ハルへ   作:はるのいと

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第二十一話「彼のいない金曜日」

 4時限目は英語――教科担任の平田は流暢(りゅうちょう)な英語を操りながら、教科書の長文を読み上げている。そんな中、小夜は憂鬱な気持ちのまま窓際の空席に目を向けていた。

 

 本日、彼女は父親と食事をすることになっていた。以前の小夜なら問答無用で断っていたが、もう逃げてはいられない。ちゃんとケリをつけないと、いつまで経っても宙ぶらりんのままだ。彼女はそう思い直し父親からの誘いを受けることにした。

 

 だが父親の方はまだしも、問題は継母の方だった。一緒に暮らしていたのはおよそ半年ほど。勿論ほとんど会話らしい会話などしたことがない。原因は単純に小夜が無視を決め込んでいた為だった。

 

 全ては自分のせいだった……父への気持ち、そして亡き母の呪縛が解かれたいま、継母を拒絶する理由は無かった。だが素直にそう出来ない自分がいる。因みに小夜は本気で如月を思うようになったことを、まだ誰にも話していなかった。

 早苗にはほんとのこといっとかないとなあ……。彼女がそんなことをぼんやりと考えていると、いつの間にか授業は終了していた。

 

 

 

「ほれ、余りもんだけど食え!」

 

 小夜は如月が欠席した為に、余ってしまった弁当を早苗に手渡した。すると彼女は、胸の前で手を組みながら歓喜の声をあげた。

 

「ラッキー。うわっ、超美味そうじゃん! では早速、頂きまーす」

 

「相変わらず美味しそうに食べるわねえ、あんたは……」

 

「そう? まあ、あいつに比べれば誰だってそう見えるって」

 

「たしかに」

 

 小夜は苦笑いを浮かべると、自身も弁当のふたを開けた。

 

「それにしても珍しいこともあんのね。あの如月が学校休むなんて」

 

「そうだよね……どうしたんだろう」

 

「あれっ、あんた連絡入れてないの?」

 

 早苗がウィンナーを頬張りながら尋ねると、小夜は無言のまま頷いた。

 

「何でさ、心配ならメッセージでも送ればいいのに」

 

「いやあ、なんかウザがられるかなあ、って思って……」

 

「いつからそんなナイーブ女子になったのよ」

 

「だって……」

 

「ったく、そんじゃ私が――」

 

 早苗はそういってジャケットからスマートフォンを取りだすと、慣れた手つきでメッセージを打ち込んでゆく。

 

「ほい、送信っと」

 

「何て送ったの?」

 

「如月のことが心配で、小夜から貰った弁当が喉を通らない、って」

 

「ガッツリ食べてんじゃん」

 

「このくらい大げさにいっといたほうがいいのよ、アレには」

 

 早苗はそういって如月からの返信を待った。だが待てど暮らせど彼からの連絡はない。

 

「……ガン無視ね」

 

 小夜がポツリと呟いた。

 

「あんにゃろう、ちゃんと既読になってんのに……」

 

 スマートフォンを睨みつけながら、早苗は眉間にしわを寄せた。そして今度は小夜のスマートフォンに手を伸ばすと再度、彼にメッセージを送った。

 

「ちょっとっ!」

 

「あんたからのだけ返信してきたら、奴のメガネぶっ壊すから……止めないでよね」

 

 や、やばい、目がすわってる……。親友の顔を凝視しながら、小夜は返信がこないことを切に願った。その後、彼女の願いが通じたのかはさておき、数分経っても如月からの返信はなかった。

 

「マジで具合悪いのかなあ?」

 

「気になるなら帰りに寄ってみたら」

 

「うーん、でもなあ……」小夜は箸を止めて、静かに溜め息を漏らした。「あっ、じゃあ、あんたもついてきてよ」

 

「どうして私が? 一人で行きなさいよ、一人で」

 

「いいじゃん、それにちょっと相談したいこともあるし……」

 

 小夜が上目づかいで潤んだ瞳を向けると、早苗は冷めた眼差で見返した。

 

「いっとくけどね、そのワザ(・・)は私には通用しないわよ」

 

 早苗はそういうと、最後にとっておいた玉子焼きを口に放り込んだ。それでも小夜は諦めることなく彼女を見つめる。

 暫しの沈黙――程なくして根負けした早苗が、食べ終えた弁当箱のふたを閉じながら溜め息を漏らした。

 

「しゃあない、分ったよ。弁当もゴチになったことだしね」

 

 よっしゃ、相変わらず優しいんだから。これだから私は甘ちゃんになってしまうのだ。小夜はそう思いつつ微笑みながら中断していた昼食を再開した。

 

 

 

「あっ、それでさっきいってた相談って何よ?」

 

 坂道を下りながら、早苗は思い出したように小夜の顔を覗きこんだ。

 

「実はね……今日、父さんと会うの」肩を落とすと小夜は静かに溜め息を漏らした。「しかも再婚相手も一緒に……」

 

「あちゃ、そりゃヘビーだね」

 

「ねえ、どんな顔で会えばいいと思う?」

 

「どんなって顔っていわれても……」

 

 詰め寄る小夜に早苗は首を傾げながら答えた。

 

「ねえ、早苗ちゃんは今日って何か予定あるの?」

 

「早苗ちゃんって、何よ急に……」彼女は訝しげな表情を小夜に向けた。そして何かに気付くと、すぐに呆れ顔を作った。「あんたまさか……いっとくけどそれは無理よ」

 

「お願いっ、ついてきてっ!」

 

「どう考えてもその場に私がいたらおかしいでしょ」

 

「大丈夫だって、父さんも久しぶりに早苗に会いたがってると思うし。それに向こうだって二人なんだから。ねえ、だからお願いっ!」

 

「無茶苦茶だよ、あんたのいってること」

 

「頼む、早苗っ!」

 

 小夜は瞳を閉じながら、顔の前で手のひらを合わせた。

 

「……めしは?」

 

「高級イタリアン」

 

「……付き添うだけよ。フォローとか期待しないでね」

 

「勿論です」

 

 早苗は溜め息を漏らすと、しょうがなく彼女の申し出を受けることになった。

 

 

 

「ねえ、どうして同じ弁当二つも買ってんの?」

 

「彼ねえ、夕飯はいつも同じお弁当を二つ食べる、って決めてんのよ」

 

「……何で?」

 

「知らん。でも前に一度、別なのにすれば? っていったらめっちゃ怖い目で睨まれたからさあ、何か聞きづらくて……」

 

「前から変わってるとは思ってたけど……やっぱり相当なもんね」

 

 小夜は頷きながら弁当を二つ購入した。因みに彼女が選んだのは生姜焼き弁当だった。早苗はお粥などの方がいいのでは? と忠告したが「風邪の時は、生姜で体を内から温めるのが良いいの」と、いって彼女の意見は即座に却下された。

 

 

 

 如月家に到着すると小夜は咳払いを一つして、インターフォンを鳴らした。風邪で怠そうにドアを開ける如月の姿を彼女たちは想像したが、ドアが開くことはなかった。沈黙のなか再度、小夜がインターフォンを押す。だがやはり反応はない。

 

「これは……留守ね」

 

 小夜がポツリと呟くと、早苗は舌打ちをしながらドアに手をかけた。だが当然ながら鍵が掛かっているためドアは開かない。すると今度はゲンコツでドアを叩き始めた。

 

「開けろ、如月っ!」

 

 近隣住民のてまえ、小夜は慌てて彼女の行動を止めた。当の如月が不在なのだから、二人は彼を見舞うことは出来ない。しょうがなく小夜はドアの取っ手に、先程購入した弁当の入ったビニール袋を括りつけた。すると早苗が鞄からノートを取り出し、何かを殴り書きし始めた。

 

 小夜が覗き込むとそこには ”学校休んでどこほっつき歩いてんのよっ! 折角、小夜があんたの為に買ってきたんだから残さず食えっ!” と、書かれていた。

 相変わらず女前だなあ……。そんな彼女を見つめながら、小夜は静かに微笑んだ。

 

 その後、二人は如月家をあとにすると近場のカフェで、約束の19時まで適当に時間を潰すことにした。その間、小夜は久々に会う父と継母のことではなく、如月のことを考えていた。 

 ねえ、どこ行っちゃったの……。彼女は抹茶ラテに手を伸ばしながら、心の中で呟いた。

 

 

 

 小夜たちが待ち合わせの時間にレストランに到着すると、父親たちはもう既にテーブル席に腰を下ろしていた。早苗は久しぶりに顔を合わせた啓一に、よそ行きの顔で挨拶をした。そして彼の隣に座る継母の由美子にも同様の微笑みを向けた。

 

 相変わらず私と同じで外面が良い……。小夜は自嘲した笑みを浮かべると、由美子に一瞬目を向けた。

 

 久しぶりに見る継母の顔は、ほんの少しだがやつれてたように感じた。以前はそんなことを気にする余裕なんて全くなかった。私は本当に父への思いを断ち切ったのだ……。この時、小夜はそう再確認した。その後は軽い自己紹介を済まし、程なくして料理が運ばれてきた。

 

「早苗ちゃんは高校でも陸上を続けてるのかい?」

 

「はい、だからご覧の通り真っ黒です」

 

「美少女アスリートだね。キミならさぞかしモテるだろう?」

 

「それをいうなら小夜ですよ。めっちゃモテますよ、この子」

 

 早苗はそういって、前菜のホタテとキャビアのカルパッチョを頬張ると至福の表情を啓一に向けた。

 

「じゃあ、小夜にも彼氏はいるのかな? 僕には中々そういうこと話してくれなくてね」

 

「さあ、どうでしょう。小夜は理想が高いですからね、おじさん以上の人じゃなきゃ納得しないんですよ」

 

 小首を傾げながら、早苗はおどけた表情を啓一に向けた。

 

「はははっ、お世辞でも嬉しいよ」

 

「お世辞じゃないですって……あっ、でも一人だけいますけどね。おじさんと張り合えそうな、地味でメガネな仏頂面が」

 

「ああ、もしかしてこないだの彼のことかい?」

 

 啓一が思い出したように小夜に顔を向けると、彼女は不機嫌そうに早苗を見つめた。

 

「余計なことはいわんでよろしい」

 

「どうやら、機嫌を損ねさせちゃったみたいだ」

 

「そうですね」

 

 早苗と啓一は同時にほくそ笑んだ。

 

 その後、続々と料理が運ばれてくる中、小夜は無言で食事を続けた。一方、早苗はこの張りつめた場の空気を少しでも柔らかくしようと、敬一との会話を続けていた。

 そんな中、小夜は向かいに座る由美子に一瞬視線を向けた。彼女は先程から殆ど料理にも手を付けておらず、口を開くのは啓一への相槌くらいのものだった。

 

 恐らくこの日を迎えるのが私と同じくらい嫌で、数日前から憂鬱な気持ちだったのだろう。少しやつれて見えたのは多分それが原因のはずだ。小夜はそう思いつつ、ミネラルウォーターの入ったグラスに手を伸ばした。

 

「食べないんですか?」

 

「えっ? あ、ああ、最近ちょっと食欲がなくて……」

 

 小夜の問いかけに由美子は俯きながら答えた。

 

「そりゃ、そうですよね。私みたいな嫌なガキと食事をしなきゃいけない、ってなったら途端に食欲も減退しますよね」

 

 小夜の言葉を受け、今まで俯き加減だった由美子はゆっくりと顔を上げた。

 

「小夜さんもそうだったはずでしょ? なのに食欲だけはあるのね」

 

「ええ、あなたと違ってまだ若いですから」

 

「おい、二人とも――」

 

「父さんは黙ってて」

 

「貴方は黙ってて」

 

 二人は同時に口を開いた。そして無言の睨み合いが続く。すると料理をたいらげた早苗はナプキンで軽く口元を抑えると、啓一の手を取り「ここは二人だけに」と、いって彼を店の外へと連れ出していった。

 

 

「私のこと嫌いですよね?」

 

 二人きりになったテーブル。程なくして小夜が口を開くと由紀子は白ワインを一気に(あお)った。

 

「ええ、嫌いよ。だってこっちがどれだけ努力してもあなたは――」

 

「私は父のことが好きでした。親子としてじゃなく一人の男として、という意味です」

 

「えっ?」

 

 由美子は驚きの表情を浮かべた。すると小夜はそんな彼女に自身の母親への思い、そして自分がなぜ父親に惹かれるようになったのか、その全てを告白した。由美子はただ黙ってそれを聞き入っていた。そして全てを話し終えた小夜は静かに彼女を見据えた。

 

「私は単純に嫉妬した、大好きだった父をあなたに取られて。だから……」小夜は俯きながら口ごもった。「だから私は、どうしてもあなたに歩み寄ることが出来なかった」

 

「小夜さん……」

 

「私にとってあの頃、父は全てでした。他人なんてどうでもいい、ずっとそう思って生きてきた。でもある人と出会って、私は変わった……」

 

「さっきいってた彼?」

 

 小夜は微笑みながら頷いた。

 

「彼のおかげでいままで無視してきた、人の思いや痛みが理解出来るようになりました。だから今すぐには無理だけど、でもいつかは……いつかはあなたをお母さん、って呼んでみたい、今はそう思ってます」

 

 小夜はそういって薄く微笑んだ。すると由美子の瞳から、ゆっくりと涙が零れ落ちてゆく。

 

「……ありがとう」

 

 暫くして早苗と父が戻ってきた。そして涙を流す彼女の顔を見て、父は困惑の表情を浮かべ始めた。どうやらいい争いでもして娘に泣かされた、とでも思ったらしい。ほんと、相変わらず単純なんだから……。小夜は心の中で微笑んだ。

 

 結局、由美子は涙の理由を語らなかった。だが一言だけ「嬉し涙よ」と、だけ答えた。啓一はその言葉を受け、渋々といった様子で納得した。その後、4人は他愛もない会話を交わしながら食事を楽しんだ。

 

 

 

「今日は会えてよかったよ。また誘ってもいいかな? 今度は3人で」

 

 啓一はそういって小夜に微笑みかけた。

 

「すんません、お邪魔虫で」

 

 早苗は頭をかきながら苦笑いを浮かべた。

 

「いや、違うんだ、そういう意味じゃなくてだね、あの――」

 

「分ってますって。おじさん、慌てすぎ」

 

 早苗の言葉に啓一は大げさに肩を落とすと、もう一度、小夜に視線を向けた。

 

「どうかな? 小夜」

 

「いいよ……でも今度も4人で」

 

「ああ、勿論それは構わないよ。早苗ちゃんがいると――」

 

「二人に紹介したい人がいるの」

 

 小夜がはにかみながら啓一の言葉を遮ると、由美子が微笑みを浮かべた。

 

「彼ね?」

 

 小夜は大きく頷き、彼女と同様に微笑を浮かべた。啓一は微妙な顔をしていたが、由美子は「楽しみ」と、いって笑った。

 その後は送っていくという啓一の申し出をやんわりと断り、二人はゆっくりと駅へと歩みを進めた。

 

 

 

「いいの? 如月に断りもなく食事の段取りなんか決めて」

 

「別に日にちを決めたわけじゃないんだから。そのうちって話よ」

 

「それより、やっぱ私の読みは正しかったわね」

 

「何よ? 読みって」

 

「いつまで恍けてるつもり?」

 

「……だから何よ」

 

「マジで好きになっちゃったんでしょ? あいつのこと」

 

「……バレてた?」

 

「これでも、お互い鼻水垂らしてた時からの付き合いだからね」

 

「垂らしてねえっつうの、鼻水なんて……」

 

「よかったね、小夜」

 

 早苗はまるで自分のことのように喜んだ。すると小夜は涙をためながら、少し照れくさそうに「……うん」と、頷いた。

 

「よしっ、今日はあんたんとこで祝杯よっ! 折角だから、有紀とこないだの優香って子も呼ぼうか?」

 

「うん、そうだね」

 

 二人はそういって、日の落ちた街中を歩いてゆく。小夜は不意に立ち止まり夜空に目を向けた。そこには綺麗な星たちが光っていた。

 少しずつだけど、自分は前進している。これでやっとスタートラインに立てたんだ。彼女はそう思いながら、早苗の背中を小走りで追いかけた。

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