「これでオッケーですか? 揃いました?」
「はい! ばっちりです!」
事務所の一角でずらりと積まれた荷物を前に、イヴさんは笑顔だった。良かった、何とか間に合って。
12月23日、クリスマスイヴはもう明日だ。凛達のライブも同じく、もう明日である。
「すみません、お忙しいのに……」
「いえ、この前の大功労者にはちゃんと報酬を払わなければいけませんから」
一週間ほど前、急遽イヴさんに出てもらう事になったショッピングモールでクリスマスイベントは大成功に終わった。主催者からも再三お礼を言われ、言ってしまえば報酬も弾んだ。
俺はそれを一番の功労者へと還元するため、彼女の望み通りプレゼントを手配したのだ。
ちなみになんと、イヴさんはプレゼントの細かい品目を全て覚えていたのでリストアップは簡単だった。
サンタの嗜み、との事だ。
「それじゃイヴさん、これ」
「なんですか? 封筒?」
「お金です。プレゼント代を差し引いた、この間の出演料になります」
口座を持っていない彼女のための現金支給なのだが、そこそこ厚い。
「……ええ!? 受け取れませんよ~! プレゼントを用意してもらって、クリスマスまでの住処まで提供して頂いているのに!」
イヴさんには女子寮の空き部屋に住んでもらっていた。寮の連中にはそこそこわけありの俺の知り合いという事で通している。面倒見のいい奴らなので安心して任せられたし、実際に上手くやってくれているようだ。
「いえいえ、それらを引いても、なおこれです。これがイヴさんが出したあの日の成果なんですよ」
「え、ええ……でも」
「好きなように使って下さい。サンタさんだって言っても年頃の女の子なんですから、欲しいものは沢山あるでしょ?」
「……うう~ん」
唸りを上げるイヴさんの顔は渋い。
そんな表情でも、彼女の場合どこかコミカルで愛らしくって。
……あてられてるなあと、自分自身に呆れてしまう。思わず緩んだ口元を締め直した。
恩人に妙な気を起こすのはやめておこう、不健全だ。
とは言えしかし、本当に思い浮かばないんだろうか。
「うう~ん、まずはブリッツェンに豪華なご飯を。それ以外には、うう~ん」
「……ゆっくり考えて下さい。というか、ブリッツェンに豪華なご飯をって言うなら、イヴさん自身も美味しいものを食べるとかどうですか?」
「あ、プロデューサーさんと一緒にですか~? 行きます行きます~!」
「え、いや俺は……」
言いかけて言葉を飲み込む。金はあっても土地勘とかないものな、美味しいものと行っても行き当たりばったりになってしまうか。
「そうですね、二人で割り勘してちょっと贅沢なもの行っちゃいますか」
「わあ~楽しみです!」
両手を合わせてぴょんぴょん跳ねるイヴさん。無邪気で可愛い。
「何が良いですか? 好きなものとかは?」
「好きなもの……アザラシのお肉とか結構好きですね~」
指を口元に当ててうっとりと答えるイヴさん。無邪気で可愛い、のだが馴染みのない食材に少しだけ慄いてしまった。そうか、アザラシも食べるんだっけか。
「そ、れはちょっと、ここらへんだと難しいですね」
「そうなんですか~。それではプロデューサーさんのオススメで! 苦手なものは特にありません~」
「そうですか。じゃあ考えておきますね、いつが良いですか?」
「いつが、あ、そうですよね! ……ごめんなさい、てっきり今からだと」
しまった、そんな風に思わせてしまっていたか。しかし今からというは少々というか、かなりきつい。
「すみません、それはちょっと……」
「そうですよね、ごめんなさい」
何せ明日に凛達のフェスだ。今こうしているのも、なんとか捻出した休憩時間を使っての事なのだ。
「明日の夜から明後日の明け方はイヴさんも本番ですし、その後ちょっと落ち着いたらっていうのはどうですか?」
うかうかしているとすぐ大晦日でまた慌ただしくなるので、うまくその間隙を突いて。
なんて思っていたのだが。
「いえ」
イヴさんは首を振り、眉をハの字にして言った。
「ごめんなさい、仕事が終わりましたら私はすぐに帰らないといけないんです」
「……え」
「クリスマスが過ぎたら、その後処理でしばらく協会はとっても忙しいので……」
「……あ、そ、そうなんですか」
なんとか、そう返しながら。
俺の足元は、ぐらりと揺れていた。
視界の中、プレゼントの山は微動だにしていない。地震が起きたわけではないらしい。
だのに、確かに俺の足元は揺れていた。
「そうですか、それは、なんと言うか」
てっきり、なんなら来年の頭くらいまでずっとここにいるものだと思っていた。それくらい彼女は自然に馴染んでいたから、なんて言うのはちゃんと確認しなかった言い訳だろう。
「……その、残念です」
「ありがとうございます。ごめんなさい」
そんな顔、しないでくれ。君に似合わない事甚だしい。
「ほら、その、女子寮の奴らでも誘ってくれたら! あいつら、飯だって聞けばほいほい付いてきますよ」
軽口を叩く自分の声はどこか上滑りだ。自分でも思っている以上に、きっと動揺している。
彼女が自分の前からいなくなってしまう事に、動揺している。
「……はい」
いつもよりも少し硬くだが、イヴさんは微笑んでくれた。
彼女はサンタクロースだ。
子供達のために頑張ってくれているサンタクロースだ。
その前でクリスマスが来なければいいだなんて願うのは、どう考えても間違っているはずだ。
「う~ん、どうしましょう~」
貸して頂いている女子寮の一室で、私はうんうんと唸っていた。
「……何がいいんでしょう」
もし一緒に食事にでも行けたならその時に聞くつもりだったのだが、あいにくとそうはいかなかった。もちろん、彼の今の忙しさを思えば、ああして会話が出来ただけ感謝しなければならないのだけど。
……というか、なんであんな事、思っちゃったんでしょう。
よくよく会話を思い返してみると、彼は何も自分と一緒に行こうと言ったのではなかった気がする。なのにあの時の私は、頭の中で勝手に二人で食事に行けるものだと思い込んで、結果、彼を困らせてしまった。
出会いから今まで、彼には迷惑をかけ通しな気がする。
「……私って、どう思われているんでしょう」
それはちょっと、というか、かなり怖い想像だった。
彼の事を思うと、胸は暖かくなる。
だけど、彼にどう思われているのか考えると、いつも背筋は寒くなる。
私は衣食住から仕事の事まで面倒をかけている。厄介なものを拾ってしまったと思われてしまっていても何も不思議ではない。
彼はそんな人じゃないなんて期待は、勝手な押し付けだろう。
私が彼に向けるべきはそんなものじゃなく、感謝の気持ちのはずだ。
凍えて死んでいたかもしれない夜に手を差し伸べてくれ、さらに失ったプレゼントまで用意してくれた、生き物としてもサンタとしても命の恩人と言える相手に、お礼の気持ちを伝える事に全神経を注ぐべきだ。
「……そう、うん、そうですよね」
私が今すべきなのは、自分がどう思われているのかと悶々とする事じゃなく、相手にどう喜んでもらえるか考える事なのだ。
しかし実際問題、どうしたものか。
「男の子じゃなく、大人の男の人って……プレゼント、何をあげたら喜んでもらえるのでしょうか~」
皆目検討もつかない、というのが正直なところだ。サンタとしての経験はこの場合、正直全く役に立たない。
「う~ん……あれ、は~い?」
あれこれ悩んでいると、部屋のドアがノックされた。誰だろう、菜々ちゃんあたりだろうか? 17という歳ながら随分しっかりした子で、色々お世話になっている。
「イヴさん、ちょっといい?」
「おっじゃましま~す」
「加蓮、返事聞く前に入るなっつの」
「あれ、凛ちゃん、加蓮ちゃんに奈緒ちゃんも。どうぞどうぞ~」
鍵をかけていなかったドアを開き顔を見せたのは、あのクリスマスライブの日に見事なステージを見せた三人組だった。凛ちゃんと奈緒ちゃんはテーブルを挟んで私の対面、加蓮ちゃんはベッドの上に腰をかける。
「皆さん、明日本番ですね~、頑張って下さい!」
「ありがとう、それでさ、また歌合わせに付き合って欲しくて。いい?」
「はい、構いませんよ~」
彼ら、特に凛ちゃんはなぜか私の歌を随分と買ってくれていて、一緒に練習したりアドバイスを求めてきたりしてくれる。とても向上心の強い子で、私の拙い言葉から沢山のものを掴みとり、グングンと伸びている様はさすが新進気鋭のアイドルさんという感じだ。
「なんかイヴさんにはほんとお世話になってるよねー。だからその内何かお礼したいなーって思ってたんだけど、……さっきプロデューサーに聞いたよ、もうすぐ帰っちゃうんだってね」
加蓮ちゃんが寂しそうに言う。
「はい、ちょっと仕事がありまして」
「残念だなー……」
そんな顔をさせて申し訳ないと思うのと同時、そんな顔をしてくれる事が嬉しかった。
「折角本物のサンタと仲良くなれたのになァ」
「実在した本物を前にこんな事を言うのもなんだけど、奈緒はサンタさん中学校くらいまでずっと信じてたんだもんね」
「そんな事ねえよ! お、お前はどうなんだよ!」
「……昔、丈夫な身体が欲しいってお願いしたんだけど、さ。私のお願いを叶えてくれるサンタさんはいないんだなって、その時わかっちゃった」
「あ、……ご、ごめん」
「加蓮、お父さんが靴下にプレゼント詰めているの寝たフリして見ちゃったって言ってなかったっけ」
「凛、バラさないでよ」
「かれェん!!」
奈緒ちゃんが真っ赤な顔で襲いかかり、加蓮ちゃんはひらりと見事に躱す。ダンスのキレは日常生活にも遺憾なく発揮されているようだ。
「ところで、イヴさん何してたの? 本とか読むでもなしに座り込んで」
「あ、実はその、ちょっと考え事を」
「なに、悩み? アタシらでよかったら相談に乗るよ」
最年長で気遣い屋さんの奈緒ちゃんが身を乗り出してそう言ってくれる。
「プレゼントが足りなかったとか?」
「それともブリッツェン関係?」
凛ちゃんと加蓮ちゃんも、それぞれそんな風に心配してきてくれた。なんだか、とてもありがたくって暖かい。
「いえ、そうではなくてですね~……。あ、でも」
そうだ、この三人に相談してみよう。
プロデューサーさんの事について詳しい人と言うのなら、まず真っ先に挙がるのはこの娘達な気がする。この一週間、彼らとプロデューサーさんの絆の深さは折にふれて目にしてきた。この娘達に聞けば間違いないと思える。
私なんかが考えるよりも、きっとそっちの方がいいはずだ。
そう、それでいいはず、これがいいはず。
だから今、胸の中に感じる変な重みはきっと気のせいだ。
「あの~実はですね、皆さんにちょっとお聞きしたい事が」
「いいよ、なに?」
「プロデューサーさんに喜んでもらうためには、何を贈ったらいいでしょうか? 私、あの人に喜んでもらいたいんです」
頷いてくれた凛ちゃんの表情がぴたりと固まった。
あれ、なにかおかしい事を言ってしまっただろうか。
「あの~?」
「い、イヴさん、その、あの人にプレゼントって事? それは、その」
わたわたと、奈緒ちゃんの声はどもり気味だ。
「はい、プレゼントです。クリスマスプレゼントです。私はサンタですから!」
「……なんだ、そういう事か。びっくりした」
加蓮ちゃんのそんな呟きが聞こえた。びっくりしたってなんだろう?
「でも、男の子じゃなくて男の人ですから、何を選んだものかわからなくって。まさかおもちゃを贈るわけにはいきませんし」
「いや、案外喜ぶと思うけどな、あの人。中身結構子供だし」
「よく奈緒と一緒に子供向けのアニメ観てるもんね」
「子供向けアニメは大人も観れるクオリティなんだぞ。子供に好きになってもらうには半端なものじゃ」
「あーごめんごめん、そうね、ごめん」
熱弁を振るう奈緒ちゃんと苦笑の加蓮ちゃん、なんだかんだやっぱり仲良しさんだ。
「……プレゼント、か。ねえイヴさん」
うつむき、考え込んでくれていた凛ちゃんが顔を上げ、こちらの目を真っ直ぐに見やる。
「こんなの、どうかな」
そして、彼女が提案してくれたのは私には考えもつかなかったプレゼントだった。
「え、でも……プロデューサーさんがそれで喜んでくれるとは……だって、凛ちゃん達じゃなくて、私ですよ?」
「絶対喜ぶよ、絶対」
「ええ……?」
そうだろうか、他ならぬ凛ちゃんの言うことだけど、さすがにどうだろう。
「プロデューサー、おっきなライブの後はいっつも事務所で一人反省会アンド打ち上げ会してるから、その時に行ったらいいと思う」
「え、お一人で、ですか?」
「なんかね、癖なんだって。誰にも邪魔されず独りで静かで豊かで云々かんぬん言ってた。ちひろさんもそれがわかってるから帰っちゃうみたいだし。だからさ」
一呼吸、そこで置いた後に凛ちゃんは言った。
不思議な表情で私に言った。
「言いたい事、あるよね? 折角だし言っちゃったらいいと思う」
「え、凛?」
「お前何言って……」
困惑顔の加蓮ちゃんと奈緒ちゃんを置き去りに凛ちゃんは続ける。
彼女の表情は、本当に不思議な表情だった。
微笑んでいるのだけど、どこか張り詰めていて。
こちらの背筋までなぜか自然と伸びてしまう。
「ねえイヴさん、言いたい事、あるよね? プロデューサーに」
「えっと……え、凛ちゃん? お礼とかですか? それはもちろん」
「私ね、結構幸せなんだ。満足はしてないけど、幸せ」
こちらの言葉を斬って捨てるように、声を被せて彼女は言う。
その瞳はあまりに深く、不用意に覗き込んだ私は、いとも簡単に引きずり込まれた。
「前には目標のトップアイドルが居る。隣には仲間の奈緒と加蓮が居る。そして後ろには、何より後ろには、そんな私を見ていてくれる人が、居る」
「……っ」
どうして。
「ねえイヴさん、すっごくこれって、暖かいんだよ。どんなに寒い冬でもね」
どうして私は。
「ねえイヴさん」
どうしてこんなに、動揺しているんだろう。
「私、は」
「貴方は、寒くないの?」
「おー、さっび。エアコン切れてんじゃねーか」
我が事務所のエアコンは、タイマーで数時間すると自動的に切れるようになっている。経費削減の涙ぐましい努力の一つだ。
這いよって来た冷気からそれに気づいた俺は、居残っているんだから暖まる権利はあるよなと、事務員の怖い笑顔を思い出して感じた気温とは関係のない寒気を払いながらリモコンを操作、改めて暖を取る。
「はあ……」
ぼうっと、していたんだと思う。だって、大仕事が終わったのだ。
とりあえずは、成功かなあ。
誰もいない事務所、明け方にすらかかる時間、俺は一人でお茶をすすった。でかい仕事の後は、いつもこうしている。
理由はいろいろあるけれど、一番は余韻に浸っていたいのだ。ひとりぼっちの部屋に帰ったらあの熱がどこかに行ってしまうような気がして。
トライアドプリムスの挑んだクリスマスフェスは、予想を超える大盛況。
「よくやったよ、ほんと」
そして、トライアドプリムスのステージそれ自体もまた、大盛況の大成功と言っていい出来だった。
凛が歌で高らかに飛び立てば、奈緒はダンスで魅せてみせ、加蓮は表情と仕草で男も女も惹き付けた。
今思い出しても、寒さではない震えが来る。
「……うん」
お客さん達にはなかなかイカした夜を届ける事が出来たんじゃないかと思う。クリスマスにアイドルのコンサートに行くという事それ自体の持つ若干の切なさを思うと、最高の夜とは言い切れないのが悲しいところだが。
まあそれは仕掛けた側にだって言える事なので、とやかくは言うまい。言うまいというか、言えない。
カップルで来てる人達も居たしな。
いいなあ。
クリスマス、だもんなあ。
俺の頭に、銀髪の女性が浮かぶ。サンタクロースの彼女が浮かぶ。
……どうしているだろうかな。
ライブ直前でどたばたしてた所為でまともに別れの挨拶さえ出来なかった。
プレゼントは、無事配り終えただろうか。
そうしたら今頃は、故郷へ向けて空の旅の真っ最中だろうか。
寒いだろうに、大丈夫だろうか。
……もっと、うちに居ても良かったんじゃないだろうか。
結局、彼女の事を思えば毎度、そんな結論に行き着く。思っても仕方のない事なのに。
「……もっかい観よ」
もらってきたステージの映像データをPC上でまた流す。何度目かわからないが飽きないのだからしょうがない。
詮無きことを思うよか、プロデューサーとして建設的な行為のはずだ。
小さな画面の中、所狭しと三人の女の子が各々の魅力を振りまいている。
「……」
改めて、立派になったよなあと思う。
感慨深い。
最初は当然ながらただの素人だった三人が、ここまでのものになって、さらに限界はまだまだ見えそうにない。
すごい事だと感服するしかない。
こうして輝くステージと煌めく歌声に包まれていると、なんだか夢の中にいるみたいだ。
エアコンが効いてきたのだろう、部屋も暖まってきて。
いい心地だ。
椅子に座りながら俺は、いつの間にか意識を手放して―――。
「っどわ!」
そして、ビクリと飛び起きた。
「……なんの音だ?」
コンコンコン、コンコンコンと、甲高く乾いた音が部屋に響いている。
なんだなんだ。
普通に怖いぞ。
音の発生源は背後、窓際だ。振り向きたくない。だけどそうしないわけにはいかないだろう。
恐る恐る、俺は振り返り。
「……何してんですか!?」
そして躊躇いが嘘のように、窓際へとダッシュを決めた。一気に窓を開け放つ。尋常じゃない冷気が頬を刺して来る。
「あ、良かった開けてくれました~。すみません、寝ちゃってましたか~?」
窓を叩いていた犯人は、笑顔でそう言った。
「いや、確かに寝ちゃってましたけど、そんな事はどうでもよくて!」
焦る事が馬鹿らしくなるくらい、窓の外に佇んでいたその人の声は穏やかで。
だけど俺は、しっかり焦っている。
「イヴさん、ここ、二階ですよ!」
「はい~」
はい~、じゃないが。
ベランダがあるわけでもなし、窓の外になんて当然、居られるはずがなくて。
「どうや……って…………」
しかし、よく見れば。いやさ、よく見なくても。
「ブリッツェンの引くソリに乗れば、これくらい簡単ですよ~」
そう、彼女の言うとおり彼女はソリに乗っていて、握った手綱の先にはファンシーな顔のトナカイ、ブリッツェンが居て。
そして彼らは堂々と、宙に浮いていた。
「待って待って、待ってちょっと」
え、ありなのこういうの?
確かにサンタだって言ってたけど、超常現象とか操っちゃうの?
窓から身を乗り出してその現実を確認する俺の手を、彼女が取った。
「プロデューサーさん、ちょっとお散歩しませんか?」
「うおーすっげ! すっげ!」
「えっと、気をつけて下さいね、あんまり身体を外に出すと落ちちゃいますから……」
「はい!」
元気のいい返事をしながら、しかし彼は相変わらず、ソリのヘリにお腹の辺りを乗せたちょっと危ない姿勢のまま、眼下に広がる夜景を夢中で覗き込む。
その瞳は、まるで星空のように輝いていて。
可愛いなって、思ってしまった。奈緒ちゃんが言っていた子供っぽいってこういうところだろうか。
子供達へのプレゼント配りが終わった私は、例年のようにそのまま帰るという事はせず、去ったはずの彼の事務所へやってきた。
部屋で寝ている彼を見つけて、窓から外へと連れ出して。
夜と朝の間の時間、世界が一番静かな瞬間を、私達は一緒に過ごしている。
「ねえイヴさんっ」
「はい、なんですか~?」
「最高ですねっ」
「ありがとうございます~!」
やった!
喜んでくれている!
ありがとうね、ブリッツェン。思いながら背中を優しく撫でると、ブリッツェンは満足気に身体を震わせた。
「あ、でもこれって下から見られたら」
「大丈夫です~、そういう心配のいらないソリですから、これ~」
「……便利ですねえ。ステージ演出に使いたいくらいだ」
彼がしみじみと言った。こんな時でも仕事に思考が結びつくあたりが、きっと彼らしさだ。この技術がサンタクロース協会の秘匿事項でなければ、教えてあげられたのだけど。
爽やかな風の中、それなりのスピードでソリは空を駆ける。
下を覗いてはしゃいでいた彼も、やがて穏やかに星空を見上げ始めた。細めた目が幸せそうなのは、私の願望だけではないといいと思った。
……って、そうだ!
居心地の良い空間におもわずまったりとしてしまったが、そうだ。
まだプレゼントを渡していない。
私はブリッツェンにソリの制御を任せ、手綱を放して体ごと彼の方へ向き直った。
「あの~プロデューサーさん、クリスマスプレゼ」
「ええ! 最高ですよ! さっきも言いましたけど!」
ずいっと、プロデューサーさんの顔が近くなる。どうしてか私の心臓は、高い音を響かせた。
まったく嫌じゃないその音色を、だけど聴かれてしまわなかっただろうかなんて馬鹿な心配が頭をよぎった。
「ありがとうございますっ、こんなクリスマスプレゼント、俺初めてですよ! まさかこんな風に空を飛べるとは!」
あ、なるほど。どうやら彼は、一緒の空の散歩をプレゼントだと勘違いしているらしい。
これはただ、私がしたかったからしただけなのに。
「……ええと」
あれ。
「それは、その」
どうして、そんな事を伝えるのに躊躇するんだろう。
「……?」
頬が、熱い。こんなに冷えるのに。
なんで?
「プ、プロデューサーさん。その、私のプレゼントはですね、えっとぉ、これじゃなくて~……」
彼と少し距離を取り直し、つっかえつっかえ、なんとかそれだけ口にする。普段から饒舌な方では決してないけれど、おかしいな、それでももうちょっとちゃんと喋れたはずなのに。
「え、……別に何かあるって事ですか?」
「はい~」
「うわーお、恵まれ過ぎだろ、俺。今日が命日なのかな? 死んじゃうのかも……」
「だ、駄目ですよ! ……あ」
縁起でもない言葉に思わず、また彼との距離を思い切り詰めてしまった。今度のそれは、もはや吐息の熱さえ感じる近さ。
「イ、イヴさん?」
「あ、その、プロデューサーさんはお身体をもうちょっと大事にしないと~! 普段から働き過ぎなんですから~!」
「そ、そうですよね、すみません」
慌ててぱっと離れると、至近距離で感じた彼の温もりは当然ながら遠くなって。
名残惜しいと感じたのは、ただ寒いからに違いないはずなのだ。
「それで、なんか急かしちゃうようですけど、プレゼントって……」
「あ、そうでした! 私、お世話になったプロデューサーさんに何を贈ったらいいのか、色々考えまして~。それで凛ちゃん達に相談したらアドバイスをくれまして」
「凛達が? あいつら、んな事一言も……ったく」
不満気な言葉とは裏腹に、彼の声も表情も暖かだった。柔らかで、ひどく優しい。まるでろうそくの灯りのよう。
ああ。
いよいよ、なんだか今日の私はきっとどうかしている。
彼の声に表情に暖かな火を灯したのが自分じゃない事に、なぜか胸が痛むのだ。
振り払うように、私は言う。
「喜んで頂けるかはわかりませんが、一生懸命歌いますので、どうか聴いて下さい~」
「歌う? じゃあイヴさんのクリスマスプレゼントって」
「あ、はい、拙いですが、歌を贈らせて頂こうと……」
「ほんとですか、うわあすげえ……。このシチュエーションでもし、こってこてでも何でもラブソングなんか歌われちゃったら惚れない自信がないですよ」
「……え?」
え?
じゃあ、もし。
もし、私が、そういう歌を歌ったなら。
本当に?
「あれ、イヴさん?」
ラブソング。……ラブソングラブソング、ええと、ラブソング。
予想もしていなかった言葉に固まる自分がいる一方、猛烈な勢いで頭のなかのデータベースを洗う自分がいるのも確かだった。
私は伝統的なキャロルから一般的な楽曲まで、クリスマスに関するものなら結構数多いレパートリーを持っている。
その中には当然、恋を歌ったものも、あるのだ。
「イヴさん?」
「……あ。え、と」
彼の声で、私はやっと我に帰った。
いったい何を考えて、否。
何を願ってしまった。
それは私にとって、実感として知る事のなかった感情だった。
「ごめんなさい、イヴさん」
自分の中にある初めて見る自分に動揺する私の手を、熱が包んだ。
「プ、……プロデューサー、さん?」
「変な事を言っちゃってすみません。イヴさん、どうか歌いたい歌を歌って下さい」
私の手を覆う彼の両手は、とっても優しくて、そしてやっぱ大きくてがっしりとしている。
自分の細いそれとは違う、男の人の手。
「でも、あの、折角だからプロデューサーさんの聴きたい曲を、と思っていたんですが……」
「だったら尚の事。俺が今聴きたいのは、貴方が今歌いたい曲だ」
目をまっすぐに見て、手を柔らかく握って、熱い吐息と共に伝えられた言葉は私の心に深く刺さり。
「ね、お願いします、サンタさん」
続いた悪戯な、それでいて真摯な笑顔はようやく。
私に想いを自覚させた。
「……はい」
私が頷くと彼は手を放し、一歩下がる。
離れた熱を寂しく想って、なるほど、こういう気持ちを籠めればいいんだとわかった。
「それじゃあ、ありきたりのクリスマスソングを」
すうっと、肺に冷たい空気を入れて。
一拍待って、胸で暖める。どうか、目の前に人に少しでもこの熱が届きますようにと願いながら。
「―――Silent night, holy night」
私が選んだのは、彼に聴いてもらいたいと思ったのは、数あるクリスマスソングの中でも定番中の定番だった。
「―――All is calm, all is bright」
【Silent Night】、邦題は【きよしこの夜】。実は今歌っている英語版は訳詞であり、原詞は【Stille Nacht】というタイトルでドイツ語によって綴られている。
「―――Round yon Virgin, Mother and Child」
私がこれを今選んだ理由は一つ、とてもシンプルなもの。
「―――Holy infant so tender and mild」
一番好きだから。
派手さなんてない、静かで素朴で緩やかなこの曲が、優しく積もる雪のようで私は一番好きだから。
「―――Sleep in heavenly peace」
一番好きな人に聴いてもらいたいのは、自分の一番好きな歌。単純な私は、そんな風に思う。
「―――Sleep in heavenly peace」
あわてんぼうでおっちょこちょいでどんくさくいサンタの、19にもなっておきながら恋の一つも知らなかった青い女の、これが精一杯のラブソング。
寒空の下、私は歌い続けて。
彼は優しい顔で、聴き続けてくれた。
私が歌い終わったのは、気まぐれな空から白い色彩が降りて来た頃だった。
「……【Silent Night】、でした」
そう言って締めると、パチパチパチという音が返ってきた。
「ほんと、なんていうかほんと……天使みたいだ」
真顔の彼はそんなことを言い出して、私の顔を真っ赤に染めた。
「そ、そんな、私は、ただのサンタです~……」
「……サンタ。そうなんだよなあ。貴女がもし……ああ、いや」
何かを言いかけたプロデューサーさんは、しかし首を振って言葉を切る。
「最高でした、イヴさん。俺、今まで生きてきた中でこんなに幸せなクリスマス初めてですよ」
「お、お世辞でも言い過ぎですよ~」
「お世辞なんかじゃないです、本当だ」
真っ直ぐなその言葉に、きっと掘り起こされたんだと思う。
「……じゃあ、その」
「はい?」
「私の歌と、凛ちゃん達の歌、どっちが好きですか?」
きっと予想だにしていなかったであろう問いに、プロデューサーさんの表情は固まった。そして、俯き眉間にシワを寄せてうなり始める。
「ええっと、……どっちが。それは、……ええと」
「あの、じゃあ、言い直します」
「え?」
"言いたい事、あるよね?"
頭の中に、凛ちゃんの言葉がフラッシュバックする。
そう、そうだ。
あの時は、ピンとこなかったけれど、そうだ。
私には言いたい事がある。
彼に、聞きたい事がある。
サンタの私がクリスマスの今、欲しがっているものが、ある。
いまなら、わかる。
ようやく、わかる。
凛ちゃんはこれをお見通しだったから、あの時あんな顔をしていたのだ。
「これからずっと、私と一緒にサンタをしませんかって言ったら、頷いてくれますか?」
だってこれは、彼女たちの手を放して私を選んでくれますかと、そう聞いているのに等しいのだから。
「本人がどう予想しているかは知らないけどさ、そもそも予想とか予測とかして動く人かどうかもわからないけどさ、―――五分五分だと思う」
窓の外、降り始めた雪を見ながらパソコンのボイスチャットソフト越しに私は奈緒と加蓮にそう言った。
今は大きなライブ後の定例反省会及び雑談会中である。大抵は朝日が拝める時間帯まで催されている、ユニットメンバー全員参加の事務所非公認イベントだ。
「五分五分って、それマジで言ってるのか、凛……」
「……プロデューサーが私達より、今の事務所より、イヴさんを選ぶかもって事?」
信じられないような口調で、二人はそう返してくる。
まあ、そうだろう。
「いやいや、……まさかあ」
「流石に考え過ぎじゃない?」
普通はそう思うだろう。
だけど。
「わかってないの? プロデューサーがどれだけイヴさんに入れ込んでいるか」
私は、わかっている。彼女の善性丸出しの少し危なっかしい性格に、神秘的で目を惹きつけて止まない容姿に、人の心へ刺さる歌声に、彼がどれだけ入れ込んで、惚れ込んで、惹き込まれているのかを。
「プロデューサー、面倒見いいしさ、ああいうタイプはほっとけなさそうだし、そこであの反則級の容姿に笑顔見せられたらたまらないでしょ」
「……加えてあの歌、か。でもなあ」
奈緒は納得の言ってなさそうな声だ。同じ調子で加蓮も続く。
「まあ言いたい事はわかるよ? それはもしイヴさんがアイドル志望なんだとしたら、……悔しいけどプロデューサーがあの人を選んだって仕方ないかもしれない。だけど、そういうわけじゃないんでしょ?」
「まあ、そうだね」
加蓮の言はもっともだ。確かにその通りではある。
「でしょ? だったら……」
「でもね、……プロデューサーはね、プロデューサーなんだよ」
「何言ってんだ? 当たり前じゃん」
奈緒は理解出来ないと言わんばかりの口調だ。
言葉が足りない事はもちろんわかっているので、私は補強する。
「だから、あの人はさ、根っからのプロデューサーなんだって話。それは『アイドルのプロデューサー』に限った生き方じゃなくて」
「……なるほど」
少しの沈黙の後、場に零れたのは加蓮の影のある声だった。彼女は私の言わんとする事を、きっともう理解したのだろう。
私は続ける。
「あの人はさ、何かを一生懸命やる人間を支えて応援して見守る、そういう事が生き甲斐なタイプなんだ。そういう意味で今のプロデューサー業は天職なんだろうけど、でもきっと唯一じゃない」
事務所で働く彼は実に生き生きとしている。だけどあれは、何もこの仕事でなくともいいはずなのだ。
「例えば、頑張るサンタクロースの隣でだって、きっと今と同じくらい楽しくやれると思う」
「……え、嘘だろ。待て、じゃあほんとに」
焦ったように声を揺らす奈緒へ、私は再度言う。
「だから、……五分五分だと思うよ、正直ね」
「あの人が私らを捨てるって言うのかよ!」
「責任感の塊みたいな所はあるから、今日明日の話じゃないよ。今の仕事を整理して、他の人に引き継ぎやらなんやらはちゃんとしていくだろうけど」
「そういう事を言ってンじゃなくて!」
「……ねえ、凛」
声を荒げる奈緒とは対照的に、深く沈んだ音色で加蓮は問うてきた。
「それがわかってて、どうしてあんな事を言ったの? イヴさんに、背中を押すような事を……だって凛が一番、プロデューサーの事を」
「だから、だよ。勝手に巻き込んで、二人には本当に申し訳ないんだけどさ」
心から悪いとは思っている。
私の意地に付き合わせて。
「プロデューサーは、あの人に惹かれている。あの人も、プロデューサーに惹かれている。だけど、放っておいたら多分何にもならないまま、二人は普通にお別れしたはず」
「それはまあ……そうだろうね。イヴさんもだろうけど、プロデューサーも鈍いからね」
「だけど、そうなったらプロデューサーの心にはきっと、イヴさんが住み続ける」
ずっと消化されないままどころか。
下手をすれば、昇華された姿で。
彼女は彼の中に居続ける。
「ちゃんと、選んで欲しかった。はっきり、比べて欲しかった。妥協と惰性で、……他の人を思ったまま傍に居られるなんて、だって辛いよ」
「……面倒くさいよね、凛って」
「加蓮ならこの気持ち、わかってくれると思ってたんだけど」
「わかるけどね。わかるからよ」
笑みの滲む声で加蓮はそう返してきた。
「アタシは……凛はすごいなって思うよ」
対照的に、実に真剣に奈緒が言う。
「アタシは、ちゃんとアタシも見てくれてンならそれでもいいって思う。確かめて駄目だったら、なんて可能性を考えたら」
「奈緒はそういうとこヘタレ」
「うっさいぞ加蓮!」
「意外に愛人ポジの考え方するよね、奈緒って」
「凛まで!? ってか愛人ポジ!? ……そ、そうなのかな、これ」
愛人ポジ、愛人……と、奈緒はぶつぶつと呟いている。自覚はなかったらしい。
「……ていうか二人ともさ、その、クレームはないの? 勝手に私があんな事をして」
おずおずと、今更ながらそんな風に聞いた私に、あっけらかんとまず答えたのは加蓮だった。
「ま、多少思う所はないでもないけど、私は凛の考えわかるから」
「……うん、ありがとう」
「あとでパフェおごりね」
「ジャンボとかスペシャルが付いてないやつならね」
「ケチ」
そう言われても、頼むだけ頼んで結局食べきれなくて私と奈緒が手伝わされるから、その後体重計に乗りたくなくなるのだ。
アイドルとしては死活問題である。
「アタシも凛が決めた事ならいいよ。凛がリーダーだしな」
「……ありがと。なんだかんだ、奈緒はやっぱり優しいね」
「そ、そんな事ねえって」
「本当に愛人っぽい優しさ」
「だから違う!」
そんな風に、許してくれる二人の優しさに甘えて。
笑ったのと同時、目の端に零れた涙を拭った時だった。
「凛、携帯鳴ってるぞ」
「……うん」
着信音が聞こえたのだろう、奈緒のそんな言葉に答えつつも、しかし私の指はなかなか画面をタップしてくれない。
「……もしかしてプロデューサーから?」
やはりと言うべきか、加蓮は鋭かった。
「うん」
「凛、出ろよ」
「もうここでビビっても仕方ないでしょ?」
「……そうだね」
二人に背中を押してもらって、私はようやく通話ボタンをタップした。
「……もしもし」
『やっぱりだ、出たな』
聞こえてきたその声は、耳慣れた音色。
「出たな、って。そっちがかけて来たんじゃない」
『抜き打ちチェックだよ。どうせ、今頃また三人で夜更かししてるんじゃないかと思ってな』
さすがに濃密な付き合いのプロデューサー、お見通しだったらしい。
『やるな、っつっても無駄だろうけど、せめてそろそろお開きにしとけ。しっかり休まないと後が辛いぞ』
「そっちは? ……こんな時間まで何してたの?」
いつもなら事務所に一人でいただけだろうけれど。
今日は、違ったはずなのだ。
「誰かさん達の差金で、モノホンのサンタさんから最高のクリスマスプレゼントを貰ってきたところだ。だから結構機嫌がいい」
「……そう」
その言葉にどうやら嘘がなさそうという事がわかるくらいには、自分も彼を知っていた。
「よかった、ね」
「ああ」
声はなんとか揺れていないけれど、スマホを握りしめる指は少し痛い。
「ねえ、プロデューサー」
「ん?」
彼女は、言う事を言ったのだろうか。
彼女は、聞く事を聞いたのだろうか。
「なんだよ、明日からのスケジュールか?」
「……明日から、ね」
私は意を決して息を吸い込む。
大げさな言い方かもしれないけれど、明日を掴むには今、これをきちんと聞かなきゃならない。
「ねえ、プロデューサー」
「なんだ?」
「貴方は」
あんた、なんて言い方はもうさすがにしないけれど、ちゃんと聞こう。
「貴方はまだ、私達のプロデューサー?」
一瞬、電話の向こうで彼が息を詰まらせたのを私は聞き逃さなかった。
ああ、彼女はどうやら聞いたらしい。
果たして、その答えは。
「……ああ」
「……ほんと?」
「ああ、俺はお前達のプロデューサーだ。自分からそれを辞めるつもりは、今のところない」
「じんぐるべーる、じんぐるべーるっと」
下手な鼻歌を歌いながら、俺は夜道を歩く。
大通りから一本脇に入った、路地裏のショートカットコース。去年まで、よほど早く帰りたい時くらいにしか使わなかった道。
「……」
そう、去年だ。
そろそろ、ちょうど一年だ。
自分が未練たらしくこの道を選ぶようになって経った時間は。
「……はあ」
何も本気で思っているわけではない。落胆するくらい期待しているわけじゃない。
だけど、もしここにまたあの人が、あんな無防備な姿でいるかもしれないと考えると、どうしても違う道を選ぶ気になれないのだ。
「どうしてるかなあ、今頃」
素っ裸で裏路地にうずくまっていたほんもののサンタクロースと出会って、その歌に魅せられて、ちょっとしたというには少し大きいピンチを救ってもらって、そしてプレゼントまでもらってしまった。
そんな夢のような本当の出来事から、もう一年。
「……一緒にサンタクロース、か」
これだけは言えるのだが、後悔はない。
彼女のそんな誘いを断った事に後悔はない。
俺の今の生き甲斐は、煌めくステージの上で輝くあの子達だ。それを選ぶ事に迷いも躊躇いもなかった。
だけど、それでも"もし"を考えてしまうのは人間の弱さ……いや、俺の情けなさだろうか。
いや、わかってはいるのだ。
彼女がもしサンタクロースじゃなかったら、あんな出会いはなかった。
そして、きっとあそこまで惹かれもしなかった。
彼女がサンタクロースだから出会って、彼女がサンタクロースとして本気で全力で生きているような人だから俺は心を鷲掴みにされたのだ。
誰かの幸せを第一に考えて、自分の事には無頓着な、あの無防備な笑顔が目に焼き付いて離れない。
そういう意味では、あの時にちゃんと断れたのはありがたかっただろうか。
ちゃんと自分の言葉で、自分の選択で彼女との決別へと進めた。あれがもしなかったら、なあなあの、いつの間にかの別れだったら、今頃もっと悶々としていただろう。
そうだ、自分は選択したのだ。
そして、彼女も選択したのだ。
"逆に聞きます、イヴさん。ここに残って、俺とアイドルをやりませんか? 凛達のユニットと一緒に、絶対に俺が担当しますから……!"
なんて聞いて、しっかり振られたんだから。
未練なんて、持つだけ無駄なのだ。
「あーあ、やっぱいねえや」
今日ならば、なんて思ったんだけどな。
今日は12月24日。
クリスマス・イヴ。
彼女の名前が入った、世間的にはおめでたい、個人的には少しばかり苦い日。
去年と同じく開催されたクリスマスフェスは、凛達の努力が実り、去年以上の大成功。そしていつもどおり、俺は事務所に残って一人、反省会をしていたわけだが。
この路地裏が気になって、結局そそくさと切り上げ帰宅の途についたのだ。
しかし、それでやっぱり空振り。
踏みしめるように路地裏を抜け、アパートへの道を行く。
「……おお」
なんてこった、雪まで降ってきやがった。
ロマンチックなんだろうけど、今の俺には寂しさしかない。
帰り道は残り大した距離もないし、傘を広げるのはおっくうだった。そのまま俺は歩き続ける。
ほどなくして着いた住処のアパート、その階段を静かに登って。
「……ううっ、寒いわねぇ~ブリッツェン。もっとくっつこう、ううー、あ、雪が降ってる。日本の雪も綺麗ね~」
「…………何してるんですか?」
俺は二階に着いてその姿を見た瞬間に思わずくずおれかけた。
それは、俺の部屋のドアの前。
薄明かりの下でも、見間違えるはずのない姿。
「あっ! あ~! プロデューサーさん!」
「プロデューサーさん! じゃなくて!」
ファンシーな顔のトナカイ、ブリッツェンから少し身体を離して俺の方へと向いた彼女、イヴ・サンタクロースは今度は服を着ているようだった。
「なんで……ああ、そうか」
考えながら彼女の元へと駆け寄る俺の中で、それはすぐに答えが出た。
「仕事前に挨拶に来てくれたんですか? すみません、わざわざ」
一年ぶりに来る異国で、以前知り合った人物の元に訪れるというのは何も不思議な事じゃない。
なんだ、そうだよな。
「いえ~違います~」
「ですよね、違いますよね……え?」
間抜けな声をあげた俺に、彼女は、イヴさんは。
「私、スカウトされに来ました~。プロデューサーさん、一緒にアイドルをやらせて下さい~!」
まさかのプレゼントを、俺に直球で放り投げた。
「…………は?」
「ああっ、……や、やっぱり、駄目ですか~!? うう、どうしましょうブリッツェン!? 私がアイドルなんて無理だったのね……」
「いや、……いやいやいや、そうじゃないそうじゃない! そうじゃなくて! なんで!? だって、そうだよ、だって、サンタは!?」
「兼業しようかと思います~、やめちゃったわけではないですよ~。でも、アイドルとして働く覚悟をお見せしようと、今年はお休みをもらいました~!」
可愛らしく両手の握りこぶしをかかげて、どうやら精一杯だろうキリッとした表情を作ってイヴさんは、そんな事を言った。
「で、でも……でも去年、俺の誘いには」
「それは、その……ごめんなさい」
ばっと、イヴさんは頭を下げた。
「あの時は、その、……望み薄でも、もしかしたら一緒にサンタをやってもらえるかなあって、もらえたらなあって思っていたから、その、……ショックで、ちゃんと考えられなかったと言うか」
「あ、あー……」
「それで、本国に帰ってじっくり考えて、そしたら、私やっぱりやりたいなって思って……あの~、もう遅いですか?」
こちらを見つめる黄金の瞳は、不安げに揺れている。
それをはね除ける言葉なんて、気持ちなんて、俺は持ちあわせていなかった。
「まさか、いつだって大歓迎ですよ」
「ほ、ほんとですか~! やった~!」
嬉しげにぴょんぴょんと跳ねるイヴさんの隣で、ブリッツェンもしっぽを振っている。
12月の嫌になるくらい寒い空気の中、イヴさんの傍にいるとなんだか暖かい。
「私、頑張って凛ちゃんみたいなステージが出来るようになります~! 何年掛かるかわかりませんけど……」
「凛、ですか? ううーん、イヴさんとはちょっと方向性が違いますからね、あいつを目標にするのはどうなんだろう。まあ、でもうちのエースではあるので、あれくらいになってくれると嬉しいですね」
「……凛ちゃん、ますます素敵になりましたか?」
その問いに、俺はもちろんノータイムで答える。
「ええ。より凛々しく、より綺麗に、より大人になりましたよ。高校生だなんて信じられないくらいに」
「……そうですか、やっぱり。私も頑張ります! プロデューサーさん、見ていて下さい! あ、……プロデューサーってお呼びしますね!」
「え、どっちでもいいですけど、どうして?」
プロデューサーと呼ぶ奴もいればプロデューサーさんと呼ぶ奴もいる。どちらにしろという指定はしてないのだが。
「だって、プロデューサーさんだとちょっと他人行儀かなって」
「まあ、そうかも……」
「それに、凛ちゃんはプロデューサーって呼んでいますし」
「それはそうですが、……随分凛の事を意識していますね」
なんか、さっきからよく凛の名前を聞く。去年たしかに仲良くやっていたようだが、なんだろう、それだけではないこだわりを感じないでもないと言うか。
「アイドルには凛だけじゃなくて、加蓮みたいなタイプも、奈緒みたいなタイプもいます。だからイヴさんもイヴさんの魅力を伸ばしていってくれたらいい。凛をことさらに意識する必要は」
「意識は、……だってしますよ」
ふっとほころぶように笑った彼女の顔には、なぜだろう。
出会った頃の、無邪気さと無防備さが全面を占めていたものとは少し違い、読みきれない深さがあった。
そして困った事にと言うべきか、それは以前にも増して俺にはひどく魅力を放って見えて。
「……え」
ぼうっとしている間に、彼女は俺との距離を詰めていた。
頬に感触。暖かく、柔らかい、人の温もりが灯る。
「な、え……」
「こ、これが、……えと、今年のプレゼントと言いますか、ですね~……」
俺の頬から唇を離して。
「メ、メリー・クリスマス……です」
心配になるくらいに真っ赤な顔の彼女は、そしてそう言って。
俺はようやく、目の前にいるサンタクロースの女の子に、恋をしていた事に気がついた。
イヴさんのお話でした。彼女がアイドルになるまでについての個人的な解釈です。
イヴさん可愛い。
こういう、恋愛について全然考えなさそうな娘が恋をしたらどうなるのか、みたいな話が結構好き。
別名義で投稿してそのままずうっと放置していたんですが、こっちに統一しようと思って投稿しなおしました。
わずかながら感想も頂いていたんですがずっと全く気づかずおりまして、古い方は消してしまうので返信も書けず……。
感想をくれた方には本当、申し訳なかったです。
アニメもあり、デレステもありで最初に投稿した当時よりもシンデレラガールズ界隈が盛り上がっております。
別段すさまじいイヴさん推しというわけではないんですが、アニメやらデレステやらに出てくれないかなーと願ったりもしている。出ないかー。どうかなー。