ドドドドドと馬車が馬ごとバイクに引っ張られている。
馬車の中にいるミクは眼前で座って足をぶらぶらと揺らせるBRS(ビーアールエス)を見ながら、本当に子供だなと思った。
「中は快適かしら?」
外の運転席にいるリンが小窓から顔を覗かせながら聞いてきた。
「BRS(ビーアールエス)は子供だなと思います」
相変わらず話を無視したミクの発言に、しかしリンは気にした様子もなく、そうね、と続ける。
「BRS(ビーアールエス)は中身と鋳型が違うの。基は破棄(アンインストール)されて、しかも動かなくなったミクの中に溶けて入った旧式のウィルスバスター。それが『初音ミク』の歌で抑制されて今のBRS(ビーアールエス)があるの」それとね、「『初音ミク』にとっての敵をウィルスとして認識するようになったの。今のBRS(ビーアールエス)は自分の役目ができて嬉しくてたまらないのよ」
「役目ですか」
ミクはまたBRS(ビーアールエス)を見る。足をぶらぶらとさせて今にも歌い出してしまいそうなほど楽しそうだ。もしかしたらやりたいことを出来る嬉しさに自分を押しつぶされないようにしているのかもしれない。
ふと、窓から外を見る。そこには信じがたいが無数の黒い点が散乱して飛んでいた。それが何なのかはミクには分からないが、どうもそれらは同じ魂を持つように思えた。だからドアから外に出ようと思ったところで、BRS(ビーアールエス)が立ち上がろうとしたミクを鈍重な銃を器用に使って席に戻す。
「貴殿の役目はまだまだである。故に座っていろ」あくまで楽しそうに、「さもなければ立ち上がれなくするぞ」
ミクはどういう意味か分からなかったが、とりあえず座ったまま、外を眺めることにした。外には変わらず無数の黒い点が散乱していた。
「ミク、聞こえるかい?」
唐突にハクの声が馬車内に響く。
「あんたこいつらに何かしたのかい? みんな揃って恩返しをさせてくれって言ってるよ?」
「わかりません」
平坦な答えにそうかいと返したハクはバイクを噴かす。それから歌う。バイクの音に負けているにも関わらずバイクの音よりも体を突き抜けるような歌を。
すると、それを聞いて思い出したのか、黒く散乱していた点はギュウと凝縮され、まるで一本の道のように空へと伸びる。
ハクはバイクをブレーキをかけないままその上を走る。後輪が巻き上げた黒い点が馬車の窓から入ってミクに付く。それはいつだったか馬車に迷い込んで、ミクに助けられた虫だった。ミクはようやくその姿を思い出し懐かしそうに――、吸い込んだ。そして入ってきた窓から外へと吹き出してやる。虫は嬉しそうに宙で回転し、そのまま道の先端へと戻っていった。
ふと、ミクは思いついたように言う。
「この虫達が何故私達の行く場所を知っているのですか?」
「この子達は別に私達の道を知っている訳じゃないわよ?」窓の外からリンが答える、「ただ私達が向かう場所に敷いた回線を視覚化しようとしているだけ。本来ならね。でも今は魂があるから何か知っている事があるかも知れないわね」
「リン。喋るのを止めな。気付かれちまうよ」
あらごめんなさい、とリンは悪びれた様子もなく言う。ハクの声に怒りやその他の感情は一切感じられなかったのだが、不自然なくらい感情がないということは感じ取れていた。だからそれがなんなのかをミクは知りたくなったのだ。
だから、本能の赴くままにミクは口を開いた。たとえそれがどれだけの努力の末の行為なのかを知っていたとしても、そんなことはミクにとってなんの価値もないことだ。知りたいから知る、だから聞く。それくらいの行為にしか思えないのだ。
「ハク。ハクは理由を知っているのでしょう?」
「どうして、そう思うんだい?」だがハクはあくまでもしらを切り、「あたしには分からないよ」
「でも――」
ミクが何か言葉を紡ごうとして、それは突如として起こった。
馬車が、攻撃されたのだ。
♪ ♪
光線が生み出される空から無数の光が降り注いでいる。それも一や十ではない。線が面として迫ってきているようだった。最初の一撃はまだまし、今回は確実に馬車を落とそうとしているようだった。それほど、強い何かをミクは感じた。
「BRS(ビーアールエス)、出番だよ!」
バイクが急旋回し、馬車の横を通り過ぎる瞬間、
「やっと我輩の出番であるか!」
勢い良く馬車から飛び出したBRS(ビーアールエス)がバイクに飛び移った。そして秒を待たずにその腕に接続された鈍重な銃を面として迫り来る光線の束に向けて撃った。はたしてそれは何のデータを盛り込まれたのか、鈍重な銃から撃ち出されたものは今まで使用されていた銃弾とは一線を画するものだった。――蒼い稲妻、それが撃ち出されたものだ。それも馬車一つすら楽々飲み込んでしまえるような巨大さ。有無を言わさぬ力の権化だ。
蒼い稲妻は面としての光線を易々と消し飛ばし、そのまま天を走る光に直撃。それをどう見たのか、降り注ぐ光は形を持ち、BRS(ビーアールエス)にのみ向かってくるように迫ってきた。
BRS(ビーアールエス)が乗るバイクを運転するハクはエンジンを噴かしながら叫んだ。
「行きな! 後はリンに任せたよ!」
「ハクは!?」ミクは思わず叫ぶ、「行かないのですか!?」
返事は少し間があってからきた。
「馬鹿だねぇ」ハクはこんな時でも変わらず、諦めたように、「あたしはもう『初音ミク』を捨てたんだよ。今はもうただの弱音ハクさ。こんなにも醜く卑しくなった自分を、マスターの友達になんかも見せたいとは思えないんだよ」
でも、と食い下がろうとしたミクだが、それを止めるのはハクでもリンでもなかった。
「ミク!」BRS(ビーアールエス)は高揚した声のまま、「貴殿の成すべきことをするのだ! 余計なことは考えるな! 所詮身一つでできることといえば、一つの目的までよ! なら貴殿の思う目的にのみつき進むがよい! 否! 突き通してみせよ!」
ミクはもうそれ以上声を出すことはしなかった。自分でもやっとだということは分かるが、ようやくハクの気持ちを理解することが出来たのだ。
それは酷く単純な理解だった。ミクがありのままのミクとしてマスターと出会うことを望んだように、ハクだってありのままのミクとして会いたかったのだろう。けれど、ハクはもうミクには戻れないのだ。長い間、この自ら名付けた廃棄世界(スクラップランド)という世界で独り延々と永遠に弱音を吐き続けるしかなくなった自分を受け入れてしまったハクに、初音ミクという元の姿に戻る勇気はなくなっていたのだ。そしてたぶん、元の初音ミクという像を思い出すことすらできなくなっているのだろう。だから、行きたくないのだろう。
「分かりました」ミクは悲しそうに言葉を紡ぎ、「では、行ってきます」
「行ってきな。そんで二度と帰ってくるんじゃないよ。あんたはマスターと仲良く二人で居続ければ良いんだから」
ハクのそんな言葉に送られて、馬車は動き出した。パカパカカタコトと軽快な音を響かせながら。空から降り注ぐ光線はそれがまったく映っていないのか、攻撃をBRS(ビーアールエス)に集中させたままだ。だからこそ、BRS(ビーアールエス)とハクは引きつけるためにその場を離れようとしない。
「あたしは死んでもいいような奴だけど、あたしが死ぬとあんたも死ぬだろ?」
「当然である。我輩の生きる意味、戦う目的なのだ。それを共に失ってまで生きながらえようなどとは思慮の端にも浮かばん」
「だろうねぇ、だからあたしは生き延びなきゃなんないわけだ。BRS(ビーアールエス)、死にたくなかったらあたしを守りなよ? あたしは自分で身を守れるほど強くないからね、あんたにあたしの命を預けるよ」
投げ出したように紡がれた言葉。
「――当然である」
BRS(ビーアールエス)は口の端を歪めて、接続された鈍重な銃にてを伸ばす。するとデータが分解されたのか、それは細長く全てが漆黒をしたいくつもの刀になった。それは柄の辺りを鎖で繋がれていて、近接というタイプでありながら、超長距離にまで範囲を伸ばしている。
それを頭の上で回転させる。上から降り注ぐ光線はそれに阻まれてハクにまで攻撃はとどかない。しかも、回転速度を増していった刀の集合体はやがて蒼い雷を纏い始め、とうとう臨界点にまで達したそれは、暴虐的な音と一緒に光線すべてをまるごと飲み込んで、光が走る天を軽々とぶち抜いた。
直後、残骸データがこれでもかというほど墜落していき、ぶち抜かれた天には赤いエラーのマークがいくつも出ている。
それを満足気に見上げたハクは、やがて虫たちの作る道に導かれて高度を落としていく。後ろではBRS(ビーアールエス)が灰となった自らの武器に別れを告げていたので、構わず抱き寄せた。
「ミク、必ずマスターに会いなよ。そしてあたしの魂も一緒に届けておくれ」
やがて、地面についたハクはBRS(ビーアールエス)を抱きしめたままゆっくりとバイクを走らせて、街へと帰ったのだった。