Real-Matrix   作:とりりおん

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やっとこさ第12話投稿。
別サイド編は次話に続きます。


地獄界の貴公子

 風は止むこと無く、音も無く吹きすさぶ。

 

 涅色の淀む混沌は、色欲の渦巻きだ。

 電脳の無機的世界において、その淫欲は孤独な数たちの結合欲となる。虚空を漂う極微細な0と1はその欲により引き合わされ、連なり、意味あるものへと昇華する。あるものは果てしない結合の過程を経て魂となり、中核となり、やがて一つの実体を成す。

 こうして絶えず電脳の生命が生まれる。だがそれも、浄罪の暴風に晒され、繊細な生まれたばかりの電子生命も、容易く四散して再び意味を持たぬ孤独な数へと還る。

 色欲の大地では、こうして絶えず破壊と創造が繰り返される。

 

 

 天は昏い。何層にも垂れ込める厚い黒雲は、この世界を光より隔絶する壁の如し。

 時折閃く稲妻によって、鬱々とした静寂と闇が破られるに過ぎない。渇ききりひび割れた大地を、迅雷が断罪するように灼き焦がしてゆく。

 

 此処は大罪を背負いし諸魔王、燦々たる栄光溢れる天より墜とされし堕天使、そして死した魂が彷徨する暗鬱な世界、ダークエリア。その第二圏、七大魔王に列席する“色欲の”リリスモンが統括する地である。

 

 かの魔王の館は、ただでさえ暗い中更に濃紫の霧に常時覆われた一帯にひっそりと佇む。全三階建てのこのこぢんまりとした幽玄な洋館は、「紫雲薫る館」という芳名で呼ばれる。

 ダークエリアの何処を探してもかの如く雅な名の館はあるまいが、邸の大きさと豪勢さでその主の権力如何が分かるというきらいがあるダークエリアに於いては、今一つ弱い印象を与えるのであった。

 加えて、此処は第二圏というダークエリアの浅瀬から少しばかり進んだだけのような領域だ。より深部の領域を統治する魔王の方が力としても強大という認識傾向もあるため、リリスモンの魔王としての力は拠点の大きさ云々は別にしても、概して軽視されやすい。

 

 その「紫雲薫る館」、某一室にて。

 

 「ふうむ、成る程」

 

 一人の男が、悠然と脚を組んでソファに腰掛けていた。

 

 嫌でも目を引くような風貌だ。随分と奇特だが、同時に典雅でもある。二本の雄々しい角を生やした獣のマスクをすっぽりと被り、狼の獣毛の様な長い銀髪を揺らめかせる。すらりとした長身には、浅黄色の縦縞模様が入ったタキシードを纏う。その上には、赤と白を基調とした外套を羽織る。

 マスクよりのぞいた口元は微笑みを絶やさず、胡散臭い、或いは飄々とした印象を与える。

 

 「しかし、その件は私もどうにも致しかねますな。その消息を絶った究極体ですが、『たったさっき』新たに造られたデジモンなんでしょう? なら、幾ら森羅マッピングシステムといえどもデータが登録されていないから照会不可能、つまり追跡不可能ですよ」

 

 男は左手に手鏡のような端末を載せ、そのディスプレイに向かって喋りかけている。狭波長域(タイトバンド)での会話なので、会話相手にしかその内容は聞こえないし、傍から会話を拾う事も出来ない。傍聴や盗聴を防ぐ事の出来る、密談における必需システムである。

 

 「次元擾乱マッピングの方で、な……何とか足取りを追えないものでしょうか?」

 

 「そのシステムは、寧ろそちらがお持ちでしょう?」

 

 

 緊急事態なのか、冷静さを明らかに欠いている会話相手に対し、男は達観し尚且つ事態を楽しんでいるような悠然とした態度である。喋り口から滲み出るそれに相手方も気後れし、ますます慌て訥弁気味になってゆく。

 

 「あ、はい……此方に、あり、ます……」

 

 「だとしても言っておきますが、無理でしょうね。そのシステムは、往々にして空間、次元の歪曲移動をする輩にしか利用価値がありません。その究極体が、そういう移動方法を採るとも限らないでしょう? それに、万が一そういう移動をするのだとしても、消息知れずなら広範囲をサーチしなければならなくなる。精度は自ずと下がります。結局は追跡不可能」

 

 物分かりの悪い生徒に懇切丁寧に説明してやる教師の様に、男は詳細に話してやる。ただ、この場合は「この程度の事は分かっているはずだろう」という種類のものに違いない。

 相手が無言でいるのを、自分の言った事を理解したのか、或いは理解しようと躍起になっているものだと男は解釈する。いずれにせよ、次に彼が突きつける結論には何ら影響がない。

 

 「そういう事で、今回はそちらがどうにかして頂きたい。まあ、出来ない可能性の方が高いでしょうけれどね。私の方では尚更どうしようもない」

 

 「はあ……申し訳、ありませんでした……」

 

 大変頭が高い態度である。男はかろうじて相手が口に出した謝罪の文言をさらりと無視し、とどめの釘刺しとばかりに続ける。

 

 「それに、ですよ。最初に言っておくべきだったでしょうけれども、私は確かにメタルエンパイアの客将のようなものですがね。便利屋とも違うし、尻ぬぐい役という訳にも行かないんですよ。D-ブリガードという半ば秘密組織の特性を持つものの事に関してなら、尚更、ね」

 

 「え、ええと……それは」

 

 釘を深く打ち込んでやる。酷く重苦しい沈黙が流れた。ディスプレイ越しに、リアルワールド風に言えば「血の気が引く」音が聞こえて来そうである。

 男はより笑みを深くし、追撃を掛ける。その人を食ったような不遜な笑みは、さながら掌上で球を転がすか、玩具を弄ぶ時のものだ。

 

 「いや、私はこれでも性悪ではないし、姑息でもありませんから、ここぞとばかりに外部に機密情報を垂れ流すような真似は致しませんよ。ご安心下さい。ただ、ですよ」

 

 男は端末に唇を寄せ、低く囁く。耳元で脅しを掛けるように。

 

 「今回の件で、私はお宅より一段上の所に上ったという事をお忘れなく。では」

 

 「ア、アスタモン様――」

 

 相手は何か言いたそうにしていたが、貴族然としたこの男――アスタモンは親指を軽くディスプレイの中央に触れさせると、容赦なく端末の通信を切った。ぱたんと畳み、右袖の中にそっと差し入れる。

 

 今相手は顔を湯気が出る程真っ赤にしているかも知れないな、と想像しアスタモンはくくっ、と短く笑った。

 

 相手から相談を持ちかけられたのに、逆に伸すような真似をしてしまったが彼は少しも悪びれない。何と言っても一人対大帝国のビジネス、この位強い姿勢を見せなければやっていられないという姿勢の表れである。

 

 

 アスタモンは、自分が戦闘に於いても交渉に於いてもかなりのやり手であるというのを自覚していた。「ダークエリアの貴公子」なる通り名も然り、七大魔王以下の魔族ならばおそらく最も力のあるデジモンであろう。同時に、完全体でありながら並み居る究極体を凌駕する実力を持ち、ダークエリア中央部に所属している身でもあるので、羨望の的でありながら同時に嫉妬の的でもある。

 地獄界には敵も障害も多い。寧ろ味方よりも多い。身を守り、尚且つ地位を保つ為には、何より己が何に於いても強くあらねばならない。一瞬でも弱腰になる事は、アスタモンにとって死を意味するのである。それにしても、今回の相手方は随分な小物であったようだが。

 

 (メタルエンパイアにダークエリアはサイバー面で遥かに劣っているはずなんだが。あちらが森羅マップを持っていなくて、こちらは持っている――というのは、随分と奇妙な話だな)

 

 デジタルワールド全域で、最もサイバネティクス系の技術が発達しているのは英明な王、キングチェスモンと勇猛な女王、クィーンチェスモンの治める機械大帝国「メタルエンパイア」だ。ダークエリアにかろうじてあるサイバーシステムも、かの帝国からの輸入ものである。

 しかし、あらゆるデジモンの所在を特定出来る神の目の如きシステム「森羅マッピング」は、ロイヤルナイツともう一つはダークエリアにあるのみ。尤も、そのダークエリアにある一つも、所詮はロイヤルナイツ達のそれの劣化コピーに過ぎない。それでも、想像を絶する働きをしてくれる事に間違いはないのだが。

 

 そして、アスタモンは今の連絡で最も気に掛かる事を思い巡らす。

 

 

 (人工的に造られた究極体――か)

 

 アスタモンは、今し方手に入れた情報をゆっくりと味わう。新鮮で瑞々しい、だが同時にひどく甘美で中身の詰まった果実だ。噛めば噛むほど、その甘みが滲み出て口一杯に広がる。

 

 人工的に生み出された究極体デジモン。大変に心惹かれる話題である。

 

 メタルエンパイアの秘密軍事組織、機械化旅団「D-ブリガード」からたった今入った緊急連絡。その旨は、撃墜された完全体デジモンを回収して暗黒物質適応実験の検体にした所、異常進化した挙げ句暴走し、研究所を飛び出し消息を絶ったという事だ。

 誕生したばかりの、しかも人工的に造られたデジモンとなれば、イグドラシルのデータベースには登録されていない。イグドラシルはデジタルワールドの全能神にして唯一神。全てのデジモンの自然進化の系譜はイグドラシルの知りうる所であり、その例に漏れる事はない。だが、あくまでそれは「自然進化の」場合のみ。

 

 よって、人工的に造り出されたデジモンは、道理より外れたイレギュラーな存在という事になる。

 

 データベースに載らないデジモンの情報は参照しようもない。要は兵器転用した場合、事前情報などが流出しない限り、敵の方としては対策の取りようがないのだ。

 上手くその世界の条理から外れた兵器を運用してやれば、蹂躙――一方的な殺戮劇とて不可能ではない。

 メタルエンパイアは陸海空対応の兵器デジモンの開発に取り組んでいるが、その最大の利点は実は「イグドラシルのデータベースに記録されない」事にある。しばらく時間が経てば、自動的にデータが拾われてデータベース内に保存されるのがとどのつまりだが、それまでの空白期間内に仕掛ければ、絶大な威力を発揮させる事が出来る。

 

 貴公子は、組んだ左足の膝頭をぐいっと自分の方に引き寄せた。

 

 (何とかその究極体を捕らえ、手なずけられないものかな。対ロイヤルナイツのこの上なく強力な兵器になりそうなものの)

 

 アスタモンは普段から笑んでいる口元を、更に綻ばせる。空想が実現する可能性は決して高く見積もれないが、事がその通りに運んだならどんなだろうと想像してアスタモンは一人悦に入る。

 

 

 (その究極体に、現職のロイヤルナイツでも特に厄介そうな連中――紅き聖騎士デュークモン、竜帝エグザモン、ここら辺――を相手取らせたいものだ。そしてこの私はその他を――と)

 

 アスタモンは、傍らに立てかけてあった銃を持ち上げ、膝の上に置いた。

 二連のマシンガンだ。ほっそりとして美しい漆黒の銃身は静謐な艶があり、眠りに就いているようにも見える。事実、久しく火を噴いていない。装飾品として持ち歩いてやるというのも悪くはないが、そろそろ活躍の機会を与えてやりたいというのが、持ち主の素直な気持ちである。

 

 だが、帝国とのパイプ役という枢要な地位にある事を考えれば、おいそれと戦線に立って銃撃戦を演じるのは許されたものではない。自分がダークエリア中央の主要ポストに就いているという満足感と同時に、大変な残念さもある。

 今は公人として私欲を捨て去るべきであろう。アスタモンは一つふうと溜息を吐くと、思考を切り替えた。

 

 (次元擾乱マッピング――か)

 

 

 先程、相手が口にした事である。

 異次元空間を経由して別の地点に移動する事の出来る輩、その所在を特定できる高度な技術だ。ダークエリアでは、実用化はおろか、技術の断片すら入ってきてはいない。

 具体的には、デジモンのテクスチャ領域や機能領域を一切無視して全て「純粋な」0と1のみで捉え、その位相変化によって場所を割り出す。

 詰まるところ、それ以外の用途はほぼ皆無だ。よって、相手方より連絡のあった消息を絶った究極体が空間移動術でも使用しない限り、全くの役立たずとなる。

 しかし此処で、アスタモンは次元擾乱マッピングで移動する対象を特定出来る、もう一つの可能性を閃いた。

 

 

 (――もう一つあるじゃないか。いやこれは、気付いて然るべきか)

 

 ダークエリアの貴公子は自嘲気味に口を歪めた。

 空間移動術のみならず、次元を擾乱させる方法がある。それは、そういうシステムを使用して移動する場合だ。

 局所的なトランスミッションシステムから、長距離移動を一瞬で可能にするそれまで。更には――次元世界を超えるものまで含まれる。

 

 (アクセスポイントから、リアルワールドへ――)

 

 未だその所在の殆どは濃霧の中に閉ざされた、二世界の中継地点、アクセスポイント。万が一、そこを通って異なる次元世界――リアルワールドにその究極体デジモンが到達したのだとしたら。

 そこまで想像を膨らませて、アスタモンは突然現実的な思いに引き摺り下ろされた。

 

 「いや、まさか。妄想も程々にしないとな」

 

 はっきりと独語すると、貴公子はくくっとくぐもった短い笑い声を上げた。こういう笑い方が彼の常らしい。

 

 (そう言えば、ロードナイトモンとやらの匿っていたデジモンも、無事にリアルワールドに逃げおおせたのではなかったかな)

 

 その姿を実際に見たことはないが、名前はドルモンとかいう成長期デジモンであるらしいというのをアスタモンは知っていた。どうやら秘めた可能性を全て発揮すれば、七大魔王数体を同時に相手取り尚且つ勝利を収める力を発揮できるそうだが、流石に誇張された噂だろうと思う。

 

 デジタルワールドの守護騎士ロイヤルナイツとあろう者が、総力を挙げてたかだか成長期でいつ究極体に進化するかも分からないデジモンに全てを賭けるような真似をするなど、馬鹿馬鹿しい事この上ないというのが率直な感想だ。実際にロイヤルナイツの席を一つ犠牲にした――その事に、何の価値があるのか。甚だしく疑問である。

 

 (まあ今頃は、デビドラモンの手によってデータの屑に成り果てているだろうがな。秘めた可能性とやらも含めて)

 

 自分の主――リリスモンが特定した秘するリアルワールドへの門、アクセスポイント。そこから万が一の可能性というものを憂慮して、ドルモンを抹殺する為に差し向けた刺客、「複眼の悪魔」ことデビドラモン。そのダークエリアでも屈指の邪悪さと凶暴性に、成長期如きが太刀打ち出来るはずもない。

 

 ロイヤルナイツの努力は、いよいよ徒労に終わるのだ――。アスタモンは、残酷な喜悦に笑みをより一層深めた。ドルモンとやらなど、脅威でも何でもなかった。鼠の巨大な影のようなものだ。寧ろ、残存しているロイヤルナイツの邪魔が入る方が余程警戒すべき事項であろう、と。

 ただ、命と引き換えにリリスモンを長期の再起不能状態に陥らせた薔薇輝石の騎士王の功績は、評価してやるつもりだ。

 

 ふう、ともう一つアスタモンは溜息を吐いた。

 今の所、自分の出番というものは無いらしい。あれこれと想像の翼を広げるのも良いが、そうした所で現実世界はどうにもならない。

 

 「さて、少しばかり暇を潰しに行く事にしよう」

 

 ダークエリアの貴公子は愛用の銃を携えてゆらりと立ち上がり、前方の扉より颯爽と出て行った。




ダークエリアの構造は、ダンテの神曲をベースにしています。

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