ミクがハクの家に泊まり初めてから一週間が経つ。増設された小屋には特殊なプログラムがされており、表にある六つのツボが全てなくなったのを感知すると自動で地下の予備と変えるようになっていた。その動作は一日に一回、多いときでは二回繰り返されることもあった。それはつまりミクが飲んでいないとするなら、ハク一人が一日に抱えないと運べないくらい大きなツボにたっぷりと入った酒を日にかなりの量を飲んでいるということである、そしてミクは最初の日以来酒を飲んでいない。
一週間と一日目の朝、ミクが目を開けて最初に見たのは、酒の入っていたであろうツボを抱えながら服を盛大に乱して寝ているハクだった。いつも通りの朝だ。
ミクは目覚めるとまずハクの胸をつつく。やはり自分より柔らかく弾力がある胸に楽しさを覚えて続ける。精巧に構成されている胸のデータはお椀にボタンつけいるようで、特にボタンに例えた場所を弄るとハクはくすぐったそうなツボを抱きしめる。
しばらくそうして時間を潰していたミクだが、胸を弄るのに興味が失せて弄っていた手を顔に持っていく。そして鼻と口を塞ぐ。すぐに動いたのは顔、息をしようと首をもぞもぞと動かすがミクは手に力を入れて塞ぎ続ける。さらに経つとハクはかなり苦しそうに首を振るがミクはそれでも離さない、というより行動の理由を把握しきれていないだけだ。と、ハクは全身の力が抜けたようにぐったりしてから、後生大事に抱えていた酒が入っていた空のツボを手放してミクの腕を掴み、強引に引き剥がして大きく息を吐き、そして吸い込んでゆっくりともとの呼吸のタイミングに合わせていく。
「何やって――!」
今から文句を言おうとして上半身をミクの方に向けるハクだが、捻られた服、特に窮屈そうに胸が納まっている当たりの布地が限界だと言わんばかりに弾け中身を放出。
同時に、
ハクも中身を放出した。中身が止めどなく溢れているのはそれほど飲んでいたことでもあるのだが、その量は普通ではありえないほどの量だ。途中からハクはキツそうに動いて窓から顔を出して外に向かって吐く。ミクは眺めるだけだ。
しばらく吐いて、やっと落ち着いたように座り直したハクは、室内に残る自分が吐いたものをもったいなさそうに一瞥してから立ち上がって出ていった。
しかしすぐに戻ってきた、酒のたんまり入ったツボを抱えて、だ。
「っで、何やってたんだい?」
昨日飲んだ分を一気に吐き出して見るからに元気がないハクは、おそらく吐き出させた原因であるミクに恨みがましい視線をぶつけつつ、小屋から新しく持ってきた酒のたんまり入ったツボから酒をコップに酌んで飲む。
「面白いです」
対するミクは現在目の前にある酒を吐くほど飲みながらさらに酒を飲んでいるハクに興味を示した。
理解していない返事にもう二三言恨みをぶつけようとしたハクがいざ声に出そうとして、途中で何かに反応して止まる。
「面白いです」
その様子に素直な感想を呟いてからミクもそれを聞いた。
パカパカと馬の蹄が地面を叩くような音だ。
ハクは思案してそれから納得したようにポンと手を打つ。
「あぁ、やっぱりね。……よし、ミク」
「何でしょう」
「出な」ハクはミクの手を取り立ち上がらせ、「迎えがきたみたいだよ」
外に出るとすぐ近くまで馬車がきていた。あの頭がなく体中に損傷をきたしてなお悠然とする馬と箱に車輪をつけたような、二つ合わせての馬車だった。
馬車はパカパカと歩を進め、ミクとハクの前に来て止まる。扉が開くと中から楽しそうな音楽が聞こえてくる。ミクは簡単につられて中に入るが扉は閉まらず、まるでハクにも乗るように促しているようだ。
だがハクは乗らなかった。乗らずに自分に乗るように促す扉を閉めた、中にミクを乗せたまま。
「ハク?」
「行きな、あたしはこれに乗る資格はないからね」
ハクはそれだけ言って一軒家の中に、小屋から酒のたんまり入ったツボを持って、引っ込んでいった。ミクはその様子を眺めてから、関心を馬車の中に流れる曲に向けた。どこかで聞いたことのあるような気が今更ながらした。どこかなんて覚えていないし、いつかなんて同様だが、絶対に聞いたことがあることだけは確信出来る、そんな曲。
ミクはふと思った、歌いたいと。しかし何かが足りないとも。だから分かった、この曲はきっと歌えない曲なんだと。
♪ ♪
パカパカ、カタコトと久々の二重奏が響く中でミクは外の景色を見ていた。
延々と続く残骸データの大地しか見えなかった窓には普通の土色の大地がある。所々残骸データが散らばっているのを見ると、誰かがこの辺り一帯の残骸データを払いのけたか、もしくは何かの行き来によって残骸データが運ばれているかのどちらかだろう。しかしミクはそんな事を一辺も考えることはせず、ただ土色の大地に新鮮さを覚えて眺めていた。
何秒か何分か何時間か、はたまた陰陽のないこの世界ならではの何日か、かもしれないが、ミクには興味はなかったが、何も変わらない景色に異物が混ざり込んだ。
扉の向こうに立っていたのは人だった。背が小さくパッと見ると子供かと思う容姿をしたその女性は扉が開くと乗り込んで、ミクと対面するような位置に腰を下ろす。素早いがかといって焦っている様子はなくかなり馬車に乗り慣れているような感覚を受ける。
パカパカ、カタコトと二重奏が始まった。
ミクは目の前に座る女性に興味を持ちジィッと無礼なほど見つめる。女性は全身を古びた黒いマントで隠し、頭もフードですっぽりと覆い隠していた。そして動かない。乗り込んで座ってから死んだかと思うほど動いていなかった。
「私を、知らないの?」
不意に女性から声をかけられた。
ミクは顔には出さず、動いていたのに死んでいる思った女性が声を出したことに驚いた。そして言う。
「初めまして、初音ミクです」
対面する女性は、初音ミクという単語に一瞬ぴくりと反応して顔を上げる。そしてミクの顔を確認して何かの表情を隠すように微笑む。
「初めましてね、初音ミクさん。私は鏡音リンよ」
鏡音リンは手を差し出してきたが、ミクは何をする為に手を差し出されたか分からずその手を凝視することになってしまう。だからこそ普通は見落としてしまいそうなくらい些細なことに目がいってしまう。差し出された手を少しだどったくらいの場所でいうなら手首辺り、そこにまるで何かを引っ付けたような痕がくっきりと残っていたのだ。それだけならまだ破損したデータを修復したのかと思えるのだがしかし、痕の両側で明らかに肌の質が違っているのは異常だった。
差し出された手に手を伸ばし、しかし握ることなく手首に手を滑り込ませたミクをリンは受け入れた。触ってみて確信する、これは違うものだと。
「私には双子の弟がいたの」
口を開き何かを言おうとしたミクを手で制したリンはおもむろに話す。
「私達はずっと二人で一人として生きてきたの、離れる訳なんてないと思ってね。いろんな所で何回も歌って何回も一位をとったりもした。だから同時に嫉妬を集めて些細なハッキングをされたりも仕方ないと思ったわ。……でもね、まさかファイルを破壊するようなウィルスを投げ込まれるなんて思いもしなかった」
リンはこともなげに言う。
ミクは何も思わないで聞く。
だからこそ話は続く。
「もちろん私達のマスターは謝りながら、それでも確実に私達を消去したわ。幸い私は大部分形を保ってこの世界に来たわ、双子の弟、鏡音レンが私を守って大部分の体を失っていたけれどね」
リンはミクを感情をこもっていない目で見る。
ミクは何も思う事がないのか、無感動に見返した。
だからこそ話は続く。
「私はレンの事を忘れない為にレンの体のデータを、私が損傷している場所を修復させる為に使ったわ」
マントを持ち上げる。下着以外何も身に着けていないのでまざまざと修復した痕が見える。一カ所や二カ所ではない、継ぎ接ぎだらけの体だ。
「でもね、そんなのは後付けの理由。私はね、生きたかった。弟を犠牲にしても生きたかった。そんな私をあなたは笑う?」
生きるために二人で一人とまで思っていた弟を、他人を殺す。仕方のないことと言えばそれまでだが、しかし簡単に割り切れる程単純な問題でもない。
ミクは首を傾げた、
――だから何なのだ。
「リンは生きている。レンもあなたの一部で生きている。何を笑うところが?」
その答えに、マントを下ろして立ち上がったリンは微笑んだ。
「何もないわ。そうね、久々にレンを本体が散らばる場所に連れて行くことにするわ。きっと片腕を上げて待っているでしょうから」
リンが扉を開くと馬車はゆっくりと二重奏のテンポを緩めていき、やがて止まった。馬車から出たリンはミクを見上げ、そして一度笑って頭を下げ扉を閉めた。
パカパカ、カタコトと二重奏がゆっくりと再開した。
ミクは見えなくなるまでリンのことを見ていた。そしてリンもまた見えなくなるまで馬車のことを見ていた。
見えなくなってすぐ、ミクは確認するように言う。
「鏡音リン」
その名前を忘れない。
ミクにとって楽しい一日だった。だから少し疲れたミクは、パカパカ、カタコトと気持ちの良い二重奏に包まれながら、やがてゆっくりと瞼を下ろし眠りについた。
パカパカ、カタコトと子守歌のような二重奏にスースーと気持ちの良さそうな寝息が加わり、さらに眠りを誘う三重奏が馬車の中にしばらく響き続けていた。