東方煉獄譚   作:チャーシューメン

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 ちょっと長くなりそうだったんで、今回は分けることにしました。
 なんかてるあやになってしまった。なんだこれ。



誰そ彼の王①

 

「正気じゃあない」

 兎に角、妹紅は繰り返していた。

「お前はまるで正気じゃあないぞ、エーシ」

 外交官・瀬名英志は妹紅の言葉を受けても何処吹く風で、書代に向かい書状を認めていた。

 慧音は寺子屋の一室を英志の滞在場所として提供した。

 頻発する神隠しのせいで今は休講同然であるから、特に問題は無い。人の住まなくなった家屋は壊れやすいとも言う。人間に使ってもらってこそ、寺子屋も建てられた価値があるというものだろう。

 元々、寺子屋は民家を改装したものである為、居住性も高い。書物も多いので、種々の事務作業もこなさなければならない英志にとっては都合が良いらしい。

「幻想郷は元々、朝廷や政府なんかとは縁遠い。寧ろ、そこから弾き出された者達の集まりだと言っていい。政権運営なんか経験もなければやる気すら無いぞ。それに、妖怪の存在を忘れてるんじゃないのか。妖怪ってのは我儘の化身みたいなもんだ。そんな奴らが傘下に入るとは思えない」

 激しているのか、妹紅は声高に英志へ迫る。幻想郷に激烈な変化をもたらそうとしている英志に、多少の怒りを覚えているのだろう。

 外交官・瀬名英志は、幻想郷に政府を作ると言った。それは必ずしも、日本政府による幻想郷の侵略を意味するわけではないらしい。

 英志はどうやら、幻想郷の勢力をまとめて臨時政府を作り、その政府と交渉を行おうとしているようだ。当然、八雲紫に対する発言権を持つために、新たな政府にはある程度の規模が必要になる。八雲紫との交渉が決裂した、というより、八雲紫には交渉の意志が全く無いと分かった今、英志は幻想郷へのアプローチの仕方を変えたのだ。八雲紫一人を相手にするのではなく、幻想郷それ自体と交渉をしようと言うのである。

 それにしても、考えるだけで気の遠くなるような話だ。

「幻想郷には幾つもの妖怪勢力が在るんだ。そんな中で一つの勢力に肩入れなんかしてみろ。縄張り争いで幻想郷中が争乱状態になるぞ」

 妹紅の危惧も尤もである。

 紅霧異変を起こした恐るべき吸血鬼、紅魔館のレミリア・スカーレット。春雪異変を起こした冥界管理者、白玉楼の西行寺幽々子。強大な天狗達と、その山に現れた外界の古き神々、守矢神社。傲岸不遜の天人達に、地底に住む古き妖怪達。そして、永夜異変を起こした永遠亭の蓬莱山輝夜。数え上げればキリが無いほどに、幻想郷には問題児が多い。まるで突けば破裂する、火薬庫だ。幻想郷は危ういバランスで成り立っているのである。

「此処を焦土にするつもりか。お前のやろうとしていることは、幻想郷に対する侵略行為以外の何者でもないぞ」

 美しい顔をしかめる妹紅とは対象的に、涼しい顔で書状を認め終えた英志は、筆を置いて妹紅に向き直った。

「貴女方の危惧は、私も理解しているつもりです。しかし、私は幻想郷を侵略するためにやってきたわけではありません」妹紅をなだめるように言う。「そもそも、今回のように、為政者から交渉を拒絶されるケースは珍しくない。ある程度治安の安定した国では尚更です。我々は完全なる異邦人ですから、為政者は自らの既得権益が侵されることを恐れるのでしょう。武力によって自らの主張を一方的に通そうとすることも侭あります。それに対する対応策として、我々と交渉可能な勢力を作り上げる。これは、遥か昔より行われてきた、伝統的な外交術でしょう」

 敵の敵は味方。そういう事なのだろう。確かに、歴史上数え上げるまでもないほどに多く行われてきた外交策であろう。

 しかし。慧音達は歴史を見ない愚者ではない。

「その対応策とやらがどのような結果をもたらしてきたのか、語るまでもないだろう。分裂、内戦、そして荒廃だ」

 慧音の意見に、英志は首を振った。

「慧音さん、それは一面的な物の見方でしかありません。無血で繁栄と平和を成し遂げた例も少なくない」

「それこそ、一面的な物の見方だろうが。都合の良いように解釈をするな」

 妹紅の痛烈な批判を受けて、英志は頷く。

「認めましょう。所詮、個人の意見など一面的にならざるを得ないのです。結局の所、善悪の議論など、現実の問題の前にはニの次でよい」

「貴様。何が起こるか分かっていて、それでもやろうと言うのか」

 慧音はあっと息を呑んだ。

 妹紅の掲げた拳が、炎を纏ったのだ。

 妹紅の怒りは慧音の予想を遥か超えていたらしい。

「貴様が幻想郷を害そうとするのなら、今、此処でその害を取り除かせてもらう」

 開いたその手は、まるで朱雀の爪。

 妹紅の目は据わっている。本気だった。

「やめろ、妹紅」

「止めても無駄だ、慧音」

 妹紅にとってこの幻想郷は、気の遠くなるようなん長い流浪の果てにたどり着いた、ようやく安らげる場所なのだ。幻想郷それ自体を害そうとする者が現れるのなら、妹紅は喜んで拳を振るうだろう。そういう女だ。

 自分にはとても止めることは出来ない。慧音はそう強く感じた。

 一方で、不死鳥の炎を前にしても、英志の顔には細波一つ立っていなかった。

「どうやら幾つか思い違いをしているようですね、妹紅さん。私は政府を作ると言ったのです。幻想郷を統一するなどとは言っていない」

 その言葉に、慧音も妹紅も眉を顰めた。

「貴女方の言うとおり、妖怪の勢力をまとめ上げることは不可能でしょう。しかし、人間ならばどうでしょうか。この幻想郷では確かに妖怪が強い勢力を持っているのかもしれません。しかし一方で、妖怪は人間無しでは存在できない。人間の政府が存在しえた場合、妖怪達もその存在を無視することは出来ません。八雲紫ですらそうでしょう。後は我々日本国が、新たな政府を交渉相手として承認すればよい。妖怪勢力をどうこうする必要はありません」

「なるほど……」

 確かに、妖怪たちの自治権を認める英志の案ならば、反発は少ないだろう。基本的に妖怪は我儘で独り善がりである故に、干渉さえしなければ、人間の里の出来事に頓着することなど無いのだ。

「だけど、そんなことが出来るもんかよ。結局、妖怪への抑止力は必要になるんだろう。完全に人間の味方で、妖怪に影響力を持ち、しかも政権運営能力を持つ人間なんて、幻想郷の何処にいるってんだ」

「いえ。私の記憶が間違っていなければ、たった一人だけ存在するはずです」

 英志は書状を丸め、眉根を寄せる妹紅と慧音へ差し出した。

「さあ、この書状を届けて頂けますか。古の王の元へ」

 

 

「あら。やっぱりまた来たのね」

 夜陰、文が永遠亭の縁側を訪れた時、輝夜はまたもや謎の行動をしていた。

「今度は何ですか、それは」

「知らない? 美顔ローラーよ。美容に良いのよう」

 金属製のローラーを顔に当てて、コロコロと転がしているのである。張りのある輝夜の若い皮膚が、ローラーの圧力を受けてぐにぐにと歪み、とても異性には見せられないような顔になっている。

 本当に何をしているんだ、この女は。

「何よ、シケた顔しちゃって」

 ローラーで顔をぐにぐにしながら輝夜が言う。

「今の貴女の顔よりはマシだと思いますが」

「沈む美人より笑顔の不細工なのよ、モテるのはね」

「なら、貴女はさぞかしモテるのでしょうね。美人な上に、年中無休で能天気に笑い転げていられるご身分なのですから」

「そりゃそうよ。平安のプレイガールをナメんじゃないわよ?」

 輝夜に皮肉は通じない。あっけらかんと受け流されてしまった。もしかしたら輝夜は、自分が何もしない暇人であるという事、それ自体を誇りに思っているのかもしれない。穀潰しである事に誇りを持つなど、普通の神経では考えられないが。

「それで? あくせく働くサラリーマンさんは、一体何しにいらしたのかしら?」

 散々な言われようである。

「当ててみてください」

「へえ」

 文が言うと、輝夜はニヤリと笑った。

 しかし、文がそう言うのは、輝夜の言動に気分を害したからだけではない。

 文は輝夜を信頼し始めていたのだ。正確に言えば、輝夜の智を。

「そうね……」

 輝夜は指で宙をなぞる。

 軌跡は光り輝く一筋の線となり、宙空に残った。それに両手を突っ込んだ輝夜は、目を見開くと、光の筋を上下に押し開ける。

 空間の裂け目が開き、その向こう側には、得体の知れない目玉達が蠢いていた。

 八雲紫の力の一つ、空間の断裂、隙間。それを輝夜は再現して見せたのだ。

 しかし、上下に開かれた光の筋は見る見る輝きを失い、空間の断裂はボロボロと崩れ落ちてしまった。

「ありゃ。案外安定が難しいのね、これ」

「それを自在に扱う八雲紫は、流石と言った所でしょう」

「そうね。私には扱えそうもないわね。貴女がそうであるように」

「貴女も、流石な様です」

 八雲紫の隙間を支配する力は、実は元々、誰にでも備わっている力である。人は誰しも、自分だけの場所を創り出す力を持っている。それが強いか弱いか、それだけの差。

 もちろん、隙間を創り出す事くらい、文にでも出来る。しかし、八雲紫ほど上手く扱う事は出来ない。人にそれがあるように、妖怪にも得手不得手があるのだ。それが即ち、生と呼ばれる事象なのである。妖怪も生きている。あの「か弱い」八雲紫の強さの根源は、生命、その根源と同じなのである。

「噂の外交官。どうやら、思った以上に危険な様ね? 話を聞かない聴講生が、一息で素直になってしまうなんて」

「認めましょう」

「あらあら。かわいいわね。でも、怖いわ。貴女は従順な時が一番怖ろしい。翼の下で爪を研いでいる、そんな顔をしているもの」

 口ではそう言いながら、輝夜はニヤニヤと笑っている。美顔ローラーで肩を叩きながら。

「私の予想に確証を与えに来た。そんな所かしら」

 文は頷いた。

「その様子では、既に察していた様ですね」

 輝夜は賢者逹の存在、その確証を求めていたのである。今まで文から買った情報から、文はそう予想していた。そしてそれはズバリ、的中していたのである。

 異邦人である輝夜は、幻想郷に馴染もうとしている。そのために大規模な宴会や月都万象展などをとり行い、人を集めていた。

 おそらく輝夜は、賢者逹の一員になろうとしているのだろう。それが幻想郷に受け入れられる最大の近道だと考えているに違いない。

「如何にも、ありそうじゃない。何処にでもそういうのを好む輩はいるものだわ」輝夜はフッと自嘲気味に笑った。「月にもね」

「成る程、如何にも、ありそうですね」

 だからこそ、輝夜は月を追放されたのかもしれない。だからこそ、輝夜は月を捨てたのかもしれない。

「彼等は愚かにも、自分達を賢者と定めています」

 輝夜は腹を抱え、声を上げて笑った。

「そういう事を考える輩の趣味は万国共通なのね」

 よほど可笑しかったのか、雅な衣の袖で涙を拭きながら言う。きっと、月の「影の支配者気取り」の連中も、同じ様な名前を名乗っているのだろう。

 文は知っている限りの賢者達の名を挙げた。輝夜は黙ってそれを聞いていた。その顔に動揺は見られない。

「……そして最後に、風見幽香です」

 その名を口にした瞬間、輝夜の眉がピクリと動いた。

「風見、幽香……」

 さしもの輝夜も、その名が賢者達の一員として刻まれている事を、予想していなかったようだ。

「面識はある。酒宴でも同席した事があるし、永遠亭の花も彼女から分けてもらっている。敵対的ではない。寧ろ、この幻想郷では珍しいほどに紳士的でさえある、しかし……確実に、強者」

 文も同意見だ。

 風見幽香は異質である。

 稗田阿求はその著書、幻想郷縁起にて彼女を「妖怪らしい妖怪」と評したそうだが、ある意味でそれは的を得ているのかも知れない。

 幻想郷において日常を得、変質した妖怪と言う存在。彼女は変質する前の妖怪に近い気がしている。それは総じて単純である。人の恐怖、怒り、迷いや苦しみ、憎しみに怨み、そして快楽や幸福、美しいと思う感情。自然への畏怖。それらが妖怪のアーキタイプである。考えてみれば、風見幽香という存在は実にそれに忠実ではないか。まるで花のように美しく、嵐のように暴力的で、海のように穏やかに、山のように聳え立ち、雨のように慈悲あふれ、風のように爽やかに……

「彼女に支配欲があるなんて、到底思えないけれど……」

「人は見かけに寄らないものです。貴女が到底、智者に見えないように」

「貴女も実力者には見えないわよ、情報屋さん」

「或いは、彼女は他の賢者達の暴走を止める為に参加しているのかも知れませんね。あの西行寺幽々子のように。尤も、賢者達という組織自体、出来上がった時から形骸化している、老人達のごっこ遊びの場に過ぎないのですが」

 賢者と定める者達の中に、文が認める智者はわずか一握りもいない。それは天狗社会の統率者であり、文の上司にあたる天魔も例外ではない。どいつもこいつも力も知恵も思慮も品性すら足りず、八雲紫の太鼓持ちに過ぎないのである。紅魔館の幼い吸血鬼や、守矢神社の柱神が現れてからというもの、いよいよ形骸化が進んでいる。むしろ、賢者逹でない者達のほうが、賢者を名乗るに相応しい。全くもってお笑い草である。

「まあ、統制なんて取れそうもないしね。特に風見幽香とかね」

「そういう事です」

「しかし、意外だわね。賢しいウチのイナバも入っていると思ってたんだけど」

「因幡てゐですか。『ボケ老人の介護なんてまっぴらごめんウサ、馬鹿共同士、勝手につるんでるが良いウサ』……だそうです」

 文が声真似をすると、輝夜は大爆笑した。縁側に転げ回ってひぃひぃ言っている。本当に姫なのだろうか、こいつは。

「超似てるー、あんた、芸人でも喰っていけるわよ」

「まさかこんなにウケるとは」

 今度の新年会の一発芸にでもしようか。文は文化帖に書き留めておいた。

「その他の事は、言うまでもないでしょう。全て貴女の予想通り」

「ああ、じゃ、やっぱり政府を作るとか言い出してるのね、件の外交官は」

 もちろん、輝夜も予想していたようだ。

 考えてみれば、当然である。八雲紫が交渉に乗る訳が無いし、その場合に外交官に残された手段は、幻想郷内部に協力的な勢力を作り上げる以外無いのである。あの外交官が戦争回避を目的としている限り、それしか無い。何故なら、一人目の外交官は誰かに殺害されているからだ。逆を言えば、二人目の外交官・瀬名英志は真に戦争回避しようとしている証拠になる。

 輝夜の言った言葉の意味が、文にも段々と理解出来るようななってきた。

 滝の水が崖から流れ落ちるように。今の事態は、成るべくして成っている。

 おそらく、この異変の切っ掛けも。

「これで貸し借りは無しです」

「本当、クソ真面目ね」

「借りを作ったままでいるのは、性に合わないもので」

 文は黒い翼を開いた。要件は済ませた。必要以上に輝夜と話すことは、危険だと判断したのだ。

 去り際に輝夜は言った。

「お次は神霊廟かしら?」

 輝夜は本当に、何もかも見通しているらしい。

「いえ。もう行きましたよ。あの外交官、思ったほど手際良くはないようです。だから、幾つか先回りをさせて貰いました」

「ああ……」輝夜は今更、袖元で口を隠しながら笑った。「性悪だわね、あんた」

 文が何を目論んでいるのか、この人間らしくない姫はすぐに察したようだ。ただの一手から、数手先までを読まれてしまう。うっかり口を滑らせられない。

「天狗の利益を最大にするように動く。それが私の使命ですから」

「交渉役にされたって訳ね。中間管理職は大変ね?」

「私もたまには、だらだら過ごせる姫になってみたいものですよ」

 あっはっは、と文は笑った。

 しかし、輝夜は笑っていなかった。

 薄明かりの中、袖で口元を隠し、顔の半分も見えないが、その目は哀れみを孕んでいるように見えた。

「――そうよ、文。あんたは中間管理職に過ぎない。それがあんたの選んだ道なのだから。もしも真実が残酷であった時、どうか自分自身の理に殺されぬように……」

 いつになくか弱い声でそう言う。

 それは、夏頃、天狗の山でアリス・マーガトロイドに浴びせ掛けられた台詞と似ていた。

 『天狗を滅ぼすのはあんた自身だ』

 『穢れた真実に喰い殺されるがいい』

 アリスの辛辣な謎掛けが、今も脳髄の奥に突き刺さったまま。

「あんたは少し真面目過ぎる。友人として、私はそれが心配……」

 文の目を見つめながら、輝夜がぼそりと口にした。

 胸がドキリとする。思ってもみなかった言葉であった。

「友人、ですか。月人にもそのような情緒があるとは驚きです」

 思わず、辛辣な言葉で返してしまう。しかし輝夜は気にした風も無かった。

「あら、こういうのはお嫌いかしら?」

「……いいえ。悪くはありません」

 照れ隠しに突き付けた指。

「しかし、馴れ合いはしません。私を懐柔した所で、天狗連の大方針は変えられませんよ」

 うふふ、と静かに輝夜は笑う。

「でしょうね。中間管理職さんには、ハナっから期待してないわ。私達も天狗の利益とやらに配慮するつもりは毛頭無いし」

「それでこその幻想郷です」

 やはり、蓬莱山輝夜は怖ろしい女であった。

 文の心にも、この人を敵に回したく無いという思いが生まれてしまったのだから。

 

 

 妹紅は目を丸くしていた。

「な、なんだ? 神霊廟って、こんな所だったのか?」

 朝の日差しを浴びて煌めく銀髪が、爽やかなそよ風に揺らめいていた。蒼空を飛ぶ極楽鳥の鮮やかな色を背景にしても、それらが引き立て役にしかならない。妹紅は地に降りた天使である。

 妹紅の驚愕は無理もないだろう。初めて見た時、慧音も腰を抜かすほど驚いた。

 神霊廟。幻想郷の隙間に、道教を信仰する豊聡耳神子が仙術によって創り出した亜空間。

 亜空間と聞くと、どんよりとした灰色の空に無機質で冷たい建造物、人気の無さを想像しがちだが、神霊廟はその真逆だと言って良い。空は青く澄み渡り、山は萌え鳥は飛び蝶は舞い、川のせせらぎが耳に心地良い。堅牢に造られた家々は華美な装飾の無い簡素な作りながら瀟洒であり、広い街路に沿って整然と並んでいる。碁盤目状に走る街路にはたくさんの行き交う人々や牛車が活気に溢れている。その賑わいは里の目貫通りにもひけと取らない。中心に聳える神霊廟は威厳に満ちているが威圧的ではなく、大きく開かれた門が親しみを与えている。街の外周は高い石の城壁でぐるりと囲まれ、妖怪に襲われる心配も無い。

 おそらくは中国の城塞都市を手本にこの神霊廟を作り上げたのだろう。道教に精通する神子ならば考えそうな事である。

 しかし、恐るべきはその構築期間である。神子達が出現してから日も浅いと言うのに、この完成度。しかも建築は神子の仙術ではなく、人間の手によって行われている。かく言う慧音自身も城壁構築を手伝ったことがあるのだ。伝説の通り、いやそれ以上に神子は政治力、特に行政面の知見に長けていた。

「これは……想像以上ですね。流石は聖徳王です」

 街路を歩く外交官・瀬名英志も感心し切っている。

「城壁内部には山や畑もあり、川も流れている。自給自足すら可能なようだ。この街は完全に一つの都市機能を持っています。独立国家と言っても差し支えない」

 実際には人里からの物資供給がなければ神霊廟と言えども存続は出来ないだろうが、かなりの長期間、孤立状態でも持ちこたえられるのは真実である。

 よくよく考えてみれば、この神霊廟は戦闘の為に造られた要塞のようにも思える。この場所が存在するだけで、戦乱の火種になりかねないのではないか。現に、外界の外交官はこの城塞都市の完成度合いに目を輝かせている。この場所を作り上げた神子は、そして構築を止めもしなかった八雲紫は、一体何を考えていたのだろうか。

「しかし、いいのかエーシ。その格好で」

 英志のジャケットの右袖は、妖怪に襲われてボロボロになったままである。流石に血は拭ったようだが。

「聖徳王殿に会う前に、繕ってやろうか?」

「いえ。大丈夫です。お気遣いありがとうございます」

 英志はその左手で右腕を強く掴みながら言う。襲われた痛みを思い出しているのだろうか。聞けば、なんでもあの花の妖怪、風見幽香に助けられたと言うが……。

「これは自分への戒めです。軽率な行動で全てを無に帰さぬよう」

「そんなものか」

 理由がよく分からないその頑固さが、瀬名英志という人間の持つ個性なのかもしれない。

 慧音達三人は中央の目貫通りを進み、やがて目指す神霊廟へと到着した。

 普段は参拝客や修験者で賑わっている神霊廟だが、今日は閑散としている。門の入口に立つ神子の弟子と思わしき修行装の青年達が、参拝に訪れた人々を通さず、人払いをしているためだ。外交官、即ち英志との交渉を行うためである。

 慧音と妹紅によって英志の書状を届けられた神子は、使者を通じて二つ返事で会うことを確約した。交渉の会場として指定されたのが、神霊廟だった。神子にすれば、己の威厳を示すのに絶好の場所なのであろう。実際それは功を奏していた。

 門の入口にて英志が名乗ると、慧音達は神霊廟内の霊堂へと通された。

 窓の少ない霊堂の内部は薄暗く、怪しげな雰囲気が漂っている。

 壁には朱色で抽象的な龍、それも五爪龍が描かれている。五爪龍と言えば龍の最高位の存在であり、中国では皇帝以外にはその意匠を用いることが許されなかったという。龍神の怒りに触れそうなものだが、それを恐れもしない神子の自尊を端的に示している。

 壁際に設置された台の上には様々な宝物類――銅鏡や宝剣、玉などが展示されていた。簡素ではあるが、並ぶ品々は一級品に違いない。神子の趣味がうかがえる。

「うわっ……」

 天井を見上げた妹紅が声を上げた。

 見上げた先には、見事な天井画が描かれていた。

 紅蓮の焔に灼かれる無数の手が縋るように伸びる先。中心に鎮座するは、後光を背負い、紫雲に乗り、手に笏、腰に七星剣を佩き、髪を逆立てた美しい女性。豊聡耳神子である。半眼で哀れみとも笑みともつかない、神々しい表情をしている。さながら、仏教画の弥勒菩薩だ。神子による救世の様を描いているらしい。

「こりゃぁすごいなぁ……」

 元貴族であり、美術品への造詣も深い妹紅をして感嘆させる程である。後世まで語り継がれる作品であるに違いない。

「これが、聖徳太子……?」

 一方、英志は美術にあまり興味がないのか、天井画を見上げてぼんやりとしている。男性のそういった感性は往々にしてあるものだが、これほどの芸術を前にしても心動かされない所を見ると、外界の人間の感性は劣化しているようだ。それとも、この外交官の感性が特別鈍いのだろうか。

「ようこそ、神霊廟へ」

 凛々しい、しかし何処か暗い声が、霊堂内に響いた。

 薄暗がりの中。少ない窓から差し込む光の道の向こうに、人影が浮かぶ。和の文字の書かれたヘッドホンに、角のように髪を逆立てた特徴的なシルエット。

「付き添いの上白沢女史に、そちらは藤原妹紅殿か」

 豊聡耳神子、その人である。

 しかし、天井画のそれとは違い、その表情には陰が差している。覇気も無く、存在すら薄まったようにも思える程である。

「その節は世話になったね」

 神子は妹紅の方へ会釈する。少し前に起きた都市伝説騒ぎの最中に面識を持ったらしい。

「なんだ、どうした。具合でも悪いのか? 不老不死の仙人のくせに」

 妹紅は怪訝そうな表情でストレートに疑問を口にしたが、神子は軽く笑って流してしまった。

 正直に言って、慧音は神子を警戒していた。

 神子は神霊廟にて真剣に治安や治水に取り組んでおり、完全に人間の味方であるのだが、同時にどうしようも無く好色で、さらに唯我独尊を地で行く性格なのである。特に好色具合は自ら吹聴して回るほどで、その対象は男女を問わず、美しい者と見ればすぐに寵姫として囲おうとする癖があるらしい。そんな者の所に妹紅を連れてくるなど、猛獣の檻に子鹿を投げ込むようなものなのである。

 だが今、目の前に立つ神子は、生気も感じられず、妹紅の美貌に反応すらしないのである。拍子抜けを食らった思いがする慧音であった。

「君が外交官かね。期待したほど好青年ではないようだな」

 神子はようやく英志のほうに向き直った。……それにしても、すさまじい言い草だ。流石は神子である。調子は下がっているようだが、その性質が消えたわけではなかったらしい。

 英志は気にした風もなく、丁重に礼をすると、名刺を取り出しながら言った。

「はい。私は日本国政府から派遣された外交官、瀬名英志です」

 神子は英志の差し出した名刺を受け取って眺めるが、その表情には特に何も浮かばなかった。虚無である。

 一方の英志も、どこかぼんやりとした表情を浮かべている。目の前で起こっていることが信じられない、まるでそんな顔だ。

 神子は手招きすると、中央付近に設置された長机へと慧音達を誘導した。装飾の施された黒い長机が口の字に配置され、その上には茶が用意されており、淹れたてのジャスミン茶が香りを放ってる。

 神子の従者である物部布都と蘇我屠自古がすでに席についていた。神子は疲れた様子で、彼女達の間の席に腰を下ろした。

 布都と屠自古が神子の顔をチラリと見やるが、二人の表情も暗い。神子の不調を心配しているのだろう。

 慧音達が対面の席に着こうとすると、神子は首を振った。

「君たちの席はそこではない。そちらへ」

 そして、神子達の席のある辺の隣の一辺を指すのである。

 困惑しつつも、慧音達は指差された一辺の席に着いた。

 机を挟んで、斜めに対峙する英志と神子達。どことなくシュールな絵面である。そもそも、二者交渉なのに、何故神子は机をこのように配置したのだろうか。

「聖徳王殿。この度は交渉の場を設けて頂いた事、心から感謝申し上げます」

 英志が格式張った台詞を言うと、神子は面倒くさそうに言った。

「堅苦しい挨拶はそれくらいにしてくれ給え。ここは儀礼的な場ではない。お互いに損しかないだろう」

 出鼻を挫かれた英志は少し詰まったが、すぐに言葉を継いだ。

「では本日の要件から入りましょう。聖徳王殿には……」

「この神霊廟を国家として宣言して欲しい、そのための支援は惜しまない……そんな所か」

 神子に先回りされた英志は、言葉を失った。

 流石は聖徳王である。英志からの書状を受け取った時点で、その狙いを察していたのだろう。

「――はい。我々日本国政府は、神霊廟が国家としての要件を十分に満たしうると考えています」

 英志が取り繕って言うと、

「君は、若いな」

 神子が断じた。

「もう少し物事の背景に気を配り給え。その話をするには少々役者が足りていない」

「私では役者不足、と?」

 英志は眉を顰める。

「その言い方は正確ではない。どうやら教育が足りていないようだね、上白沢女史」

「え? は……」

 急に話を振られて、慧音は焦った。思わず変は声を出してしまう。

「まあ、いい。たった今、役者が揃ったようだからね」

 神子はそう言って、霊堂の入り口に視線を向けた。皆、その視線に倣った。

 するとその時、霊堂の扉が勢いよく開け放たれた。

「頼もう!」

 差し込む光を背に立つ三人の人影には、見覚えがあった。

 先頭の、腕を掲げて凛々しく立つ、喧しい割に陰が薄い少女が、入道使いの雲居一輪。

 脇に立つ、柄杓を構えた水兵服の少女が、舟幽霊の村紗水蜜。

 そして奥に控える、菩薩のような表情で圧倒的な存在感を放つ尼僧が、命蓮寺の実質的な指導者、聖白蓮である。

「ようこそ。神霊廟へ」

 商売敵の突然の襲撃にも、神子はその虚ろな表情を変えもしなかった。

 


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