Devil Sisters   作:千代里

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<25>Side:Edgar-接触

 その日、2人の少年がこの世に生を受けた。世界がそれを祝福するかのように、夜通し続いた嵐はぴたりと止んで輝く朝日が窓辺から寝室に降り注いでいた。

 そんな静かな夜明けを、あわただしい足音が乱していく。足音の主である少年は扉を大きな音をたてて開き、

 

 

「エヴァさま、スパーダさま!! きのうの夜に、ごしそくがおうまれになったと――!」

 

「エドガー。今は静かに、ね」

 

 

 寝室に大声と同時に飛び込んできた少年を見て、銀髪の男性が窘めるように人差し指で沈黙を示した。

 エドガーと呼ばれた少年は、とっさに両手で自らの口を塞ぐ。そして、ベッドに上体を起こして2人の赤子を癒している女性に恐る恐る近づいた。

 その女性が銀髪の男性の妻であることを彼は知っている。そして、彼女が昨晩二人の赤子を出産したことを少年は自分の父から聞いていた。肝心の父は何やら急用ができたようで、その名代を兼ねて少年は夫妻の下へ急行したのだ。

 

 

「うわぁ……」

 

 

 少年は感嘆の吐息を漏らす。そんな彼の様子を見て、女性は母の顔でほほ笑んだ。

 彼女の腕の中に眠る2人の赤子は、互いが互いにそっくりの顔をしていた。どちらも父によく似た銀髪だが、顔だちには母のものを思わせる美しさがある。

 世界中のどんな芸術家でも表現しきれないような無垢さ、そして美しさを併せ持つ存在をエドガーは今まで知らなかった。彼らはまさにそれだ、と幼い少年は直感的にそう思う。

 

 エドガーは恐る恐る手を伸ばした。

 彼らの髪の毛はまるで触るのを禁じられた天使の羽を思わせる儚さと気高さが内在しているように思えて、触れることも躊躇われた。

 

 

「可愛いでしょう、撫でてあげてくれる?」

 

「は、はい」

 

 

 彼らの母である女性に促されて、震える手で少年は赤子の髪の毛を撫でた。1人は鬱陶しそうにむずかったが、1人はむしろすがるように指に小さな手で握りしめた。

 慌てたように少年は彼女を見たが、肝心の本人はくすくすと笑みをこぼすだけだった。

 

 

「ダンテと、バージルっていうの。今あなたの指を握っているのがバージルよ」

 

「ダンテ……バージル……」

 

 

 少年は感慨深げにその子供らの名前をつぶやいた。

 少年は2人の赤子をじっと見つめる。体を屈めて、彼らの顔を覗き込み微笑を零した。

 どんな不機嫌な人間だって、彼らの顔を見たらたちまち笑顔になってしまうだろう。少年がそんなことを考えてしまうぐらい、彼らの姿は可愛らしかった。

 

 

「これからは、ぼくが2人を守ります。どんなてきからも、守ってみせます」

 

 

 するりと、そんな言葉が少年の口から出る。

 可愛らしさと同時に、赤子特有の危うさも垣間見える姿が彼にその言葉を自然と口にさせていた。

 だが、少年とてまだ年が2桁に届くか届かないかの年頃である。どこか舌足らずで、頼りなさげな声は内容とは裏腹に可愛らしさすら垣間見える稚拙なものだった。

 だが、彼の誓いを2人の大人は笑わなかった。

 彼はその言葉に痛すぎるほど真剣な思いを込めている。それをどうして笑うことができようか。

 

 

「エヴァさま、ぼくもこれからダンテとバージルのおせわを手伝いますね」

 

「あら、頼もしいわね。それなら、お願いしちゃおうかしら」

 

 

 茶目っ気たっぷりに微笑むエヴァ。少年は照れ臭そうに笑みを零す。

 そんな彼の側に、赤子らの父親となった男が屈み、ゆっくり彼に語りかけた。

 

 

「これから、エドガーは2人のお兄さんだな」

 

「あ、兄ですか!?」

 

 

 動転のあまり再び大きな声を出してしまい、少年は再度口を片手で塞いだ。恐る恐る赤子らの様子を見やると、幸い2人が起きた様子はなかった。

 安堵の吐息を漏らし、改めて少年は口の中でもごもごと言葉にならない声を漏らす。

 

 

「そんな、おそれおおいです……! スパーダさまのごしそくの、そんなかたたちの、兄になんてぼくが……」

 

「エドガーは、私たちにとって大事な家族だ。1人の家族として、血は繋がっていなくても、もうエドガーは2人のお兄さんなんだよ」

 

 

 男はゆっくりと、しかしはっきりと少年に語りかけた。少年は感極まったように、言葉を詰まらせる。彼の雪を散らしたような淡い青色の瞳から涙が零れ落ちそうになり、しかし慌ててそれを拭う。

 

 

「はい……!」

 

 

 兄として、共に生きる家族として、この2人の赤子を守っていこう。彼は心にそう誓った。

 そうして少年は誓いを重ねていく。

 十数年後、自らのたてたそれがたてられた本人たちによって粉々に砕け落ちるということも知らずに。

 積み上げた思いを、自ら崩すことになるということも知らずに。

 

 

***

 

 

「話はわかった。……悪いな」

 

「悪いものでも食べたのか? お前からそんな言葉を聞くことになるとは思わなかったぞ」

 

 

 受話器越しにわざとらしく驚く女性の声がする。

 クラリスが齎した悪魔の一報は、ダンテにとっては予想外でもあり予想内でもあることだった。

 だから、心を波立たせることもないはずなのに、何故だか謝罪のような言葉がダンテの口からは飛び出していた。自分の言葉に誰より自分が驚きながら、ダンテはいつもの軽口を返す。

 

 

「おかげで今日は静かに過ごせてるからな。久しぶりにテレビのノイズとも、甲高いお喋りともおさらばだ。今度から事務所に居座る代わりに、お前にベビーシッターを頼むとするか」

 

「ああ、そういう……。私は賑やかな方が好きだから気にしなくていい。パティもすっかり元気になったことだからな。だが……先ほども言ったが」

 

 

 歯切れの悪い言葉に、クラリスが自分に先ほどの情報を告げる気がなかったことがうかがえる。彼女はその男勝りな口調や態度に反して、周りに対して気配りをする者だとダンテは知っていた。

 なら、彼女の背中を押したのはおそらくルーナだろう。彼女が自分に対して信頼を寄せており、だからこそ自分が『彼』のことを聞いても取り乱さないだろうと判断した。

 

 他人の気持ちなど考えてもいないようなルーナの所作。クラリスに指摘されるまでもなく、それが苛烈すぎるとダンテも感じていた。

 だが、彼女はダンテに対してだけは人並みに気を遣う。それでいて、まるで遠慮のないこの報告の意味する所は、彼女は自分を信頼しているということの証明に他ならない。

 それを好ましく思わなければならないはずなのに、今はルーナのことを気遣う余裕が彼にはなかった。

 

 

「――分かっている。大体見当もついていることだからな」

 

「金にならない仕事となってしまうが、今度何か奢るとするからチャラにしてくれないか」

 

「ピザLサイズとストロベリーサンデーを、ゆっくり食べれる店を探しておいてくれ」

 

「またそれか……」

 

 

 クラリスの嘆息の後ろで、背後で騒ぐ少女たちの歓声が聞こえる。どうやらクラリスが言っている通り、パティとルーナは無事なようだ。

 言葉には億尾にも出さず、しかし内心で安堵の息をつき、クラリスと二三言葉を交わして受話器を置く。

 

 恋しいはずの事務所の静寂が、今はやけに閑散とした寂しいものに感じられる。ジーッと虫の鳴いてるらしき音が、無性に煩わしい。

 ルーナが置いた時計のカチカチという音だけが、今は痛いほどの沈黙を唯一破る音だった。

 

 机に目を向けると、いつも通り微笑んでいる母の写真と、今日新たに並べられた友の写真があった。

 不機嫌そうな顔をしている自分の側に、泣いてるのか笑っているのか分からない顔の親友がそこにいた。

 写真の向こう側で微笑んでいる男の顔を見ることができず、ダンテは写真立てを伏せて椅子に座ったまま眠りの世界へと落ちて行った。

 

 

***

 

 

「連絡、終わった?」

 

「ああ。大体見当もついているそうだ。私も色々な悪魔と渡り合ってきたが、あの男の知識に追いつくにはまだまだのようだな」

 

 

 クラリスの部屋で、夕飯を食べている最中だったルーナに電話の内容を報告する。パティは、余程お腹が空いているのか台所におかわりに行ってしまったため、席を外していた。

 クラリスも自分の分の夕飯を食べながら、食べると言うより栄養を摂取するという形で淡々と口を動かしているルーナに目をやった。味に文句はないのか、不満は漏らしていない。それとも、彼女は味に頓着していないのだろうか。

 

 

「あ、クラリス。電話終わったのね。怪我してたのに夕飯まで作ってもらって、本当に大丈夫なの?」

 

「もう傷は塞がっている。それにパティが手伝ってくれたからな」

 

 

 実際、自分がしたことといえば、作った夕飯であるシチューの味付けをしたぐらいだ。パティは孤児院でやっているのか、料理が得意のようであり今回の夕食はほぼ彼女の作といってよかった。

 パティは傷のことを気遣ってくれたが、ルーナがそのような素振りを見せることは家に着いてからも一度もなかった。淡々と課せられた調理作業の補助をし、クラリスにダンテへ連絡をとるよう釘を刺した後はクラリスと会話することはなかった。

 

 

「(先ほどの戦いでは、パティのことは自然に庇っていたのだが、な。まあ、信頼されているととっておくか……)」

 

 

 他人に対して一線を引いている妹が、パティに対してだけは最近人並みの感情を向けるようになった。

 ダンテ以外の人間に心を開くようになったという点を思うと、パティにはいくら感謝しても感謝したりなかった、

 

 

 数十分後、ルーナとパティがおかわりをしたために、すっかり空になった鍋を洗いながら、クラリスは横で皿を洗っている妹に目をやった。彼女が失って久しい本来の家庭での躾が良かったのか、対人面を除いてルーナは行儀が良い方だとクラリスは思う。

 今日も調理で然程役に立ってなかったからと、皿洗いを申し出てくれた。それが怪我をした自分を気遣って出た言葉である、と考えるのは自惚れだろうか。

 

 だが、一切会話もないまま女2人が台所に立ったままでいると、その静けさは心地よいを通り越して居た堪れなかった。

 つい、クラリスは何か話題をと思い、自ら口火を切った。

 

 

「ルーナ、手伝ってくれてありがとう」

 

「シチュー作り手伝えなかったから、その代わりだってば。久しぶりに美味しいご飯食べた気がするし」

 

「久しぶり……?」

 

 

 何気なく会話を始めたものの、聞き捨てならない言葉を聞いてクラリスは眉を顰めた。

 薄々感づいてはいたが、どうやらダンテと共に暮らすことでルーナの食事事情は劇的に悪化しているようだった。

 これから毎日押しかけて、少なくとも料理を美味しいと思える味覚を取り戻してやらねばと、内心でクラリスは誓った。

 

 

「ねえ、クラリス。ダンテ、どんな風だった?」

 

 

 不意にルーナから振られた質問に、クラリスは瞬時迷う。彼の口から出た謝罪の言葉が、彼の言ったようにルーナらの面倒をみていることへのものとは到底考えられなかった。

 だが、ダンテを信頼してわざわざ伝えようと助言した少女に、そのことを言っていいものだろうか。彼女のダンテへの信頼が損なわれることになってしまったら、それはきっと彼女自身の崩壊に繋がってしまうのではないだろうか。

 瞬きをするほどの間でそんなことを考え、

 

 

「普段通りだったよ。ルーナの思っていた通りだな」

 

「……でも、ダンテはあのエドガーって人のこと、ずっと会いたがっていたみたいだった。こんな形になったって知ったら、嬉しくはないよね……」

 

「ダンテのことは、よく分かるんだな」

 

 

 少し意地悪な言い方だったかな、とクラリスは思う。

 ダンテのことは気遣うのに、何で他の人にそれを向けられないのだという当てこすりのようなものを感じたのだろう。ルーナは不愉快そうに眉を顰めて、わざとらしくごしごしと皿を執拗に擦り始めた。

 

 

「ダンテは、私がどうにもできないくらい強い人だからごちゃごちゃ考えなくていいの。クラリスとか、モリソンとかと違う」

 

「私は弱いから駄目、ということか。手厳しいな」

 

「だって、そうでしょ?」

 

 

 真っ当な人間が聞いたら怒り出しかねないくらい失礼な発言だったが、クラリスは自身の弱さは痛いほどに理解していた。

 フォルトゥナ島を出た時の一連の魔人化騒動、そしてそれが収束してからも悪魔の力に怯えて全力を出すことを忌避していた。

 それを相談したこともなければ、あからさまに態度に出したつもりもない。少なくとも年下の妹には、億尾にも出すまいと苦心していた。

 だが、ルーナの目をごまかすことはできなかったようだ。彼女なりにクラリスに内在している迷いを見透かしていたのだろう、その目には揶揄の光こそなかったものの、躊躇や謙遜といった類のものも一切なかった。

 

 

「なら、何で今日パティを庇ったんだ? 以前ルーナは私に話していたな、他人に興味を持たないのは失うのが怖いからだと。それはパティには当てはまらないのか?」

 

「パティが死んだら、ダンテが悲しむから。ダンテは強いから、自分を責めてしまう。そんな思いはさせたくない」

 

 

 守れなかったことを、彼はきっと悔いてしまう。自分の力不足を嘆いてしまう。それはきっと、ルーナが自分の母親に向けられた言葉からも生じた悔いなのだろう。

 クラリスも同様の思いを抱いたことがあるから、少女が何を避けようとしているのかが痛いほどに分かった。分かるからこそ、ふと彼女の中に閃いたものがあった。

 

 

 

「……優しいんだな」

 

「え?」

 

 

 自分が受けた痛みを他の者に負わせまいとする。

 その姿は、クラリスに故郷に残した1人の少女――キリエを自然と髣髴させた。その姿を思い浮かべた瞬間、彼女を形容する言葉が口をついて飛び出た。

 

 

「自分がした嫌な思いを、他人にさせたくないと思う。そう思えるルーナは、優しいんだなと言ったんだ」

 

「そんなことないよ。私は悪魔だから。一緒にいたら誰かを傷つけてしまう。なのに、守る力もない弱虫だから、周りに誰もいなければと思ってるような自分勝手な悪魔だよ?」

 

 

 強調するように、ルーナは「悪魔」という言葉を強く言う。クラリスが否定したくて堪らない、自身の内に流れる血を彼女は寧ろ肯定するどころか、そのものであると告げた。

 涙を流せるのは人間の証だ、と告げた当の本人がその言葉を受け入れてないことに、クラリスは冷たい氷の塊を呑みこんだような怖気を感じた。

 ルーナの言葉は、彼女が語った通り受け売りに過ぎなかった。ルーナ自身がその言葉を受け入れていないのだから。

 

 話は終わったとばかりに皿洗いに戻る彼女の姿が、今度は在りし日の少年の姿と被った。自分が何者か分からないと嘆く少年、ネロの姿に。

 ルーナは自分が悪魔だと納得して、身の内に眠る異常な力を無理矢理受け入れようとしているかのように、クラリスには見えた。

 

 そう気づいた瞬間、クラリスの口は勝手に動いていた。

 

 

「お前が悪魔の血を引いていようが、お前は、お前だ」

 

「え?」

 

 

 いきなり何を言い出したんだ、という顔でルーナはクラリスを見る。

 彼女の驚いたような表情も意に介さず、クラリスは嘗て少年に告げた言葉を再度目の前の少女にぶつけた。

 

 

「お前がお前であることに、悪魔の血があるかないかがそんなに関係あることなのか?」

 

「――――……っ」

 

 

 何か言い返そうとしたのだろうか、ルーナの眦が釣り上がったが、言葉が思いつかなかったのか口を貝のように閉ざしたまま再び手だけ動かし始めた。その表情はネロの時と違い、石のように固く唇は真一文字にきっちりと閉ざされていた。

 

 彼女はネロのように、クラリスの言葉を受け入れない。彼女の中で、悪魔の血があるかないかは重要な要素なのだろう。

 それを表面的な言葉だけで覆せるわけがなかった。

 

 皿洗いが終わるまで、ルーナは口を開かなかった。

 まるでクラリスがいないかのように目を合わさず、パティとトランプ遊びに興じている時も彼女はその姿勢を崩すことはなかった。

 

 

 

***

 

 世界が寝静まったかと思えるほどの夜更け、ルーナは目を覚ましてベッドから抜け出した。1人用のベッドに3人が寝るのは些か厳しく、クラリスは今ソファで眠っているはずだ。

 隣で自分の腕を掴んだまま眠ってしまったパティを起こさないように振りほどき、片時も離さずに持ち歩いているムラマサを持ってそっと窓から外に出る。

 

 狭いベランダから見上げた空には、都会の明るさに押しやられるように小さな星が瞬いていた。

 

 

『貴様、クラリスの言ったことが気になっているのか?』

 

「何のこと?」

 

『白を切るつもりか? 貴様が悪魔の血を引いていようが貴様が貴様であることに変わりはない。その部分だ』

 

 

 ムラマサは常にルーナの心を観察している。

 繋がってはいない、ただ観察しているだけだ。

 だから彼女の心が揺れていることは分かっていても、理由が分からない。ならばその持ち主に聞くまでと考えたのだろう。

 だがルーナは答えに窮していた。

 クラリスの言った言葉は立派に聞こえた。ただ、あくまで上辺だけだ。

 彼女はルーナの全てを知らない。付き合って1年かそこらしか経ってないのだから当たり前だ。

 

 

「あんなの、気にならない。全然気にならないよ。だって、クラリスがなんて言っても私は……悪魔だから」

 

 

 自分の父親を父親として認めてしまった時。

 おぞましいほどの破壊衝動を快楽として感じてしまった時。

 それまで生きていた人間としての少女、ルーナは崩壊した。

 残ったのは自分が悪魔だという認識だけ。アヒルがいくら白鳥の真似をしても白鳥にはなれないのと同じように、いくら見た目が人間であっても心が人間のそれに似ていても自分は悪魔なのだとルーナは理解してしまった。

 

 

「私は、ダンテが人間だっていうから人間でいられる。ダンテがいなくなったら、また悪魔になってしまうかもしれない。そしたら誰も私を止められないかもしれない」

 

『だから奴と離れるのを嫌がっていたのか。貴様が悪魔となって暴走した時に止める相手がいないから。それは矛盾ではないのか?』

 

「何が?」

 

 

 少女はムラマサの指摘に首を傾げる。

 魔剣はやれやれと、人間ならば肩を竦めているような所作が見えるような呆れの嘆息をする。

 

 

『我は貴様の謎が少し見えた。それに免じて教えてやろう。貴様が暴走した時に殺される相手を、何故貴様が憂えている?』

 

「憂えて……? 別に、私はクラリスやパティがどうなったっていい……」

 

『そうだ。ならばどこで貴様が悪魔となろうと同じだろう。他人を守れない苦しみを嫌って逃げ出した貴様だ。貴様自身が加害者となったところで、それは同じなのではないか』

 

 

 誰かに傷つけられる人たちを守れないから、ルーナは目を閉じて耳を塞いで他者を気遣うことを止めた。それはルーナも自覚している。

 だが、ムラマサはそれならばルーナが他者を傷つける側に立っても同じだと言う。目を閉じて耳を塞いで刃を自ら知人に突き立てるのと大して変わらないことだと。傍観者と加害者は、同一であると。

 

 

「それは……違う、よ。私は、傷つけたいわけじゃ、ない」

 

『破壊を快楽と知った貴様が、それを否定するのか。ならば貴様はクラリスの言も否定できまい』

 

「そんな単純じゃないよ……。ムラマサ、悪魔だから分かんないんでしょ」

 

『分からぬな。悪魔だから貴様の心は分からぬ』

 

 

 彼が言外に何を言おうとしているか気が付き、ルーナは耳を塞いだ。

 頭に語りかけるようなムラマサの言葉が、それで聞こえなくなるわけがない。

 それでも認めたくない現実を拒否するために耳を塞ぎ、外を見やって、そして気が付いた。

 

 誰かが、こちらを見ている。

 

 丁度、街灯の影になっている部分に立っているため、顔は分からない。だが、背丈からして恐らく成人男性だろう。髪は夜と同じ色をしている。服装も暗めのものを着ているためか、形が杳として掴めなかった。

 

 

「ストーカー……?」

 

 

 悪魔の血を引いていると知らなければ、クラリスはただの女性であり、その容姿はルーナが見てきた女性の中でも比較的整っている方だと思うことはあった。

 だから、彼が所謂変質者で寝静まった部屋を見つめて侵入の機会を窺っているのではないかと考えた。

 自分の中のはっきりしない不安を振り払うように、ルーナはムラマサを持ってベランダから道路へと降りる。

 2階に住む彼女の部屋から突如飛び降りて現れた少女に、不審者の方が面喰ってしまったようだ。二三歩、後ろに下がった拍子に街灯が彼の顔を顕にした。

 そしてルーナは夕刻に出会った影の悪魔の顔をそこに見ることとなった。

 

 

「エドガーさん……!?」

 

「何で、あなたが私の名前を……?」

 

 

 写真から想像できたような低く落ち着いた声が、目の前の男から零れ落ちる。

 だが、その声はあまりに小さく少女の耳には届かなかった。そしてルーナは夕方の邂逅をはっきりと覚えていた。

 

 変質者ならば脅す程度で済んだが、悪魔なら一切の容赦は不要。

 彼女は握っていたムラマサを鞘から抜き放つ。刃の銀光は街灯の光を受けてぎらぎらと輝き、肉食獣の牙を思わせた。

 

 クラリスをもたじろがせた速力と腕力、それらを加味して徒に間合いを詰めることはしない。魔力で瞬時に宙に何本もの短剣を捻出し、相手が構える隙も与えずに射出する。

 エドガーの姿をした悪魔は、驚愕を顔に滲ませながら、しかし事もなげにそれを回避する。常人では目視すらも難しいスピードで撃ちだされたナイフの群れを、彼は体を捻り、時に飛び退るだけで回避してみせた。

 

 

「外からご婦人の部屋を覗いていたことは謝りますから、物騒なものを仕舞っていただけませんか?」

 

 

 男はそう声をかけたが、ルーナはその所作が益々頭にきた。この悪魔はまるで人間のように振舞っている。その行動は以前パティを騙した悪魔を髣髴させた。

 死んだダンテの知人が悪魔となったのか、それとも騙っているだけなのか。どちらにしろ、ルーナの元々悪かった虫の居所は益々悪くなった。

 語る言葉など何もないと言わんばかりに、ムラマサで空を薙ぐ。発生した衝撃波が石畳を削りながら、男に肉薄する。

 

 男は困ったように笑いながら、どこからともなく剣を取り出し自らをも削ろうとした衝撃波を一刀両断した。

 剣はルーナ同様鍔のないものだったが、その形はどちらかというとサバイバルナイフを髣髴させる無骨なものだった。魔剣でもなさそうな粗末な作りのそれで、躊躇うことなくルーナの放った一撃を断つ。

 

 ルーナは目を丸くして、そして動揺から生まれた隙に舌打ちした。

 口を開けて驚いている場合ではない。敵が自分を上回る力量を示しているのだ。ならばせめて、自分は隙を極力見せないようにしなければならなかった。

 

 

「……なんだか、懐かしいですね。あなたの戦い方は彼に似ています」

 

「人間のフリ、しないでくれるかな。悪魔の人真似は……虫唾が走るから」

 

 

 理解もしてないくせに、上辺だけ取り繕って仮面をかぶって犠牲者を探す。そんな振る舞いは、何故かルーナの神経をことさらに逆撫でした。

 ルーナの言葉の内に潜んだ苛立ちと怒りを読み取ったのか、男は驚いたように僅かに目を丸くし、そして微笑んだ。悲しそうに、寂しそうに、そして受け入れるように。写真と同じ表情をした男に、ルーナはそれでも刃を下げずに睨みつけた。

 

 

「そうですね。それは失礼。もっとも、いきなりナイフ数十本の洗礼も些か失礼な気もしますが?」

 

 

 彼がそう言った瞬間、件の魔力で練り上げられたナイフが数本彼に突き刺さるように飛んできた。事もなげに後退しつつこれを回避しながら、彼は滑るように移動しながら闇へと姿を消そうとした。

 その速さと来たら、右側を走っていると思ったら左側の壁沿いを疾走していると思うほどのスピードだ。

 

 このままでは取り逃がしてしまう。しかも、クラリスの部屋から随分と離れてしまったし、土地勘もあるわけではない。ルーナにとって分が悪すぎる追走劇になることは目に見えていた。彼女は内心で苛立ちの足踏みをし、だが撤退することを選んだ。

 子供の自分が表通りに近いといえど、明かりも少ない夜道をふらふらしていたら厄介ごとに巻き込まれてしまうリスクを高めることになる。今日はダンテもいないし、クラリスも今は夢の中だ。

 悪魔を追わなければ誰かを傷つけてしまうかもしれないが、それこそ知ったことではない。知らない誰かが傷つくことなんて、今の自分にはどうでもいいことのはずなのだから。

 

 ルーナは踵を返して、来た道を急いで戻った。その道中にて、彼女は先ほどの戦闘を回顧し、ふと思った。

 

 

「(……そういえば、全然攻撃してこなかったな。黒い靄も出てなかったし)」

 

 

 街灯の光を浴びてしまったせいだろうか。ならやはりあの悪魔の弱点は光なのだろうか。そんな取りとめもないことを考えながら、彼女は家路を急いだ。

 

 

 部屋に戻ろうとした時、玄関から折しもクラリスが慌てて飛び出る所に出くわした。彼女のブロンドヘアは寝起きのせいか乱れており、服装にいたっては寝間着のままである。

 それでもカリバーンを持っている様子を見ると、彼女も根っからのデビルハンターなのだろうとルーナは思う。

 

 

「よかった、様子を見に行ったらいなかったから何かあったのかと……!」

 

「別に。何もなかったよ」

 

 

 途端に皿洗いの時の一件と、ムラマサと話していた時に生まれたはっきりとしない不安が胸中に蘇り、悪魔との戦いで鎮まりかけていた苛立ちが芽吹き始める。

 ルーナはその苛立ちを無理矢理押さえつけるように、安否を気遣うように差しのべられたクラリスの手を払いのけて、寝床へと急いだ。

 

 

「……ムラマサ、本当に何もなかったのか?」

 

『ああ、なかったとも。少なくとも怪我はしていない。それで貴様にとって十分だろう』

 

「…………」

 

 

 怪我さえしてないならば、執拗に何が起きたかを問う必要もないだろう。暗にそう言われた気がしてクラリスは訝しげに眉を顰めた。

 裏を返せば、それは何か彼女の身に起きたということだ。だが、今のルーナに問いただしたところで、真っ当な返事は期待できない。

 

 クラリスは承服しかねるといった表情をしつつも、自らもソファに身を横たえて眠れない夜を過ごした。

 

 




大晦日にてちまちま書いてたものが漸くまとまりました。Side:Edgarと銘打っておきながらエドガーが出るシーンが存外なくて書いてる本人が驚いてます。タイトル詐欺も甚だしい。
思いがけなくルーナとクラリスの会話が出ましたが、クラリスもムラマサも彼女の核心をかすった感じでしょうか。ルーナ自身は逆ギレのような形で逃避をしているため、最後まで突き詰めることはできませんでしたが。
思いがけない知らせに戸惑うダンテ、珍しくセンチメンタルな雰囲気となっています。彼は飄々としてみえて、きちんと人間の感情を持っていると思っています。それを外に出さないことが多いので、誤解されやすいんじゃないかなと……。
話の終わりはひとまず自分の中でできたので、後はキャラが勝手に動かない限り2本ほどで書ききれるはず!
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