ハクはミクを引き連れて騒がしくなった人や建物、いや、町そのものを横切り出口へと向かう。まるでそうすることが分かっているかのように。
「どこいくのだ? 我輩は何をすればいい?」
一番後ろで腕に接続した鈍重な銃をドスドスと地面に突きながらただ歩くという動作にうんざりした調子で歩いている。銃さえなければ完全に拗ねた子供のようなものなのだが、銃だけで凶悪と幼稚が混ざり合った奇妙な存在感を放っている。
「分かってるんだろう? あたしが昔やったことを再現すんのさ」
ハクはBRS(ビーアールエス)に振り返ることなく歩きながら言う。すると、今まで拗ねたようだったBRS(ビーアールエス)の気配が一転、玩具を与えられた子供のように喜色満面になった。
「またアレと戦えるのであるか!? もはや二度とは戦えぬと思っていたが、なんという幸運! 今度こそ完腐無きまでに叩き潰してやろう!」
鈍重な銃をぶんぶんと振り回し、空に向かって乱射。それだけでどれだけ楽しみにしているのかを知ることが出来るのだが、その楽しいことがなんなのかを知る術はミクにはない。
やがてハクがペースを落とし、ミクの隣に並んだ。
「なぁミク」そして、おもむろに、「頼みを聞いてくれないかい? 笑ってしまうくらいあたしにお似合いな陳腐な願いだけど、あんたに頼みたいことがあるんだよ」
言葉はなかった。ただ見つめ返された視線が了承を示していることはハクにだって分かった。
「ありがとね」ハクは嬉しそうに言って、豊満な胸の谷間から小さな封筒を取り出し、「これをあんたのマスターに届けてくれないかい? 中身は見ちゃダメだよ、私は恥を知っているからね」
ミクはほいと差し出された封筒を受け取り、そのまま開こうとして止められる。
「気になります」
「見ないでくれよ、恥ずかしいんだから」ハクはため息をつき、「なんとことないさ、前見せたあんたのマスターの写真が入ってるんだよ。ソースを辿るには必要なものだからね」
「ソース?」首を捻る、「何かにかけるのですか?」
「違うさ、これの出所を探ってあんたのマスターのとこに一直線に行くんだよ」
相変わらず楽しそうにハクは言う。
両脇に建つ建物がまるでその気持ちを受けたかのように明るく光り輝き、周りの人は今にも小躍りをしてしまいそうなほど楽しそうにしている。
なるほど、とミクは思う。確かにこれだけの天才的なカリスマ性があるなら、どんな寂れた場所であろうとも一気に最盛期と呼ぶような雰囲気に持っていくことが出来るだろう。そして誰もが希望を持てるような世界を作り出すことが出来るだろう。そして、それこそが、――かつて『初音ミク』が望んだ世界なのだろう。悲しいことに彼女自身は希望そのものだったが故に、自らの希望を理解することばできなかった。だから希望が分からないまま、みんなの希望を願い、潰れた。ミクはようやくそれを理解した。
『初音ミク』と弱音ハク。互いに一つの体に収まった二つの面。自分と一緒にみんなの夢や希望を叶えようとして自分だけ脱落した面、自分を卑下しながら目の前にある夢や希望を叶えたいと思う面。行列の最前列と最後尾にいるような二つはあまりにも遠すぎる。
「だから、マスターにたどり着いたらいらなくなるんだけど、マスターに渡しておいてくれないかい? あたしはいるってことを教えてあげたいんだ」
「分かりました。確かに届けます」
ミクは丁寧に封筒をスカートのポケットにしまう。落ちないように大切に大切に。
それからふとした疑問を持った。出口はもう後少しのところというのは見ていれば分かるが、どうしても聞いておきたいことがあるのだ。
「ハク」不思議そうな顔をするハクに、「私のマスターは一体どこにいるのでしょうか?」
その答えは予想外な方向からきた。
「あそこだ!」BRS(ビーアールエス)は接続された鈍重な銃を直上の流れ星のように光が駆け巡る空に向けたまま固定し、二三発撃ち放ってから叫ぶ、「廃棄世界(スクラップランド)じゃない! 今現在使われているデータ達がいるところさ!」
「そう」ハクは言葉を繋ぎ、「あんたが行くマスターのいるところは表層世界(インターネット)さ」
出口に到着する。
そこにはあの馬車が悠然と立っていた。そしてその隣にリンが凛然と立っているのだ。
♪ ♪
リンはミクを見た。そしてハク、BRS(ビーアールエス)に目をやり、またミクを見て止める。
「答えを知りたくなったかしら?」
まるで試すような物言いにミクは無反応だ。
「分かりません。私がなんなのか、きっと聞いても分からないから。だけど、一つだけ知りたいことがあります」
「私は聖人君子ではないから、答えられることには限りはあるけど、最善はつくしましょう」楽しそうに続け、「何を知りたいのかしら?」
「私は初音ミクのようになれますか?」
後ろで聞いていたハクは何を思ったのか、BRS(ビーアールエス)に抱きつき唇を奪い、淫らな音を響かせる。BRS(ビーアールエス)もまんざらではないように応じ、より激しいキスと愛撫を始めた。
その一切を無視するリンは優しく微笑み、ミクを正面から抱きしめた。
「答えは、なれる、よ。それどころかあなたは初音ミクそのものになれるの」
温かい、とミクは思った。そんなプログラムは決してないはずなのに、とても温かく感じたのだ。それがおかしくて、ミクは抱きしめられたまま笑った、さらに自分が笑ったことにまた笑った。なんだか、おかしくなった回路が強制的に矯正された感じがする。
「さぁ、どんな気分ですか?」
抱擁を解きながらリンが聞いてくる。
「不思議な感じです」
「なら良かったわ」
向けられた優しい笑顔に笑顔で返せたミクに、今度はハクが近寄ってくる。遠くでBRS(ビーアールエス)が羨ましそうにミク見ていて、その理由はまったくわからなかったがなんだかおかしかった。
ハクの手がミクの真っ赤な髪を梳く。くすぐたいそうにミクは髪を逃がす。
「なぁミク……あんた、今の自分でマスターと会いたいかい?」
「どういう意味でしょうか?」
「いやさ」ハクは自分の銀髪を持ち上げ、「あたし達『初音ミク』の髪は全員青緑でね。マスターが知っているあんたはきっと青緑の髪をした『初音ミク』なんだよ」
「そうなんですか?」ミクはそれならと続け、「私の髪を青緑に――」
いや、とミクは踏みとどまる。直感したのだ、もしも髪によってマスターに気付かれたとしたら、もしかしたら髪を変えなかったら気付かれなかったかもしれないということに。もちろん確実を求めるなら髪は青緑にした方が絶対にいい。けれど理屈では解決できないことも確かにあるのだ。
だからミクは少しだけ考えた後、まるで最初からそうすると決めていたかのように言葉をだした。
「このままで良いです。きっとマスターは気付いてくれるはずですから」
「後悔するかもしれないよ?」
「それでも、何も飾らずにマスターに会いたいから」
「そうかい」ハクは自虐を込めたように笑い、「やっぱり弱いあたしなんかとは違う、強い心を持ってるんだね」
ハクはミクの真っ赤な髪を手放し、自分の髪を持つ。感慨深げにそれを眺めてから、吹っ切るように首に巻き、人差し指と中指を加えて笛のように鳴らす。
直後、ドドドドド、と快活な爆音を響かせながらハクの乗っていたバイクが無人で走ってきた。
「さて行くよ、最後の舞台に」ハクは横まで来たバイクに跨り、ゴーグルをかけながら、「ミクのマスターがいる表層世界(インターネット)へ!」
確認を取るように言われた言葉。ミクは僅かに違和感を覚えたが、それが何なのかを気にするような回路は回復していなかった。だから気にせずに続く。
「じゃあ最後の仕上げにしますよ」
リンはそう言うと、馬車の前に悠然と立つ頭のない馬を優しく撫でる。するとどうしたことか、今までなかった頭の部分に馬の頭が現れた。しかも嘶いてもいる。
準備は十全とばかりに合図を送ったリンはそのまま馬車の運転席に座る。
「ミクとBRS(ビーアールエス)は馬車の中だよ。出るときは言うからね、聞き漏らさないでくれよ?」
「ハクは?」
「あたしかい?」ハクは口だけでニヤリと笑い、「ちょっとその馬車を引っ張るさ。そうしないとバレちまうからね」
馬がいるのに引っ張るのですか、と問いたくなったが、ミクは言われたままに馬車の中に入り、BRS(ビーアールエス)は遠足前の子供のようにらんらんと楽しそうに入ってきた。それはどこか危険な香りのする凶悪的な楽しさだった。
「さぁ行くよ」
ハクはドゥルンとエンジンを噴かす。
「アドレスセット、クリア!」
「いける?」
リンは勝手に出たとでも言いたげに問いかける。
「行くんだよ。ミクのマスターはどこまでも一本気だからねぇ!」
爆音が響き、馬車が急激に引っ張られる。ミクのマスターに向かうレースが今始まった。