坂井悠二と夢幻のダンジョン   作:いいな博霊

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狩人編 ショーウィンドウへシュート

あの闇を初めて見た日から、僕の悪夢は絶えない。

眠る度に僕は、あの場所へ誘われる事になった。

僕は古びた槍を持って、影を固めたような奴らと戦う。

黒い影によって怪我を負えば、夢から目覚めた現実の体も怪我を負っていた。

その影響を考えると夢の中で死んだ結果、現実の僕も死ぬ恐れがある。

 

僕は高校に入学し、学生を続けていた。

そこは武器を構える必要のない、平和な世界だ。

僕は時間を惜しみ、他人と関わる機会を増やしている。

それは「僕の事を覚えて欲しい」と言う、顕示欲の表れだ。

悪夢の中で死んだとしても、僕の存在を忘れないで欲しかった。

 

「なあ、池。最近、変な夢を見るんだ」

「へえ、どんな夢なんだ?」

 

高校からの帰り道で、僕は親友に相談する。

高校に入学する前からの付き合いのある同級生だ。

悪夢の事を話せる相手と言えば、この親友に限られる。

悪夢の話なんて恥ずかしくて、母さんに言い難かった。

父さんは外国にいるから、変な心配をさせたくない。

 

「洞窟みたいな場所で槍を持って、敵と戦う夢なんだ」

「意外だな。お前にしては、ずいぶんと攻撃的な夢じゃないか」

 

「眠る度に同じ夢を見るから嫌になるよ」

「高校に入って不安を感じてるんじゃないか?」

 

「夢の中で怪我をすると、同じ所に怪我があるんだ」

「坂井、おまえ疲れてるんだよ」

 

「池、今から見せるのは手品じゃない。だから僕を信じてくれないか?」

「うーん、分かったよ。僕は、おまえを信じる」

 

「……これが夢の中から持ち出した槍なんだ」

 

僕は体の内側から古びた槍を取り出す。

原理は分からないけれど、現実でも道具は体の内側に収納できる。

茶色い錆や黒い染みがリアル過ぎて、芝居の小道具に見えるだろう。

でも、それを親友の目の前で、手の平から引き出して見せた。

すると親友は驚きで目を見張る。

 

「おい、坂井。そんな物もってたら警察に通報されるぞ」

「そっちじゃないよ!? 問題は"何処から取り出したのか"って事だろ」

 

「どこから取り出したも何も、"ずっと持ってたじゃないか"」

「どういう事だ、池。おまえに見せる前から、僕が槍を持ってるって分かってたのか?」

 

「だから、その物騒な物を、"ずっと前から持ってたじゃないか"」

 

意味が分からない。

親友と話が噛み合わなかった。

まるで"槍を最初から手に持っていた"ように言われる。

悪夢の中で感じる狂わしい感覚を、ジリジリと体を焦がされるように覚えていた。

僕は聞いてはいけない事を、聞いてしまったのかも知れない。

 

僕は親友に"信じて"ほしかった。

そんな僕の言葉に応えて、親友は本物である事を"信じて"くれている。

槍という凶器を持っている僕を恐れず、そんな僕を親友は心配していた。

でも、"僕の中から取り出した"という事を認識していない。

登校する時から、授業中から、下校中の今まで、ずっと槍を持っていた事にされていた。

 

「ちょっと待てよ、池。こんな物、学校に持ち込んだら大騒ぎになるだろ」

「みんなも、まさか本物とは思っていなかったんじゃないか?」

 

「おまえも、"本物と思っていなかった"って事なのか?」

「おまえに言い出されるまで、僕も本物と思っていなかったよ」

 

「そんな訳ないだろ!? 僕は今、初めて、この槍を見せたんだ!!」

 

僕は大声を上げる。

見えない恐怖が、僕の胸を締め付けていた。

いったい何が起こっているのか分からない。

親友が変わってしまったように感じていた。

いったい、どうなっているんだ。

 

「どうしたんだよ、坂井。おまえ、ちょっと、おかしいぞ」

 

親友の冷たい手が、僕の額に触れる。

混乱する僕を心配そうに、親友は見ていた。

親友の一部を感じて、僕は気持ちを持ち直す。

おかげで僕の肩に入っていた力は抜けていった。

危なかった。僕は何を熱くなっていたんだろう。

 

「うん、ごめん。ちょっと頭、冷やすよ。話を聞いてくれて、ありがとな」

 

親友は信じてくれた。僕の話を聞いてくれた。それだけで十分だ。

親友が認識できない事は、親友の責任じゃない。

この平和な現実に異物を持ち込んだ、不用意な僕の責任だ。

おかしいのは親友じゃない。

おかしいのは僕だった。

 

 

―ーまた夢を見る

 

 

親友に相談した昨日は、日付が変わるまで眠れなかった。

そのまま起きていれば良かったものの眠気に負けて、いつもの悪夢を見る。

授業が終わって高校からの帰り道で、僕はCDショップへ寄った。

そこで同級生の姿を見つけて、1人だった僕は声をかける。

高校入学以前から関係のある親友と違って、高校入学以後に関係した同級生だ。

 

「それでさ。池くんって彼女いないのかなーって、ちょっと思って」

「そりゃー、いないけど」

 

「……そっか」

 

同級生である平井さんは、親友の池に気があるらしい。

これは池の親友として、支援するべきという義務感が涌き上がる。

できれば僕が死ぬ前に、恋人関係を成立させるべきだろう。

池の幸せな姿を目に焼き付けておきたい。

すでに僕は、池の父親気分だ。

 

「平井さん、協力するよ。僕に出来る事はないかな?」

「マジで!? じゃあ、おねがいしよっかな」

 

平井さんは遠慮せず、ノリノリで応えた。

僕の提案に悩む様子もなく、話が早くて助かる。

さっそく平井さんと共に"池をデートに誘う作戦"を考えた。

高校から歩いて行ける場所にある美術館で、美術展が開かれている。

そこのチケットを取って、池と平井さんに押し付ける事にしよう。

 

「ちょっと待った。チケットは4枚にしない?」

「池と平井さんと……あと2枚は誰の分?」

 

「坂井くんと一美(かずみ)の分よ!」

「えっ、みんなで行くの?」

 

「みんなで行けば、池くんも誘いやすいでしょ?」

「でも、なにも知らない吉田さんに悪いんじゃないかな」

 

「大丈夫! 坂井くんと一緒なら一美も喜ぶから!」

「うーん。じゃあ僕は、適当な所で吉田さんと一緒に離れるよ」

 

なにも知らない吉田さんは、巻き込まれる形になる。

吉田さんが悲しく思わないように、僕はサポートするべきだろう。

しかし、平井さんが"吉田さんを数合わせに使う"なんて意外だ。

恋愛の前に友情は崩れ去る物なのかも知れない。

それでも僕は池のために、平井さんの提案を支持した。

 

CDショップの前で、僕と平井さんは別れる。

もしも僕が死んだら平井さんは、どう思うのだろうか。

きっと「同級生の1人」として悲しむのだろう。

僕と平井さんの関わりなんて、その程度だ。

もっと平井さんと関わって、僕の存在を大きな物にしたい。

それが僕の存在を証明する証拠に思えた。

 

 

――■■■■■■

 

 

その時、世界から音が消えた。

道路の上を火が走り、淡い炎が動く壁となって広がる。

近くを歩いていた人々も、立ち並ぶ低層のビルも、すべてが炎に飲み込まれた。

動いていた人々の体が止まり、転んだ子供の体も空中に浮いている。

炎の壁が通りすぎた後、まるで時が止まったかのように、すべてが静止していた。

 

僕が起きているにも拘わらず、この有り様は異常だ。

これまで現実に、悪夢が侵食してくる事なんてなかった。

いいや、古びた槍を"現実"に持ち出している時点で、今さらな話か。

ならば「古びた槍を他人に見せる行為が悪かったのか」と僕は思う。

そんな風に「この現象の起きた原因は僕にある」と僕は思い込んでいた。

 

『よーし、準備完了!』

『思ったほど数はないけど、まァ十分だわね』

 

『食べよう! 食べよう!』

『いただきましょう』

 

そこへ現れたのは2体の怪物だった。

巨人な赤ちゃん人形と、マネキンの頭部を固めたボールだ。

人の上半身に過ぎない黒い影と比べると、2体の怪物は見上げるほどに大きい。

黒い影と違って高度な意思があるように見える上に、怪物は人のように喋っていた。

僕が悪夢の中で戦ってきた黒い影よりも、上位の存在に思える。

 

2体の怪物が口を開けると、周囲の人々が燃え上がった。

薄白く染まった炎は、怪物の口へ吸い込まれていく。

そんな中、僕は炎に包まれる事もなく無事だった。

でも、止まっている平井さんを見ると、他の人と同じように燃え上がっている。

その身を包む炎が吸い上げられるほど、平井さんの体は薄くなっていた。

 

「やめろー!!」

 

古びた槍を内側から引き出し、怪物へ叫ぶ。

どう見ても平井さんの体に悪そうな光景に、僕は我慢できなかった。

悪夢の影響で身体能力が増強されていると言っても、怪物は巨体だ。

怪物の中身が空っぽでもない限り、古びた槍で身を守れるとは思えない。

それでも平井さんを守るために、僕は声を上げた。

 

『あれぇ? なんだ、こいつ?』

『さぁ、御ん徒(ともがら)ではないわね』

 

『でも、封絶の中で動いてるよ?』

『こいつ、ミステスね』

 

「地面に落ちているゴミ」を見るような目で、怪物は僕を見下ろしていた。

それなのに「ミステス」という言葉が出た瞬間、怪物は僕に興味を示す。

怪物の言う「ミステス」が、僕の何を指しているのか分からない。

でも、謀らずとも怪物の注意を引くことに成功したらしい。

そう思った僕は、全力で後退した。

 

『こいつ逃げる気だ!』

『捕まえましょう』

 

『まてー』

 

怪物がドスドスと、地面を揺らしながら追ってくる。

黒い影によって増強された脚力を用いて、僕は怪物から距離を取った。

とにかく平井さんの側から、怪物を引き離すべきだろう。

しかし僕の前に、マネキンの頭部を固めたボールが回り込む。

前と後ろを怪物に挟まれて、その場から僕は動けなくなった。

 

『僕達お手柄だね!』

『どんな宝具が入っているのかしら』

 

赤ちゃん人形の手が、僕を捕まえようとしていた。

視界を覆うほどに巨大な手へ向かって、僕は槍を突き出す。

「怪物に刺さるか」を心配するよりも、「槍が壊れないか」が不安だった。

しかし意外な事に、古びた槍は折れなかった。

それ以上の成果として巨大な手の平に、深く突き刺さる。

 

『いったーい!』

 

巨大な手が振り回される。

横から強い衝撃を受けて、僕の体は吹き飛んだ。

ガラス張りの壁面を突き破って、衣服の並ぶ店内へ転げ落ちる。

視界の急速な変化に耐え切れず、僕の意識は曖昧な状態になっていた。

それでも無意識の内に、僕の体は立ち上がろうと足掻いている。

 

もしも這いずる影の力を得ていなかったら即死だった。

自分で思っていたよりも、僕の体は頑丈になっているらしい。

怪物を見ると、僕の刺した槍を持っていた。

そして古びた槍の両端を握り、ペキリと圧し折る。

これまで悪夢と戦う僕を支えてくれた武器は、ゴミのように捨てられた。

 

『こら、お止めなさい。そんな貧相な物でも宝具かも知れないでしょう』

『はーい』

 

その行為に僕は怒りを覚える。

相手が怪物であろうと、何であろうと構わない。

染みが着いているボロい槍だったけれど、使い続けて愛着が湧いていた。

それに感情を抜いた問題としても、武器がなければ這いずる影と戦えない。

とは言っても、悪夢の心配よりも、今を生き抜く方が重要だ。

 

このまま衣類に紛れて、建物の奥へ逃げたい。

しかし、そもそもの僕の目的は、平井さんを助ける事だ。

怪物と戦うのではなく、平井さんを持ち上げて逃げるべきだったのかも知れない。

巨大な赤ちゃん人形は室内に入らないから、マネキンの頭部を固めたボールの方が来るだろう。

もはや僕の手に武器はなく、建物の中から出る事すら難しい。

 

『余計な手間の掛かるものね。私が探しに行くから、おまえは続きをしていなさい』

『やったー、いただきまーす!』

 

割れたショーウィンドウから、マネキンボールが侵入する。

巨大な赤ちゃん人形は、さっきの続きをするつもりらしい。

そんな事はさせない。平井さんを守るんだ。

僕は床に落ちていたガラスの破片を拾って、壁の方へ投げた。

ガラスの破片が壁に当たって、高い音を鳴らす。

 

僕は立ち上がって、ショーウィンドウの横にある扉へ向かう。

一瞬、ガラスの破片に気を取られたものの、マネキンボールは僕を発見した。

良かった。僕を釣り出すためのウソかと思ったものの、本当に見失っていたらしい。

室内に並ぶ衣類の上から、こちらに突進してくるマネキンボールが見える。

僕は近くに立っていた上半身のみのマネキン(トルソー)を掴み取って、振り回した。

 

『げぇっ!?』

「うわっ!?」

 

本当は投げようと思っていたものの、マネキンボールは予想以上に速かった。

振り回したトルソーは上手く当たって、砕け散ると共にマネキンボールを弾き飛ばす。

その間に僕は扉から出て、頭に入れておいた平井さんの位置を見る。

しかし、そこには誰も居なかった。平井さんがいない。周囲で止まっていた人々もいない。

巨大な赤ちゃん人形が薄白い炎を吸い込んでいる様を見て、僕は間に合わなかった事を知った。

もはや平井さんを助けるという、目的を達成する事は叶わない。

足を止めてしまった僕の背後から爆砕音と、体を圧し折るような衝撃が襲いかかった。

 

『ミステスのくせに、やってくれるものね』

 

地面に倒れ伏した僕を、2体の怪物が見下ろしている。

マネキンボールの体当たりを受けたらしく、目の玉が裏返りそうな痛みを感じていた。

ここまで、なのだろうか。

こんな所で死ぬのだろうか。

せめて平井さんの仇を討ちたかった。

 

『ギィエエエエエエ!!』

 

聞き苦しい悲鳴が聞こえる。

あの怪物が怒り、怯えていた。

何事かと思ったものの、呼吸を続ける程度で限界だ。

壁を打ち、道路を削る、そんな音が鳴り響いている。

やがて静かになると、軽い足音が近付いてきた。

 

「これ、ミステス?」

『うむ、しかも少々風変わりと見える』

 

何かが僕の体を包み込む。

視界に光が戻って、そこに火の揺らめきが見えた。

僕の体は炎に包まれて、すぐに違和感は消えていく。

体の痛みが消え、呼吸も楽になった。

これはヨーハンさんも使っていた変な回復魔法だ。

ファイヤーで傷を治すなんて、ヨーハンさんと同じ"魔法使い"なのだろう。

 

「……ありがとう。君のおかげで助かったよ」

 

本当に感謝の言葉しかない。

僕を助けてくれたのは、少女だった。

僕のボロい槍と比べれば輝いて見えるほど、少女は立派な刀を持っている。

魔法のおかげでヨーハンさんの時と同じように、僕の破れた服まで直っていた。

辺りを見回しても、怪物の姿はない。

この少女が倒すか、追い払ってくれたのだろうか。

でも、平井さんは消えてしまった。おそらく怪物に食べられてしまった。

 

「平井さん……」

「おまえは、なに?」

 

平井さんの居た場所を見つめていると、その目前に刀が振り下ろされた。

錆びている上に圧し折られた僕の槍と違って、その刀は曇りや傷一つもない。

本来ならば怯える所なのだろう。でも僕は、その少女の纏う色に気を取られた。

その少女の髪や目は、炎のような色で揺らめいている。

赤くて赤い、単に赤いと言う言葉では言い表せない"紅蓮"だ。

悪夢の中で出会ったヨーハンさんの、琥珀色の炎を思い出す。

 

「綺麗な色だね」

「まじめに答えなさい」

 

紅蓮の少女はムッとした。

ペチペチと刀の腹で、顔の頬を叩かれる。

それにしても「なに?」と聞かれて僕は困った。

僕は坂井悠二だ。でも、そういう事を聞いている訳ではないのだろう。

あの怪物や、この時が止まったような空間の事こそ、僕に説明してもらいたかった。

 

「僕は普通の人間だよ」

「ただの人間は、燐子に叩かれてガラスに突っ込んだら死ぬの」

 

「それもそうか」

「それに、おまえは人間じゃなくてトーチよ」

 

「トーチ?」

「質問してるのは、こっち」

 

容赦なく、ズバッと斬られる。

僕の体は肩から腹部まで、縦に斬り裂かれた。

助かったと思ったら、この様だ。

――ああ、やっぱり僕は死ぬらしい。

現実と思えない冗談のような光景に、僕は笑ってしまう。

 

「あはっ、あははは!!」

 

「ねえ、アラストール。なに、これ?」

『これで死ぬと思っているのなら、こやつは本当に何も知らぬようだな』

 

「でも、ミステスでしょ?」

『灯りの色は他の物と同じだ。戦闘用に作られたのではなく、自ら宝具の力を引き出したのやも知れぬ』

 

言葉の意味は分からないけれど、話を聞いていない訳じゃない。

紅蓮の少女は首飾りと会話していた。

"魔法使い"なのだから、そういう事もあるか。

魔法という言葉は便利だった。分からない物を分からないままで受け入れる事ができる。

でも、そのままじゃ原因も分からず、同じことが繰り返される。あの悪夢も同じことだ。

 

さっき僕は、体を縦に斬り裂かれた。

普通の人間だったら、斬られた直後に死んでいる。

でも、僕は笑う暇まであった。

落ち着いて見れば、傷口から血は出ていない。

断面は滑らかで、あるべき内臓が見当たらなかった。

 

「君は、"魔法使い"なのか?」

「違う。私は"フレイムヘイズ"」

 

「フレイムヘイズ?」

「存在の力を喰らう紅世の徒を狩り出して討滅するの」

 

説明してくれるのは嬉しいけれど、専門用語が多くて話が進まない。

言葉の意味について尋ねていると、紅蓮の少女の機嫌が悪くなってきた。

しかし、喋る首飾りもとい"アラストール"の仲裁によって、説明を続けてもらう。

分かりやすく言えば、秘かに人を食らう怪物を非合法な組織が私刑に処している。

すでに坂井悠二は殺されている上に、僕という自覚のない偽物が配置されていた。

 

僕は坂井悠二ではなく、坂井悠二という名札の付いた物体だ。

やがて僕も平井さんも燃え尽きて、ここ世から跡形もなく消える。

悪夢の中で死ぬのかと思っていたけれど、すでに僕は死んでいたらしい。

"坂井悠二"の家に帰ったものの、そうする事に"僕"は罪悪感を覚える。

まだ実感の湧かない話ではあるけれど、"僕"は"坂井悠二"を騙っている事になるんだ。

 

現実は悪夢よりも厳しかった。

肉体の怪我は直ったものの、精神は疲れている。

視界を曇らせるほどの眠気によって、僕は悪夢へ誘われていた。

唯一の武器が折れたまま僕は眠って、目覚める事ができるのだろうか。

体の内側に収納している古びた槍は、怪物に折られた状態のまま元に戻らなかった。

 

――――――

――――

――

 

本当の肉体が眠っている状態で、「目覚めた」とは言い難い。

壁に松明(たいまつ)の刺さっている土の通路で、僕は意識を取り戻した。

すぐに体の内側から折れた槍を取り出して、それぞれを両手に握る。

片方は錆びた刃が付いているけれど、もう片方は木の棒に等しい。

短くなった分、両手で力を加えるのは難しく、攻撃範囲も狭くなった。

 

寝る前に履いた靴で、湿った地面を踏む。

悪夢用の服に着替えているので寒くはない。

槍を握る手は、軍手を着けていた。

身に付けている物は、こうして悪夢の中へ持ち込める。

しかし、ポケットに入れたはずのライトは失われていた。

 

さっそく通路の片方から、這いずる音が聞こえる。

通路で立ち止まっていると挟み撃ちを受けるので、音の聞こえる方へ向かった。

すでに這いずる影は、広い部屋から狭い通路へ入り込んでいる。

最初に悪夢を見て以来、古びた槍を手放した事はなかった。

この短くなった槍で、どれほど戦えるのか分からない。

 

ズルズルと影が這いずる。

下半身を失った腹部で地面を擦り、両腕を使って前に進んでいた。

影は地面を這いずっているため、僕は下側に向かって攻撃する事になる。

離れた位置から駆け出して影を刺すのも、1つの方法だろう。

しかし槍は短くなっているため、影による攻撃の合間を狙う事にした。

 

這いずる影の腕を避けて、その頭部に槍を突き立てる。

そこで伸ばされた影の腕を、断たれた槍の棒となった部分で払った。

そうして這いずる影は崩れ落ち、僕の足下に伸びると体に染み込んでいく。

指先に痛みを感じて見ると軍手の先が溶けて、1本の指が赤く染まり膨れ上がっていた。

少しだけ這いずる影に触られたらしく、痛みは継続している。

 

1つ2つと部屋に出て、また通路に入る。

部屋に木箱はないものの、影は這いずっていた。

1本の指に怪我を負った事から始まり、影と戦うたびに怪我は増えていく。

膨れ上がった手は、両手の武器を上手く握れなくなっていた。

いくら怪我を負っても、この悪夢は覚めない。

 

やがて行き止まりの部屋に辿り着く。

その部屋の中央に、四角い穴が開いていた。

この穴を飛び降りると、次の階に出る事は分かっている。

その前に、この階の探索を完了させるべきだろう。

どこかに武器が落ちているかも知れない。

 

僕は通路を逆行する。

這いずる影は復活しないから楽だ。

ただし、這いずる影は通路を移動するから安全ではない。

そう思っていると、連続する足音が聞こえた。

這いずる音ではなく、2本の足で歩く音だ。

人の足音と思ったももの、余裕のない僕は不安になる。

 

足音の聞こえる通路へ入らず、僕は様子を探った。

すると金色の髪と黒い瞳を持つ見知った外国人が、松明の灯りに照らし出される。

あれは初めて悪夢を見た時に出会ったヨーハンさんだ。

闇から現れた青白い女性によって、ヨーハンさんは黒い渦に飲み込まれた。

でも、良かった。ヨーハンさんも生きていた。

 

「ヨーハンさん!」

「やあ、ユージくん」

 

ヨーハンさんと再会して、僕は嬉しかった。

でも、ヨーハンさんの胸に灯りが見える。

僕や平井さんと同じ、怪物に喰われて作り出された偽物の証だ。

人の存在を喰らう"紅世の徒(ともがら)"。

喰われた人の代替物として配置される"トーチ"。

そして紅世の徒を討滅する"フレイムヘイズ"。

 

「ヨーハンさんはフレイムヘイズじゃなくて、トーチだったんですか」

「ああ、ユージくんも見えるようになったんだね」

 

ヨーハンさんも偽物だ。

僕や平井さんと同じ、いつかは消える存在だった。

そのヨーハンさんとしての姿形を持っていた人物は、すでに死んでいる。

"僕"は坂井悠二ではなく、"彼"はヨーハンではない。

フレイムヘイズである紅蓮の少女によれば、トーチは"人"ではなく"物"とされる。

 

「ヨーハンさんも徒(ともがら)に喰われたんですね」

「僕の場合は"喰われた"のではなく、"喰ってもらった"んだよ」

 

「喰ってもらった?」

「僕の愛した徒と同じ時間を生きるために、老いる事のないトーチになったんだ」

 

トーチの灯りは、人を喰った徒の色に左右される。

僕や平井さんの灯りは薄白くて、ヨーハンさんの灯りは黄褐色だ。

ヨーハンさんに宿る炎の色は、宝石のような琥珀色と言える。

初めて会った時にヨーハンさんは炎の色を「僕と彼女を繋ぐ絆の証」と言っていた。

ヨーハンさんの持つ琥珀色の炎は、ヨーハンさんを喰らった徒の色なのだろう。

 

「でも、トーチは本人と異なる物なんじゃ……」

「僕は彼女を愛している。この思いは誰かに作られた物ではないよ」

 

トーチになって変わったのは、いずれ跡形もなく消滅するという事だ。

死体も残らず、歴史から忘れられて、僕の存在を証明する物は無くなる。

でも、そんな事は僕の思いと関係がない。

この世に存在する在り方は違っても、人格まで変わっている訳じゃない。

坂井悠二としての心を持つ僕は、"坂井悠二"として在っても良いのだろうか。

 

「ユージくん、怪我を直そうか」

「いいえ、ヨーハンさんの持つ存在の力を無駄にしたくはありません」

 

僕は初めて会った時に聞いた、ヨーハンさんの説明を思い出す。

ヨーハンさんによると回復魔法は、「"物体の魔力"に干渉する魔法」だ。

つまり「"トーチを形成している存在の力"に干渉する加工技術」となる。

"魔力"は"存在の力"を示し、「時間が経つほど減っていく」。

そうしてヨーハンさんは自分の命を削って、僕の怪我を直していた。

 

「この程度の怪我なら、自然に治ります」

「ユージくん、心配する必要はないよ。存在の力を回復する方法はあるんだ」

 

「それは……人を喰らうんですか?」

「いいや、僕らは――僕と彼女は人を喰わない。人は喰わないと約束したんだ」

 

ヨーハンさんの言う"彼女"は、紅世の徒のことか。

同じ時間を生きるために、人であるヨーハンさんを喰らった徒だ。

紅世の徒と聞いて僕は、平井さんを喰らった怪物の事を思い浮かべる。

あんな怪物ばかりじゃなくて、「人を喰わない徒(ともがら)」もいるのか。

今日の間に受けた悪い印象と違って、「良い徒もいる」というのは意外な事だった。

 

「ここで見つけた青い液体を飲めば、存在の力を回復できるんだよ」

 

ヨーハンさんは体の内側から、"青い液体の入った透明な小瓶"を取り出す。

そういえば「赤い液体·黄色い液体·青い液体」の小瓶は、ヨーハンさんに持ってもらっていた。

まさかヨーハンさんは、この怪しげな液体を飲んで効果を確認したのだろうか。

腐った木箱から拾得した上に、薬か毒かも分からない品物だ。

ちなみに僕はヨーハンさんと共にいた最初の探索以来、小瓶を発見した事はない。

 

「ヨーハンさん、その青い液体を譲っていただけませんか?」

「もちろん、ユージくんの消滅を見過ごすような事はしないよ」

 

「いいえ、僕の知り合いに……徒に喰われた人がいるんです」

 

僕の目の前で喰われた平井さんの事だ。

しかし、平井さんを"トーチ"と言うのは抵抗があった。

ヨーハンさんに対しては"トーチ"と言っていたのに、おかしな事だと自分でも思う。

「トーチは偽物である」という認識が強いから、平井さんを偽者と認めたくないのだろう。

平井さんの死を認める事に、僕は強い拒否感を覚えていた。

 

「ユージくんは、その人に消えてほしく無いんだね」

 

青い液体の入った透明な小瓶は、ヨーハンさんの手の内にある。

"存在の力を回復できる道具"の価値は、計り知れないと僕も分かっていた。

攻撃や治療の回数を増加させて、トーチとしての寿命も延長できる。

この悪夢を生き抜くために必要で、おそらく現実であっても変わらず使えるはずだ。

……信頼関係を傷付ける悪手ではあるものの、1本ならば僕も所有権を主張できる。

 

「ユージくんとって、その人は大切な人なのかな」

「はい、大切な人です」

 

平井さんは高校に入学してからの知り合いだ。

でも平井さんは、僕の親友に好意を抱いている。

だから平井さんは親友と同格であり、家族の次に重要な人物だ。

僕は平井さんの恋を応援してあげたい。

このまま平井さんの想いが、その存在と共に消えるなんて嫌だった。

 

「その人のためならば、死んでも良いと思っているのかな」

「いいえ、僕が死んだら、平井さんも消えてしまいます」

 

平井さんと関係のないヨーハンさんは、一方的に損をする。

青い液体を失えば、その分だけヨーハンさんの余裕も失われる。

存在の力を使い果たして、この世から消滅する恐れもある。

青い液体を譲る事は、ヨーハンさんにとって不利益しかない。

それなのに代償として、僕が差し出せる物は無かった。

 

「分かったよ。僕の手に入れた物を、ユージくんに提供しよう」

「ありがとうございます、ヨーハンさん!」

 

「ただし、ユージくんも飲まなけれならないよ」

「すみません。そうですね」

 

僕が消えれば、平井さんも消える。

平井さんよりも先に、僕が消えたら意味がない。

僕が平井さんを守るんだ。そして親友の池と……

そんな事を考えていると、ヨーハンさんは笑顔を見せた。

なぜか僕の両肩を、ヨーハンさんは両手で掴み、顔を近付ける。

 

「ところでユージくん、この青い液体は1本しかないんだ」

「それなら次に見つけた分でも……」

 

「いやいや、そうじゃないよ。もしも間に合わなかったら意味がないからね」

「そうですね。助かります」

 

「1本しかない訳だから、その人とユージくんで一緒に飲まなければならない」

「はい、分かりました」

 

「ところが、この青い液体は開封すると急速に劣化するんだ」

「そうなんですか?」

 

「そこで劣化を抑えるために、ユージくんが素早く口に含んだ後、その人に口移しすると良い」

「え?」

 

「分かったね?」

「開封した後、すぐ飲ませれば大丈夫なんじゃないですか?」

 

「次に何時、青い液体が手に入るのか分からない今、少しでも無駄にはできないんだ」

「いや、でも……」

 

「これは必要な事なんだよ、ユージくん。"あと少しの所で間に合わなかった"なんて嫌だろう?」

「そうですけど、平井さんの気持ちも考えないと」

 

「無駄にすると言うのなら、これはユージくんに渡せない」

「そんな横暴な!?」

 

「冷静に考えるんだ、ユージくん。たとえ相手に嫌われたとしても、その人の命が救えれば良いじゃないか」

「そうでしょうか……」

 

「そうなんだ」

「そうなんですか……」

 

ヨーハンさんに念を押されて、青い液体の入った透明な小瓶を受け取る。

平井さんの恋を応援するのに、僕が唇を奪って如何するのか。

青い液体を譲ってもらった僕としては、ヨーハンさんの注意を無視する事は抵抗がある。

だからと言って、平井さんに口移しをするのは嫌悪感を覚える。

しかしヨーハンさんの言う通り、青い液体は一滴も無駄にできない大切な物だ。

感情と価値を並べて、どうするべきか僕は思い悩んでいた。

 

 

 

――僕は何も分かっていなかった。

トーチは老化しない。トーチは成長しない。

すでに"トーチである平井さん"の時間は、"人間である池"と噛み合っていない。

僕に求められていたのは平井さんと共に、すべてを置き去りにして同じ時を生きる覚悟だった。




お気に入り2件、記念パピコ
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