ハルへ   作:はるのいと

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第五話「自傷行為という名の嘘」

「ねえ……あんた、これは一体どういうことなの?」

 

 早苗は包帯でグルグル巻きになった如月の手を掴みながら、小首を傾げてみせた。

 相変わらず朝から声がでかい……。如月は陸上女子に顔を向けると、呆れたように溜め息を漏らした。そして素早くその手を振りほどきながら、面倒くさそうにこう答えた。

 

「ただの自傷行為だ」

 

 昨日の帰宅途中、偶然に救急指定病院の前を通りかかった如月は、保険証は後日持ってくるという条件付きで、掌の治療を施してもらった。幸い首の傷は大したことはなかったが、掌の方は縫わなければならないほど深い傷だった。

 

 医師からどうしてこんな傷を? と尋ねられた如月はただの自傷行為です、とだけ答えた。当然ながら医師は訝しんだ眼差しを彼に向けてくる。その後も、しつこく怪我の理由について尋ねるてくる医師だったが、彼は最後の最後までただの自傷行為です、の一点張りで通した。

 

「ふうん、自傷行為ねえ……それよりあんたら、昨日なんかあった?」

 

 気のない様子でいうと、早苗はゆっくりと如月の向かいに腰を下ろした。

 

「いいや、別になにもなかったよ」

 

「ほんとに?」

 

「ああ。どうして?」

 

「……昨日、小夜が夜中に電話をかけてきたのよ」

 

「深夜の電話がそんなに珍しいのかい?」

 

 あんなことがあれば、普通の神経をした人間なら心細くなるのも当然だ。如月はそう思いつつ、何食わぬ顔で1時限目の教科書を机から取り出した。

 

「ううん。そうじゃないけど。ちょっと様子が変だったっていうか……あんたの話題になると、あからさまに話を逸らすのよ」

 

「ふうん。単純に僕に飽きただけじゃないの?」

 

「そうかなあ。今回はもう少しもつと思ったんだけど……」

 

 早苗は頬杖をつきながら、窓の外に視線を移した。

 

 本日、三島小夜は学校を休んでいた。昨夜の一件がその原因となっているのはいうまでもない。恐らくこれで彼女も僕に構ってくることは、もう無いはずだ……。如月はそう思いつつ、包帯に包まれた掌を見つめた。縫う程の傷を負った甲斐はあったってことな……。彼は心の中で小さく微笑みを浮かべた。

 

「それで、ほんとのところはどうしたのよ、その手」

 

「だから自傷行為だっていってるだろ」

 

「普通、自傷行為っていったらリスカじゃないの?」

 

 早苗は訝しげな表情を浮かながら、如月の顔を覗き込んだ。すると彼は軽く吐息をもらし、面倒臭そうにこう続けた。

 

「そうとも限らないよ。この世界は意外と奥が深いんだ」

 

「へえ、そうなの……でもさあ、どうしてそんなことすんの?」

 

「βエンドルフィンが出て気分が高揚するんだよ」

 

「βエンドルフィンってなに?」

 

「脳内麻薬」

 

「ふうん。相変わらず物知りね」

 

「一般常識だよ」

 

「……ほんと嫌な性格ね」

 

「文句なら母親にいってくれ」

 

 如月がそういった時だった、休み時間の終了を告げるチャイムが教室に響き渡った。すると早苗は「じゃあね」と、いって自身の席へと戻ってゆく。

 

 程なくして数学教師の田村が教室に訪れた。彼は如月の包帯に包まれた手をみると、怪我の理由を尋ねてきた。

 

「捻挫です」と端的に答えると田村は「気をつけろよ」と、全く気持ちのこもっていな言葉を投げかけた。そして何事もなかったように退屈な授業がスタートした。

 

 如月はゆっくりと窓の外に目を移した。グランドには学園指定のジャージに身を包んだ生徒たちが、楽しげにサッカーボールを追いかけている。頬杖をつきながら静かにその様子を眺めていると、隣に座る女子生徒から一枚のメモ書きを手渡された。

 

 メモ書きには ”小夜ちゃんと付き合ってるの?” と書かれていた。字体から察するにどうやら女子のようだ。彼はメモに目を通すと無言で隣の女子生徒に返した。

 

 くだらない。どうしてそんなに他人のことが気になるんだ。如月には全く理解できない感覚だった。

 

 そんなことより今日の昼休みは、昼食を摂る暇はないだろうな。でもしょうがないか、借りたものはちゃんと返さないと……。彼はそんなことをぼんやりと考えながら、ゆっくりと窓の外に視線を戻した。

 

 

 

「あれ、どこ行くのよ」

 

 如月が教室から出て行こうとすると、入り口付近にいた早苗が声をかけてきた。

 

「うん、ちょっとね。あっ、そうだ、鈴木先輩って何組か知ってる?」

 

「F組だけど」

 

「そう、ありがとう」

 

「鈴木先輩に用事?」

 

「ああ、ちょっと借りていたものを返しに」

 

「ふうん……じゃあ、私も行く」

 

 早苗がそういうと如月は好きにしろ、とばかりに無言で2年F組へと足を向けた。階段を上り3階へ行くと、彼は無表情のまま廊下を闊歩してゆく。そんな如月に上級生たちは、訝しげな眼差しを向けた。

 

 程なくして如月たちは目的の2年F組に到着した。入り口付近から鈴木の姿を確認すると、クラスの中心的人物の彼は大勢の友人に囲まれながら、楽しげに昼食を摂っていた。

 

 ったくいい気なもんだ……。戸惑う早苗をよそに、如月は無言で教室の中へと入ってゆく。そして鈴木の前に辿り着くと、無表情のまま静かに彼を見下ろした。

 

 すると昨夜のナイフ男の背後にいた女子生徒たちが、まるで化物でも見るかような眼差しを如月に向けてきた。彼はそんな女子生徒たちに冷笑を向けると、包帯だらけの掌を晒した。

 

「昨日はどうも」

 

 如月の言葉に女子生徒たちは青ざめながら俯いた。そんな中、鈴木が怠そうに如月を見上げた。

 

「何かようか?」

 

「ええ、昨日の件のことでちょっと」

 

「こいつらから聞いたよ。お前、相当イカれてるらしいな」

 

 鈴木は女子生徒たちを顎でさすと、にやけた顔を如月に向けた。

 わざわざあんたにいわれるまでもないよ……。如月はそう思いつつ、メガネを外すと制服の内ポケットにしまい込んだ。そして鈴木に素早く近づくと、彼の耳元で何かを囁いた。

 

 すると途端に鈴木の顔が紅潮してゆく。それと同時に如月の胸倉を掴むと、拳を彼の顔面に叩きつけた。如月は吹っ飛ぶように、後方に倒れ込んでゆく。その鼻からは赤黒い血が流れだしていた。

 

 だが如月はそんなことはお構いなしとばかりに、にやりと微笑みながら鈴木を見据える。その態度に激高した鈴木は、何度も何度も彼の顔面に拳を叩きつけた。見かねた早苗が止めに入ろうとした丁度その時だった、騒ぎを聞き付けた教師たちが教室へと入ってきた。

 

「何やってんだっ、鈴木っ!」

 

 体育教師の飯田が鈴木を羽交い絞めにした。

 

「そんなもんで終わりか?」

 

 如月は先程と同様にニヤリ笑みを浮かべた。それを見た鈴木は、怒号をあげながら飯田を振り切ると、倒れ込んだままの如月に再度掴みかかってゆく。

 

 もっとだ、もっと僕を滅茶苦茶にしろ……。如月は血反吐をはきながら鈴木に冷笑を向けた。すると何度となく彼の顔面には、真赤に染まった拳がに振り下ろされてゆく。

 

 血塗れの如月――鈴木の腰巾着たちも、常軌を逸した彼の行動に驚きを覚えた。そして一番怖いのは誰一人として、彼の暴君ぶりを止める者がいなかった、ということだ。程なくして鈴木は応援に現れた、屈強な教師連中に取り押さえられ、あっけなく御用となった。

 

 一方、如月は早苗と周りにいた女子生徒たちの肩を借りながら、保健室へと向かった。これで万事丸く収まる……。彼は心の中で呟くと静かに口角をあげた。

 

 

 

「ねえ、大丈夫なの?」

 

「ああ。問題ないよ」

 

「……問題大アリでしょうが」

 

 血が滲み、至る所が腫れあがった顔を見下ろしながら、早苗は苦笑いを浮かべていた。

 

「それより教室に戻りなよ。そろそろ五時限目が始まる頃だろ?」

 

「いいのよ。丁度サボりたい気分だったから。それにあんたを看病するっていう、大義名分も出来たことだしね」

 

 早苗が手近にあったパイプ椅子に腰を下ろすと、如月は静かに溜め息を漏らした。

 

「ねえ、一つ聞いていい?」

 

「どうせダメだ、っていっても聞くんだろ?」

 

「さっき鈴木先輩に何かいってたでしょ。あれ、何ていったの?」

 

 暫しの沈黙が保健室に流れた後、如月は早苗に顔を向けた。

 

 真っ直ぐな瞳――本当のことを教えなければ、この先どんな鬱陶しいことが待っているとも限らない。彼はそう思いつつ静かに口を開いた。

 

「僕に三島小夜を取られたのが、そんなに悔しかったか? でも仕方がないだろ、お前みたいな顔だけ野郎にはあの女の相手は無理だ。少しは()ってもんをわきまえるんだな。分かったか? サッカー少年、っていった」

 

「そりゃ、キレるわ……」

 

「ああ、だからいったんだ。彼には理性を吹き飛ばして、僕をボコボコにしてもらわないといけなかったからね」

 

「……どうしてそんなことしたのよ?」

 

 早苗が当然の疑問を投げかけると、如月は致し方なく昨夜の出来事を大まかに説明した。勿論、ナイフの一件は省いてだ。そして全てを聞き終えた彼女は、口を両手で覆いながら驚きの表情を浮かべた。

 

「傷害罪。僕が警察に被害届を出せば、彼は即退学だ。それですべてが丸く収まる」

 

「もしかして……小夜のため?」

 

「まさか、自分の為だよ」

 

 如月は、当然だろ? といった表情で早苗を見据えた。するとまた保健室に沈黙が流れだす。そして数十秒が過ぎた頃、彼女は静かに口を開き始めた。

 

「小夜が男をとっかえひっかえする理由、知りたくない?」

 

「興味ないね」

 

「あの子には、もうずっと昔から想い続けてる人がいるの」

 

「興味ない、っていってるんだけど」

 

「でもね、その人に気持ちを伝えても、あの子は絶対(・・)に受け入れてもらえない……」

 

 人の話を聞け……。如月は大げさに溜め息を漏らしながら、仕方なく早苗の話に付き合った。

 

「だからその気持ちを紛らわすために、好きでもない男と付き合ってる、と?」

 

「あの子はずっと探してんのよ。その人を忘れさせてくれる誰かを……」

 

「つくづく自分勝手な理由だね。呆れるよ」

 

「ほんと、あんたのいう通り……ああ、見えて意外と不器用だからね」

 

「キミのいいたいことは分った。でも僕に出来ることは何一つないよ」

 

「うん、分ってる」

 

「ならいいけど……取りあえず、これで厄介ごとはすべて片付いた。だから荒川さんも彼女と同様に、これからは僕に関わるのはよしてくれるかな」

 

「ねえ、どうしてそうやって人を拒絶するのよ?」

 

「キミには関係ない」

 

 如月はそういうと、ゆっくりと瞼を閉じてゆく。その有無をいわせぬその態度に、早苗は開きかけていた口を静かに閉じた。

 

 

 

 その後、程なくして保健室に教師連中が訪れた。彼らは皆一応に心配げな表情を浮かべながら、先の一件の事情を如月に聞いてきた。

 

 鬱陶しい……。天井のシミを数えながら、彼は適当に相槌を打ってやり過ごした。

 放課後、教師たちは緊急の職員会議を開いた。鈴木の処遇を決める為だ。いつものように時間ばかり浪費する、お座成りな会議が続く。

 

 予想通り、本日中に結論は出なかった。取りあえずは無期停学、その後追って処分が決まり次第、鈴木に伝えるというところで話しは落ち着いた。

 

 教室に戻ると数名の女子生徒が残っていた。彼女たちは如月の腫れ上がった顔を見みて、驚きの表情を浮かべてゆく。一方、そんなことなどお構いなしとばかりに、彼は無言で自身の机に向かい鞄に教科書を詰め込んだ。

 

「如月君……大丈夫?」

 

 振り返ると沢木詩織が伏し目がちに佇んでいた。

 大人しそうな顔立ちに、小ぶりなメタルフレームの眼鏡。その真面目そうな見た目は、さながら学級委員長といった雰囲気がしっくりとくる。それもそのはず、現に彼女はこの1年D組の学級委員長を務めていた。

 

「ああ、問題ないよ」

 

 如月はそういうと、鞄を持ち廊下へと向かってゆく。すると彼の背中に詩織がまた声をかけてきた。

 

「あ、あのう、小夜ちゃんとは……」

 

「付き合ってないよ」

 

「えっ、そうなの?」

 

「数学の時のメモ書き、あれはキミが?」

 

「ううん。それは私じゃないけど……でもみんな気にはなってるみたいだから」

 

 詩織は俯きながら首を横に振った。

 

 くだらない……。そう心の中で呟くと、如月は吐き捨てるようにこう続けた。

 

「そう。ならみんなにも伝えといてくれ。三島さんと僕の間には何もない、って」

 

「う、うん……分った」

 

「じゃあ、よろしく」

 

 相変わらず俯いたままの詩織を残し、如月は静かに教室をあとにした。

 

 

 

 久々の一人きりの下校――神無月駅に向かう道中、すれ違う人々が如月に好奇な眼差しを向けてきた。だが彼は先程と同様にそんなことはお構いなしとばかりに、普段通り淡々と駅へと歩みを進めてゆく。

 

 やっぱり一人は気楽でいい。如月は空を眺めながら小さく呟くと、イヤホンを取り出し耳に押し当てた。そこからはいつものラジオ体操第一が流れ出してくる。彼は薄っすらと微笑みを浮かべると、もう一度空に視線を移した。そこにはこの時期には珍しく、美しい夕焼けが広がっていた。

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