HELL紅魔郷SING   作:跡瀬 音々

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ここまでのサブタイトルの法則から、今回のお話で起こる何かを察したアナタは素晴らしい洞察力をお持ちのようです。

話は変わりますが、物語において大事な場面や読者が気になるであろう場面をスキップしてしまう手法について、皆様はどう思われますか?

ほら、たまにありますよね?

「次の戦いは苛烈になりそうだぜ」「頑張ろうね!」みたいな会話から、地の文で場面が切り替わり、突然始まる「強敵だったな……」みたいな会話の後、地の文でコトのあらましが適当に語られたりとか、戦闘シーンの冒頭で「行くぞ!」「来い!」みたいな会話を交わして、違う場面へ移行。
その後、場面が戻ってくると決着がついている、或いはその寸前になっているっていう、戦闘シーンをカットする展開とか。

私はああいうの、どうも好ましく思いません。だって気になるじゃないですか。詳しく知りたいじゃないですか。ねぇ?

いや、突然何を言い出すのかって言われると、何でもないですけど、としか答えられませんが。

ともあれ、物語も起承転結で言うところの承の終わりに差し掛かりました。
これからも、どうぞよしなに。


To the Limit

……。

…………。

……………………。

 

 

「……う、ぐ……ッ!」

 

地に伏したレミリアは、渾身の力を込めて、自分の上体を無理矢理引き起こす。

 

擦過傷と痣に塗れた全身。

血に薄汚れた頬。

夥しい出血を伴う、胴を裂いた大きな傷。

不恰好にひん曲がり、もはや垂れ下がるばかりの右腕。

無惨に断たれた片翼。

千切れ飛んだ左脚。

 

アーカードに対峙した気高い吸血鬼の姿は既に、彼の眼前には微塵も残っていなかった。

 

「……フン」

 

痛々しい傷をおして戦うレミリアとは対照的に、アーカードはその服に埃の一つすら付けずに佇み、鼻を鳴らした。

 

「……ッ喰らい、なさいッ! 紅魔『スカーレットデ……きゃんっ!?」

 

もはや立ち上がることもままならない体に鞭打ち、レミリアは弾幕を放とうと左手を突き出す。

が、その瞬間、アーカードの右手に握られた二丁目(スペア)の『ディンゴ』が火を噴き、彼女の右脚を吹き飛ばした。

レミリアは、全身を貫くあまりの衝撃と痛みに、再び地に伏し、ただただ歯噛みする。

 

「お姉様っ!」

 

自身の姉が蹂躙されるばかりの様子に堪え兼ねたのか、さすがのフランドールも声を上げ、レミリアの身を案じる。

だが、その声が耳に届かないほど、彼女の姉は衰弱と焦燥に支配されていた。

 

「……もういい」

 

「ぐッ……うぅ! まだ、よ……!」

 

「いや、終わりだ。『吸血姫』(ノーライフクイーン)が聞いて呆れる。これでは、()()の方が、幾分かマシだったな。もはや、興も醒めた」

 

アーカードは、背にしたフランドールを一瞥すると、少し寂しげに、足元で無様に転がる少女へと視線を落とす。

 

「館の主であれば或いは、と思ったが……私を殺すには至らなかったか……残念だ。まぁ、いい。化物を打倒するのは、化物ではないのだから」

 

(まだ、終われない……まだ、友の仇を討ててない。まだ、妹を護れてない……!)

 

前述のように、レミリアの能力が強力無比なものであることは、疑いようもない。

しかし、発動の都度得られる結果は、状況に即した刹那的なものであるため、重ねて能力を行使する必要がある。

しかも、その性質上、消費する力に見合った結果がその場ですぐには得られないことも少なくない。

よって、実力の拮抗した者ーーすなわち、吸血鬼としてのスペックだけでは押し切れないような者が相手では、持久戦のような形になることが多いのだ。

 

そもそも、吸血鬼としてのスペックだけで片がつくような相手では能力を使うまでもなく早期の決着となるので、このような表現そのものが不適切なのかもしれないが。

 

ともあれ、今重要なのは、彼女はその能力を用いた持久戦の際に発生する多大な負荷を、吸血鬼ならではの有り余るスタミナで補っていたということである。

 

だが、()()彼女では勝手が違った。

 

能力を行使し続けながらの持久戦云々以前に、()()が、その()()()()()こそが、彼女のこの有様を呼び寄せた大元の原因であった。

 

「長らく吸血(しょくじ)をしていない吸血鬼()()()。既に傷の再生や修復もままならない。そんな中途半端な存在が、私の相手になるはずもない……」

 

アーカードが指摘した、まさにその一点。

 

悠然と立つ者と、無様に這い蹲る者。

両者の命運を分かったのは、『吸血鬼としての純度』の差であった。

 

長きにわたる、まともな『吸血(しょくじ)』を欠いた生活。

そして、ここ数年は部屋に閉じこもりきりであり、久方振りに『吸血鬼』としての力を振るい始めたのは、つい先程のことであるということ。

 

そう、今のレミリアは『夜の支配者』として君臨できるだけの力を持っていない状態だと言っても過言ではなかった。

 

「お姉様ッ! もういいよ……私のことは気にせず、一旦逃げ……」

 

ここで、今一度、フランドールがレミリアの惨憺たる様相を見兼ねて声を張り上げる。

 

「黙ってなさい! いいのよ、そのまま護られていれば。姉が妹を護るのは、当然でしょう?」

 

すると、今度はその声に反応したレミリアは、言葉の途中でフランドールを制し、懸命にその身を捩らせることで、戦闘続行の意志を表明した。

 

(そう……そうよ!私は ()()()、フランを護れなかった……あんな思いは、もう二度としたくないのよ! だから、だから私はッ! まだ諦めるワケには……!)

 

戦う意思を示しながら、彼女は思考する。

 

幼き日の追憶を頭に過ぎらせ、奥歯を噛み締めながら。

 

ただただ、過去の悔恨を抱き締めるように。

 

そして、胸に湧く諦観を、踏み躙るように。

 

とはいえ、レミリアの現状は、フランドールを護っているというよりは、アーカードの注意を自分に引き付けているだけといった有様であり、継戦などとても不可能な状態である。

 

もっとも、経緯や理由、今後の展望はどうあれ、現在の状況()()()()はレミリアの本懐に沿っていた。

それだけで、今の彼女には充分に過ぎた。

 

「空元気で強がるだけか? ()()()()()のだろう? ならば……」

 

「勿論よ……死になさいッ!」

 

わざと隙を晒し、目の前の敵を次なる攻撃に駆り立てるアーカードに対し、満身創痍のレミリアが選択したのは、四肢の中で唯一まともに機能する左腕のバネで大きく飛び込む強襲。

 

左腕での跳躍から放たれた、レミリア乾坤一擲の左手刀。

それは見事にアーカードを正面から捉え、袈裟懸けに鋭く抉った。

 

が、()()()()だった。

 

「グッ……クハ、クハハハハハハハ! 効かんぞ!」

 

攻撃を終え、慣性と重力に任せてそのまま地面に転がるはずだったレミリアに、その暇も無く浴びせかけられる、顔面への横薙ぎの手刀と、腹部への殴打のコンビネーション。

 

「う……ッ、あ、がああああァアァァ!?」

 

その連携技はレミリアから光を奪い、小さな体を吹き飛ばして壁に叩きつけた。

 

「グッ……くっ、がは……ッ!」

 

腹部と背部への強い衝撃による呼吸困難からの復帰もほどほどに、レミリアはすかさず壁に凭れかかり、体勢を整える。

 

「そうだな……ひとつ、()()の前でお前を吸い殺してみよう。そうすれば、もう少し()()()()やもしれん」

 

暗闇の中、近付く血の臭い、声と足音。

光を失った今、レミリアは臭いと音を頼りに敵の動向を察し、距離を測っていた。

 

また、フランドールが姉の言い付けを忠実に守り、沈黙に伏していたこともあって、レミリアには、手に取るようにわかるとはいかないまでも、周囲の状況を大方把握することができていた。

 

(まだ……まだ、私は生きている。それなら、抗ってやるわ! 死の瞬間まで……!)

 

レミリアは敵のここまでの言動から、次なる行動を予想し、ひたすらに勝利への可能性を模索する。

 

館の戦力は既に尽きかけ、応援は望めるはずもない。

もちろん、紅い霧に閉ざされているこの館において、外部からの救援など、夢のまた夢。

否、相手がおそらく博麗の手の者である時点で、端から外部からの助けなどないのだろう。

館に唯一残された戦力と言っても過言ではないフランドールも、しばらくは拘束から解き放たれそうもない。

 

(さっきの言葉の通りなら、アイツは必ず私に近付いて来る……それが、最後のチャンス、ね)

 

思索の果て、彼女が下した答えは、至極単純なものであった。

 

ただ、刺し違える。

最悪、たとえ仕留められなくとも、与えられるだけ損害を与える。

きっとすぐに再生されるだろうが、可能な限り相手の肢体を破壊し、妹のために時間を稼ぐ。

 

そう覚悟を決め、息を止める。

 

刻一刻と迫る、最期の攻防。

レミリアは、残された感覚の全てを研ぎ澄まし、辺りの様子を探る。

かつてなく集中している彼女は、耳だけでなく、肌でも空気の流れを()()()()()し、眼前に迫る敵の姿を確かに()()()()

そして。

 

「お別れだ、無様な『吸血姫』(ノーライフクイーン)!」

 

足音と臭いが間近で止まり、続いて響く絶叫と風切り音。

アーカードが、致命の手刀を放った音。

 

「おあああぁああぁぁぁぁぁあぁッ!!」

 

その絶望の音を打ち破るように、レミリアは裂帛の叫びをこだまさせ、無防備に飛び出す。

 

敵の最後の一撃(フィニッシュブロー)は、きっと手刀であるとあたりをつけ、それに自ら飛び込む事で深く体を貫かせ、肉迫する事。

そして、ありったけの力を振り絞り、残された左腕で乱打を浴びせる事。

それが、彼女の算段の全てだった。

 

ーーだが。

 

《パチン!》

 

刹那、にわかに凛と鳴った涼しげな炸裂音が、全てを包んだ。

 

「……!?」

 

突如として、アーカードの瞳に飛び込んで来た白銀。

それがナイフだと認識する前に、彼はまるで大量の針を突き刺された針刺しのように、四方八方から()()()に全身を貫かれていた。

 

「……! グッ……ブ……!」

 

もはや銀色の塊にしか見えなくなるほど大量のナイフを突き立てられた彼は、重力に抗う力を失い、前のめりに崩れ落ちる。

 

()()()()()……しかも、これは……!)

 

傷口から伝わる焼け付くような痛みが物語る、ナイフが法儀式済みのものであるという事実。

そう、アーカードを襲ったのは、紛れも無く対化物(きゅうけつき)戦用に特化した武器だった。

 

(何だ? 何が起きた……!?)

 

脈絡の無い攻防の転換。

自身に何が起きたのか、全く理解できない。

どうやって攻撃されたのか。

否、そもそも攻撃を受けたのか。

受けたのなら、何、或いは誰によって受けたのか。

何より何故、()()を察知できなかったのか。

 

一瞬では、それらの問い全てに答えを見付けられず、アーカードは一先ず損傷を修復するため、身体を端からじわりじわりと床に広がる()に溶かし、その場から姿を消した。

 

そして半瞬間後、完全な姿で影からぬらりと這い出た彼の双眸は、二つの影を捉えた。

 

()()が答え、か……?)

 

先程まで、手を伸ばせば容易に触れられるほどの距離に居た吸血鬼の少女が、その傍らに一つの影を増やし、尚且つ、壁際まで離れている。

 

確かに、目の前の敵にトドメを刺す瞬間は、他への注意力が希薄になっていたかもしれない。

しかし、だからといって他への洞察を怠ったわけではない。

何しろ、()()は敵の本拠地なのだ。

勝利が確定する、否、確定したその瞬間まで、何が起こるかわかったものではない。

よって、目の前の敵を貫き、その生命を完全に絶つ、又は()()()()()までは、決して気を抜くことなどない。

 

では、何故?

何故、新たな敵らしき人物が自分に悟られること無く闖入していて、しかも、倒れているのが自分なのか。

あの一瞬でどうやって()()()()状況を変えられるのか。

 

ここで、アーカードは思索する。

 

十中八九、この摩訶不思議な事象は闖入者の攻撃であろう。

では、その攻撃の正体は?

 

先ず想定するのは、幻覚や幻術の類いか否か、である。

そもそも、吸血鬼は幻覚や幻術を容易く看破する()と意志の力を持っている。

様態は極めて限定的だが、それと引き換えに規格外の強度を得た単純かつ強力な幻術ならば通用する可能性もあるが、()()()()複雑な時点で、そうは考えにくい。

また、仮に闖入者が、吸血鬼の備える対幻術の許容値を軽く超える卓越した幻術の遣い手で、既に自身がその術中に()()()()()()のだとしても、()()()()()手の込んだ、非効率的な幻を見せることはないだろう。

そう、もし()()()()()遣い手であれば、もっと()()()()()()があるはずだ。

よって、ほぼ確実に、幻術の類いではないと断じられる。

 

ならば、超スピード……否、それではナイフでの攻撃に説明がつかない。

何故なら、ナイフは四方八方から()()()飛翔して来ていたからだ。

 

では、転移魔法の類いか。

確かに、大量のナイフを、()()()()()()()()()()()転移させ、尚且つ自身は他人一人を抱え()()()と考えれば説明はつく。

しかし、斯様に複雑な術式の構築は、人の身には不可能である。

 

そう、あの闖入者は()()だ。

この芳しい血の香り。

館を訪れてから、長らく感じる事のなかった純粋な人間の()()()

 

待て……()()()()()()()

 

何がおかしいのか?

 

わからない。

 

何か()()のようなものが、心の奥底に渦巻いている。

 

化物(きゅうけつき)に特化した武器。

濃い靄に包まれた能力の全容。

 

闖入者に対しての考察は数知れず行える。

だが、結局のところいくら思慮を巡らせてみたとて、それはただの想定に過ぎず、その果てで真実に辿り着くことは困難を極める。

 

そして、唐突に影を落とした、言い知れぬ違和感。

 

「まぁ、いい……」

 

そう、()()()()()()ことだ。

 

目の前の闖入者の()()()に。

 

 

ただーー何かが、狂い始めている。

 

長年連れ添った吸血鬼としての本能が、そう告げているのだ。

 

 

……時間にして数十秒。

 

アーカードは、敵の能力と不意に浮上した違和感の正体を掴めぬまま、ぶっきらぼうに思惟を切り上げると、その瞳に四つの影を映した。

 

既に物言わぬ亡骸と化した、七曜の魔女。

未だ、壁に磔になっている吸血鬼の少女。

もはや虫の息である、館の主。

 

そしてーー

 

アーカードの視線がそこへ行くのを待っていたかのように、眼光鋭く彼を見据え、身構えている女。

 

「あ……ああ……! この()()()……咲夜、咲夜なの!?」

 

「はい。そうですよ、お嬢様」

 

穴に向かって吹き上げる風に、白く長い髪を靡かせる、メイド服を纏った初老の女性。

 

彼女は、自身の抱き抱える少女が状況の一端を把握し、震える声で問い掛けると、それに聖母が如き微笑みを返し、赤子を寝かしつけるような優しい声色でゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

もちろん、彼女はその間も、冷酷なまでの鈍色を帯びた眼で、陽炎のように揺らめく()の姿を睨み据えていた。

 

「咲……夜。咲夜、咲夜咲夜ぁ……!」

 

咲夜と呼ばれた女の腕の中、ただ力なく繰り返すレミリア。

彼女の両目は物理的に破壊され、既に涙を流せなくなっていたが、その声は嗚咽交じりに震え、泣いているようだった。

 

「そうお呼びになられずとも、(わたくし)めは、ここに」

 

「取り込み中失礼するが……」

 

「取り込み中だとわかっているなら、水を差さないでくださいます?」

 

咲夜は、アーカードが二人の間に割って入ろうとしたことに不快感を露わにすると、そのまま姿勢を崩さずに《パチン》、と指を鳴らす。

 

「……ッ!? ガハッ……!」

 

すると、次の瞬間には、アーカードは先刻と同じように、再び数多のナイフを体から生やし、そのまま床に倒れ伏した。

 

「咲夜、ねぇ、咲夜! 私、私ね……?」

 

「お嬢様。私も久方ぶりの会話を楽しみたいのですが、その前に()()()()()ませんと……」

 

1日の終わりに、今日の出来事を母親に伝える子供のように、何度も何度も確かめるように、レミリアは自分を抱く女に話し掛ける。

 

咲夜は、少し困った表情を浮かべながら、倒れ伏すアーカードを尻目に、返答する。

 

「なに、それほどお待たせはいたしませんよ。たかが三下吸血鬼(コウモリ)一匹ごとき……朝飯前です」

 

そして、そう言葉を続けると、レミリアをフランドールとパチュリーの傍ら、部屋の壁に寄りかからせて、すっくと立ち上がった。

 

「さぁ、来なさい化物。(わたくし)めが、お相手仕りましょう」

 

そしていよいよ、いつの間にかその身体の修復を終えていたアーカードと正面から向き合うと、スカート下のホルダーから取り出したナイフを構え、その切っ先と殺気を彼に向けた。

 

「く……フフ。フハハ、フハハハハハハ! いいぞ、実に()()! 人間! ぜひ、()()()()()名をお聞かせ願おうか!」

 

(わたくし)()()()しがないメイドにて……ただ、(あるじ)に仇成す者を葬る使用人と、そう覚えて頂ければ結構ですわ。もっとも……」

 

興奮した様子で声高に名を尋ねるアーカードとは対照的に、咲夜はつっけんどんな言葉でそれを拒絶し、冷めた無機質な口調で淡々と続ける。

 

「それさえ覚える間も無く、残滅されるでしょうけど。ほら、アナタの時間も、私のもの……」

 

そして、空いた左手を高く掲げると、またしても高らかにその指を鳴らした。

 

ーー瞬間、世界が静止する。

 

アーカードがその正体をてんで掴めていない、咲夜の能力。

 

それは、端的に言うなら『時間を操る程度の能力』である。

 

時間を操る能力とはすなわち、時間の流れを止めて自分だけ移動したり、自分以外の時間の流れを遅くして、対象と相対的に高速で動いたりするという、感覚的に理解し易い事象はもとより、時間を圧縮して、対象とする物質の短期間の過去や未来の『実体を伴う像』を発現させるという、複雑な事象を発生させることさえ可能とする能力である。

 

ーーのだが。

 

確かに、全盛の彼女であれば、それら全てを容易く行えただろう。

 

しかし、もはや春秋に富むとは言い難い、老齢に差し掛かった()()彼女には、『時間を止める』ことくらいしかできなくなっていた。

 

もっとも、厳密に言えば、それさえも()()()()()()()のだが。

 

今、彼女が行使している能力を論理的に説明するには、大きな話題の転換を伴うが、まず『時間』というものが持つ性質について、多方面からその何たるかを論じなければならない。

 

言うまでもなく『時間』とは、世界の変化に我々の感覚を当てはめた概念である。

掻い摘んで言えば、人々は彼らが手放しで信仰する『神』と同じように、たとえ目に見えなくとも『時間』は()()()()()、そして、それは絶えず過去から未来へ不可逆の流れを紡ぎ出していると盲信している。

 

だが、実際には必ずしも()()()()()()()()()()()()

 

例えば、量子力学においては、波動関数の収束、発散により実在と非実在が発生するのであって、そこに『時間』という概念はあれど、それは決して不可逆の流れや連続性を持つものではないと論じる学者もいる。

 

すなわち『時間』に過去から未来へと流れるという性質などなく、()()()()()()()のは人の意識の観測である、という考え方だ。

 

斯様に『時間』というものは、宗教的、科学的、非科学的、社会的……その他、あらゆる見地から様々な議論を産んでいる。

 

そう、実際のところ『時間』というものの性質は、およそ人智の及ばない領域なのである。

 

話の脱線を避けるため、『時間』というものに対する話はこれくらいにとどめることにしよう。

 

長々と講釈を垂れ、至った結論がこれでは、ここまでの説明がただただ冗長なものであったという判断を導くであろうが、ここで理解して頂きたいのは、世界の理の一つである『時間』というものは、それだけ不可解かつ人の手の及ばぬものであり、あらゆる理論を飛び越えてそれを操るということは、今の咲夜には不可能である、という一点である。

 

そう、彼女が今行使しているのは、世界の時間を操るなどという大仰な能力ではない。

今の彼女にとって『時間を操る能力』とは、世界の枠の外側で自由に動き回るーーすなわち、世界の『時間』という強制力から解き放たれ行動できる能力である、と解釈して差し支えない。

 

そしてそれは、任意の対象を同じく『時間』という枷から解き放ち、自在に動かせるという側面も持ち合わせていた。

 

ただし、それはあくまで世界の『時間』から逸脱してしまっているというだけで、対象の物体や、彼女自身の身体の状態を大幅に変化させたりすることーー例えば、若返り、全盛の力を取り戻すことなどは不可能である。

(とはいえ、全ての理論を飛躍して『時間を操る』ことができていた全盛の能力をもってしても、『現在』を基点として、対象に短期間の過去や未来を導くといった芸当が精一杯であり、能力による若返りなど夢のまた夢であったが。もっともそれは、それほどまでに、世界の『時間』という強制力が強大であるという証左でもある。)

 

つまり、言い換えれば、咲夜自身が独自の『時間の流れ』を帯び、それを対象の物質にも押し付けることのできる能力、とも表現できる。

 

世界の環境を変えるのではなく、自分自身や周囲の環境を変える。

 

かつての、世界そのものを変質させるほどの大きな力を持ち合わせていない今の彼女にとって、非常に理に適った能力の行使であると言えた。

 

それは確かに、全盛の力と比べれば見劣りするが、それでも、ありふれた敵を相手にするには充分に過ぎるものであろう。

 

だが、その無敵にも見える能力にも、欠点はいくつかある。

 

否、欠点だらけであると言っても過言ではないかもしれない。

 

擬似的に『時間を止める』ことはできても、()()それは、所詮()()()()の能力に過ぎないのだから。

 

特に致命的な欠点は、能力の行使中は『世界の時の支配』から解き放たれていない物体には、直接その状態を変化させるような干渉ができないという点だろう。

 

彼女がこの擬似的な時間停止の中、敵に近付き、余裕たっぷりにその急所を貫けば話は早いと思う者も多いだろうが、それをせず、ナイフの投擲による遠距離攻撃に徹しているのは、この点による。

 

世界の理から外れてしまっている彼女や、その能力の対象物は、世界の理の内側にあるものに干渉できない。

 

つまり、噛み砕いて言えば、『止まっているモノ』は動かしたり、傷付けたりすることができないのだ。

 

裏を返せば、敵対している者を能力の対象とすれば、その破壊は可能となるが、それでは相手も『咲夜と同じ時間』の中を動いてしまい、アドバンテージがほとんどなくなってしまう。

 

よって、()()()()()で止まるように能力を調整して武器を投擲することが、最も容易かつ確実な攻撃方法となっていた。

 

もちろんこの戦法には、不用意に敵に近付かない、彼女の生来の慎重さも多大な影響を与えてはいるが。

 

 

ーーともあれ、今、彼女は自分と自分が許可したモノ以外の全てが静止した世界を駆けている。

 

(人に忌み嫌われたこの能力(ちから)、本気で振るえば……!)

 

第一に、主人を傷付けられた憤怒。

第二に、そんな状況を作ってしまった自分への落胆。

第三に、主人へ寄り添い続けられなかった悔恨と痛み。

第四に、自分が再び主人のために働いている喜び。

そして最後に、もうそれらの想いが長くは続かないことを知っている悲しみ。

 

あらゆる感情を抑え、咲夜はただただ機械的に、正確無比にナイフを配置していく。

 

そう、その理由やプロセスがどうあれ、相手からしてみれば、突然回避不能な位置にナイフの弾幕が現れるのだから、たまったものではない。

 

先に述べた欠点を差し引いても、咲夜の能力が強力であることは疑いようがなかった。

 

(見たところ名のある吸血鬼のようだけれど、吸血鬼であれば『殺せる』ということ……死ぬまで、殺してやるわ)

 

刹那、静止した世界が動き出すと、白銀が舞った。




長くなりましたが、一応区切りです。

いつにも増して冗長な解説ばかりでしたが、飽きないでね!

にわかな知識で書いてるので、論理が破綻してたら指摘してください。

そして、物語はクライマックスへーー

主人公、出番がどんどん減るシング……
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