その日は、ショートランドジム会長鴨川にとって忘れられない日になった。
「はぁぁぁぁぁぁ!はぁ!」
長門から放たれた右ストレートは鴨川の教えた通りに腰の回転も腕の振りも、そして、角度も文句の付けようがないほど完璧なものだ。
そんな彼女が放ったそれは小さく、鋭く、そして、何より豪快さが込められたものだ。芯に響くようなパンチ、それは、吊るされたサンドバッグの中央に吸い込まれるように入ってゆく。
ズドンッ!と言う音に加えて、激しくサンドバッグが揺れ上空に舞う。その威力は類を見ないほどの衝撃でジム内に音が鳴り響いた。
サンドバッグは音を立ててしばらく左右に激しく揺られたあと、ゆっくりとその動きを止める。
長門が放ったストレートの後にはくっきりと拳の跡が残り、捻れていた。
(…な、なんという破壊力がある拳だ…!こんな拳を見るのははじめてだ…。くっきりとサンドバッグに跡が残ってやがる)
鴨川は思わずその光景を見て驚きを隠せずにいた。
その拳は…そうまるで自分が放った事のある鉄拳に近い。
鴨川は見つけたのだ。逸材を…自分の教えたボクシングを体現できるボクサー。その一人が長門だった。
「見事なストレートだ…。基本に忠実、俺が教えた通りに力が伝わる様な電光石火の様な右だ。小娘」
「…は…はい!ありがとうございます!会長!」
長門は嬉しそうに笑みを浮かべ、鴨川の賞賛を素直に喜んだ。
彼女を含め、大和達は指導者がいない中で自分達で他の艦娘の試合を見て研究し、独自で様々なトレーニングをしてきた。
例え自分達が試合ができなくても、いつか来るその時のために…。長門は鴨川のその言葉に自分達が今まで積み重ねていたものが無駄で無いという事を褒めてもらえた気持ちだったのだ。
思わず彼女の右手には力が入る。これからこの会長と共に試合が出来ると考えると心が踊った。
そして、もう一人の艦娘…。鴨川は最後にその艦娘の名前を指名し呼ぶ。
「…次は…大和、貴様だ」
「は…はい!…えっと…頑張ります!」
「それじゃ構えろ、そしてサンドバッグ目掛けて貴様の渾身を込めた一撃を俺に見せてみろ…」
「はい!大和!いきます!」
そして、最後は…浜辺で鴨川が助けられた大和。
彼女は最初にボクシングについて鴨川にこの鎮守府について話をした。自分達の事とこの鎮守府に会長がいない事。
鴨川が最初に出会った艦娘。
彼女は鴨川に言われた通りにサンドバッグの前に拳を構えてから、自分の拳を強く握りしめる。
(ん…なんだ…この娘から出る雰囲気は…)
「はあああああああああああああ!」
大和は全身の力を使い、構えを取ったまま身体を捻り、渾身の力を込めた右をサンドバッグに向けて全力発射した。
それは、例えるならば一連の動作がまるで砲撃のそれだった。
大和が付ける分厚いグローブはまるでまっすぐ伸び、空気を切り裂くような錯覚をさせる。
鴨川は彼女の身体から凄まじい程の力を感じる。これはまるで、そう、一撃で全てを無に返すに等しい、砲撃だ。
大和が放った拳がサンドバッグに叩きつけられる。しかし、その拳が直撃した直後、空気が止まった。
いや、止まったのではない。音が聞こえ無いのだ。
(…なんだ…と…音が聞こえない!…馬鹿な!)
鴨川はその大和のストレートに思わず戦慄した。
そして、その音が聞こえ無いまま、サンドバッグは激しく吹き飛び、そして、宙に舞ったサンドバッグは天井に激突し音を立てて下に落ちる。
大和が放った拳がサンドバッグに直撃してからその20秒ほど経過した時だった。
パァン!っという何かが破裂したようなものすごい炸裂音がジム内に響き渡った。
(……!まさかこいつが打った拳の音か!これは…今になってだと!)
鴨川は慌てた様に大和が放ったストレートを受けたサンドバッグをすぐさま確認する。
そのサンドバッグには穴が空いていた。しかもただの穴ではない。拳の跡がわかるようにくっきりと鮮明に残っているのだ。
そして、その鴨川の確認したサンドバッグの穴が空いた箇所からは詰め物がポロポロと落ちる。
鴨川は感じた。この拳は世界にも通用する可能性を秘めたものがあると。いや、これはまさしく天賦の才と言ってもいいだろう。
一撃必殺、試合を根底からひっくり返してしまう拳。
「…大和…お前…この拳…」
「あ…あはは…す、すいません!提督!」
大和はすぐに鴨川の言葉に反応し、頭を下げる。
だが、鴨川はそんな大和を見ながら冷静に彼女のボクサーとしての能力について深く考えていた。
(腕の振り、速度、そして破壊力は類を見ないほど卓越している。これは本当に砲撃の様な一撃打だ…)
そうまさに、言うならば砲撃。
鴨川はそのストレートがいかに破壊力があるかという事を考えた。だが、逆に言えばこの威力を放つという事はカウンターを食らえばそれだけ己に大ダメージを受けかねないという事だ。
(下手すれば相手からのカウンターで命を落としかねんぞ…自分の拳がこれだけ強力な武器となるなら逆も然りだ。まさに諸刃の剣…)
この渾身の右ストレートは試合であまり見せれない事を鴨川は感じた。もし、このストレートを研究され、タイミングを覚えさえすればそれはすなわち大和の選手生命に関わるからだ。
だが、この右ストレートがこの艦娘。大和にとっての最大の武器。
鴨川はこの右ストレートを見て、こう感じた。試合を決定する場面で彼女がこの拳を振るうに値する名前を。
第二次世界大戦中に戦艦大和に積んである最大の火力と破壊力、そして、長い射程距離の砲台ちなんで
鴨川は大和のその一撃を大和砲と名付けた。
「大和…その全力の右ストレート、あまり試合では見せるな、いいな? 使うのは試合を決める時とここぞという時だけだ。」
「? は…はい、提督!…ん?でもそれじゃ試合は…」
「別に右ストレートや左ストレートは使っても構わん、しかし、全力のストレートは避けろと言っておるのだ。その一撃、確かに化け物じみているし、まさに天賦の才に等しいが、貴様、それをカウンターでもらった時はどうするんだ?」
「…あっ…」
「そういう事だ、なにも、試合で手加減しろと言っているわけではない、それはとっておきにしておけと言っているのだ。わかったな?」
「は、はい!ありがとうございます!」
大和はその鴨川の言葉に素直に頭を下げて、お礼を述べる。
ここの鎮守府にいる艦娘が赤城という例外を除いて全てインファイター、祥鳳も長門、大和には威力は劣るものの良いものを持っていると鴨川は感じた。
サンドバッグによる各自の力量の分析はまさに成功だと言っていいだろう。
「さぁ!次はミット打ちだ!! 呼ばれたやつから来い!それ以外はサンドバッグを叩いた後、縄跳び三百飛びだ!…サンドバッグを叩く時は左ジャブのみ!いいな?」
鴨川の指示に対して各自艦娘から素直で元気良い、はい!という返事が聞こえてくる。
本格的に鴨川が率いるこのショートランドのジムと彼が指導する艦娘達が来るべき試合に向けて動き始めたのだった。