Real-Matrix   作:とりりおん

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活動報告でも書きましたが、これからは二週間に一回の投稿ペースとなります。


デジタル・リアルファイト 1

 歩道と建物の上には雪が積もって白くなり、所々に避けられて積み上がっている。道路に面した側にはぽつぽつと泥水が撥ねた跡がある。対照的に、広い交差点は流石車の往来が激しいからなのか、それともロードヒーティングが効いているのか、雪の一片も幅十五メートルほどもあろうかと思われる道路の上にはなく、その灰色の無機質なセメント然とした様相を呈している。

 ぴきりと音を立てて凍り付いてしまったような空気を、エキゾーストの穏やかな唸りが溶かすように震わせる。

 住宅街の小路を真っ直ぐに進んで交差点に出ると、一気に視界が開ける。背丈が変わらないはずの建物でも、それ故か低く見えてしまう。

 それなりに近所ではあるのだが、小学校も中学校も高校も最寄りの駅も御用達のスーパーも真反対側にあるので、龍輝はあまりこの交差点街に来た事はない。

 市立病院は、この交差点を左に曲がったところに巨体を構える。確か6階か7階はあると聞いた事があるような気がする。龍輝は母がいるのは、5階と聞かされている。

 

 割合背の高い少年は心なしか緊張した面持ちで交差点を左へと行き、寒さのせいだけではない少し震えた足取りで目的の場所を目指す。不慣れな事をしたり見知らぬ場所に滞在している時には、周囲の様子も五感が正常に機能しているのかも判然としないような状態に陥るのが龍輝の常だが、灼ける程に冷え込んだ空気を吸って呼吸器が凍結しそうになり、嫌でも惚けていられないのであった。

 左右に大きく震えようとする脚を真っ直ぐに保とうと力を込めて歩きながら、彼は考え事をしていた。これから母に対面する時には、まるで初対面の他人のように接し、あまり長居せずに帰るのだろうというような想像と、ドルモンの事である。

 突然何かの縁で自分の前に現れ、拾い面倒を見ると決断してしまった奇妙な生物。この世界の常識に照らし合わせると、非常識で不可思議な生物。その外見は勿論、人語をごく自然に話すという芸当をやってのける驚嘆に値する生物だ。この次元とは異なる世界からやって来たのであろう事は明白だが、話すのが日本語である事やこの世界の生物の特徴をいくらか兼ね備えている事を鑑みると、さる異世界はこの世界とその様相がそうかけ離れている訳ではなく、寧ろ何らかの関係性があるものとも推測できる。

 どういう世界からやって来たのか。どうやってこの世界へとやって来たのか、何故来たのか、行き倒れていたのか。語尾のモンとは何なのか、同じくモンが付くロードナイトモンは一体何者なのか。色々と気になる所であるし、帰宅したらドルモンがきっと語ってくれる事だろうと龍輝は楽しみにしている。母には悪いし、非常に申し訳ないとも一応思っているのだが……さっさと用事を済ませ、帰宅したいというのが彼の本音だ。

 

 「おい! あれなんだよ!」

 

 突如背後で大声が上がり、龍輝は一瞬で現実へと引き戻された。

 脚が震えるのを堪えつつ、立ち止まって振り向くと、歩道を歩いていた若い男性が上空を指差して凝視している。その隣を歩いていた連れらしき男性がつられて空を見上げ、同じように驚愕に目を見開き、表情を固まらせている。それは、恐怖にひきつった顔――とも取れた。

 何事かと首を傾げつつ、好奇心から龍輝も空を仰いだ。

 愕然と固まる。

 

 「何だ……あれ」

 

 はっきりと声に出す。

 存在を信じられないものが、容認できないものが――今、上空にある。

 鉛色の天に浮き上がった闇のように羽ばたいているのは――二体の悪魔の如き竜。

 異様に細長い腕、標的を切り刻む為だけに存在するように鋭利な爪、そして寒空に誇示するは常軌を逸した巨躯。鮮血を固化させたような四つの眼は禍々しく輝き、何を見ているのか、そもそも何か見えているのかも分からない。ただただ龍輝はぞっとし、寒さ以外の理由で身震いした――血の流れまで凍結しそうだ。

 今日は立て続けに現実離れしたものと遭遇するな――と吃驚しながら、龍輝は足早に立ち去ろうとした。あの異形もおそらくはドルモンと同じく異界からの訪問者。だが、ドルモンとは違い関わり合いを持つのは言うべくもなく危険だろう。あの巨竜に興味がないわけでは決してないが、過ぎたる興味は身を滅ぼす。龍輝は持ち前の沈着ぶりを発揮していた。

 ――が、次の瞬間に双眸が捉えたものが、彼にその場を離れる事を許さなかった。

 

 鉄球。

 二体の邪竜目がけて、鉄球が弾丸の如く飛んでいったのだ。

 冬天を一直線に貫く鈍い光沢を放つ鉄塊。それは竜の腹部を打ち抜かんばかりの勢いだったが、前方に浮遊している個体が気付きざまに真紅の爪を振り下ろすと、いとも簡単に真っ二つに割れた。

 半分に分かたれた鉄塊は重力に身を任せるままに落下してきたが――何とそれは、地上に到着する前に雲散霧消して跡形も無く失せてしまった。

 

 龍輝は阿呆のようにぽかんと口を開けた。信じられない、何がどうなっているのかも――さっぱり分からない。流石の彼も頭が半ば真っ白になったが、取り敢えず何かに導かれるように鉄球の発射源を目で探した。 

 そして――本当に信じられないものを見た。

 交差点の中央に四つの足で仁王立ちし天の異形を見据えるは、紫の体毛に覆われた、大型犬くらいの世に存在し得ないはずの不思議な生物――

 龍輝の脳髄に高圧電流が迸る。

 

 「ドルモン!?」

 

 少年が唐突に張り上げた声に通行人は皆びくっとなり、謎の存在共から龍輝に目を移す。

 当のドルモンは、花束を抱えた少し長身で黒髪くせ毛の少年の方を見ると、凛々しく吊り上がっていた目を垂れさせ、申し訳なさそうに伏せる。

 

 「ごめん~、ドルモンリュウキのいうことちゃんときかなかった~。あとでりゆうはなすから~……」

 

 今度は四つん這いの犬のような奇怪な生物が言語を発した事に対して通行人が驚く番だったが、そんな暇はあるはずも無し。

 

 「危ない!」

 

 龍輝の咄嗟に上げた一声と同時に、上空から猛烈な速力で黒い悪魔竜が一体、ドルモン目がけて爪を振り下ろしながら地表に突進してきた。

 真紅の鉤爪が血濡れた危険な輝きを放ち、ドルモンの体を捉えようとしたが、その対象は敏捷に後方に飛びすさり、当たったらひとたまりもないであろう二撃の危機を回避する。

 ドルモンは体勢を崩すこと無く着地し、息を弾ませる。

 轟音を伴って、交差点の道路中央がえぐり出される。割れたコンクリート破片が幾らか龍輝達のいる歩道の方へ飛んだ。

 

 「うわっ……」

 

 心臓を鷲掴みにされた気分になり、龍輝は反射的に後方へ跳んだ。あんな重たいものが体に当たりでもしたら、ひとたまりもない。

 すると素早く、ドルモンが口をかっと開いて立て続けに鉄球を吐き出し、飛んできたコンクリート片を全て木っ端微塵にした。程なく、鉄球も虚空に消え失せる。

 龍輝は唖然とした。面妖な邪竜に対する恐怖はある程度立ち消え、混乱が彼の心中を支配していた。

 一方、その場に居合わせた人間は口々に恐怖の叫び声を上げながら、自動車はエンジンを嘶かせながらその場から遁走する。あっという間に、その場には龍輝とドルモン、そして二体の異形のみが残された。

 

 何故このような事態が起こっているのかまるで訳が分からない。

 玄関に鍵を掛けて出たのに、どうやってドルモンが家から出たのかというのは龍輝はこの際どうだって良かった。

 多分全ては三十分以内に起こった事だ。花屋で薔薇を買って店を出て、病院に行く途中で喋る不思議な生物ことドルモンを路上で拾って、一旦家に連れて帰って、外出して、帰って来たら色々話を聞こうと思っていたら、そのドルモンが交差点で怪物と戦っていて。

 色々常軌を逸した事が起こりすぎて、龍輝の脳内は混沌としている。誰か説明してくれと彼は声を大にして言いたかった。

 

 ドルモンは真紅の爪の猛攻を機敏に避けながら、続けざまに滑空する黒い標的に向け大きく開いた口から鉄球を吐き出す。

 

 「“ダッシュメタル”~!」

 

 怪物はだが、ひらりと身を躱して全ての鉄の弾丸の軌道から逃れる。当たるはずだった相手を失った鉄球は空中で消え失せる。

 

 龍輝は瞬きもせず、厳冬の寒さも忘れ、生唾を呑んで状況を見守っていた。

 ドルモンはすばしっこく攻撃を躱し続けているが、あの怪物も然りだ。状況は膠着している。

 しかし、均衡状態も長くは続かなそうだ。

 ドルモンの体力消耗が目立ってきている。動きは少しずつ精彩を欠き鈍くなってきており、息がかなり上がっているのが遠目にも分かる。それに比べ、巨大な邪竜は悠々と飛翔している。

 

 突如、黒い邪竜の紅眼がドルモンをぎろりと睨み付け、かっと妖しい光を放った。

 眼光と呼ぶには眩し過ぎるそれが紫色の動物の全身を照らすと、その体がうつぶせにぐったりと倒れる。

 龍輝は酷い胃痛に襲われた。

 

 「ドルモン……!」

 

 「ううう~」

 

 苦しそうに呻くドルモン。しかし、その体は麻痺したように全く動かない。

 そこに、上空から黒い邪竜の紅蓮の爪が容赦なく襲いかかる。

 

 ――このままでは、ドルモンは……

 

 龍輝は、自分でも全く信じられない速さで動いた。

 一歩間違えば、自分がどうなるかという恐怖を感じる暇もなかった。

 

 「ドルモンー!!!」

 

 龍輝は無我夢中で花束を放り投げた。

 道路にうずくまるドルモンに向かって全力で走り飛び込みし――両腕でドルモンを歩道の方に引きずり出す。

 一瞬遅れて目標を逸れた獲物を狩る爪は、先程のように勢い余って道路を抉り出す。再びコンクリート片が宙を舞ったが、龍輝の目には全く入らない。幸いな事に、それが命取りになる事にはならなかった。

 

 「リュウキあぶない~……ころされちゃうよ~……にげて~」

 

 弱々しく泣きそうになりながら、そして息を切らせながら言うドルモンに対し、龍輝は卒倒しそうになるのと心臓が口から飛び出しそうになるのを何とか我慢し声を張り上げた。

 

 「ドルモンだって殺されてしまうじゃないか!」

 

 逃げろ、と言われても今更逃げられないように龍輝の心には圧力が掛かっていた。本当にたったさっき出逢ったばかりの仲だが、自分は行き倒れていたドルモンを拾ったいわば責任者であり、かの哀れな小動物を無視しこの状況から逃げ失せるなんて、許されたものではないと彼は強く思う。

 最悪自分の命までも危険に晒されるような状況で、そんな馬鹿正直に義理堅く行動するなんてそれこそ馬鹿げている事かも知れない。だが、道理に外れるくらいなら死んだ方がましだ、というのが龍輝の信条だ。

 逃げたくないのはそれだけではない。色々聞きたい事があるのに、ドルモンが死んでしまったら何もかも謎のままで終わってしまう。そんな理屈を抜きにしても、ドルモンが死んでしまうなんて嫌だ。せっかく、たったさっき会えたばかりなのに。日常と、非日常の狭間で。

 

 「ドルモン~、リュウキがきずつくのいや~……。にげて~……」

 

 紫の動物の懇願を、龍輝は頭を振って無下にした。

 

 「そんなこと言ったって!」

 

 「うえあぶない~~~!」

 

 今度はドルモンの警告で、龍輝は上方に咄嗟に目をやると、真紅の爪がすぐ近くに迫っていた。

 自分が避けたら、ドルモンに直撃する。しかし、ドルモンを引っ張ろうにも、間に合わない。

 客観的に見ても、主観的に見ても、自分が避けた方が断然いいに決まっている。ドルモンを見捨ててあそこに転がっている花束を拾って、病院にさえ行けば、ほんの束の間見えた非日常からは永遠に遠ざかって、また普通の平穏な生活に戻れるのだから。

 平和で平凡な生活を、死んで捨てるなんて大馬鹿だ。母よりも、学校の友人よりも、「得体の知れない」生物を取るなんて、傍から見たら馬鹿で不道徳に見えるだろう。しかし龍輝は、自分はその馬鹿で不道徳的な事を正しいと信じてやっているのだ。仮に大怪我をしてもすぐ近くに病院があるから大丈夫だと無意識に思っているのかも知れないが、何よりそうしなければならないと強く信じているから。

 それが、自分の責任なのだ。

 

 酷く時間が長い。

 粘稠な蜂蜜にでもなったみたいだ。

 彼は逡巡の間に、目をぎゅっと瞑った――恐ろしい「結果」から逃れるように。

 

 須臾経って。

 刹那経って。

 一瞬経って。

 一秒経って。

 二秒経って。……

 

 その「結果」は訪れなかった。

 まさか、見逃してもらえたのかなどという万に一つも有り得ないような事を考えながら、ゆっくりと目を開き、頭を上げる。

 そうして、龍輝の両眼に映ったものは。

 無数の0と1の羅列の帯で構成された、薄光の半球が一人と一匹の周りを包んでいた。

 真紅の爪は半球の表面で停止を余儀なくされている。全力を込めているのか、漆黒の細腕から爪に掛けて小刻みに震えている。忌々しげに口を歪める漆黒の竜。間近で見ると人間三人くらいの大きさがあると分かった――圧倒的だ。龍輝の胸の内に改めて恐怖が湧き起こってきた。

 

 ――それより、この光は一体――?

 

 龍輝は、ふと左手の違和感に気付いて手に目の前に持って来る。

 

 「……何だこれは……?」

 

 いつの間にか握られていたもの――

 ドルモンの紫の体毛と同じ色の、四隅が凹んだようになった端末。中には精密な回路が埋め込まれているのが透けて見える。ちょうど自分の指がおかれているのは上部に二つ、下部に一つの白くて丸いグリップ部分。中央には――光の帯を外界へ発する円いディスプレイ。どうやらその光の帯が、この自分達を護る半球を形成しているらしい。

 助かった――それに胸を撫で下ろすよりも、龍輝は何がどうなっているのか、ますます理解出来ず混乱した。

 

 いつの間にか麻痺症状の治ったらしいドルモンがむくりと体を起こすと、まだ自分の胴体を掴んでいる両腕をするりと擦り抜けて、周囲をきょろきょろと見回す。

 

 「リュウキ~?」

 

 自分を探す声の元気な様子に、龍輝は昏倒しそうになりながらも少し安心して、ひとまず返事を寄こしてやる。

 

 「俺は此処だよ」

 

 歩道に座り込む龍輝の姿を見つけて、ついでその左手に握られた光を放つ端末を見て――ドルモンは喜びに両目を輝かせた。

 

 「リュウキ~、やっぱりドルモンのテイマーだったんだね~!」


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