「はあ......」
「リュー、何回目のため息?」
2月12日。世に言われるバレンタインの2日前、昼下がりの豊饒の女主人でそこの店員のリューは哀しそうにため息を吐いていた。
「すいません、シル。私らしくもない......」
「大方、明後日のバレンタインでクラウドさんにチョコをあげるか悩んでるんでしょ?」
リューはテーブルを拭く手を止めてシルの方を向く。
「......顔に出てましたか?」
「顔というか、大体察しがつくよ。何日も前からそわそわしてたし」
「面目ない......」
数日前からバレンタインのことについて気にし始めていた。何でも、その行事は意中の男性に女性がチョコを渡すものらしい。
しかし、ここである問題に直面してしまう。
「ちゃんと作れるかが......心配なんです」
「ああ、それね......」
保存用の食料などは作れても、他人に振る舞うような料理においては彼女の料理センスはゼロに等しい。単純にサンドイッチを作るだけの調理で食材を全て黒焦げにするほどだ。
あの容姿端麗で性格も良いクラウドのことだ。色んな女性からチョコを貰うに違いない。そんな中でもし自分だけ石炭のようなチョコを渡せば好感度は確実に下がる。
「でも、あの人のことだから意外と気にしないかもしれないよ? 気持ちが籠ってるーとか何とか言って」
「ならいいのですが......万が一そう思わなかった場合、失敗作をわざわざ渡しにきたと思われるでしょう?」
「あんまり想像できないけど......まあ確かに否定もできないかな? そういうところに気が回ってないといけないとも言うし。
だったらいっそ、売ってるものに少しアレンジするくらいでいいんじゃない? それなら美味しくはなるだろうから」
「それはそれで......手を抜いていると思われそうで......」
「......深読みじゃない? 流石にそれは」
シルも結構な回数クラウドと会って、彼の人柄もある程度は理解している。怒らせると割りと本気で恐い彼だが、やはり家族や仲間思いで義理堅い面が大きい。たとえ失敗作だろうと、既製品だろうとリューから貰える分には嬉しいとは思う。もっとも、当の本人は不安で一杯のようだが。
「何回か試して、一番出来のいいのをあげるっていうのは? それなら多分大丈夫じゃないかな?」
「......! わかりました、明日にでもやってみます!」
■■■■■
ダンジョン探索の無い、久々の休み。クラウドは行き付けの食料品店に向かって歩いていた。
今日は2月13日。辺りの店にはチョコレート関連の品が次々に消え、それを後生大事に抱える女性が多く見られた。明日のバレンタインに備えて手作りのチョコを買うためだろう。
とは言っても、別にクラウドの目的はそうではない。世間がどう転んでいようが、ヘスティア・ファミリアの経営が火の車であることは変わらない。
「いつになったらこの極貧生活から抜け出せるんだよ......」
クラウドは銃の弾丸を自作しているため、それにかかる費用を考えるとダンジョンで稼いだ分の金が半分くらい消えていく。現在ベルと2人で食費を食い繋いでいる状態だ。
ロキ・ファミリアにいたころに豪遊していたのが少々懐かしく思えてきた。
「ん? あれは......」
目的の場所に着くと、見知った後ろ姿をした人物がいることに気づいた。自分より少し低い背丈、スラッとした華奢な体躯、肩の辺りまである金色の髪。何よりその若葉色の給仕服が決定的だった。
「あれ、リューか?」
「うひゃああああっ!!」
クラウドが後ろから声をかけるとビクッ!と身体を震わせて振り向いた。よほど熱心に何かをしていたのだろう。ちょっと悪い気もした。
「く、クラウドさん!? 何故、ここに......?」
「何故って、ここ俺がよく来る店なんだけど」
「なっ!? 不覚......調べが甘かった」
リューが悔しそうに近くの柱にもたれ掛かる。何がそんなに上手くいかなかったのだろう。
クラウドはさっきまでリューがいた位置に立つ。するとそこには『チョコレート特売』の文字とその下の大量の包装されたチョコがあった。
「これ......リューも誰かに作るのか?」
「え? あ、はい。確かに作ります......というか、『も』?」
「ああ、アイズとキリアが作るって昨日言ってたからさ。2人とも日頃のお礼だって」
絶対違う。リューには確信が持てていた。あの2人はクラウドの家族ではあるのだが、間違いなくそれ以上の感情をクラウドに向けている。だとしたらそれ相応の出来の品を出してくるはずだ。
どうやら甘く見ていたようだ。このままではますます彼女の品は見劣りしてしまう。
「そ......そうですか。よかったですね」
「リューは誰に作るんだ? 常連さんとか?」
「常連......と言えば常連でしょうね?」
クラウドは自分が貰えるとは露ほどにも思っていないのだろうが、リューはそのある意味正解な問いに頷いた。
しかし、鈍感で唐変木のハーフエルフ様は「そうか」とだけ言って店のカウンターに座っている店主に声をかけた。
「ベレソアさん、いつもの分」
「お、クラウドか。ちょっと待ってろ。今出してくるから」
ベレソアと呼ばれた中年のヒューマンの男性は元気そうに挨拶すると、店の奥へ入っていった。
「知り合いなのですか?」
「ああ、ここの店主とは何年も前からの馴染みでな。こうやって安値で商品が買えるんだ」
ベレソアは大きめの紙袋を2つ抱えてカウンターまで持ってきた。クラウドは金貨の袋を取り出し、それと交換する。
そこで、ベレソアの視線はクラウドに付き添うように立っていたリューへと注がれる。
「ほぉー、もしかしてよクラウド、このエルフの嬢ちゃん......お前のコレか?」
ベレソアはニヤニヤしながら右手の小指を立てた。クラウドは苦笑いして簡単にそれを否定する。
「いや、コレって......古いなアンタ。この人は俺のよく行く酒場の店員さんだよ。ほら、リュー」
小声で「そんな風に否定しなくても......」とリューが言うのが聞こえた。クラウドにとっては何のことやらという感じだが。
「初めまして。リュー・リオンと言います」
「おう、俺はベレソア。そこの小僧の馴染みだ」
礼儀正しく頭を下げるリューにベレソアはニカッと豪快に笑ってみせた。クラウドからすれば何ともシュールな光景である。
「どうだい? 今日は安くしといてやるよ? あれ、買うんだろ」
ベレソアの視線の先にはさっきまでリューが眺めていた特売のチョコが。どうやらこの店主は見抜いているようだ。
「あいつは甘党だからな、苦いのはやめといた方がいい。ま、頑張れよ」
「はい......! 頑張ります」
こうしてリューはクラウドのつてもあり、試作用のチョコを大量に購入した。
当の鈍感野郎は、熱心だなーくらいにしか思わなかったそうな。
■■■■■
「で......できた......」
チョコを買って、それに様々な調理を施すという作業をして4時間。店の厨房を特別に借りてようやくそれらしい出来のチョコを作ることができた。
終わった頃には日が暮れて汗をかいていた。最初は炭化したり、まるで鋼鉄のように硬くなったりしたが、最終的にはスタンダードに四角形の形に収めることができた。これなら多分大丈夫だろう。
「形もまずまず、味も問題ない......あとは渡し――」
ここで気づいた。そう、渡すのだ。これが残っている。チョコの完成度を気にしすぎていたせいで忘れていたが、明日にはこれをクラウドに渡さなければならないのだ。
普通に考えれば面と向かって『私からの気持ちです』とでも言えばいいのだが。
(む......無理ですそんなことは。絶対に無理!!)
ダメだ。そんなことを言えば完全に告白である。しかもかなり作り込んでいることも後々バレることになるのだから、隠し通すのは難しい。
ならいっそのこと、事務的に世間で言う義理チョコを渡す感覚になればいいのではなかろうか。『友人としての礼儀です』とでも言って。
(しかし......それでは結局本末転倒です)
ダメだ。彼が貰うチョコには確率としてはいくつか義理チョコがあると考えていい。確かに彼にあくまでも友人や客として冷静に接すれば渡せないこともないが、それではその『いくつか』の1つとしてしかカウントされない。
自分が何時間もかけて作った渾身の作品は単なる有象無象の産物と化してしまう。
「しかし渡さないともっと意味がありませんし......ど、どうすれば......」
顔を青くして、あーでもないこーでもないと頭を抱えるリュー。そんな彼女を厨房の出入口から店員仲間たちが暖かい眼で見守っていた。
■■■■■
こうして明くる日の2月14日。
「なんでこんなことに......」
豊饒の女主人は大盛況だった。バレンタインということもあって、店員たちが客にチョコをサービスしていたのだ。その話が広まって、夕方には客がひっきりなしに来る始末。
店が忙しくなっているせいで途中の切り上げなど不可能に近い。もし営業時間まで使うと、夜中にクラウドのホームへと行くことになる。流石にそれは迷惑になるかもしれない。しかし、そんなことを言っている場合ではない。
「これが終わったら、すぐにクラウドさんに渡しに行かないと......」
「俺に何を渡すんだ?」
「決まっています。昨日私が何時間もかけて――」
おかしい。確実にさっき誰かが自分の独り言に返事をしてた。しかもよく聞いたあの青年の声にとてもよく似ている。
恐る恐る後ろを振り向くと、案の定そこには今しがた頭にあったクラウドの姿が。
「何時間もかけて......って。俺に何かあるのか?」
「いえ、その......というか、後ろを取らないでください。驚きます」
「いやだって、俺が声かけたのに返事しないから。聞こえてないんじゃないかって思って」
「すいません、ご注文ですか?」
クラウドからの注文を受けリューは店の奥へと入っていく。その実、かなり恥ずかしくもあった。腕にはそれなりの自信があるというのに背後のクラウドの存在にほとんど気づかなかったのだ。それはつまり、クラウドにチョコを渡すことを考えることにかなり頭を使っていたということだ。
「熱を上げすぎだ......私は」
一応は勤務中である。そんな不純(?)な考えで職務を蔑ろにすべきではない。しかし、心で意識すればするほど想いは留まりにくくなった。
リューは頭を激しく左右に振って邪念を掻き消し、クラウドの注文した酒を彼の座るカウンターまで持っていく。すると、突然カウンターにいた誰かが自分に手を伸ばしてきた。
「ミア母さん......?」
「ほら、これ渡すんだろ?」
カウンターの丁度他の客から死角になっている位置で一切れのメモを渡される。
リューはメモに目を通し、思わず吹き出しそうになった。メモの内容はこうだ。
『今日はもう上がっていいから例の坊主にこっそりチョコを渡してきな』
ミアは何も言わずにリューが昨日の内に包装しておいたチョコを手渡し、右手の親指を立てて送り出した。頑張れ、という意味だろう。リューからしてみればまだ全然心の準備が出来ていない。しかも、今現在カウンターで酒を飲んでいる彼に渡すのにこの衆人環視はマズい。何とかして彼を人気の無いところへ連れ出さなければ。
「あ......あの、クラウドさん。ちょっとお話が」
「リューか、どうした?」
「えっと......その......」
中々言い出せない。チョコは彼に見えないよう背後に隠し持っているが、結局は渡すのだ。一体どんな言い訳を通せば彼を店の外へ連れていける?
「な、何か言いにくいことか?」
「い、言いにくいことです」
「だったら無理して言わなくても......」
ダメだ。話が進まない。まさかこんな場面で『チョコを渡したいので私と一緒に来てください』だなんて言えない。会話が進まないまま数十秒が経過する。ここで助け船が入った。
「坊主、リューから2人で話があるそうだ。ちょっと付いていってやりな」
「え? まだ半分くらい酒が残って――」
「さっさと行きな」
「わかりました行かせていただきます」
ミアからの凄みのかかった顔に圧され、クラウドはリューと一緒に店の外へと出た。
辺りはかなり暗くなり魔石の街灯があるだけだ。リューは店から少し離れた路地でクラウドを引き止める。
「それで話って?」
「実は......そこまで大したことではないのです。ただ......」
「ただ?」
リューは少し震えながら隠し持っていたチョコをクラウドの前に差し出す。クラウドはその様子に少し驚いているようだ。
「これを、受け取ってもらいたくて......!」
クラウドは目をパチパチと開閉させて珍しそうに見ていたが、すぐにそのチョコを受け取った。
「大したものではありませんが......私からの......気持ちです」
最後辺りはあまり上手く言えなかった。クラウドには聞こえていなかったようだが、数秒見つめ合った後質問してきた。
「これ、もしかしてリューの手作りか?」
「あっ......はい、そうです」
随分と平坦というか馴れたような声だ。やはり動揺しているのは自分だけなのか。彼にとってこんな行事はさほど珍しくないというのか。
「ありがとう。俺、すごく嬉しい」
「えっ......?」
彼からの笑顔と感謝の言葉に不意を衝かれた。さっきまで普通に話していたのに、心なしか彼の表情が嬉しそうに見える。
「俺、家族や同じファミリアの奴以外から貰うのって初めてで......これでもビックリしたんだぜ? それに......手作りだし」
実年齢よりも少し幼く笑う彼。こうして見ると自分と同い年とは思えないほど穏やかな笑顔だと感じる。
「なあ、リュー。これ食べてもいいか?」
「ここでですか? 構いませんが......」
クラウドは丁寧に包装を解くと、中から四角形に作られたチョコのうちの一つを取りだし、口に運んだ。
「どう......ですか?」
「うん、美味しいよ。丁度俺好みの甘さになってる」
「そうですか......よかった」
クラウドの満足そうな笑顔。頑張ってよかったと心から思えた。
「あのさ......リュー。もしよかったらなんだけど」
「何ですか?」
「また作ってくれないか? また食べたいな、これ」
はははっ、と笑うクラウドだが、リューの心中は笑いどころでない。『また食べたい』という言葉が彼女に熱を灯してしまったのだ。リューはこのとき決めた。『絶対に料理を上達させてクラウドに食べさせよう』と。
「はい、喜んで」
番外編なのに本編並みの長さとはこれ如何に。予想以上に時間かかった......一日で終わらせようとしたからか、くっ。
因みに作者はマジで誰からも貰ってません。家で空しく市販のチョコ食ってましたよド畜生め(涙)