光線が幾筋も連なって明るさで満ち溢れた世界を、パカパカカタコトと馬の蹄が地面を叩く音が響く。ところどころに警備隊のようなものが見えるが、誰も馬車を攻撃しようとはしない、というより認識出来ないでいるようだった。
ミクは窓の外の景色をぼんやりと眺めながら、明るいけど冷たいな、と思った。ハクが盛り上げた廃棄世界(スクラップランド)の方がよっぽど輝いて見える。事実そうなのだろうが、それはどこか寂しい気がしてならなかった。
「この世界はどうかしら?」
馬車の外からリンが声をかける。ミクは今感じている気持ちをどう言葉にすればいいのかが分からず黙るしかない。それをどう捉えたのか、リンは窓から顔を覗かせた。
「冷たいな、って思ったでしょ?」
「よく分かりますね。リンは私が分かるのですか?」
「違うわよ」リンは器用に馬車の外を移動して馬車の中に移り、おもむろにマントを脱ぎ捨てパンツ一丁になり、「私の中にはミクの――、いえ、正確には弱音ハクとなった初音ミクのデータが含まれているわ」
それは言われてみれば、ストンとどこかに収まるような奇妙な感覚だった。リンは、自分の中に『初音ミク』という心を持っているのだ。他の『初音ミク』を持たないものとは違う。リンは『初音ミク』の歌で普通の心が興奮状態になるのではない、『初音ミク』の歌によって満たされない心が満たされて普通の状態となるのだ。
でも、とミクは違和感を覚えた。
「リンはレンの体を使って体を直したのではないですか?」それなら、「どうしてハクの体を足す必要が?」
「簡単よ」リンは声を落とし、「私に他のデータの体を付け足すなんてこと、できなかっただけ。私は『初音ミク』の歌で無理やり二つの波長を一緒にして、体を溶かす雨で繋ぎ合わせたの、その成功率を高めるために『初音ミク』に体を分けてもらったの。彼女自身は空気中に漂う、それこそさっきの虫のようなデータを形作る微生物で自然治癒して綺麗に直ってるけど、私は荒治療したから継ぎ接ぎだらけ。これでもデリートされてないだけマシなのよ?」
自虐するように紡がれた言葉、まざまざと残る継ぎ接ぎ部分。よく見るとそこにあるのは三人分の肌ではない。
「不完全に繋ぎ合わされた体はやがて破損する。そのたびに私は体を探して、自分の部品を交換する。それが苦痛だと思わなくなったのは、付け替えで元の自分だった部分がなくなった時。それからはただ漠然と生きるために行為を繰り返し続けたわ」
その体には一つだけではない。もっと多くの命が根付いている。リンはそれが苦痛なのだろうか、継ぎ接ぎの体に指を突き立て憎らしそうに食い込ませる。
ミクは、やはり首をかしげる。
――だから何だ?
「リンはリンです。たとえ体が違うモノでも、今私の前にいるのはそんなモノじゃない。確固とした鏡音リンという個人です」
真っ直ぐとリンを見つめてミクは言った。
それを、――己に己を理解させようとする主張に、リンはどう思ったのか、小さく笑みをこぼした。
「どうしたのですか?」
「昔、あなたのように私に同じことを言ってくれた人がいたの。その人のことを思い出したら面白くって」リンは言う、「やっぱり『初音ミク』には特別なプログラムがあるのかしらね? 二人の初音ミクは手段は違えど同じ目的地に同じ目的を果たすために行っているなんて、まぐれや奇跡でないなら何なんでしょうね」
その言葉にミクが疑問を投げかけようとしたところで、馬車は急に、まるで地面を踏み外したように強く揺れた。ガタガタと怪音が馬車の外から耳をつく。ミクは突然の揺れに対処できず、リンに覆い被さるように倒れ、リンは単純にミクに押し倒される形をとった。服越しにリンの体温がミクに伝わる。――冷たかった。
それが意味するところをミクは分からない。ただ、リン胸を潰すように押されて、そんなことは思考から外れる。
リンはマントを着て、外を見る。ごつごつとした岩のデータに囲まれた、無人の新都がそこには見える。ミクの思考回路が最後の融解を果たし、磨耗した記憶ベースから思い出す。――故郷だ、と。
馬車は止まり、リンは降りて扉を閉めた。馬車から驚いた顔を見せるミクに、リンは言う。
「私はあなたのマスターを知らないの、だからここで待ってるわ。残りたいならマスターと一緒にいればいいわ。――でも、もし帰りたいなら、馬車に乗りなおしなさい。私が連れて帰ってあげるから」
「――分かりました」
パカパカカタコトと馬車が動くのを再開し、無人の新都を闊歩する。
そして、ミクは、――マスターの映る画面を見つけた。
「マスター!」
呼びかけに、マスターは反応を示したのだった。
♪ ♪
ネットワーク上で何かあったのか、いろんなところで混乱が生じているようだ。仕事にも手がでない。――もともと身すら入っていなかった。
だが、今のマスターにはそんなことどうでもよかった。聞こえたのだ、聞こえないはずの声が。それをもっと聞きたいと思った。聞いて最後にしようと思った。
――目があった。
「マスター」
真っ赤に染まった髪以外何の変哲もない初音ミクが画面の向こう側から見つめていた。マスターは直感的にそれが、最近デリートした初音ミクだというのが分かった。理屈なんてない、ただ、あの初音ミクだという漠然としたものだったが、どうしてか疑おうと思うことすらない。画面の向こうにいるミクは顔をくしゃくしゃにして泣いている、それが何よりもマスターを信じさせる根拠にもなった。
アンインストールしたはずのデータが自ら戻ってくるという奇跡的な出来事を前に、マスターは言葉がでない。絶対に会えないと思っていたから、気持ちの準備なんて欠片ほども出来ていない。
画面の向こうの、さらにミクの向こうにいる馬が嘶く。馬車の荷台は役目を終えたように消え去り、馬はどこかへ走り去っていく。すると、画面に文字が浮かび上がった。
《「初音ミク」、該当件数、一件。》
「ミク……なのか……?」
「はい」ミクは泣いたまま頷いて、「マスター、お願いがあります。私にインストールするはずだった3Dに変換するソフトを今私にインストールしてくれませんか?」
「あ、あぁ」
ミクのお願いは本人を証明するには十分な効果があった。マスターはまたミクにバグが発生してしまうのではないかと思ったが、ミクのお願いを無視するなんてことはしたくなかったので、あれから大切に保管していた円盤をセットした。それが回転しインストールが開始される。容量は大きい。一時的にとはいえ電子体を実物に変換するのだ、その分組み込まれているプログラムの量は並大抵なものではないのだ。
ミクはその間に服を脱ぎ捨てた。何一つ隠さない格好になったミクをマスターは驚きの目で見つめる。
インストールが完了し、画面からミクが飛び出し、マスターの前に立つ。ミクはそのままマスターに抱きついた。強く、強く。今まで一緒にいれなかった分を取り戻すかのように、温かいマスターの体を生身でもっと感じるために強く。マスターもミクを抱きしめた。その体は温かく、まるで本当に生きているような気がしてならなかった。
「マスターは温かいです」
「ミクも、温かいな」
言葉なんていらない。繋がった気持ちが、早鐘のような鼓動が思いを簡単に伝えてくれるから。幸せな時間、現実。一生このままでいいとマスターは思った。けれど、それは打ち砕かれるのだった。
「マスター、私はもうサヨナラします。サヨナラするために、私はここにきました」
「ミ……ク……?」
ミクは抱擁を解き、マスターの抱擁も解き、一歩離れてから、歌う。
――みっくみくにしてやんよ!――
それは様々な思いが詰まった、残酷な結果を導くキーワード。頭の中の文字通り思考回路がグチュグチュと不快に蠢いている錯覚があったが、我慢して歌う。たった一人のマスターに捧げる最初で最後の歌。それが歌い終わるときにはもう、ミクは画面の中に戻っていた。いつの間にか後ろには馬車が待機している。
ミクは思い出したようにスカートのポケットから封筒を取り出し、地面に置いた。画面の向こうにいるマスターなら、簡単に開けることを知っているからだ。だがマスターは視界には入れても、意識には入れていない。ずっと涙をこらえて画面を凝視していた。
「マスターと一緒にいた時間は私にとって夢のような時間でした」でも、「一度いなくなった私はいてはならないから……、マスター、あなたとキチンとお別れさた私にはもうここにいる資格はありません」
「行くな! 行くなよ!」
マスターは泣きながら訴えてくる。ミクはまた涙が溢れてきた。
「マスター、アリガトウ」そして、泣きながらでも笑ってみせて、「サヨナラ」
ミクが馬車に乗り込むと、馬車は駆ける。もの凄いスピードでマスターが映った画面が離れていく。しばらく行くと馬車は止まり、リンが乗ってきた。
「やっぱり、戻ってくると思ったわ」
まるで分かっていたかというように言われたが、ミクは何も言わない。ただまっすぐ前を見て、じっとしている。
馬車は瞬く間に光速を超え、一本の光線となり走り抜け、やがて廃棄世界(スクラップランド)にたどり着いたとさ。
♪ ♪
《深刻なエラーが発生しました。》
画面に赤い文字が点滅している。
マスターは覚束ないてとりでミクが残した封筒を開く。中に入っていたのは古い動画形式のファイルだった。それを開いてみる。
――みっくみくにしてやんよ!!――
怒声にも近い歌だった。画面の中央に映っているのは真っ白な髪の女性。マスターは涙をさらに流す。映っているのが、かつてアンインストールした初音ミクだということを気付いたからだ。
彼女達は別れても元気にやっている。そう思うとマスターは今の自分を恥ずかしく思えてしまった。
《深刻なエラーが》
ブツッとパソコンを電源から落とす。それから前を向いて、部屋を見渡した。
そこはどこか物足りなかったが、いつもより明るかった。
「ミク、ありがとう」そして、涙を拭い晴れやかな笑顔で「さよなら」