ダンジョンに入ってからしばらくは水中生物型が主だったモンスター群は階段を降りるほどにゾンビだのゴーストだのといったオバケ系統に変化し、アスナとサキの心胆を激しく寒からしめたがキリトの2本の剣は意に介するふうもなく現れる敵を瞬時に屠り続けた。
あっという間に経過した2時間のうちにもマップに表示される現在位置とシンカーが居るとおぼしき安全エリアは着実な速度で近づき続けた。
何匹ともしれぬ黒い骸骨剣士の群れをキリトの剣がばらばらに吹き飛ばすのを眺めているとふと何かを思い出したようにアスナがサキに話しかけた。
「そういえばサキちゃん、前は槍を使ってたわよね?いつ
「えっとね、確か65層の時だったかな。その時からお姉ちゃんの形見であるこの剣をずっと使ってきたの」
「あっ……ごめんね、聞かないほうがよかったね……」
申し訳なさそうに言うアスナにサキは首を横に振り、笑顔で言う。
「ううん、気にしないで。今となっては大切なものだから」
サキの純度100%の笑顔に皆つられて微笑む。
みんなで昔話をしていると敵の群れを蹴散らしたキリトが戻ってきた。
その先についに暖かな光の洩れる通路が目に入った。
「あっ、安全地帯よ!」
アスナが言うと同時に索敵スキルで確認したのかキリトも頷いた。
「奥にプレイヤーが1人いる。グリーンだ」
「シンカー!」
もう我慢できないというふうに一声叫んだユリエールが、金属鎧を鳴らして走り始めた。
その後ろをカゲヤたちは慌てて追いかける。
右に湾曲した通路を明かり目指して数秒走ると、やがて前方に大きな十字路とその先にある小部屋が目に入った。
その入り口に1人の男が立ったている。
逆光のせいで顔はよく見えないが、こちらに向かって激しく両腕を振り回している。
「ユリエ────ル!!」
こちらの姿を確認した途端、男は大声で名を呼んだ。
ユリエールも左手を振り、いっそう走る速度を速める。
「シンカ────!!」
涙まじりのその声にかぶさるように、男が絶叫した。
「来ちゃだめだー!!その通路は……っ!!」
その言葉を聞いた瞬間、アスナとサキはぎょっとして走る速度を緩めた。
だが、ユリエールは聞こえていないらしく部屋に向かって一直線に駆け寄っていく。
だが、部屋の手前数メートルの地点に達すると同時に5人の走る通路と直角に交わっている道の右側には死角部分に、不意に黄色いカーソルが1つは出現した。
カゲヤたちは素早く名前を確認した。
《The Fatal scythe》───運命の鎌
固有名詞を飾る定冠詞。
ボスモンスターの証だ。
「だめーっ!!ユリエールさん、戻って!!」
アスナが絶叫する。
しかし、ユリエールは走る速度を落とさず部屋に向かって駆け寄っていく。
その間にも黄色いカーソルはすうっと左に動き、十字の交差点へ近づいてくる。
このままでは出会い頭にユリエールと衝突してしまう。
もう、あと数秒もない。
「キリト!!」
「わかってる!!」
アスナの左前方を走っていたキリトとその後方を走っていたカゲヤの姿がかき消える。
キリトとカゲヤは瞬間移動にも等しい速さで数メートルの距離を移動し、キリトは背後から右手でユリエールの体を抱きかかえると左手の剣を床石に思い切り突き立て急制動をかけ、十字路のぎりぎり手前で停止する。
カゲヤはキリトを追い越すと、右側通路から出てくるであろう敵にタイミングを合わせ神速スキル突進技《ストレイトライン》を放つ。
直後、ごおぉぉぉっと地響きを立てて巨大な黒い影が横切ると同時にカゲヤの姿もかき消える。
「カゲヤ!?」
キリトはユリエールを下ろすと床に突き刺さった剣を抜き、左の通路に飛び込んでいく。
敵は10メートルほどの距離に浮いていた。
身長2メートル半はあろうかという、ぼろぼろの黒いローブをまとった人型のシルエット。
フードの奥と袖口からのぞく腕には密度のある闇がまとわりつき蠢いていた。
カゲヤはその更に数メートルの距離に倒れていた。
すぐにキリトはカゲヤを助けに行こうとしたが、敵が振り向き暗く沈む顔の奥にある生々しい血管の浮いた眼球と目が合った瞬間、とてつもない悪寒が全身を貫き瞬時にキリトは二刀を構える。
大丈夫……レベル的にはたいしたことないはずだ……
しかし、キリトの思考はカゲヤの言葉によって打ち砕かれた。
「何故90層クラスのモンスターがここにいるんだ……」
「なっ……」
キリトは咄嗟にモンスターを見る。
「なっ……俺の識別スキルでもデータが見えない……」
右手長大な黒い鎌を携える死神めいたモンスターはゆっくりとキリトへ近づいていく。
その奥からはアスナとサキが向かってくる。
「アスナ、今すぐサキと安全エリアの3人を連れてクリスタルで脱出しろ」
「え?」
「こいつ、やばい。俺の識別スキルでもデータが見えない。多分90層クラスのモンスターだ」
アスナとサキは息を呑んで体を強張らせる。
その間にも死神はキリトたちに近づいてくる。
「俺とキリトが時間を稼ぐ!早く逃げろ!!」
カゲヤは叫ぶと死神へ突進していく。
その後ろではアスナとサキが戸惑いながらもキリトに急かされ安全エリアへ向かっていく。
カゲヤは素早く神速スキル《2倍速》を発動すると、さっきと同じ《ストレイトライン》は放ち死神の背中に撃ち込む。
ソードスキルが終わるのと同時にバックステップで死神から距離をおく。
攻撃を受けた死神は
しかし死神は数十センチ進んだ途端、急に速度を上げ、鎌を振りかぶりながら突進してくる。
10メートルの距離を一瞬で詰めた死神は、容赦なく鎌を振り下ろす。
「!!…《5倍速》!!」
カゲヤは咄嗟に神速スキル《5倍速》を発動し、ぎりぎりで避けるが鎌の切っ先がカゲヤの腕をかすめる。
それだけでHPの3割が削られた。
「くっ……速すぎる……!」
死神はカゲヤに距離をとる隙を与えず次々と鎌を振り下ろす。
「ぐ……せぁっ!!」
カゲヤは次々と迫り来る鎌をどうにか避けると力任せに剣で鎌を弾き、無理やり活路を開く。
「くそっ………タイムオーバーした」
カゲヤは《5倍速》を解くと同時に死神の横を通過し、十字路の方へと向かう。
途中で向かって来たキリトと合流し、カゲヤは死神の方へ向き直る。
「キリト、気をつけろ。そいつ速いぞ」
「どうする?カゲヤ」
「まずは時間稼ぎだ。その後は、戦いながら安全エリアまで後退するぞ」
「わかった」
「よし……行くぞ!」
カゲヤの合図と共に死神を側面から攻撃するべく、キリトは右へ、カゲヤは左へ別れ死神に近づく。
しかし、死神は滑るように後方へ下がるとカゲヤとキリトに向けて鎌を横一閃に振るう。
カゲヤは後方に跳んで避け、キリトは二刀で防ぐ。
だが、キリトは完全には防ぎきれず吹き飛ばされ数メートル奥の十字路の手前まで飛ばされる。
「キリ…!!ぐぅ……!!」
いつの間にか真横まで迫ってきていた鎌をカゲヤは体を捻り剣で鎌の軌道をずらし、なんとか避ける。
しかし、下から高速で放たれた2撃目は避けきれず、剣で防ぐがキリト同様吹き飛ばされてしまう。
キリトはHPが半分も減りカゲヤに至ってはHPが残り2割しか残っていなかった。
くそ……タイムオーバーさえしなければ……
カゲヤは自分の失態を悔やみながらも立ち上がろうとする。
だが、その時。
とことこ、と小さな足音が耳元で聞こえ視線を向けるとそこにいたのは安全エリアにいるはずのユイだった。
恐れなど微塵もない足取りで死神の方へと歩いていく。
「ばかっ!!はやく逃げろ!!」
必死に上体を起こそうとしながらキリトが叫ぶ。
死神は重々しいモーションで鎌を振りかぶる。
あれほどの範囲攻撃に巻き込まれたらユイのHPは確実に消し飛んでしまう。
「「ユイちゃん!」」
後方からアスナとサキが駆け寄ってくる。
だが、次のユイの言葉にアスナとサキは動きを止めた。
「大丈夫だよ、パパ、ママ、ねぇね」
言葉と同時にユイの体がふわりと宙に浮く。
「ユイ……まさか、お前……」
信じられないといった様子のカゲヤにユイは肯定するかのように、にこりと微笑むと2メートルほどの高さでぴたりと静止して右手をそっと宙に掲げた。
「だめっ!!逃げて!!逃げて、ユイちゃん!!」
アスナの絶叫をかき消すかのように、死神の大鎌が赤黒い光の帯を引いて容赦なくユイに振り下ろされた。
凶悪なまでに鋭い切っ先が、ユイの掌に触れる寸前鮮やかな紫色の障壁に阻まれ、轟音とともに鎌が弾き返された。
ユイの掌の前に浮かぶシステムタグをキリトたちは愕然と凝視した。
ただ1人、カゲヤだけはさも当然のようにその光景を見ていた。
【immortal Object】───不死存在
そこには確かにそう記されていた。
死神がまるで戸惑うかのように眼球をぐりぐりと動かす。
直後、ごうっ!!という響きと共に、ユイの右手を中心に紅蓮の炎が巻き起こる。
炎は一瞬広く拡散したあとすぐに凝縮し、みるみるうちに巨大な剣へと姿を変えていく。
ユイの右手に出現した巨剣は、優に彼女の身長を上回る長さを備えていた。
ユイはその自分の身の丈を超える剣を、ぶん、と一回転させ、わずかな躊躇いも見せず炎の軌道を描きながらユイは死神へと撃ちかかった。
炎の渦を身にまとったユイが轟音と共に空中を突進していく。
死神は自分より遥かに小さな少女を恐れるかのように鎌を前方に掲げ、防御の姿勢をとった。
ユイはそこに向かって真っ向から巨大な火焔剣を思い切り振り下ろした。
死神の鎌と衝突すると同時に、ごう、という爆音とともに死神の鎌が真っ二つに断ち割られ、巨剣が死神の顔の中央へと叩きつけられた。
「っ……!!」
瞬間、出現した大火球のあまりの勢いにキリトたちは思わず目を細めて腕で顔をかばった。
ユイが剣を一直線に振り下ろすと同時に火球が炸裂し、紅蓮の渦が死神の体を巻き込みながら通路の奥へと流れ込んでいった。
火炎のあまりの眩さに一瞬閉じてしまった目を開けると、そこにはもうボスの姿はなかった。
いたのは、俯いて立ち尽くすユイだけだった。
床に突き立った火焔剣が、出現した時と同じように炎を発しながら溶け崩れ、消滅した。
ようやく力の戻った体を起こし、キリトたちは剣で支えながらゆっくりと立ち上がる。
「ユイ……ちゃん……」
アスナが掠れた声で呼びかけると、少女は音もなく振り向いた。
小さな唇は微笑んでいたが、大きな漆黒の瞳にはいっぱいに涙が溜まっていた。
ユイはキリトたちを見上げたまま、静かに言った。
「パパ、ママ、ねぇね……ぜんぶ、思い出したよ……」