣に立つ青年は地味な茶色のコートを羽織っている。髪の色も黒く、表情はどちらかというと柔和なものだった。
写真立てをひっくり返し、そこに記されている文字をルーナは読み上げた。
「……DevilMayCry開店を祝して、Edgar……?」
「エドガーっていうのかな、この人」
「撮影した人かも。でも何で仕舞ってたんだろう」
首を傾げるルーナを余所に、写真が可哀想だとパティは主張した。丁寧に埃を払い落とし、いつも飾ってある女性の写真の隣に並べる。
満足そうに頷くパティに対し、ルーナは写真の中で微笑む男に違和感を覚えていた。知り合いの開店祝いに来た、という割には彼の顔はあまり嬉しそうに見えない。
寂しそう、辛そうといった感情が彼のその時の心の中にあったのではないだろうか。
「(クラリスに似てるんだ……この人の顔)」
故郷に大事な人を置いてきたらしい彼女は、ふと寂しそうな顔を浮かべる。それなら帰ればいいじゃないか、と以前言った時、彼女はまさに彼と同じ顔をした。
帰りたくても帰れない。それがその時の彼女の心情だったのだろう。パティにその話をしたら、何故か説教をされてしまった。気持ちが先走っても事情がついてこないこともある。そんな人にそういうことを言ってはいけない、とのことだった。
会いたい人に会うことができない。
会いたい人など今はいないルーナには分からない感情だ。だから、彼がそこまでして誰を焦がれているのかも分からない。
「(会いに行ったのかな、だから今はダンテの側にいないのかな)」
ダンテと共にいてもう3年になるが、写真の男を見たことはない。ダンテの元を去って、彼は何をしているのだろうか。そこで得たものは何なのだろうか。
取りとめもない疑問が脳裏を過るが、不意に玄関の扉が開く音で思索が途切れる。
はたして、そこにはダンテとクラリスがいた。クラリスはボランティアの帰りなのか、普段着ている黒色のコートを羽織っておらずラフな格好をしていた。
背中にあるギターケースには、言わずもがなカリバーンが入っているのだろう。
「なんだ、パティ。また来てたのか。いつからここはお前の家になったんだ?」
「家じゃないわ。友達の家に遊びに来ただけよ」
「私、いつからパティの友達になったの?」
ダンテに返事をするパティに対して、ルーナはやや鬱陶しそうに漏らす。
口を動かしつつルーナはごく自然にダンテの羽織るコートをはぎ取りコートハンガーに引っかけた。その所作はダンテとルーナ双方に迷いが全くなく、日常的に行われていることが窺い知れる。
パティは彼らと交流を持って日は浅いが、ダンテとルーナの間に共に暮らしていた日の長さに裏打ちされた信頼関係があることは読み取っていた。
親子とも兄妹とも違う、ただ隣にいるだけで居心地のいい関係。少なくともルーナにとってはそうなのだろう、とパティは考えていた。
そんなことを考えつつも今夜の計画に出た支障について、クラリスに尋ねる。
「クラリス、ルーナがクラリスの家に遊びに行ったことがないって本当? あたし、ルーナに道案内頼むつもりだったのに」
「家の場所を教えようと言ったのに、断ったのはそういうわけか。ルーナは何だかんだ理由つけて来たがらないんだ」
クラリスもパティに負けず劣らず、まるで我が家のように事務所のソファに腰かけて寛ぎながら返す。彼女が度々訪問するのは今更目くじらをたてることでもなかったので、ダンテは諦めたように椅子に座り、机に足を投げ出して居眠りをし始めた。
閉じた瞼の向こう側で、パティがわいわい騒いでいる。ルーナの呆れ顔が目に浮かぶようだ。だが、ダンテ以外の誰かにあそこまでころころと表情を変えるルーナを、彼は初めて見た。
3年間一緒に暮らしているが、来訪者が少ないこともあってか、ルーナの交友関係は非常に狭いものだった。クラリスに言われるまでもなく、それを危惧したこともある。
だが、自らの悪魔の力を恐れる少女を、どうして外につまみ出せようか。1年前、クラリスがやってきた時、もしかしたらルーナはクラリスと共にいることを選ぶのではないかと思った。
けれども半ば予想していたことではあったが、ルーナは相変わらずDevilMayCryという小さな籠の中に収まっている。クラリスとも姉妹というよりは、戦う時の相棒程度にしか考えていないのではないかと思えるほどの浅い関係だ。
「(騒がしいのは勘弁だが、な。今夜は静かに過ごせそうだ)」
片目を薄く開けて、部屋の様子を見る。
クラリスは苦笑いをしつつ、台所に向かって行こうとしている。何か軽食でも作るつもりなのだろう。
ふと机に目をやり、そこでダンテは普段机の上に置いていないものがあることに気が付いた。
いつも置いてある母の写真の横に並べてあるそれを見て、ダンテは郷愁の念のようなものが自分の中から湧き上がることを感じた。
「おい、パティ、それにルーナ。この写真を置いたのはお前たちか?」
てっきり眠ってしまったのだろうと思っていた男に声をかけられ、パティとルーナが会話を止めて振り返る。クラリスも足を止めて、ダンテがつまみ上げている写真立てを覗き込みに来た。
「そうよ。だって、折角の開店記念祝いにもらったものを飾っておかないなんて失礼じゃない」
ややふんぞり返るように腰に手をあて、パティが主張する。
その横からルーナはおずおずと、
「ダンテ、その、エドガーって人って写真の人?」
「……そうだ。いなくなってもう4年になるけどな」
「いなく……なって?」
それは、ダンテの前から姿を消してという意味なのか。それとも、何らかの事件かあるいは病で命を落としたのだろうか。
ルーナはダンテにとって触れられたくない部分だったのかと考え、咄嗟に口を噤んだ。
思いがけない言葉に気まずい空気が流れた時、クラリスは眉間に皺を寄せながら写真を凝視して、
「ダンテ、だが私は1年前にこの男に会っている気がするが……」
「何?」
「と言っても、私が魔人化してお前に倒された後のことだ。意識も朦朧としていたし、はっきりと覚えているわけではない」
ダンテの食いつきがあまりによく、そのためクラリスは気おされるようにやや声を小さくして言った。
常に内心どう思っているかは分からないが物事に対して無頓着なことが多いダンテが、珍しく執着らしきものを見せていることをクラリスは意外に思う。
だが、同時にそれは当たり前ではないかとも考えていた。ダンテとて、行方知れずの知人が最近姿を見せていたと聞いたら、驚きもするだろう。
「……親しかったのか、そのエドガーという者と」
「以前お前にも話したことがあると思うが?」
「ああ……」
クラリスは1年前、魔人化が解けた後にダンテと話した朝を思い出した。悪魔の血を引くことに対しては未だ拭いきれない、忌避感のようなものはある。
だが、それを感じる度にいつも思い出すのはあの朝の彼との会話だった。その中でもとりわけ彼女の中に響いた言葉、その言葉は元々彼の友人のものだったと聞いている。
「……すまない、期待を持たせるようなことを言ってしまって」
「いなくなったとは言ったが、しぶといやつだ。別に生きていても今更驚かないな」
「…………」
そう言い残して、ダンテは席を立ってシャワールームへと姿を消した。彼なりに動揺を隠そうとして1人になろうとしているのだろうか。
ダンテが姿を消したこともあり、クラリスは気を取り直してパティを連れて台所へと姿を消していった。ルーナも彼女らの後を追おうとして、ふとダンテの机を再度見る。
「……驚いてないなんて、嘘つきだね」
3年間も一緒にいれば、何となく分かってしまう。彼は表面的には自堕落で時にお調子者で、そのくせ悪魔に対しては毅然とした態度を見せる。 それが全てのように感じていたが、実際はそんな単純な男ではないとルーナは知っていた。
「ダンテも、さっきこの人と同じ顔をしていたんだから」
会えない人に会いたいと、辛そうに、どこか寂しそうに、そんな願いを一瞬彼が抱いたのではないかとルーナは思った。
***
――エドガーが、生きている。
クラリスの言葉を聞いた時、胸中に去来した言葉は実に単純だった。
彼との付き合いは長い。
いや、長かった。
父である魔剣士スパーダにエドガーの父、アイギスが付き従っていたこともあり、生まれた時から一緒にいたと言っても過言ではない。
エドガー自身もダンテ同様、悪魔と人間の血を引く存在であったが彼はそのことを気にする素振りすら見せなかった。
子供の頃は何かと世話を焼かれた。
赤ん坊の頃から一緒にいたということもあり、頭が上がらないこともあった。
元々年上なこともあって双子の兄のバージルとは違う、もう1人の兄のように感じたこともあった。
「(だが、あいつは……もういない)」
昨晩見た夢を思い出す。久しぶりに見た過去の情景は、悪夢といって間違いないものだった。
伸ばした手は彼の手を掴んだはずなのに、彼は自らそれを振りほどいた。
彼の足を掴む死神を受け入れるように、微笑みながら落ちていった。
かけた言葉は届かなかった。それは物理的に聞こえなかったということではない。
彼は拒絶したのだ。ダンテとともに生きることを、否、生きることそのものすらを。
「(それに、もし生きていたとしても……)」
ムンドゥスと戦う前に、ダンテはムンドゥスが従える手下とも言える悪魔と何度も刃を交わした。
その中の1人を、『彼』を討った時のエドガーの顔を、自分は今でも覚えている。その時の自分も、受けた衝撃のあまりの大きさに彼を慮る余裕などなかった。
だが、今なら分かる。その顔には絶望と、悲哀と、そしてダンテに対して確かな憎悪を抱いていたことを。
だから彼は決して自分に会うことを望まない。
故に生きていようがいまいが、変わることなど何もないのだ。
***
その日の夜、ルーナは不満を零しながらパティに引きずられるようにクラリスと共に彼女の家に向かった。
夜といえど、夕飯前の黄昏時。丁度夕方から夜に移り変わる緋色と藍色が混じりあった空の下、彼女らは家路を急いでいた。
「クラリスの家ってどのくらいの大きさ?」
「どのくらいといっても、寝て起きて食べることができる最低限のスペースくらいしかない。パティが期待するほど面白いとは思えないが?」
「クラリス、人の家に泊まるのに面白いものがあるかは関係ないの。誰と一緒にいるかが大事なんだから」
以前彼女をローエル家に連れて行く時も似たようなことを言われたな、と思い返しクラリスは苦笑する。
パティの考え方は彼女独自の人生観から成り立っているものなのだろうが、得心のいくものも多かった。たしかに、ルーナはともかくパティと過ごす夜は楽しいだろう。
ルーナといると、楽しむと言うより彼女を気遣ってしまうことが多い。 ルーナもそれに気づいているからか、自分と長時間2人きりでいるのを避けようとしている。
「(子供を見ると世話を焼きたがるのは、もう癖みたいなものかな……)」
自分のどうしようもない癖に内心でクラリスは苦笑した。
クラリスの先導で、彼女の家の近くの細い路地に差し掛かった時、ふと辺りが暗くなった。雲が出てきたのだろうか、と思った刹那、膨れ上がる攻撃的な気配を感じてクラリスは咄嗟に空を見上げた。
宙を舞って一直線にこちらに向けてやってくる人影を見て、ルーナとクラリスは咄嗟に身構え、そして先頭を走っているパティにルーナは叫んだ。
「パティ、危ない! 下がって!」
「え? うわっ」
クラリスの家が近いと聞いて、浮かれていたのだろう。
踊るようにクラリスの前を歩いていたパティは、突然の緊張感を含んだ声に驚いて足をもつれさせて転んだ。そしてまさにパティの首があったところを、人影の持つ剣が薙いでいた。
事態を把握したパティが目を丸くして、小さく悲鳴をあげる。ルーナは舌打ちをしながら、万が一のために持ちあるいているムラマサの鞘を払った。
乱暴に大上段から影に斬りかかる。影も心得たもので、深追いはせず刃同士をぶつけて受け流しながら距離を置いた。
「パティ、後ろに下がって。あいつ、悪魔だ」
「え!? 何でこんな街中に悪魔が……またあたしを狙ってるの?!」
「分かんない。単に人間がこの中で1人だけだったからかもしれないし、パティが前を歩いていたからかも。とにかく下がって。邪魔」
ルーナは早口で指示を出しつつ、油断なく謎の影を睨みつけた。
クラリスはパティを庇うように立ち、背中のギターケースからカリバーンを抜く。影はルーナとクラリスを交互に見、どちらを攻めるか決めあぐねているようだった。
その余裕すら感じられる所作に、ルーナは内心で苛立つ。まるで自分の方が命の生殺与奪の権利を握っているような振る舞いは、される方からすると気持ちのいいものではなかった。
「人型に見えるが、本当に悪魔か?」
「見て。あいつ、月が出ているのに姿がはっきりしてない。それに、黒いもやみたいなのが出てる」
ルーナの言うとおり、暗がりで見た時は人間かもしれないかと思った。だが、雲の隙間から漏れ出た微かな月光に照らされているにも関わらず、それは影そのものを無理矢理切り取って立体にしたようないびつな姿で立っていた。
影はクラリスの元に疾駆する。
まるで滑るような動きにクラリスは直感だけでカリバーンを構え、影の一撃を弾く。
細身の一般的な成人男性の体格をしているのにもかかわらず、まるでダンテを相手しているかのような重たい一撃にクラリスはたたらを踏んだ。
逆にルーナは更に距離をとった。
パティの手をとって極力彼女を戦場から引き離そうとする。もし敵の狙いがパティなら、例えそうでなくても悪魔に抗う力を持たない人間を戦いに巻き込むわけにはいかなかった。
「一体私たちに何の用だ……!!」
カリバーン特有の機構を使用するための推進剤は、生憎数か月前にとうにきらしている。だが純粋な腕力でも、クラリスの一撃は推進剤を噴かしたときの一撃に勝るとも劣らなかった。
崩れた体勢を無理に立て直すのではなく、寧ろ転がり出るように体を回転させてカリバーンを振る。影は一歩距離を置いて、影からもう一振りの剣を作りだして構えた。先ほどのクラリスの問いに答える様子はない。
黒いもやで表情は見えないが、どこかこちらをからかうような気配だけは窺い知れた。
間髪入れず再度影が肉薄する。
今度も影の姿を目で追うことはできなかった。そしてクラリスの直感も毎度当たるわけではなかった。
「……っつぅ!」
姿勢を低くして、まるで蛇のように懐に滑り込まれ、逆袈裟に斬りあげられる。
一条の赤い線が暗い路地裏に一瞬光った。ついで来る二刀目は何と身体を捻ってかすり傷で留めた。
傷自体は放っておけば1時間もあれば癒える。だが戦闘中における負傷は敵に対して有利にしか働かない。クラリスは内心で冷や汗をかいて舌打ちをした。
彼女が負ければ次はルーナが相手になる。
ならば、今のうちにパティの守りを捨ててルーナと共に悪魔を討つ方に集中するべきか。いや、もしそれが悪魔の狙いであった場合、パティが犠牲となってしまう。
逡巡を重ねている時、ふとクラリスの足下に小さなスポットライトが落ちた。
戦いの最中に振り返るような愚を彼女は犯さない。
だが後ろから聞こえてくる会話によって、そのスポットライトがパティが夜道のためにとシスターに持たされていた懐中電灯であるということが分かった。
「暗いのに真っ黒の悪魔で余計見えにくいかと思って! どう、クラリス!?」
パティが狙いを定めて、影の悪魔を懐中電灯で照らし上げる。
どうやらそこそこ大型の懐中電灯を持たされていたらしい。影はまるでスポットライトに照らされたかのようにその姿を顕にした。
その瞬間、まるで光を厭うように、影は顔を手で覆い隠そうとした。
光によって纏わりついていた黒いもやも、まるで風に煽られたかのように掻き消えていく。
この悪魔はどうやら光が苦手のようだった。チャンスだと感じ、今度はクラリスから接近する。
光に照らされて影の動きは明らかに鈍っていた。咄嗟に片手の剣でクラリスの一撃を受け止めるが、片手では依然光から顔を隠そうとしている。
クラリスはその指の隙間から影の顔を見て、そして目を丸くした。
「お前は――――!!」
彼女が驚愕した隙をついて、影はカリバーンを弾き返した。そして、踵を返して信じられないほどの速さでその姿を消した。
「クラリス、大丈夫!?」
パティが青い顔をして駆け寄る。
悪魔に斬られた傷を見て、彼女は小さく悲鳴をあげた。存外深く斬られたようだが、以前歌劇場でルーナが受けたものに比べればまだ浅い方だ。
一方ルーナは路地の方を凝視しながら、「ねえ」と声をかけた。その顔には、クラリスと同じものを見たが故の動揺のようなものが見え隠れしていた。
「クラリス、私の見間違えかな……」
「いや、見間違いなどではない。近くではっきりと見た。あれは……」
黒いもやが引きはがされ、その下には見覚えのある顔があった。
黒い髪に、写真の中では穏やかに微笑んでいたあの顔は、間違いようがない。
パティもそのことに気が付いていたのか、困惑している様子が窺い知れた。
「あの顔は……エドガーとかいう者と同じだった」
今は既にいないとダンテに言われた男。
クラリス自身、口にしながらもまさか、という気持ちが勝っている。
生きているだけでも驚きなのに、何故か彼は悪魔のような見た目をして、更にはこちらを襲ってきていた。これが一体何を指すのか。分かる者がいるなら教えてほしいぐらいだ、と内心でクラリスは呟いた。
「ねえ、クラリス。それにルーナ。このこと、ダンテに言うの……?」
「それは……」
「言うよ。迷う必要なんてない。悪魔がこの街にいて、パティを、私たちを襲った。放っておいていいわけがない」
恐る恐る尋ねるパティに、クラリスは一瞬回答を迷ったがルーナはきっぱりと告げた。目では、何を迷う必要があるのかとクラリスを責めてすらいた。
彼女にとって悪魔は、トリッシュのような一部話の分かる心ある者を除いてすべてが敵だ。まして、先ほどの影は自分たちを襲っている。クラリスに至っては怪我までしている。なのに何故今更ダンテの知人だからといって、遠慮などをする必要があるだろうか、と少女は考えていた。
いっそ清々しいほどの即断を、自分よりも年下の存在がしたということにクラリスは内心で自虐の舌打ちをした。
「ダンテは驚くかもしれない。でも、昔の友達だからっていって手を抜くような人でもないと私は思う」
「……そうだな。犠牲者が出てからでは遅い」
悪魔による脅威は誰よりも知っているはずなのに、とクラリスは先ほど躊躇した自分を叱咤する。キリエが両親を失った時の、あの惨劇を再度繰り返すわけにもいかない。
そしてあの影の相手は自分では難しい。加えて自分より強い者を知っているなら、それを頼るのは何も恥ずかしいことではない。
理詰めで自分の躊躇いを打消し、クラリスも頷いた。
「ひとまず、私からダンテに連絡はしておく。どちらにしろ、まずは私の家に来てからだ。いいな?」
異論があるわけもない。ルーナとパティもまた、頷いて賛成の意を示した。
明けましておめでとうございます。今年も少しずつ執筆を重ねていこうと思います。
新年最初の投稿はSide:Eからの投稿となります。
ダンテが郷愁の念を感じるある男、バージルに向けるものとは違うものをダンテが抱いている様子を描けたらと思っています。
物凄く心理描写が多い作品ではないため、自分で考えて出した考え方なども混ざっているかと思いますが、違和感はできるだけでないよう気を付けていこうと思っています。
それでは、今年もよろしくお願いいたします。