物語の筋上必要なので、劇場版の内容を含んでおります。
重要なところはある程度ぼかしてありますが、十分ネタバレになると思うので、未視聴の方はご注意ください。
夏がやってきた。本場のオーストラリアでは冬だが、学園艦はさすがに南半球までは行かない。蒸し暑い夜の海を、学園艦は静かに運航していた。その甲板上でちょっとした騒ぎが起きていることなど、外部からは分からないだろう。
第六十三回全国大会への出場を逃した虹蛇女子戦車隊は、同じオーストラリア系であるコアラの森学園の一回戦敗退を残念に思いながらも、無名校の成し遂げた大番狂わせに狂喜していた。かつては強豪校と言われていたらしい、大洗女子学園。圧倒的に不利な戦況で奇跡の勝利を成し遂げ、戦車道の歴史に新たなページを作った。痛ましい事故によって大会出場を取り消した虹蛇の隊員らも、「譲ってやった甲斐があった」と喜んだ。右手を失った副隊長も含めてだ。
しかしその後、大洗女子学園は理不尽な裏切りに遭った。
虹蛇の戦車乗員は二名を除き、全員が詰所に集まっていた。詰所と言ってもテントなので、全員を収容するスペースはない。運良く中に入れた少女たちは寿司詰めになりながらも、テレビの画面を食い入るように見つめていた。入りきれなかった隊員たちも、開け放たれた入り口から交代で見物している。皆服装はサファリルックで、野外実習と兼用の、虹蛇戦車クルーの制服だ。手にブーメランを握っている者もいる。
誰もが戦いの成り行きを、固唾を飲んで見守っていた。日本の戦車道史上、『国』を相手取った試合は他に例がない。ましてやその主役が高校生などという試しはない。今、歴史が作られているのだ。
数回、砲撃の閃光が画面を過ぎった。興奮気味の実況者の声、そして試合の結果を告げる審査員の声が聞こえる。
次の瞬間、テント内は喜びに包まれた。一番テレビの近くにいた少女……ラミントンが、外にいる仲間の方を振り向き、大声で叫んだ。
「大洗蜂起軍、勝利ー!」
わっと歓声が上がった。テントの外では少女たちが狂喜乱舞し、宙に向けてブーメランを投げ回した。くの字型の遊具は祝砲のごとく、勢い良く風を切って飛び、弧を描いて持ち主の手に戻る。
大洗女子学園は勝ったのだ。女子高生たちが、国を相手取ったレジスタンスを成功させたのである。観戦していた虹蛇の隊員たちも全員、それを自分のことのように喜んだ。
この場にいない者も含めて。
ポケットに両手を入れたまま、ベジマイトは森の中を歩いていた。正確に言えば、彼女の右手はすでに失われ、ポケットに入っているのは袖だけである。艦上に設けられた人工森林ではあるが、自然の息吹を感じられる空間だ。ゆっくりと呼吸しながら、のんびりとした足取りで草を踏み分け、歩いていく。
視線は前を見ていたが、行き先を見ているわけではない。目の前にない何かを眺めるような、眺望の目だ。
ふいに、彼女は立ち止まる。目を右へ向け、その先に生えた大木を見上げて、語りかけた。
「ビリー・シン?」
その言葉の相手は、木の上でライフル銃を構えた少女だった。“戦車暗殺人”カイリーだ。常に冷徹な射手だが、ベジマイトに対しては時折このような冗談を仕掛ける。だがあの事故の後は、これが初めてだった。
気づかれると彼女は微笑んで、枝の上に座った。狙撃銃のモデルガンを肩に担ぎ、じっとベジマイトを見やる。
「勘は鈍っていませんね」
「うん。こういう所を歩いていると、ちょっとずつ冴えてくる」
ベジマイトは笑みを返し、ポケットから絵の具のようなチューブを取り出した。歯で蓋を噛み、左手で本体を捻って開封する。彼女のあだ名の由来となった、オーストラリアの食材だ。同国の国民食などと言われることもあるが、それは完全な誤解であり、オーストラリア人でも好みは分かれる。ただイカの塩辛に似ているという意見もあり、人によっては美味しく食べられるようだ。
チューブの中身を美味そうに吸う彼女の元へ、カイリーも身軽な仕草で木から降りていく。背中に背負ったモデルガンはリー・エンフィールド狙撃銃、木製の古めかしい、ボルトアクション式ライフルだ。“ガリポリの暗殺者”と呼ばれたスナイパーの仕様を模倣している。砲手としての腕を称えられ、学校から送られた品だ。
しかしカイリーが真の力を発揮するのは、“生きたレーダー”と組んだときである。
「……君が言った通りだった」
ベジマイトは親友に向けて呟いた。ポケットに入れた右手には、まだ失われた部分の感覚が残っている。幻肢痛と呼ばれる痛みだ。原因はよく分かっておらず、すでに存在しない部位が痛むため、鎮痛剤の類は効かない。だがポケットの中で「存在しない手」を握ったり、開いたりしていると、少し痛みが和らいでいった。
彼女の痛ましい姿を、カイリーは常に側で見てきた。底抜けに明るかった彼女も、一時期希望を失いかけていた。だが今は違う。その瞳に、野生の光が蘇っていた。
「ボクは手負いの獣だ」
「ええ」
二人は互いに笑みを向ける。自責の念を捨てきれないベジマイトは、全国大会のテレビ中継を見るのを拒否していた。だがあの無名校の奮闘が広まるにつれ、抑えがたい欲求が湧き上がってきたのだ。決勝戦、そして今回の大洗紛争。心の奥底に燻っていた火が、再び燃え出した。
彼女はやはり、戦車乗りなのだ。敵を見つけ出すときの緊張感、一瞬の判断が勝負を分ける駆け引き。狩猟本能に見を任せられる時間が、たまらなく好きなのだ。
「……練習試合の話、あったよね?」
「はい。相手は決号工業高校です」
ふむ、と鼻を鳴らし、ベジマイトは少し考えるようなそぶりを見せた。チューブから黒いペーストを絞り出し、ぺろりと舐める。
味わい、嚥下し、ニコリと微笑んだ。
「ラミントン隊長に会ってくるよ」
「では……!」
普段冷静なカイリーが、明らかな歓喜の表情を浮かべた。風が木々を揺らす中、ベジマイトは再び歩き出した。
……大洗蜂起軍の勝利は様々な方面で波紋を呼んだ。文科省の大洗女子学園に対する仕打ちは試合前から批判されていたが、仮にも公の戦車道試合にまで、露骨に大洗側を追い込む手口を行使したことはさらに大きな問題となった。海外の戦車道団体からも非難を浴び、世界大会を日本で行うべきか否か、今一度審議すべきとの声が高まった。
また日本戦車道連盟も文科省が世界に恥をさらしたことで腹を決め、「残念ではあるが、国家の介入が大きい現状で世界大会を招致しても、公正な競技を行える保証がない」と発言。民主国家としての質さえ疑われ、文科省は大慌てで釈明に奔走することとなるが、それはまた別の話である。
その興奮が冷めやらぬ中、古びた大型学園艦が港に錨を下ろした。学園艦は空母型が主だが、潜水艦型のような特殊な形態の艦も存在する。この学校はテゲトフ型弩級戦艦をモチーフとしたデザインで、本来砲塔がある場所に校舎が存在していた。艦橋を挟んで前と後ろとで、それぞれ別の学校が利用している。長い歴史に幕を下ろそうとしている、トラップ=アールパード二重女子高校だった。
「大洗紛争における助力、誠にありがとうございます」
艦橋の下で、茶髪の少女が頭を下げた。着ているのはこの学校の制服ではなく、グレーのシンプルな服装だ。黒森峰女学園……日本でも屈指の実力を持つ、強豪校の一年生だった。
「こちらこそ、力になれて嬉しいよ。ハイターさん」
対するのはワイシャツにネクタイという夏服姿の、トラップ高生だった。オーストリアを海外提携先とするトラップ女子高校は学園艦の艦首側に位置し、艦尾側のアールパード女子高校と共同で艦を動かしている。戦車道をすでに廃止した彼女たちだが、大洗紛争に間接的に関わっていた。
「船橋さんにはここの生徒会を説得していただいて、おかげで戦車の輸送がスムーズに行えました。西住隊長も感謝しております」
「他校の学園艦に分乗して戦車を運ぶなんて、徹底した秘密作戦だったわね」
「ええ、何せ国が相手でしたから。まして隊長のお母上も関わっている以上、黒森峰の学園艦を迂闊に動かせば、文科省に気取られるかもしれません。サンダースやプラウダにしても……」
ハイターと呼ばれた黒森峰の生徒は、柔和な笑みを浮かべた。大きな事が終わった安心感によるものだろうが、どことなく母校の印象にそぐわない雰囲気があった。ましてや猛獣軍団を操る戦車乗りには見えない。実際に彼女は乗員ではないが、戦車道チームの雑用係として、そして外交官として隊員を支えているのだ。
対するトラップ女子高二年生・船橋幸恵はカメラを首に下げ、好奇心旺盛な目で彼女と対話している。背中で結った髪が風になびいていた。広報委員として他校との外交も行ってきた彼女は大洗紛争に際し、黒森峰との秘密協定締結のため、トラップ=アールパード側の窓口を務めたのだ。結果、『ヨーロッパピクニック作戦』と銘打った戦車輸送支援作戦が発動され、その成果は大洗蜂起軍の勝利という形で身を結んだ。
「国は大洗さんを、世間を甘く見てるガキの集まりだと思っていたんでしょうけど、私に言わせれば国こそ高校生の団結を甘く見ていたわね」
「まったく同意見ですよ」
船橋もまた大事を集結させた喜びに、顔を綻ばせている。だがその笑顔の裏には、自分たちの学校を守れない悔しさがあった。だからこそ、今回の件に全力で協力したのである。
ふと、近くをトラックが通り過ぎた。多数の家財類を積んでいるのを見て、船橋の表情が沈む。廃艦までに校内を整理しなくてはならないので、連日そういった作業が行われているのだ。
「惜しいことです。百年以上続いた学校なのに」
船橋の心情を察したハイターが、ぽつりと言った。第一次大戦より前、オーストリア=ハンガリー帝国が存在した時代に、この学校は生まれたのだ。
「二重帝国が崩壊しても、二次大戦後に学園艦まで作られて続いたんだから、十分凄いことだけどね。けど……」
巨大な艦橋を見上げ、船橋はため息をつく。青空の下にそびえ立つ艦橋は勇ましいが、それが尚更虚しさを掻き立てる。学園艦は維持費がかかるし、特殊な構造のこの艦は尚更管理に手間がかかる。トラップ高校は芸術分野、特に音楽が盛んだったが、それも徐々に活動実績が悪くなった。そこへアールパード側の馬術部衰退が重なり、廃校の憂き目にあったのだ。
やむを得ないことではあるし、決して船橋が学校を衰退させたわけではない。しかしやはり、自分たちの代で学校を終わらせてしまうのが辛かった。
「……快適さを精神において追求するのが文化であり、物質に頼って求めるのが文明である」
意味深な言葉に振り向くと、ハイターが真剣な面持ちで船橋を見ていた。
「ある偉大なお方の言葉です。学園艦は文明の産物ですが、それを生んだのは海を越えて文化を育もうという精神です。器が変わろうと、心はそう変わるものではないでしょう」
「……ありがとう」
感謝の言葉を述べ、船橋は微笑んだ。彼女の言う通りである。母校を守れなくても、その校風や文化を存続させることはできるはずだ。ましてやトラップ、アールパード共に、生徒は同じ新設校へ編入されることになっている。自分たちの戦いは新天地へ行ってからが本番だ。
「私にもまだ、できることがある……。ところでハイターさん、この後は真っ直ぐ帰るの?」
「いえ、先輩方への土産話に、他校の練習試合を視察して行こうかと」
「練習試合? 強豪校の?」
黒森峰の雑用が視察するとなれば、同じく四強と称されるサンダース、プラウダ、グロリアーナか、影の強者たる継続高校あたりだろう。『ある計画』を考えている船橋としては興味のあることだった。しかしハイターは首を横に振った。
「虹蛇女子学園と、決号工業高校です」
「決号……」
前者はともかく、後者にはあまり良い印象がなかった。札付きのワルとして有名な学校で、戦車道全国大会からも数年前に追放処分を受けたと聞く。最近は戦車道復興に伴い、少しは風紀も改善されているらしい。しかし船橋としては、というよりトラップ=アールパードの生徒からしては好きになれない学校だった。そのような不良学校でありながら、『生徒の受け入れ先がない』という理由で統廃合計画から除外されていたのだ。文科省としてはやむを得ない決定だったが、生徒の素行に大きな問題のないトラップ=アールパードや大洗からすれば、釈然としないことである。
「虹蛇女子は事故で全国出場を断念しましたが、大洗の活躍で活気づいたようでして。決号も同じです。これは見物だと思いましてね」
「へぇ……」
少しの間船橋は何かを考え、携帯を取り出した。ボタンを素早く操作し、スケジュールなどを確認する。やがて意を決し、再び口を開いた。
「ハイターさん、私も一緒に行っていいかしら?」
「私は構いませんが、授業の方は?」
「私は広報委員で、学校新聞の記者よ。生徒会に取材許可を取れば大丈夫」
ちょっと待っててね、と言って、船橋は電話をかけ始める。それを眺めながら、雑用係はくすりと笑った。
お読みいただきありがとうございます。
どういう話にするか、構想が二転三転しましたが、ようやく固まりました。
ただ三編では書ききれない可能性が高いので、四話構成になりそうです。
次は本編を更新したいと思っております。
ご感想・ご批評等ございましたら、よろしくお願いいたします。
そしてpixivにて、モヤッとさんからまた立ち絵をいただきました!
これでタシュ重戦車のクルーは全員描いてもらったことになります!
【挿絵表示】
制服のデザインについては私がちゃんとイメージできていなかったせいで、随分苦労をおかけしましたorz
晴と結衣が着ているデザインが決定版です。
丁寧に描いていただき、ありがたい限りです。