ハルへ   作:はるのいと

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第八話「ビー玉の約束」

 先日起こった小夜のマンションでの一件以来、二人は一切の関わりを断っていた。当然ながら昼食、下校共に別々だ。クラスメイトたちは、そんな小夜の様子を見て如月とのことは、一時の気の迷いだったのだと納得した。

 

 そして二人が別行動をとるようになってから1週間が経った頃――如月はHRを終えて、いつものように下校の用意をしていた。丁度その時だった、背後から蚊の鳴くような声が彼の鼓膜に届てきた。

 

「あ、あのう、如月君」

 

 振り返るとそこには学級委員長の沢木詩織が、緊張した面持ちで佇んでいた。

 

「なに?」

 

「菅原先生があとで話があるから、ちょっと教室に残っていて欲しいって……」

 

「そう、分った」

 

 持っていた鞄を机に置くと、如月はゆっくりと椅子に腰を下ろした。その時、一瞬だが小夜と目が合う。すると彼女は咄嗟に気のない風に視線を逸らした。良い反応だ、如月は心の中で微笑んだ。

 

 その後、部活動などをしていない生徒たちが続々と下校して行くなか、教室に残る生徒は如月と詩織の二人だけとなった。彼はいつものようにほんやりと窓の外に視線を走らせている。するとそこにはキャプテンを欠いたサッカー部員たちが、お揃いのユニホームに身を包みボールを必死に追いかけていた。

 

 あれから一週間以上経っても、依然として鈴木の処遇は決まっていなかった。恐らく担任からの話はそのことのはずだ。最終的には被害者の意志に委ねるつもりだろう。

 

 本当にうちの教師連中ときたら、皆一応にことなかれ主義者ばかりだ、如月は静かに溜め息を漏らすと、斜め向かいに座る詩織にゆっくりと視線を移した。

 

 彼女は担任の菅原から丸投げされた雑務を、先程から一人でこなしている。本来は詩織のサポート役であるはずの、副委員長の姿は今日も見当たらない。

 

 驚くほどの気弱さ、それゆえに頼まれごとをされると断れない。現に学級委員長も誰もやりたがらなかった為、詩織が押し付けられたというのが本当のところだった。

 

 一体、彼女はどんな要求ならハッキリNOと答えるのだろう? 如月は詩織の顔をボぼんやりと眺めながら、そんなことに考えを巡らせた。

 

「沢木さん、副委員長は?」

 

「えっ! ああ、杉村君なにか用事があるとかで……」

 

 如月の問いかけに、詩織は一瞬ビクッと体を震わせた。彼の方から話しかけることは稀なため少し驚いたようだ。

 

「ふうん。杉村君は毎日欠かさず用事があるみたいだね」

 

「うん……そ、そうだね」

 

 詩織はプリント整理をしながら小声で答えた。すると途端に教室に沈黙が流れだした。如月は鞄から文庫本を取り出すと、無言でページをめくってゆく。すると詩織はプリント整理の手を休めると、静かに口を開開き始めた。

 

「私だって分ってるの。杉村君に用事なんてないってことは……」

 

「ならどうして、彼の分の仕事までキミが?」

 

「だって頼まれたから……」

 

「頼まれたらなんでもするのかい?」

 

「そういう訳じゃないけど……」

 

 途端に詩織は俯きながら口ごもった。その時だった、教室の入り口から担任の菅原が声をかけてきた。如月はゆっくりと席から腰を上げると、鞄に手をかけ静かに詩織を見下ろした。

 

「それじゃ」

 

 如月は教室の出口へゆっくりと歩みを進めてゆく。そんな彼の背中を詩織は静かに見つめていた。

 

 担任の話は予想通り鈴木の処遇の件だった。内容もやはり如月が予想した通りのものである。因みに彼の正直な気持ちは ”別にどうでもよい” だった。

 

 担任はそんな如月に、如何(いかに)鈴木が優秀な人間かをに説いた。どうやら菅原は彼の退学を回避させたいようだ。面倒だったこともあり、如月は全面的に菅原の意見に添うことにした。

 

 どうせ、もう絡んでくることもないだろう……。彼はそう思いつつ担任の意見に、素直に同意した。如月が鈴木の退学を望んでいないということが分ると、菅原はパッと顔を輝かせ彼の手を握りしめてきた。

 

 その後は、クラスに全く馴染んでない如月の話が数分続いた。彼はそれをお得意の{特技|わざ}で遮断する。そして程なくして退屈な話が終わりを告げ、如月は足早に生徒指導室をあとにした。

 

 

 

 どうして僕は、あんなことをいったんだろう。別に他人のことなんてどうでもいいのはずなのに……。神無月駅に向かう道中、如月は先ほどの詩織とのやり取りのことを考えていた。

 小夜たちと過ごしたこの数週間で、自分の価値観に微妙な変化が起こっていたことに、如月はこの時まだ気付いてはいなかった。まあ、別にいいか。もう話すこともないだろうし……。彼はそう心の中で呟くと、ゆっくりと神無月駅へと歩みを進めた。

 

 駅に到着すると、電車は今しがた発車したばかりだった。如月はベンチに腰を下ろし、いつものように文庫本に目を向ける。丁度その時だった、不意に隣で誰かが腰を下ろす気配を感じた。爽やかなパッションフルーツの香り――相手は自明であった。

 

「綺麗に治ってよかったね。だってあのままじゃ、折角の可愛いお顔が台無しだもん」

 

「僕に構うのは止めたんじゃなかったの?」

 

「まさか、押してもダメそうだから、ちょっと引いてみただけよ」

 

「こないだのナイフの一件、あんなのを目の当たりにして、よくそんなことがいえるな」

 

「たしかにあれはちょっと引いたけど……まあ、でも許容範囲内よ」

 

「懲りない女だねえ」

 

「今頃、気付いたの?」

 

 溜め息を漏らしながら如月は文庫本を閉じると、隣に座る小夜に顔を向けた。

 

「他に好きな人がいるんだろ?」

 

「ええ。早苗から?」

 

 小夜が尋ねると如月は小さくと頷いた。

 

「いっとくけど、僕と一緒にいてもなんの解決にもならないよ」

 

「分ってる……でもあなたといると、気持ちが紛れるの」

 

「とてつもなく自分勝手ないい草だな。迷惑だから悪いけど他をあたってくれ」

 

「今のところあなた以上の適任者がいないのよ。残念ながらね」

 

「他を探す努力は?」

 

「してない。する必要もないし」

 

 如月は目頭を押さえながら吐息を漏らした。するとそんな彼の様子を見た小夜は更にこう続けた。

 

「まあ、しょうがないわね。厄介なヤンヘラ女に、目を付けられたとでも思って諦めなさい」

 

 小夜は微笑みながら如月を見つめると、彼の手を取りそっと群青色のビー玉を置いた。

 

「……どうして、これを?」

 

「早苗から聞いたの。欲しかったんでしょ? それ」

 

「どうやって手に入れた?」

 

「別に、普通に ”譲ってくださいって” っていったらタダでくれたわよ」

 

「嘘をつけ。あの店員がそう簡単にこれを譲るはずがない」

 

「ほんとだって。別に特別なことはいってもやってもないわよ」

 

 まさか、この女……。如月は眉にしわを寄せながら、小夜を見据えた。

 

「万引きは犯罪だぞ」

 

「失礼ね、そんな訳ないでしょ」

 

「悪いけど受け取れない」

 

「なんで? 欲しかったんでしょ」

 

「キミにこんなことをしてもらう理由は――」

 

「私がそうしたかったの。如月君に迷惑をかけてるお詫びとお礼。それならあなたもそれ

を受け取る理由になるでしょ?」

 

 小夜は色素の薄い瞳で如月を見つめた。すると暫しの沈黙が二人の間に流れだす。そして程なくして、彼は静かに口を開た。

 

「……これを貰ったからって、キミに対する僕の態度はなんら変わらないよ」

 

「勿論、分ってます」

 

「……昼食は相変わらず一緒かい?」

 

「ええ。それは守ってもらいます」

 

「……やっぱり下校も一緒に?」

 

「当然です」

 

 暫し考え込むように如月は瞼を閉じた。そして暫くすると彼は瞼を開きこう続けた。

 

「貰っとくよ……ありがとう」

 

 如月は苦虫を噛み潰したような表情で呟いた。一方、小夜はそんな彼の様子を嬉しそうに見つめながら小さく頷いた。

 

「ねえ、どうしてそんなにそのビー玉が欲しかったの?」

 

 小夜はビー玉を見つめる如月の顔を覗き込んた。だが彼からの反応はない。

 

「まあ、別に無理していわなくてもいいけど」

 

 彼女はそういってホームに視線を移した。すると再度、二人の間に沈黙が流れ始めた。そして程なくした頃、如月はジャケットの内ポケットから例のピルケースを取り出すと、掌にもう一つのビー玉を乗せた。夜空のように輝く二つの同じビー玉たち。如月はそれを見つめながら静かに口を開いた。

 

「昔ね、僕はこれと同じ物を失くしたんだ。宝物だったから凄く落ち込んで、ずっと泣きっぱなしだった。そんな時、ある男の子が僕にこのビー玉を譲ってくれたんだ。その子にとっても宝物だったはずなのに……」

 

「じゃあ、もしかしてその子にビー玉を返すために?」

 

「うん。12年もかかったけど……やっと約束が果たせるよ」

 

「私のおかげでね」

 

「そうだね」

 

 悪戯っぽく微笑む小夜に、如月は苦笑いで返した。するとホームに彼が乗る電車が到着してきた。如月はゆっくりと椅子から腰を上げると、無言で電車に乗り込んでゆく。すると小夜がいつぞやと同じセリフを彼に投げかけた。

 

「明日、お昼のお弁当は買ってこなくていいよ」

 

「……分った」

 

 如月は頷きながら呟いた。それと同時に電車は発車してゆく。小夜は小さく手を振りながら彼を見送った。電車に揺られながら如月はドアに頭を預けた。するとヒンヤリとした冷たさが頬に伝わってくる。

 ほんと、厄介な女に目を付けられたもんだ……。彼はドアから見える河川敷を眺めながら、珍しく薄っすらと微笑みを浮かべた。

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