Devil Sisters   作:千代里

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<8>Side:Clarice-安寧

 彼女は、その日から剣を持つことを止めた。

 

 彼女は、その日から笑うことが増えた。

 

 彼女は、その日から、彼女でなくなっていった。

 

 

「キリエ、クラリスがどこにいったか知らないか?」

 

 

 フォルトゥナの街中で出会った幼馴染の少女に、ネロは声をかけた。彼は今日何度目になるか分からない質問を、同様に聞くのが何度目になるか分からない少女に投げかけていた。

 キリエはその執拗さに嫌がる素振りすら見せず、教会の方を指さし、

 

 

「丁度そこで礼拝があって、その準備と後片付けを手伝っていたわ。先ほど私と一緒に礼拝をしていたの。クラリスが礼拝をするのって初めてでしょ? 小さな子供に教えるみたいで楽しかったわ」

 

 

 キリエはおかしそうにくすくす笑っていたが、ネロはそれよりももっと気になることがあった。

 

 

「クラリスが、礼拝……?」

 

 

 幼い頃に近しい人を悪魔によって失った彼女は、神という不可視の救いの手を忌避していた。孤児院で行われる祈りの時間の時には、いつもふ、と姿を消してしまうほどにだ。

 ネロがそんなはずはない、と言おうとした時に、彼の視界に見慣れたブロンドが入る。いつものように長く伸びた髪を無造作に結い、しかし普段の苛烈さはなりを潜め、不自然なまでの落ち着きがあった。珍しく丈の長いワンピースを着た彼女は、見知らぬ人が見れば落ち着き払った淑女に見えたことだろう。

 だが、そんな彼女らしくない恰好をするクラリスの姿は、ネロにはどこまでも悪い冗談にしか見えなかった。

 

 

「ネロ、こんなところで会うなんて奇遇だな」

 

「クラリス……」

 

「キリエ、先ほどはありがとう。おかげで恥をかかずに済んだ」

 

 

 礼拝の最中に何かあったのだろうか。クラリスはキリエに対して礼を述べ、そして先ほどの礼拝について二三言葉を交わし合った。

 彼女はどこにでもいる普通の女性になっていた。

 

 

 フォルトゥナ城の事件の後から、クラリスは騎士団に休暇届を出し、剣も返却し普通の女性になっていた。理由は事件の際に負った負傷の治療。それだけなら、どこにでもある普通の長期休暇を過ごす教団騎士の姿だった。

 けれども、日々欠かさず行っていた鍛錬すらも彼女は止めてしまった。一人暮らしを始めたクラリスの日々の生活を全て把握しているわけではない。しかし、明らかに彼女は普通の人間になろうとした。

 

 

「(クラリス……何で、騎士をやめたんだ……?)」

 

 

 ネロにはその原因に心当たりがある。

 フォルトゥナ城で、我を失って暴れまわった彼女は正に悪魔であった。彼女はまたそのような姿になることを、恐れているのだろう。彼女の嫌悪する悪魔に近い姿になってしまうことに。

 

 だが、ネロの知るクラリスはそんな恐れすらも飲み込んでしまう騎士のはずだった。

 それが、クラリスだ。今の彼女は彼がなれず、またなろうともしなかった敬虔な教団信徒の姿だ。

 

 そんなの、クラリスじゃない。

 

 

「ねえ、クラリス。お母さんと何か話していたようだけど、何を話していたの?」

 

「ああ、今度の遺跡調査のボランティア、一緒にどうかと誘われてたんだ。折角の休暇だから森の空気を浴びるのも悪くないだろうし行くつもりだ」

 

「……森の空気なら、任務でいつも浴びているんじゃないのか」

 

 

 ネロの不機嫌そうな顔にクラリスは顔を一瞬顰める。彼の言葉が額面通りのものでないことを察知したからだ。

 しかしながら表だってそれを取り上げることもせず、彼女は笑みを浮かべてごく自然に返す。

 

 

「それとはまた別物だ。何より悪魔のことで頭がいっぱいで、森林浴などとてもできたものじゃない」

 

「……遺跡調査の護衛で行くなら、森林浴なんてできないだろう」

 

「護衛じゃない、あくまでボランティアだ。荷物を運んだり、記録をとったり、煮炊きの準備をしたり――ネロ、どうかしたか?」

 

 

 飛びかかる直前の狼のごとく、彼の形相が更に険しいものになっていくのを見て、クラリスはわざとらしくぎょっとしてみせた。

 普段の彼女が自分ごときにひるむわけがない。ネロの中で引っかかっていたものが徐々に膨れ上がるのを、彼は止められなかった。

 彼はあまりにも普通すぎるクラリスに目を合わすこともできず、下を向きながら声を荒げた。

 

 

「何で礼拝に行って、旅行の話なんかして、そんな怠けた生活をしているんだ?」

 

「ネロ、クラリスは怪我をしていて休んでいるんだけで、別に怠けているわけじゃ」

 

 

 ネロの様子の可笑しさに気が付いたキリエが、慌てて宥めようとする。だが、彼女の言葉も気にかけず、ネロは続けた。

 

 

「例え怪我をしていても、いつものクラリスなら礼拝になんか行かない。俺たちが止めても、すぐに悪魔との戦いに出ようとして。それがクラリスだ。違うか?」

 

「……ネロ」

 

 

 感情を押し殺した低い声が、ネロの頭上から降ってきた。冷や水を浴びせられたかのように、ネロの中で凝っていた理不尽な苛立ちが静まる。自分のいら立ちを彼女にぶつけて、その果てに怒らせてしまったと思い、彼は謝ろうと顔をあげて愕然とした。

 憤怒の表情がそこにあると思っていたのに彼女の顔はどこまでも落ち着き払っていた。寧ろ、図星を突かれたかのように居心地の悪そうな顔をしている。

 

 

「私だって、休みたい時はある。そんなに私が神に祈りを捧げ、旅行にうつつを抜かすのが不愉快なのか?」

 

「不愉快ってわけじゃない。ただ、らしくないっていうか……」

 

「らしくない、か……。なあ、ネロ。私らしいとは何だ? 常に剣をとり悪魔との戦いに酔いしれているのが私らしいのか? 悪魔みたいに、戦いに楽しみを覚えて暴れまわるのが私らしいのか?」

 

 

 彼女の語調は決して責めているものではない。だからこそ、言葉の内容と冷静さのギャップに違和感ばかり覚える。

 ネロの態度は決して褒められたものではないのだから、いつもの彼女なら叱り飛ばすと思っていたのに。まるで肯定するかのように、確認するかのように彼女は言う。

 

 

「ネロ……。私は、お前から見てもやはり……」

 

 

 そこで彼女の言葉が止まる。何か言おうとしているのに言葉にするのをためらっているようだった。まるで言葉にしたら、それが現実になってしまうのを恐れているかのように。

 

 

「確かに私は少し怠けていたようだ。ボランティアが終わったら騎士団に戻るつもりだ。ネロとの鍛錬も時間があったらまたしよう」

 

「……本当にか?」

 

「ネロが一番私のことを知っているんだろう? 私は怪我をしたからといって、生涯じっとしていられる人間に見えるか?」

 

 

 その答えは先ほどのネロが語っていた通りだった。二人の間に流れる空気が緩んだことにほっとしたのか、キリエの安堵のため息が聞こえる。

 

 

「ごめん。クラリスがあまりに騎士らしくないことばかりするから、つい」

 

「騎士でも礼拝ぐらいはするさ。久々に敬虔な信徒に混じって祈るのも悪くない」

 

「すごく熱心にお祈りしていたものね」

 

 

 キリエがまぜっかえすように笑う。だが、彼女はふと真剣な顔つきになって、ネロに笑いかけているクラリスの横顔を見つめた。

 

 

「(でも……気のせいかな……。クラリスがあんなことを祈るなんて……)」

 

 

 私が、悪魔になりませんように、なんて。

 

 

 




(執筆日 2014年7月30日)
あまりに文が短いのですが次の話とは空気が違いすぎるので1話にしておきました。実はこれを書いた当初、1年ぶりにこの作品に触れたため戸惑いがあったのだと思います。
ネロは年頃でいうと中学生ぐらい。まだまだ大人に対して神聖化してしまう部分もあるので少しつっかかっています。
一方でクラリスは少し肩の力を抜こうとしています。これが彼女なりの対処方法なのですが、書いている作者としてもらしくないことさせてるな、と実は思っていました。
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