天稟のローズマリー   作:ビニール紐

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なんか、あんまりうっかりしてない。


第35話

 

 

 

「コレが最後です」

 

真剣な表情でラキアが言った。彼女の掌には二つの黒い錠剤がある。見慣れた、何の変哲もない妖気を消す薬だ。しかし、それを見たアガサの顔は盛大に引き攣っていた。

 

「ほ、ほんと? ほんとうに……これだけ?」

 

震える声でアガサが言う。それも当然、なにせこの薬は逃亡の生命線なのだから。

 

「も、もうちょい……なかったっけ?」

 

「ないです」

 

しかし、現実は何時だって非情である。ラキアはゆっくりと、アガサにこの世の厳しさを突き付けるように、首を横に振った。

 

「…………」

 

それでも、諦めの悪いアガサは、勝手にラキアのズボンと上着ポケットをパンパンと叩き出した。まずは自分のからしろとラキアは思った。しかし、どうせ無駄なので指摘はしない。存在しない物はいくら探してもないのだ。何処ぞの歌にある魔法のポケットとは違うのだ。叩いたって薬もビスケットも出て来ない。

 

「う、嘘だぁ、だって私の記憶だと、まだ数十錠はあった筈……なんだけど?」

 

「だからないと言ってるでしょう……いえ、そうですね、確かに数十どころか数百は残ってますよ? でもここにはないんです。アガサさんはその数十錠とやらは何処で見ました?」

 

「…………」

 

もちろん、隠れ家である。そもそも隠れ家を移す訳でもないのに、紛失する可能性がある小さな、けれど大事な薬を、大量に持ち歩く筈がない。

 

「隠れ家に戻りましょう」

 

「かなりの確率でプリシラに見つかってると思いますよ?」

 

「……薬って、他の隠れ家にも置いてあったかしら?」

 

「ええ、もちろん、必須ですから」

 

「…………元の除いて、ここから一番近い隠れ家までどれくらい?」

 

青褪めた顔でアガサが問う。まあ、もちろん、彼女は大体の距離を把握している。最重要の情報故にしっかりと覚えている。だが、それでも聞いたのは自分の記憶が間違っていて欲しかったからだ。

 

しかし、悲しいかな。アガサの記憶は正しかった。

 

「一番近いので三日ですね……飲まず食わずで走り続けて」

 

現在地がここで、目的地がここ。アガサの質問にラキアは血塗れね地図を取り出し指さした。この結果、ラキアの説明でより事態の深刻さを理解したアガサの顔色が青から白へとチェンジした。

 

飲まず食わずで走って三日、だが使える薬は一日分。

 

「…………」

 

「…………」

 

痛い程の沈黙が二人の間に流れた。

 

ーーそして。

 

「ちょっ、なんでもっと多く持っとかないのよッ!!」

 

白から一転。顔全体を真っ赤に染め、アガサが叫んだ。私怒ってますよ! と言わんばかりの態度である。

 

しかし、そんなアガサの怒りを軽々沈めるほど、ラキアの態度は冷たかった。

 

「そうですね、ごめんなさい。でも持ってたんですよ? プリシラの攻撃でポケットが破れて落としてしまっただけなんです。ああ、すいません言い訳ですね、ないことに変わりありませんからね……ところで今出したのは私の破れたポケットから出て来た物ですけど、アガサさんは何個薬をお持ちなんですか?」

 

「え、そ、それは……ええと」

 

盛大なブーメランだった。そう問われ、途端にアガサの声が小さくなる。旗色が悪くなった彼女の目がスーッと泳ぎ、ラキアを視線から外す。しかし、逸らした先にわざわざラキアは回り込んだ。

 

「いやぁ、私に食って掛かるという事は三個以上は確実にありますよね。そもそも外出する時は六個は持つと決めてましたもんね」

 

そう言って止める間も無く、ラキアがパンパンとアガサのポケットを探る。しかし、というか当然、薬は出て来なかった。

 

「おやぁ、薬がありませんねぇ、おかしいな、計算では五個は残ってる筈なんですが? 何時の間にこの世界では6一1が0なんて答えになったんです?」

 

アガサの顔を下から覗き込みながらラキアが言った。その目は仄暗い水底のようで見つめられるとやたら不安になって来る。

 

「ゔっ……い、いや、だって」

 

「だってなんです?」

 

早く続きを言えとばかりに、出来もしない言い訳を待つラキア。それにとうとうアガサが折れた。

 

「…………ごめんなさい。ラキアが持ってるから大丈夫だと……思って、ました……本当、すいません」

 

申し訳なさそうに、頭を下げる。そう、素直に謝ってくれれば良いのだ。少しだけ憂さが晴れ、小さな満足を得たラキアが息を吐いた。

 

「ふぅ……いいですよ、私も色々助けられてますからね。でも次回からは本当にお願いしますよ」

 

まあ、次回も望み薄だろう。ラキアは思った。だってアガサが抜けてるのはいつもの事だから。或いは自分が構い過ぎたから、だらしなくなってしまったのかも知れない。ラキアは出来の悪い妹を持ったような気分になった。まあ、アガサの方が年上なのだが。

 

「それより今後の事を手早く話しましょう、私達の妖気が戻る前に」

 

ラキアは再び地図に視線を向けた。

 

「次の隠れ家まで行くルートはいくつもあります。ですが現実的に私達が取れるのは五つ。そして、その内の二つが最も良いと私は思います」

 

ラキアは分かりやすいようにルートを指でゆっくりなぞりアガサを見る。どうやら彼女も理解したようだ。アガサは静かに頷き先を促す。その様子に問題ないと判断したラキアは本格的にルートの説明を開始した。

 

「一つは戦士を避けて大回りで山中を行くルートです。所用時間は約七日。薬を飲むタイミングは隠れ家を発見されない為に最後の一日にします。メリットは妖気を抑えていれば戦士に感知される可能性がかなり低い事」

 

「……デメリットは?」

 

「隠れ家を作る際に調べたんですが、ルート中に高位覚醒者が多数潜伏してます。もちろん、かなり前なので今も居るかは分かりませんが、もし、こいつらに妖気を感知されると覚醒者狩りと勘違いされる恐れがあります……でも、匂いでプリシラが追って来たら囮に使えますね」

 

「……もう一つのルートは?」

 

「コレです。公道を通って最短ルート、所用時間は約五日。やはり薬を飲むのは最後の一日です。このルートのメリットはとにかく早く着く事。デメリットは確実に戦士に感知される事と、隠れ家の発覚が早まる可能性が高い事ですね。こちらを選ぶなら着いてすぐに全ての薬を持って更に別の隠れ家に行く必要があります」

 

「ルート上を担当区域としてるナンバーって覚えてる? 私の記憶だとナンバー13なんだけど」

 

「はい、その通りです。もし十二年前のままなら担当区域はナンバー13です。ただ、近くのナンバー22、そしてナンバー6、この二者に妖気を感知される恐れがあります……いえ、よほど鈍くなければまずに感知されるでしょう」

 

「……別の三つも聞いていい」

 

「分かりました」

 

ラキアは地図を指し口頭で残りのルートの説明をする。しかし、やはりはじめにラキアが言った通りあまり良いルートではない。簡潔に言うと二つのルートの下位互換、目的地まで時間が掛かるだけで待ち受ける危険は同じ、いや、時間が掛かる分危険は増していた。

 

「…………」

 

全てのルート説明を聞き、アガサは難しい顔をする。実際難しい。三つは論外、とは言え、残る二つも相当危険なルートである。

 

「このルートで行きましょう」

 

ただ、その割にアガサはすぐに一つルートを選択した。選択したの最初のルート。高位覚醒者の縄張りを通るルートだった。

 

「……理由はなんです?」

 

ラキアがそう問うと、アガサは頷き、自分が何故このルートを選んだか語り出した。

 

「最初のルートは覚醒者が居るかも知れない。でも二つ目のルートは確実に戦士が居て見つかる。リスクが低いのは上よ」

 

「それでも高位覚醒者はヤバイですよ」

 

「それくらい知ってるわよ……なんとか出来る奴が居る事もね」

 

上位、高位の覚醒者と言ってもピンキリだ。本当にどう足掻いても無意味なレベルからアガサやラキアが単独で勝てる者まで居る。

 

ーーしかし、それに対して。

 

「でも、組織はそんな優しくない。覚醒者と違い、掟の執行者は絶対私達よりも強い。そうじゃなくても複数の強い戦士を送って来るでしょう」

 

実際、プリシラは強かった。その性格を利用し運良く逃げる事が出来たが、そうでもしなければ確実に殺されていたほどに。

 

「見つかってもなんとかなるかも知れないのが覚醒者。どうにもならないのが組織。なら、覚醒者の方を選ぶしかないでしょ」

 

アガサの説明にラキアは思案顔になる。彼女は視線を地図に落とすと確認するようにもう一度、ルートを指でなぞった。

 

「……………………そうですね」

 

そして、たっぷり熟考した後、ラキアはアガサの意見に同意した。確かに覚醒者の方がマシである。

 

だが、何にしても出会わないのが良い。ラキアは辛く苦しい旅路が少しでも平穏である事を神に祈った。

 

 

 

 

アガサとラキアがプリシラを撒いてから一日。早くも次の追手が結成された。メンバーの中には本来集合地点まで、五日以上掛かる者も居たのだが。運良く、覚醒者討伐で近くに来ていたのだ。

 

「で、そのアガサとラキアを討伐する為にあたしらが集められたって訳か」

 

そして、本来なら集合時間を考慮して討伐メンバーから除外されただろう戦士ーー疾風のノエルがそう口にした。

 

「元ナンバー3と10が相手か、ふん、面白ぇじゃねーか」

 

ガサついた短髪を風に揺らし、ノエルは軽い調子て言うと拳を胸の前で打ち合わせた。その顔には好戦的な笑みが浮かんでいる。まるで腕が鳴るとでも言うように。

 

そして、そんなノエルに話し掛ける者がいた。

 

「あら、ノエルさんにしては珍しい」

 

肩口まで伸びるウェーブした髪を持った戦士ーー膂力のソフィアだ。彼女はおちょくるような調子の声で、意味ありげな笑みをノエルに向ける。

 

「あ? そいつはどういう意味だ、ゴリラ女」

 

せっかくの高揚感を冷まされ、ノエルがソフィアにガンを飛ばす。だが、ソフィアはノエルの睨みを涼しい顔で受け流す。

 

「いえ、ただ討伐対象のナンバーを覚えてるなんてあなたにしては凄いと思っただけよ」

 

「はあ? そんなの忘れるわけねぇだろ」

 

「でも、あなたエルダの名前を忘れてたじゃない」

 

「ぐっ」

 

そう告げてバカにしてくるソフィア。それに反論したいが、忘れたのは事実なので良い言葉が浮かばない。なのでノエルは顰めっ面で呟いた。

 

「……忘れてねぇよ、ちょっとど忘れしただけだ」

 

「それを忘れたって言うんだよ」

 

ノエルの言い訳になっていない言い訳に忘れられた当人ーーエルダがもっともなツッコミを入れた。

 

「年に何度か会ってるし、ナンバーも担当区域も近いよね? ……なのになんで忘れるの?」

 

忘れられた事を根に持っているのか……持っているのだろう。不貞腐れたようにエルダがジト目でノエルを睨む。そんなエルダにノエルは悪びれもせずこう言った。

 

「しゃあねえだろ、だってお前影薄いんだもん」

 

「うわ、気にしている事を」

 

身も蓋もない言葉だ。自覚がある分胸にくる。ノエルの返答にエルダは少なくないダメージを負った。

 

「はいはい、ナンバー5と6の諍いはいいわ、それでエルダ、もう、アガサの妖気は見つかったの?」

 

そう言ってエルダに聞くソフィア。それにエルダが口を開き。しかし、それに割り込む形でノエルが声を被せた。

 

「今は……」「おい、てめぇが話を振ったんだろが、それにナンバー5ってのはなんだ? ナンバー4とナンバー6の間違いだろ、頭沸いてんのか?」

 

「あら、あなたはいつも私がナンバー4だってムキになっていたじゃない? 自分で言ったことまで忘れちゃったの?」

 

「ふざけんな、それはプリシラが入る前の話だ!」

 

「…………」

 

言葉を遮られたエルダが無言になる。本当にこの二人は折り合いが悪い。この争いは戦士になった直後からで、彼女達はナンバーの事で時々……と言うか顔を合わせる度にぶつかっていた。

 

しかも、タチの悪い事に、二人の実力は拮抗しておりナンバーが上下する事も珍しくない。そのせいでどちらが上かと毎回騒いでいるのだ。

 

「そう? でも招集の時、私がナンバー4って言われたわよ」

 

せせら笑うような、自慢するような口調でソフィアが告げる。それにノエルが青筋を浮かべた。もちろん、ノエルはソフィアが嘘を吐いていない事を知っている。なにせ前回の任務でそれについて黒服に文句を言っているのだから。

 

だが、正しいと知っていても、その余裕綽々の人を馬鹿にしきった態度が気に食わない。そう思うからノエルは反抗するのだ。

 

ーーソフィアの一番嫌がる言葉で。

 

「ハッ、聞き間違いだろ? 戦士のくせに耳が遠くなっちまったのか? ああヤダねぇ年は取りたくない」

 

「……何ですって?」

 

年増と言われソフィアの米神にも青筋が浮かぶ。女性に年齢は禁句である。戦士は比較的気にしない者も多いが、あくまで比較的に多いだけ、その多いの中にソフィアは入っていなかった。

 

「あなた、私の同期でしょ、まさかそれまで忘れてしまったの? じゃあ、自分の年齢は覚えてる? ……あ、そう言えばあなた、お馬鹿さんだから元々年を数えられなかったわね」

 

「もちろん覚えてるぜ、だから年増って言ったんだよ。お前さぁ、神経質過ぎんだよ。年齢とか見てくればっか気にしてさぁ、老化しないあたしらにそんなの必要ねぇだろ? そんな事も分からねぇのか? はは、そうならお前の方が馬鹿だな」

 

「私はお馬鹿でガサツなお猿さんと違って身嗜みに気をつけてるのよ」

 

「ハッ、なるほどゴリラ女は見てくれに自信がねぇんだな?」

 

「(……こいつら、面倒くさい)」

 

言い争うノエルとソフィアを前にエルダは思った。もちろん、思っただけで口にはしないが。巻き込まれてはそれこそ面倒だ。

 

「…………」

 

ここにいても良い事はない。静かに、エルダは言い争う二人から距離を置くと、少し離れた場所で座る討伐任務のリーダーに話し掛けた。

 

「すいません、またあの二人が暴れそうです」

 

止めて下さい。そういう意図を込めてエルダが言う。

 

「…………」

 

しかし、声を掛けられな戦士ーーイレーネから返答がない。彼女は何事かを悩むように視線を落としている。珍しい事だ。

 

常にはない様子のイレーネに、少々不安になる。

 

「あの、イレーネさん、どうかしましたか?」

 

「……ああ、すまない少し任務について考えていた」

 

二度目の問い掛けに反応を示したイレーネ。彼女は座っていた岩から立ち上がるとたった今、大剣を抜いたノエルとソフィアを一瞥し。

 

「やめておけ」

 

そう、イレーネが声をあげる。たったそれだけで斬り合いを始めようとしていたノエルとソフィアの動きが止まった。

 

プリシラが現れるまで、その実力から十年近くに渡りナンバー2の座についていたイレーネ。彼女はどんな任務も一人でこなすテレサに代わり、集団戦では常に戦士を纏めていた。

 

もちろん、個人の任務達成度もトップクラス。更に仕事に私情を挟まないクールな性格を持ち、その使い易さから組織の信頼はむしろテレサより厚い。それ故、彼女は半ばナンバー1扱いをされていた。

 

実際、イレーネの実力は歴代のナンバー1と比べても遜色がない。テレサという別格さえ居なければ戦士のトップに立っただろうし、その肩書きに相応しい勤めを果たしただろう。

 

だから、イレーネの言葉は重いのだ。

 

「仲間うちで争って何になる? 我々の任務は逃亡者の粛清……違うか?」

 

「…………」

 

「…………」

 

正論ではあるが、普通なら反論の一つも出そうな言い方だ。しかし、これにノエルもソフィアも黙り込むと、すぐに大剣を背に仕舞った。

 

他の者が言ってもこうはならない。流石の貫禄である。

 

「文句はないようだな、では任務の話に入る」

 

会話可能な態勢が整ったメンバーに、イレーネが話し出した。

 

「聞いての通り、今回は粛清任務だ。対象は元ナンバー3とナンバー10だ。それなりに厳しい戦いが予測される各自しっかり気を引き締めろ」

 

「いや、このメンツなら余裕だろ」

 

敵を過大評価するようなイレーネの言葉に、むしろ、ナンバー3とは一対一でやりたいぜ、とノエルが楽観したように返す。

 

「油断するな、プリシラが取り逃がした相手だ」

 

しかし、イレーネがそう注意すると、ノエルの顔色が驚きに染まった。彼女は最近プリシラに突っ掛かって痛い目に合たばかりなのだ。

 

「げっ、マジかよ、じゃあ、そいつらプリシラ以上なのか? だとしたら相当ヤバイじゃねぇか」

 

「だからイレーネさんが注意してるんでしょう? ……でも、イレーネさん、プリシラが二人を逃したのは負けたんじゃなくて、追い詰めたのに他の覚醒者を追ったせいなんでしょ?」

 

「ああ、そうだ」

 

そう、ソフィアがイレーネに問うと、イレーネはその通りだと返した。その言葉にノエルの驚きは途端に霧散する。代わりに浮かんだのはプリシラへの怒りだ。

 

成り立てのくせにあっさりナンバー2になっておきながら、そんな理由で任務に失敗してんじゃねぇ……と思った訳だ。

 

「あ、何やってんだよアイツ」

 

「なんでも、任務を遂行するより野良覚醒者を狩る方が重要だと思ったらしいわ」

 

「いや、本当にあのガキ何やってんだよ。もう、降格させろよ、あいつにナンバー2なんてまだ早いんだよ!」

 

そう怒鳴ってノエルが小石を蹴る。忌々しくて仕方がないという顔だ。

 

「それには同感ね、実力は認めるけど、もう少し様子を見るべきだったわ」

 

珍しくソフィアもノエルに同意する。こちらもプリシラに良い感情を持っていないように見受けられる。まあ、新人に拘っていたナンバーをあっさり抜き去られたのだから当然だろう。

 

「確かに、プリシラの行動には問題があると思います。しかし、二人は一度、剣を交えてから逃げ切ったんですよね」

 

「そうだ、だから気を緩めるな、組織を出奔したのは十二年も前。その間、奴らが力を伸ばした可能性が高い。実際、プリシラは普通の戦士なら死ぬようなダメージを与えられたらしい。故に対象はナンバー2クラスが二人と考えろ」

 

イレーネは静かに注意を促した後、エルダにこの任務で最重要な事を聞く。

 

「……それでエルダ、お前はアガサとラキアの妖気に覚えが有るのだな?」

 

「はい、昨日、私の担当区域の近くで覚えのない二つの妖気を感知しました。そのいずれも戦士のモノ、まず間違いなくこれはアガサとラキアのモノです。突如現れたのは妖気を消す薬の効果が切れたからと思われます」

 

謎の妖気が現れたのは本当に突然の事だった。知らない妖気だし、感覚的にかなり強力な戦士に感じた。だから興味が湧き、意識していたのだ。それはアガサ達からしたら不運としか言いようがなく、組織からすれば僥倖だった。

 

「という事は登録したのだな?」

 

「はい、私の感知の範囲外に出そうになったので、感知する妖気をその二つに絞って精度を上げました。この状況なら通常の数倍の範囲まで索敵可能です。ただ、これをしていると対象以外の妖気を感知出来ないのでその点はご了承下さい」

 

「構わない、他は我々でカバーする。お前はその二つだけを追えばいい……念の為に聞くが、今も対象の妖気は感じているのだな?」

 

「はい」

 

「そうか……」

 

イレーネは頷き、懐から地図を出すと大きく広げた。そして、一度、エルダから視線を切り、その場の全員に視線を投げ掛けた。近付くように告げているのだ。

 

「今、妖気の位置はどの辺りだ?」

 

全員が近付くと、イレーネが地図をエルダに寄せ聞いてくる。それにエルダは少し考えた後、おおよそ場所を指し示した。

 

「ここです、この辺りです」

 

「うぇ、結構遠いじゃねぇか」

 

地図を覗きこんだ。ノエルが嫌そうに呟いた。現在地から対象までかなりの距離があるのだ。

 

「一日でこの距離を行くって事はかなりの速度ね」

 

ソフィアも地図を見て難しい顔をする。速度に優れたノエルが嫌そうなのだ。追いつくのに時間が掛かりそうだ。

 

「ああ、確かに遠い。普通なら追い付けないだろう。だが、奴らは山中を迂回して走っている。おそらく、こちらに妖気を悟らせぬようにする為だ」

 

「でも、妖気は既に感知してますよ?」

 

「ああ、それが奴らの誤算だ。まさか、この距離で索敵されるとは考えないはずだ」

 

イレーネが地図の一角に小さく丸を書き込む。

 

「私の予想では奴らはこの辺りを目指している」

 

「なんで分かるんだ?」

 

ノエルが不思議そうに尋ねた。それにソフィアがノエルを馬鹿にしようし、その気配を察したイレーネの睨みに止められた。

 

「この区画には戦士の担当区域から僅かに外れている。しかも、近い担当区域の者は軒並み下位のナンバー……逃亡者が隠れるにはもってこいの場所だ」

 

「ほ〜、なるほどね」

 

「本当に分かってるのかしら?」

 

ソフィアが溜息を漏らす。挑発の意図はなく自然に出たものようでノエルは反応しなかった。なのでイレーネはその発言をスルーして説明を続ける。

 

「そして、奴らは妖気を消す薬を持っていない。あるいはギリギリまで使用を躊躇う程の数しかない。持っていればとっくに使っている」

 

イレーネは地図を睨むと、トントンと指を二回地図に落とした。

 

「もし、奴らがあと二回分の薬を持っていればこの辺りで、一回分ならここで使う筈だ。そして、使ったならば奴らの目的地はおおよそ予想通りという事になるだろう……ここまで何か意見や問題があったら言え」

 

イレーネは視線を地図から上げて言った。

 

「あたしはないぜ」

 

「私もありません」

 

「二人に同じです」

 

「そうか……では、続ける。奴らがこのルートで行くなら、私たちが行くべきルートはコレだ」

 

イレーネが地図に線を引く。それは、ラキアが示した五つのルート、その内の一つとほぼ完璧に合致した。

 

「我々は奴らの目的地を目指して、奴らがこちらを感知出来ないルートで行く。奴らのルートでは目的地まで大きく迂回している、我々も多少大回りになるがそれでもこちらのルートの方が走る距離はずっと短い」

 

イレーネは地図を仕舞うとノエル、ソフィア、エルダを順番に見回す。全員疲労の色はなく、戦意も充実している。油断さえなければ万全の状態と言って良いだろう。

 

「奴らが着く前に到着し、待ち伏せする……遅れるなよ」

 

その言葉に各自が、当然とばかりの返事をする。それにイレーネは静かに頷くと、先頭を切り、走り出した。




良かれと思った事が裏目に出る事もある。

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