喪失の日
学園艦は校風によって様々な設計がされており、草原や荒野などの自然を再現した区域も存在する。虹蛇女子学園に至っては小型の学園艦にも関わらず、それらが七割を占めていた。オーストラリアを海外提携先としており、同国の大地を再現した設計なのだ。カンガルーやエミューなどの動物を飼育している区画もあり、観光に訪れる他校の生徒も多くいる。絶滅したはずのフクロオオカミを目撃したという生徒もいるが、真偽は定かでない。
それらから離れたエリアでは、鉄の獣が土煙を上げて荒野を駆けていた。丸みを帯びた装甲が特徴の、センチネル巡行戦車ACIIIだ。オーストラリア製のこの戦車は25ポンド榴弾砲を搭載し、成形炸薬弾があれば対戦車戦闘にも使える。オリジナルの生産数は少なく、2ポンド・6ポンド砲装備のACIから改造した車両も戦車道には多かった。センチネル(番兵)の名の通り日本軍の南下に備えて開発されたが、イギリスから輸入した戦車と比べて信頼製に劣り、実戦投入はされていない。今となっては戦車道だけが唯一の活躍の場である。
同じオーストラリア系のコアラの森学園に触発され、虹蛇もまた近年戦車道に参入した。車両数は豆戦車を入れて十三両、全国大会に出場するような強豪校とは物量差が大きい。しかし演習場を広くとれるため、乗員の練度は高かった。
《こちらラミントン。これで模擬戦を終了するわ》
「了解です、隊長」
通信を受け、車長は操縦手に停止を命じた。ショートボブの爽やかな少女で、額の汗を拭いながらも、楽しそうに車長用ハッチから顔を出していた。
操縦手が制動をかけ、戦車は履帯を軋ませながら停止した。土煙が風に流される中、少女は足元に置いてあったスローチハットを被り、砲塔の上へと身を乗り出す。続いて砲手が、ゆっくりと外に出る。車長は女子としては比較的長身でスレンダーな体つきだが、砲手は逆に小柄だった。その割に豊かな体つきをしており、雰囲気もどことなく大人びている。
右手の指でスローチハットの鍔をピンと弾き、車長・ベジマイトは笑みを浮かべた。
「今日も絶好調だね、カイリーの射撃は」
カイリーと呼ばれた砲手も、彼女に笑顔を返す。長い髪が風に靡き、荒野の赤茶けた土、無骨な戦車が彼女の美しさを引き立てている。それぞれタイプの違う少女だが、二人とも迷彩柄の制服がよく似合っていた。
「副隊長の野生の勘こそ、冴えています」
「あはっ。これなら全国大会でも頑張れそうだね」
全国大会、という言葉を聞いて、カイリーの目に熱い光が宿った。彼女だけではない、虹蛇女子学園の戦車クルー全ての目標だったのだ。
長い歴史と伝統を誇る、日本の高校戦車道全国大会。今年で第六十三回目を迎えるこの大会に、虹蛇もとうとう参加することとなった。強豪校と比べて戦力の開きは大きいが、乗員の技量は決して劣らない。そして全国大会は全てフラッグ戦であり、敵のフラッグ車さえ撃破すれば勝てる。今期の隊長・ラミントンは、この二人をその要と考えていた。
敵の位置を次々に見つけ出す“生きたレーダー”ベジマイト。
人間離れした技術を持つ砲手“戦車暗殺人”カイリー。
数に差があろうとフラッグ線ならば、他の車両で敵戦力を引きつけている間に、彼女たちがフラッグ車を見つけ出して狙撃できる。それを以って虹蛇の必勝形とするのだ。彼女たち二人も自分の役割を理解し、栄えある全国出場に血を熱くしていた。
「コアラの森学園と勝負するのが楽しみだな~」
「黒森峰の方は副隊長が交代したそうですね」
「うん、去年の副隊長はあの後どうしちゃったんだろう……」
砲塔に腰掛けて談笑する二人。この学校に入ったときから、彼女たちは共に戦車に乗ってきた。お互い山歩きが趣味で、動植物に詳しいため気が合ったのだ。休日にはよく一緒にハイキングへ出かけるほどで、学校中から名コンビとして認知されていた。
ふいに、演習場を風が吹き抜けた。土埃が舞い上がり、所々に生えた雑草が揺れる。ベジマイトの帽子が頭から外れ、戦車の後方へと吹き飛ばされた。彼女は慌てて、身軽な動作で砲塔から飛び降る。帽子は風で地面を転がり、さらに遠くへと離れていった。それを追いかける副隊長の後ろ姿を微笑ましげに見つめ、カイリーは風上を向く。
全国大会への出場はゴールではない。むしろここからが始まりであり、虹蛇女子学園戦車隊は逆風の中を進むことになるだろう。ドイツの行進曲に歌われるように。だがそれもまたカイリーにとっては楽しみであった。
だが彼女が微笑を浮かべたとき。炸裂音と衝撃が耳を襲った。
弾かれるように振り向くと、土煙がもうもうと巻き起こっている。榴弾のようだが、すでに模擬戦は終わっており、砲撃などあるはずがない。しかしカイリーはそんなことを考える間もなく、即座に戦車から飛び降りた。
「副隊長!」
土煙が風で流されていく中に、地面に横たわるベジマイトの姿があったのだ。
「不発弾か!?」
「救急車を呼んで! 早く!」
「ラミントン隊長、聞こえますか!? 緊急事態です!」
学友たちの叫びも、カイリーには遥か遠くに聞こえた。ただ無我夢中で、微動だにしない親友へ駆け寄り、呼びかけた。装填手の後輩が、備え付けてあったAEDと救急箱を手に後を追う。
風は彼女たちの悲劇を歯牙にもかけぬが如く、無情に吹き抜けていった。
海上都市である学園艦には病院もある。しかし小規模な学校では重症の患者が運び込まれた場合、艦上の病院で処置を施した上で陸へ搬送する。
事故から数日後、ベジマイトは病室の窓から外を見た。病院は海から離れた場所にあり、仲間たちのいる母校は遥か彼方だ。確か今日は補給のため入港しているはずだ。みんなはどうしているだろうか。自分の代理はもう決まっただろうか。
調査の結果、原因は訓練中に生じた不発弾が残っており、それが爆発したためと分かった。学友たちの応急処置もあって一命は取り留めたが、少しでも運が悪ければ、もうこの世にはいなかっただろう。その幸運と仲間たちには感謝していたが、彼女は退屈という巨大な敵と戦う羽目になった。
周囲にはノートパソコンだの漫画だの、暇つぶしになる物は持ち込んである。しかしアウトドア派の彼女にとって、病室でじっとしているのは苦痛だった。歯がゆさのあまり、数箇所に負った火傷の痛みが増していくような錯覚も覚える。
そして、幻肢痛も。ただ送られてきた見舞いの手紙や花束を見ると、少しは心が安らいだ。
ふいにドアを叩く音が聞こえた。そちらへ目をやりつつ、どうぞ、と答える。開いた扉から、相棒が顔をのぞかせた。
「あ、カイリー!」
喜びの声を上げ、笑顔を浮かべる。だが無意識のうちに、左手で右腕を隠していた。とはいえ隠せるような傷ではない。包帯を巻かれた彼女の右腕は、前腕部の中程から先が、そっくりなくなっていたのだ。
そんなベジマイトの痛ましさを見てか、カイリーの表情は沈んでいる。会釈だけして病室へ入り、静かにドアを閉める。
「……具合はいかがですか?」
ゆっくりとベッドへ歩み寄り、カイリーは訪ねた。土産の菓子袋を机に置く。
「調子は良いよ。君が来てくれたからね。でも、君は……」
嬉しそうに笑うベジマイトだが、彼女は勘が鋭い。親友が浮かない顔をしていることくらい分かる。それに今の時間だと、学校では訓練が行われているはずだ。虹蛇の要とも言える彼女が、わざわざ見舞いに陸まで来て良いのだろうか。
カイリーは無言で、ベッドの側の椅子へ座った。深刻な雰囲気が強まり、ベジマイトの顔から笑顔が消えた。
「何かあったの? 訓練は?」
「……欠席してきました」
「どうしたのさ、全国大会が近いのに」
いよいよ雲行きが怪しくなってきた。今が一番大事な時期だろうに。いくら親友といえど、見舞いのために訓練を休むなど、真面目なカイリーらしくもない。
尋常ではないことがあったと、ベジマイトの勘は確信していた。カイリーはゆっくりと、絞り出すように言葉を紡ぐ。
「全国大会への参加は……取消されました」
それを聞いた瞬間、ベジマイトは槌で殴られたような衝撃を受けた。右腕を失ったときより、遥かに大きな衝撃を。
カイリーが目に涙を浮かべながら語ったところによると、文科省が戦車道連盟へ介入したとのことだった。
虹蛇女子学園の事故から数日前。中学校の戦車道練習試合で事故が発生し、一人の少女が片足を切断する重傷を負った。つまり戦車道で重傷を負う事故は、今年に入ってから二件目になる。それを受け、文科省が連盟に対し、事故を起こした学校は全国大会へ参加させるなと要請した。このような事故の話が広まっては日本戦車道のイメージダウンになり、二年後の世界大会開催にも悪影響が出るから、と。
連盟から派遣されている教官を通し、「申し訳ないが、今年の参加は見送って欲しい」とのメッセージを伝えられたのだという。卒業した先輩たちの願いでもあった全国参加を、虹蛇女子学園は逃してしまったのである。今までの努力も水泡に帰したのだ。
「……ボクの、ボクの、せいで……」
声が震え、涙が滲む。失われた右腕の痛みが、ぐっと強くなった。
「ボクのせいで、みんなの夢が……!」
「そんなことはありません!」
病院だということもはばからず、カイリーは叫ぶ。親友の肩を抱きしめ、自分を責めるのを止めさせようとした。
ベジマイトは普段から言っていた。戦車に乗っていて何が起きても、それは自分の責任だという覚悟を持つべきだと。カイリーもそれに賛同していた。だが今、このような目にあった親友に、責任を背負わせることなどできない。いや、そんなことはあってはならない。
ベジマイトはカイリーの胸に顔を埋め、くぐもった声で嗚咽した。カイリーもそれを受け入れる。彼女の短い髪を、そっと撫でながら。そのとき胸中に浮かんだのは東北にある自分の故郷、そして家族のことだった。
「隊長。私の祖父は熊に襲われ、右目を失いました。しかしそれでも尚、故郷で一番の
自分の涙を抑え、可能な限り穏やかな声で語って聞かせる。髪を撫でる手を止めることはないまま。
「お祖父さんは言っていました。『一発で仕留めろ。手負いの獣は恐ろしい』と」
「……手負いの、獣……」
カイリーの胸を涙で濡らしながら、親友はゆっくりと顔を上げる。潤んだ瞳はこの上なく無垢に見えた。だがその中に、小さな火種が灯るのをカイリーは見た。
「今は傷を治して。それから、一緒に証明しましょう」
包帯に包まれた右手を優しく握り、カイリーはベジマイトの目を真っ直ぐに見つめた。
「貴女の強さを、そして……虹蛇の強さを……!」
お読みいただきありがとうございます。
アガニョークに続き、虹蛇女子学園のお話です。
なお、活動報告で「虹蛇 VS BC自由」と書きましたが、いろいろ考えて止めになりましたので、ご了承ください。
ご感想・ご批評など、お待ちしております。