草木も眠りにつくほどの暗い闇の中を、ソレは彷徨っていた。
今まで見たこともない景色。漂う空気すら今までいた所と異なるのを肌で感じる。住む世界が違うというのはまさにこのことだ。人ならば感極まって涙を流す所だろう。
だが、ソレには風情を解する心がなかった。
ただただ考えることは、如何にこの世界が破壊できるものに満ちているか。それが全てであり、それ以外のものは目に入らなかった。
折しも同じようにこの世界に姿を見せた同胞たちが、早速破壊対象を見つけて歓声をあげている。
この宴に参加しない手はない。周りの同胞に負けぬような、夜の静寂を切り裂く耳障りな声が暗闇に響き渡る。
だが。
ふ、と破壊対象と目が合った。その物体は、怯えの顔など微塵も見せず、不敵に笑った。
「なんだ、お前たちか。悪魔も芸がないな」
その言葉を聞いたと同時に、ソレの意識はブツリと途切れた。
***
「クレドに言われたから、こんな夜中に来たというのに。張り合いがないな」
自分の背ほどもある大剣を肩に担ぎ、一人の女が月明かりの下で屹立していた。
黄金の髪は月光を浴びてさながら淡く輝いているよう。白いコートが路地裏を吹く一陣の風に煽られ、天使の羽のように翻った。
だが、女の顔は天使と称するには凄絶すぎた。
彼女の周りを取り囲む、数にして十程度の魔界の住人。それと比較してもひけをとらない、寧ろ悪魔をも尻込みさせる魔女の微笑。
一歩踏み出せば、悪魔も一歩下がる。
目の前の獲物が予想外に大きな牙を隠し持っていること今さらながら気が付き、去るか否か躊躇しているかのようだった。
「暇つぶしくらいには、なってもらわないとな!!」
恐怖が先走ったかのように、巨大なかかしのような化物がめったやたらに得物を振りまわした。
女は片手に握る大剣で軽々と斬撃を弾き、逆に相手の隙をついて一刀両断にする。文字通り真っ二つに裂けた化物は、中から黒い虫のようなものをまき散らしながら四散した。
息をつく間もなく、女の背後から恐る恐る近寄っていたソレに裏拳が突き刺さる。
致命傷には至らないが、数メートルをバウンドしながら飛んでいくには十分の威力だ。
その光景があまりにも滑稽だったからか、それとも戦闘の中に快感を見出したのか、彼女は豪快な高笑いをしながら逃げようとするずた袋の悪魔に向けて大剣を放り投げた。
矢のように一直線に飛んだ刃は、狙い違わず悪魔の腹を貫く。
***
石畳に剣が当たる鈍い音がして、再び夜の静けさが戻ってくる。女は自分が投げた相棒を拾うため、ゆっくりと路地を歩き始めた。
先ほどまでの魔女めいた、寧ろ悪魔めいたとも言える笑みは既にない。炎に水をかけたかのように、彼女の表情も周りの空気と同じように静まり返っていた。
「これで、今日は終わりだな……」
さっきまでの荒々しさはどこへやら、落ち着いた声が空気に染みる。
足取りと同じように、ゆるりとした動きで剣を拾い上げ背中に負う。戦いの火照りを冷ますかのように両手で頬を包み、彼女は嘆息した。
こんな夜中に来たのは、別に道楽というわけではない。あの化物が市中に出てきて大暴れするのを未然に防ぐという重大な役割があった。
だが、そんな義務感もいざ倒す相手を前にすると霧散する。頭を占めるのはただどうやって敵を倒すか、その一点に尽きそれ以外の全ては真っ赤な快感の前には無きも等しいものと化す。
この女にとって、それは目下の悩みであった。足を留め、それに没頭してしまうほどの。
だから、突如背後から膨れ上がった殺気に対処しきれなかった。
辛うじてまともに攻撃を食らうことだけは避けたが、二の腕をぞくりとした熱さと冷たさがないまぜになったような感覚が過る。
「報告に合った数より一つ多いな。数え間違えたのか?」
左腕を滴り落ちる自分の血の暖かさを感じながら、彼女は舌打ちした。
改めて見れば、目の前にいる相手は先ほど自分が斬り捨てたものと同種の悪魔だ。怪我をしていたとしても遅れをとることはないだろう。
だが、油断は禁物。
先ほどのような不意打ちがないとも限らない。路地裏から不気味な石像が突如姿を見せるかもしれない。闇夜をけたたましい笑い声をあげて、出来の悪いホラー映画のような化物が空を飛びまわるかもしれない。
一切の甘えを捨て、緊張感を纏い、鮮血を散らし、彼女は剣の柄を握りしめ再度吼えた。
白のコートを紅に染め、巧みに剣を操り悪魔を屠る女性。
このフォルトゥナという街を、そこに住む人々を守るために剣をとった彼女の名はクラリス。
現在、魔剣教団の騎士団に所属していた。
***
戦いの中では勇ましい女傑であっても、自宅ともいえる孤児院の前ではそんなナリも潜まりただの子供同然となる。
クラリスも例に漏れず、慣れない忍び足などして自室に向かったものの、
「クラリス! こんな時間にどこに行っていたのですか!!」
自室の前に仁王立ちしている、孤児院のシスターに捕まり、彼女は悪戯が見つかった子供のように顔を歪めた。
女であり、まだ成人もしていないクラリスが騎士団に所属していることを、わが子のように手塩にかけて育ててきた孤児院のシスターたちが黙認するわけがなかった。
できるだけ後方支援にまわしてもらっている、などと慣れない嘘をついてみたりもしたが、やはり騙しきれるものではなかったらしい。
「クレドに呼ばれて、ちょっと悪魔退治を……」
正直に話したのだが、対する相手の鼻の穴が大きく膨らんだのを見てクラリスは選択を間違えたとすぐに悟った。ずかずかと歩みよってくる彼女の姿は、先ほど相対した悪魔よりずっと恐ろしいものに見える。
てっきり至近距離で怒鳴られるのかと思いきや、彼女はクラリスの左腕をぐいと掴んで月明かりに照らした。
いったい何が彼女の気をひいたのか。咄嗟に分からず、同じように視線を自身の腕にやって初めてクラリスは気が付いた。
今着ている白のコートにじんわりと紅い染みが広がっていることに。そして、その下には先ほど負った傷があるということに。
「ちょっとこちらにおいでなさい! まったく、こんな夜中に帰ってくると思えば怪我してくるなんて……」
孤児院の男の子たちが切り傷を作っても動揺一つ見せないくせに、とクラリスは内心で呟いた。
それとも、この怪我が悪魔との戦いで負ったものであり、場合によっては明確な死に繋がると想像してしまったのだろうか。
だとしたら、いらぬ心配をかけたことを謝らなくてはいけないとも考え直す。
何故なら、クラリスに限っては、ちょっとした切り傷程度で死ぬことはないのだから。
***
「疲れた、悪魔と戦うより疲れた……!」
自室に戻って開口一番、クラリスは愚痴を漏らした。
あれから傷があるないについての口論をし、挙句夜中に歩き回ることの危険性について十に満たない子供にするかのような説教を頂戴し、結局帰ってから一時間ほどは放してもらえなかった。
ベッドに寝転がり、左腕を天井に向けて伸ばす。痛みも、それに傷跡もそこにはなかった。流れ出た微量の血も拭き取ってしまった今となっては、コートの僅かな破れ目だけが怪我をした証拠だ。
悪魔を前にした際に生じる、いっそ悪魔に近いとも思える破壊衝動と同じくらい不自然なものとして、クラリスは異常なまでに傷の治りが早かった。
普通なら擦り傷一つ治すのに一週間ほどかかるというのに、一時間もすれば跡形もなく癒えている。おかげで怖いもの知らずで悪魔と戦えるので重宝はしているのだが、それが他人に知られるとなると話はまた別だ。
今日とて、いざ治療と思って腕まくりをしていたシスターを困惑させてしまい、不思議がられた。
他人のそんな振る舞いを見るたびに、胃袋に冷水を流し込まれたようなうすら寒いものを感じずにはいられなかった。
「私は悪魔じゃないさ。人を殺そうとか、そういうことは思ったことがないからな」
自身を納得させるかのように言ったのに、まるで自己弁護をしているかのような空しさに襲われる。
言い知れぬ恐怖を避けるように、彼女は布団の中で丸くなった。
(執筆日 2013年2月14日)
クラリス編の物語が始まります。
導入部として、どんな仕事をしてどんな体質を持つかの紹介といった感じです。
クラリスは良くも悪くも非常に分かりやすいキャラクターで
個人的にも非常に掴みやすいキャラだと思っています。
暫くクラリス編が続きますが、彼女もどうぞよろしくお願いします。