東方煉獄譚   作:チャーシューメン

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 二週間にいっぺん更新が、世間では亀更新と言われているといことを知りました。
 これでも生涯で三番目くらいの速度で書いてるのですががが。



依頼

 天空に星々が満ちて。

 この世界が随分と騒がしくなってしまってから、幾星霜。絶えることのない命の音楽。生と死の連鎖。闘争と進化のバイブレーション。

 それを閉じ込めた小さな箱庭。それが、幻想郷である。

 ある人はそれを、楽園だと言う。

 またある人はそれを、夢と妄想の国だと言う。

 そしてまた、理想主義と諦観主義を拗らせた、いつまで経っても大人に成りきれていない様な人間は、こう言うのだろう。

 地獄、と。

 万年の孤独に上がる哀れな女の悲鳴が、もう何度目かも分からなくなった闘争を、飽きもせずに呼び込んで来た。人は戦わなければ、奪わなければ、そして奪われなければ、生きては行けないからだ。

 しかし今、あの海からは懐かしい匂いがしている。

 運命がどう転んでゆくのか。それは、運命を支配すると嘯く、可愛い可愛いあの吸血鬼の娘でも分からないだろう。こんな難題は、自堕落な月の姫にも出題出来まい。無責任な天狗などは考える気持ちすら持たないだろう。躍進を求める神や傲岸不遜な天人ならば、それすらも自らの支配下に置こうとするのかも知れない。人を超越した王は、求道者は、どの様に立ち向かうのであろうか。あの幽玄の娘の様に静かに笑って受け入れるのが、ヒトの取れる唯一つの道なのか。

 幻想郷。

 善悪虚実大小夢現定からぬ、この八雲紫ただ一人の為の揺籠の中で、たった一つだけ確かな事。

 今日も、向日葵は美しい。

 

 

 

 右腕の感覚が無い。体が瘧のように震え、立ち上がる気力すらもゴッソリと削ぎ落とされてしまったようだ。

 幻想郷縁起に、その妖は名を連ねていた。

 宵闇の妖怪、ルーミア。

 闇を作り出す能力を持ち、人里近くの森に現れる事がある。辺りが急に暗くなってしまったのなら、その妖怪が近くにいるのかもしれない――縁起にはそうある。力は、弱いらしい。

 しかし、力の弱いはずのその妖怪は、飛び掛った一撃で英志の右腕を砕き、拉ぎ、滅茶苦茶の肉塊に変えた。

 大量の血を失い、英志は地に膝を突く。

 ただの人間の少女にしか見えないその体躯の、何処にそんな力を秘めているのか。これでも本当に「弱い」妖怪なのか。妖怪と人間の力の差は、これ程までに大きいのか。こんな妖怪が、この幻想郷には一体どれ程存在しているというのか。

 ぐるりぐるりと走馬灯のように、この脅威の前には全く無意味な思考が巡る。

 少女の姿をした妖怪は、その手に付いた英志の血をペロリと舐め、トロンと目をとろけさせた。

「美味しい」それはキャンディを舐める子どもの顔となんら変わりが無い。「やっぱりおにーさんは、取って食べてもいい人間だね」

 英志は、躊躇わなかった。

 二十二口径の弾丸を、少女の心臓目掛けて撃ち込む。左手の抜き打ちだが、狙いは正確だった。日々の鍛錬を怠らなかったからだ。引鉄を引くのは、二度。殺すつもりで撃った。

 少女は少しよろめき、白いブラウスのその胸の辺りを赤黒く染めた。

「痛いなぁ? おにーさんも弾幕、やるの? そーなの?」

 その顔に浮かぶは、怒気ではなく、喜色。

 血を吸った紅い唇の、その端をキュッと吊り上げて、真っ赤な犬歯を覗かせながら、声を上げて笑う。

 小口径とはいえ、銃弾を物ともしない。その小さな体躯はしかし、英志には迫り来る戦車の無限軌道にも思えた。

「よーし、じゃあ、弾幕ごっこ開始よっ」

 ルーミアは宙に浮かび上がった。その身体から噴き出した黒い靄が渦を巻き、周囲の空間をぞろぞろと舐って行く。汚染された空間は、光を貪欲に喰らい、咀嚼し、その胃袋に収めてしまう。

 残されるのは、闇。

 只の、闇。

 墨筆を荒ぶる感情のままに振り回したかの如く、森の情景が闇色に塗りつぶされてゆく。

 黒い闇の隙間から、赤い光球がぽつりぽつりと生まれ出ずる。宛ら、夜空に瞬く妖星。それは時間が経つにつれ、二次関数的に数を増やし、瞬く間に英志の視界を埋め尽くした。光球は超高速で回転し、荒れ狂う暴風と圧倒的な圧力とを放つ。それら一つ一つが、戦車の主砲並の威力を持つ事が容易に想像された。

 多量の血液を失い、立つ力すら無く膝を突く英志は、それを見上げる事しか出来ない。眼前に展開される人智を超えた悪魔の遊戯は、美しく荘厳ですらある。最早、これはアートと呼ぶに相応しい。

 なんだこれは。

 なんなのだ、これは。

 この出鱈目な破壊の嵐を前に、一体、人に何が出来るというのだ。

 次元の違う相手を前に、ちゃちな拳銃を構える英志のその姿は、滑稽以外の何物でもない。

 少女の姿をした化物は、宙に浮いたまま、ゆっくりと両手を広げた。その様はまるで、磔刑に処される聖者のようだ。血を失った鈍い頭で、英志は場違いな事を考えた。

 そんな英志を嘲笑うが如く、ルーミアが指揮者よろしく両手を交差させると、赤光を放つ光球の雨が、英志に向かって殺到する。

 その光景は、この世の終わりに等しく思えた。

 

 

 晩秋の陽は、人見知りが激しい。顔を出したと思ったら、すぐに地平線の向こう側へ隠れてしまう。世話が焼けるが、駄目な子程可愛いとも言う。秋の夕焼けは、格別である。

 太陽が赤付き始めた頃合い。

 射命丸文は永遠亭の庭に降り立つと、真っ先に輝夜を探した。従者の永琳に捕まると面倒だからだ。取材ならばいざ知らず、それ以外の用であの癪に触る物言いを耳にするのは、ただ単純に無意味で苦痛なのである。八意永琳が何もかも全てを見下している事など、文にはお見通しなのだ。

 輝夜はお気に入りだと言う庭の縁側に座っていた。

「あら。遅かったじゃない、情報屋さん」

 振り返った輝夜のその顔を見て、文はギョッとした。

「なによ、変な顔して」

「な、何ですかそれ」

 輝夜は顔全体に土色のドロドロした物体を塗りたくっていた。ドロドロした物体、というか、泥以外の何物でもないように見えるが。

「ああ、これ? 泥パックよ。知らない? 美容にいいのよぅ。これから人前に出るんだもの、おめかししないとね」

「はあ、そうですか」

 やっぱり泥か、月人のやる事は分からないな、そう思いつつも、文の新聞記者としての嗅覚は、輝夜の言葉から不穏を感じ取った。

「誰かに会われるので?」

 文が尋ねると、輝夜は眉を顰めた。

「何よ、まさか本当に知らないの? 外の世界の、外交官が来てるのよ」

「いや、それは知っていますが……、まさか貴女が会おうとしているとは思わなかったもので。しかし、既に行方不明になっていますが?」

「……ふーん?」

 輝夜は泥パックでおどろおどろしくなった顔を綻ばせる。美人は何をしても美人だと言うが、そんな状態でも、輝夜はある種の美を放っていた。

「あんた、案外、馬鹿なのね? いや、わざと馬鹿になっている、そう言うべきかしら。天狗の悪癖だわ」

 そう言って、ころころと輝夜は笑う。

「何を言っているのです?」

 文は困惑した。永遠亭の人間は何を考えているのか分からなくて、不気味である。殊に輝夜は、ある意味分かりやすい八意永琳よりも底が知れない部分がある。

「能ある鷹は爪を隠すって言ってもね。思考停止して、自分の好きなものだけ目に入れていれば、鷹もいつかは飼い慣らされた家畜になるわ」

「流石、一日中道楽三昧のご身分の方は言う事が違いますね」

「本当に馬鹿に成り切っているのね。私は姫なのよ? 姫は幸せに、ダラダラ過ごすのがお仕事なの」

「次の台詞は、ケーキを食べればいいじゃない、ですか?」

「そうよ。食べればいいのよ。私が姫でいる限りはね」

 文は溜息を吐いた。流石、天上の宇宙人は言う事が違う。地上のあらゆるものは、彼女たちにとって、家畜以下の価値しかないのだろう。慢心遣る方無い。

「紫とアリスはあんたの事を、幻想郷最強に近いって言ってたけど。最強ってのは、脳筋って意味だったのかしら」

 輝夜の顔ときたら、一片の悪意の欠片も無いのである。こんなにマイペースな人間、もとい月人は見た事が無い。

「言いたい放題ですね」

「あら、ごめんなさい? 私ってばホラ、姫だから。素直で可愛いのも、姫の務めなのよ」

「貴女らしくもない、今日は饒舌じゃないですか」

「お祭りの前はウキウキするものじゃない」

「お祭り、ですか?」

 輝夜は、溜息を吐いた。その吐息には、呆れが混じっている。正直、良い気分はしない文だった。

「今日は、売るわ」

 急に語調を低くして、輝夜は言う。

 商談に入ったのだ。

 文は新聞記者として話題の収集を行う傍ら、情報の売り買いも行っている。勿論、記者の矜持として、個人のプライベートな情報は扱わないが。

「売り、ですか」

 売る、という事は、輝夜が情報提供を行うという事だ。最近まで竹林の中で隔絶し、孤立していた永遠亭にしては珍しい。

「里に新たな外交官が来ているわよ」

「なんですって?」

「言葉の通り」

 輝夜は涼し気な顔で庭を眺めている。

 先に現れた外交官は、一週間程前、突如として行方不明になったという。確かに新たな使者が現れてもおかしくない時期ではあるが、人間の里を所狭しと飛び交う文より、永遠亭の縁側に座る輝夜の方が耳が早いとは、如何なる事か。示す事実は唯一つ、輝夜は里に斥候を張り巡らして……、

「違うから」

 高速回転していた思考を的を得た言葉で遮られて、思わず文は息を呑んだ。

「情報ってのは足で探すもんしゃない。足で探すのは確証、そうでしょ? この程度は、予想と予兆の範囲内だわ」

「つまり確証のある情報ではない、と?」

「確信はあるけどね。外交官は、最初に上白沢慧音に会った筈だわ。今頃は八雲紫に会いに行っている、そんなとこかしら」

「八雲紫……、博麗神社ですか」

 そう言えば、よく慧音とつるんでいる蓬莱人の妹紅が、紫の居場所を尋ねてきたのを思い出す。

「しかし何故、そんな事が分かるんです?」

「幻想郷にはこれだけ役者が揃っているのよ? 私が演出家ならそう配役するし、他の誰だってそうするでしょう? 滝の水が崖から流れ落ちるように、自然な事だわ」

 輝夜はさも当然と言うが、要は勘であるという事だろう。

「いや、勘じゃないわよ?」

 またもや思考を言い当てられ、文は一歩引いた。

「分からないかなぁ? こういう、物事の大きな流れがさぁ? 世界ってのは、得てして在るべき姿に落ち着こうとするもんなのよ? まあ、これは永琳の受け売りだけど」

 小首を少し傾げたと思うと、輝夜は櫛を取り出して、髪を梳り始めた。その長い、海の様な髪の束に櫛は吸い込まれ、舞い踊るが如く、柔らかな黒波の合間を跳ねる。その動きは滑らかで、何の抵抗も受けていないようにみえる。梳る意味があるのか、疑問に思う程だ。

「って、何で貴女に機の読み方の講義なんてしてるのかしら」

「講義だったんですか? 全く内容が分かりませんでしたが」

「悪い聴講生ね。やる気が無いのが腹立つわ。本当、天狗の悪癖だわね。人の言うことはちゃんと聞くべきよ」

「それはどうも、悪うございましたね」

 文は輝夜に背を向けた。

 売買成立である。

 輝夜の言うことは、確証の無い想像の話かもしれない。が、符号する事実も多い。何より、悔しいが文自身の勘がそれを肯定するのである。

「お代はまた後日」

「ああ、お金は良いわよ。腐る程あるし。その代わり」

 梳る手を止め、振り向いた文を見上げるその瞳。

 顔は泥塗れだが、その瞳だけは、宇宙に瞬く一等星のように、キラキラと光を放っていた。

「貸しにしといてもらうおうかしら」

「何を言い出すのやら」

 文は眉を顰めて嫌悪感を顕にしたが、輝夜は意にも介さなかった。足をブラブラと揺らし、体も揺らし、楽しげに鼻歌を歌う。聞き覚えのある曲、これは最近現れた九十九姉妹の曲だ。

 その仕草の全てに毒気が無い。それが逆に、文には恐ろしく感じられた。

「どうせ、あんたはきっと、私に借りを作ったって思うわよ」

 歌詞の一つのように、歌いながら言う。

「……それでは」

 無視して、文は飛び立った。

 文のスピードならば、一瞬にして雲の上にまで出られる。

 眼前には雲の絨毯と、それを染める夕日の炎。

 輝夜の評価を改めなければならない。そう強く感じた。今日の輝夜は、底が知れない。あの恐るべき八意永琳が従者に収まっているのには、それだけの理由があったのだ。

 しかも輝夜は、この異変に乗じて何かを企んでいるようだ。輝夜を計るためにも、文は博麗神社へ、八雲紫の元へ、そして恐らく輝夜の予測通り現れているだろう、外界の外交官の元へ向かう必要がある。

 しかし、その前に、もう一つ仕事を片付けなければならない。文は黒い翼を開き、幻想郷一とも謳われるその飛翔、その速度を、観客のいない空に向かって、惜しげも無く披露した。

 

 

 赤く染まった視界の中で。

 前触れもなく、それは現れた。

 膝を突く英志の前に、仁王立ちする影。

 広げた白い傘は、幼子を模した妖の放つ光球の、その圧倒的な破壊波を、まるで初夏のそよ風を受けるかのように、事も無げに受け止めて見せた。

 轟く爆音、飛び散る岩塊、舞い上がる土煙。宛ら、ここは実弾演習場。

 そんな中に在っても、それは太陽に向かい佇立する向日葵のように、悠然と立っていた。

 悪い冗談だ。

 英志は、眼前の光景が子ども向け特撮映画のワンシーンだとしか思えなかった。

 たっぷりと時間をかけて放たれたルーミアの光球の雨は、白い花のような傘によって、全て跳ね返されてしまった。

 辺りには土煙がもうもうと立ち込める。木々はなぎ倒され、地面に開いたデコボコした無数の穴は、まるで痘痕。元の鬱蒼と茂った藪の姿など、見る影も無い。

 白い傘を滑らかな手付きで畳むと、それは振り返った。

 赤光に眩んだ目がようやく紅白以外の色を取り戻し、鮮やかなその姿を英志は目撃する。

 女性だ。

 その背は高く、植物の蔓のように伸びた暗緑色のショートボブがそよ風に揺れる。切れ長の目には慈愛の光が灯り、涼しげに瞬いていた。白いカッターシャツに、赤いチェック柄のベストとロングスカートを着け、足元は赤のラウンドトゥパンプス。白い布を被せたバスケットを小脇に抱えている。土埃立ち込める中、ささくれ立ったこの地に佇む姿は、荒野に咲いた一輪の赤い花。

 女性が流し目で英志を見つめて瞬きすると、破壊された右腕がひとりでに跳ね上がる。ベキベキと音を立てて変形したかと思うと、めちゃめちゃに粉砕されていた腕は、見る間に元通りになった。指の開閉をして確かめても、血の通う感覚や、指先の繊細な触覚まで何の違和感もない。完璧である。

「あーっ、幽香だ!」

 少女の姿をした妖は、驚きと歓喜の入り混じった声を上げる。途端、彼女の周囲に立ち込めた黒い闇は晴れ、瞬く光球達も夢幻と消えた。

 風見幽香。

 縁起にも記されている妖怪である。普段は紳士的であるが、その危険度は極高で、彼女と敵対する事は死を意味すると言う。人呼んで、フラワーマスター……しかし、英志の腕の回復しかり、見せたその力の一端は、とてもその枠に収まるようなものではないと感じた。

 ルーミアは着地すると、自身の攻撃で開いた地面の穴をぴょんぴょんと飛び跳ねながら器用に避け、風見幽香の腕に縋り付く。

「ねえねえ、幽香も弾幕ごっこ、するの?」

 その様は、近所のお姉さんと戯れる幼女そのままなのであるが、彼女達の戯れが人間にとって災害以外の何物でもない事は、先の戦闘行為が証明している。

「ごめんなさい、今日はやめておくわ。また今度、しましょう」

 静かで落ち着いた、低めの声でそう言う。

「えー、しようよー」

 ルーミアは顔を曇らせて、幽香の腕を引っ張っていたが、小脇に抱えたバスケットから幽香が取り出したバゲットを見ると、いっぺんに顔を輝かせた。

「幽香のパンだー!」

「それあげるから、今日のところはお家に帰りなさい。いいわね?」

「うん!」

 受け取ったバゲットにさっそく齧り付きながら、ルーミアは屈託なく笑った。

 バスケットごとパンを貰ったルーミアは、それを抱えてふよふよと何処かへ飛び去って行った。去り際に何度も振り返り幽香に手を振るその姿は、愛らしくさえあった。

「何故」

 腕は戻っても、失った血は戻らなかった。英志は地に片膝を突いたまま、風見幽香を見上げた。

「何故、何の縁も面識もない私を助けたのです?」

 幽香は涼しげな顔で、さらりと言った。

「井戸に落ちそうな子どもを見かけたら、利害を考える前に、手を差し伸べるものではなくて?」

 古典を持ち出す辺り、風見幽香には教養がある。かつ、有名な文句を引き合いに出して、英志を試みているようだ。

 英志は慎重に言葉を選んで口にした。

「朱子、ですか」

 幽香は猫のように目を細めた。

「命の恩人相手に駆け引きとは、良い性格をしている」

 英志は素直に頭を下げた。

「無礼はお詫び致します」

「いいえ。それでこそ、助けた甲斐があるというものだわ」

 風見幽香の微笑には、肝が冷える。

「私は日本国政府外交官、瀬名英志です。貴女の助力に感謝致します。風見幽香殿」

「私も有名になったものね、嬉しい限りだわ」

 クスクスと笑う。言葉に反し、この笑みはそんなものを意に介していない笑みだ。風見幽香という存在は、俗世の在り方から浮き上がっている、そう感じる。

 幽香はベストの内ポケットから、何か白いものを取り出した。

「恩を着せる訳ではないけれど、貴方に頼みたい事があるの」

「依頼、と?」

 幽香が差し出したそれは、見慣れない紋章が刻まれた白鞘だった。白鞘の継目は、微かに赤黒く変色しており、かつて血を吸ったであろうことが想像される。

 受け取り、手に取ってみる。桐の手触りは心地良いが、それ以上に、圧倒的に禍々しい何かを感じる。

「これは……」

「儀礼刀」

 風見幽香は、傘を開く。

「八雲紫の、罪の象徴。それがあれば、彼女との交渉を有利に進められるでしょう」

「何故、これを私に?」

「一人目は、死んでしまったから」

 先遣隊の事だ。英志は拳を握り締めた。

「それを、元の持ち主の下へ、返してあげて欲しい」

「元の持ち主……?」

 ふと、幽香は空を見上げた。

 夕焼け色の空を、一羽のツバメが飛んで行く。幽香は瞳を閉じて、ふっと息を吐いた。人間の女性と変わりない、憂いのある、妙に艶かしい仕草である。

「八雲殿に返却なさるなら、ご自身で行うべきでしょう」

 幽香は答えず、白い傘をさして英志に背を向けた。傘まで陽の色に染まり、いよいよ一輪の花そのものにしか見えない。

「風見殿、これは……」

「外交官殿」その背は物言わぬ花。「すべての人々は、それぞれの花を咲かせる為に生きている。そこに高下などは無い。ゆめゆめ、お忘れ無きよう。もしも貴方が道を違え、その刀を増やそうとなさるのなら」

 振り返ったその瞳は、深紅に輝いていた。

「その時は、この風見幽香がお相手させていただく」

 そよ風と共に歩いて行く。その足下から、緑色の津波が沸き起こった。草花が急速に育っているのだ。宵闇の妖怪に破壊された地が、緑の筆で塗り潰され、痛々しい痘痕面が花の化粧で飾られて行く。

 残り香の様に、後には言葉だけが残った。

「また、お会いしましょう……」

 彼女が去って後も、英志は暫く、息をする事が出来なかった。

 あの瞳は、師のそれに似ている。

 ようやく呼吸を思い出し、なんとか立ち上がると、白鞘をジャケットの内ポケットに突っ込んだ。

 

 

「幽々子様なら、先程ふらりとお出掛けになりましたが」

 見るからに鈍そうな顔立ちをしたその半人前の庭師は、役立たずにもそう言い放った。腰の長者が滑稽である。以前に手合わせした事があるのだが、刀の方の腕前もまだまだ未熟だ。筋は悪くなさそうであるが、今現在では、文にすら及ばないだろう。

「幽々子さんは何処へ行ったのでしょう?」

「さあ……」

 半人前の庭師は箒を握りしめながら、眠そうに目をこすっている。この娘は本当に仕事をしているのだろうか、とてもそうは見えないのだが。

 と、庭師は何か思いついたようにポンと手を打った。

「ああ、そういえば。なんだか、天界を散歩してくる、とか言ってましたね」

「天界、ですか」

 天界の総領主か、龍神に会いに行ったのだろうか。なんのために?

 文は認めている。西行寺幽々子は真の賢者である。殊、知略に関しては、幻想郷で右に出るものは居ないだろう。あの八雲紫が猛者連なる幻想郷で最強妖怪として位置づけられているのは、その隣に西行寺幽々子がいるからに他ならない。

「いらっしゃらないのなら仕方ありませんね。それでは、言伝をお願いできますか?」

「はいっ」

 庭師は元気よく返事するが、その目は眠たそうである。

「……本当に大丈夫ですか? 眠そうですけど」

「別に眠くないですけど」

「まあ、いいでしょう。『人間らしくないお姫様が外出しようとしている』。そう伝えていただけますか?」

「はあ?」

 庭師は首を捻った。

「幽々子さんなら、そう言えば分かりますよ」

「私には全くわからないのですが……」

「それは貴女が半人前だからです」

「そんなひどい」

 庭師はぷくっと膨れた。

 この娘は、頭の働きの半分を、周りに侍らせる大きい餅のような幽霊体に取られてしまっているのではないだろうか。彼女と一心同体ということであるし、ありえない話ではない。これは次の新聞に使えるかもしれない、文は文花帖を出してメモした、「妖夢の脳みその半分はお餅に食べられた」。

「ちょっと、なんか変なこと書いてないでしょうね!」

 慌てて庭師が言う。

「いえ、別に」

「貴女がその手帳を開くと、いつも碌なことが起こらないんです!」

「被害妄想が激しいですねえ。まあでも、安心してください。今日は取材に来たわけではありませんので」

「本当ですか?」

「それより、言伝、頼みましたよ。いくら眠いからって、忘れないように」

「だから別に眠くないですってば!」

 西行寺幽々子が既に動いているのなら、ますます輝夜の言葉に信憑性が増す。

 ぷりぷりと怒る庭師を尻目に、文は白玉楼を後にした。

 向かう先は、博麗神社。

 

 

 英志は草むらの影から、ふらりと現れた。

 弾幕ごっこを見ていた隙に英志がいなくなったことに慧音達が気づき、探しに行こうと思った矢先だった。

「何処へ行っていたんだ」

 慧音が語気強く言うと、英志は誤魔化すように首を振った。

 よく見れば、血の気の引いた青い顔をして、足取りは覚束ない。ジャケットの右腕が破れて、しかも血の痕まで見える。

「おい、どうした、顔色が悪いぞ。何かあったのか?」

 妹紅が心配して声をかけるが、

「なんでもありません。それより、博麗神社に向かいましょう」

 英志は振り切るようにして、うらぶれた茶屋を後にした。

「八雲紫殿は、どのような方なのですか?」

 青ざめた顔で歩きながら、英志は尋ねて来る。

「一言で言えば、分からん、だな」

「分からん、ですか」

 英志は苦笑いする。

「目の前でしゃべっていても、捉え処が無いというのが感想だ。目を合わせていても、彼女の視線は私ではない何処か遠くを見ている、そういう人だな。だけど幻想郷を愛していることだけは真実だと思う」

「複雑ですね。妹紅さんの印象はどうですか?」

「そうだなあ……」

 妹紅は顎に手をやって考えながら。

「かわいい人、かな。あの人は、真面目でひたむきだよ」

「なんだか、お二人で矛盾した意見ですね」

「あの八雲殿をかわいい、なんて、さすがは妹紅だな」

「いや」妹紅は頷きながら言う。「彼女は大量の嘘の中に少しの真実を混ぜて話してるんだ。だから胡散臭く聞こえてしまう。本来のあの人は、自分のやることや信念を絶対に曲げようとしない、無鉄砲で可愛い『お嬢さん』だって思うな、私は」

 その論理はよく分からない。が、妹紅の勘が鋭いことだけは確かだ。

「曲げようとしない。曲げようとしない、ですか……」

 英志はその点が特に気になったのか、妹紅の言葉を何度か反芻していた。

 参道と言う名の獣道を幾つか超え、慧音達は博麗神社へと到着した。

 長い石段を登る。

 英志の息は荒く、今にも倒れそうである。

「手を貸すか?」

「いいえ。大丈夫です」

 慧音が差し出した手を避けて、英志は石段を登り続けた。

「意地を張るなよ。倒れたら元も子も無いだろう」

 妹紅も声を掛けるが、それでも英志は聞かない。

「このほうが血の気も引いて、冷静な判断が出来るようになります。頭に血が登っては、交渉など出来ませんから」

「お前も八雲紫とおんなじだなぁ」

 呆れ顔で、妹紅は言った。

 石段を登り終え、鳥居をくぐる。此処へ来る度、いつも感じることだが、鳥居をくぐった瞬間に、異界へ来たような感覚を覚える。この場所が博麗大結界の境界にあるからなのかもしれない。

 夕日がいよいよ赤を増した。

 周囲の木々は色付く時期を過ぎ、その葉を散らし始めている。どうした事か、境内には落ち葉が散乱し、手入れがされていない。暇を持て余した霊夢が竹箒を振り回して掃除しているので、いつも見た目だけは小綺麗なのだが。

 簡素な拝殿をぐるりと周り、裏へ回った。

「神社にしては、珍しい造りですね」

 博麗神社を初めて見たであろう英志は、物珍しそうに目を瞬かせていた。

 本殿の縁側にいつもの紅白の巫女装束を着た博麗霊夢が座っていた。

 その隣にいる妖怪。

 ウェーブのかかった長い金髪の上には、赤いリボンの巻かれた白い帽子、八卦の萃と太極図を描いた大陸風のゆったりとした衣を纏う。その涼しげなニヤけ面は、赤光の中では一層恐ろしく見える。見た目は妹紅の言う通りお転婆なお嬢さんだが、その実態は、物事の隙間を支配する力を持つ、幻想郷最強の妖怪。

「貴女が八雲紫殿ですか。初めまして。私は日本国政府外交官、瀬名英志と申します」

 英志が名乗ると、紫は子猫のようにキラキラとしたその瞳を、慧音達の方へ向けた。

 

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