「そういえば望さん。ずいぶんと髪の毛が伸びましたね」
土曜日の夜。バイトから帰ってきた俺は、リビングで取り貯めした時代劇を見てくつろいでいると、蒼龍が俺の髪の毛をいじりながら聞いてきた。引っ張るな、やめなさい。
「あー。そういえばもう三か月くらい切ってないなぁ」
「三か月もですか?まあ確かに望さんと出会ったあの日から換算すると、それくらいは経ちますね」
言われてみれば、もうそれくらいたってるのか。長いようで、割と短いもんなんだな。
「そうそう。お前と会うちょっと前に髪の毛切ったばかりだからねぇ」
学校が休みになるということで、家にいることが多くなる。もちろん外に出て遊んだりもするけど、相対的に見ると家にいる方が多いはず。俺は髪を長くすることが大嫌いだから、休みに入った瞬間にバッサリと切ってしまった。 いわゆるスポーツ刈りにしてしまったわけ。
「私、髪の短い望さんの方が好きですし、髪の毛とか切りに行ったらどうです?」
「そうさなぁ…。あ、蒼龍。俺の財布取って」
キッチンの隣にあるテーブルの上に、帰ってきた際に放り投げた財布。取りに行くのも面倒だし、蒼龍に頼んでみる。嫌とは言わない蒼龍は、さっさと取ってきてくれた。
さて、財布の中身を確認すると1万円に小銭が少々入っていた。まあそろそろ六月に入るし、金銭面的に余裕はある。
「ふーむ。じゃあ明日、切りに行こうかな」
「早速ですか?あー。私はどうしようかなぁ」
蒼龍はぴこぴこツインテをいじりながら、迷うようにうなる。確かによく見ると、蒼龍の髪の量も増えているな。まあ艦娘も人間だし、当然か。
「まあどうせなら一緒に行けばいいんじゃない?わざわざ別の日に切りに行く必要ないでしょ」
「そうですねー。あ、でも私床屋さんとかいったことなくて」
え、行ったことがないのか。それは結構驚きだな。まあ向こうの世界では艦娘は極秘とかかもしれないし、好き勝手に床屋とかいけないのかもしれない。てかそもそも外に出ることすら許されていないとか考えると、やっぱり同情心が沸いてきてしまう。
「へぇ。じゃあどうやっていっつも髪の毛を切っているんだ?」
「妖精さんですかね。あの子たち、なんでもできますから」
妖精さんってすげぇ。つまり毎回ただで髪の毛を切ってもらえるということだ。っていうか装備以外にも妖精さんって現れるのか?また新たなる疑問が生まれてしまった。
「それで床屋だけどさ、おそらく俺の行きつけの床屋に行くだろうけどいいかな?」
「いいですよ。むしろどこに床屋さんや美容院があるかも知りませんしね」
まあそうだよね。そもそも床屋や美容院って、利用するとき以外ほとんど目に入らなかったりもするし、気にしない人も多そうだ。
「明日が待ち遠しいですねぇ。私、最初お風呂入ってきますね!早く明日を迎えたいんで!」
蒼龍はそういうと、リビングを出て行って風呂へと向かった。え、覗くかって?中学生や高校生じゃないんだから、そんなことはしないさ。まあ、そういう欲望は片隅にあるけど。
ともかく、俺も今日は早く寝るとしよう。
*
日曜日の朝。大学へと行く時間より少し遅めに起きた俺は、軽く体を動かすためベランダに出ると、素振りを行う。これは日課っていうわけではないけど、気が向いたらやる感じ。
「おはよう」
素振りを終えた俺は、一回へと降りてリビングへと向かった。すでに蒼龍が朝食を食べていて、おいしそうにパンを食べていた。
「あ、のぞむひゃん。おひゃようございます」
くちをもごもごして、蒼龍は言う。口の中に物を入れてしゃべるんじゃない。
「おう、おはよう。俺もたべよっと」
キッチンにある食パンを取り出し、まな板の上で簡単にトッピングをする。お好み焼きソースをかけてチーズを上にのせれば、ピザトーストモドキの完成だ。あとは、オーブントースターで焼くだけである。
「あ、それおいしそう。私も食べたいなぁ」
口元にジャムをくっつけて、蒼龍は言う。子供かな?と、まあティッシュを取り出して吹いてあげる。
「あ、ん。ありがとうございます。えへへ、恥ずかしいですね」
もうだいぶ見てきたとはいえ、やはり蒼龍の笑顔を見るとぐっと気持ちが高ぶってくる。あと、俺もだいぶ大胆になってきて―
「あっ…何ですか?」
ついつい、撫でたくなってしまう。さらさらとした髪の毛は手になじみ、リンスの甘いにおいが巻き上がる。その香りに俺はさらに、愛おしくなってきた。
「おはよー。って、朝からイチャイチャしないでくれない?邪魔」
俺と蒼龍のムードに毒されたのか、若葉は心底鬱陶しそうな顔で俺をにらんだ。指摘されれば恥ずかしくなるわけで、とたんに俺は手を引っ込める。また蒼龍もうつむいて、顔を赤くしてしまった。
「そういえば兄ちゃん。床屋に行くならお母さんが声かけてくれって」
唐突に思い出したのか、若葉は食パンにバターを塗りながら、口を開く。どうやら耳に入っていたようだ。
「なんで?」
「いや、お金は出すからって。龍子ちゃんの分も」
それは羽振りのいいことだと言いたいところだが、蒼龍の分までだすとはどういう事だろう。仮にも居候の身だし、そこまでしなくていいはずだと思うけど。でもそれをするってことは、要するに家族と認めた訳なんだろう。
「まあ、ありがたくいただいておこうかね。蒼龍もそれでいいかな?」
「えっと、その。本当によろしいんでしょうか…?」
なんだかんだ言って、蒼龍は申し訳ない様だ。義理堅いというかなんというか、つまりはもう家族の一員として見られていることを、理解できずにいるらしい。
「いいんだよ。お前はもう家族ってことさ」
「家族…ですか?」
キョトンとした目線で蒼龍は俺を見る。しかし、すぐに顔を緩ませて、笑顔を作った。
「もう、家族なんですね!私たち!」
「ああ、そうだよ。俺たちはもう家族だ」
俺はそういうと、もう一度蒼龍の頭をなでる。今度は蒼龍も気持ちよさそうに、されるがままとなった。
「はぁ…もうやだ私。あまあますぎて口から砂糖出てきそう」
若葉はうえっと吐くようなしぐさをすると、食パンをオーブントースターへと入れたのだった。
*
さて、庭掃除をしていたおふくろに声をかけ、散髪代を頂いた俺たちは、本通りに車を走らせた。すこし道なりを進み、交差点をまがるとその床屋がある。
名はフジタ散髪と言う店で、ずいぶんと年季が入った店だ。そんな店だけど、もう10年近くは通っている。つまり俺が、十歳の時からだ。
この床屋にはいろいろとエピソードがあって、語れば長くなる。だが、総じて言えることは地元特有の温かみを持った床屋で、チェーン店のような店ではない。たまにはサービスをしてくれたりもしてくれて、個人的にも評価は高い。ただ一つ言えるのは、値段も高い。
「ここが行きつけの?ちょっと古臭いですね」
関心をした様子で、蒼龍はフジタ散髪を見る。むしろお前がいた世界の建物に似ていると思う。と、言うか昭和からやってる床屋らしいし、古臭いのは当然だろ。
「でも、木のぬくもりっていうの?そういう温かみがあって、俺は好きだね。だから十年も通っているのさ」
「へえ。まあ私もこういう庶民的な感じのお店が好きですね」
蒼龍も庶民的美人みたいな顔をしているから、なんとなくそんな雰囲気を楽しめるんだろう。バイトで使う着物の制服も似合っているし、やっぱり町娘、看板娘的な感じが蒼龍は一番似合う。その点鳳翔は旅館の女将で、飛龍はなんだろうか。良いとこの嬢ちゃん?そう考えると蒼龍もそんな感じな気もする。
さて、かららんと鈴の音が響き、俺と蒼龍は店の中へと入る。床屋のおっちゃんは絶賛他人を散髪していて、忙しい様子だった。
「あら、いらっしゃい望君。三か月ぶりだね」
活発そうな床屋のおばさんが、いつも通り迎えてくれた。知人でファーストネームを呼んでくれる数少ない人だったりもする。親父もここに通うからってこともあるんだろうけど。
「はい。お久しぶりです。おじさんが仕事終わるまで、座ってますね」
「ええ、お願いね。ところで…」
おばさんは蒼龍のことを見て、不思議そうというか、なんとなく察したように聞いてくる。
「俺…ああいや、僕の彼女ですね。名前は…」
「蒼柳龍子と言います!」
俺が言う前に、蒼龍は名乗り頭を下げる。もうだいぶ、この偽名に蒼龍も慣れたみたい。即興な名前ではあったけど、まあよかったかな?
「蒼柳龍子ちゃんね。よかったじゃない望君。可愛い彼女さんができて!」
おばさんはからからと笑いつつ、俺の背中を叩いて言ってくる。このノリは、國盛のおふくろさんと変わらない。気さくな感じの人だからね。
「おお!望君いらっしゃい。ごめんよ、待たせて」
ある程度先客の髪を切り終えたらしく、おじさんは髭剃り用のクリームが入った器を混ぜながら、俺へと声をかけてくれた。確か以前に聞いた際、四十代後半と言っていたけど、髪は茶髪で整えられたひげを生やしている、若々しいおっさんだ。理容師の人って、おしゃれというかファンキーな感じの人が多い気がする。
「いえ、待っていませんよ。どうかお気になさらず」
「おう。あ、利代子。先に望君の髪を洗ってあげて」
おばさんの名前を呼んで、おじさんは髭剃りクリームを塗るための筆のようなもので、空いている椅子を指す。床に垂れているけどいいのかな。
「はいはーい。じゃあ望君。空いている席にすわってね」
確かおばさんも、理容師の資格を持っていると聞いたことがある。まあ理容師の嫁になったんだし、結婚してから取ったのかもしれない。ってそんな憶測は置いといて、俺は奥の端から二番目の席へと座った。いつも使う席が、ここなんだよね。
「じゃあ髪の毛洗いますよー」
それから俺は、されるがままに髪の毛を洗われた。
*
さて、俺の髪の毛もだいぶ切られたころ合いだ。すでに先客の人はかえって、現在蒼龍がその席に座っている。
シャキシャキとはさみが髪の毛を切る音が聞こえる。さらば我が髪の毛。伸びすぎた君がいけないのだよ。とか、まあ落ちゆく髪の毛を見ながら、心の中でそうつぶやく。
「ねえ、望君。あの子彼女かい?」
髪の毛を切るのにひと段落着いたおじさんは、俺にヘヤスタイルを確認しつつ聞いてくる。
「はい。そうですね」
「いい子を見つけたねぇ。まあ昔みたいに鋭い気が消えたからかな?」
おじさんは、俺が中学高校と剣道部に所属していた時期を知っている。その時の俺は曰く冷酷なオーラと鋭い目つきを持っていたらしい。おそらくおじさんはこれまでに多くの人の髪の毛を切ってきているわけで、そういう人の持つオーラや気迫を感じ取るのが、うまいんだと思う。
「さあ、どうでしょうね。あまり気にしたことないです」
そっか。と、おじさんは言うと、再び髪の毛を切り始める。
一方蒼龍はおばさんに髪の毛を洗われていて、ずいぶんと気持ちよさそうな声を上げている。まあわかる。床屋で髪の毛を洗われるのは、ずいぶんと気持ちいものだからね。
「それにしても、龍子ちゃん不思議ねぇ。ところどころに、燃えたような髪の毛があるわ」
「え?」
おばさんから聞こえてきたその声に、俺は思わず声を出した。
燃えた髪。それはやはり彼女が戦場にいたことを表している証拠だ。正直気が付けなかったのは、盲点と言える。
「燃えた…髪ですか」
蒼龍は気持ちよさそうな声から、トーンが一つ落ちたと声が聞こえてくる。それもそうだ。髪の毛は女の命ともいえる大事な部分だし、それが痛んでいれば傷もつく。
無意識から発せられた言葉だが、これは蒼龍の心に大ダメージを与えてしまったのではないだろうか。俺はそう思うと、フォローを入れようと口を開こうとした。
だが、蒼龍がそれを阻むかのように、先に口を開いた。
「えへへ、それはきっと、料理で失敗しちゃったときのでしょうね。あはは、私ってドジなんで」
嘘だ。絶対に違う。だが、彼女の持つ爆弾を踏んでしまったとおばさんに悟られないように、あえて笑ってごまかそうとしているんだ。
「そうりゅ…ああいや、龍子…」
俺は彼女を横目で見ながらつぶやく。できれば面と向かって、フォローをしてやりたいんだ。
「フジタさん。私の髪の毛、焦げ臭いですか?」
洗われるがままにつぶやくその言葉。それはすなわち硝煙の臭いや、鉄の焼け焦げた匂いがこびりついているかを聞きたかったのだろう。どれだけ髪の毛を洗っても、落ちない戦いの、鉄の臭い。俺はついに、胸に込み上げて来るものを感じ始めていた。
だが、またもや俺は、言葉をさえぎられる。今度はおばさんが、口を開いたからだ。
「うーんそうねぇ。あまり感じないわ。龍子ちゃん、どこか火山とかにでも行ってきたの?」
「え?いや、違いますよ。ほら、髪の毛って焦げると嫌なにおいがするじゃないですか。料理で盛大に失敗して、火の粉が飛び散っちゃったんですよ。それで、まだ匂いが残っちゃってるのかなって」
その返事を聞いて、俺は微かに安堵ができた。
言葉こそ当たり障りのないトーンではあるが、俺にはわかる。それは、戦場の臭いが消え始めたことへの、微かな喜びを含んでいることを。
「よし、望君あとはもう一度髪の毛を洗うだけだね。で、龍子ちゃん。その焦げた髪の毛、ぼくがきちんと手入れしてあげるよ」
おじさんはシャキシャキとはさみを動かして言う。
それを聞いた蒼龍は髪の毛をおばさんに拭かれつつ―
「お願いします!」
と、心底嬉しそうに言ったのだった。
どうも、ちょっと投稿ペースの落ちてきた飛男です。ごめんね。
さて、今回はほんのちょっぴりシリアス?を入れてみました。まあ戦場でこびりつく臭いは、なかなか消えないと言いますからね。特に硝煙の臭いとか、艦娘ならばもろに受けてそうです。
次回はゼミの話になるかも。また癖のある奴らが出ますので、覚悟していてくださいヾ(⌒(ノ-ω-)ノ
では、今回はこのあたりで、さようなら!