なんかバッドエンドしかないキャラに転生したようです。 作:あぽくりふ
──もし。もし自分がシノンの立場だったとしたら、どうなっていただろうか。
精密な重心操作によって巧みにレンタルバギーを制御しながら、キリトはそんな事を思う。考えても詮のない事だが、それでももし同じ様な事態になれば、と考えずにはいられない。
全てを
其を今、シノンは味わっている。そう気付いた瞬間、キリトはシノンを止める事は出来なくなってしまっていた。深淵よりも深く、闇よりも昏いあの心象を理解できるからこそ、止めた瞬間にその銃口が自らへと向かうことだろう事は容易に想像出来た。
「っ......」
ただ無言でバギーを駆り、黒い金属馬からこちらを付け狙う死神の射線を振り切るべくハンドルを切る。キリト自身驚くほどの精密な重心移動。それが功を奏したのか、神がかった機動で弾丸を回避し続けていた。敵が馬上故に正確に狙えず、また拳銃だったからこそ避けられているのか。
──否、それは常人であれば不可能。一歩どころか半歩間違えれば転倒は免れえない変態機動を維持している要因は、彼の才能によるものが大きかった。とはいえ、それは騎乗の才能ではない。彼の仮想世界における強さの根本を支えているもの。即ち、ヒトとしての生物的限界に至らんとしている"反射速度"だった。
「揺れるぞっ!」
「くっ──」
前方にある窪みを見切ると、背後の少女に告げてハンドルを大きく右に切る。凄まじい遠心力が二人の騎乗者にかかり、咄嗟にキリトの胴に回されたシノンの手に力が込められる。障害物をギリギリで旋回するようにして回避し、キリトは冷や汗をかきながら懸命に死銃を振り切るべく、全く速度を落とさず遺跡地帯を駆け抜ける。
砕けたアスファルト。巻き上げられる砂埃。乾燥した大気は砂漠地帯が近いことを示し、同時に遮蔽物のない砂漠地帯では、後方から放たれる弾丸の回避のしようがないことを悟ったキリトは喉の奥で唸った。
「......ちっ」
同時にシノンは舌打ちする。処刑──と大口を叩いたはいいものの、彼女は死銃に対して何の攻撃も出来ていないのが現状だった。
攻撃しないのではなく、"出来ない"。だがそれは攻撃のチャンスが全くない、ということではない。ただ──ヘカートⅡの性質、そして彼女の状況的に不可能だというだけのこと。
──バギーの上、というこの不安定な状況であの恐ろしい程の反動を誇る対戦車ライフルを撃てば、ただではすまない。それが理解できる程度には、シノンの頭は冷静だった。
「............無様ね」
苦々しげにそう吐き捨てる。下手に反撃すればそのままバギーの転倒に繋がるのは自明の理。しかもそれで当たるのならばまだしも、このような不安定な体勢と猛烈な揺れではこの近距離でも外す可能性は非常に高い。
当たれば──否、掠めただけでも死銃は真っ二つに引き裂かれ死亡するだろう。だがもし外せば、対物ライフルの凶悪な反動によって、ただでさえ不安定なバギーが本当に引っくり返りかねない。それこそ地面に落下した所を蜂の巣にされ、無駄死にとなる。
......そしてそれは、シュピーゲルが身を投して稼いだ時間を無に帰すことに他ならない。その事実だけが、シノンに無謀な狙撃を躊躇わせていた。
「......抑えろ、シノン。今は奴を──死銃を振り切ることに集中するべきだ」
どうにか距離を取り、砂漠地帯で仕切り直す方が得策だ。
そう諭すキリトの言葉を反芻する。だがシノンは無言で胴に回した手に力を込め、冷静に──少なくともそう見える程には無表情で反論した。
「無理よ。こっちは二人乗り、あっちは一人......どう足掻いても速度差がある。このままじゃ、追い付かれて終わりよ」
キリトの運転にミスはない。だが、彼我の距離は着実に埋められていた。現にもはや死銃との距離は100メートルもない──
「っ!?」
と、そこまで考えていたところで、シノンは慌てて首を傾けた。
直後に先程まで彼女の頭部があった場所を弾丸が貫き、空気との摩擦音が衝撃波となって髪を揺らす。100メートルを切ったことを察知した死銃が、本格的に
「なんとかして、撃てないかしら」
「そう、だな。どうすれば撃てる?」
質問に質問で返され、シノンは少し考えこむ。ようは安定した場所で撃つことが出来れば良いのだ。つまり、この揺れがなくなればいいと言うわけで。
「どうにかして、揺れを無くすしかないわね」
「簡単に言ってくれるなぁ......!」
具体的な案など浮かんでいない。キリトもそれは同じようで、巧みに車体をコントロールしながら、暗に不可能だと匂わせながら言葉を返す。シノンとてそれは理解しているが、そこをどうにかする他に活路はない。このままでは、バギーの後輪に穴を空けられるのも時間の問題だ。
現に今も、バギー側面の金属に当たって跳弾したのか──甲高い金属音が耳を刺す。状況は圧倒的に悪かった。
「どうしたら......!」
恐るべきは敵の精度だ。100メートルという距離はライフルからすればどうということはないが、それが拳銃となれば話は変わる。あの銃身の短さ、火薬の威力で100メートルの距離を正確に狙撃するのは仮想空間でも至難の技である。ましてや金属馬の背、あの揺れの中では尚更だ。
否──諸々のスキル補正等を込みしたとしても、さらにそれに『片手で』という条件を付与した瞬間に、その狙撃は神業と化す。どうやら、死銃というプレイヤーが怪物染みた狙撃センスを持つのは間違いないらしい。出来ればこんな特殊な状況ではなく、極一般的なプレイヤー同士の戦いとして相対したかったものだ──と考えながら、シノンは懸命に周囲に目を凝らしていた。
そして。何か、何か状況を打破できるものはないか。そんな願いが天に通じたのだろうか。前方に存在する格好の
「キリト、あれ!」
「......いける。5秒後だ、やれるか?」
丁度ジャンプ台のように、斜めにアスファルトに突き刺さったスポーツカー。それを視認した瞬間、すでにキリトもシノンも、相互の考えを理解していた。まさに天の采配、絶対絶命の
「──当然」
ここで、確実に
流れるような動作で
「......3」
ゆっくりと、刻むようなカウントダウン。黒の剣士によって誘導されたバギーは、一直線にジャンプ台に似た障害物へとひた走る。
「2、」
敵は100メートル先。視界は最悪より少しマシ、体勢はほぼ立射に近いだろう。振動こそ消えるが、とてもじゃないが安定しているとは言い難い。最低とまではいかないが、狙撃に適しているとは口が裂けても言えないシチュエーションだ。
──だが、不可能ではない。ならばこそ必中、当ててみせよう。
シノンの口元が弧を描く。だがそれは自身を鼓舞する意味合いが強い。大丈夫だ、今ならば当てられる。
「1」
そして、一際大きな衝撃の直後、全ての衝撃や振動が消え──
「ゼロ。やれ、シノン─────!」
バギーが空中へと躍り出た瞬間、コンマ一秒の
──
慢心でも油断でもなく、確定した未来として、シノンは引き金に指をかけながらそう認識する。撃つ前から既に獲物を撃ち抜く
「
そう外すことなど有り得ない。引き金を引ききり、仮想世界最速の弾丸が放たれるまで彼女はそう確信していた。既に確定した未来──
「............え」
その、筈だったのに。
思わずシノンは呆然とした。唖然、愕然、呆然。どの形容詞でも良いが、その有り得ざる光景に体を硬直せていた。
「う、そ」
巨大な対物弾。夕闇に螺旋の渦を穿ちながら突進するその軌道は、騎馬の死神をほんの僅かに捉えそこね、右へと逸れていく。本来黒い死神がいるべき空間を、捻り切るように貫きながら。
──外した。
初めてだった。あのように確定した未来がはっきりと見えた時に、シノンは外したことがない。撃つ前から当たる光景が見える、というのもまた変な話ではあるが──シノンは昔、この事をシュピーゲルに話したことがある。大体極限まで集中した際に見られることが多いそれは、彼曰く「視覚化できるレベルにまで情報処理がなされた結果」ではないか、と言っていた。ようは狙撃のみに特化した変則的な未来予測であり、シュピーゲルからは何処の赤い弓兵だと呆れられたものの、彼女の狙撃才能がはっきりとした形で露見したものであるのはほぼ間違いない。実際、確定した
よってシノンが衝撃にも似た驚愕に思考を停止してしまい、思わず硬直してしまったのは仕方がないと言えば仕方がないのだろう。だが──千載一遇、絶好の好機を不意にしてしまったという事実は変わらない。
「シノン──くそ、外したか!」
ついに滞空時間が終わり、衝撃と共にバギーが着地する。蛇行しかけるバギーを危ういところで凌ぎ、キリトは悪態を吐きながらも思考を切り替え、次の狙撃地点......すなわちジャンプ台を探して目を走らせた。
だが先程のように都合よくそんなものが見つかるはずもなく、まさに進退極まった、という状況のままでバギーは廃墟の隙間を縫うように走り抜けていく。
「......シノン。どうした、大丈夫か?」
「────っ、え、ええ」
キリトの呼び声によって我に返ると、シノンはへたりこむようにしてバギーに腰を下ろす。そして何故外したのか、という混乱の極致の中、ふと後方へと視線をやって──彼女は凍りついた。
「笑って、る?」
骸骨を模した、悪趣味な仮面。その奥で朧げに光を放つ紅眼が細められ、隠れた口が三日月を描く。本来見えない筈のその表情を、シノンははっきりと視認していた。そして、同時に気付かされた。
シノンが外したのではない。
「っ............!?」
それを悟った瞬間、シノンは背筋が凍るような感覚に襲われた。圧倒的に隔絶した実力差。これが全て死銃の掌の上だったのだとすれば、彼我の能力差は絶望的だ。
これ程までの腕を持つプレイヤーが名を知られていないなど信じられないが、死銃が恐るべき敵であることはもはや疑いの余地がない。このままではなすすべもなく、あの
そう。ゲームの中だけではなく、現実でも死ぬこととなるのだ。
そう思い至ると同時にシノンの体は硬直し、今になって胸元から込み上げる恐怖にごくりと唾を飲み込む。
──そして直後、それを上回る怒りと羞恥に視界が赤く染まった。
「っ───!」
恥ずべき者も、怒りを抱く対象も己自身。今何を思った?
実力差を認識するのは良い。だが奴を、シュピーゲルの仇を目前にして怖じ気付き、あまつさえ"敵わない"などと思考したのは──断じて赦せない。シノン自身が赦さない。
「............キリト。このバギーって──"一人"なら、死銃を引き離せるわよね?」
「え、まぁ───ってシノン、まさかッ」
驚愕に彩られた顔が振り向き、シノンは無駄に綺麗なそれを一瞥して苦笑する。既に背負うようにしてヘカートは担がれ、不安定なバギーの上にしゃがむようにして膝をたわめられている。
それを見て慌てたのはキリトだった。何をしようとしているかはわかる。これ以外に打開策が無いというのも理解できる。だが、これでは、まるで──
「私が死んでも、気にしなくていいから。あんたが最終的にアイツを斬ってくれるなら十分よ」
「馬鹿、待てシノン───!」
制止の声を振り払うと、シノンは躊躇いなくバギー後部から跳躍する。13キログラム以上あるヘカートを担いで跳躍するなど、本来なら無理もいいところだ。だが鍛えられたSTRは難なくそれに耐え、それどころか五メートルを越える跳躍を可能にする。
アバターのステータスは時には超人的な挙動を可能にし、それが鍵となって戦況を一変させることはたまにあるが──今回もそれに当てはまるのだろう。ようはベヒモス戦と同じである。
あれの場合は廃ビルから飛び降りていたため跳躍など必要なく、さらに滞空時間も長かったため一概には同じだとは言えないが──一度やったことがあるとないとでは大きく異なる。跳躍のほぼ直後、弧を描くようにして跳んだシノンは最高点に達したその瞬間に、すでにヘカートを死銃へと向けていた。
「死ね」
放たれるは対物弾。第一次世界大戦前であれば、それ単体で戦車の装甲を抜くほどの威力を誇っていた脅威の弾丸。だがやはりと言うべきか、予測でもしていたかのように至極あっさりと回避される。副作用とも言える
全く、未来でも見えているのだろうか。そう愚痴るように心中で溢すと、シノンは仮想重力に引かれ落下し始める。恐らく、この高さと重量で地面に叩きつけられればただでは済まないに違いない。万が一即死を免れたとしても、なんらかのバッドステータスを食らうのは目に見えている。元よりそれは予想していたことだが、こうも歯が立たないとなると苦笑しか浮かばない。
(......まぁ、後はあの変態がどうにかしてくれると思うけど)
自棄になった、とも取れる思考。だがそれも無理はない、と妙に冷静になってシノンは自分の行動を分析する。
──死ぬことに躊躇いなどなかった。
元より生きているのか死んでいるのかすらわからない日常だったのだ。今ここで死ぬのならば、それはそれで良いのだろう。
唯一未練があるとすれば、それは彼女の母親くらいのものだが......まぁそれも今まで通り親族が面倒を見てくれるだろう。母は、今も幸せだった時間の中で──停滞した時の中で暮らしている。その瞳に彼女が写ることは今までもなく、そしてこれからもその機会は無い。
(......デートとか、してみたかったんだけどな)
最期に思うことがこれか、とシノンは溜め息を溢す。だが彼女とて思春期の女子だ、そのくらいの願望はあったりする。だが──
(ま、こんなモノよね)
視界の端にちらりと黒い銃口が映り、彼女は静かに瞼を下ろす。数秒後、地面に叩きつけられ瀕死になったところを撃たれて朝田詩乃の人生は終わる。それも朝田詩乃らしいと言えばらしくて、当然の結末なのかもしれない。自分が初めて人を殺した銃で末期を迎えるとは、最高に皮肉なものだが。
(......さようなら)
誰に宛てたかもわからない別れの言葉。それを声に発さず呟く。
そして、彼女の体は容赦なく大地に衝突し───────
「──うわ、なにこのスタイリッシュ落下自殺。なにこれ最近の流行りなの?」
──なかった。
衝撃と共に何かにぶつかりはするが、それは明らかに固い地面の感覚ではない。
「てかマジで危ねぇなおい。重さ×速度は破壊力だぞ? つーわけで速くて重いのでさっさと起きてくれると非常に有り難かったりするわけなんですが。うちのラムレイ2号はただでさえじゃじゃ馬なんだから、このままじゃ落っこちるぞ」
有り得ない。これは幻聴だ。今になって未練がましい自分の心が産み出したモノに違いない。
そうだ、目を開ければそこには誰もいないに決まっている。ほら───────
「........................シュピー、ゲル?」
「おうとも。十五分ぶりの感動の再会だ、泣いて喜んでもいいんだぜ?」
無造作に纏めた白髪が風に靡き、顔に浮かべるのは張り付けたような軽薄な笑み。茫然とするシノンはただ、それを見上げるしかなく。
──唯一無二たる二挺拳銃使いは、黒い金属馬を伴って推参したのだった。
シュピ「うわちょー重い」
ラム2「せやな」
キリト「...... !? (状況についていけてない)」