ハルへ   作:はるのいと

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第二十二話「彼女の想い、彼の苦悩」

 ノートパソコンの画面には、一人の青年の画像が映し出されていた。涼しげな目元に柔和な顔立ち――その見た目からは人の良さがにじみ出ているようだった。如月は先程から自室の机で、その画面を暗い瞳でじっと見つめていた。

 時刻は午前6時30分。ノートパソコンをシャットダウンすると、勢いよく遮光カーテンを開いた。すると眩い光が室内に飛び込んでくる。

 

「眩しい……ったく嫌な天気だ」

 

 彼はそう呟くと怠そうに首の骨を鳴らした。

 9月に入り、蒸し暑い猛暑もやっと一段落して季節は秋へと向かう。この時期は食欲の秋という言葉が各メディアでも多く取り上げられるが、正直その感覚を一度として体感したことはなかった。

 

 秋に食欲が増す原因には諸説ある。日照時間とセロトニンの影響。単純に夏に低下した食欲が回復しただけ。食物が少ない冬に備え、秋に体力をつけておく、という生物の自然な摂理など。秋よりも冬の方が運動不足に加え、食欲が増して太る人の方が多い気がするけど……。如月はそんなことをぼんやりと考えながら、制服に着替えリビングへと向かった。

 

 本日は燃えるごみの日。如月が有料ゴミ袋を開くと、その中には生姜焼き弁当が二つ入っていた。彼は二つの弁当を静かに見下ろす。

 一昨日の早朝、心身ともに疲れきった状態で如月は自宅に到着した。そして溜め息を漏らしながら門扉を潜ると、ドアには白いビニール袋が一つ括りつけられていた。

 

 訝しげな表情を浮かべながら、彼がビニール袋を覗きこむと、中には生姜焼き弁当が二つ入っていた。誰が持ってきたのかは明らかだ。

 ビニール袋の中には、弁当の他に一枚の紙切れが入っていた。手に取り二つ折りになった紙切れを開くと、そこには親友思いの陸上女子の文字があった。その文章から彼女が相当にご立腹なのは明らかだった。

 

 食べたいのは山々だけど……。如月は弁当の蓋を開け鼻を近づけた。すると彼は即座に蓋を閉じ、溜め息を漏らした。

 流石にこれは無理だろう……。彼は一昨日の回想から戻ると、再度溜め息を漏らしながら有料ゴミ袋をきつく縛り上げた。

 

 玄関を出るとよく顔を合せる老婆が会釈をしてきた。名前は知らないが部屋着にサンダルという格好からして、恐らく近所の住人だろう。如月も彼女と同様に軽く頭を下げると、家から30メートル程先のゴミステーションに、ゴミ袋を放り投げた。

 

 

 

 いつものように電車に乗り込むと、如月は珍しくスマートフォンを取り出した。LINEを開くとおびただしい程の未読メッセージが、ずらりと並んでいた。彼は溜め息を漏らしながら、それらを読み進めてゆく。

 

 メッセージは小夜と早苗からのものだった。その殆どが取るに足らない内容だったが、学校を休んだ如月を気にかける内容のものも数件あった。たかが1日休んだくらいで……。彼はメッセージを眺めながら呆れ顔を作った。

 

 

 

 学校に到着して下駄箱で靴を履きかえている時だった、背後から如月に声をかける人物がいた。振り返るとそこにはサッカー部のユニホームに身を包んだ、鈴木健介の姿があった。彼とは先の一件以来、一度も顔を合わせてはいない。というよりもあからさまに如月を避けている、というのが本当のところだった。

 

「よ、よう……」

 

「どうも」

 

 如月は下駄箱に外履きを入れながら、いつもの無表情を向けた。すると鈴木は気まずそうに彼からの視線を逸らした。

 

「い、いつもこんなに早いのか?」

 

「ええ、まあ」

 

「そうか……」

 

「何か用ですか?」

 

「い、いや、用っていうか……」

 

「用がないなら、僕はこれで」

 

 暫しの沈黙の後、如月はそういって彼に背を向けた。

 

「ど、どうして俺を助けたんだ?」鈴木は如月の背中に声をかけた。「お前がその気になれば俺を即退学にも出来たってのにさ……」

 

「別に助けたわけじゃないです。逆恨みされて厄介なことになるのが、単純(・・)に嫌だっただけですよ」

 

 如月は背を向けたまま答えると、鈴木は苦笑いを浮かべながら静かに俯いた。

 

「そっか、そうだよな……」

 

「もういいですか?」

 

「あ、ああ」

 

 力ない鈴木の言葉を聞き終えると、如月は静かに教室へと歩みを進めた。

 

 

 

「おはよう」

 

 教室のドアを開けると、如月の目に小夜の姿が飛び込んできた。彼女は相変わらずの微笑みを浮かべている。

 

「今日は随分と早いね」

 

「うん、なんか早くに目が覚めちゃって。折角だから如月君より早く登校してやろう、って思ってね」

 

「ふうん、相変わらず幸せな人だね」

 

 如月は呆れ顔を浮かべながら、自身の席に腰を下ろした。

 

「ほっといてよ」小夜は苦笑いを浮かべながら、彼の向かいに腰を下ろした。「そんなことより、金曜日は学校サボってどこにいってたの?」

 

「ちょっとね」

 

「ちょっとって?」

 

()()知人(・・)の顔を見にいってたんだ」

 

「知人って……もしかして女?」

 

「そんな人がいるように見えるかい?」

 

 小夜は微笑みながら首を横に振った。そしてその後はいつものように、彼女の他愛のないお喋りが始まる。それを如月が文庫本に目を落としながら生返事で返してゆく。毎度おなじみの光景である。

 

「そういえば金曜日ね、父たちと食事をしたの」

 

 話のついでのように小夜はいった。

 

たち(・・)、ってことは再婚相手の人も一緒に?」

 

 如月の問いかけに彼女は無言で頷いた。

 

「それで、継母と初めて向き合ってみた感想は?」

 

 彼は文庫本に目を向けたまま、気のない様子で尋ねた。

 

「ちゃんと話してみるとね、意外に良い人だった」

 

「そうか、良かったじゃないか」

 

「うん」

 

 小夜は軽く頷くと静かに窓の外に目を向けた。すると如月は文庫本から、彼女に視線を移してゆく。

 グランドに目を向ける彼女は、何かが吹っ切れたように、とても清々しい表情を浮べていた。恐らく金曜日の食事会で何かあったのだろう。それは多分、彼女にとって良いことが……。如月は文庫本に目を戻しながら、心の中で小さく微笑んだ。

 

 

 

「学校サボって女と会ってたってどういうことよっ!」

 

「うそっ! マジでっ?」

 

 早苗の言葉に清水は驚きの表情を浮かべた。一方、如月は怒り心頭の彼女を溜め息交じりで見据えている。

 昼休みの1年D組の教室――そこにはいつもの面子に加え、愛母弁当に箸を伸ばす清水の姿があった。因みに小夜は担任にプリントを届けるため、現在は職員室へと足を運んでいる。そんな中、彼女が何気なくついた嘘が原因で、早苗は先程から如月に罵詈雑言をぶちまけていた。

 

「どういうつよりよっ、前にいったわよね? あの子を頼むってっ!」

 

「頼まれても困る、って僕はいったはずだけど?」

 

「他に女がいるんだったら、どうして最初にいわないのよっ!」

 

「聞かなかっただろ?」

 

「最低……あの子ね、今じゃあんたのこと本気(マジ)なのよっ!」

 

「今は本気(マジ)?……じゃあ、例のあの(・・)()はどうしたんだい」

 

 如月の問いかけに早苗は沈黙で答えた。

 そういうことか……。彼は心の中で呟くと今朝の小夜の笑顔を思い浮かべた。どうやら、彼女の長かった片思いはようやく終わりを迎えたらしい。

 

「荒川さん」

 

「……何よ」

 

「因みに聞くけど、キミが彼女の完成度の低い嘘を信じた根拠は?」

 

「……嘘っ?」

 

「考えるまでもないだろう。僕にそんな人がいると本気で思ったのかい?」

 

 如月はアスパラのベーコン巻に箸を伸ばすと、呆れ顔でさらにこう続けた。

 

「勿論、騙される方が悪いとはわない。でもどうなんだろう? 高一にもなって、幼馴染の稚拙な嘘にころっと騙されるのって」

 

「……あ、あんにゃろう」

 

 早苗は大好物の昆布おにぎりを、力任せに握りつぶした。そして何かに気づいたように、恐る恐る如月に視線を移してゆく。

 

「あ、あのう、如月さん……」

 

「何かな? 無知で考えなしな、荒川さん」

 

「……今しがた私がいったことは全部綺麗さっぱり忘れてもらう、っていうわけにはいきませんかね?」

 

「無理だろうね。こうみえても記憶力はいいんだ」

 

 如月は軽く首を横に振り、タコさんウィンナーを頬張ると、さらにこう続けた。

 

「それにしても彼女が僕をねえ……」

 

「お願いっ! 何でもいうこと聞くから、どうかご内密に」

 

 早苗が懇願するように顔の前で手のひらを合わせると、如月のメガネの奥がキラリと光った。

 

「何でもねえ……」

 

「あっ、何でもっていってもエロことは嫌よ」

 

「殴るよ、キミ」

 

 如月は無表情のまま、冷めた眼差しを早苗に向けた。そしてすぐにかぶりを振りながら溜め息を漏らした。

 

「分ったよ。忘れるのは無理だけど、聞かなかったことには出来る。それで構わないだろ?」

 

「うん! OK、OK。ノープロブレム」

 

「でも僕はそれで済むけど、彼はどうするんだい?」

 

 如月は呆けた表情を浮かべた清水に顔を向けた。

 

「ああ、これは大丈夫よ」

 

 早苗は微笑みながら片手をひらつかせると、すぐに清水に視線を合せた。

 

「ねえ、今の私らの会話で何か気になったところある?」

「いいや、三島が如月のことを好きなんだろ? そんなの今に始まったことじゃねえじゃんよ。なあ?」

 

 清水は当然のように如月に同意を求めた。

 

「ねっ? 問題ないでしょ」

 

「なるほどね」

 

 早苗の問いかけに、如月は納得するように頷いた。

 その後、何も知らぬまま小夜が戻ってくると、騙された早苗は彼女に烈火のごとく詰め寄った。如月は頬杖をつきながらそんな二人をぼんやりと眺めていた。

 

「さてと、どうしたもんかな……」

 

 彼はぽつりと呟きながら、楽しげにおどける小夜を静かに見つめた。

 

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