TALES OF THE ABYSS外伝ーセレニィー   作:(╹◡╹)

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75.奸計

 小鳥の鳴き声が響いてくる。テントの中、身じろぎを一つするセレニィの瞼が動き始める。

 彼女の隣にはいつの間に戻ってきたのやら、ミュウがすやすや寝息を立てて眠っている。

 

 テントの入り口切れ間からは光が射し込んでおり、時刻は既に朝になっていることが伺える。

 目覚めの時が近付いているゆえだろうか、幸せそうな寝顔を浮かべつつ涎を垂らしている。

 

 さて、セレニィ… もとい変態がどのような夢を見ているのか、一部を抜粋してみよう。

 

『セレニィ… 僕は導師失格ですね。あなたのことを想うと胸の高まりが止まりません』

『イ、イオン様…』

 

『もう、セレニィったら! イオン様だけじゃなくてあたしのこともちゃんと見てよぉ!』

『ア、アニスさん?』

 

『さぁ、セレニィ… こちらに来て僕たちと一緒に』

『ちゃーんと二人とも可愛がってくれないとぉ… お仕置きしちゃうゾ?』

 

『いいですとも!』

 

 手招きする二人のもとに飛び込もうとしたところ、クイッと背中から襟首を引っ張られる。

 思わずそちらの方を向くセレニィの視界には、先の二人に劣らぬ天使たちの姿が映った。

 

『セレニィ… アリエッタと、あそぼ?』

『アリエッタさん!』

 

『おい、セレニィ… 貴様は私のことが、す、す、好きではなかったのか?』

『もちろん大好きです! あ、でも、ヴァンさんのことは…』

 

『やっぱりホモはない』

『あ… はい』

 

『ねぇ、セレニィ。はやく、はやく… ね?』

 

 照れたような表情のままにそっぽを向くリグレットと、無垢な笑顔を浮かべるアリエッタ。

 そのまま誘蛾灯に誘われる虫のように、フラフラと二人の方に向かおうとするセレニィ。

 

『いけません、セレニィ。貴女が来るべきはこちらの方ですよ』

 

 そこに第三の方向から声をかけた。次はどんな美女だろう? あるいは美人だろうか?

 期待に胸を膨らませて、満面の笑みとともにそちらを向く。セシル将軍か、ナタリア殿下か。

 

 しかし、そこにいたのはそのどちらでもなく…

 

『はっはっはっ… いやぁ、お久し振りですねぇ。セレニィ?』

『げぇ、ドS! な、何故ここに…』

 

『そんなに喜んでいただけると光栄ですねぇ。来た甲斐がありましたよ』

 

 眼鏡を掛けたドSが、爽やかな笑顔を浮かべそこに立っていた。まさに感動の再会である。

 彼を指差しつつ、目を白黒させながら絶叫するセレニィ。脳内が混乱に塗りつぶされる。

 

『あばばばばばばばばば…』

『はい、みなさんお疲れ様でしたー。お陰さまで無事セレニィも捕まりました』

 

『はっ、そうだ! 助けて、みなさん! このままじゃドSに始末される!』

 

 たとえみっともない姿を晒すことになろうが、命の危機の前にはあれこれ言っていられない。

 残る四人に手を伸ばして必死に助けを乞う。それを無言のまま無表情で見詰めてくる四人。

 

 様子がおかしい? そんなことを考えながらセレニィが小首を傾げた時、変化は起きた。

 パリパリ… と頭頂部が割れたと思うと、それぞれの中から笑顔のジェイドが出てきたのだ。

 

『ひぎゃあああああああああ!?』

 

『はっはっはっ… 酷いですねぇ。まるでバケモノでも見たみたいに』

『はっはっはっ… 全くです。これは後で「お仕置き」ですかねぇ?』

 

『た、助けて… 誰か助けて…』

 

 大混乱の中で奇声を発して後ずさるセレニィを、笑顔のまま追い詰めていくジェイド×5。

 涙目の彼女に救いはないのか? ……いや、そんなはずはない。救いは果たされるのだ。

 

 そう。優しい… しかし揺るがぬ意志の強さを秘めた声が、セレニィの背後から響いてきた。

 

『安心して、セレニィ… 私がついているわ』

『そ、その声は…』

 

 しかしてセレニィの表情に安堵の色はない。いや、むしろ何故か分からぬが青褪める始末。

 尻餅をつきながら恐る恐る背後を振り返った彼女の前に、声の主は堂々その姿を現した。

 

『愛の使者ティア・グランツ、参上ッ!』

『やっぱりアンタかー!?』

 

『はっはっはっ… いやぁ、感動の再会ですねぇ。歳のせいか私も思わず貰い泣きですよ』

 

 キラッとポーズを決めて登場するティア。絶叫するセレニィ。目薬差しつつ囃し立てるドS。

 もはや展開は誰にも読めぬカオスの様相を呈してきている。まさに夢の夢たる所以だろう。

 

 だがセレニィにとっては紛れも無い現実だ。彼女は立ち上がると背を向けて駆け出した。

 

『くそっ、こんなところにいられるか! 私は帰らせてもらう!』

『あ、セレニィ! 夕飯までには帰ってきてくださいねぇー』

 

『誰が帰るか!』

 

 脱兎の如く、とはまさにこのことか。彼女は脇目もふらず走り続け、トップスピードに乗る。

 体力配分など考える余裕すらない。全力を尽くして距離を稼ぐのだ… 彼女は風になった。

 

 ……どれほど走っただろう。彼女は遠い地の果て、世界の壁に到達してホッと一息つく。

 後ろを振り返っても、あの二人は追ってくる気配はない。そう、彼女は見事やり遂げたのだ。

 

『よし… よしっ!』

 

 渾身のガッツポーズを決める。彼女の健脚の前には、あの二人も為す術がなかったようだ。

 上機嫌に世界の壁に落書きをしようとする。あの二人から逃げ切れたから今日は自由記念日。

 

『みゅう…』

『ん? 壁が喋ったような…』

 

『みゅう…』

『んー… なんか上の方から聞こえてくるような?』

 

『みゅうー…』

 

 いや、この声(?)は上から聞こえてくるようだ。それに誘われるように上空を見上げる。

 すると、視線のずっと先には雲突くような巨体の一体のチーグルの顔があったのである。

 

 思わず視線を下に戻していくと… 世界の壁と思っていたのは、そのチーグルの足であった。

 

『わひゃあ!?』

 

 思わず筆を取り落として、尻餅をついてしまうセレニィ。声にもならないとはこのことか。

 果たしてそれが引き金になってしまったのか、途端にチーグルの目が怪しく輝き始めた。

 

 口から階段が伸びてきてそれが地面に到達すると、口の奥からはティアが大量に湧いてきた。

 

『ミュウワープですのー!』

 

 そんな機能はいらない。あとワープは良いとして何故増えているのか。心から抗議したい。

 心中でツッコミを入れまくってたことが仇になったか、いつの間にか取り囲まれていた。

 

 もはや蟻の子一匹逃げる隙間さえない。彼女は涙目状態で震えつつ、上目遣いで口を開いた。

 

『あ、あの… ティアさん…?』

『フフッ、セレニィは可愛いわねぇ。……食べちゃいたいくらい』

 

『へっ、ティアさん… い、一体なにを…』

『………』

 

『あ、あの無言じゃよくわからないかなって…』

 

 愛想笑いを浮かべつつ対話を試みる。大丈夫、彼女だって恐らくカテゴリ上は人類のはず。

 話せばきっと分かる! そんなセレニィの思いが通じたのか、ティアも笑顔を浮かべる。

 

『ティアさん! ……ティアさん?』

『………』

 

『あの、なんで無言でにじり寄ってくるんですか? それも全員で。あの…』

 

 何故かティアは笑顔を浮かべてにじり寄ってくる。何を言っても返事がないのが不安を煽る。

 そして動けないでいるセレニィにに向かって、全員がその手を伸ばし世界は闇に覆われ…

 

「ぎゃあああああああああああああああああああっ!?」

 

「みゅっ、みゅう!? な、なんですの… なんですの!?」

「はぁ、はぁ、はぁ… 夢、ですか?」

 

 絶叫とともに目が覚める。

 荒い息を繰り返し、脳に酸素を送り込む。心臓はうるさいほどに脈打ち、血流を促している。

 

 滴り落ちる汗を拭うことも出来ないままに、セレニィはか細い声でつぶやいた。

 

「まったく… なんて悪夢ですか…」

 

 人は体調の悪い時はしばしば悪夢を見るという。

 

 

 

 ――

 

 

 

「……ぷはぁ!」

「ぷはぁですのー」

 

「ふぅ… コホッ、多少はすっきりしました」

 

 汗だくになったので広間の給水所に向かい、頭から水を浴びることでそれらを洗い落とす。

 流石に風呂とまではいかないが、ラルゴたち第一師団の活躍で洗顔するには不足がない。

 

 ミュウと二人で濡れた箇所をタオルで拭っていると、顔見知りが何人か朝の挨拶をしてくる。

 

「よっ、セレちゃん。おはよーさん!」

「あ、どもー。おはようございます… コホン!」

 

「ミュウ、今日もみゅうみゅうしてるかー?」

「みゅう? たぶんしてますのー」

 

「お、セレちゃんにミュウじゃねぇの」

「なんだって? お、ホントだ」

 

「あははー、おはよーございますですー」

 

 ワイワイと人垣が増え始める。なんだろう、この先ほどの悪夢を思い出しかねない状況は。

 とはいえ出稼ぎ労働者が多い鉱山都市。子供やらチーグルなんて珍しいのかもしれない。

 

 そんなことを考えながら、元日本人として曖昧な愛想笑いを浮かべつつ適当に対応していく。

 

「よぉセレちゃん、あんま調子良くねぇんだってな? 月並みだが一つお大事にな!」

「コホッ、どうも。……というか、そっちこそ病人ですよね? 平気ですか?」

 

「ガハハッ! いや、それがここに来てから調子よくてね。空気が良いせいかねぇ」

「オメェさんもか? まだ身体は重いけどアクゼリュスの中より断然マシだよな」

 

「いやぁ、障気蝕害(インテルナルオーガン)は完治が不可能だなんて聞くから半分諦めてたのになぁ」

「へー… なによりですよ(こっちなんて、来てからこっちずっと体調悪いってのに…)」

 

「きっとセレちゃんはじめ、六神将のみなさんが助けてくださったおかげだよな!」

「いやいや、私はなんもしてませんよー。でも体調良くなって良かったですね、本当に」

 

「はぁ… これだもんな。ここにいる誰もがセレちゃんにゃ感謝してるってのによぉ」

 

 なんか呆れたように溜息をつかれている。一つが溜息を付けば全員が同調して頷き始める。

 いやはや、アクゼリュスの人たちも元気になったものだ。……もはや若干ウザいほどに。

 

 こちらの方こそ呆れたいものだ。内心で愚痴を漏らしているセレニィに更に声がかけられる。

 

「今日は食事処に来てくれるのかい? やっぱ看板娘がいないと、どうも辛気臭くてな」

「ハハッワロス。あの絶世の美女、リグレットさんで満足できないとはなんと贅沢な」

 

「いや、リグレットの姐さんも美人なんだが… こう、セレちゃんには温かみっていうかね」

「あー、わかるわかる。いつもマスクしてっけど、明るくて笑顔なイメージあるよなー?」

 

「ゴホゴホッ! あははー… どうなんですかねー?(ねぇよ、ンなもん)」

 

 あるのは腹の中まで真っ黒な、吐き気をもよおす邪悪たる小市民だけだ。誤解も甚だしい。

 障気蝕害(インテルナルオーガン)は、脳までイカれてしまうのだろうか? セレニィは、若干本気で信じ始めている。

 

 障気蝕害(インテルナルオーガン)とは障気を吸い続けることで臓器に障気が蓄積し、発症する致死性の高い病気だ。

 あらゆる苦しみを与えたのち全ての臓器の活動を停止させてしまうらしい。絶対罹りたくない。

 

 そういった意味では目の前の鉱夫連中にほんのり同情してしまう。もう少し優しくしよう。

 そんなことを考えているセレニィの内心など知る由もなく、彼らは更に口を開いてきた。

 

「まぁ、リグレットの姐さんは洒落が通じねぇからなぁ… 別嬪さんなんだけどなぁ」

「まったくだ。ちょいと尻を触ろうとしただけで譜銃を眉間に…」

 

「おい、今なんつった?」

 

 絶対零度の声が小さい身体から発せられる。

 修羅の誕生に気付かず男たちはなおも軽口を叩こうとしながら振り返り、ギョッとする。

 

「いやだから、ちょいと尻を触ろうと… ど、どしたいセレちゃん。怖い顔して?」

「そ、そうだぜ? 可愛らしい顔が台無しじゃないの… ほら、笑って笑って」

 

「そこへ直れ! リグレットさんに手を出す不埒者は一人残らず去勢してくれるわー!」

 

 もう少し優しくしようと思ったはずだって? 物事には限度というモノが存在するのです。

 リグレットさんに手を出そうとしたのは極刑に値する。裁判は不要。死刑執行の時間だ。

 

 心友ディストに貰った棒を構えて振り回せば、鉱夫たちは蜘蛛の子を散らすように逃亡する。

 

「ちっ、逃げ足の早い… アイツら本当に病人ですか。ゴホッ!」

「でも元気になってくれて、ボクは嬉しいですのー」

 

「まぁ… そうといえなくもなくはないのかもしれませんけどねー…」

「みゅう! やっぱりセレニィさんは優しいですのー!」

 

「……はいはい。しかし、なんか増えましたねー。顔見知り」

 

 戯れ言をほざくミュウを適当にいなしつつ、棒をもとの長さに戻しベルトバッグに仕舞う。

 

 なんだかんだここに来てからそれなりに時間も経過したこともあり、知り合いは増えた。

 ましてや人と触れ合う機会の多い食事配給テント担当… いわゆる炊き出し班が役割なのだ。

 

 避難所を行き交う人々をなんとなしに眺め続ける。そのほとんどが顔くらいは知っている。

 ふとそこに見慣れぬ一団が混じっていることに気付く。はて? 教団の人々のようだが。

 

 教団の人々ならば仕事仲間だ。大体は見たことがある人々のはずだが、彼らは見覚えがない。

 

「ミュウさん、あの人たち知ってますか?」

「みゅ? ……知らないですのー」

 

「誰なんでしょうか。教団の方ではあるようですが…」

「どうしたのさ?」

 

「わひゃんっ! っと、シンクさんですか」

 

 小首を傾げながらつぶやくセレニィの背後から、声を掛けてくる者がいた。シンクである。

 全く気配を感じなかったセレニィが鈍いのか、シンクが手練なのか判断に迷うところだ。

 

 シンクはそのままセレニィの隣に立ちその視線の先を目で追うと、納得したのか一つ頷いた。

 

「あぁ、あれが昨晩言ってた教団からの応援だよ」

「なるほど、あれが… ところでおはようございます、シンクさん」

 

「……一応調べたけど、物資にもおかしいところはなかった。今は手伝いに回してるよ」

「そうなんですか、手際いいですね。ところでおはようございます、シンクさん」

 

「………」

「………」

 

 二人が睨み合う。ミュウが「なんで睨み合うですのー?」とオロオロした表情を浮かべる。

 ややあってセレニィが満面の笑みを浮かべつつ口を開いた。

 

「ぷぎゃー! 朝の挨拶一つ出来ない六神将がここにいますよー!」

「……へぇ、雑魚の分際で僕に喧嘩を売るとはいい度胸だね?」

 

「おやおや… 口で勝てないから暴力ですかー。まぁ、いいんですけどねー?」

「くっ、コイツ本当にウザい…」

 

「はーっはっはっはっ! ゲホゴホガハッ!?」

「セ、セレニィさんしっかりですのー!」

 

「くっ… 悪の仮面野郎を倒したモノの満身創痍。……短い栄華でした」

 

 ガックリと項垂れるセレニィと、それを支えようとするミュウ。身体を張った三文芝居だ。

 その騒ぎが伝わったのか、相手の方から注目されて声がかけられた。

 

「やぁ、どうもシンクさん。昨晩はお世話になりました。……そちらの方は?」

「……別に感謝を言うほどのことじゃないよ。こっちはセレニィって雑魚さ」

 

「おい、この仮面野郎」

「ほほう、貴女が…」

 

「……? えぇ、まぁ。あの、私になにか」

 

 一瞬強い視線に晒されて思わずビクリと身体が震えているが、視線を向ければ笑顔のまま。

 先ほどのプレッシャーも雲散霧消しており、気のせいかとセレニィの方が首を傾げる始末だ。

 

 一方、相手の方は笑みを浮かべたまま「いえいえ、昨晩話に出たもので」と理由を述べる。

 シンクに視線をやれば首肯を以って返される。だったらおかしいことはないかと、納得する。

 

 いや、昨晩の違和感についてもう少し考えるべきではないだろうか? そう考え口を開く。

 

「あの、あなたは…」

「あ、セレニィ! おはよう!」

 

「っと、アリエッタさん。おはようございます」

「フフ… では私はこれで失礼します。頑張りましょう… お互いに」

 

「あ、はい」

 

 そう言い残すと、彼は待たせていた一団の中へと戻っていった。その時、一陣の風が吹く。

 そしてセレニィの鼻孔に、ほんの微かに『知っている匂い』を運んでくる。

 

「(ん? これは、イオン様の…)」

「どうしたのセレニィ… ボーっとして。……まだ、しんどい?」

 

「あ、いえいえ! そんなことは。アリエッタさんの笑顔を貰えれば元気百倍ですよー」

「ホントに? だったらアリエッタ、セレニィのために笑うね? ……えへへ!」

 

「アリエッタさんが天使すぎて辛い(アリエッタさんが天使すぎて辛い)」

「なに口走ってるのさ。……頭、大丈夫?」

 

「にゃ、にゃにおう! どうやらあなたはこの私に泣かされたいようですね、シンクさん!」

「上等だよ。軽く揉んであげようか」

 

「もう、二人とも喧嘩はめっ! だよ」

 

 アリエッタやシンクとじゃれながら、なんとか気分を切り替えようとするセレニィ。

 しかし後ろ髪を引かれるような思いで、さっきの一団の方を振り返る。……どうも気になる。

 

 それを目聡く見つけたシンクが声をかけてくる。

 

「どうしたのさ。まだなにか心配ごとでもあるの?」

「あ、いえいえ。特にそういうわけでは…」

 

「そう? ……なら良いんだけどね」

「(……よく考えてみればシンクさんの匂いだったかも。今は風邪で鼻の調子も悪いし)」

 

「セレニィ、なにか心配ごと? お姉ちゃん、相談に乗るですよ!」

 

 お姉さんぶって胸を張るアリエッタに心から悶えつつ、今度こそ頭を切り替えるセレニィ。

 内心など微塵も感じさせずに笑顔を浮かべて、彼女はアリエッタに対して言葉を紡いだ。

 

「あはは、ありがとうございます。……そういえばアリエッタさんはなにかご用でも?」

「あ! んっとね… お手紙渡すお仕事終わったから、次、どうすればいいかなって」

 

「おおー、流石ですね! 素晴らしいですよ、アリエッタさん。相手の反応はどうでした?」

「んっとねんっとね… 『自国の民だしセレニィには借りがあるから引き受ける』って」

 

「借り? そんなものありましたっけね。あの会議じゃ大して役に立ちませんでしたし…」

「でもね、『文書は残せないから』ってお返事のお手紙はもらえなかったの… ごめんね?」

 

「なるほどなるほどー… いえいえ、充分です。受け入れを引き出せただけで上出来です」

 

 満足気に頷くセレニィ。なんか自分に借りがあるという言葉が不穏だが、どういう意味か。

 ひょっとしてアレなのか? 「貴様、六神将についたな。死ねぇ!」されるのだろうか?

 

 討伐されてしまう自分の未来予想図に打ち震える。この問題は、考えないことにしておこう。

 さて、次の方策か。アリエッタさんにお願いすることは… 喉元を抑えつつ再度口を開く。

 

「でしたら周辺の… 特にカイツール方面への偵察をお願いできますか?」

「んっと… 南西、だよね? どうして?」

 

「多分そろそろ親善大使一行… ルークさんたちがこちらに近付いているはずです」

「わぁ、ルークたちも来るんだ! イオン様も一緒かなぁ?」

 

「恐らくは。そこに接触して、事前にある程度の事情を説明しておいて欲しいんです」

「ん… セントビナーの時と同じ、だよね?」

 

「はい、そうなりますね。っと、いけないいけない」

 

 ついつい自分一人で突っ走ってしまった。風邪だとやはり判断力が低下するものだ。

 越権行為をするわけにはいかない。飽くまで指揮官はリグレットさんなのだ。

 

 そう思い至りつつ、自分を戒める意味も込めてアリエッタにそのことについて釘を刺す。

 

「一応リグレットさんに相談して、『いいよ』って言われてからにしてくださいね?」

「リグレットに聞いたら、『セレニィに聞いてその通りにしろ』って言われたです」

 

「なん、だと… ゲホゴホガハッ! あ、危ない… 思わず発作が…」

「だ、大丈夫? セレニィ」

 

「あ、はい。えーと… じゃあ、お願いできます? あ、でも危なかったら逃げて下さいね」

 

 そう言うとアリエッタは「大丈夫。アリエッタ、がんばるモン!」と笑顔で大きく頷いた。

 あまりの天使ぶりに魂が抜けそうになり、反応できないまま黙ってアリエッタを見送る。

 

 かくして不調の身体を抱えたまま、セレニィは作戦立案もどきをこなしつつ労働に精を出す。

 そして瞬く間に数日が経過して、いよいよ『運命の日』がやってくるのであった。

 

 

 

 ――

 

 

 

「いよいよ今日到着ですね… 親善大使一行」

「仲間だったんでしょ? その割りには浮かない顔してるじゃない」

 

「これからのことを思うと胃が痛くて…」

 

 この日を思うと緊張して眠れなかった。……お陰で胃薬の錠剤は全て使い切ってしまった。

 ディストは既に帰還済みだ。セントビナーでの避難民受け入れも問題なく進んだそうだ。

 

 アリエッタは親善大使一行と接触には成功したが、どうやら歓迎の空気ではなかったようだ。

 ……それはそうだろう。両国で指名手配中のテロリスト集団に、手柄を横取りされたのだ。

 

 軍が主体となっている以上、いや、例えそうでなくても面白くない事態と言えるだろう。

 更にセレニィにとって辛いことに、相手は話し合いの場に彼女を名指しで指名してきたのだ。

 

 暗に「来なかったら… 分かってるんだろうな?」と言われてるも同然だ。胃が痛いです。

 

「はーっはっはっはっ! ジェイドめ、手柄は根こそぎもらいましたよ!」

「フッ… だが連中も来たのだ。助けられる人数も速度も増えるだろう」

 

「チッ、ちんたらと手緩い真似をしやがったら承知しねぇぞ!」

「大丈夫! イオン様もいるし、きっとみんな助けてくれるモン!」

 

「やれやれ… しかし、なんだな。浮足立った空気が全軍に伝播しているな」

「それは仕方ないんじゃない? 何度も刃を交わしてきた相手だ。緊張はするさ」

 

 にもかかわらず、何故か六神将のみなさんは自信満々である。その度胸を分けて欲しい。

 小市民は胃をキリキリと痛め付けられながら縋るものがないか周囲を見渡し、ふと気付いた。

 

「あれ… そういえば応援に来てくださった例の一団、姿が見えませんね?」

「ですのー?」

 

「この騒ぎだからな… どこかに紛れてしまっても分からないかもな」

「そう、ですか…(なんだろう… すごく嫌な予感がする。外れて欲しいけれど)」

 

「それよりセレニィ、その仕事ぶりを期待しているぞ。おまえに全てを預けた!」

 

 ラルゴに強く肩を叩かれて大きくよろめく。彼なりの親愛の証だろうが身体に響いてくる。

 確かに彼の言うとおりだ。今は頭を切り替え、親善大使一行との会談に集中しなければ。

 

 大きく深呼吸して心を落ち着けようとしたところで、ディストがいつもの高笑いをはじめる。

 

「はーっはっはっはっ! ジェイドめ、亀の如く遅い足取りでやっとご到着ですか!」

「はいはい。全くディストさんは本当にジェイドさんが好きで…ッ!」

 

 その時、『何か』がつながった気がした。ブワッと全身の毛穴から汗が噴き出る。

 鼓動が早鐘を打ち鳴らしている。呼吸すらままならない。

 

 手放しそうになる意識を掴み取ったまま、震える声でディストに問い掛ける。

 

「ディストさん… 今、なんて言いましたか?」

「へ? 『やっとご到着ですか』と…」

 

「違う! その前!」

「……『亀の如く遅い足取りで』」

 

「そう… そうだ。遅すぎるんだ。いや、『親善大使一行が遅い』んじゃない」

 

 ダアトに手紙を出して、何日後に応援は到着した? 海を隔てたパダミヤ大陸のダアトに。

 明らかに『早すぎる』のだ。『親善大使一行が遅い』のではなく、『応援が早い』のだ。

 

 こちらの手を予測して、予め仕込みを入れられる程の人間。……くそっ、一体誰なんだ!?

 まさにその時、過日のハイマンとアッシュのやり取りがセレニィの脳にリフレインした。

 

『ん? なんだテメェか… いや、この屑が何もしねぇで坑道の中に突っ立っていやがってな』

 

『何もしないとは心外です! 自分はモース様の命令で第七譜石探索に関わる任務が…』

『るせぇ! たかが石っころのために、アクゼリュスの人間見捨ててるってこったろうが!』

 

 呆然とした口調でセレニィはつぶやく。

 

「……モース」

 

 二千年以上続く世界唯一の宗教組織内の権力闘争を制し、実質上の最高権力者に登り詰めた男。

 伝統を誇るキムラスカ王国の内部に入り込み、傀儡国家に仕立てる寸前にまで持って行った男。

 

 やばい、やばい、やばい… 他の誰かならまだしもアレに限って無害な仕込みとは思えない。

 浮足立った部隊全体の空気に乗じて姿を消したことすら、モースのシナリオ通りに思えてくる。

 

 いや、今からでも急いで探しに行けば…

 

「親善大使一行、ご到着です!」

 

 神託の盾(オラクル)兵の言葉があたりに響き渡る。それはタイムアップを告げる無情の鐘の音であった。

 

 駄目だ、もう探しに行けない。親善大使一行を待たせるわけにはいかない。

 ならば事情を話して協力を呼びかける? 駄目だ、信用させる材料がない。

 

 六神将に事情を話して神託の盾(オラクル)騎士団総出で探し出すか?

 駄目だ、今は彼らを持ち場から外せない。防御に専念しつつ武威を見せられるこの布陣からは。

 

 外せば「まずは捕らえてから話を聞こう」という方針にすらなりかねない。自分ならする。

 そうなれば交渉の末、六神将のうち何人かは処刑される可能性が高い。それでは駄目なのだ。

 

 抑止力としての武力は、外交の場においてその背を押すために極めて有効に作用する。

 ただでさえ三文役者なのだ。彼らの力なくして、逆境のままで勝利をもぎ取れる気がしない。

 

 絶望、絶望、絶望… 駄目だ。どうあがいても手が足りない。

 掻き毟れどもこの少々足りない頭には名案は湧いてこない。

 

 そこに先ほどのつぶやきを唯一拾っていたシンクが、声を潜めて尋ねてくる。

 

「どうしたのさ、セレニィ」

「実は、いなくなった一団がヤバいかもしれないんです… ん? 今、名前」

 

「どうヤバいの?」

「あ、はい。実は…」

 

 セレニィは半泣き… いや、全泣き状態でポツポツと説明をはじめる。

 根拠すらないのだ。妄想と片付けられて終わりだろう。ぶっちゃけその可能性も高い。

 

「………」

「あはは… すみません、こんなざまで。なんとか気分持ち直して、会談に臨みますんで」

 

「いいよ。僕が探してくる」

「……へ?」

 

「連中を探しだして捕まえればいいんだろう? だったら僕がやってやるって言ってるのさ」

「で、でも…!」

 

「お互い、時間はないよ。何をモタモタしてるのさ」

「……なんで、あっさり信じるんですか」

 

「………」

 

 お互いに沈黙が流れる。ややあってシンクが口を開く。

 

「さて、ね。知らないよ、馬鹿」

「理不尽過ぎる罵倒であった」

 

「……僕一人なら抜けても然程の穴はない。それに、僕はトラブル担当なんでしょ?」

「まぁ、そうですね…」

 

「しっかり頼むよ。……交渉担当」

 

 その頭を小突くと、シンクは身を翻して駆け出していった。

 それをしばし呆然と見送るセレニィ。

 

 そこにリグレットが近付いてきて、その頭を撫でつつそっと耳元で囁いた。

 

「………。今はシンクに任せるぞ」

「リグレットさん、聞こえて」

 

「語るべきは今じゃない。……おまえはおまえの戦いをしろ、セレニィ」

「………」

 

「どんな結果になってもおまえを恨まん。だから、思う存分やれ」

 

 そう言って、リグレットは微笑んだ。

 その笑顔に…

 

「……はい!」

 

 小市民は震えが止まった。

 

「(怖い怖い怖い… 自分が失敗したら? シンクさんが失敗したら?)」

 

 などということはない。

 

「(考えるだけで胃が痛い… そもそも思い込みで勝てるなら苦労しねーっす…)」

 

 彼女は何処までいっても小物にすぎない。勇気や覚醒などとは無縁の存在である。

 しかし、それでも…

 

「(でも、ま… やるしかないか。これしかないんだから、しょうがない)」

 

 萌えのために身体を張れる程度には、親切にしてくれた人を見捨てられない程度には俗物だ。

 だから恐怖に身体を震わせて、最悪の未来予想図に怯えて涙を浮かべて。

 

「ケホッ! よし… いきますか!」

 

 それでも… 目だけは真っ直ぐと前を見て、会談の場へと向かうのであった。

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