HELL紅魔郷SING   作:跡瀬 音々

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クライマックスですね、ええ。

気付けばもうすぐ2年。今年中に終わる気がしない……


Grip & Break down!!

 …………。

 …………………。

 

 ーー暗い。

 目を見開く。

 

 ーー暗い。

 目を細める。

 

 やっぱりーー暗い。

 ここは暗い暗い、闇の底。

 

(どうして、私はここにいるんだっけ?)

 

 いくら思い出そうとしても、記憶には靄がかかり、その断片さえも判然としない。

 

 ここには、何もない。

 

 何も、何も。

 

 もしかしたら、私自身も()()()()のかもしれない。

 

 不意に過ぎった不安を拭い去るように、両手で自分の顔を触り、()()()()()ことを確かめる。

 

(とにかく、進まなきゃ)

 

 肥大する不安を誤魔化すため、あてもなく闇の中を彷徨い始める。

 

 やっぱり、ここには何もない。

 

 何も、何も。

 

 どれだけ歩いても果てはなく、障害物の一つもない。

 足元には、ただただ高低差のない地面が続いているばかりだ。

 

(……! 何か……ううん、誰か、いる……?)

 

 それは、しばらく歩みを進めると、唐突に訪れた変化。

 ぼんやりと、闇の中に一つの輪郭が浮かび上がっている。

 

「……うぅ」

 

 何かにもたれかかるように座る()()は、私の気配に気付いたのか、小さな呻き声を上げた。

 

 その声に誘われるように歩み寄ると、酷く疲れた様子の男が一人、項垂れているのが目に入って来る。

 

「……おじさん、だぁれ?」

 

「……さぁな。とうの昔に、忘れてしまったよ。お嬢ちゃんこそ誰で、()()()()()()()()()んだい?」

 

「んー、あれ? 私、(なん)なんだっけなぁ……思い出せないや」

 

 そう、思い出せない。

 

 何も、何も。

 

「私も同じさ。わからない。何も、何も」

 

「そう、なんだ……じゃあ、おじさんはどうして泣いてるの?」

 

「私は、泣いている? 何故?」

 

「わかんないよ。でも、独りぼっちだからじゃないかな? おじさんも、私と同じだ」

 

 互いに、己の不確かさを再認識するばかりの問答。

 しかし、不安を際立たせるだけの()()に縋るほかない現状。

 今は、少しでも他者との繋がりが欲しい。

 自分が()()()()()と認識するために。

 

「そうか。だからお嬢ちゃんも、泣いてるのかい?」

 

「え……?」

 

 予想外の返答に、頬を掌で擦り、そこに残る感触から理解する。

 

 頬に伝う、一筋の水跡。

 

 それは、もう忘れたはずの涙。

 暗澹たる日々に置き去りにした、絶望と安らぎの象徴。

 遠い昔に枯れ果てたはずの、感情の残滓。

 

 

『……ラン…………』

 

 声がする。

 

 遠くから、近くから。

 

 誰かを、捜すような声が。

 

 誰かの名を呼ぶ声が。

 

 ()()()()を、呼ぶ声が。

 

「……フラン」

 

 それが、自分を呼ぶ声だとはっきり認識した瞬間、目の前の(こうけい)全てが揺らぎ、搔き消えた。

 闇の底の底、意識の深淵に引き込まれるように、時間の感覚が喪失し、視界が膨張と収縮、明滅を繰り返す。

 やがてその先に広がった、辺り一面色鮮やかな光景。

 

「そうだ、私……」

 

 私は、()()を知っている。

 髪を撫でる、微風。

 足元に広がる、花畑。

 紅い月が臨む、小高い丘。

 

 そう、()()()()()訪れた、終わりと始まりの場所。

 

「……会いたかったわ、フラン」

 

 不意に、傍らから響いた声。

 そして、振り向いた先に佇む、一人の女性。

 

「あ。お……お母、様?」

 

 私は直感した。

 彼女は顔も覚えていないはずの、母だと。

 

「ようやく、また会えたわね。嬉しいわ、とても」

 

 ああ、全部、思い出した。

 

 私が、ここにいる理由。

 母が、ここにいる理由。

 

「……思い、出した」

 

 全部、全部思い出した。

 

「私、思い出したよ。お母様……ううん、ママ。ママの声、ママの温もり……ママの味。全部、全部思い出した」

 

「…………」

 

 とめどなく溢れる涙を拭う私に、ただ黙って微笑みを返し、手を差し出すばかりの母。

 

()()()()()()()、ずっと……私の()()に、いてくれたんだね」

 

 ずっとここにいて、ずっと、見守ってくれていた。

 

「これからも一緒よ。ずっと」

 

 慈愛に満ちた言葉と共に差し出されたその手を取ると、母は輪郭を崩し、小さな光の球となって私の掌に融けた。

 

「……ありがとう、ママ」

 

 目を閉じ、独り言つ。

 この胸に再び宿った、希望を抱いて。

 

 

 ………………。

 …………。

 

 

「お嬢、ちゃん……?」

 

 自分以外、何もかもが存在しないと思っていた深い闇の中。

 救済の祈りに応え、空から天使が舞い降りるが如く、眼前に一人の少女が現れた。

 だが、何の前触れもなく現れた彼女は、何の前触れもなく()()()()しまった。

 

 永劫に続く孤独の苦しみに苛まれ、失われたはずの涙を、彼女のおかげで思い出せたのに。

 

 彼女は、ただぼうっと中空を眺め、呼び掛けに応える気配さえ見せない。

 

『どうした、狂った王様』

 

 声が響く。

 

 体の内側に、その振動が伝わるほど近くから。

 

『それで、それで……降りて来たかね? 神は、楽園は』

 

 ただただ、響く。

 

『どうした? 答えろよ王様、狂った王様。皆死んだ、皆死んだぞ。お前の為に、お前の信じるモノの為に、お前の楽園の為に、お前の神様の為に、お前の戦いの為に、皆死んでしまった』

 

 深い、深い闇の底から湧き上がる、呪詛の声が。

 

『お前はもう王じゃない。神の従僕ですらない。いや、()()()()()()()()。敵を殺し、味方を殺し、守るべき民も、治めるべき国も、男も、女も、老人も、子供も、自分までも』

 

 誰かを罵り、蔑む声が。

 

「度し難い、全くもって度し難い化け物だよ、『伯爵』」

 

 それが、自分に向けられた声だとはっきり認識した瞬間、目の前の(こうけい)全てが揺らぎ、搔き消えた。

 闇の底の底、意識の深淵に引き込まれるように、時間の感覚が喪失し、視界が膨張と収縮、明滅を繰り返す。

 

 その眩暈にも似た感覚から立ち直ると、自身がいつの間にか横たわっているのに気付く。

 

 身体が、動かない。

 

 動けない私は、既視感のある日暮れの荒野で、()()に見下ろされていた。

 

「終わりだ、()()

 

 ()()が槌と杭を構え、呟く。

 

「俺は、()()負けるのか……」

 

 走馬燈のように駆け巡る記憶から、不意に零れ落ちた一言。

 

「ああ。もはやお前には何もない。城も領地も領民も、思い人の心も、お前自信の心も。お前は今や、闘争から闘争へ、何から何まで消えてなくなり、真っ平らになるまで歩き、歩き、歩き続ける幽鬼と成り果てた」

 

「そうか、あの男(あいつ)は俺だったのか。あの女(あいつ)も、俺だったのか。俺も、この通りの有様だった。俺も、この通りの(ザマ)だったんだ!」

 

 瞬間、槌が振り下ろされ、杭が胸を貫く。

 

「う……お、おおおおぉぉ!」

 

 その焼け付くような痛みと、それを搔き消すほどの失望に、脇目も振らず慟哭する。

 

 不意に、涙に滲んだ視界の端、映り込んだ沈みかけの太陽。

 

 私が死んだ光景は、いつも、この、これだ。

 ああ、そうだ。そうだ。そうだった。あの時も、こんな日の光だった。

 そして幾度(いくたび)も思う。

 日の光とは、こんなにも美しいものだったのか、と。

 

 絶え間無く押し寄せる感情の波に呑まれ、次第に意識が遠のいていく。

 

 ああ、私は()()()のか。

 だが、これでいい。

 ()()()()のなら、これで。

 

「……カード」

 

 また、声がする。

 呼び声がする。

 

 誰だ、誰だ、誰だ。

 私を呼ぶのは。

 

「……ード。アーカード……」

 

 ()()()()が、人を殺す。

 

「……まったく、だらしない。何でそんな顔してんのよ」

 

 それでもなお、()()()()を踏破するのなら。

 

「……鬼が泣くなんて、馬鹿げてるわ。泣きたくないから、鬼になったんでしょ? ねぇ、()()()()()!」

 

 なぁんだ、お前か。

 

「……フン。まったく、お前の声はやかましくてかなわん。まるで、割れ響く歌のようだ。なぁ、()()

 

 一喝の残響が広がるにつれ、霧が晴れるように私を苛む声と風景は消え去り、意識が覚醒へと引き戻される。

 

「はん、()()()顔になったじゃない。私、ちょっと一仕事してくるから、あとは任せたわよ」

 

「任せた? フン、命令(オーダー)だ。命令(オーダー)をよこせ。見知らぬ世界の我が仮初めの主人(あるじ)……『博麗の巫女』、博麗霊夢よ」

 

 視界一面に広がる鮮やかな景色ーーいつか目にした、月明かりの花畑。

 それを一頻り眺め回すと、目の前の女にその名を確認するように呼び掛ける。

 

 その時、自然と口にした言葉を自身で聞いて初めて、私は()()()()に気付いた。

 神社で命令を受けてから、今の今までずっと心の片隅で渦巻いていた蟠りと違和感、そして喪失感。

 それら全てが、解消されている。

 そう、私は()()を思い出したのだ。

 それは、()()がここに至った経緯も、自分が()()()()()理由も。

 

 全て、全て。

 

「決まってるじゃない。アンタがいつも言われてたアレよ。見敵必殺(サーチアンドデストロイ)、だったっけ? ただ、アンタが()()()()()あの()の面倒だけは、しっかり見なさいよ」

 

 私の目の前にびしっと指を突き出し、霊夢は聞き慣れた一言に説教臭い言葉を添える。

 

「了解した……」

 

 私の返答に、彼女は満足そうに微笑み頷くと、背を向け空を仰ぐ。

 半瞬間後、その姿は光の球となり、どこかへ飛び去っていった。

 

「……そろそろ、()()()()()

 

 口をついて出る、独白。

 まるで枷から解き放たれたように、身体が、心が軽い。

 ()()を実感すると同時に、今の今まで力を存分に振るえていなかった事に思い至る。

 

 これで、()()()()()()()

 

 ならばーー

 

 もはや、為すべきことは()()()だ。

 

 ………………。

 …………。

 

 

「……おじさん」

 

「……お嬢ちゃん」

 

 気がつくと、二人は目を見合わせていた。

 

 二人の眼前に広がっていた鮮やかな世界はいつしか色調を反転し、それを蝕むように色一つない闇が広がり始める。

 

 その闇の中、蠢く数多の『()』ーー亡者の群れ。

 

「私は()()()()()()()()()()。私を待つ、()()の元へ」

 

「また、私と同じだね。私も、こんなところにいつまでも居られない。()()()()()()が、たくさんできたから」

 

 二人の間に、多くの言葉は必要なかった。

 それは、二人が()()()になっている間に記憶を共有したからか、はたまたお互いが命の奪い合いに興じた際のやりとりを脳裏に蘇らせ、妙な親近感を覚えていたからなのか。

 その理由は定かではないが、一つだけ確かな事があった。

 

「ああ、そうだろう。()()()、そうだ。さぁ、お嬢ちゃん。一緒に()()()()を踏破しようか」

 

「……うん!」

 

 それは、二人が直近の()()を同じくしていること。

 

 一人は白銀の銃を構え、一人は真紅の剣を握り締める。

 

 瞬間、二つの閃きが闇の中を駆け出した。


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