東方煉獄譚   作:チャーシューメン

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 一部、アンチヘイト的な表現が出てきてしまっていますが、キャラクターも作者も、ある意図を持って行っています。
 意図はすぐに明らかになりますので、不快に思われる事もあるかもしれませんが、一時、ご容赦いただけると幸いです。



八雲紫

 握り締めた指の谷間から、白い砂が溢れ落ちてゆく。

 さらさらさら……

 さらさらさら……

 誰にも留めることが出来ない、時の流れのように。

 因果は応報するものだ。これが誰の因果の果てに現れたものなのかは分からないが、目の前に現れた以上、これは既に自分たちの因果にも成ってしまっている。この海と、この砂浜とは。

「姐さん、何誰そ彼てんスか」

 弟子の雲居一輪が近寄って来て、無遠慮に覗き込んで言う。

「一輪、いつも言ってるでしょう。、その姐さんと言うのはやめなさい」

「あっ。すみません、すっかり癖になっちゃって。気を付けます、姐さん。……あっ」

 粗忽者の弟子は慌てて口を押さえた。この子が悟りを開くのはまだまだ先のようだわ、聖白蓮は溜息を吐いた。

「海だ海だ海だーッ! ヒャッハーッ! キャプテンインザシー!」

 外来のへそ出し水着に身を包んだ村紗水蜜が、奇声を発しながら波打ち際ではしゃいでいる。

「あーあ、村紗のやつテンション上がりすぎちゃってまあ……」

 一輪は呆れた声を出すが、そういう自分もちゃっかりと外来水着に身を包んでいる。

 しかし白蓮は、弟子のはしゃぎっぷりに口を出すつもりは無かった。海を見たのは確かに久しぶりだったからだ。白蓮は魔界、彼女たちは地底に封印されていたのだが、そんなところに海は在るはずもない。そして、ようやく解放されてこの幻想郷に降り立って見れば、そこも外界と隔絶された言わば陸の孤島。だから、彼女たちの興奮ぶりも分からなくはないのだ。

「姐さん……じゃなかった、聖様は泳がれないのですか?」

「私はいいわ。一輪、行ってらっしゃいな」

「えーでもー」

「誰かは残って、この浜を監視しなければならないでしょう」

 ニ週間前に出現した島は神隠島と呼ばれている。その呼び名の通り、島上、もしくは島に向かう海路上にて行方不明になった人間が、数多く居るのだ。その中には、外界からやってきた外交官達も含まれている……。だから、誰かが誤って近づかないよう、白蓮達は自発的に監視を行っている。

 消えた外交官は、誠実な人物であった。女性の身で外交団の指揮を執り、要人との会談や島の測量、文化交流の為の催しなど、短い期間ながら勢力的に活動を行っていた。

 中でも白蓮が感心をしたのは、外交使節団が一切武装をしていなかったことだ。突然繋がった見ず知らずの土地に、しかも妖が跳梁跋扈するこの幻想郷に武器も持たずにやって来るなど、並の人間には出来ることではない。まず付いて来る部下がいないだろう。それを実現させていたからには、よほどの信頼と実績を有していたに違いない。

 その人物が、消えた。

 幻想郷は、相手の誠実を裏切った形になる。

 政治への関わりが薄い白蓮でも、次に起こることは分かる。因果は、応報するものなのだ。

 だから、白蓮はここに居るのである。

「行ってらっしゃいな、一輪」

「じゃあ、お言葉に甘えて……イヤッホゥ! 海だ海だーッ!」

 粗忽者の弟子は奇声を上げながら、海の中へ飛び込んで行った。

 その様子を見て、微笑ましい半分、憂いが半分。思わずため息が出てしまう。

 何事も起こらねば良いが。

 この平穏が一時のものだと分かり切っていても、そう思わずにはいられない白蓮だった。

 

 

 八雲紫は妖しく笑った。夕陽に照らされたその顔は、現実離れして美しい。まるで作り物のように。

「ようこそ、外交官殿。そろそろいらっしゃる頃だとは思っていました。私は八雲紫。この幻想郷で、結界の管理などを行っておりますわ」

 紫の言葉の通り、彼女は幻想郷に張られた「博麗大結界」や「幻と実体の境界」など、種々の結界の管理を行っている。博麗大結界は幻想郷を外界から隔絶し隠蔽する効果がある。つまり、幻想郷を幻想郷たらしめているのが、博麗大結界なのである。それ故、その管理を行う紫は必然的に幻想郷でも特殊な地位を占める。

 ちら、と紫は慧音の方へ視線を向ける。黄金色の瞳が慧音を捉える。若干の緊張が身体を小さく震わせた。しかし、気後れしているわけにはいかない。紫には尋ねなければならないこともあるのだ。

「先生達は付き添いかしら?」

「いえ」慧音は姿勢を正して答えた。「我々は彼の案内役と言ったところです。必要であれば、少し席を外しますよ」

「ああ、良いのよ」

 紫は手をヒラヒラと振った。

「寧ろ、先生達にも同席して頂きたいわね。事は幻想郷全体に関わる話なのだし。霊夢、ちょっと拝殿を貸してくれないかしら?」

 霊夢は静かに茶を啜っている。

 何も言わず、視線も合わそうとせず。周りの物事に目もくれず、超然と茶を飲んでいるのである。

 様子がおかしい。

 普段はどうでも良い事を喧しく喋くる、脳天気が服を着たような女なのに。

 よくよく考えてみれば、島や外交官の出現は、異変以外の何物でもない。それなのに、霊夢が動いている様子がないのである。英志は島の上で霊夢と会ったと言っていたが、異変は解決されてなどいない。

 不審に思って霊夢の顔を覗き込んだ慧音は、凍りついた。

 その顔は、まるで壁である。殺気こそ放っていないが、表情から感情が抜け落ち、無機物の顔になっていた。普段はだらし無く弛緩していて気付き難いが、霊夢は生来、刀剣のように整った顔立ちである。表情を失くした事で、それが際立っているのだ。

 すわ、紫が何かしたのかと考えたが、

「まったくこの子はもう、どうしたのかしら」

 当の紫も額に眉して困惑気味なのである。

 この巫女から脳天気を取ったら、後に残るのは博麗の力だけだ。霊夢は今、純粋な力そのものとなってしまっている。一体何が彼女をそうさせているのだろうか。

「私はこのままで構いません」

 焦っているのか、外交官・瀬名英志は立ったまま話を切り出した。

「詔勅を預けられているとは言え、私は実務者です。堅苦しい挨拶は抜きにさせていただきたい」

「構いませんわ。どうせ目的は分かりきっているのですから」

「お言葉に甘えさせていただきます。用件は勿論、あの島の事です」

 紫はゆっくりと頷く。

「神隠島。私達はそう呼んでおりますわ」

 出現から僅かの間に、もう何人もの人間が消えた。そこから付いた名、神隠島。呪われた名である。

 英志は緊張しているのだろうか、深呼吸を一つする。

「既にご存知だとは思いますが、改めて宣言させていただきます。我が国はあの島の領有権を主張します」

「何だと?」

 思わず、慧音は口を挟んだ。

「貴様、争いを助長する気か。同じ日本なのに、権利を主張しあってどうする。幻想郷は誰のものでもないぞ」

 英志は首を振る。

「慧音さん、それは違います。我々は幻想郷という存在を認識すらしていなかったのです。お互いの立場を明確化しなければ、議論する事も理解することも出来ません。まずはお互いの主張を宣言する。交渉はそれからです」

「しかしだな……」

「慧音、話が進まないぞ」

 妹紅が袖を引っ張るので、慧音はやむなく矛を収めた。

 英志は話を続ける。

「繰り返しますが、我が国はあの島の主権を主張します。あの島は、我が国の領海内にある島です。我が国は、我が国の領土として島の主権を主張する権利を持ちます。これは当然の事です」

「それは、貴方の国の法に則れば、でしょう。我々がそれに従う謂れはありませんわ。それに、海岸線は幻想郷の方が圧倒的に近い」

 紫の言うことも尤もである。幻想郷に外界の法を適用しなければならない理由はない。寧ろ、幻想郷はそこからはみ出た者達の集まりなのである。人間の法を適用するなど、不可能だろう。

「では領有権を主張なさると?」

「幻想郷は全てを受け入れますわ」

「その根拠は」

「我々の幻想郷にあの島が存在するから、ですわ」

「従来、幻想郷に海は存在しなかったと聞いておりますが」

 紫はクスクスと笑った。

「分かりませんわよ? 隠されていただけで、本当はあったのかも? 現に今はあるのだし。逆に聞きましょう。貴方の国があの島の領有権を主張なさる根拠は?」宙を彷徨う紫の指が、ピタリと英志を捉えた。「領海内に有るという貴方の言を逆に辿れば、現実に実効支配が出来ていないことを認めている、もっと言えば、以前は存在さえ認識していなかったと言う事ではなくて? その証拠に、貴方の前任者があの島の調査測量を熱心に行っていたという目撃情報がありますけれど」

 英志は目を細めて頷いた。

「認めましょう」

「待て、どういう意味だ? 頭が混乱してきた」

 額に手を当て、妹紅が難しい顔で口を出す。慧音も同じ思いである。

「お前達は外の世界からやって来たんだろ? つまりあの島も海も、外の世界のものの筈だ。それなのに、お前達はあの島の事を知らなかったという訳か?」

 英志は頷く。

「そういう事になります」

「なら、あの島は何だ?」

 英志は慧音達のほうへ振り向いたが、それには答えなかった。すぐに紫の方へ向き直ると、声音を高くして言った

「得体の知れないものをそのままにしておく訳にはいきません。ましてあの場所は、国境線を引く上で重要な位置です。そこで我々は、貴女方に提案させて頂きます。あの正体不明の島をひとまず共同管理区域とし、相互に不可侵条約を結ばせていただきたい。その上で、共同の調査団を派遣致しましょう」

 紫はその言葉をせせら笑った。

「不可侵、ですか。聞いて呆れますわね。最初に武力によって島を占拠しようとしたのは、貴方達でしょうに」

 英志は首を振って否定する。

「確かに先遣隊は島上に滞在していましたが、非武装でした。貴女の非難は当てはまらない」

「洋上に待機させている艦隊。知らないとは言わせませんわよ?」

 その言葉に、慧音はギョっとした。

「か、艦隊だと? どういう事だ!」

 口をはさみかけたが、妹紅が強く腕を引っ張ったので、それは叶わなかった。

 英志は大きくかぶりを振って言う。

「八雲殿。ご理解いただきたい。貴女方にとって我々がそうであるように、我々にとっても貴女方は異邦人なのです。増して、貴女方は人智を超えた力を有している。人の心は弱い。我々が警戒心を持つのも、無理からぬ事だとご認識いただきたい」

「その腕……、既に洗礼を受けられたようですわね?」

 紫の言葉で、慧音は英志の右腕を再び見やった。袖は肘の辺りまで破れ、赤黒い血の染みが付いている。

 今更ながらに気付く。英志は隠したが、慧音達が弾幕ごっこに夢中になっている隙に、妖怪に襲われていたのだ。

「まあ、そんなことはどうでも良いのです。貴方達が剣を取ろうが弓を引こうが、何処で朽ち果てようが」悪びれた様子も無く、紫は言う。「すべてはあるがまま。混乱も混沌も、幻想郷はすべてを受け入れます。来る者拒まず、去る者追わず。あの島が幻想郷に存在する以上、あれも既に幻想なのでしょう。それ以上、私からは述べる事はありませんわ」

「八雲殿、それでは話が前に進まない。神隠島の存在は貴女方にとっても懸念のはずだ」

 傍から見ても明らかに、英志の表情は険しい。

「些細な問題ですわ」

「ならば、我々の存在すらもそうだと言うのか」

「うふふ。ご想像にお任せ致します」

 そして紫は興味を失くしたように、外交官から顔を背けた。

 事実上の交渉拒否である。慧音の目から見ても、紫には譲歩の姿勢はおろか、対話の姿勢すら無いように映る。と言うか、興味そのものが薄いようにも思える。

 しかし、英志はなおも食い下がった。

「貴女は分かっているはずです。今、我が国と幻想郷とが危機に瀕していることを。今は条約を結ぶべきです。最悪の事態を避けるために」

 紫はゆっくりと欠伸をしながら言う。

「どのような事態になろうと、我々はそれを打開し勝利する自信がありますわ」そして、英志の腕の傷を指さす。「我々の力。貴方も文字通り、骨身に染みたのではなくて?」

「……確かに、そうかもしれません」

 歯噛みして、英志は言う。

「これではお話になりませんわね」

 扇子で口元を隠し、目で笑う紫。

 慧音は紫のその様子に疑念を覚えた。紫の意見は全く建設的ではないのである。事態を放置しても解決などするはずがないというのに。幻想郷を心から愛する紫ならば、真っ先にこの事態の解決を願うはずなのだが。

 そう言えば、紫は先遣隊とも交渉を行わなかったと言う。紫ほどの立場の人物が、である。わざわざやって来た外交使節団に対し、常識的に考えて、余りにも非礼な態度ではないだろうか? これではまるで、争いが起きる事を待っているかのようだ。

 ふと、英志はジャケットの懐に手を突っ込んだ。

 何かを出そうと言うのだろうか。

 数瞬の逡巡の後、外へ出したその手には、特に何も握られてはいなかった。意味不明の行為に慧音は首を傾げた。

 代わりに、英志の様子は一変していた。

「……成る程。貴女方はご自分の利益のためなら、他国の人間がいくら死のうとも構わないというわけですか。有する力だけでなく、貴女方は心まで妖怪なのですね。我が国と国民とを食い物にしようと言うのか。それは、未開の野蛮人のやることだ」

 英志は眉をひそめ、語気荒く非難をし始めた。紫の交渉姿勢にいらだちを覚えたのだろう。

「そのような事は申しておりませんわ、外交官殿。我々も戦いなど望んでいません」一方の紫は、からかうように、挑発するように、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべている。「確かに我ら妖怪は、人と戦い、人を襲わねばならぬ宿命。しかし我らも、ここでは平和で文化的な文明を維持しておりますのよ。我々は此処で、妖怪のサガ、その理を大きく削ぐことに成功しております。野蛮などというのは的外れの意見ですわ。貴方もご覧になったでしょう? 妖怪と人間とが秩序立ち、一つ処に暮らしている。ま、たまに跳ねっ返りはいますけれどね」

 ちらり、嘲りの視線を送る先は、英志の右腕である。その様子、その物言いは、はっきり言って、底意地が悪いと感じる。

「異邦人の私の目からすれば、人間が妖怪から一方的に搾取されているとしか見えない。現在人里で頻発しているという神隠しがいい例でしょう」

 慧音に視線を送りつつ英志は言う。

 同意を求めたのだろうが、慧音は肯定するわけにはいかない。ただ唇を噛んだ。

「その理解は不十分ですわ、外交官殿。貴方は物事の一つの側面しか見ていない。妖怪は人を襲うもの。そして人によって退治されるものですわ。悪さをした妖怪はきちんと退治されますのよ。貴方の国でもそうでしょう? 起きた争いは、司法によって平和的に裁かれるもの。それは我々も同じです。争いの平和的な解決。それは、ある一つのシステムによって実現されておりますのよ」

「なるほど。それがあの擬似決闘というわけですか、貴女が原案を作ったという」

「そう。平和的な闘争。コントロールされた戦い。美しき決闘。我々がたどり着いた、誇るべきシステムですわ」

 紫は恍惚とした表情を浮かべる。スペルカードルールを誇りに思っているのだろう。

 しかし、

「唾棄すべき文化だ」

 吐き捨てるように英志は言った。

 紫の笑顔が瞬時に固まる。

「……関心しませんわね。他国の文化を頭ごなしに否定するのは。お里が知れますわよ、外交官殿」

「国民の生命、財産を無意味に損ねる冒涜的な文化を野放しにすることは、人権の保護・促進を掲げる我が国の理念に反します。あれは、許容を超えている」

「何を言うかエーシ、エーシと呼ばせてもらうぞ」

 耐え切れず、慧音は口を挟んだ。

「おい、慧音……」

 妹紅は相変わらず慧音の腕を引っ張るが、こればかりは黙っていられない。

「弾幕は将棋と同じだ。洗練された遊戯だ、人の死なない決闘なんだ。一種のスポーツだよ」

 振り返った英志の目は、刺すように鋭かった。

「決闘は遊びじゃない。スポーツでもない。気紛れに行うべきものでもない。殺し合わない殺し合いを続けるなど、正気の沙汰とは思えない」

 その声色には明らかに怒気が含まれている。何故かは分からないが、英志は弾幕ごっこに怒りを覚えているようだ。

 しかし、慧音も引いてはいられない。

 弾幕ごっこが普及してから、妖怪と人間との関係はより安定化されたのだ。その意義は主張しなければならない。

「我々は正気だよ。スペルカードルールは一定の成果を上げている。殺し合う殺し合いをするよりは、平和的なはずだ」

「なぜ? 安全を求めるならば、貴女の言うとおり、将棋でも指していれば良いはずだ。それが出来ないから、貴女方は弾幕を使うのではないですか。命を賭けるべき理由があるから」

「闘争の末に死人を出すよりかは良いだろう」

「出ていないと本当に言い切れるのですか」

 むっ、と慧音は口ごもった。

 弾幕戦の末、死亡者が出た例を知っている。観客が流れ弾に当たって亡くなった事もあった。

「決闘は、名誉と命を賭けた戦いです。半端な覚悟で決闘を行うことは、死への冒涜に他ならない。人はそれを野蛮と呼ぶのです」

「お前の意見は一方的だ、エーシ。人間にとってはそうあるべきかもしれないが、妖怪にとってはそうではないのだ。少なくとも、今はまだ。お前は激烈な理想論を振りかざしているに過ぎない」

 幻想郷。此処は、この場所はまだ、変わりゆく過渡期なのだから。

「弾幕は……」

 紫が、口を開く。

「長く生きる妖怪が、お互いを傷つけないための知恵よ」

 静かな怒りを込めて言う。

 空気が張り詰めている。

 八雲紫の怒りは、即ち幻想郷の怒りである。

「逆だろう。お互いを傷つけないから長く生きられるのだ」

 その威圧を感じているのかいないのか、英志は舌鉾を収めない。慧音達は言葉を失っているというのに。度胸があるのか、単に空気を読めないだけなのか。

「どれほどの差異があると言うのかしら」

「違うな。貴女のしたことは、幻想郷の住人から死を奪うことに等しい」

「それの何処が悪いと言うのか、私には理解出来そうもありませんわ」

 口喧嘩に飽きたのか、紫は匙を投げた。

 英志に哀れなものを見るような目を向けると、扇子でパタパタと顔を扇いだ。

「どうやら、貴方には理解出来ないようですね。この幻想郷という楽園を維持するための、素晴らしきシステムを。貴方は我々を野蛮だと言いますが、他国の文化風俗に自らの価値観を押し付ける方が野蛮ではなくて? そんな方が外交官を務めていらっしゃるとは……、貴国の政治機構を疑いますわ。同情すら覚えます」

「……楽園、ですか」

 英志の言葉には、静かな気迫が込められている。幻想郷全てを否定するかのように、両手を広げた。

「どこにそんなものがあるというのですか? ここは違う。ここはまるで煉獄だ。貴女の、貴女のためだけの」

 突き付けた英志の指が、紫を正面に捉えた。

 途端、紫の動きがピタリと止まった。

 一陣の風が吹き抜ける。

 その風で、紫の金色の髪がバラリと翻る。彼女の感情の昂ぶりを示すかのように。

 英志は続ける。そのドス黒い闇を孕む瞳には、明らかな敵意の光が灯っていた。

「この幻想郷を作り、維持するために、一体どれだけの血が流れたというのでしょう。私には見える。貴女は数え切れないほどの罪を犯している。貴女はここで、永遠に終わる事のない贖罪を続けているのだろう。その贖罪の為に新たな罪を犯しながら。だから決闘を封じ、他者から死を奪ったのですか。残されるのが怖いから、一人が嫌だから、寂しいから。そんなに道連れが欲しいというのですか、寂しがり屋のお嬢さん」

 パチン、と音がする。

 紫が扇子を閉じた音である。

 垂れた前髪の間から覗くまん丸の瞳は、月の様に妖しく輝いていた。

「……昔、同じ台詞を言った男がいた。そいつは八つ裂きにして、次元の狭間にバラ撒いてやった……」

 普段の胡散臭いしゃべり方は鳴りを潜め、紫のその声は低くドスがきいている。

 体が震える。全身の神経が警告を発し、脂汗が噴き出る。慧音は思わず、その場から一歩後ずさった。

「この幻想郷、月夜ばかりではないぞ。肝に銘じておくが良い、外交官」

 彼女の背後で空間が裂け、唇のように上下に広がったそれは、紫を頭から吞みこんでしまった。隙間を支配する紫の力、その顕現である。

 慌てて、慧音は叫んだ。

「待ってくれ、八雲殿! 伺いたい事がある! 人里で頻発する神隠し、貴女は何かご存知ではないですか!」

 しかし、紫は無視して、隙間の向こう側へ消えてしまった。

「くそ……」

 平手に拳を打ち付けて悔しがっていると、今まで我関せずと茶を啜っていた霊夢がくるりと首を回し、慧音の方へ向いた。

「紫を疑っているのなら、それは見当違いよ。紫はそんなことしないわ。する必要がない。妖怪が食料にする人間は、外の世界から連れてくればいい。それに、幻想郷から人間が減ればどういうことになるか、紫は十分に理解している」

「霊夢……いや、それは分かっている。八雲殿を疑っている訳じゃないんだ」

「そう……」

 霊夢は機械人形のように正確に首を元の位置に戻すと、再び茶を啜り始めた。

 会談を終えた英志は、踵を返すと、最早用も無いとばかりにスタスタと境内を歩いて行ってしまった。慧音と妹紅は、相変わらず反応をしない霊夢に、一応、礼を言ってから、英志の後を追った。

「お前は」慧音は、英志の背に問いかける。「本当に外交官なのか」

「はい」

「しかし、交渉をする気があるようには、とても見えない」

「それならば、危険を冒して、ここまで来ていません」

 石段を降りて行く。

「しっかし、お前、度胸あるな。八雲紫にあそこまで言える人間は、そういないぞ」

 妹紅が感心したように言う。あのやりとりで、妹紅は寧ろ、この外交官を評価したらしい。

「……失敗しました」

 石段の途中で立ち止まり、ぽつりと英志が言う。

 その情けない一言に、妹紅は声を上げて笑った。

「若いなぁ」

「少し感情的になり過ぎてしまった。事前に血の気が抜けていてもこれです。面目無い。師からも常に注意されているのですが……。この交渉、やはり私には荷が勝ちすぎているのかもしれない」

 そうか、と慧音は思った。

 外交官などという肩書きを持っていても、英志は生身の人間なのだ。しかも見たところ、まだ歳若い青年。常に完全である事など、出来はしないのが当たり前なのである。時には弱音を吐く事もあるだろう。そして、この困難な交渉に、不安を抱いていたのである。

 慧音は外の世界の人間を、どこか恐れていたのかもしれない。恐れは反感に繋がる。反感は人と人との隔たりとなる。

 この隔たりを超える、それが外交交渉というものなのだろう。今更ながら、その難しさを想像した慧音だった。

 英志は赤い空を見上げながら、自分に言い聞かせるように言葉を発した。

「しかし、いまさら投げ出すわけにもいきません。今、私に行える最善を尽くさなければならない……」

「まあ」妹紅は腕組みしながら、したり顔で言う。「次からは相手を怒らせないように気をつけるんだな」

「え?……ああ」振り返った英志は、事務的に言った。「いえ、あれはわざとです」

「何ぃ?」妹紅は驚きで目を剥いた。「強がり言ってんじゃねえよ」

「八雲殿が交渉する気が無いのは明らかでした。少しでも情報を引き出す為に、ああしたのです。その人の人となりを知るには、何に対して怒りを抱くのかを観察するのが一番ですから。流石の私も、他の地域の文化を頭ごなしに否定するつもりはありません。外交官として、と言うより、人間として当然の事でしょう」

 確かに、それはそうだ。

「常道を曲げた形になりますが、しかしその収穫はありました。彼女も戦争は望んでいないことがはっきりした。二人目の外交官が死ねば、もはや戦争は避けられない。彼女にとっては虫けらにも等しいだろう、この私の命。あそこまで挑発しても殺さなかったのは、あえて戦争は起こしたくないから、それ以外には考えられない。これで少なくとも、先遣隊を壊滅させたのが八雲殿ではないということが分かりました。これは今後の我が国の交渉方針に大きな影響を与えるでしょう」

 慧音達は、唖然としてしまった。

「じ、自分が殺される可能性も計算に入れていたというのか」

「正気じゃねえ。……って、私も人のこと言えないけど」

 震える声で慧音達が言うと、英志は簡単に言った。

「仕事ですから」

 そうして、英志は再び石段を降りて行った。

 外の世界の人間というのは、やはり怖ろしいものなのかもしれない。幻想郷の物差しではとても測り切ることが出来ない。慧音はこの外交官を名乗る男に対する認識を改めた。この男は、普通ではない。考え方が慧音の知る人間のそれではないのだ。この男はまるで、何か自分よりも大きな力によって突き動かされているかのようだ。

「しかし、次はどうすんだ? 交渉しようにも相手が怒っていなくなっちまったぞ。菓子折り持って謝りにでも行くのか?」

 英志の背に妹紅が問いかける。

 歩みも止めず、振り返りもせず、英志は言う。

「交渉する相手がいないのなら、作れば良いだけの事です」

「ああ?」

「これから、幻想郷に政府を作ろうと思います」

 慧音は早くも再び、この外交官を名乗る男に対する認識を改めることになった。

 この男は、普通ではない。

 そして、まるで正気と思えない。

 

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