Devil Sisters   作:千代里

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<5>Side:Clarice-約束

 両手に握る木剣に、大上段から同じく木剣が振り下ろされる。その衝撃を受け、耐えるためにクラリスは腰を低く落とし、足を大きく広げた。

 予想していたよりは随分と大きな衝撃が両腕を走る。だが、慌てず騒がず、刃での押し合いに持ち込み、隙を見て大きく木剣を振り払うことで相手の体勢を崩す。

 

 尻餅をついた少年に、クラリスは一切の遠慮もせず鋭く尖った木剣の剣先を突きつけた。

 

 

「これで終わりか?」

 

「まだまだっ!」

 

 

 弾き飛ばされたとしても、手から剣は放さなかったようだ。その根性は見上げたものだと感心するが、すかさず食らいついてきた少年の剣はまだまだ軽く、甘さを拭いきれていないものだった。

 何度も打ち込まれる剣を、全て視認して最低限の所作で打ち払う。カンカンッという木剣同士がぶつかり合う軽い音が、孤児院の庭に響いた。

 

 そんな打ち合いを数分続け、ひときわ気合いを入れた一突きを少年が突き出した瞬間、クラリスは片手で握っていた剣を下げ、もう片方の手で迫りくる剣先を素手で捉えた。

 

 

「……なっ、そんな!」

 

「ネロ、今日はここまでにしよう」

 

 

 いつもの落ち着いた声でクラリスにそう言われてしまっては、少年は黙って剣先を下げるしかなかった。

 納得はいっていないようだったが、数歩距離を開け礼儀に則った礼をする。クラリスもそれに応じるように、小さくうなずいてみせた。

 

 形式ばった礼を交わした後、すかさずネロと呼ばれた少年はクラリスに駆け寄って、

 

 

「どうして止めたんだ? まだ稽古の時間のはずなのに」

 

「その稽古の時間に、別のことに思いを馳せていたようだからな。思い当たる節がないとは言わせないぞ」

 

 

 不平をぶつけたのに、思わぬ形で切り返されてネロは何も言えなくなってしまった。

 やはり後ろ暗いことがあるのだろう。正論に対して返す言葉を見つけることができず、代わりに思いきり顰め面をしてみせることで、精いっぱいの不満をぶつけることにしたようだ。

 

 そして、彼女が何か言い出す前に、ネロはぷいっと踵を返して孤児院の中に入って行ってしまった。

 

 

「やれやれ、どうやら嫌われてしまったようだ」

 

「そんなことないわ、クラリス」

 

「……嘘だとしてもうれしいよ、キリエ」

 

 

 庭の隅に腰かけて稽古を見ていた少女に、クラリスは先ほどの厳しさとはうってかわった、困り切ったような苦笑を見せる。

 予定より早く稽古を終わらせてしまったので、時間を持て余したクラリスは自分の稽古に励むことにした。キリエもネロの後を追うこともなく、じっとその様子を見守っている。

 

 十五分ほど仮想の敵に木剣を振った後、クラリスはキリエの隣に腰かけた。すかさず、キリエが水筒を手渡してくれる。

 

 

「ありがとう」

 

 

 稽古に疲れたネロのために持ってきたはずの飲み物を、自分が頂戴するのは申し訳なくもあったが、わざわざキリエが差し出してくれたのだ。断れるわけがない。

 一息で半分ほど飲み干した後、クラリスは柄にもなくアンニュイなため息をついた。

 

 

「ネロ、最近ちょっと様子が変みたいなの。クラリスが悪いわけじゃないわ」

 

「分かってる。ただ、もう少し別の言い方もあったんじゃないかと、反省しているだけだ」

 

 

 自分でも、表裏のないざっくばらんな性格ではあると思う。隣にいるキリエのように、優しく女らしい性格であったならと思わないでもない。

 だが、そろそろ20歳に手が届くという年なのに今更性格を矯正できるとも思えなかった。

 

 

「私が訊いても教えてくれなかったの。だから、クラリスが思い悩む必要は、ないと思うわ」

 

「キリエが訊いても教えないとは……。ネロの奴、日ごろの恩を忘れたのか? それとも他人に言いにくい恋煩いでもしているのか? まだチビのくせに」

 

「まさか!」

 

 

 クラリスの冗談に、キリエはくすくすと笑いを零した。クラリス自身も、自分で言ったことなのに思わず口元を緩ませる。しばし少女たちの笑いが殺風景な庭に穏やかに響いた。

 

 ひとしきり和やかに笑いあった後、

 

 

「クラリスは、誰か好きな人はいないの?」

 

 

 予想外の方向から意外な質問が飛んできて、思わずクラリスはむせてしまった。なるほど、清楚に見えてもキリエも年頃の少女だ。まだ憧れの色しかないが、恋愛関係に興味があるらしい。

 クラリスはもっともらしい顔をしながら、数秒悩み、そして言った。

 

 

「いない、な。多分」

 

 

 裏を返せば、思い当たるほど特定の人物と深く交流していないということになるのだが、それを言うと気の毒がられそうな予感がしたので、そこまでは言わなかった。

 だが、キリエはそこで話を打ち切らず、予想外にもさらに食いついてきた。

 

 

「でも、以前探している人がいるって、言っていたと思うのだけど」

 

「それは好きとは違う。子供の時に助けてもらった恩人というだけだ。キリエ、昨晩何か読んだだろう?」

 

「友達から小説を貸してもらったから、少しだけ……。それがどうかしたの?」

 

 

 随分と食い下がってくると思ったら、どうやらロマンス小説に影響されたようだ。たまにはこんな会話も悪くはないが、自分がネタにされるのでは、たまったものではない。

 

 そろそろ行かなくては、などと適当に誤魔化して、クラリスはネロの後を追うように孤児院の中に入った。

 

 

***

 

 

「まだ、三十分もあったのに、途中で打ち切るなんてっ!」

 

 

 クラリスがキリエに詰め寄られてたじたじになっている一方、ネロはくさくさした胸の内の感情を目についた柱に、蹴りという形でぶつけていた。

 何度か蹴飛ばしているうちに、苛立ちも潮を引くように収まっていく。後に残されたのは、去り際に見たクラリスの困り切った顔だけだった。

 

 悪いことをしたとは思う。

 いつも剣の稽古をつけてくれるクレドが、突然の仕事で来れなくなったから、休暇中であったにも関わらずクラリスが率先してその代わりをわざわざ引き受けてくれたのだ。

 クレドよりは身近に感じられ、キリエやほかの同年齢の子供たちに比べたら遥かにしっかりしているこの女性のことを、ネロはとても慕っていた。

 女でありながら騎士団に所属しているというだけでも十分驚きなのに、以前小耳に挟んだ噂によると悪魔とも剣を携えて渡り合っているらしい。

 キリエとは異なる、年の離れた姉のような存在。それがクラリスだった。強くて優しい、しっかりしていて頼もしい。

 そんな彼女が、特別自分に目をかけてくれているらしいことも、今までは素直に喜べた。だが、今はそれすらも不安の種になる。

 気が付かなければどうということでもなかったのに、気が付いてしまったら見ないフリはできない。足元からじわじわと染みこんでくる恐怖に耐えうる術を、ネロは持ち合わせていなかった。

 

 

「クラリスだって、どうせ俺のことなんか――」

 

 

 昨晩聞いた話と、腫物でも触るような労わった優しげな声が耳について離れない。もう一度大きく足を振りかぶり柱を蹴飛ばそうとした時、

 

 

「私がどうかしたか?」

 

「うわっ!」

 

 

 思いきり空ぶった足に引っ張られるように、ネロは尻餅をついてしまった。咄嗟に手をついたおかげで頭を打たずに済んだが、冷たい床に強かに尻餅をつくのはあまりかっこいいとは言えなかった。

 顔を上げれば、今最も顔を合わせたくない人物がネロを見下ろしている。彼はすぐさま視線を逸らして、慌ててその場を去ろうとした。だが、

 

 

「私が、なんだと言った?」

 

「別になんでもない」

 

「何でもないではない。何を聞いた、何故そんな風に苛ついている」

 

 

 何も悪いことをしたわけではないのに、どうして詰問されなくてはならないのか。

 立ち去ろうとしているのに、彼女に片腕を掴まれてしまったため、それもできなくなってしまった。振りほどこうとしているのに、振りほどけない。いったいどれほどの力で掴んでいるのだろうか。

 

 言葉に表せない理不尽さを強く覚えて、彼は咄嗟に空いている手を無茶苦茶に振りまわした。

 不意に響くごつんっという鈍い音。そして自分の拳に思ったより衝撃が走って、漸くネロはもがくのを止める。

 自分の小さな拳がクラリスの脳天に思いきり振り下ろされたらしいことに気が付くのに、そう時間は必要ではなかった。

 

 

「……!」

 

「……何があった。キリエが心配していたぞ。最近ネロの様子が変だって」

 

「クラリス……」

 

「無論、私も心配している。お前がそんな顔をしているのを、私は見たくない」

 

 

 いくら体格差があると言えど、思いきり頭を殴られたはずなのにクラリスは微動だにせずに、ただ彼を見つめて問いを重ねるだけだった。彼女に真正面から見据えられると、芽生え始めていた反抗心もみるみるうちに萎んでいってしまう。

 気が付けば、クラリスはもう無造作にネロの腕を掴むようなことはしていなかった。彼の両肩に手を置き、静かにネロの言葉を待っていた。

 

 

「……俺の、母さんが、娼婦だって言われた」

 

「それが嫌なのか?」

 

「そうじゃない。それは、別にいいんだ。でも、俺、気が付いたんだ。俺は父さんの顔も母さんの顔も知らなくて、それにそんな俺を皆は……」

 

「同情されるのが嫌、か?」

 

「…………それもある……と思う。でも、それだけじゃないんだ」

 

 

 まだ幼かったが、ネロは自分が恵まれている方だとは理解していた。家があるし、家族と呼べる人もいる。剣の稽古をつけてくれる師が二人もいる。だから、悪気はないといえ同情の目で見られることはネロには耐えられないものだった。

 

 そのことに加えて、ネロは血の繋がる両親の顔を覚えていなかった。他の多くの孤児は悪魔に両親を殺されたが故に、孤児院に身を寄せている。だが、ネロは赤ん坊の時に孤児院の前に捨てられていた。

 ネロという名前でさえ、両親から貰ったものではない。ネロには自分に繋がるルーツというものを何一つ持っていないのだ。

 

 自分が同情されるのが嫌なら、自分はどう見てほしいのか。

 そのことを改めて自身に問いかけた時、ネロは自分が何者であるかを確かなものとする手がかりが何もないことに気が付いてしまった。

 

 

「クラリスは……俺の両親のこと知らないか?」

 

 

「ネロ、お前の両親のことは私もシスターたちも知らない。残念ながら心当たりも……ない」

 

 

 クラリスの脳裏に、一瞬ある男の影が過ったが彼女は無理矢理それを振り払った。

 今目の前の少年が何を思い悩んでいるのか。彼の不安げな表情は周りの同情に対する怒りよりも寧ろ、自身の存在に対しての不安から生まれているものだと思い至った。だから彼女は続ける。

 

 

「でも、お前の両親が何者であれ、ネロはネロだ。お前がお前であることに、両親のことはそんなに関係があることなのか?」

 

「……クラリス」

 

 

同情でも慰めでもない、どこまでも真っ直ぐな真剣な言葉がネロに突き刺さる。

 まだその言葉を実感できるほど、彼は大人にはなってはいなかった。だが、クラリスが伝えたいことはひしひしとネロの心に飛び込んでくる。

 クラリスはいつもは滅多に見せない優しげな微笑を浮かべて、ネロを自分の腕の中に抱き寄せた。

 

 

「お前がお前であることを、キリエもクレドも孤児院のみんなも、そして私も、誰よりも知っているよ」

 

 

 だから、孤独に怯えることも絶望を感じる必要もない。お前は一人ではないのだから。ネロは他ならぬネロであることを知っている人がこんなにもいるのだから。

 

 クラリスの大きな腕の中で、孤独だった少年は大きく肩を震わせ、暫しその身を彼女に委ねた。

 

 

***

 

 

 ひとしきり涙を零した少年は、数分ほどして漸く気持ちが落ち着いたらしくクラリスから離れた。今更ながらではあるが、抱きついたことに恥ずかしさを覚えたらしい。

 視線を明後日の方向にやって、できるだけクラリスと目を合わせないようにしている。そんな彼の様子をほほえましく思いながら、クラリスは言う。

 

 

「ネロ、後でキリエの所に行っておくといい。随分と気を揉んでいたようだからな」

 

「分かった。そうする」

 

 

 行き場のない不安を解消したおかげか、ネロは生来の真っ直ぐな心根をより全面的に表に出すことができるようになったらしい。見ていてすがすがしいぐらいだ。

 クラリスが子供の時には持ち合わせていなかった、その痛いぐらいの誠実さを彼女は内心羨ましく思う。決して自分が不誠実な人間だと思っているわけではないが、何の濁りもなく他者を信じられるほどの純粋さは既にない。

 

 

「クラリス、どうかしたのか?」

 

 

 クラリスの顔に陰りが生じたことに気が付いたのか、ネロは小首を傾げて不安げな顔をして逆に問いかけてきた。

 

 

「少し、昔のことを思い出しただけだ」

 

「クラリスの両親のことか?」

 

「それは……少し違うな」

 

 

 クラリスの過去の話はネロは昔から何度も聞いていた。正しくは、ネロがクラリスにせっついて話させたのだ。

 

 当時は子供ならではの無邪気さで問いかけたのだが、あの時の彼女の心中はいかばかりだったかと思うと、今のネロとしては申し訳なさで胸がいっぱいになる。

 だが、おかげで彼女の過去を知ることもできた。誰よりもクラリスのことを知っていると、内心でネロが自負できるのは、幼い自分が執拗に聞き出したからでもあるのだ。

 

 クラリスは幼い頃に悪魔を両親に殺されて、偶々通りがかった男に助けられてフォルトゥナに辿り着いたという話は、孤児院の人間なら誰でも知っている。

 だが、その両親が彼女の母親の親戚であり本当の両親は彼女が幼い頃に亡くなったこと、そして彼女を助けた男が凄腕の剣士であり悪魔を狩る者であったことを知っているのはネロだけだ。

 

 

「じゃあ、クラリスが探している奴のことだ」

 

「ネロは本当に彼のことを気に入っているんだな」

 

 

 クラリスにそう言われて、再びネロは照れくさそうな顔をしたが、その表情の合間にどこか誇らしさのようなものも感じる。

 彼はクラリスの昔話の中に登場している剣士を密かに尊敬していた。顔も知らない男ではあり、クラリスの話には脚色が多分に含まれているとは言え、ネロが一目置く女性の恩人ともなれば気にならないわけがない。

 彼女も、それを知ってか知らずか、ネロが話を聞きたそうにしている時は、その剣士の話をすすんでしてくれた。

 

 

「……こうしていると、時々彼は今どこで何をしているのだろうと思う時があるのだ」

 

「クラリスは、そいつがどこにいるのか知らないんだろう?」

 

「あぁ、私を孤児院の前に置き去りにしてからの消息は掴めていない。少なくとももうフォルトゥナにはいないだろう。だから――」

 

 

 その先を彼女は言わなかった。だが、ネロには彼女の言いたいことが分かった。

 

 目の前にいるネロではなく、どこか遠くをクラリスは見ている。その視線の先は、彼女の昔話に出てくるような青いコートの青年がいるのだろう。

 今どこで何をしているのかも分からない、謎の剣士。

 ネロにとっての憧れの存在。

 

 だが、ネロはこの瞬間、初めてその男性に反感を覚えた。顔も碌に知らない奴を敵視するのも奇妙な話ではあるが、彼がまるでクラリスを外へと連れ出していってしまうような気すらした。

 だから、ネロは口をついて飛び出した言葉を止めることができなかった。

 

 

「クラリス、どこかに行ってしまうのか?」

 

「え?」

 

「いや、だから……そいつの後を追いかけて行っちゃうつもりなのか?」

 

「まさか! 私がネロを置いていくわけがないだろう?」

 

 

 まさかネロがその剣士にクラリスをとってしまうような気がして反感を覚えた、などとはクラリスは露とも知らない。ただ、子供らしい寂しさを感じているのだろうと思っただけだった。

 納得のいっていないらしい少年に、弱り切ったクラリスは苦笑いを浮かべながら言う。

 

 

「もし……そう、もし出ていくとしてもだ。私はネロに一言言ってから出かけるよ」

 

「……絶対?」

 

「絶対。約束だ」

 

 

 ネロを安心させるクラリスの笑顔を見て、漸くネロも笑みを零した。手を繋ぎ歩き始めた彼らは、どこから見てもほほえましい姉弟の姿にしか見えなかった。

 

 

 だからこの時のネロが、自分の願いと憧憬がクラリスを縛る鎖となってしまったことに気が付くわけもなく、そしてその後に起きる別離も当然知る由もなかった。




(執筆日 2014年2月14日)
執筆していた当初、幼い頃のネロはどんな子だったのだろうと
考えながら書いていたように思います。
まだやんちゃながらも、子供っぽい面もあり、一方で
彼なりに思い悩む部分もあったのだろうと想像しつつ書いてました。
原作にない部分を想像するのは楽しい反面、
これで合っているのだろうかと試行錯誤を重ねることが多いように思います。
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