前編
アガニョーク学院高校の学園艦はプラウダ高校のそれを、いくらかスケールダウンさせた形状だった。生徒たちは制服の代わりにロシアの民族衣装・サラファンの着用が許されており、同じロシア系学校であるプラウダと比べ牧歌的な雰囲気が漂っている。
しかし戦車道部では妥協なき訓練が行われていた。昨年度の全国大会でプラウダ高校が黒森峰女学園を破って優勝して以来、士気が高まっているのだ。特に得意の夜間戦闘の訓練には余念がない。
だが今日はいつもと様子が違っていた。夜ではなく昼休みに、部員に招集がかけられたのだ。
「全員揃ったな」
会議室に着席した部員たちを前に、隊長・ターニャが確認した。ショートヘアの利発そうな風貌の少女で、黒を基調としたサラファンがよく似合っている。普段から冷静で、尚且つ仲間たちへの気遣いも怠らない彼女はメンバーからの信頼も厚い。だが今回、その表情には僅かな戸惑いが見られた。
昼食の最中にいきなり非常呼集をかけられた部員たちは整然とパイプ椅子に座り、隊長の言葉を待っている。その全員が二年生と一年生で、ターニャのみが三年生である。
「昼休みに呼び出してすまないが、緊急事態だ。知っての通り一週間前から、副隊長たち三年生十二名がプラウダ高校へ出向き、訓練を受けているわけだが……」
前列に座る少女たちは、隊長のこめかみがピクピクと震えていることに気づいた。後方にいるメンバーたちも彼女から放たれる怒気を何となく察していた。只事ではないと分かり、全員に緊張が走る。
ターニャは拳を握りしめ、要件を告げた。
「プラウダ高校が彼女たち、及びその戦車を抑留すると言ってきた!」
その言葉に、会議室がどよめいた。
「抑留って、監禁!?」
「どういうことですか!?」
「副隊長たちが一体何を……?」
隊員たちが騒ぎ出し、中には席から立ち上がる少女もいた。だがターニャが手をかざし「静粛に!」と叫ぶと、すぐに静まりかえる。
非常事態に違いなかった。アガニョーク学院高校はプラウダ高校と縁が深く、生徒が訪問することもよくあった。特に戦車道に関しては強豪校たるプラウダから指導を受けており、隊員を訓練目的で派遣することもある。今回も新戦力として入手した対戦車自走砲・SU-85の完熟訓練のため、より設備の整ったプラウダへ乗員と車両を送っていたのだ。それが今日には帰ってくるはずだった。
次の言葉を待つ仲間たちを見つめ、ターニャは続ける。
「ややこしい話になるが……たまたま黒森峰の雑用係……『ハイター』とかいう奴が、プラウダへ訪問していたらしい。そいつがスパイ疑惑をかけられて拘束されたが、脱走した。同志たちはその脱走を助けた疑いをかけられたとか……」
「濡れ衣だ!」
隊員の一人が立ち上がりつつ叫んだ。戦車道は試合前の偵察・スパイ行為が認められている。場合によっては複数の学校が、利害の一致から協力して情報収集を行うことも有り得なくはない。だが友好関係にあるプラウダに対し、アガニョークが背信行為を行うはずもなかった。
ターニャは頷きつつ頭を掻いた。
「先ほど、カチューシャさんと電話で交渉したんだが……あの人、話にならん」
今年度のプラウダ高校の隊長は“地吹雪”のカチューシャと呼ばれる少女だ。小さな暴君との異名もあるが、決して悪い人間ではないし、戦術家としても優れている。昨年度のプラウダ高校の優勝も、決勝戦で敵フラッグ車の通るルートを彼女が見抜いたため、勝利を得られたのだ。ただし欠点としては、一度頭に血が上ると上りっぱなしになるということが挙げられる。
それをよく知っているアガニョークの隊員たちは、ターニャの「話にならん」という言葉で、カチューシャがどのような状態なのか察しがついた。
「あの、ノンナさんは?」
一年生の隊員が挙手しつつ、おずおずと尋ねた。プラウダの副隊長であり、高校戦車道有数の砲手とされる“ブリザード”のノンナ。冷静沈着で、常にカチューシャに付き従う右腕的存在である。アガニョークにも彼女を尊敬している生徒は多い。
「うん、ノンナさんと話ができればいいんだが、今諸用で校外にいるらしい。帰ってくるのは五日後とのことだ」
「……それでカチューシャさん、機嫌悪いのね」
前列に座るサイドテールの女子が、呆れたような口調で呟いた。
「とにかくプラウダとの交渉は続けるが、その前に問題がある」
「明日の練習試合ですね」
仲間から返ってきた言葉に、ターニャは頷いた。彼女たちは他校との練習試合を控えているのだ。そこで新戦力であるSU-85を投入するはずだったのが、思わぬスパイ疑惑で不可能となってしまった。戦車はまだしも、乗員を抑留されたのは大きな痛手である。規模の小さいアガニョークでは、強豪校のように豊富な交代要員を持っているわけではないのだ。
「相手はマジノ女学院。戦績はどうあれ、全国大会の常連校だ」
「しかも場所は相手側の演習場」
先ほどのサイドテール少女が言う。マジノ女学院はフランス系の名門校で、戦車もフランス製を用い、巧みな防御戦術を得意とする。ターニャがさり気なく言ったように全国大会の戦績は芳しくないが、自分たちの庭となれば地の利を存分に活かしてくるだろう。SU-85が参加できない以上、アガニョークの戦力はBT-7快速戦車が三両、M3中戦車が四両の計七両。十対十のフラッグ戦を申し込んだため、数の上でも不利になる。
アガニョークに有利な要素は、試合時間が夜ということだけだ。
「そうだ。せめて数は互角にしたい。T-26を使うしかない」
T-26軽戦車はソ連の軽戦車で、スペイン内戦では大いに活躍した。だが独ソ開戦時にはすでに力不足であり、ドイツ軍の前に大損害を被っている。アガニョークはプラウダから供与された四両を保有しているが、SU-85導入に伴って二線級に格下げされた。とはいえそのSU-85が使えない以上、再び戦列に加えるしかない。
「ですが同志隊長、乗員がいません。一両分が限界です」
後ろの方に座っていた二年生が発言する。アガニョークにも少数ながら整備要員がおり、内三名は乗員としても優秀だ。丁度、T-26一両分の乗員数である。
しかしターニャには考えがあるようだった。
「同志カリンカ、T-26の例の改造だが……使えるか?」
全員の視線が、サイドテールの二年生に集中した。ターニャが目をかけている後輩の一人で、アガニョークの参謀格だ。珍しい物好きの彼女が、T-26にとある改造を施していたことは皆が知っている。だがそれはT-26が二線級に下げられたのに伴い、訓練に使うために行ったものだ。実戦での使用は想定していないはずだった。
カリンカはすっと起立し、堂々と答えた。
「テストは済みました。あまり起伏の激しい地形へは入れませんが、基本的な走行性能は問題ありません。火炎放射器を積んでいるわけではないし、ルール上の問題もないはずです」
「実戦に耐えうると判断するか?」
「強行偵察と煙幕展開くらいには使えます。無いよりはマシです」
毅然と答える彼女に、ターニャは「よし」と呟いた。不安はまだあるが、決心は固まった……そんな声だった。
「ではカリンカ、君はT-26一号車に乗って、指揮を執ってほしい」
「ダー」
ロシア語で肯定の意を伝え、カリンカは着席する。彼女は普段BT-7の車長を勤めているが、最近愛車が不調気味だった。それを考慮しての判断でもあろう。
「二号車の乗員は整備班から抽出。そして三号、四号車は……無人で運用する」
……その後、ターニャはプラウダ高校と粘り強く交渉を続けた。しかしただでさえ副官不在でイラついている小さな暴君は、黒森峰の使者に脱走されたことに怒り心頭だった。要求を幾度も突っぱねられたターニャは方針を変え、そもそもの原因とも言える黒森峰に電話をかけた。高校戦車道界きっての強豪として知られる黒森峰女学園は、アガニョークと特に交流はない。だがターニャが懇切丁寧かつ強気に頼んだ結果、責任の一端が自分たちにもあることを認め、協力を約束してくれた。
それでも、副隊長たちの解放は練習試合に間に合わなかった。火力面の主力と成りうるSU-85がないまま、アガニョーク戦車隊はマジノ女学院へ赴くこととなった……
マジノ女学院は古くから名門校として知られている。宮殿風の華やかな校舎が有名だが、海外提携先がフランスで本拠地が山梨なだけに、そこから少し離れれば広大なブドウ園が広がっていた。そこからさらに先へ行けば見渡す限りの荒野、戦車道の演習場である。
時刻は十九時三十分、照明と言える物は月明かりくらいだ。アガニョーク学院高校は小規模チームながら夜戦においては優れた戦績を持っており、一部では“夜の魔女”と恐れられている。完全なアウェーである今回、時間が夜ということだけが唯一有利な点だ。
「副隊長代理、首尾はどうですか?」
声をかけられ、カリンカはT-26の砲塔から顔を出した。問いかけてきたのは前髪の長い、カリンカと同級生の少女だ。ロシア語で燕を意味する「ラーストチュカ」の名で呼ばれ、部内で屈指の腕を持つ戦車長である。今回もフラッグ車車長の大役を任されていた。
「……私はあんたを代理に推したんだけどね、ラーストチュカ」
カリンカは無表情でそう返した。前髪のため表情は伺いづらいが、ラーストチュカの口元に微笑が浮かぶ。
「同じ戦車で一騎打ちをすれば、私はあなたに勝つでしょう。しかし部隊を率いて勝負したなら、きっと敵いません」
「ふうん……」
あまり興味なさそうに、カリンカはハッチから出て砲塔に腰掛ける。彼女が戦車道を始めたのは高校に入ってからで、キャリアは一年程度だ。それに対し、ラーストチュカは小学生の頃から戦車道に親しんでおり、小規模ながらも名高い池田流を学んでいた。アガニョークはプラウダ高校から指導を受けたロシア戦車道・トゥハチェフスキー流を規範としているが、ラーストチュカの知識はその弱点を克服するのに大いに役に立っている。池田流の訓練はトゥハチェフスキー流を仮想敵としているからだ。
そして今までの試合で、最も多く敵フラッグ車を撃破しているのもラーストチュカである。そのような功績を持つ彼女を差し置いて、カリンカが今回副隊長代理に任命された。決してラーストチュカの作戦指揮が下手なわけではない。カリンカの人柄によるところが大きいのだが、本人はそれを自覚していなかった。
「操縦系のチェックは終わり。隊長と話し合ったけど、敵の防御陣地手前辺りまで……」
言いかけて、カリンカはふと前方を見た。エンジン音と共に前照灯の光が接近してくるのに気づいたのだ。戦車とは違う音である。眼を凝らすとオリーブ色の乗用車だと分かった。さらに近づいてくると、曲線の前輪カウルを持つ古風なシルエットが見えた。
シトロエン11CV。世界で最も早い時期に、前輪駆動とモノコック構造を採用した名車である。官民問わず使われ、フランス占領後はドイツ軍のスタッフカーとしても使用された。
闇夜にエンジン音を響かせながら、やがてその11CVはアガニョーク戦車隊の前で停車する。助手席のドアが開き、降りてきたのは制服姿の少女だった。着ているのは通常のマジノ女学院の制服ではない、戦車乗員用の物である。アガニョークもBT-7のライトをつけると、彼女の襟に「青のスペード」のワッペンが貼られているのが見えた。それがマジノ戦車隊の司令官の証であると、カリンカは知っていた。
「マドレーヌさんのお出ましね」
参謀格である彼女は対戦相手への情報収集も怠ってはいない。通称「マドレーヌ」と呼ばれるその隊長のことも調べてある。
戦車乗員の制服は似合っているが、その佇まいは戦車乗りというより古風な騎士や貴族のようであった。金髪をツインテールに結い、背筋を正し、口元には微笑が浮かぶ。歩き方にも何処か気品が漂っていた。車のライトに照らされているのだが、彼女自身が光を放っているようにさえ見える。
「やはり、ブルジョアは違いますね」
ラーストチュカがカリンカを見上げ、感想を述べる。カリンカはフンと鼻を鳴らした。
「おフランス風のお嬢様学校と言っても、本拠地は山梨県でしょ。根っこは私たちと同レベルの田舎者、仲良くなれるわ」
「ふふ……確かに」
そのやりとりに、T-26の中にいた砲手と操縦手もくすりと笑った。共産主義思想の影響か、アガニョークの生徒は田舎者であることをむしろ誇りにする傾向がある。だがそこで雑談を切り上げ、戦車から降りた。
隊員の中からターニャが進み出て、マドレーヌを出迎えた。彼女はサラファンを着ていれば可憐なものの、濃緑色の制服姿だと野暮ったさと無骨さが出る。だが隊長としての風格は負けていなかった。凛として姿勢を正し、相手と向き合う。
「初めまして。マジノ女学院隊長、マドレーヌと申します」
「アガニョーク学院高校隊長、ターニャです。今回はよろしくお願いいたします」
「こちらこそ。練習試合、お受け頂いて光栄ですわ」
あくまでも上品に言葉を交わし、マドレーヌはアガニョークの戦車群を一瞥した。目を留めたのはM3中戦車である。フランス戦車で統一されているマジノの隊長としては、ロシア戦車の中にアメリカ製が混ざっているのが気になったのだろう。チームとしての主義の他、整備上の都合からも同じ国で作られた戦車を揃えるのが望ましい。強豪校は大抵、ある程度同じ国の戦車でチームを編成しており、例外はフィンランド系の継続高校や、成り立ちが特殊なBC自由高校くらいのものだ。
「貴女たちは確か、プラウダと良いお友達だとか」
「いえ、友達ではありません」
ターニャは即答した。
「姉妹のようなものです」
「まあ」
毅然とした答えにマドレーヌは微笑んだ。彼女は抑留騒動を知らないため、言葉を額面通りに受け取っただろう。だがカリンカたちアガニョーク側のメンバーは、それがプラウダへの皮肉だと気付いていた。友達は選べるが、姉妹は選べないのだ。
「プラウダから指導を受けたと聞きますが、アメリカ製もお使いになるのですわね」
「手に入りやすかったので」
「乗員と戦車の数が、会っていないようにも見えますけれど?」
隊員の頭数をざっと数え、車両の乗員数に満たないことを見抜いたようだ。ターニャはにこやかな笑みを浮かべて応じる。
「足りないところは工夫で補っております。我らアガニョークの得意技です」
「なるほど。では“夜の魔女”のお手並み……拝見させていただきますわ」
優雅さと挑戦的な態度を併せ持った、妖艶な笑みだった。ツインテールを靡かせ、さっと踵を返してシトロエンに乗り込む。副官がエンジンをかけた。
車内から再び微笑みを向けてくるマドレーヌを、ターニャは敬礼で見送った。アガニョークでは握り拳で敬礼をすることになっている。スペイン内戦時の国際旅団などを模した、共産式と呼ばれる敬礼だ。
土煙を上げて走り去る後ろ姿を見送り、ターニャは敬礼の姿勢を解く。そして仲間たちへと向き直り、高らかに告げた。
「同志諸君、準備を急げ!」
*文中で山梨を田舎呼ばわりしたことにお叱りの声もあるかもしれませんが、私自身が山梨県民であり、田舎の山梨を愛していることをここに明記しておきます。