Double Xross~魂の息吹~   作:クレナイ

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中編・出会う絆

 無駄に明るく照らされている大広間。

 天井を見上げると巨大な硝子細工のシャンデリアがいくつも灯火を煌めかせている。

 ステージの隅の設置されているピアノからは途切れることのない音色が奏でられている。その美しい音色に合わせてステージに立つ歌姫のセイレーンを髣髴させる歌声に会場に集まっている者たちの多くは聴き惚れていた。

 がやがやと雑然としたこの大広間はパーティー会場としてその機能を果たしていた。

 広いその会場にはいくつも白いテーブルクロスがかけられたテーブルが置かれており、その上には山盛りにされた多種多様な料理が用意されている。

 向こうから和食、中華、イタリア、フランス、ドイツ……。あまりの種類の豊富さに目が回りそうだ。

 しかし、どの料理の味もある程度覚えて、高級感に慣れてしまっている幼い舌を持つ少女はすっかりお腹も膨れてしまい、これ以上料理を見るだけでもうんざりとしてしまう。

 アリサ・バニングスは両親が主催するこのパーティーに同席していた。

 彼女の両親が日米をまたいで大企業を経営しているということで、このパーティーには当然のように両国の大企業の上役たちが大勢集まっていた。既婚者も多く、家族連れでやってきている者たちもいる。アリサと同じくらいの年齢の少年少女たちの姿も見えた。彼らも身分相応に普段は上流学校に通い、さまざまな習い事を掛け持ち、教養を高めているだろうと思われる。周りから見れば大人びていると思われるだろう彼らであるが、この場においては年相応に子どもらしく振舞っている姿が見える。会場を所狭しと走り回ったり、好きな料理をわき目も振らずに食していたり、テーブルクロスや婦人たちのドレススカートの中に潜り込んで驚かすなどしていた。

 本当、ガキばっかね……。

 そんな彼らの姿を見て、アリサは呆れるように頭を振り、ため息をつく。

 柔らかく艶のある金色の髪がゆっくりと流れる。今日もこのパーティーのために大好きな母親から整えてもらった自慢の髪だ。

 そんな母親は離れたところで同じ女性来客たちと談笑している姿が見えた。父親はとある一つのテーブルを陣取るようにして他の会社の上役と思われる老若男女たちと時折笑顔を交えながら話をしている姿が見えた。

 パーティーを開いているこんな日にまで仕事熱心な二人の一人娘として、アリサ・バニングスは生を受けた。

 日本人に多い顔立ちをしていながら、外国人のように白い肌、長い金髪と翡翠のように透き通った瞳は、アメリカ人の父親と日本人の母親の血を均等に受け継いだ証だった。彼女に合わせて特別に調達されたオレンジ色のワンピースのようなドレスからは幼いながら艶めかしい光を反射するほどの白く穢れのない肌が露出している。首からは今年の誕生日にプレゼントとして贈られたお気に入りのネックレスをつけ、少し背伸びをするように化粧をほどこされた彼女は将来を期待させるような印象を周囲に振りまいていた。

 

「アリサ」

 

 さて、これからどうしようかと思っていたところで、父親の呼ぶ声が聞こえた。

 彼の声のした方を向くと、こちらに来るように手招きをしていた。

 

「アリサ、ちょっと来なさい」

「はい」

 

 再度名前を呼ばれ、アリサは素直に返事をして父親の待つ所へと向う。

 父親の他に、他者の上役たちがアリサのことを好意的に迎えてくれた。

 

「やあ、バニングス嬢、ご機嫌麗しく」

「ご丁寧にどうも。そちらこそお元気そうで何よりです」

 

 彼らと会うのはこれが初めてではない。

 物心ついた頃から両親が主催したり、呼ばれたりしたパーティーに同席していたので、彼らからはバニングス家の令嬢と認識されていたし、彼女自身も跡継ぎという将来があるために一度あった上役たちの顔と名前は覚えるようにしていた。まだ以前なら大人びた立ち振る舞いや挨拶をすれば褒められていたが、もう何年も経てば当然のように思われるようになっていた。それだけ彼らがアリサのことを評価しているということなのだろう。

 父親の後ろに立つ女性が何やら耳元で囁くのが見えた。何をいったのかは聞こえなかったが、父親は頷くとアリサの前にその女性を案内した。

 

「アリサ、ご紹介するよ。彼女は――」

「――お初にお目にかかります。私UGN(ユニバーサル・ガーディアン・ネットワーク)海鳴支部の支部長をしております、湊恵子と申します。以後お見知りおきを」

 

 何度も見てきた形式通りの挨拶だった。

 ドレスのスカートの裾をつまみあげながら一礼する。

 

「ご丁寧にどうも。アリサ・バニングスです」

 

 アリサも挨拶を返す。

 湊恵子という女性にもう一度視線を向ける。

 日本人らしい顔立ちに、黒い髪、黒い瞳は彼女が純粋な日本人であるという印象をもたせる。長い髪を後ろの方で結っており、首筋辺りを大胆に見せている。今はこの場に合わせてドレスを着ているが、アリサは彼女が会場の外では黒いレディーススーツを着たどこかの社長秘書であるのではないかと思った。柔和な微笑を浮かべているが、かけている眼鏡の奥に見えるつり目がちの瞳はかみそりのような鋭さを隠しているように感じられた。

 

「彼女の経営しているUGNという組織はいわゆる人材派遣を担っているそうなんだ。私や他の方々のところにいつも優秀な人材を派遣してくれてね。本当に助かっているんだよ」

「そんな、お褒めいただくほどのことではありません。私は組織としての役割を忠実に果たしているだけなのですから」

 

 謙遜するように言う彼女であるが、父親を始めとする多くの上役たちに評価されていることから、相当優秀な人物なのだろうと思う。彼女の名前と顔も覚えておかなければと思う。

 

「湊さん、今日のパーティーはお楽しみいただけておりますか?」

「ええ、もう十分に」

 

 変わらぬ柔和な笑みとともにそう言う。

 表情を見る限り、彼女の言葉は本心であると見える。

 アリサは心理学に秀でているわけではない。しかし、この年になるまでさまざまな場所や場面において百を超える大人たちと出会ってきた。

 そんな彼女が幼いながら導き出したもの、それは“大人は汚い”というものだった。

 企業界の権力者たちが、お互いに牽制しながら歩み寄ろうとするのを見るだけで吐き気を感じるほどだった。企業界のトップが集まるこの華やかさに彩られたパーティー会場においても、その舞台の裏では、誰もが蹴落とし足を引っ張り合い、経営競争に打ち勝つために、少しでも力のある者にすり寄るなどさまざまな動きが暗黙の了解のもとで行われていた。

 

「そういうアリサちゃんは表情が固いけれど、どうしたのかしら?」

 

 バニングス家の令嬢という仮面をかぶっていたつもりであったが、表情に表れていたのか、恵子が声をかけてきた。

 その言葉から心配していることが感じられる。

 アリサはごく自然に表情を整え、何事もなかったかのように振舞うようにする。

 

「いえ、特に何も。ご心配してくださり、ありがとうございます」

 

 言葉遣いにも細心の注意を払う。

 上品な言葉遣い以外では、彼女に対していらぬ心配をかけてしまう。

 

「そう? なら、いいのだけれど」

 

 念を押すように聞いてくるが、アリサの毅然とした態度を見て納得したのかそれ以上は聞いてこなかった。表情も心配そうなものから安心したかのようなほっとした様子のものに変わっていた。

 アリサはこれ以上自分がここにいても、話し合いの邪魔になるだけだと思い、父親に少し外に出てくることを伝える。

 

「分かった。少し風に当たってくるといい。ずっと会場にいるのは息苦しいだろう」

 

 恵子との会話の間も心配そうに見ていた父親は気遣うように言う。

 アリサは父親や上役たちに一礼を含む挨拶をしてその場を走るように離れた。

 父親とは一緒にいたい。だが、寄生虫のように父親にすり寄ってくる他の企業家たちの姿があまりにみにくく見えたのだ。将来的に自分がそうされる立場に立つかもしれないというのはぞっとしない話だった。

 身を寄せ合うようにして会談をしている大人たちの間を通り、はしゃぎまわる子どもたちのことなど目もくれず出入り口の扉に向って歩く。

 ふとアリサは自分よりも先に会場の外に出て行く少年の姿が目に映った。

 同い年と思われる背丈。子どもサイズのタキシードに身を包み、髪の毛をワックスでオールバック気味に整えている。

 正直言って、子どもだからであろうか似合っていなかった。

 そんなことよりもアリサはその少年からは違和感が感じ取っていた。

 それがどのようなものなのかと聞かれると、アリサは今もっている語彙では的確に言い表せないと思った。

 なら、端的に言うと、と聞かれたならばこう答えるだろう――“ずれている”、と。

 

 

 アリサが会場の外に出たところで、一陣の風が吹いた。

 その風は冬が近いことを伝えているかのように冷気を伴ったもので、温かい会場と打って変わって肌寒さを感じるほどだった。

 ことさら今のアリサの服装が肌を大きく露出させているドレスであるため当然だった。

 だが、慣れてしまえばそれほど苦痛に感じるほどではない。

 大きく深呼吸をしてみる。

 ひんやりとした空気が喉を通って肺に侵入する。その冷たさが今はモヤモヤとしていた気持ちをすっきりさせるのには役に立っていた。

 しかし、外に出たはいいがどうしようかとアリサは途方に暮れたように辺りを見渡す。

 他の子どもたちは外の寒さを嫌ってか、誰一人として出てこようとしない。

 子どもは風の子と言うくらいだから、少しは外で遊ぶべきではないかと思うが、立場上はしたない行為は自重しなければいけない。

 仕方ないと、アリサは少し周りを探険してみようと思った。

 会場にいても先ほどと同じように息苦しさを延々と感じ続けなければいけない。これ以上は苦痛でしかなく、耐えられなかった。

 それよりなら、初めて訪れる会場を探険した方が有意義だろう。

 それに先ほど自分よりも先に会場を出た少年のことも気になった。今のところ姿が見えないので探してみようと無意識のうちに、探険家のように心躍らせていた。

 エントランスホールにやって来たアリサは玄関を入ってから突き当たる壁にある豪華な金細工を施されている時計を見て、パーティーがあと一、二時間は続けられるだろうと計算する。

 この会場は今回のように大掛かりなパーティーの他に結婚式としても利用されることがある。宗教の影響からか、外装はもちろんのこと内装もまたどことなく教会のように見える。神聖な感じが、その様子から感じられる。

 エントランスには左右にあるホールに続いている廊下と二階より上に上がるための階段がある。アリサはその右側の廊下からエントランスへと入った。

向こうに続いている左側のホールは確か別のパーティーで使用されているはずなので少年がそちらに行くのは考えにくい。

 ならば残っているのは階段の上にある二階、さらに上の三階である。

 アリサは顔を上げてにらむような視線を二階に向ける。

 視線の向こうには手すりが見えるだけで、奥の方の様子は見えない。

 ズンズンッ、という足音が聞こえるように階段を上がっていく。

 階段は両側から上ることができ、アリサが上ってきた右側からならターンをせずにまっすぐ階段を上りきることができた。あと数段で上りきるというところで、ギリギリアリサの目線の高さが廊下と平行になった。こっそりとまるで忍び込んだエージェントのように辺りを注意深く見渡す。

 まるで読んだ小説に登場していた大泥棒みたいね――アリサはそんな自分を自嘲するように思いながら、周辺に少年がいないか確かめながら、耳をそばだてる。

するとどこからか話し声が聞こえてきた。

 会話のようであるが、一方的に話しているようにしか聞こえない。

 電話でもしているのかしら――。

 失礼と思いながらも好奇心の方がそれを上回り、話の内容を聞き取ろうとして再び耳をそばだてる。辺りがシンッ、となっていることもあり、向こうで電話をしているのが幼い少年の声であることが分かった。

 会場には何人も同い年の少年がいたが、彼らの中から会場を出た者は一人しかいない。

 しかし、内容までははっきりと聞き取ることができない。

 静けさが支配していながらなにかに警戒しているかのように小さな声で話しているのだ。

 ――何よ、聞き取れないじゃない!

 アリサは名も知らない少年に対して心の中で文句を言う。

 そんなアリサの心中などしらないと言うように、少年は電話を続けている。

 ――これじゃあ、埒が明かないわね……。

 そう思い、忍び足で階段を上りきり、少年の声が聞こえてくる支柱に近づいていく。

 

「問題ない……護衛対象は無事だ」

 

 ――護衛対象? 問題はない? どういうことよ、それ。

 それではまるでボディーガードか暗殺者ではないかとアリサは心中で吐露する。

 大企業の社長である父親をもつアリサにもボディーガードという存在はある。彼らが自分の知らないところでどのような打ち合わせをしているのかは分からないが、今少年が話しているようなことと同じことをしているのではないかと思う。

 すると今まで感じていなかった震えがアリサの身体に襲いかかる。

 ――怖い……。

 近くで話をしているというのに、さきほどからまったく内容が耳に入ってこない。

 止まらない震えを無理やり押さえ込もうとして身体を抱きしめるように座り込む。

 その時少しだけドレスが廊下の床と擦れる音がした。

 ただ、それだけだった。

 それなのに――「誰だ!?」――支柱の向こうから少年の強い警戒の含まれた叫び声が聞こえた。

 まるで空間がアリサのことを縄か何かで捕らえ、締め上げているかのように身体に痛みが走る。

 全身が緊張に支配され、そこに縫いとめられているかのように動くことができない。背中の向こうから足音が聞こえる。

 そして、支柱の向こうにいたはずの少年が姿を現した。

 顔を見るのは初めてであったが、大きな特徴はない、ごく普通の少年だった。

 オールバックにしていた髪の毛は彼自身も気に入らなかったかのようで、ぐしゃぐしゃと元に戻していた。

 深い闇色の瞳が、まるでアリさの心の中を覗くかのように鋭く向けられていた。

 そんな彼からは子どもらしさや温もりといったものは感じられず、ただひたすらに冷徹さだけが突きつけられているかのようだった。

 貼り付けられた無表情な仮面をかぶったまま彼女を見下ろしていた少年であるが、そこにいたのが誰でもない、アリサであったことに対して、

 

「えっ……」

 

 と、驚いたように瞠目する。

 アリサは指一本動かすことができず、石のようにそこに座り込んでいることしかできないでいたが、初めて少年が子どもらしい反応を見せたことに少しだけ緊張が和らいだのを感じた。

 そして、少年が警戒を解いた瞬間、この場を支配していた重苦しい雰囲気が和らぐ。

 アリサの身体の不自由もなくなり、弾かれたように立ち上がると一目散にその場を離れる。階段を 一気に駆け下りて、会場の方へと走る。

 幸い階段を降りた先には人がいなかったために一度も足を止めずに会場の前まで来ることができた。あとはこのドアを開けるだけ。引き戸の取っ手に手を伸ばしかけたところで、後ろから肩に手を置かれた。

 

「ねえ、ちょっと」

 

 アリサは声にならない悲鳴をあげながら、肩に置かれた手を反射的に振り払った。

 パシンッ、という乾いた音が短く響いた。

 アリサの正面には二階で電話をしていた少年の姿があった。向こうで感じられた危険な雰囲気は一切感じられず、まるであれは嘘だったかのように思えてしまう。

 少年からは先ほど痛いほど感じられていた冷徹さは微塵も感じられず、ただどこにでもいる平凡な少年という印象へとアリサの中で書き換えられていく。

 

「ちょっと待ってよ。どうしていきなり逃げたのさ」

「は、離しなさいよ」

 

 少年が唇を尖らせながら言う。

 どうやらいきなり挨拶もせずに逃げ出したことに対して思うところがあるようだ。確かに、一人の令嬢として人の電話での会話を盗み聞きするというのはあまりほめられたことではない。謝罪の一つも求められても当然だろう。

 しかし、印象は書き換わったからといって、さきほどのことに思うところがあるのはアリサも同様だった。今は人畜無害を絵に書いたように、それが服を着て歩いているかのようにしているが、とてもさきほどの少年の姿がうそのようには見えなかったのだ。もしかするとそれが彼に対して最初に抱いた“ずれ”のようなものなのだろうか、とアリサは思う。

 

「どうしていきなり逃げ出すのさ。僕が何かした?」

 

 少年が追求するように尋ねてくる。

 理由があるとしたら、少年のことが怖くなったからだ。

 しかし、今の彼を見ているとさきほどそのように感じてしまった自分が情けなくなる。

 普段なら隠さずに本音をもらしているところであるが、あらぬ方向へと話がずれることを避けるために適当にはぐらかしておくことにした。

 

「そうなの?」

「そうよ。何、文句があるの?」

 

 納得し切れていない様子の少年が訝しむように言う。

 アリサはそれ以上の追求がないようにするため、両手を腰に当てて下から威圧するように覗き込むようにして言う。顔が近づいたことに少年は初心なのか顔を赤らめて数歩後退する。

 

「ぷぷっ、何その反応? かわいい」

 

 少年の素直すぎる反応に思わず笑みがこぼれる。

 

「な、な、わ、笑うなよ!?」

 

 少年が今度は羞恥から顔を赤くして怒鳴るように言う。

 だが、今の状態で怒鳴られても全然怖くない。むしろ大きな弟を相手にしているかのように楽しいとさえ思う。

 もっといじってあげようかしら、と黒い笑みを心中で浮かべる。

 

「ほらよしよし、恥ずかしがる必要なんてないのよ」

「なあっ!? やめろよ、お前!」

「お前じゃないわよ、あたしはアリサ、アリサ・バニングスっていう名前があるのよ!」

 

 初対面の相手に対してお前とは失礼なやつだと思いながらも、名前を教えてあげる。

 普通ならばバニングスと聞いて、大人であれ、企業家の子どもであれ必ず一瞬驚きを表情に浮かべるのであるが、少年はまったくそれがなかった。まるで初めから知っていたかのように、何を今さらという色が顔を覗かせていた。

 

「さあ、あたしが名乗ってあげたんだから、あんたも名乗りなさいよ」

「何で俺、僕がそんなことをしないといけないんだよ……」

 

 不貞腐れるように呟く。

 何か言い直したように聞こえたが、気にはしなかった。

 そっぽを向いている少年の顔を手で掴んで、無理やり自分の顔の正面に持ってくる。

 痛いと抗議する声をあげるが、アリサは無視して言う。

 

「あたしが名乗ったのだから、名乗り返すのが礼儀でしょう?」

 

 アリサの教え諭すような言い方に、少年はムッとした表情を一瞬浮かべるが、彼女の方が正論なので反論する言葉が見つからず口をモゴモゴと動かすだけに終わる。

 

「……湊ナナシだよ」

「湊、ナナシ……もしかして、UGNの湊さんのご子息?」

「……まあね」

 

 アリサの質問に対して、少年は一瞬露骨に嫌そうな表情を浮かべる。

 少し間を開けてから、肯定するように言った。

 シンッ、と静まり返った会場前の廊下に立つ二人の間に、沈黙が流れる。

 少年は何を話してくるわけでもなく、時折周囲に警戒しているような視線を向けている。

 アリサはこの沈黙を早く打破したいと思っていた。

 だが、初対面の相手に何を話せばよいのか。

 家族のこと、学校のこと、友だちのこと、習い事のこと、色々あるがどうしても切り出せないでいた。

 またしばらく沈黙が流れたところで、アリサは意を決して尋ねる。

 

「ねえ、さっき電話してたわよね?」

「……」

 

 その質問に対して少年はただ目を細めるだけだった。

 しかし、その反応が肯定していることを読み取れた。

 少年は髪をくしゃくしゃとかき上げながら嘆息する。

 まるでドラマで犯人などが見せる仕草と重なる。

 アリサは緊張からゴクリッ、と生唾を飲み込んだ。

 

「まさか、聞いてたの?」

「……ええ。でも、別に盗み聞きをするつもりはなかったの。悪かったとは思ってるわ」

 

 少年はさきほどの声変わりをしていない、子どもらしい声とは打って変わって低く冷たさを感じさせる声で問い詰めるように尋ねる。

 その威圧感に押されそうになるが、心を強く持ち、努めて冷静に対応する。謝罪を入れたためか、少年から発せられている威圧感はわずかに緩む。

 そして、少年は「そうか……」と嘆息して視線を足元に落とすように俯く。

 やはり何かまずいことをしてしまったのではないか、とアリサは不安になる。

 

「まいったなー」

「……へっ?」

 

 ようやく口を開いたかと思いきや、そこから出てきたのは毒気を抜かれるような言葉だった。まるで知られたくなかったことを見られてしまった子どものように、後ろ髪をかきながら恥ずかしがっている。

 身構えていたアリサにとっては肩透かしもいいところである。

 

「さっき友だちとボディーガードごっこをしてたんだよ」

「は、はあ……」

 

 どう反応を返してやればいいのか分からない。

 子どもらしいといえば、子どもらしい遊びなのだが、これまでの少年――ナナシの様子からは考えられない姿だった。

 

「でも、会話を聞かれちゃうだなんて任務失敗だよね」

「そうね、あたしだったらそんなボディーガードは雇わないわ」

「手厳しいね」

「当然よ。鍛え方が足りないのよ。精進することね」

「……善処するよ」

 

 彼の印象の変わりように戸惑いを抱いていたが、慣れてしまったのか気にならなくなっていた。いつの間にか普通に会話をしており、はたから見れば、まるで小さな主従関係のようであっただろう。

 そんな二人の会話に割って入るようにドアが開く音が聞こえた。

 そこから姿を現したのは、UGN海鳴支部支部長である恵子だった。

 二人の姿を見て、仲良くなったことに気付いたのか見守るような微笑を浮かべた。

 

「あら、もうアリサちゃんと仲良くなったの?」

「……まあ」

 

 親子の会話にしては、どこか“ずれ”が感じられるものだった。

 

「もう帰るのか、母さん」

「母さんって……」

 

 ナナシの言葉に一瞬驚いたように目を見開く恵子。

 子どもが自分の母親を“母さん”と呼んでもなんら問題はないだろうに、とアリサは彼女のその反応に疑問を抱く。

 

「ああ、なるほど」

 

 恵子はアリサの疑問を含んだ視線を感じたのか、驚きの色を表情から消し、手を唇に当てクスクスと笑い声をこぼす。しかし、目は笑っていない。

 

「ええ、パーティーもちょうど終わったところよ。アリサちゃん、ご両親があなたのことを探していたわよ」

「え、そうなんですか?」

 

 ついつい話し込んでいてしまったようだ。

 あっという間に時間が経ってしまっていたことは驚きであるが、それなりに楽しかった。

 

「ナナシ、それじゃあ行くわよ。それじゃあね、アリサちゃん」

「ええ。さようなら、恵子さん」

 

 別れを告げる恵子に返事を返す。

 彼女の隣に立っていたナナシも挨拶するように背中を押される。

 面倒くさそうな顔を浮かべているのを見て、アリサも表情を不機嫌そうにする。

 どこかアリサに対して苦手意識を感じていたナナシはもう会うことがないことを願うように「それじゃあ」と簡素に言う。

 そんな彼に対してまた出会うことがあったらいじり倒してやる、と皮肉たっぷりに「またね」と言ってやった。

 お互いの“ずれ”のある言葉が、この後交わることになることを二人はまだ知らない。

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