ヨーハンさんと炎の騎士が戦っている。
車も走れるほどに広い通路で、黄褐色と赤色の炎が踊っていた。
僕は近付く事もできないまま、その戦いを見ている。
辺りを見渡しても、壁の松明や木片ばかりで使えそうな物はなかった。
僕は戦場の端から、その戦いを見ている事しかできなかった。
ヨーハンさんは武器を持っていないけれど、風を使って戦っている。
その風は渦を巻いて騎士の槍を防ぎ、騎士を拘束し、あるいは騎士を吹き飛ばしていた。
炎の騎士は炎で形作られた槍を持ち、ヨーハンさんを追い回している。
その攻撃は単調で、策を練るほどの意思は持っていないように見えた。
まるで操り人形のように、ひたすらに疲れる事もなく、突撃を繰り返している。
問題は騎士が1体ではない事だ。
扉を破った騎士に続いて、次々と奴らは現れた。
ある騎士は槍を持ち、ある騎士は斧を持ち、ある騎士は剣を持っている。
特に槍や斧を持つ騎士は厄介で、ヨーハンさんに炎の武器を投げ付ける。
ヨーハンさんの敵は、紅蓮で彩られた30体ほどの小隊だった。
ヨーハンさんの灯りは、まだ明るい。
どうやらヨーハンさんの力は、僕が思っている量よりも多いようだ。
それでも保有する存在の力を表す灯りが、暗くなっていく事に違いはない。
それ以上に深刻なのは、騎士に付けられた傷だった。
傷を完全に直す間もなく、ヨーハンさんは戦うことを強いられている。
力尽きた騎士は地面で燃え尽きる。
その跡に黒い影が現れ、ヨーハンさんへ吸い込まれていった。
この紅蓮の騎士団も、這いずる影の一種なのだろうか。
影によってヨーハンさんの肉体は強化されるけれど、傷は治らない。
"青い液体の入った透明な小瓶"を使わなければ、存在の力も回復しない。
やがて騎士は残り10体となった。
30体ほど数えた時と比べれば、楽に戦える数だ。
前は30の攻撃が来ていたけれど、今は10の攻撃しかない。
最初と同じ体力があれば、問題なく倒せる数だった。
しかし、そこでヨーハンさんは崩れ落ちる。
「ヨーハンさん!」
すでに戦場へ近付き、準備は済ませていた。
騎士の注意を引くために大声を上げるものの、どちらも反応しない。
炎で形作られた騎士を、素手のまま僕は殴り倒した。
その脚を持って振り回し、他の騎士に向かって投げ飛ばす。
すると音に反応しなかった騎士団は一斉に、僕の方へ向き直った。
ずっとヨーハンさんと戦う様子を見ていた
こいつらの攻撃は、やはり単調だ。
剣は振り上げて、横や下から始まることはない。
槍や斧を投げる時も、必ず振り上げてから投げる。
騎士の数さえ減れば回避できる。
いや、それよりも……
「熱くない?」
素手で殴っても、炎の騎士は熱くなかった。
むしろ金属を殴ったような硬い感触だ。
ゲームで例えるならば「炎属性」ではなく「鉄属性」と言える。
明らかに炎で形作られた外見から、てっきり火傷すると思っていた。
これならば、触れた程度で手を赤く膨らませる這いずる影よりも楽だ。
残り10体の騎士は無傷ではない。
再生能力が無いのは分かっている。
ヨーハンさんが直してくれたおかげで体調はいい。
武器は無いけれど、素手でダメージを与えられる事は分かった。
あとは騎士の単調な攻撃で、傷を負わないように注意すればいい。
簡単だ。
そう思い込んで、騎士と戦いを始める。
機械的に降り下ろされる2つの剣を避け、騎士の合間から飛来する3つの槍を避ける。
空中で回転する3つの斧を避けると、そこへ2つの剣が降り下ろされた。
投げる度に生み出される無限の武器が憎らしい。
「 あはっ」
笑ったのは誰だ――僕だ。
ヨーハンさんの付けた傷跡が残っている騎士を蹴り飛ばした。
地面に倒れた騎士に近寄り、素早く頭部を殴る。
もっと強く殴らなければ、騎士を破壊できない。
僕の拳が壊れるほどに強く殴るんだ。
意識が剥離する。
考えている僕と、戦っている僕が分かれていく。
ペリペリと痛みを伴って、僕が剥がれ落ちていった。
僕は誰なのだろうか
僕は坂井悠二ではない。
坂井悠二の偽物だ。
坂井悠二を模して加工されたトーチだ。
紅蓮の少女は"物"として僕を扱うけれど、それは間違っていない。
もはや僕は"坂井悠二"という名前に頼って、この世に存在する事はできない。
僕という存在が不安定で、誰かに名前を呼んでほしかった。
僕の名前は――■■■■。
「あははっ!!」
今、僕のするべき事は何だ。
『ヨーハンさんを守るんだ』
ならば
「僕は敵を――殺す」
痛みなんて知ったことか。
この体は容れ物に過ぎない。
いくら壊しても構わない。
大事な物は僕じゃない。
大切な人だけ守ればいい。
腕が壊れるほどに騎士を殴って、右手は破れて血に塗れた。
痛みを無視して騎士を蹴り飛ばし、壁に衝突させる。
でも、体が動かなくなるのは不味い。
地面に倒れた騎士の脚を持って振り回す。
そうして飛来する槍と斧を弾き返した。
「があああああ!!」
獣のように僕は吠える。
それでも騎士の動きは冷静に捉えていた。
これは良い武器だ。
持ったままの騎士を振り回し、武器として活用する。
体を無理に動かして、騎士の重さによる速度の低下を補った。
――殺す。殺さなければならない。
そのためならば、この体が壊れても構わない。
――守る。守らなければならない。
そのためならば、この命を失っても構わない。
――だから、この一瞬だけは死ねない。
それは感じた事がないほどの激情だった。
それでも頭の中にいる、もう1人の自分は冷静だ。
冷静に、僕の命を使い捨てる事を考えている。
そのとき体の中に力を感じた。
その正体を知らないまま、僕は力に思いを伝える。
僕は素手で騎士を引き裂いた。
なにか分からないけれど、騎士を倒しやすくなった。
1秒前よりも速くなり、1秒前よりも強くなる。
よく考えてみれば、僕は物なのだから壊れても直せばいい。
そんな風に思うだけで、炎の武器による切り傷は塞がった。
頭の中の冷静な僕は、不思議な力の消費を感じ取る。
血液を失っていくように曖昧な感覚だけれど、たしかに何かが減っていた。
"物理的な力の増大"と"傷口の修復"から、その不思議な力の正体は察せられる。
どうやら僕は、存在の力を感じ取れるようになったらしい。
だかと言って喜ぶ事もなく、平井さんに薬を飲ませた際に回復した事を思い出していた。
存在の力は十分にある。
ヨーハンさんの様子も心配だ。
だから少し無理をしても良いだろう。
僕は"回避優先"から"攻撃優先"へ切り替える。
そこに戦いに対する嫌悪も、騎士に対する恐怖もなかった。
1体1体と、騎士は燃え尽きる。
5体まで減れば僕の勝利は見えていた。
最後の1体も燃え尽きて、その影から木箱が現れる。
半死半生ではなく、余裕を残して勝つことが出来た。
その喜びを感じる事はなく、急いでヨーハンさんへ駆け寄る。
「ヨーハンさん!」
まだ死んでいないけれど、ヨーハンさんの意識はなかった。
自身のように傷を塞ごうと思ったけれど、上手く出来ない。
自分の肉体を加工する術と、他人の肉体を加工する術は違う物なのか。
炎で形作られた騎士は燃え尽きて、周囲を見ても壊された木片しかない。
……いいや、最後の騎士から現れて、さきほど僕が無視した木箱はあった。
キイキイと鳴る、古い木箱を開ける。
すると歯車の刻まれた石板と、"赤い液体の入った透明な小瓶"が入っていた。
青い液体は、存在の力を回復させる物と分かっている。
危険を示す赤という色から、僕は良い印象を受けなかった。
赤い液体を飲むと、毒を受けるという恐れもある。
試しに自分で飲んだ場合、ポジティブな効果であっても無駄になる。
効果が分かった時、すでに液体は固まっている事だろう。
そこでヨーハンさんの状態を再確認して、危険な薬を飲ませるべき状態なのかを判断する。
そういえばヨーハンさんの持つ存在の力は、どのくらい残っているのか。
ヨーハンさんの胸に見える灯りを見ると、不安に思うほど暗くなっていた。
……これは不味いのではないか。
存在の力を回復させる手段を僕は持っていない。
ヨーハンさんに譲ってもらった青い液体は、平井さんに使ってしまった。
そもそも赤い液体を、どうやって意識のないヨーハンさんに飲ませるのか。
下手すると気道に入って……しまった。僕は慌ててヨーハンさんの気道を確保する。
ヨーハンさんの意識がないから、赤い液体を飲ませる事はできない。
そもそも赤い液体を飲むと、薬になるのか毒になるのかも分からない。
ヨーハンさんは力を使いすぎて、存在の力が減っている。
その存在の力を回復させる薬品も技術も、僕は持っていない。
いったい、どうしろと言うのか。
赤い液体と一緒に入っていた、歯車の刻まれた石板を見る。
いくつもの歯車が細かく彫られ、よく見ると文字のような物も描かれていた。
この石板は何に使うものなのか、さっぱり分からない。
とりあえず石板は体の内側に収納して、ヨーハンさんを起こそうと試みる。
体を揺らしても起きなかったので、傷を塞ぐために干渉を試みた。
ダメだ。
こうなったら不利な賭けに出よう。
失敗すれば、"赤い液体を無駄に使う"か"ヨーハンさんに毒を与える"。
僕は透明な小瓶を開封して、ヨーハンさんの口に突っ込んだ。
すべて注ぐとヨーハンさんが窒息する恐れがあるので、余った分は顔に振りかける。
「げほっ!」
「うわぁ」
ヨーハンさんが赤い液体を吐いた。
もちろん血ではなく、僕の注いだ液体だ。
ヨーハンさんの口から飛んできた液体を、僕は慌てて避ける。
ヨーハンさんは地面を転がると、下を向いてゲホゲホと言っていた。
どうやらヨーハンさんは意識を取り戻したようだ。
ヨーハンさんの体の傷も、目に見えて塞がりつつある。
「ヨーハンさん、よかった!」
「よくないよ!? 意識のない人間に液体を飲ませるなんて殺す気かい!?」
ああ、ヨーハンさんのキャラが崩壊している。
ちょっと前まで"頼れるお兄さん風味"だったのに。
でも、ヨーハンさんが元気になって良かった。
存在の力が減っているけれど、それは如何にかなる。
初めて会った時にヨーハンさんは「他人を殺して奪う」と言っていた。
「あの液体は体に振りかけるだけでも、半分くらいは効果があるんだよ」
「そうだったんですか。次からは、そうします」
平井さんに対する口移しは、最大の効果を発揮するために必要な事だったのだろう。
もっとも薬品の異なる使い方を知っているのなら、渡す時に教えて欲しかったと思う。
「それにしてもユージくん。あのプレートアーマーを、よく倒せたものだね」
「存在の力を感じ取れるようになって、体も強化できるように成りました」
「おめでとう。ユージくんのおかげで助かったよ」
「それは良いとしてヨーハンさん。ヨーハンさんの灯りが暗くなっています」
「そうだね。そこでユージくんに頼みたい事があるんだ」
「……分かっています。どうぞ僕の力を受け取ってください」
「ありがとう。ユージくんが居てくれて良かったよ」
「僕もヨーハンさんに会えて良かった」
ヨーハンさんに喰われて、僕は消えるのだろう。
この場に存在の力を回復する薬品はない。
ならばヨーハンさんは、僕から存在の力を奪うしかなかった。
他に方法があるのならば「僕から力を奪う」という選択は取らなかったに違いない。
だから、これは如何しようもない事だった。
僕は片手に意識を集中させる。
ヨーハンさんは僕に手を向けた。
僕は体を跳ね上げて、その胸を貫く。
ヨーハンさんの胸に見える灯火を、引き抜くように腕を戻した。
しかし、その手に掴んだ物は存在の力ではなく、白い肋骨の刺さった肉の塊だ。
「ユージくん……なぜ」
ヨーハンさんは驚きの表情を見せる。
そんなに驚くような事だろうか。
僕としては防御か、反撃されると思っていた。
たしかに僕の身が軽ければ、ヨーハンさんに存在を捧げても良いと思っている。
ヨーハンさんのためならば死んでも良いと思っている。
でも僕は、平井さんの存在も背負っていた。
「すいません。トーチの彼女を保つために、僕は消える訳には行かないんです」
平井さんの存在を保つために、僕は"青い液体"を持ち帰りたい。
ここで僕が消えれば、やがて平井さんも消える。
僕の親友である池と、池に好意を抱いている平井さんの関係も無くなる。
僕の身は兎も角、日常を壊されるのは嫌だった。
僕は外れてしまったけれど、僕の外れてしまった日常を守りたい。
「ふふふ……ユージくん。君は、とんでもない、バカだ」
胸を貫いても喋れるなんて、どうなっているのか。
それでもヨーハンさんは、もはや如何する事もできない。
線のように細くなった灯りは、ヨーハンさんの存在を保つ程度で限界だ。
ヨーハンさんは体の内側から、"赤い液体の入った透明な小瓶"を取り出す。
しかし、ヨーハンさんの手を引き千切って、その小瓶を僕は奪った。
「フィレス……ごめん」
琥珀色の炎が、ヨーハンさんを包み込む。
そのままヨーハンさんの体は、空中に溶けて消えた。
もはや普通のヒトは、ヨーハンさんの事を忘れているだろう。
ヨーハンさんの肉体と共に衣服が消えたように、その存在を証明する物は消える。
これが紅蓮の少女に「物」と言われた僕ら、人に在らざるトーチの死だった。
――
――――
――――――
紅蓮の欠片が舞い散る空間へ戻る。
僕の背中を踏む感覚は無くなっていた。
紅蓮の少女に斬り飛ばされた右腕も直っている。
立ち上がって見ると少女は、僕から離れた場所に立っていた。
ただし、刀を向けている様子から、敵意は消えていないように見える。
「おまえは、なに?」
「高校に入学する前の頃から夢を見るんだ。その中で受けた傷は、現実に物として現れる」
『夢だと?』
「いくつかの宝具を僕が持っている理由は、夢の中から持ち出したからだ」
ヨーハンさんは『炎髪灼眼の討ち手』を、
「無暗に徒を討滅する事はない」「ちゃんと夢の事を話せば誤解は解ける」と言っていた。
その言葉を信じよう。
もっとも、そのヨーハンさんを殺したのは僕だけど。
炎髪灼眼が刃を向けない限り、僕に戦う理由はない。
「アラストール、そんな事あるの?」
『人間ならば兎も角、"トーチと徒"によって宝具を生み出すなど聞いた事がない』
「じゃあ、うそ?」
『いや、そうとも言えぬ。こやつが気絶した一瞬に徒と接触していたのならば、この変化も納得の行くことだ』
「でも、トーチの中には何もいなかった」
『何らかの自在法が仕込まれている可能性もあるだろう』
「そう。だったら壊しておく?」
『ふむ……こやつの炎の色から考えるに、昨日の燐子の主とは別の徒であろう。ここは警告に留めておく事が妥当だ』
「わかった」
炎髪灼眼は刀を納める。
少女は去って、封絶も解かれた
太陽の光が差し込んで、止まっていた川の流れも動き出す。
少女の首飾りに"炎の色"と言われて、僕は自分の胸部を見た。
すると薄白かった炎が、黒っぽく変色している。
それは単なる黒ではなく、全ての色を混ぜたような混沌とした黒だった。
平井さんも含めて、他のトーチの灯りは薄白い。
ヨーハンさんの灯りは琥珀色で「愛した徒に喰ってもらった」と言っていた。
つまり、喰らった徒によって、トーチの灯りは色が異なる。
しかしトーチになった後、途中で色が変わると言うのは何故だろう。
少なくとも僕の悪夢に、紅世の徒が関わっているのは間違いないようだ。
炎髪灼眼の言葉から僕の中に居ないとすれば、いったい何処に隠れているのか。
――その日、夢は見なかった。
昼の間に見たからなのか。
眠気も感じず、僕は徹夜する事に成功した。
この事から察するに、あの眠気も悪夢の影響なのだろう。
徹夜による肉体の疲労も感じず、ヨーハンさんを殺した昨日と変わらない。
いつもと体調は変わらず、いつもと同じように僕は登校した。
机に着いていると、平井さんが寄ってくる。
その胸に見える薄白い炎は明るく、問題はないように見えた。
しかし、バンッと平井さんは両手で、僕の机を叩く。
なんだか平井さんは不機嫌で、疲れている様子だった。
昨日、平井さんに口移しを行った事は記憶に新しい。
「坂井くん……ちょーっと話したい事があるんだけど」
「昨日のこと?」
「そ・れ・も・あ・る・け・ど!」
「うん、分かった。じゃあ、別の場所で話そうか」
平井さんはペシペシと机を叩き、荒らぶっていた。
注目しているクラスメイトの視線も気にならない様子だ。
そんな平井さんを見た僕は、親友である池を探したものの見当たらなかった。
代わりに、心配そうな表情を浮かべている"平井さんの幼馴染み"が目に映る。
とにかく話を聞くために、平井さんと共に教室から離れた。
「昨日から胸に変なボボーッとした火が見えるんだけど、これって何なの!?」
「えっ、そっちの話?」
てっきり、口移しに関する苦情と思っていた。
「これって坂井くんが昨日、あたしに飲ませた変な薬のせいでしょ!」
どうやら平井さんは、トーチの灯りが見えるようになったようだ。
怪物の張った封絶に巻き込まれて、僕は灯りが見えるようになった。
これは紅世に関わりすぎた結果だろう。
"紅世の徒が関わっているらしい悪夢"から持ち出した薬品を飲ませた事が原因に違いない。
親友の池に古びた槍を取り出して見せた事があったけれど、あれは"本当に"不用意な行動だったようだ。
「ごめん。平井さんを巻き込んじゃったね」
とは言っても、青い液体を飲ませなければ平井さんは消えていた。
僕にとって「薬を飲ませない」という選択肢はなかった。
平井さんが消えると困るから僕は薬を飲ませたんだ。
人の命を助けるためとしても、そこに平井さんの意思はなかった。
ならば平井さんの感じている苦痛は、僕に責任がある。
「平井さんに見えているのは、"この世の本当のこと"なんだ」
炎髪灼眼から聞いた"紅世"の事を、平井さんに説明する。
人の存在を喰らう徒と、喰われた後のトーチと、怪物を狩るフレイムヘイズ。
体の中に炎が見える人々は、すでに死んでいるトーチであり、いずれ燃え尽きる。
しかし存在の力を回復させる薬品を飲んだので、僕と平井さんの残り時間は延長された。
薬品の入手元である悪夢の説明は飛ばし、そこまで話すと平井さんは疑問を上げる。
「ねえ、あたしの両親にも、その火が見えたんだけど……」
へー、そうなんだ。
「それは……」
僕は深刻そうに応える。
平井さんが消えなければ、僕としては問題ない
しかし、親の消える過程を見る事は、平井さんの精神に致命的な負担を掛けるだろう。
僕の内側に収納してある薬品は青い液体ではなく、負傷を回復させる"赤い液体"だ。
今すぐ眠って悪夢に潜ったとしても、青い液体を入手できる確率は低い。
「あの薬は珍しい物で、今は持ってないんだ」
「どこにあるの!? どこに売ってるの!?」
平井さんは焦っているようだ。
両親が消えれば、その収入も貯金も消える。
平井さんの両親は、最初から居なかった事になる。
そうなれば平井さんは厳しい生活を強いられる事になるだろう。
あるいは平井さんは単純に、両親を心配しているのかも知れない。
「売ってないんだ。自力で手に入れるしかない。でも次は、いつ発見できるのかも分からない」
「そんな……」
平井さんは絶望している。
あとは他人から奪うという手段もある。
しかし平井さんや僕も、存在の力を奪い取る方法は知らない。
この様子では両親の消えた後を、平井さんが追って自殺するという恐れもある。
絶望による自殺を防ぐために、平井さんの精神を調整する必要があった。
「今日、平井さんの家に行っても良いかな?」
「え? なんで?」
「まだ時間に余裕があるのか、確かめて置きたいんだ」
「……うん、分かった。じゃあ、放課後にね」
「じゃあ、また」
「あのね。坂井くん」
「うん?」
「ありがと」
平井さんは教室へ駆け戻って行く。
お礼を言われて、僕は困った。
両親に残された時間の確認に過ぎず、「助ける」なんて言っていない。
平井さんの両親は消えた方が、僕にとって都合がよかった。
青い液体は継続的に都合よく手に入る物ではないからだ。
僕も教室へ戻ると、親友の池が登校していた。
「池、今日の放課後に平井さんの家へ行かないか?」
「平井さんの家? おまえは何の用で行くんだ?」
「ちょっー! 坂井くん! なんで池くんも!?」
「女の子の家に、僕一人で上がるなんて出来ないよ」
あれ? 平井さんは池が好きだから、一緒の方が良いんじゃないのかな?
「良いから! 坂井くんだけで良いから!」
「あー、そうだな。悪いけど、今日は帰りに寄る所があるんだ」
池は何かに気付いたように「ハッ!」とする。
その視線は僕と平井さんを繋いでいるようだった。
さらに池の視線は、僕と平井さんの後方で止まる。
振り返ってみると、平井さんの幼馴染みが慌てて目を逸らした。
そんな幼馴染みの様子を見た平井さんが、池に続いて「ハッ!」とする。
――なんだ、これ。
「そうだ! 一美(かずみ)も私の家に寄ってよ!」
「ううん、私はいいよ」
「そんなこと言わないでー! 一美だけが頼りなのー!」
「ええー!?」
話を纏めると平井さんの家に、幼馴染みの吉田さんも行くことになった。
池と平井さんの仲を深める目的だったので、吉田さんを連れて行っても大して意味がないと思う。
しかし「女の子の家に一人で上がる訳には行かない」という建前としては断る訳にも行かない。
そういう訳で放課後になると、僕らは平井さんの家へ向かった。
マンションに入って、平井さんと両親の住む一室へ向かう。
平井さんによると親は両方とも働いているらしい。
なので両親が帰ってくるまで、お喋りで時間を潰す。
ふと思い出した僕は電話を借りて、自宅の留守番電話へ帰宅が遅くなる事を記録した。
早目に帰ろうとしていた吉田さんは、平井さんが引き留める。
平井さんに頼まれた僕は、あとで吉田さんを家まで送ることになった。
「あたしの親は30分くらいに帰ってくると思うよ」
「ゆかりちゃん、親って?」
「あたしの親だけど?」
「えっと……」
言い詰まった吉田さんに、平井さんはハテナマークを浮かべる。
相手の意図を双方が理解できていない様子だった。
その会話を外側から聞いていた僕は、平井さんの両親の現状を察する。
平井さんの幼馴染みである吉田さんが同行して、これは正解だった。
僕らのいるダイニングルームを見回すと、あちこちに在る物が消えていく。
「ちょっと!? これって何なの!?」
「どうしたの、ゆかりちゃん?」
平井さんは気付いたけれど、吉田さんは気付かない。
奥行きのある大きなブラウン菅テレビが消えていく。
縦長い棚に並んでいる本ごと、本棚が消えていく。
しかし、本棚に入っていた本の1つが残って、床に落ちた。
おそらく両親ではなく、あれは「平井さんの本」という分類なのだろう。
「なに!? 何なの!? ねえ、坂井くん! これって何!?」
「落ち着いて、平井さん。吉田さんが不思議に思ってる」
「……ねえ、一美。もしかして見えてない?」
「どうしたの、ゆかりちゃん。大丈夫?」
「坂井くんは見えてるんだよね?」
「大丈夫だよ、平井さん。安心して」
「いたっ!」
吉田さんが床に落ちる。
僕も違和感を覚えて立ち上がった。
何事かと思えば、椅子が消えつつある。
このマンションならば兎も角、一軒家だったら如何なるのか。
もしも僕の両親が消えたら、家が丸ごと消えるのだろうか。
「坂井くん、どうしよう……!?」
平井さんはパニックを起こして、考える事を放棄している。
しかし、その方が平井さんにとっては良いだろう。
平井さんの両親が、この世から消えた事は明らかだ。
家具などの消えた理由の説明は後回しにした方がいい。
もっとも平井さんの両親が"同時に"消えた事は、僕としても不自然に思う。
「吉田さん、どうして床に落ちたの?」
「えっと、足が滑ちゃったのかも……」
「それは、じつは幽霊のせいなんだ」
「ええっ!?」
「さっきから僕と平井さんには、部屋を駆け回る幽霊の姿が見えてるんだ」
「ええええええっ!?」
「とにかく、ここから早く出よう。さあ、平井さんも急いで」
「うっ、うん」
この異常なマンションに居ると、平井さんの精神を悪くする。
家具が消えて空っぽになっていく部屋から、僕らは平井さんを連れ出した。
意味がないと思っていたけれど、今は吉田さんが居て良かったと思う。
吉田さんが同行していなければ平井さんは、僕が引き取るしかなかった。
「今日は寄る所がある」なんて、まったく池はタイミングの悪い奴だ。
「ねえ、ゆかりちゃん。大丈夫?」
「うん……」
吉田さんが心配しているけれど、平井さんは放心している。
パニックは治まったものの、自力で歩くことすら放棄していた。
マンションへ戻ろうとしている動きも、少し見える。
「帰りたい」という気持ちもあるけれど迷っているのだろう。
このままでは何時になったら吉田さんの家へ着くのか分からない。
「平井さん、ごめんね」
「えっ、ちょっと……」
「吉田さんの家まで運ぶよ」
「止めてよ……」
平井さんを抱き上げる。
すると平井さんは嫌がった。
とは言っても、本気で抗うほどの元気はない。
今の平井さんは通行人の視線に気を配る余裕はなかった。
帰宅する時間を早めるために、このまま強引に運んで行こう。
ふと横を見ると、吉田さんが居なかった。
「どうしたの、吉田さん?」
「……ううん、何でもないの」
足を止めていた吉田さんに声をかける。
僕の腕の中にいる平井さんを、吉田さんは複雑そうな表情で見ていた。
吉田さんは、平井さんの幼馴染みで同級生だ。
僕の見る限り、池ような親友と言えるだろう。
そんな親友が異性に抱き上げられている様子を見るのは反応に困るか。
「坂井くんって力持ちなんだね。びっくりしちゃった」
「これでも人並みに鍛えてるんだ」
悪夢の這いずる影から得た力だ。
平井さんを運ぶくらいならば、赤ちゃんと変わりない。
そのまま僕は平井さんを、吉田さんの家へ送り届けた。
何かあった時は連絡網から、僕の家へ電話をかけるように言う。
自殺を試みた時のために傷薬と言って、"赤い液体の入った透明な小瓶"を吉田さんに渡した。