……遅れて申し訳ありません(土下座)
ふわりとローズマリーが地面に着地する。
それに遅れ、真っ赤な雨が降り注ぐ。
ズン、という重い音。真っ二つになった巨体が木々をへし折り倒れ込んだ。
土煙が舞い上がり、数秒ほど視界が悪化、その後すぐ強い海風に吹き、また視界がクリアになる。
澄んだ視界に映るラファエラはピクリとも動かない。ただ、彼女の身体から流れる多量の血液が川のように地面を赤く満たしていた。
「…………」
そんなラファエラをローズマリーは静かに観察すると、不意に違和感を感じ顔を顰める。
「避けましたか」
「ああ、正解だ」
虚空に溶ける筈のローズマリーの呟き、それを先程まで停止していたルシエラのコピーが拾い上げた。
「負ける可能性が高くなったのでな、逃げさせてもらったよ」
軽い動きで、立ち上がり、コピーが岩の一つに腰掛ける。仕留め損ねた事と、余裕あるその態度にローズマリーが目を細めると。
「あっさり勝てたと思いましたよ」
そう言って、鋭い視線で周囲を探る。すると動かなくなったコピー達が次々と再起動、そのままゾロゾロとローズマリーを包囲した。
普通なら絶対絶命の状況、以前のローズマリーでも厳しい戦況、しかし、今のローズマリーからすればコピーに囲まれた所でどうという事はない。
脅威がある敵はコピーなどではないのだから。
「…………」
ローズマリーは自分を取り囲むコピーの群れを無視してラファエラ本体を探す。だが、妖気を消している為か、彼女を見つける事は出来ない。
ならばとより一層集中して周囲を探るローズマリー。そんな、彼女にコピーの一体が。
「そう警戒しなくてもいい、もう、私はここには居ないからな」
と彼女の思考を読んで話し掛けた。その口調は淡々としており、嘘を言っているようには感じされない。
「…………」
だが、所詮は感じないだけだ。こちらを騙そうとしているのかも知れない。故に、ローズマリーは。
「信用出来ませんね」
その言葉をコピーの身体ごとバッサリ斬り捨てた。
「……信じないならそれでいい」
しかし、斬られたコピーに変わり、新たなコピーが会話を継続する。変わりは幾らでも居るようだ。
「…………」
反撃が来るかと思い軽く身構える。しかし、コピー達は動かない。どうやら会話が望みらしい。
「(不意打ちするつもりか?)」
ローズマリーは言葉を引き継いだコピーを一瞥すると、いきなり、回転しながら右手を一閃。
元々刃の形に変化していた右手が遠心力で伸びるように巨大化、瞬時に百メートル強の大剣に変貌し、凄まじい勢いで周囲の木々ごと、全てのコピーを斬り捨てた。
「……よし」
視界が一気に開ける。だが本当にラファエラは見当たらない。これでようやく安心出来る。
「……信じないならいいとは言ったが、さすがに酷くないか?」
綺麗に腹から両断されたコピー。ソレが地面に転がりながら抗議の声を上げる。それに対しローズマリーは。
「必要な措置ですよ」
と澄まし顔でそう返すと、大剣を一瞬で腕に戻し転がるコピーに歩み寄った。
「それで、どうやって逃げたんです? もしかして杭に紛れてですか?」
「ああ、それも正解だ」
ラファエラはあっさりとローズマリーの予想を正しいと認めた。
「背中にお前が張り付いた時にな、重要な器官を杭に押し込んで射出し逃げたんだ。あのまま戦っても旗色が悪そうなったのでね」
「……なるほど、そして巨大な脱け殻を囮に、妖気を極限まで消す能力を使い、追跡すら許さぬ徹底振りで撤退したと……はは、便利なものですね、ラファエラさんの能力は、まさかあの巨大な身体すら遠距離操作出来るなんて」
倒れるコピーを見下ろしながら言うと、ローズマリーはおもむろに右足を持ち上げ、それを真っ直ぐコピーの頭に落とす。
ローズマリーの足裏がコピーの顏を打ち砕き、そのまま勢いを落とすことなく地面に衝突、激震と共に大きなクレーターを形成した。
「……でも、さすがにその能力は少し、ズルすぎませんか?」
「そうだな、お前の立場なら私もそう思っただろう」
続くローズマリーの言葉にまた別のコピーが答える。その変わらぬ口調にローズマリーの顔がうんざりしたモノに変わった。
「なら自重して下さい」
「そうだな、考えておこう」
適当な、気の無い返事をコピーが返す。それに思わずローズマリーが溜息を漏らす。
「はぁ……自重する気ないでしょう?」
「いや、これをすると自分が何処に居るか分からなくなる、そんな違和感を感じるからな、復讐を果たしたら止めるさ」
「本当ですか?」
「本当だ」
じーっと、ローズマリーが真偽を確かめるようにコピーを見る。コピーは身じろぎ一つしない。
「…………」
それから暫くし、彼女は何気ない仕草で腕を振るう。するとまたも腕が巨大化し、今度はその形をハンマーに姿を変え、コピーを叩き潰した。
「……そろそろ無意味に端末を壊すのは止めてくれないか?」
またもコピーを変えてラファエラが言う。だが、その口調には先程と違い少しだけ疲労の色が見える。多少は精神にダメージがあるのかも知れない。
脳内のメモ帳にローズマリーはそれを書き込んだ。
「……お前、的外れな事を考えているぞ」
「……ま、そうですね」
ラファエラの言葉を認め、ローズマリーは肩を竦めた。
「それで、まだ私に何か用ですか?」
「ああ、今後について少しな、お前はこれからどうするつもりなんだ」
「とりあえず、ラファエラさんを見つけ出して殺すつもりです」
さも当然のように言うローズマリーにラファエラの感情を反映してか、コピーが呆れたような表情を作る。
「覚醒させた事、まだ怒っているのか?」
「当たり前でしょう」
「……お前、意外と根に持つタイプだったんだな」
そう言うラファエラにローズマリーはさも心外だ、という顔をする。
「いや、覚醒ですよ、無理矢理覚醒させられたんですよ? そりゃ根に持ちますよ」
「そんなものか? むしろ覚醒して清々しい気持ちにはならなかったか?」
不思議そうに聞くコピー。挑発等ではなく本当にそう思っているのだろう。
「…………」
ローズマリーは眉をひそめる。別に嘘を言っても良い。だが今は嫌な現実を認める為にも本当の事を語ろう。
少しだけ悩んだ後ローズマリーはラファエラの問いに重々しく頷いた。
「……ええ、ええ、なりましたとも素晴らしい開放感と共にね」
「ならば何故?」
素晴らしい開放感と、苦虫を噛み潰したような表情で言うローズマリーにラファエラは疑問を深めた。
「……覚醒前に痛めつけた事を恨ん」
察しが悪い。見当違いの事を言い出したラファエラに、苛立ったローズマリーは質問途中のコピーを粉砕、それから息を吐き、自分を落ち着かせると、ゆっくりと答えを言った。
「……違います。分かりませんか? そんな気持ちにさせられたのが嫌なんですよ、死ぬ程嫌だった筈の覚醒を清々しく思う、そんな風に感じるように自分を変えられたというのが憎い、私の心に無理矢理押し入り、その思考を勝手に、根本から変えた事が憎い、だから私は貴女を殺したい程恨んでいる」
不快感を露わに、心底憎々しげに言うローズマリー。それは覚醒前の彼女を知る者からしたら信じられない姿だった。
怒りの為か、ローズマリーの全身から膨大な妖気が迸る。そのあまりの強さに妖気は物理現象に転換、突風という形を取り、周囲の小物を吹き飛ばした。
「…………無駄に難しく考えるんだな、自分の感情に素直になれば良いものを」
「その素直な感情というのが、勝手に変えられた思考から生まれているものなら素直には、なれそうにありませんね」
「ならばどうする、思考そのものは既に変わっているのだろう?」
「…………」
痛い所を突かれ、ローズマリーの言葉が詰まる。それから十数秒、彼女は能面のような表情で考え込み。
そして、答えを返した。
「……未定です、ただ、出来る限り戦士だった頃の自分を再現しながら生きていくつもりですよ」
「それはまた、疲れそうな生き方を選択する」
何処か哀れんだような声で言うラファエラ。それから彼女は一度言葉を切り。
そして、確信を持ってこう続けた。
「ーーしかし、それは無理だろう」
「……無理?」
いきなりの否定に不愉快そうにムッとする。それを皮切りに、再び発せられたローズマリーの妖気が、大気を震わせ、地面を割った。
「やってもいないのに何故そう断言出来るんですか?」
怒りを顔に張り付け、ローズマリーがラファエラに聞く。有無を言わさぬ迫力がそこにはある。
だが、そんなローズマリーにコピーは呆れたような声で言った。
「気付いていないのか?」
「……何をです?」
意味が分からない。表情に困惑を滲ませてローズマリーが聞く。
「お前が私に向ける憎悪の事だ」
その言葉に、ローズマリーはますます困惑した。
「憎悪がなんだと言うんです? まさか、自分を殺すのは不可能とか言いたいんですか?」
「いや、お前なら十分可能だろう、だが私が言っているのはそこではない……私を憎いというその感情、それは覚醒前なら感じたのかな? 」
「……あ」
そう言われ、ローズマリーはラファエラが何を言いたいのかようやく理解した。
「それほど感情を剥き出しにしているんだ、 『人だった頃はこう思っただろう』なんて考えて起こした行動ではない筈だ。しかし、お前はたった今、戦士だった頃の自分を再現しながら生きると言った、だから無理だと言ったんだ」
「…………」
ラファエラの言う通りだった。ただ、湧き上がる怒りに任せて行動していた。つまり、自分の心にーー覚醒し、変質した自分に素直に従っていたという事だ。
確かに、これでは無理と言われても仕方がない。
「私としてはお前が戦士のように生きるのに異存はない、私と敵対する事はあってもあいつと仲間になる事はないだろうからな」
「…………」
「だが、それは無理だ。簡単な事は意識出来ても、心の底から願っている事を偽る事なんて出来ない。隠そうとしても何処かで行動に反映される」
そう、告げるラファエラにローズマリーは反論出来なかった。最初の一歩目から失敗してしまっているのだから。
「結局はな、誰もが自分の心に素直になってしまう。幾ら押し殺した所でそれは変わらない。無理に人を真似てもどうせすぐにボロが出る。ならば最初から自分の心を偽らない方が良い、そうは思わないか?」
「…………」
その言葉は悪魔の囁きのように、スルリと頭に入ってくる。確かにそれを認めざるを得ない事だった。
「その通りですね、ラファエラさんの言ってる事は正しい、早くも自分の感情に従ってしまいましたから」
故にローズマリーは頷いて、こう続けた。
「……でも、それでも、私は人らしく生きたい」
「…………」
「それも、私の本心、素直な気持ちですよ」
ローズマリーの言葉を聞き、コピーは少しの間、沈黙する。
「……そうか、ならばもう何も言わない、好きにすれば良い。だが、もし、仲間になりたいと思ったら言ってくれ、歓迎しよう」
「……いや、今の会話の流れで誘いますか普通?」
呆れた顔でローズマリーが言った。
「ああ、芽がない訳じゃないだろう? 私の誘いを嬉しく思ったと言ったじゃないか」
「でも、それより遥かに貴女が憎いです」
「そうか、だが、そういう強い感情はいずれは薄れ、風化する」
「……それは、ラファエラさんのものもですか?」
「……さてな、だがどちらにせよ風化する前に復讐するさ、絶対にな」
「…………」
その念押しに、ローズマリーはラファエラの強い決意を感じ取った。
「お前の怒りが消えた頃、再びお前を訪ねるよ……ではな、また会おうローズマリー」
その言葉を最後にコピーは沈黙した。ラファエラが接続を切ったのだろう。
「…………はぁ」
確かに、仲間に誘われるというのは悪い気分にはならない。ローズマリーは溜息を吐くと、自身に生まれた感情を紛らわすように残りのコピーを念入りに粉砕。その後、彼女は周囲に危険がない事を確信し、覚醒体を解除した。
人の倍程の体躯が縮み、黒く金属質だっ身体が、人肌と同じ体色に変化。外見は完璧な人間の女性となると、そこから更に彼女の身体に変化が現れる。
黒髪は銀髪へ、肌の色は薄白く、そして、開いた眼は銀色へ。ついでに鎧や服も、皮膚の変化で作り出すと、たった数秒で戦士の自分を再現した。
「………微妙」
己の手足や髪を見てローズマリーが呻く。間違いなく戦士時代の、ほんの半日前の自分の姿、なのに違和感ばかりが湧いてくるのだ。
これも覚醒の影響なのかも知れない。
「…………」
自分の身体に視線を落としながら、ローズマリーは思う。
ラファエラの言葉は正しいと。
認めたくないだけで、分かってはいるのだ。感情を偽って生きるのは辛くて疲れる。そもそも、既知の事柄ならまだしも、未知に出会った時、人の頃はこう感じた、なんて考えても分からないのだから。
そして、未知の体験なんてこの世界にはいくらでも転がっている。
だから、ラファエラの無理だと言う言葉は実に正しい。
ーーだが、それでも。
「恥ずかしながら、私はテレサちゃんやヒステリアさんと一緒に居たいんですよ」
ローズマリーはそう思う。人の頃の思い出は色褪せている。戦士の時は良かったと思った行動も “今” 思えばなんて下らない事だろうと思うものも多数ある。
しかし、それでもテレサ、ヒステリアとの思い出だけは鮮明に見えた。
だから、人らしく生きたいという想いも、結局は彼女達と共に居たいからというのが理由だ。ただ親しい者達との関係を崩したくない、それだけが理由なのだ。
もし、本性をさらけ出しても彼女達に嫌われないというと言うなら、自分は喜んで覚醒した事を受け入れる……かも知れない。
それくらい今、自分は危ういとローズマリーは理解していた。
「はぁ、儘ならないな」
ローズマリーは胸のわだかまりを息にして吐き出すと一人、その場を離れ出した。
「……失敗か」
閉じた目を開き、ラファエラが呟いた。
ここは戦場から数キロ離れた盆地、そこからラファエラはコピーを通してローズマリーと話していたのだ。
戦場から離れていくローズマリーの妖気を捉えながら、ラファエラは今回の事を振り返る。
今回は大失敗だった。ローズマリーを仲間に引き込めず、それどころか厄介な敵を作ってしまったのだから。
「…………」
失敗の原因は幾つもあり、中でも大きいものは二つ。
一つはローズマリーの過少評価。覚醒時の想定していた彼女の戦闘力は深淵級だったのだが、蓋を開ければ、深淵を遥かに上回るという、完全に想定外の結果となってしまった事。
ーーそして、もう一つはラファエラが自分の能力を把握しきっていなかった事だ。
自分の支配が及ぶのがどのレベルまでか、ラファエラは大まかにしか分かっていなかった。もっと細かく認識すれば、或いは能力に使い慣れ、支配力を高めてから挑めばローズマリーを仲間にする事も可能だったかも知れない。
それが残念でならない。
「……はぁ」
あの戦力を逃したのは大きな損失だ。身体の疲れも相まってラファエラの口から自然と溜息が漏れた。
しかし、溜息を吐けば戦力が増すわけではない。復讐を果たすためにも次の行動に移らなければ。
「……さて、どうする」
ラファエラは体調をチェックしながら今後の事を考える。ローズマリーを除き、リフル達との戦いで役立ちそうな者はラファエラが知る限り6体、その内、所在が少しでも分かっているのは2体。
この2体は上下関係はあれど仲間で、しかも多数の部下を引き連れている。支配力の実験と練習にはもってこいだ。
しかし、今すぐ実験する訳にはいかない。なにせ大量のコピーと巨大覚醒体を囮に使ったせいで妖気が殆ど残っていない。その為、一時的とはいえ、ラファエラは高位覚醒者レベルまで弱体化してしまった。
今、この2体、最後の深淵と初代ナンバー2の覚醒者の元に行くのはいくらラファエラでも自殺行為だ。
故に今は動かない。今回の一件で懲りた。自分には準備が足りない、敵への憎しみが強過ぎて慎重さが欠如していた。
これからはもっと考えてから動こう。そうラファエラは決意する。
そんな時、彼女の腹がぐぅと鳴った。
そういえば覚醒してからまだ、“食事” を取っていない。
「……ふふ、先ずは腹ごしらえか」
ラファエラは苦笑し、愛しげに自分の腹部ーールシエラの頭を一撫ですると、美味そうな匂いが漂う、町へと足を進めるのだった。
今回で一部完、まで持って行くつもりが、全然持って行けなかった(白目)