パカパカ、カタコトと二重奏が聞こえる中ミクは目覚めた。窓の外には町の景色が広がっていた。
ミクは少し興味を示し扉を開けてみる。すると二重奏は緩まっていき、やがて止まる。降りて扉を閉めると馬車は動きを再開し、パカパカと馬の蹄が地面を叩く音を響かせながら行ってしまう。ミクはその馬車を見送って町を見た。
町と言うにはどこか寂れたようなイメージがする場所だ。ビルではなく民家の割合が多く、しかも空き家であるのが目に見えて分かるようなものばかりだ。
ミクは一番大きな通りを真っ直ぐに高層ビルが立ち並ぶ場所へ向かって歩き始めた。途中にある民家をジィッと眺めたり、時折落ちている空き缶のデータを蹴飛ばしながら進んでいく。
と、不意にミクは足を止めた。そして目を瞑り耳を澄ます。
「これは……音楽?」
ビルとビル、民家と民家の間を反響したように聞こえるのはかき鳴らすようにして出した大きな音だ。鳴らしている人の神経を疑うような乱雑な音に対してミクはここにきて初めての感情、心に受けた圧迫感に苛立ちを覚える。これだけの音ならば音源を特定することは容易い、ミクは目的地を変えて音源へ向かう為に歩を進ませた。
果たしてどんなアホみたいな奏者がそこにいるのかと、悪い意味での興味を持ちながら、だ。
♪ ♪
コンクリートの壁に挟まれた路地裏に一人の青年がいた。その手にはギターを持って今まさに弾いている途中だ。まるでギターの弾き方を知らないように乱暴に弾かれているギターは、弾き方同様に乱暴な音をコンクリートの壁に反響させて青年がいる路地裏に繋がる路地裏全てに音を運んでおり、そこから漏れた音は場所が良ければ大通りでさえ聞こえる程だった。
正直下手なギターだったが、それでも青年はギターをかき鳴らし続ける。無我夢中でかき鳴らす、前にミクが立っていることに気付かずにかき鳴らし続ける。
「良い音ですね」
感想はかき鳴らされているギターの音に押し潰されが、ミクは気にしなかった。
もっとこの音楽と呼んでいいのかも分からないくらい乱暴な音を聞いていたいと思ったから、だから目を閉じ耳を澄ませて音を拾う。
最初はなんて乱暴なだけの音なんだろうかと思って苛立ちを覚えたが、――違う。一歩近付く度に心が圧迫されるような錯覚に陥り、近付けば近付く程もっと聞いていたいと思えるようなそんな音。伝えているのは聞き手が感じる為のものじゃない、弾き手がこう感じさせたいという想い。だから心が圧迫される、自分でない気持ちが自分の中に入り込み比重を増すことに苛立ちを覚える。
言うなれば、この音は、――弾き手の魂そのもの。
「本当に、良い音です」
ミクは青年がいる壁と反対の壁に背中を預けてさらに耳を澄ませる。
ここまで近付けば彼の魂はミクの心を圧迫して気持ちを刷り込み、その魂がまるで自分のものであるかのように錯覚。元々自分という心をあまり持ち合わせていないミクの心は彼の魂に半分以上あるべき場所を譲り、支配を弱めてより純粋にその音を感じられるようにする。
それからはただ聞くだけだ。
聞いて、歌に、酔う。
どれだけ聞いていただろうか。今心にあるのが自分のものなのか、それとも目の前の青年の歌にこもった魂の残留なのか分からなくなるくらい聞いていた。
そして、音は止んでいた。
ミクが目を開けるとギターを持った青年と目が合った。青年がギターを弾くのを止めた時にミクの存在に気がついて弾くのを止めたようだった。
「良い音です」まず感想を言い、「それは自作ですか?」
青年は少し驚きながらも返事をする。
「一応な。それにしてもよくこんなところまでこんな煩い音を聞きにきたな? あんた物好きだろ」
「良い音です」繰り返し、「何故こんなところで?」
青年は品定めをするようにミクを見て、それからゆっくりと丁寧にギターを片付ける。
「あんたみたいに音の魂が分かる奴なら俺の音は良い音らしいが、俺みたいに音の魂が分からない奴にとって俺の音はただの耳障りな騒音だからな。街中でやれば追い出されるのは仕方のないことなんだ」
「確かに、最初は嫌な音で音源を絶とうとここに来ましたし」
ミクのカミングアウトに青年は苦笑いで応じて、握手を求めるように手を差し出す。
「かいとだ。ひらがな三つでかいと」
「初音ミク。初めての音にミクをカタカナで書きます」
「初音ミク……」
ミクが握るために伸ばした手を一瞬凝視したかいとは、ミクから怪訝な目を向けられてハッとして伸ばされた手を握る。
それからミクはかいとに連れられて歩く。
「街はもう見たか?」
「いえ、かなり外の方から歩いて来ましたのでまだ」
周りの景色はまだ寂れた下町のようなものだ、遠くに見えるビル群にたどり着くには一体何時間かかるのだろうかとミクは思案するが、経験のあまりないミクにはどれだけ進むのにどれだけ歩けばいいのか分からないため何時間かかるかは分からない。ただ、と言葉に出さずに続けて、
「何時間もかかるんでしょうね」
驚いたのはかいとだ、まさか歩くのか、と顔が表している。ミクはその表情を理解出来ないが、空気が悲しいように感じるので驚く。
「歩くのでしょう?」
「歩かない。何も知らないんだな」
言葉で馬鹿にされムッとするもその通りなので何も言い返すことが出来ないミクは、かいとに先を促してその後ろに続く。かいとは何を思ったか笑い、ミクに促されるままに先を歩いていく。
見えたのは地下に続く階段。
薄暗い先が見える階段をかいとは躊躇いなく降りていくが、ミクは怖いと思いながらしかしかいとの後に続いて降りていった。二階分くらい降りたところには広い縦長な場所が広がっており、長い辺の部分は少し手前で窪地になっている。ミクが顔を突き出して窪地を見ると、二本の細い鉄のデータが延々と繋げられているようだった。
かいとは真ん中に設置されている椅子に腰を下ろしミクに隣を勧める。ミクは窪地から離れ、かいとの勧めるままに椅子に腰を下ろした。
ゴゥンゴゥンと遠いどこかで壊れた機械が動いているような音が地下の空間に響いている。
「ここからこれが使えるから」
「これとは何ですか?」
「地下鉄さ。ここは廃棄世界《スクラップランド》の端の端の終点、一日に二回だけ電車が通る場所。廃棄駅《スクラップホーム》とも言われてる」
納得して周りを見るが、やはり何もない、廃棄されている場所にはぴったりな雰囲気が漂っている。
あるものは、数字が二十四と二つしか書かれていない掲示板形式の時刻表、長針が秒針の速さで逆回転して秒針が狂ったように二十五分と三十五分の間を行き来して唯一短針だけがまともに動いている時計、ホームの真ん中に六つだけ設置されている椅子、商品がおかれていないにも関わらず光って主張している自動販売機、くらいなものだ。そのほとんどが意味を為していないか、または壊れている。
ミクは視線を目の前の壁に戻した。かいとは目を閉じ足でリズムをとっている。
やはり最初は耳障りで、後から心地良くなっていく音だった。自然とミクも口の奥で音を響かせ始める。
数分くらいそうしていると、不意にかいとは笑った。大声でも押し殺したようでめなく自然な笑い声が地下空間に木霊した。ミクは何故かいとが笑っているのかを理解することが出来ないので、嫌な顔で嫌いなものを見るようにかいとを見る。その視線に気付いたかいとは笑いながらも謝る。
「ごめんごめん、つい昔のことを思い出したんだ」線路の先に過去を見るように、「ルカにそっくりだなって」
ミクが怪訝な顔をしても今度は謝らず、より楽しそうにかいとは笑う。
「ルカも初めて俺と会った時、俺の音を良い音って言ってくれたし、地下鉄のことも知らなかったし、俺が足でリズムをとるとやっぱり同じように歌ってた。俺の音を良い音って言ってくれたのはこの時が二人目だった」
楽しい過去を思い出しているのか、かいとは顔に安らかさを持ち、しかしどこか悲しみを秘めていた。理由は分かる、かいとが一人でギターを弾いているところを見れば、ギブスをした人を骨折した考えるのと同じように想像出来る。
何を話したものかと思案するミクだが、気になったことは既に話されていた。
「かいとは自分の音が良い音だって分からないのですか?」
「分からない。何度も弾くのを止めようと思い、その度に俺の音を良い音と言ってくれた人達のために弾き続けてる」
魂を音に乗せる理解し難い天才肌のギタリスト。かいとの音には何かが足りないのだ、ミクはその何かを想像してみる。すぐに一つ思い浮かんだ。
「――歌」
言葉を音に乗せて伝えること。
しかし、かいとは、
「俺の音に歌は合わないらしい」
他人の心を圧迫するまでに魂のこもった音は、届けようとする音すら飲み込んでしまい歌を潰してしまう。歌が合わないのではない、歌が音についていけないのだ。
かいとがそうまでして、歌にすら合わせず、誰にも理解されないにも関わらず、馬鹿みたいに正直に音に乗せた想いは何なのだろうか。ミクはふとそんなことを考えた。
「かいとは何を想ってギターを弾くのですか?」
「ルカがいつでも戻ってこられるように、ルカがいつでも頑張れるように、ルカがいつでも安らげるように。俺はギターを弾いてる」
「飽きませんか?」
「……まだ、言葉で想いを伝えてないから、それまではさっき言ったように良い音と言ってくれた人達の為にギターを弾く」
ミクが何かを言おうとしたところで、ゴゥンゴゥンと壊れた機械が動いているような音が急速に近付いてくる。しばらくその雑音を聞いていると細い鉄の先、闇が包む向こう側から光がぼやっと映し出され、すぐに本体を表した。
四車両で編成された電車の中には一人も乗客はおらず、また、誰かが乗っていたという形跡も薄い。
「乗るぞ。乗り逃せば明日まで待たないといけなくなる」
「分かりました。乗ります」
かいとが乗り、ミクが続く。
二人は適当に空いている座席に腰かけて息をついた。
間もなく二人を乗せた電車は発進したのだった。