木々の合間で、カイリーは息を潜めて待っていた。彼女らの乗るM13/40中戦車は偽装網を被せられ、周囲の景色に溶け込んでいる。偽装は決号の専売特許ではない。虹蛇もまたこうした伏兵戦術を重視しており、特に優れた砲手であるカイリーの乗車にはこのような装備が常備されていた。
《決号・四式中戦車、走行不能!》
アナウンスが聞こえた。敵フラッグを追撃しているのは残ったセンチネル四両だが、彼女たちも奮戦しているようだ。これで敵フラッグの守りは五式中戦車一両だけ。ここでベジマイトの乗る自軍フラッグ車を守れれば、勝利は目前だ。
車長はハッチから顔を僅かに出して周囲を伺い、他の乗員の表情にも緊張の色が見える。だが照準器を覗くカイリーはただひたすら冷静で、それでいてこの時間を楽しんでいた。
「カイリーさん、来たぞ! 一時の方向!」
車長が伝え、発砲のタイミングは任せると告げた。カイリーは砲塔を旋回させ、スコープの中に目標を視認する。左右に蛇行しながら逃げてくるCTL豆戦車。ベジマイトはしっかりと追ってくる敵を見やり、操縦手に回避方向を伝えていた。追撃する二式軽戦車も砲撃してくるが、寸前で射線を見切って回避している。
冷静に、カイリーは撃つべき時を待った。だがそれはほんの一瞬の待ち時間だ。彼女に気づいたCTLが右へ避けると、二式軽戦車はそれを狙い撃つべく砲塔を回す。敵が追撃戦の鬼であろうと、獲物を狩ることに集中する一瞬だけは無防備となるはず。それが付け入る隙だ。
敵車体の中心に照準を合わせ、撃った。撃発と同時に発砲炎が広がり、衝撃が空気を揺さぶる。
47mm徹甲弾が敵戦車に吸い込まれていくのを感じ、カイリーは確信した。獲った、と。
だが次の瞬間、照準器の中で二式軽戦車の37mm砲が火を噴いた。
「な……!?」
カイリーは驚愕した。車体正面を貫通するはずだった47mm弾が、二式軽戦車の履帯に当たっていたのだ。断裂した履帯、割れた転輪が無残に散らばっているが、装甲を貫通していない。撃破判定は出ていなかった。
そしてベジマイトのCTL豆戦車……味方フラッグ車の後部には弾痕が穿たれ、上面に白旗が揚がっていた。
《決号工業高校、勝利!》
……試合が終わり、見物人たちは少しずつ帰路につき始めた。誰もが試合の内容をあれこれと話し合い、選手の技量を評価したり、中には収集したデータを何処かへ送る者もいる。
「決号の副隊長、車体を微妙に旋回させたのね」
観察力に長ける船橋は、目まぐるしい戦車戦の推移をしっかりと捉えていた。興奮冷めやらぬ様子で、カメラに収めた写真をチェックしている。もっとも戦闘区域で直接撮影したものではなく、スクリーンに映った映像や、観衆の盛り上がりを撮った物だ。
決号の副隊長・黒駒亀子は、M13/40の待ち伏せを見破っていた。相手が撃った瞬間に少しだけ車体を旋回させ、装甲ではなく履帯で砲撃を受けたのである。そしてそのまま、攻撃も行った。敵フラッグを撃破するチャンスを逃さないよう、最小限の動きで回避し、肉を切らせて骨を断った。車長・操縦手・砲手が阿吽の呼吸で動かなくてはできない芸当だ。
撃破したと思った虹蛇側は回避が遅れてしまった。かなり際どい戦法だったが、勝利は勝利だ。だが虹蛇側の目が覚めるような攻勢も、観客を大いに魅せていた。
船橋としては選手たちにインタビューをしてみたかったが、そこまで時間はないし、いきなり行っても受けてくれる保証はない。今日は帰るしかないが、十分に有意義な時間だった。
「ありがとう、ハイターさん」
「いえ。これも『ヨーロッパピクニック作戦』のお礼です」
ラントワッサシュレッパーの前で、柔和な笑みを浮かべるハイター。すでに雑用仲間たちは乗り込み、始動準備をしていた。船橋は別ルートで学園艦まで帰るのだが、ふと来年の展望を語った。
「トラップ=アールパード女子高は来年、他に二つの学校と統合される。そうしたら、私たちも戦車道を始めてみようと思うの」
「大洗に倣って?」
「そう。大洗の二度の奇跡で、世間の戦車道への注目度は高まっている。この機会を逃す手はない。失った名誉を、新しい学校で取り戻すのよ」
力強く語る船橋。彼女は確信していた。戦車道ほどインパクトのある自己主張はないと。アールパード高もかつてはそれなりの戦力を有していたらしく、今でも僅かな戦車が残されている。同じ学校へ統合される二校にも戦車があるらしい。ならばそれらを再び表舞台に立たせ、活躍させるべきだ。
「そのためにもいろいろな試合を見て勉強しないと。……西住まほ隊長にも、話を聞いてみたいわね」
「いずれ一席設けましょう。隊長はご多忙ですが、トラップ=アールパードには感謝していますから」
ハイターはにこやかに答えた。黒森峰の一般的な印象とは異なるが、雑用係であっても堂々とした態度に、西住流の遺伝子を感じさせる。
「船橋さんは未来に目を向けていらっしゃる。……私も、自分の夢について考えてまして」
ふいに、その瞳に影が過ぎった。
「大洗の戦いを見てて、思ったんです。黒森峰で雑用をやるのもいいけど、やっぱり夢を追いかけたい、と。父からは反対されていますが……」
「ハイターさんの夢って?」
興味を抱いた船橋が、好奇心旺盛に尋ねる。ハイターは少し躊躇いながらも、誰かに聞いてほしいという思いが先に立ったのか、口を開く。だがそこから言葉が出る前に、仲間の声が聞こえた。
「ハイター、出発するわよ! 乗りなさい!」
レーゲンの呼びかけに、出かけた言葉が引っ込む。「今行くよ」と答え、ハイターは船橋に一礼した。またお会いしましょうという言葉を残し、履帯付きの船へ乗り込んでいく。
やがてマイバッハHL120エンジンが唸り、履帯がゆっくりと駆動した。鉄のベルトで砂浜を踏みしめ、ラントワッサシュレッパーは海へと進んで行く。海上へ去っていく後ろ姿を眺めながら、船橋は今後のことを考えていた。
「まずアールパードに残っているトゥラーンとトルディを売却されないようにしないと……UPA農業高校の戦車も。白菊航空高校にも教材用の戦車があるって話だし。人間は……誰か、戦術に明るい経験者がいれば……」
あれこれと呟きながら、船橋は海岸に背を向けた。
一方で、虹蛇の隊員たちも撤収準備にかかっていた。撃破された戦車もトランスポーターに乗せられ、その他機材も積み込まれる。紙一重の差で敗れた悔しさはあれど、彼女たちの表情は皆明るかった。
副隊長ベジマイトが、痛手を乗り越えて帰ってきた。“生きたレーダー”と“戦車暗殺人”のコンビは未だ健在であると示せただけでも、試合の価値はあったのだ。
「ベジマイト、カイリー。ちょっと来て」
長髪を風に靡かせながら、ラミントンが二人を呼んだ。自分の乗車であるACIIIの前で、黒いフロックコートを着た少女と会話している。決号工業高校の隊長・一ノ瀬千鶴。試合前の挨拶で顔を見ていた。日の傾く中で海風が強まり、ポニーテールが揺れている。
駆け足でやってきたベジマイトらに目を向けるも、その表情に勝者の余裕などはない。ただ真剣な、凛々しい視線で二人を見据える。
「よう。改めて、あたしが一ノ瀬千鶴だ」
「虹蛇のベジマイトです。今日はありがとうございました」
「敬語は止しな。あたしも二年生だ」
淡々とした口調で話しながら、千鶴は相手の右手へ目をやった。ベジマイトもそれに気づき、義手を胸の高さに掲げる。工具じみた二本の爪が夕日に輝く。
「珍しいかな?」
「見慣れちゃいないな。事故の話は聞いてたけど、よく復帰したもんだ」
「大洗の快挙を聞くと、ムズムズしてきてね。……それに、支えてくれる人がいたから」
ベジマイトはその手をカイリーの肩に回した。カイリーがそれに自分の手を添えるのを見て、千鶴は目を細めた。
「お前らコンビの噂は聞いてた。レーダー並みの索敵能力と射撃……殲滅戦だったら負けてただろうな」
「あはは、お世辞でも嬉しいよ」
「世辞が言えるほど器用に見えるか?」
苦笑しつつ、制帽を脱いで埃を払う千鶴。ベジマイトの乗るフラッグ車が撃破されたとき、決号側の戦力は三両、虹蛇側は五両だった。二式軽戦車によるフラッグ車襲撃が成功しなければ、虹蛇側がそのまま押し切っていただろう。一発逆転のない殲滅戦だったら、決号は耐えられなかった。
賛辞の後、千鶴は本題に入った。
「ベジマイトだったか? 実はちょっと、お前に会って欲しい奴がいてな……」
「誰?」
「あたしの妹なんだけど……あー」
言いかけて、何かを思案するように口ごもる。視線を宙に泳がせ、再び前に向けた。
「……いや、やっぱり会わない方がいいか。悪ぃ、忘れてくれ」
誤魔化すような笑みを浮かべ、千鶴は制帽を被った。もしベジマイトが彼女の家族のことまで調べていれば、その真意に気づいていただろう。
「とにかく、またそのうち試合しようや。日本の戦車道はこれから面白いことになるぜ」
「そうだね。『大洗紛争』がきっかけで、何か変わるだろうし」
大洗の二度の快挙。痛手を負ったベジマイトだけでなく、戦車道に関わる高校生の多くを奮起させたこの奇跡は、日本戦車道自体を揺るがす物になるだろう。特に先日の『大洗紛争』の影響は大きくなる。貧乏くじを引かされた大学選抜隊には、アメリカと繋がりの強いサンダース大学の生徒も在籍していた。『義勇軍』側にもロシア人留学生が参加しており、国際的に物議を醸すことは避けられない。文科省はすでに言い訳に奔走中で、以前から噂されていた学園艦解体業者との癒着についても、いずれ真偽が明らかになるだろう。
つまり、政府から戦車道連盟への影響力は弱くなる。同時に連盟の考え方も徐々に変わってきている。全国大会から弾かれた虹蛇や決号にもチャンスが回ってくるだろう。戦車道に青春を賭けようという少女も増えるはずだ。
「来年辺り、群雄割拠の時代が来る。ニワカは潰れるだろうが、最後まで立っていた奴は本当の強者ってわけだ。お互い楽しみにしてようや」
じゃあな、と敬礼を送り、千鶴は背を向けた。黙って話を聞いていたラミントンは敬礼を返して後ろ姿を見送り、ベジマイトへ向き直る。真剣な表情で後輩の肩に手を置き、口を開いた。
「群雄割拠……来年には私はもういない。後は頼むわよ」
「精一杯やります」
即答するベジマイト。満足げに頷き、ラミントンも踵を返した。資材の撤収作業をしている後輩たちを手伝いに行くようだ。
隊長の言葉の意味は分かっていた。一ノ瀬千鶴の読み通り戦車道の戦国時代が来れば、手強い相手は続々と現れるだろう。だが彼女の言ったように、生き残れない者もいるはずだ。かの大洗女子学園も、西住みほがいるのは来年まで。過酷な戦いはこれからも続く……それは虹蛇も同じことである。
ふいに、カイリーが彼女の義手をそっと掴んだ。ポケットからハンカチを取り出し、撃破された際についた煤を拭き取る。黒ずんだ金属の手が光沢を取り戻していく。
「ついて行きますよ」
手を動かしながら、カイリーは小声で囁いた。口元に優しい微笑を浮かべて。
親友に笑顔を返し、ベジマイトは右手を高々と掲げる。あるべき場所へ戻れた彼女にとって、幻肢痛はもはや苦痛にもならなかった。
……翌年、一ノ瀬千鶴の予言は当たった。近年戦車道に参入した学校を対象とした『士魂杯』が開催され、ベジマイトはある意味因縁の相手と言える少女と出会う。“鉄脚”の戦車長、一ノ瀬以呂波と。
ベジマイト編完結です。
お読みいただきありがとうございました。
オリジナルキャラは原作キャラと違う性格付けにするよう心がけており(丸瀬はかなりエルヴィンを意識してるけど)、ベジマイトの「野生の勘」も原作のライバル勢にいなかったキャラ付けをしようと思った結果です。
本当は大ボス格の相手を隻腕にしようかと思ったのですが、大ボスが千鶴(ラスボスはみほですが)になったので、初戦での出会いになりました。
次回は船橋か千鶴の話を書こうかな、などと思っています。
その他「このキャラの話を読みたい」という方がいらっしゃれば、メッセージか活動報告で言っていただければと思います(全部書けるかは分かりませんが)。
今後も本編共々、応援よろしくお願い致します。